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三角形ってなんなのさ? [疑似科学批判批判批判批判]

 PseuDoctorさんご回答ありがとうございました。いや、マジで期待して待ってました。まずは、力作のご投稿、素直に感謝いたします。
 それに敬意を評す意味で、こちらも容赦なくコメントしてみようと思います。
 あ、モチロン、意見を寄せてくださったほかの皆さんにも非常に感謝。そちらの返事はおいおいする事として、今回はちょっと順番飛ばさせていただきます(すまぬ)。



 まずは、全文掲載。

【PseuDoctorさんのコメント引用】

 こんばんは。お待たせしました。
(長いですよ)

まず、結論から書きますと、
「幾つかの個別の事例がある時に、それらに共通した要素を抽出する事と、それらを包括する概念を考える事とは、本質的に同一である」
となります。しかもこれは「ニセ科学批判」に限った事ではなく、もっと広く一般に成り立つと考えています。

どうでしょう。にわかには信じられませんか?
そうかもしれません。何しろ、Judgementさんが本文で書かれている内容と真っ向から対立しているのですから。

では、例題をやってみましょう。
問1-1:「正三角形、直角三角形、二等辺三角形」これらを包括する概念を示せ。
答としては「三角形」「図形」などが挙げられますね。ちょっとひねった解答をするなら「日本語の単語」とかいうのでも良いかもしれません。
それでは、
問1-2:「正三角形、直角三角形、二等辺三角形」これらに共通する要素を示せ。
どうでしょう?問1-1の答「三角形」「図形」「日本語の単語」がそのまま使えませんか?

ちょっと順番を変えて、もう1問やってみましょう。
問2-1:以下のものに共通する要素は何か。「イヌ、サル、キジ」
答は「桃太郎の家来」「動物」「カタカナで出来た単語」等が挙げられます。
一方、
問2-2:以下のものを包括する概念は何か。「イヌ、サル、キジ」
もう繰り返しませんが、同じ答が通用しますよね?

「いやいや、2問くらいじゃ信じられない」というアナタの為に、もう少し続けてみましょう。
問3-1:以下のものに共通する要素は何か。「社長、父親、校長」
答:「偉そう」「威張ってる」「オヤジ」
問3-2:以下のものを包括する概念は何か。「社長、父親、校長」
答:???ほら見ろ、問3-1の答は、どれも「包括」なんかしてないじゃん!

おやおや、困りましたね。
でも、ちょっと待って下さい。少し考えてみましょう。
本当に、問3-1の答は「共通する要素」なのですか?連想ゲームなら、その答えでも良いでしょうが。問3-2を答えようとして「威張らない社長だって居るし、女の校長だって居る」と思ったヒト、その考えは正しいです。
でもその考え方って、問3-1を答える時にだって成り立ちますよね?

つまり「共通する要素」とは「全てに共通するもの」でなければならない筈なのに、たまたま「当て嵌まる一部」だけを取り出してしまったのです。「イメージ」 「スレテオタイプ」「思い込み」何と呼んでも良いですが、とにかく問3-1の答は、一見正しく見えるけれど、実は間違っていたという例です。
そしてこの事は、実は「ニセ科学批判批判」に対しても言えます。個別の批判行為の全てに共通する要素を抽出し、それを「ニセ科学批判」とすべきなのです。しか し実際には、一部の目立つ事例のみに気を取られてしまい、それらから連想されるものを共通要素だと思い込んでしまっているのではないでしょうか。
だ からこそ「批判批判」を的外れだと感じる事が多いのではないかと思います。包括概念としての「ニセ科学批判」は観念上の存在ですが、だからといって「ニセ科学批判」そのものに対して批判を加える事が出来ない訳ではありません。有効な「ニセ科学批判批判」が存在し難いのは、正しく共通要素を抽出する事(=正 しく包括概念を捉える事)に失敗しているからではないかと、私は考えています。
「全てに共通する要素を正しく抽出するなんて、そんなの不可能じゃないか」って思いますか?確かに、不可能とまでは言いませんが、非常に困難ですね。だからこそ、包括的な「ニセ科学批判批判」を的確に行うのは難しいのであり「個別事例を出せ」と言われてしまうのです。

と りあえず説明は以上ですが、私がこういう認識に至った背景をもう少し述べたいと思います。一言で言うと「包括」「包含」「含む」といった言葉の持つイメー ジに大きな原因があると思っています。どうも我々は「AがBを含む(BはAに含まれる)」という関係がある時に「含んでいるAの方が大きいのだから、Bが 持ち合わせている要素は全てAも持っているだろう」とイメージしてしまいがちです。
しかしそれは間違っているのですね。

