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イノセント [疑似科学総論]

 アップするまでは細かい事を悶々と悩むのだけど、アップしてしまうとちょっと視点が開けます。早速反応してくださった皆さんの投稿という情報が刺激となっているのもあるのでしょう。
 前回「もやもや」していたものが、今もうちょっとはっきり示せそうなので書いて見ます。 

【はじめに】

 まず、念のため言っておきますが、私の批判なりは「倫理的な過ちを誰かに認めさせよう」という類の意図は全くありません(というか、皆さんにしてもその筋合いはないんだけど)。

 もし認めさせたいものがあるとすれば、「認識の過ち」です、あるいは「認識していないという過ち」。
 そしてそれは、「認めさせる」と言うよりかは、「気付いて欲しい~」という感じ。

 私の「もやもや」には、ものすごい可愛い子が無防備に治安の悪い街を歩いているのを見るような、あるいは、赤ちゃんが高い塀の上を歩いているのを見るような「はらはら」も含まれていたと思います(全てとは言いません。意地悪の虫が「むくむく」していたのも入ってますね、きっと)。


 ...さて、今回はそろそろいつものJadgementに戻りなりつつあります。
 油断せずに心して読んでください(毒物注意)


【疑問をもっと整理】

 アレを書いてから、もう少し自分で「ニセ科学批判」の何を、何で知りたいのかが有る程度明確になりました(もしかすると考えているうちに別なものになったのかもしれませんが)。
 それは
「ニセ科学批判」は科学の世界の一部に居続けるつもりなのか、
それとも言論の世界に足を踏み込みたいのか?

 という事です
 
 前者であれば、私の出る幕はありません。
 後者であれば、言いたい事は山ほどあります。
 それが良く分からないので、どこまで踏み込んでいいのか迷っている感じ。


【自覚】

 例えば、「ニセ科学批判」というものが、「科学哲学にや科学理論に詳しい人の内輪だけの愉しみ」というのであれば、それに相応しい人材は揃いまくっているし、内輪の愉しみに私のような外部の人間が口をおしはさむのは、無粋以外の何者でもないでしょう。
 
 しかし、他者を納得させるが目的の「言論の世界(それは「社会そのもの」と言ってもいいかもしれない)」に足を踏み込むつもりがあるのであれば、私はぜひ口を挟みたい。

 現実的には、「ニセ科学批判」は既に足を踏み入れている。
 問題は、それを自覚しているのか、それともうっかり内輪のラインを踏み外してしまっただけなのか、という事。
 モチロン、私は自覚してやっているとは思っている。しかし、例の「様々な動機」を見ると、ちょっとその判断に自信が持てなくなる。


 とりあえず、「意図して言論の世界に踏み込み入れている」と仮定して話を進める。


【恐るべき言論の世界】

 では、言論の世界に足を踏み入れるとは、どういう事か考えた事があるだろうか?
 
 例えば、今回のmizusumashiさんの顛末は、彼が間違っていたと認めたのだから、形式上は「ニセ科学批判側」の勝ちであろう。
 「勝ち」という表現が適切でないと言うのなら、「ニセ科学批判側の適切さが示せた」でも良い。
 しかし、例のページを見て、何か胸騒ぎを感じなかっただろうか?


 私がmizusumashiさんの立場であり、「ニセ科学批判側」に重大なダメージを与えようと思っていたら、ある程度話が煮詰まってからこうする。


 私もmizusumashiさんと同じように、指摘を受けた部分全てに取り消し線を引く。
 その上で、目に付く所にこう掲載する。
 私は、自分のblogに自分の思った事を素直に書きました。
 しかし、その内容がニセ科学批判の方々の不興を買ったらしく、沢山の非難を浴びせられました。多勢に無勢、間違いを認めなければ事態の収拾が付かないと判断し、指摘部分を取り消す事をもって、ご迷惑をおかけしたらしいニセ科学批判の方々への謝罪といたしたいと思います。

 なんか...まるで『墨塗り教科書』みたいですね。

 ニセ科学批判について迂闊な事を口に出すとこういうはめになりますので、皆さんも気をつけましょう。
  
 その上で、方々のニセ科学批判側のblogに「謝罪表明」と称してTBを送り、この顛末の周知に励みます。


 これが、ニセ科学批判に対するどういう印象を生むかは想像が付くでしょう。

 きっと、ニセ科学批判側は慌てて、もう一度議論のテーブルにつくよう説得を始めるでしょうし、あるいは、そのあてつけがましい行為に対し遺憾の意を表明し始めるでしょう。
 しかし、私だったら、相手が言えば言うほど、労せずしてさらに悪印象を強めるネタにしてしまう自信があります(その方法は...教えません)。


