SSブログ

外側の人の甲状腺検査批判と福島の現実 [原発事故関連]

やぁ久しぶり


最後に書いた記事がおよそ4年前。
それぐらい放置しても無くならないのが課金サービスのいいところ。
なんて言いながら、とりあえず生きていましたと現況報告。

2年前にスマホに変え(遅っ!)、つい最近Twitterを見始めたわけですが、かの菊池誠氏が、予想通りというか予想以上というか、劣化の一途をたどっているなぁ、という感じ。

まぁ、Twitterという発信媒体は、基本的に「つぶやき」という内的・私的なメッセージを発信するものであり(あと、情報の拡散か)、「説明」などで理解を広げるものではないのだろう(私も発信してみたが、正直文字数制限にイライラした。まぁ、本来の使い方から外れているからなのだろうが)。

それが、元々言葉(と思考)の足りない方にとっては使い勝手の良いツールと捉えられるであろう一方で、その「足りなさ」が露わになりやすいという負の側面もあると思う。

そう考えると、菊池氏が劣化して見えるのは、彼自身が変わっていったというよりも、胡麻化されていた部分がTwitterというツールによってどんどん表面化されてきた、と捉えるほうがより正確なのかもしれない。

-----------------------------------------

久々なので前置きが長くなりましたが、本題に入っていきます。

そんな菊池氏のTwitterを見ていると、どうやら「善意」という錯覚に基づく自己アピールネタ(私は理性的かつ人道的で正しい!)の一つに「(福島県で実施されている)甲状腺検査の批判」があるようであった。
それを見てて、どうも「現状認識」を間違えたまま批判している、というか「現状」ではなく「自分の得た情報と知識」ばかりを見て批判していると捉えられた。

まぁ、現場にいない人が現状を把握するのは困難なため、「よくある勘違い」ではあるものの、Twitterの怖いところはそんな意見であっても、一見理性的かつ人道的に見えるため、賛同者が現れ、拡散していくというところだ(菊池氏にしても、彼が発信源ではなく、誰かの受け売りなのかもしれない)。

おそらく、賛同者の多くは福島県外に住む方、若しくは県内の方でも子供や孫がいない方だと予想する(カウントしたわけではないが、確率的にはほぼ確実にそうなるだろう)。

県内の子供やその親達のためのものを、部外者の勘違いによる横槍で取り上げられてしまうのはひどい話だぞ、
ということで軌道修正を期待してこの記事を書く。

-----------------------------------------

この件に関しては、InterdisciplinaryのTAKESANさん(ublftboさん?)が『「過剰診断があるから甲状腺がん検診は止めるべき」、などと言うべきでは無い』等により、比較的冷静な視点で記事を書いている。

それでも、まだ「ずれている」と感じられたため
『検診と「不安」と「安心」と過剰診断とという記事に、(迷惑を顧みず)長々としたコメントを投稿した。

とは言え、TAKESANさんのブログを踏み台にしたようなやり方もどうかなぁ、という気持ちも出てきたため、この度約4年の沈黙を破り、ブログを更新しました。

まぁ、それぐらいしたくなるほど、この件は問題だと思うし、7年前の原発事故から今までの間も続く、あるいは深化する「内側と外側の分断」を如実に示すケースだと思う。

というわけで、他所のブログに投稿した文章を、多少改変(改ざんじゃないぞ)しつつ語っていこう。


※ 久々の執筆と、大量のテキストのため、不備や間違いも含んでそうだけど、それはおいおい修正することにしてとりあえずアップしておく(先言い訳)。

=========================================

まず、このブログの愛読者(なんていないだろうが)の方はご存知かもしれないけれど、私は事故当時も今も福島県在住です。原発爆発時の風下に位置し、避難勧告は出ないものの、そこそこ汚染されたところでした。