皆さん良く御存知の例を挙げましょう。
生徒「バナナはオヤツに含まれますか?」
先生「はい、バナナはオヤツに含まれます」
「バ ナナはオヤツに含まれる(オヤツはバナナを含む)」のですよね。この場合、バナナはオヤツである為の条件を全て満たしているから、オヤツに含まれるので す。当たり前ですね。「オヤツである為の条件を満たしていないのにオヤツに含まれる」なんて、単なる自己矛盾ですから。
従って、バナナとは「オヤツである為の条件を満たし、更に、バナナである為の条件を満たしたもの」となります。つまり「オヤツである」よりも「バナナである」の方が条件が厳しいのですね。

まだ釈然としませんか?そうかもしれません。
私は上の説明で、意図的に「必要条件」「十分条件」という言葉を使いませんでした。実はこの言葉も曲者なのです。上の例でいくと「オヤツである」事は「バナナである」事の必要条件であり、「バナナである」事は「オヤツである」事の十分条件です。
しかし普通の日本語の感覚で言うと「別にオヤツにバナナが必要だという訳でもないし、バナナさえあればオヤツに十分だという訳でもないだろう」と考えるのがむしろ自然です。

勿論、じっくり落ち着いて考えれば、矛盾無く理解出来る筈なのですが、どうしても感覚として気持ち悪い。間違っている様な気がする。どうもそのあたりが、誤解しがちな要素なのではないかと思います。
論理を使いこなすのも、本当に難しいです。
by PseuDoctor (2009-07-14 22:26)


【はじめに】

 確かに、「部分と全体が本質的に同じ」的な主張は、感覚的には受け入れがたいはずなのに、さすがにPseuDoctorさんの力作だけあって、私もうっかり騙されるところでした。
(ちなみに、どうでもいい事ですが、「社長、父親、校長」→「偉そう・威張ってる・オヤジ」の例については、一見たりとも正しく見えないんですが....)

 PseuDoctorさんは「矛盾無く理解出来る筈なのですが、どうしても感覚として気持ち悪い。間違っている様な気がする。どうもそのあたりが、誤解しがちな要素なのではないかと思います。」とおっしゃいました。
 さて、PseuDoctorさんは、感覚として気持ち悪い、間違っている様な気がしても、「矛盾が無い」、つまり論理的整合性があるから、「正しい」と判断するのでしょうか。
 (これについては、さいごのさいごに触れます)


 忌憚無き意見を言えば、今回のケースは、まさに前回の記事「論理的に騙されるコト」のモデルケースであると私は捉えました。
(そういう記事をあらかじめタイミングよく上梓している私の予知能力ってすごいカモ)

 私が言った事を振り返ってみましょう。
『論理性や合理性を有効に活用するには「情報を十分に揃える(揃え続ける)」事が重要。』

 さて、PseuDoctorさんの説明にはそのような視点が備わっていたでしょうか。

 とりあえずはPseuDoctorさんの結論は
「幾つかの個別の事例がある時に、それらに共通した要素を抽出する事と、それらを包括する概念を考える事とは、本質的に同一である」
 なんですね。
 しかもこれは「ニセ科学批判」に限った事ではなく、もっと広く一般に成り立つと考えている、という事で、「三角形」の例もその証左という事でいいですよね。

 確かに日常会話的には、PseuDoctorさんのような例題は一見筋が通っているように思えます。
 しかし、日常会話的に簡略化された字面だけで判断していいのでしょうか?

 「簡略化により削られてしまったもの」を考えるとどうなるか見て行きましょう。


【三角形話】

 「正三角形、直角三角形、二等辺三角形」これらを包括する概念が「三角形」であり、共通する要素も「三角形」である、という所に焦点を当てましょう。

 先ほども言いましたが、PseuDoctorさんの例題としては日常会話的には全然問題ないし、あるいは知能テストみたいな状況でもそれは正答とされるでしょう。
 
 でもちょっと待って。
 確かに「三角形」と言う「同じ言葉」を使っているわけですが、両者は「同じ意味で言っている」のでしょうか?
 日常会話的な答えはおいておいて、私が厳密に答えるなら、こうなります

《問1-1の答え》「3つの図形の共通する要素は、直線の3辺で構成される閉じた図形という事である。その上で、それらの要素で括るための既存の概念を挙げよ、と言うのであれば、“三角形”が適用できる」

《問1-2の答え》共通する要素としては、直線の3辺で構成されるという点が挙げられる。強いて言い換えれば「“三角形”という概念に包括される図形である」とも言える。

 もう少しまとめて先ほどの日常会話的な回答に「省略されてしまった」言葉を補ってみましょう。

《問1-1の答え》その集団を包括する概念は“三角形”である

《問1-2の答え》
a 個々の図形に共通する要素は“三角形”という概念で規定される内容と共通する
b 個々の図形に共通する要素は「“三角形”という概念で包括される図形である」

