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わかったカモ [疑似科学批判批判批判批判]

 「ニセ科学批判って何なのさ?」で皆さんに問題を押し付けておいてアレだけど、トンデモブラウさん、disraffさん、shunsokuさん、bandicootさん、PseuDoctorさん、タカキさん、(こ)さん、zororiさん、いきなり謎が解けましたよ(まぁ、100%正しいとは言わんけど、9割がた正しいと思う)。
 必要となるのは、「論理的読解力」ではなく、“作者の気持ちを考えよ”的な「心情読解力」だったのよ(なんだ、私の得意分野だったじゃぁないか)。

【きっかけ】

 それに気付いたきっかけをまず書く。
 もう一度apj氏の「ニセ科学批判」に関する主張について色々洗い直しているうち、ふとこう思った。

 「ニセ科学批判を実行できる人なんかどこにもいない。」っていう論法はさ、(強引さはさておいて)確かに「ニセ科学批判批判」が不当であると意味付ける事ができるけどさ、でもその代償として、今まで自分がやっている事を「ニセ科学批判だ」と言ってきた他の人に対しても、いわば『不当表示』のレッテルを貼りつける事になるような、「諸刃の剣」的なものになっちゃってるよねぇ。
 こんなapj氏の勝手なルール変更について、自分で今まで「ニセ科学批判」と言い続けてきた人達はどう思っているんだろうなぁ....

...そう思い、「例えば誰がいるかな?」と考えたとき、前回の記事でもお世話になったPseuDoctorさんの事が頭に浮かんだのよ。


 閃いたのはその時です!


【謎解き】

 念のため、「ニセ科学批判って何なのさ?」で検討対象とした箇所を再掲。
 ニセ科学を問題にする場合は、あくまでも個別のニセ科学、たとえば「マイナスイオン」「ホメオパシー」「水からの伝言」「血液型性格診断」等々の、何がどうニセかを問題にしている。これらは、それぞれ個別具体的に問題とすべきことが異なっている。従って、これらのうちの1つまたは複数に批判的な言説をすべて「ニセ科学批判」として括ったとしても、そこから先に話が進まない。

 個別の人達がやっているのはどこまでいっても、「水伝批判」「マイナスイオン批判」に過ぎない。1つだけをやる人もいるし、複数やっている人もいる。もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすつもりで用いられたであろう用語が「ニセ科学批判」なので、「ニセ科学批判」を実行できる人なんかどこにもいない。実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。

 前回記事を書いてから、後でコメント欄に書いたのですが『もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすつもりで用いられたであろう用語が「ニセ科学批判」なので』という箇所に関し、何で「つもりで用いられたであろう」という推量の形を取っているのか疑問に思い「もしかしたらそれはapj氏による意味付けではないかもしれません。」と述べていたのよね。

 で、閃きの末至った考え...
 この一文は「ニセ科学批判まとめ %作成中」のフォローのためのものでは?
 

 何故フォローする必要があるかというと、『個別の人達がやっているのはどこまでいっても、「水伝批判」「マイナスイオン批判」に過ぎない。(ニセ科学批判じゃない)』と言うapj氏の論法にそのまま従えば、それらの批判の様々な側面を捉えたものを「ニセ科学批判まとめ」と言うのは“不当”である事になっちゃうから。

 そうなるとこんな反論を受けるネタにもなるね。
「勝手に“ニセ科学批判はない”ってのたまっているけど、あんたらみんなが“良コンテンツ”ともてはやすサイトは、堂々と“ニセ科学批判”って看板背負ってるじゃねーか。いったいどうやって“ない”ものを集めて、“ない”ものをまとめる事ができるんだい?」

 場合によっては“ニセ科学批判”という言葉の使用の是非をめぐって、内輪もめに発展する危険も有るわけで。

 だからこそ、apjさんはこう考えたんじゃないのかな。

 勝手に「ニセ科学批判」という言葉を使っていた個々の論者なんかは、「あなたのやっている事は実は“ニセ科学批判”とは言えないんだよねっ!わかった?」で切り捨ててもかまわないだろう。
 でも「ニセ科学批判まとめ %作成中」まで否定するのは、ちょっと影響大きすぎだ。
 小の虫は殺してもかまわんが、大の虫は生かしておくべきだ。
 なんとか、「ニセ科学批判まとめ」だけは”OK“である事にできないかなぁ...。


【趣旨を探る】

 で、そんな気持ちになって、裏に隠されたコトバを補足するとこうなる。

《たかぎFさん&PseuDoctorさんが》もろもろの個別の批判に共通する部分を括りだすつもりで《「ニセ科学批判まとめ %作成中」を作り》用いられたであろう用語が《そのタイトルにおける》「ニセ科学批判」なので...

 つまり、「ニセ科学批判まとめ」について

 『ニセ科学批判“を”まとめたもの』

 ...じゃなくて、様々な“ニセ科学”という括りに含まれる理論に対する個々の批判を集め、その中の共通性を括りだした上で、それを...

 『ニセ科学批判“として”まとめようとするもの』
 
と解釈すればOK、という感じの話をしたいんじゃないのかな、と。


 このように、ここで用いられている「ニセ科学批判」というカッコ付きの単語を、「ニセ科学批判まとめ」というタイトルに含まれる同文字列を限定的に指していると解釈すると、色々と合点がいくんですね(これだと、apj氏自身の話ではないので、推量形である謎も納得できる)。

 そして、さらにapj氏の意図を深読みすれば...