これを読んでいる皆さんがどちらの方かは存じませんが、ここでは「甲状腺検査の是非」という議論の対象地域の外側に居る人と想定し、そのような人が見落としているであろう「内側の現実」に基づいて書いていくことになります。

皆さんはその話題の甲状腺検査が、事故後に実施されている「県民健康調査」の中のひとつ、というのはご存知でしょうか。

ちなみに、私はこの「県民健康調査」には不信感を持っていますので、全県民が対象の「基本調査」に対して無回答で通しています。
とはいえ、全数調査を意気込んだ基本調査は、ふたを開けてみると回収率30%未満であったので、私が取り立てて“反体制的”であるわけではないでしょうね。

そんな私ですが、甲状腺検査については一定の評価をしてしまっています。

何故か?

結論を先に言えば「多くの県民にメリットがあったからです」

-----------------------------------------

でも、私が見る限りの「甲状腺検査批判」は、逆のことを言います。

甲状腺検査は、メリットが無い(あるいは有るという根拠がない)一方で、過剰診断等のデメリットがある、というのが最大公約数的なところでしょうか。
彼らが言う「あるべき診断」というのは、「死亡を防ぐため早期に疾患を見つけて治療するためのもの」だそうです。なのに、甲状腺検査にはその効果が無い、だからダメ、という話。

うん、“日常の健康診断”を想定すれば、それは多分正しい。

でも、原発事故に対応したあの甲状腺検査も同じ前提でなされているものだったのでしょうか?

実は、そこが「内側の現状」と「外側の想定」の大きなズレを生じさせているんですね。
内側にいる人は「日常の健康診断との性質の違い」にはすぐ気づく。でも外側の人はそれに気付けず、自分が知る「日常の健康診断」に寄せて考えてしまったのかもしれません。

-----------------------------------------

実は調査委員会も「原発事故で甲状腺がんが増えるはずだから早期に発見して早期に治療したい」という意図で検査を企画したわけでは無いのです(正確なところは福島県の県民健康調査のHPを参照あれ)。

甲状腺検査の説明を引用してみましょう。

「チェルノブイリ原発事故後に明らかになった健康被害として、放射性ヨウ素の内部被ばくによる小児の甲状腺がんがあります。これを踏まえ、子どもたちの健康を長期に見守るために、甲状腺検査を実施しています。」

おそらく、「甲状腺検査反対派」の方が読めば、前段のチェルノブイリの話に引っ張られそうですが、見るべきは後段の方です“甲状腺がんの早期発見に努める”とは言っていません。では、なんと言っているかといれば「健康を長期に見守る」なんです。

ところで、反対派の方がこの甲状腺検査について「甲状腺検診」あるいは「甲状腺がん検診」と言い換えて表現しているのをよく見かけます。
でも、正確な呼称はあくまで「甲状腺検査」であり、先ほど甲状腺検査は県民健康調査の一部と紹介した点を踏まえれば、実質的には甲状腺“調査”となるのです。

おっと、言葉尻の話をしているのではありません。
ここが一番本質的なところなのです。

この「調査」は、そもそも“日常の健康診断”で言うところの「ガンの早期発見」が目的ではないんです(だから批判派の掲げる根拠がこれを前提にしたものである限り、的を外し続けてしまう)。

健康診断は、健康に見える裏に隠された潜在的な疾患を見つけるためのものですよね。ですが、この調査はそうではなく、「健康を長期に見守る」、つまり「健康であることを確認し続ける」のが目的なのです。

よって、もし批判するとすれば、「被害者をモルモットのような観察対象として扱うな!」の方が筋を外していないと思います。

(だから私は健康調査に不信感を持っているのです)。

...ここまで聞いて、平和な日常を過ごし、普通の健康診断しか受けないような人はこの「健康を確認する」という言い方に違和感しか感じないかもしれません。

では、この意味を理解するのに必要な知識を二つ述べましょう。

-----------------------------------------

ひとつは「先行情報の存在」です。

まぁ、外の皆さんも当然ご存知だと思いますが、チェルノブイリ事故での甲状腺がんの増加という情報ですね。
この情報については、おそらく外側の皆さんよりも内側の方が早く広く情報が広まったと私は思います(自分が原発事故に巻き込まれたわけですからすぐに調べないわけない)。