 さらに簡潔にして、差異を明確にしてみましょう。

《問1-1の答え》「“三角形”という概念が適用可能な集団である」事を示す
《問1-2の答え》「“三角形”という概念で包括可能な個体である」事を示す

 さぁ、ここまで考えてみて、それでも「包括の答えも、共通要素の答えも、どっちも同じ“三角形”だったから、本質的に同一である」と言えるでしょうか。

 ...てか、「本質」って何でしょう。
(文章内に共通の文字列を持つことが「本質」と俺が決めた、と言い出さない事を願ウ)

 本質を問題にしようというならば、「本質」で考えるべきでしょうね。
 で、実は、“三角形”という言葉は、「表層」にすぎないと思うんですよ。


【“三角形”という表層】

 まず、「三角形」という概念、あるいはカテゴリーと言っていいかもしれないけど、その“三角形”と言う呼び名自体に意味があるわけではない。そこに、「直線の3辺で構成される閉じた図形全てを包括する」という意味が付与して、はじめてそれらを包括するカテゴリーの名称として機能するわけです。
 例えば、極端な話ですが、“三角形”に「ミスミ・ケイという人の名前だ」という意味が付与されれば、それは「直線の3辺~包括する」機能を持たないわけです。逆に、「直線の3辺~包括する」という意味を付与しさえすれば、“名前”は「三辺型」でも「三尖型」でもかまわない。
 いわば、「三角形」という名称は、「直線の3辺で構成される閉じた図形全てを包括する」という、本質的な部分である所の“意味”に取り付けたタグにすぎないんですね。

 視点を変えて、「正三角形」と「三角形」の関係も考えて見ましょう。
 「正三角形」の本質的な要素は「同じ長さの直線の3辺で構成される閉じた図形」である、という事ですよね。この中の、「“三角形”という名前が付いた概念の意味との共通性」がある「直線の3辺で構成される閉じた図形」という本質の一部に、“三角型”というタグを括りつけてそれに言い換えたにすぎないんです。

 つまり、どちらの視点でも“三角形”という呼称は「本質」に付与された表層にすぎないわけなんですよ。


【論理的な間違えやすさ】

 その上で前者は「カテゴリーの意味」という本質に付けられたタグだし、後者では「個別の事象の本質の要素」の一部に付けられたタグなんです。

 タグだけ比べれば「同じ」に見えるのかもしれないけれど、タグが付けられた先の本質は「集団か個体か」という点で全く違うわけです。

 本質まで追わないで、表層だけで論理を構成するから、「本質的に違う」ものを「本質的に同一である」と“論理的な整合性を持った上で”誤った判断をしてしまうんですね。

 つまり、この「三角形」やらの例については

「幾つかの個別の事例がある時に、それらに共通した要素を抽出する事と、それらを包括する概念を考える事とは、本質的に違うにもかかわらず、表層的な部分を端的に捉えれば、同一に見えちゃう」

 事をこそ示していると考えられるのですが、いかがでしょうか?


【補足:消防署の話】

 PseuDoctorさんに対し、トンデモブラウさんが『「消防署の方から来た」を批判している人が、同じようなことやっちゃダメじゃないかなぁ。』と言ってますね。

 まぁ、このコメントがどういう意味なのか一切説明が無いので何とも言えないんだけど(こういう言い草、私は個人的には嫌いデスヨ。できれば自分で尻拭いしてね)、せっかくだから私なりの説明をしてみる。

 この場合「消防署の方から来た消防署員」と「消防署の方から来た商売人」について、「消防署員」と「商売人」という本質を見ずに、「消防署の方から来た」という表層的なタグで判断しようとするから騙されてしまうんですよね。
 両者とも“三角形”という点で同じだから、「本質的に同じ」と錯覚するような考え方にも共通する構造があると思いませんか?


【同じなの?違うの?】

 PseuDoctorさんは三角形の例では、あたかも「括りの概念」と「括られた集団の括った要素」は答えが(端的には)同じになるから「本質的に同じ」といった話の進め方をしているわけですが...。

 ところで、「括りの概念」の観点から言えば、「正三角形」の「辺の長さが同じ」という項目もまた「三角形」に“包含される”1バリエーションとして含まれるはずですよね。
 と言う事は、「なんだよ、同じ長さの辺ばかり持ちやがって」という批判は「正三角形批判」であると同時に、「三角形」という概念に包含される特徴を批判しているのだから、「三角形批判」と呼んでもいい事になりますよね。

 だけど、PseuDoctorさんはおそらく、それは「三角形批判」として認めないと思う。
 「なんだよ、3つも角持ちやがって」というものこそが「三角形批判」だ、といった事を言いたいんでしょう。で、この場合の「三角形」は「括られた集団の括った要素」という観点でのものになるはず。

 となると、「括りの概念」と「括られた集団の括った要素」を区別しようとしていらっしゃるわけで、「『本質的に同じ』の話はどこいったんだい?」と言った矛盾を感じざるを得ないわけです。

 PseuDoctorさんの立場で言おうとするならば、「括られた集団」と「括られた集団の括った要素」は別だ、という事をまず言うべきで、その上で「括られた集団の括った要素」の方を批判するのが正しい、と主張しなくてはならないのではないでしょうか。

なのに
「括られた集団」と「括られた集団の括った要素」は本質的に同じ。
でも批判する時は「括られた集団の括った要素」の方でなくてはダメだ。
といった論理構成になっていませんか?