 科学の世界なら「合理的・論理的」であれば、それだけで勝利をつかめます。
 でも、言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。
 それを押し付けられ、上手く対処できなければ「負け」。
 『ニセ科学批判』は“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメになります。


 ...どうです?陰湿でしょ。
 (念のため言うけど、例え話だからね。私は実際には絶対そんな事しないから...多分ね。)

 でも、『ニセ科学批判』の皆さんが踏み入れようとしている世界は、そういうところなんです。
 ついでに言えば、ネガティブカードやポジティブカードの価値ははっきりは決まっていません。
 その価値もまた、いわば「舌先三寸」で変動するのです。


【覚悟】

 おそらくは、菊池先生や天羽先生は、そういうドロドロした世界である事を熟知した上で足を踏み入れていると私は感じています(特に天羽先生は、この世で一番ドロドロした所にまで攻め込んでいる)。
 また、教育者ですから、「合理的に判断する事」と、「合理的な判断に価値が有る事を教える事」が全く違うのも分かっているでしょう。

 しかるに、どうでしょう?
 他の皆さんは、そんな自覚があるでしょうか?

 今回のケースでは、mizusumashiさんが(私のような)悪意の持ち主でなかったおかげで『ニセ科学批判』のイメージダウンはギリギリの線で留まりました(とはいえ、少しははみ出してしまったかもしれません)。

 しかし、それは「たまたま運が良かっただけ」だと私は思います。

 「そんな混沌として薄汚い世界なんて認めたくない」と言うかもしれません。
 でも、認めたくなくても存在するものはしょうがないんです。
 それを認めぬまま
 「ニセ科学の悪影響、ニセ科学批判の適切さを真摯に主張すれば、きっと分かってもらえる」
 と思い続けるのならば、いつかはイメージダウンの線を踏み越えて(踏み越えさせられて)しまうでしょう。

 だから、「心情的にはニセ科学批判派」の私は、非常にハラハラしてしまうのです。
 
 偶然そこまでは陥らなかったとしても、絶対そのままでは「ニセ科学」を撲滅はできない。

 あやつらこそ、言論の世界で勝ちを拾う手腕手管の達人なのだから。


【最後に】
 
 ここまで読んでうんざりした人も沢山いるだろう。

 「私はただ、科学的な話や論理的な対話がしたいんだ」
 そんな人に確認したいんだけど、何故『ニセ科学』が蔓延するのでしょう?
 そう、皆が「科学や論理」に長けているわけではないからですよね。
 だからもし、「科学や論理」以外の対話を忌み嫌うのであれば、社会と断絶して内輪だけでやればいい。それだけ。
 
 「お前みたいなひねくれ者の言う事なんてもういい。分かる人が分かればいい」
 と言う人もいるかもしれない。
 しかし、そんな人には、意地悪に追い打ちをかけてみたい。
 「それ、ニセ科学の人が科学者に否定されてる効能を説明するフレーズに似てるよね」

 「なんだかんだ言って、結局ニセ科学批判を馬鹿にしているんじゃないのか!」
 これは本気で違う。
 ただし、少なくともこのままでは他の奴に馬鹿にされるハメになる危険が高いと心配している。
 馬鹿にして聞こえるのは私のキャラだ(そこはできれば干渉していただきたくはない)。


 さてどうでしょう?
 再度、「ニセ科学批判」という看板を使った事がある人に聞きたい。

 進むも地獄、退くも地獄、こんな世界に足を踏み入れてた事、認識していましたか?