そして「親の心配」です。

ひとつ言っておきたいのは、これは外側に皆さんが想像するそれの100倍以上は大きいと思った方がいいということ。
これは私の周囲の話であり、客観的データは持ってませんが、大人はほとんど自身への放射能の影響を怖がっていなかったんですよ。
でも、子供に対してはダメなんですね。例え1/1000以下の確率であっても、もし何かあったら子供に申し訳ないと不安になるわけです。なので、私の知る範囲で県外に避難した人のほとんどは母子でした(経済の柱である父親は仕事のため残る)。

ちょっと寄り道するけど、そんな子供を心配する親の気持ちを「放射脳」とバカにする人もいるようですね。
でもですよ、例えば拳銃の銃口が自分の子供に向けられた時、弾が出る確率が1/1000と分かっていたとしても、そこで子供を庇おうとしない親の方がおかしいと思いませんか?

また、リスクの比較を、としたり顔で言う人もいました。
それは道理なんだけど、「比較する時は常に天秤の片側に“子供の命”が乗っかっている」状況は、決してしたり顔で言えるような簡単な話ではないんです。
だから、避難を選択しなかった親御さんも「冷静に考えてそう判断した」というよりかは、これもまた「苦渋の選択」だったと私は思います。

おっと、話が少し深くなりすぎました。

-----------------------------------------

この2つにより生じるものは、当然
「うちの子供が甲状腺がんになったらどうしよう」ですよね。

そんな親の“狂おしいほどの”不安は、極度のストレスであり生活にも影響をあたえます(県外に避難する、というのがその一例)。


では、どうにかしてこの「不安」を取り除いてあげられないでしょうか?

そうです、ここに「健康を確認する」行為の意味が生じるのです。
つまり、「ガンの早期発見」のために調べるのではなく、「ガンで無いこと」を確認するために調べるんですね。

ちなみに、甲状腺検査批判をしている人は、反対の理由の一つとして「偽陽性(ガンでないのにガンと診断される)の多発によるデメリット」を挙げます。
ですが、この目的においては偽陰性(ガンなのにガンでないと診断される)の割合が小さいほど求められている結果(ガンでない)の信頼性が高まります。
つまり、発症を前提とすれば偽陽性率は注目すべき要因ですが、発症していないことを前提とすれば注目すべきは偽陰性率の低下の方なのです(ちなみに、大抵は偽陰性率を下げると偽陽性率が上がる)。

こうしてみると、「内側の問題認識」と「外側の問題認識」はほぼ正反対になっているわけです。

-----------------------------------------

こういう話になってくると、当然指摘される問題点があると思います。

ですが、それはひとまずおいておいて、仮に原発事故後にこの「甲状腺検査」が実施されていなかった場合どうなったか考えてみましょう。


おっと、事故後に『「大丈夫であること」ときちんと説明して不安を取り除けばいい』なんて聞こえの良い事を言う人もいましたが、正直甘っちょろいですよ。
だって、福島の人は原発に対して多少の不安を感じつつも、それに対して「大丈夫」と言いくるめられ、疑いながらも受け入れていたんですよ。なのに原発を爆発させ「大丈夫というのは嘘だった」事を明らかにしただけでなく、「(自分の)想定外だったから仕方ないよね」と開き直られたんですよ。
そんな目にあった人に「大丈夫」で安心させようなんて、期待する方がおかしいです。


おそらく多くの親達は、民間の病院に駆け込んだでしょうね。

だとどうなるか?