 こう言っておく事が、「ニセ科学批判まとめ」に対する
「あなたの“ニセ科学批判”使用はかまわない、って事にするから大丈夫だからね」
 といった『免罪符』を与えるメッセージのつもりなのカモ。

 また、さっき予想した「勝手に“ニセ科学批判はない”ってのたまっているけど~」的な反論に対して、
「その事については織り込み済みで、既にその正当性を説明している」
 と反論の否定材料にできるつもりになっているんじゃないかなぁ。


【apjさんの本論を探る】
 
 つまり、該当箇所は「apjさんの本旨」から外れた話が挿入されている上に、「ニセ科学批判」という言葉に付与する意味が「批判用」と「擁護用」で違うから、その辺の事情を見破れない人には「え、“ニセ科学批判“って部分なの?全体なの?」と混乱させる原因になってたわけ。

 で、本来知りたかったのは、apjさんの“本論”の方の意味だったわけだから、そういった“別目的の部分”を抜いて、再度読み返してみよう。
 個別の人達がやっているのはどこまでいっても、「水伝批判」「マイナスイオン批判」に過ぎない。1つだけをやる人もいるし、複数やっている人もいる。実際にやっているのは「ニセ科学批判」の一部でしかなく「ニセ科学批判」に含まれる個別の批判のどれか、になる。

どうかな?
“「ニセ科学批判」は各批判を包含する枠組みを指している”
とapj氏は考えているという事がブレずに理解できるんじゃない?
そしてそれは、「スポーツの例え」にすんなり繋がるよね(例えの妥当性はさておいて)。

 これが、私の「9割がた正しいと思う」apjさんの“本論”の部分の解釈ですが、いかがでしょう?


【さいごに】

 「そうとしか考えられない」とまでは言わないけれど、論理的整合性が見出しにくい文章にもかかわらず、個人内の心情に沿ってみれば、有る程度の辻褄が見出せるものにはなっていませんか?
 私もダテにネット上の”発言のみ”を対象としたマインドウオッチングをしているわけではないからねぇ(何せ主な対象はあの某Aクンだ)。

 で、この解釈が当たっているとすれば(個人的にはかなりいい線行っていると思ってるけどね)、「ニセ科学批判」という語の意味がブレている事よりも、同じ言葉について「擁護する時」は擁護できる意味に変え、「批判する時」は批判できる意味に変える、っていうやり口の方を非難したいよね。

 それを、世間では「ダブルスタンダード」と言うわけだが...


【ついでに...】

 一番最初の疑問に戻るんだけど
 今回の話はあくまでapjさんの勝手な気の回しであるとして、PseuDoctorさん自身は彼女の「ニセ科学批判はない(できない)」という主張をどう受け取っているのでしょうかね。

 まとめwikiのトップページには
『「ニセ科学批判」とは「ニセ科学を批判する事」です。それ以上でもそれ以下でもありません。』
 という言葉が掲げてありますが、それってapjさんとは別路線を行くという宣言なのかな?


 ただ、apjさんも、そしてPseuDoctorさん自身も「ニセ科学批判批判」に対し
 「『ニセ科学批判』全てに共通する要素を批判しなければならない」
 という事をおっしゃってますよね。

 とすると「ニセ科学批判」も
 「『ニセ科学』として括られたもの全てに共通する要素を批判しなければならない」
 という『縛り』が適用しないと、アンフェアですよね。

 apj氏は、そのアンフェアさを無くすために、自分側の「批判」にも『縛り』を適用する事にしたから、「水伝批判」等の個別のものは 「ニセ科学批判」ではない、としているのだと思います。

 では、PseuDoctorさんは、ご自分が述べた『縛り』について、どう折り合いをつけた上で、「ニセ科学」の”何を”批判する事を「ニセ科学批判」と呼ぼうとしているのでしょうか?
 ちょっと気になるぅ。
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shunsoku

 judgementさんの説は、かなり説得力があるように思います。

 ダブルスタンダードを合理化するための表現だったわけですね。

 でも、「文章中の心情把握」を使って理解するのは
私は「受験用小説読み取り」だけで飽きて(疲れて)いるので、
心情把握をしないでも読み取れる明晰な文章を、読ませてほしいものだと思います。

 そもそも「文章中の心情把握」の手法は、

1 原文から出題部分だけを切り取って、

2 切り取った部分以外の文脈は無視して、

3 原文の筆者の本来の意図とは無関係に

読み取るものだ、ということになっています。

 え?

 どこでそういうことになっているか、ですか?

 大学入試や模擬試験の「国語」の問題を解くときの前提条件なんですよ。

 したがって、原文著者から、
「俺はそんなつもりで書いたんじゃないよ」とクレームをつけられても、
問題作成者は無視することになってます。

 とりあえず、互いの理解を深めるための言葉なら、
(この前提条件は大事です)
ダブルスタンダードを使ってしまったら反省し、訂正する。
「心情読み取り」を使わないと読めない文章は書かないように注意する。

 が基本なのではないでしょうか。

 そもそも相互理解のための努力という回路がないように見えるAさん
(apjさんじゃないですよ)
との言葉のやり取りならば、基本を要求するのも無理だと思いますが。
by shunsoku (2009-07-17 01:32) 

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