【さいごに】

 いやね、PseuDoctorさんやapjさんが「ニセ科学批判批判」に対して何が言いたいのか、というのは私は大体察しているんですよ(というか、言ってますしね)。
 『個別の批判行為の全てに共通する要素を抽出し、それを「ニセ科学批判」とすべきだ』なんでしょ。

 それについては、必ずしも支持しなければならないものかというと、そう納得するには説明が足りないと感じているのが実情ですが、少なくとも私は支持してもいいと思っている。
 だからこそ、ある段階から「ニセ科学批判批判」から「apj氏批判」、「技術開発者氏批判」に切り替えたりしているわけですしね。

 でも、そう察している私ですら、「じゃぁ実際に言っている内容をキチンと理解しよう」とすると、『ありゃりゃ、何言おうとしているのか分かんないぞ』という状況に陥ってしまう。
 それが私の読解力の問題なのか何なのか確認したくて提起したのが『ニセ科学批判って何なのさ?』だったわけ。

 現段階の結論としては、申し訳ないけどPseuDoctorさんの理屈で読解する事が妥当とは判断できない(理由は今まで述べた通り)。
 PseuDoctorさんですらこの有様であるならば、変な詭弁的な論法で辻褄を合わせようとするよりかは、「同じ言葉で別なものを指している」と解釈する方が一番すっきりすると思うのですけどね(あるいは、(こ)さんのように、さらっと読み流してしまうか)。

 おそらく、PseuDoctorさんも、apj氏も「結論が先に決まった」上で、理屈を考えているから、循環論的な言い回しや、同音異義語の混入による混乱、本質的な情報の欠落、がまかり通ってしまっているのじゃないかなぁ、と思うわけっスよ。

 ただし、「だから間違っている」とまでは言わない。
 ロジックとしておかしいのは、形而上的な世界では「間違い」だけど、この"現世”においては、「説明不足」・「整理不足」・「情報不足」である事が原因である可能性もあるわけですから。
 

【さいごのさいごに】

 イヤミ的な事言っておかないと、Judgementっぽくないかな、ということで。
勿論、じっくり落ち着いて考えれば、矛盾無く理解出来る筈なのですが、どうしても感覚として気持ち悪い。間違っている様な気がする。どうもそのあたりが、誤解しがちな要素なのではないかと思います。
論理を使いこなすのも、本当に難しいです。

 確かに「じっくり落ち着いて考える」事は大切です。
 しかし、ゴールを決めてしまうと、そこにたどり着きたい一心で焦って、色んなものを見落としちゃうんですよね。
 もしかしたら『感覚として気持ち悪い。間違っている様な気がする。』というのは、見落としながら進んでいる事を薄々感ずいている、自分の中の本当に論理的な部分からの警鐘なのかもしれません。
 でも、「矛盾が無い(ように見える)まま目指すゴールに辿り着いた」からそれでいい、それで正しいんだ、という気持ちが、そういった警鐘により「疑う」べき所を、「まぁ、そりゃ誤解だよ」で済ましてしまっちゃったりするわけです。

 論理を使いこなすのは、本当に難しいですよね。


 まぁ、私の今回の記事も「じっくり落ち着いて考える」というより、ざっくり考えたもんだから、色々間違いや詭弁的な所もあるかもしれないから、異論・反論どんどん受付けま~す。
(ただし、お返事はタイムラグがあったり、受付順じゃなかったりするけどネ)
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blupy

う~ん、おふた方ともちょっと違うんじゃないかな。

まずPseuDoctorさん、
結論からいうと「幾つかの個別の事例がある時に、それらに共通した要素を抽出する事と、それらを包括する概念を考える事とは、本質的に同一である」ということは、言えないんじゃないかと思います。また、別にPseuDoctorさんのここでの結論は、別のこの前提がなくてもいえるし、理解できるが、それって厳密に適用できるもんでもないんじゃないですか。

最初の点は、認知心理学の、概念について書かれた様々な本に詳しいので、私のつたない説明よりもそちらをあたってみるよいかと思います。「家族的類似」とが「多重性概念」だとかネットで検索しても何か出てくるかもしれません。ここで軽く説明すれば、
たとえば、「ゲーム」を包括する概念に、共通要素をあげられますか?
 それができないが「ゲーム」という概念は確かにあるという点からヴィトゲンシュタインは、家族的類似という考えを出しました。家族全員に共通する要素はないが、AとBとC、BとCとD、AとCと…は、それぞれに別の観点で類似した点がある、たから私たちは同一のカテゴリー(概念)でくくれているのだ、という考えです。このような考え方をさらに発展させて、いろんな実験・研究がなされていると思います。また、自然概念と人工概念を一緒くたにしてよいのか、という問題もあります。