病院は儲かるかもしれませんが、病院では“診察”するわけですから、「偽陽性」を減らすことを考え、より確実で侵襲的な検査を実施するでしょう(ちなみに健康調査の甲状腺検査では、まず非侵襲的なエコー検査でスクリーニングします)。

また、甲状腺がんの専門医は多くない点を考えれば、誤診断や過剰診断も多くなるでしょう。そうなれば、もしかしたら手術されてしまっていた人は今より多くなっていたかもしれません。

(こういう事態を防ぐのも、甲状腺検査実施に踏み切った理由の一つ、と言っていた人がいたと記憶している)

-----------------------------------------

そのようにきちんと捉えていくと、実施された甲状腺検査は、少なくとも「やらない方が良かった」とか「やっても意味が無かった」とは言えないと思います。

県民健康調査が嫌いな私としてはくやしくもあるんだけど、少なくても甲状腺検査という手段は原発事故後のフォローとしては上手く出来ていると認めざるを得ないのではないでしょうか。



...と、ここで話を終わると、多分「モヤモヤ」が残る人が沢山いると思います。

そう、『「陰性」じゃなかった人の気持ちは?安心したいから受けたのに、さらに不安になっちゃうよね。』とか『やっぱり、偽陽性による不安は不当なものだから絶対許せない』と思う人も多いのではないでしょうか。

そう思った皆さんはヒューマニストなのかもしれない。

ではどうすればいいのですかね...。

こういう一部の人達の「不当な不安」を無くすために検査もせず診断もさせないようにして、全部が公平に「不安なまま」にしておけば良かったとでも?

この検査(調査)の結果としては、「不当に不安になる人」より、「陰性で安心する人」の方が圧倒的に多かった。
『最大多数の幸福』の原理から言えば「正しい選択」ではなかったのでしょうかね。


それでも『いや、たとえそうであっても不当な不安が出るのはダメ。そうなるくらいなら皆が不安を我慢すべきだ』と主張する人もいるでしょう(しつこいなぁ)。

まぁ、そういうポリシーを持つこと自体はいいでしょう。

でも、もしあなたがそう思い、かつ、あなたがこの「不満を我慢すべき皆」に含まれない立場であるのならば、その主張はヒューマニストとはかけ離れた『無責任な発言』でしかない点は自覚すべきだと思いますよ。

-----------------------------------------

『最大多数の幸福』という考え方には納得できない、という人は少なくないと思います(私だって、この方法が適切で最良だとは思っていません)。


念のため言えば、県民健康調査を実施する側も、何も「偽陽性」を量産しようとしているわけでなく、それを防ぐため過去の知見を参考にしながらそれなりに慎重にステップを踏んでやってると思いますよ。
(「偽陽性」を根拠に批判したいなら、“過去の知見”や調査結果しか参照しないのではなく、「実際にはどのような考えて、どのような手段で調査を進めているのか」を把握してからやる、というのが「当たり前」なのに、飛ばされている気もします)


先ほどは“『最大多数の幸福』の原理から言えば「正しい選択」”なんて言いましたが、実際には「選択せざるを得なかった」と表現するのが正しいでしょう。

その選択が正しくなかった、と言いたいのであれば、「じゃぁどうすれば良かったんですか」と聞きたい。

福島で求められたのは早急な対策だった。でも、あなたには7年も時間が与えられていたわけだからさぞかし素晴らしいアイディアがあるのでしょうね、と嫌味を投げつけたい。

福島の現状を踏まえず「何もしなくて良かった」という人がいたら、それはあなたが「何も考えてこなかった」ということ。
部外者だから「何も考えてこなかった」事自体は批判しないけど、何も考えてこなかったくせに、いきなり口出しするのはどうかと思うね。


そもそも『最大多数の幸福』なんて、今の原発状況そのものなんですね。

「原発を即時廃止すれば(経済的に)皆が不幸になる」ことを理由に、「原発を動かせば大部分が幸福になるが、一部にリスクを押し付ける」ことを是としているわけです。


冒頭で名前を出した菊池氏なんかは、甲状腺検査については「(一部の人に)害があるからやめろ!」という一方で、即時原発廃止については「経済が大変になるから今はやめるな!」と言うんですよね。
外側の人の認識においては別に問題ないんでしょうが、これまで述べてきた内側の視点においては「ダブルスタンダードな主張」に見えるんですよ。

-----------------------------------------

ちょっと話題がはずれたけれど、そろそろまとめ。

甲状腺検査を否定する方々を見ていて私が予想するのは、彼らは「チェルノブイリ事故の際は多くの子供が本来は必要が無かった手術を受けたかもしれない」というショッキングなニュースを知ったことによる心配(福島でも同じことが起こってしまうのでは)などという「善意」が根底にあるんだと思う。

また、甲状腺検査を否定する人は「放射能の影響は無い(または小さい)」と主張する人でもあることが多いため、「わざわざ検査するのは無駄」という心づもりも介在しているんだと思う。

ま、どんな思惑があろうと個人の自由ではあるけれど
外側の人間が内側の人間に干渉しようというのであれば、自分の思惑というフィルターを通し、通過したものだけを事実として考えるのではなく、まずは謙虚に内側の現実を解きほぐし、理解してからにして欲しいと強く思う。

-----------------------------------------

最後に。

原発事故の後、何が起きたか?

内側から外側を見てきた立場から言わせてもらえれば、外側の人たちが何かにつけ2分し(放射能の影響、原発の是非)、お互いがお互いを口汚く罵りあうようになった感じだ。

双方が「私の方が、福島の人のためを思っている」と主張するけど、双方とも「自分に都合のいい部分的な福島」しか見ていなかったり、果ては福島すら見ていない思想抗争的な様相にも発展する。

そんな偏った認識の状況を内側から見ていると、どちらも福島のことを「相手を叩くために都合の良い棍棒」としてしか見ていないのでは、などと邪推したくもなる。

そういいながらも、内側も同様の分裂が見られるわけだけどね。

外側の分裂が先か、内側の分裂が先か、それはわからない
でも、内側の分裂が広がるのは外側の分裂のせいではないかと思う。

気分としては大岡裁きの「子争い」だ。
「子供の手を引きあって、勝った方が本当の親」というあれだけど、あの話のように「実は先に手を離した方が勝ち」とはならないわけで、かといって引っ張られ続けるのもつらいところがあるなぁ。


そんなことを思う今日この頃であった。

ではでは(次は何年後?)
コメント(11) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 11

Judgement

個人のブクマだからどんな感想であっても良いんだけど、すごく印象に残ったので引用

>事故は不幸で不条理なものだったけれど、

過去形!!
事故による不幸と不条理ってものは有効期限が設けられていたのだろうか・・・そうだとありがたかったんだけどなぁ。

私の感覚では不幸や不条理は未だ続いているんだけど、やはり外の人との感覚のズレを痛感したお言葉でした。

>不幸を連鎖し続けているのは一体誰なのだ

うん。それは私もぜひ知りたいわ。
私の中では原発事故が1番の容疑者なのだけどね。
by Judgement (2018-03-15 22:18) 

Turky

ブログ主様
私はいわゆる外側の人間です。
リンク先の貴殿のコメントについて、さらにコメントしました。
http://interdisciplinary.hateblo.jp/entry/2018/03/11/111256
目を通していただけないでしょうか。
by Turky (2018-05-05 09:29) 