2番目の点として、それまでの話が間違っているからと言って、(Judgementさんと同じく)「つまり「共通する要素」とは「全てに共通するもの」以下の2段落でおしゃっていることが間違っているとは思いません。その部分でおっしゃりたいことは、独立に成立していると思いますし、すべてに共通する要素、というのがない場合、それを要求するのは無理がありますが、一般論として言っていることは理解できます。
 しかし、問題はそいうことを言い出すと、結構自分が困る場合が多いということです。Pseudoctorさんが「批判批判者」についていっていることも、「批判批判者」を別に共通要素あげて定義していってるわけではありませんよね。多くの人は、結構いい加減に概念を扱ってるし、それである程度通じてしまう多重性や曖昧さがそもそもの概念(自然概念)の性質だったりするのだと思います。ですから言ってることは正しくでも、よっぽどの覚悟がなければ、そのようなことは言えないと思います。ただもちろん、最初にどういう定義、意味でお互いの概念を使っているのかは確認してから、議論なり批判なりすべきではあると思います。でも、それだけいえば、批判をすっとばせるというものではないと思います。「一般的に●●はこうなんじゃない」、といわれて、「私はそうではない」とか「Aさんはそうじゃない」とか「一般的にそういえるわけじゃない」というのは、批判にこたえているといえるが、「その性質は全体に当てはまるわけじゃない」「全体に共通する性質なんてないのに、全体について語るな」ってのは一般論としはありえても個別の議論、批判の中でいうのはフェアじゃないし、不十分でしょう。

Judgementさん、

 もっと抽象的にいえば、(A、B、C…)の集合に対するラベルと、A=a+k、B=b+k,…におけるkに対するラベルが一緒だからといって、ラベルが示す内容まで一緒とは限らない、という話ですよね。<(A、B、C…)の>や<k>という「本質」が違う、つまり「カテゴリーの意味」と「個別の事象の本質の要素」が違うということですよね。
 でもだったらその「本質」的内容が違うということをちゃんといわなきゃならない。でも、この例では言えてないんじゃないですか。だって全体のカテゴリーの名称としてでも、個別の共通要素としてでも、「直線の3辺で構成される閉じた図形」を「三角形」といってるわけですから。三角形についていえば、全体の定義がそのまま、各要素に共通な要素になっているのは事実ですから。

>この場合「消防署の方から来た消防署員」と「消防署の方から来た商売人」について、「消防署員」と「商売人」という本質を見ずに、「消防署の方から来た」という表層的なタグで判断しようとするから騙されてしまうんですよね。
 そんなこといえば「消防署員」だって「表層的なタグ」でしょ。「消防署員です」って言ったって、実際に消防署員かどうかとは別ですよね。あなたがここでいっている「本質」ってなんなんでしょう。「消防署員」や「商人」という言葉が「本質」なんですか。
 もちろん、概念の話をしているのだから、実体とか実物を「本質」で、空に対するタグを「表層」だという単純な話でもないですよね。だって三角形の例だって概念を別の概念で言い換えてるだけなんですから。
 「本質」のような、話者が恣意的に意味付けできるような言葉を使うのはどうかと思いますよ。
by blupy (2009-08-02 22:04) 

blupy

>空に対するタグ
は、
>それに対するタグ
の間違いです。

by blupy (2009-08-02 22:09) 

PseuDoctor

こんばんは。

大変遅くなったうえに勝手を言って誠に申し訳ないのですが、この件に関しては私の中での優先順位を下げさせて頂きたいと思います。
御無沙汰した上にこの様な事を申し上げるのはとても心苦しいです。しかし時間のやり繰りがつかなくなりつつあるのと、Judgementさんのお相手をする気力が続かなくなってきているというのが大きな理由です。
実を言うと、今回のエントリ自体も、ざっとしか読んでいません。きちんとコメントする為には精読すべきなのでしょうが、正直に言えば、なかなかそういう気分にならないのです。

とだけ書いて終わりにするのもあんまりですから、本論ではない最後の部分にだけ反応しておきましょう。
>しかし、ゴールを決めてしまうと、そこにたどり着きたい一心で焦って、色んなものを見落としちゃうんですよね。
>もしかしたら『感覚として気持ち悪い。間違っている様な気がする。』というのは、見落としながら進んでいる事を薄々感ずいている、自分の中の本当に論理的な部分からの警鐘なのかもしれません。