Judgement

泡沫ブログにようこそ。

コメント見ましたよ

まぁ、あちらはどうやら私のコメントにはリアクションが無いようだし、私も「自分のブログでやる」と言ったので返事はこちらに書きます。

また、なんか結構TAKESANさんとやりあっていたようですが、私はとりあえず貴方の一つ目のコメントに返信を。



正直私は専門家ではないので、甲状腺ガンの“多発見”の原因が、『被曝の影響』か『過剰診断』か特定はできません。
ただし、ロジックで考えた場合、『過剰診断』が生じる事に蓋然性があるとしても、それをもって『全てが過剰診断である』と言うならば、それは極論であると思います。
また、被曝量に伴う甲状腺ガンの発症率についても、(確かにチェルノブイリの事例は一つの参考になりますが)いわば単発の特異事例の値であり、『福島の事例』にも当て嵌まるかというのはもっと慎重に考える必要があると考えています。


その上で思うのは、『福島の事例』は当然「起こってはいけない」ものでしたが、起こってしまった以上は、せめて後世に有用な知見にして欲しいという気持ちも個人的にはあります。

なので、感情的には「県民をモルモットにするな」とは思いますが、Turkyさんの『国が放射線被曝を全面的に認めたうえで、手厚い保証をする一環として「健康調査」への協力を呼び掛けるとしたらどうでしょうか。』というアプローチについては、私は全面否定はしないですね。


ところで、私は『県民健康調査』の送付を受けた際、調査票の説明を読んである違和感を抱き、さらにHPに書かれた説明をじっくり検討しました。

Turkyさんは『「健康調査の目的」は「放射線が及ぼす健康影響を調査する」であるはずです。』とおっしゃっていますが、私も同様の目的であるはずだろうという先入観をもっていました。

でも、違ったんですね。

説明には「健康影響を調査する」という文言は(多分)一切出て来ない。
じゃぁ何と言っているかというと、原本(まだ持ってる)を引っ張り出すのが面倒なのでうろ覚えで言うけど「健康影響は無いことが予想されている。その上で“安心”してもらうために調査する」、とまぁ、こんな言い分なんですね。
(このあたりは今でも本記事でリンクした健康調査のHPでも確認できると思いますよ。)

かような「先入観」をあからさまに示す態度に呆れましたね。
金と手間をかけて大規模調査しても、そんなあからさまなバイアスがかかっているなら、結果が全く信用出来ないじゃないかと。
(さらには公開する検討会の前に「こっそり集まって事前打合せしていた」ことがばれたりしたこともあり、ますます信用を落としました)

「県民をモルモットにするな」という感情以上に「モルモットにするなら、もっとちゃんとやれ」という不信感の方が大きかったですね。


そういう意味ではTurkyさんが提案するやり方をするためには、「一からやり直す」というおよそ不可能な前提が必要かと・・・。

また、仮に「被曝と保障」が提案されたとしても、きっと『差別につながる!』と(主に外側の人が)騒いで反対されるんだろうなぁ

・・・と、なんかどうしようもない結論になっちゃったけども、ひとまずこの辺で。

ではでは
by Judgement (2018-05-09 00:26) 

Turky

ブログ主 様
お返事ありがとうございます。
やはり「官と民との亀裂」とでも言いましょうか、修復は難しいのでしょうか。
原子力施設を造らせてしまった時点から、既に始まっていたのかもしれません。とても残念な気がします。
それでも、私は心配ですし、気になって仕方ないのです。
by Turky (2018-05-09 21:14) 

NPwrAGW

とても良い記事。
誠に勝手ながらツイッターでもご紹介させていただいた。
by NPwrAGW (2018-05-15 05:48) 

古川

冷静な議論、参考になります。
甲状腺がん問題では患者家族の会が切実な声明を出していますが、菊池氏ら過剰診断論者はこれらに一切答えませんよね。
そこからして非常に不誠実だなと思っています。

https://311kazoku.jimdo.com/%E6%94%BF%E7%AD%96%E6%8F%90%E8%A8%80-%E8%A6%81%E6%9C%9B/20180319%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%AB%98%E9%87%8E%E8%AC%9B%E5%B8%AB%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F%E7%8A%B6/
by 古川 (2018-05-15 10:27) 