「もしかしたら~かもしれません」という言い回しを字義通りに捉えるならば「そうですね。そうかもしれませんね。可能性の否定は出来ませんから」とお返事すれば終わっちゃうのですが、まあそれは置いといて、二点反論します。

まず一点目。
前にも書きましたが、この件に関して私は最初Judgementさんが正しくapjさんが間違っていると考えましたし、本当にそうコメントするつもりだったのです。ですから「ゴールにたどり着きたい一心で焦って」というのは当たらないと考えます。まあ、Judgementさんが「PseuDoctorは結論ありきで考えている」とお思いなのも解らないでもないですが、私としてはむしろJudgementさんの教えに従ったつもりだったんですよ。

具体的に言えば
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-07-04
の中で、Judgementさんが
>一度自分で判断した事について、もう一度判断し直そうとしても、「“正しい”と判断できる情報がどれだけあるか」を検討する事に終始して、「正しくないか」の検討には手を付けないんですよ。

と仰っていたのが頭に残っていたから、自分自身の単純な判断に疑義を挟む気になったのです。

二点目。
最初の引用部を見ますとJudgementさんは随分「感覚(ないし直観)」を重視なさっている様ですが、私はこれに非常に違和感を感じます。と言いますのも、私はJudgementさんの事を「心理学が専門であり、かつマジシャンでもある」方だと認識しているからです。感覚や直観というものがどれほどたやすく自分を裏切るか、どれほど当てにならないか、心理学の分野でもマジックの分野でも、そうした例は枚挙に暇が無いですよね。
感覚や直観に信を置く事の危険性を熟知している筈のJudgementさんが、どうしてこんな事を言い出すのか、非常に理解に苦しんでいます。もしかしたらJudgementさんは本当に「騙す側の人間」だという事なのかもしれない、と疑ってしまいます。

>blupyさん
お久し振りですね。
残念ですが、上に書いた様な事情ですので、大変勝手ながら、blupyさんとの議論も差し控えさせて頂きたいと存じます。
ざっと拝見しただけですが、blupyさんの御意見も興味深いものと感じました。しかしやはり、きちんと読んでお返事するには、気力体力とも不足しているというのが正直なところです。
決して、blupyさんとの議論そのものを忌避しているのではない、という点を御理解頂ければ幸いです。
by PseuDoctor (2009-08-20 00:06) 

Judgement

えっと、私は、ちょっと実生活があたふたするとすぐ更新が止まります。
(と、ちょっと最近の未更新の言い訳をしてみる)

つまり、自分自身、このブログが実生活と比較して優先順位が低いんですね。だから、他人様が優先順位を下げる事に、何ら文句を言う資格はありませぬ(というか、私は他人に返事を強要したり、催促したりした事はほとんどないですよ~。返事が来るのはすごく嬉しいけどね)。
どうか、お気遣い無く。
というか、わざわざ言わんでよろし。

ところで実は、blupyさんの発言を受けて、また考え直して、アプローチがちょっと違ったかなとも思い始めています。
(他人の言葉は、刺激になるし、考えも変わる)

とはいえ、やっぱりPseuDoctorさんの意見には否定的な結論になっちゃうんデス。で、せっかくだから今考えているアプローチを述べておきますね。

「概念」を辞書で引いたら「個々について取り上げず、全体に共通する性質を取り上げるさま」と書いてあったのよ。つまり、「共通した要素を抽出する事」は即ち「概念を作る」とほぼ同意なわけで、PseuDoctorさんの挙げた課題は「本質的に同一」というよりも、そもそも同じ事を言い換えただけ。だから、同じ答えが出て当然なのね。

ただ、もう一つ問題があって、概念は包括するためのものではなくて、包括がまずあって、その上で(共通した要素として)概念が成立するんじゃないかな。
だから、「包括する概念」という考え方自体が実はズレてますよ。

...なんて事を言うと、距離を置こうとしている人に追い打ちをかけるようで、また株が下がりそうだわぁ(下がるほど上がっていたのか、とは言うな)。

でも、私は、別にPseuDoctorさんをないがしろにしようとしているわけではなく、むしろ「他人の意見」をものすごく貴重だと考えているんデス(某A氏の意見すら)。

で、ぶつけられた主張に、とりあえず「人のよさ」を演出するため、自分の意見を押し殺し「そうだね、もっともだね」と馴れ合うなんてかえって失礼だと考える私なの。
だからこそ、容赦なく骨までしゃぶっちゃうのよねぇ。

まぁ、一種の事故だと思ってあきらめて...。


で、PseuDoctorさんの反論についても、個人的ポリシーとして反応しておきます。

一点目については、PseuDoctorさんの内面の話のようなので、私が口を差し挟む余地はなさそうですが、『一度自分で判断した事について、もう一度判断し直そうとしても、「“正しい”と判断できる情報がどれだけあるか」を検討する事に終始して、「正しくないか」の検討には手を付けないんですよ。』に関して。

これは正直、無限地獄なんですよ。
「判断が正しくないか」を検討して、その判断をしたとして、
次に『「判断が正しくないか」を検討した結果の判断が正しくないか」を検討して、その判断をして...

「だったら、何時までも結論が出ないじゃないか」と言われるでしょうが
科学と同じく、ある程度のところまでいったら「暫定的に」結論としておく。
この「暫定的に」が肝で、「結論が出た」で止まらないのが大事。
でも、自分だけだと、そこで止まりがち。
だから、それを主張してみて、他人のシビアな検証を受ける(これも科学と一緒)。
その際、同意よりも、実は異論・反論の方が有り難い(と私は思ってる)
自分が考えていなかった視点を与えてくれるおかげで、自分の思考が深まるじゃありませんか。

自分がそう思うから、他人にも精一杯そうする。
意見を聞くと、まずは一生懸命異論・反論から考える。
そして思いついたら遠慮なく言う。
迷惑ですかね...。


二点目については、
感覚は「事実を正確に捉えているとは限らない」という問題があります。
直感は「確実性に欠ける」という問題があります。
ただし、感覚は感覚、直感はあくまで直感でしかなく、それをそう認識する限りにおいては、それなりに捉える出来事でしかありません。

しかし、以前書いた事と繋がるのですが
そういった感覚や直感を「正しいものと”信じる”」という事の発生メカニズムには、「誤った論理」もしくは「中途半端な論理」が強く関与しているというのが、心理学でもマジックでも受ける私の実感。

いっときますけど「感覚」自体はまず騙せませんよ。
視覚が追いつけないほど早く手を動かす事はできない。
動いている(動く余地が有る)のに動いていなかったと思わせるには、感覚を騙すのではなく、感覚を判断する脳のロジックを騙すんです。


《以下は余談というか問題提起》

>もしかしたらJudgementさんは本当に「騙す側の人間」だ
>という事なのかもしれない、と疑ってしまいます。

当人がハッキリ「騙す側の人間」だと言っているのに、「疑い」の段階でとどめてくださるなんて、優しいと言うか、あまりにもお人良しですよぉ。

ただ、自分が「騙す側の人間」だ言う私は、ある意味”正直者”よね。
少なくとも、自分が「騙す側の人間」のくせに「騙す側じゃない人間」だと騙そうとする人よりは。

と考えると、実は自分が「騙す側じゃない人間」という人の方が信用できないかもしれないよね。

ちなみにPseuDoctorさんは(そして皆さんは)
「騙す側じゃない人間」だと騙そうとする「騙す側の人間」と
「騙す側じゃない人間」と正直に言う「騙す側じゃない人間」を
キチンと区別する事ができますか?

ついでに、区別できたとして
「騙す側じゃない人間」と正直に言う「騙す側じゃない人間」が
「騙しのメカニズム」について説明したとして
その内容に妥当性・信頼性があると思いますか?

う~ん、ジレンマ。
by Judgement (2009-08-22 00:53) 

PseuDoctor

こんばんは。
別エントリが白熱してる感じなのに、こんなコメント書いてて良いのかと思いましたが、空気読まずに投稿しちゃいます。

やっぱりJudgementさんて面白いですね。いや、面白いと言っては失礼か。むしろ私としては「ツンデレ萌え」に近い気持ちです。もはや元エントリの話題自体には殆ど興味が持てなくなってしまっているのですが、むしろ私は、人間観察が趣味であられるJudgementさんを観察する「Judgement観察」(メタ観察?)を趣味にしたい位ですね。

あんまりこんな事ばっかり言ってても何ですので、こっからはいつもの様にコメントします。

>これは正直、無限地獄なんですよ。
うん、それが聞きたかった。そこが解ってるのならOKです。

>迷惑ですかね...。
うー、私は迷惑じゃないですが、確かにそう思われちゃうかもしれません。
でも「迎合したくない」って気持ちはヒシヒシと伝わってきました。私が変なのかもしれませんが、Judgementさんのそういう所に萌えますね。

>いっときますけど「感覚」自体はまず騙せませんよ。
私は、感覚が真実を裏切る例として「錯視」とかの錯覚を念頭においてたんですが。
これも「騙されてるのは感覚ではなく脳」って事になっちゃうのかな?だとしたら議論が噛み合わないですね。

>当人がハッキリ「騙す側の人間」だと言っているのに、「疑い」の段階でとどめてくださるなんて、優しいと言うか、あまりにもお人良しですよぉ。
何を仰いますか。私はJudgementさんの「私は騙す側」発言に疑義を唱えているのですよ。Judgementさんの「私は騙す」発言を信じればお人良しじゃなくて、疑った方がお人良しになっちゃうんですか?それって何かおかしいですよね。