Judgement

>NPwrAGWさん

ご紹介ありがとうございました~。
最近目にする『過剰診断批判』は、ただ「医学知識」を競っているだけのゲームに見え、“福島の甲状腺検査”の批判としては成り立っていないのではと感じています。
だからこそ『批判するなら批判対象をちゃんと見ろ!』という思いで書きました。
多少なりとも参考になれば。

>古川さん
コメントありがとうございます。
ま、どっちかというと当事者側なので、あまり冷静ではないと思います。ですが、だからこそ執拗に情報を追い、理解のため徹底的に考えたというところはあります。

逆に言うと、外側の方は当事者でないので冷静ではあるのでしょうが、他人事のせいか考えが浅い気が。
実状に目を向けず、『自分の知識』だけでそれを語り、評価すれば十分だと思っているのではないかと。
by Judgement (2018-05-16 08:46) 

狸化如

初めまして。
掲載から1年たちましたね。菊池誠氏は「軌道修正」どころか更に劣化が進んだのでしょうか。
by 狸化如 (2019-03-19 21:11) 

necromancer

>(次は何年後?)
三年以上も前のエントリーですが、コメントさせて下さい。

Twitterをやらないガラパゴス野郎の私も、最近は時々菊池氏のつぶやきに目は通すようになりました。私もニセ科学批判運動のある時期までは、彼の大胆に割り切って結論を導いてしまうところに、ある種の魅力を感じていたことは確かです。でも今では、そういう明快さの多くが「想像力の欠如」によるものであったような気がしています。

今、世界は新型コロナ感染症の蔓延という、きわめて「当事者意識の欠如」を自覚しにくい災害に見舞われています。折しも内閣官房参与の「さざ波」発言が問題になりました(「笑笑」発言の方は人間の品性の問題なので話題にしたくもない)。この発言が、例えば何らかの病気の痛みに苦しんでいる患者に対して「世の中にはもっと酷い病気が一杯あるのだからおまえの痛みなど大したことはない」と言っているのに等しいことに、もしも気がつかないとしたら、これは薄気味悪いほどの想像力の欠如です。

でもこれって、原発事故当時のkikulogにおける菊池氏の「死者はいない」といった趣旨の発言と根は同じではないでしょうか? 物事のある局面を捉えた話というものは、それを持ち出す人物の思い込みによってどうにでも解釈することができるものです。

この間、彼のつぶやきで私が気になったことのひとつは、「コロナを抑えるにはワクチンしかない」としきりに繰り返してしていたことです。ワクチンが特に強力な手段であることなど、彼に言われなくてもわかっているわけですが、そんなことをことさら強調する意図はいったいどこにあるのでしょうか。それに、感染症予防の3原則の残りの2つをまったく無視してしまうことができる神経も私には理解できません。でもそれが、私が上で言った、彼の「明快さ」(?)なのかもしれません。

by necromancer (2021-07-29 13:25) 

judgement(元管理者)

どうもどうも。
放置しすぎて管理者権限を失ったJudgementです。

そんなブログを訪れ、コメントまで残してくれてありがとう。

〉狸化如さん
同感同感。
今や「感染症、経済、政治」そして「感染症」にまで手を広げ、病的な万能感をいかんなく発揮中の模様です。
一時期Twitterをフォローしてましたが、どうでもいいライブの告知のほかは、浅い根拠と決めつけによる端的な見解をナントカの一つ覚えのように繰り返すだけなのでフォローやめました。
でも、時々彼の言行の問題を指摘するTweetが流れ込んできますね。

〉necromancerさん
菊池氏は、ニセ科学批判にせよ、原発事故にせよ、放射能にせよ、甲状腺にせよ、経済にせよ、政治にせよ、そして感染症にせよ、全て「受け売り」にすぎないんですね。
肩書は「大学教授」かもしれないが、その肩書を得た専門とは異なる分野ばかり。
言ってしまえば、今彼が得意げに口にしていることは「知ったかぶりの素人の発言」の枠を超えるものではないと捉えています。

そういう意味では「ただの高齢者が知ったかぶってるだけ」と捉えれば、よくあることだし、無責任な発言に腹もそう立たないと最近では達観しています。

まぁ、腐っても大学教授で、「受け売り元」はそこそこ穏当なものを選択するけれど、それで自分が納得してしまうと「他の切り口、考え方」を受け付けなくなってしまうようなところが見受けられます。

大学教授というのには、研究者気質と教師気質の2種類いて
前者は新奇な事象に対して興味を持ち、予断を持たずに現象を把握しようとし、自分と異なる見解にも耳を向けます。
一方、後者は基本「既存の知識を教える」方に力点があり、また「自分の言うことを正しい受け入れる生徒」を前提としたコミュニケーションばかりしているから、自分とは異なる意見の存在に過敏に敵対心を抱きがち。

そして、菊池氏はというと・・・まぁ、いわずもがなですね。

ではでは、noteを始めましたので(とはいえ、そちらも既に放置の気配...)よろしければ、そちらものぞいてみてください。

https://note.com/judgement_2021
by judgement(元管理者) (2021-09-13 22:46) 

necromancer

前回のコメントの続編です。

・mRNAワクチン礼賛について。

今までのワクチンが「抗原タンパク質」を接種するものだったのに対して、mRNAワクチンは「生体側に抗原タンパク質を作る仕組み(指令書)」を接種するという点でまったく新規のタイプです。

私はコロナに感染したくないという思いと、今私が理解できる範囲の理屈で考えて、滅多なことはないだろうという自分なりの見通し(むしろ希望と言った方がよい)のもとに接種を受けましたが、長期的な影響については、現在、全人類がスクリーニングの途中にあると言っても過言ではないわけで、このあたりに得体の知れない不安を抱く人(特に若い人)がいてもおかしくはありません。これは「反ワクチン」とは質的に異なる話です。

すなわち、滅多なことはないかもしれないにせよ、これは「安心」が問われる微妙な問題であることは確かです。この技術が画期的であることは間違いないと思いますが、だからといって、「今mRNAワクチンを否定する理由はないよね」、「mRNAワクチンって未来っぽいじゃないですか。SFですよ、こんなのは。わくわくしませんか?」、「ノーベル医学・生理学賞がmRNAワクチンじゃなかったら、むしろ驚く」といった、まるで子供がはしゃいでいるような彼のツイートの「軽さ」は私には到底理解できません。

・政治的発言について

ニセ科学批判運動が盛り上がっていた頃にkikulogやその周辺を覗いていた人なら憶えていると思いますが、菊池氏が仲間と見なしていたある女性研究者が、彼とその取り巻きの人達の言動(その内容というよりも姿勢)に違和感を表明し、彼らから距離を置こうとしたことがあります。その際の彼の対応が印象的でした。その女性研究者を執拗に追い回し、追い詰めようとしたのです(もちろんネット上での話ですが)。普通「去る者は追わず」ですむ話だと思うのですが、ニセ科学批判の理念とは無縁に見えるストーカーの様な対応に違和感を憶えたのは私だけではないと思います。

でも、このところの彼の政治的発言を見ていると、ふと上記のエピソードを思い出してしまうのです。自分の政治理念についてはたまに表明してはいるものの、理念云々よりもむしろ「党派的偏向」の方が私の目につきます。しかもそれがかなり執拗に見えます。そもそも、偏向はもちろんのこと、党派的であること自体がニセ科学批判の理念に馴染まないような気がするのですが。

原発事故を境に、彼は「御用学者」のレッテルを貼られたようですが、果たしてその称号に価するのかしら?(あえて説明は省略)。

by necromancer (2021-11-12 17:48) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

あけました。おめでとう|- ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。