勿論お解りと思いますが、これって「クレタ人は嘘吐き」と同様の「自己言及型パラドックス」ですね。Judgementさんの言う事を信じても信じなくてもパラドックスに陥る訳です。
ここでパラドックスを逃れる方法は只一つ「Judgementさんは本当の事を言えば嘘も言う」とする事だけです。つまり、Judgementさんが自己言及型のパラドックスを口にした事によって「自分の言う事は本当か嘘か決定できないよ」と宣言したのも同然な訳です。
ですから私がJudgementさんの仰る事を本当とも嘘とも断定せず「疑い」に留めたのは、全く正しい判断だった、という事になるのです。

なーんて書いちゃいましたが、Judgementさんの気持ちは理解してるつもりですよ。ご自分でも「ジレンマ」と書かれていますしね。
「自分は騙す側の立場で述べたいの、解ってよ!」てな感じでしょうか。
うーん、もしかしたらツンデレなのは私の方なのかも。
by PseuDoctor (2009-09-05 00:20) 

Judgement

おまわりさーん、「ストーカー宣言」の書き込みがここにありますよ~

>別エントリが白熱してる感じなのに

あんなのどうせ過疎って終わりよっ!
知ってるクセにそんなこと言わないでねっ!

>>これは正直、無限地獄なんですよ。
>うん、それが聞きたかった。そこが解ってるのならOKです。

あんたなんかにOK出されても何とも思わないんだからねっ!

...スマヌ。「ツン」はできても「デレ」はムリ。

ところで、私は「無間地獄」ってあまりネガティブな意味で取らない。
到達する先が無いからこそ、いつか誰かを追い抜く事ができる可能性が有る。
「無間地獄」にビビッて途中でみんな抜ければ、ひとり勝ち。
「先が見えないから面白い人」と「目標がないと落ち着かない人」で捉え方が違うでしょうね。
ちなみに、「無間地獄、マゾにとっては無限天国」。
私って、実はマゾ?

>Judgementさんのそういう所に萌えますね。

萌えなさい、萌えなさい。
マゾのトンデモブラウさん、萌えのPseuDoctorさん
なんでも引き受けちゃいますよっ
(ただし、オプション料金が加算されます)

>私は、感覚が真実を裏切る例として「錯視」とかの錯覚を念頭においてたんですが。

 うーん、錯覚というのは、脳が入ってきた信号を「自分の世界観」に合わせて解釈しちゃったりするから生じる、と予想されていまして、「眼球からの信号」を感覚とするか、「脳内で像を形成する」までを感覚とするかで違ってきそう。
 まぁ、私も上手く分けて説明できなくて悪いんだけど、例えば、ナポレオンズが良くやってたネタで、鉛筆をユラユラ揺らして「曲がっているでしょ」と言う。客が陳腐なネタに呆れると、「実はグニャグニャな鉛筆なんです」と鉛筆をまげて見せてびっくりさせるって奴あるのね。
 つまり、「ぐにゃぐにゃに見える」という感覚は正しく把握しているんだけど、「錯覚現象」という先入観で「錯覚でぐにゃぐにゃに見えている」と誤った判断をさせる、そんな感じ?(←どんな感じだ)

パラドックスについては、「本当か嘘か決定できない」というパラドクスが明らかであれば「疑う」事すら無用のはず。だって、いくら疑っても決定できない事が分かっているんだもの。
...ってな屁理屈合戦はおいておいて

「自分は騙す側の立場で述べたいの、解ってよ!」
はちょっと、いや、だいぶ違う(分かって言っているんだと思うけど)。

あんたみたいな莫迦が、うっかり人の言う事を真に受ければ
ころっと騙されたり間違ったりするから気をつけなさいっていってるのよ。
...べっ、べつにアンタの事心配してるんじゃないからねっ!
(オプション料金3000円にナリマス)
by Judgement (2009-09-05 01:42) 

PseuDoctor

こんばんは、レスポンス有難うございます。

て言うか、済みませんねぇ、付き合わせちゃって。
まぁ、程々にしておきますけど、もうちょっとだけ。

>ところで、私は「無間地獄」ってあまりネガティブな意味で取らない。

あぁ、それは何となく解りますね。Judgementさんの天邪鬼っぷりが良く出ている感じですね。善哉善哉。

>あんなのどうせ過疎って終わりよっ!

まあまあまあ、そんな事を言い出したら、世の中の殆どのブログの殆どのエントリは「結局最後は過疎って終わり」じゃないですか。
それに、今はまだどっちに転ぶか解らない(?)ですけれど、グダグダになって続くよりは、過疎って終わった方がマシっていう考え方もありますよ。

>(オプション料金3000円にナリマス)

済みません。お金は払えませんけれど、代わりに今度、Judgementさん好みのプレイに一回付き合うのでどうですか?
by PseuDoctor (2009-09-06 22:10) 

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