【おまけ】

 私の拙い説明では、まだ良く分からない人もいると思うので、もう私のバイブル的な本の一節を紹介しておきましょう。
 あなたが、誰かに、自分の意見を伝えるとします。
 その時にあなたが、自分が発想した通りに云う、思いついた言葉をそのまま口にすればいい、あるいは何の掛酌もなく話してしまえる方であれば、あなたは、善人というか、無邪気である、イノセントな人であるということになるでしょう。そういう方、あるいは素朴でピュアな自分が好き、などと思っている方は、この文章を読む必要はありません。さようなら。
 私は、何でも思った通りに話せばいい、あるいはそういう無防備な関係こそが最高の人間関係であるというような無邪気な人が好きではないし、つきあいたくもないのです。さらに小声で申しますが、そういう人々は、あまり美しくない、まあ健康的かもしれないが人目にさらすべきではないような顔をしているのではないか、と思います。
 それなりにきれいな人、あるいはこれからなる可能性のあるという人は、自分の意見を、どのような云い回しで云えばよいか、くらいのことは当然のことながら、考えるでしょう。
 などと云うとお世辞を云われているのだか、出鱈目なんだか解らない心持ちになるかもしれませんが、ここが肝心なところなのです。
 意見を述べるにあたって、話し方に工夫をしようと考える人は、程度の差こそあれ、自分の意見、発想が、いかに自分自身にとってはまっとうなものであっても、他人にとってはそうであるとは限らない、ということを認識しているわけです。つまり、自他の間に、一定の段差や溝があることを自覚している。
 自分にとって当然であったり、あるいは明晰である見解が、他人にとってもそうであるとは限らない、むしろ他人にとってはまったくおかしなことであったり、滑稽であったりするのはごくごく当然のことである。というような認識をもっているからこそ、どのように自分の意見を表現したらいいか、という問いが生まれるわけですね。
 この認識をさらに深く掘っていけば、根本的に人間同士は、その心なり、精神なりを素朴に理解しあうことは出来ない、人と人は、どうしようもなく、絶望的にへだてられており、互いに孤独な存在だ、という絶望が秘められているわけです。
 おいおい、私は自分が口をきく時に、それなりに気を遣うけれども、別にあんたが云うように人間にたいして絶望なんてしちゃいないよ、と思われるかもしれません。
 でも、それはあなたが本当に抱いている、つまりは実際にふるまう時に発揮している人間観を、私がしっかりと認識しているというだけのことです。他人に意地悪なことばかりしているクセに、自分のことを善良だと思いこんでいる人が沢山いますが、そうした自己認識のズレ、もしくは欠如はエレガントではありません。私は意地悪をするなとは云いません。ただ意地悪をするならば、自分は意地悪をしているという明確な自己意識のもとにしてほしいのです。

「悪の対話術」福田和也(講談社現代新書)より

 「こんなスレまくった話、聞きたくもない」って思った人。
 そんなあなたは多分イノセントな人です。

 
 「そうだよね、そんな人いて実際困ってる」って思った人。
 そんなあなたも多分イノセントな人です。
 そういう人に限って、自分が見えてないものです。


 「じゃぁ、イノセントな人をどうやったら上手く操作できるかな」って思った人。

 ...いらっしゃいませ。多分私の同類です。
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SSFS

1973年に出版された名著『反科学論』(柴谷篤弘、みすず書房)には、次のようなくだりがあります。

  一度専門領域から出てしまうと、科学者の考えることはきわめ
  て幼稚、皮相なことが多く、その点で、警告の対象となる一般
  市民に立ちまさるという幻想はもつべきではない。とすれば、
  科学者の立場は、専門の立場にかかわりながら、それに固執せ
  ず、領域外のことがらについて、市民から、生産者から、被害
  者から、他の専門家から、たえず学んでゆき、それにもとづい
  て自分の専門領域のありかたを変えてゆく、ということでなけ
  ればなるまい。

ニセ科学批判では、菊池氏や天羽氏がいい加減な論理を振りかざしており、それを鵜呑みする取り巻きもどうかしていると思います。先人の教訓を噛みしめるべきでしょう。
by SSFS (2009-04-17 02:29) 

ウッちょん

J"a"dgementには戻らんでください(^_^;

まあ、それはともかく。
一般論としては共感するところ多し、です、が、

> 言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。

これどうなんでしょうね。このカード切った人で有効打出した人今まで見たことないです。私なんかむしろ「あぁ〜それ言っちゃったか〜」ってなります。まあ私の観測範囲なんて偏りまくってますが。


by ウッちょん (2009-04-17 03:34) 

zorori

おはようございます。

ものすごく、大雑把に要約すると、「やり過ぎは印象が悪くて損だ」ということと理解しました。普通に社会生活を営んでいると、そういうことはありふれていますけど、変に気をまわして話をややこしくしてしまう経験の方が多いです。私は、結局、ストレートに表現したほうが良いと思っていまして、それが可能なのがネットの世界だと期待しています。

リアルの社会では、なかなかそうはいかなくて、持って回った言い方をせざるをえなかったり、腹を探り合ったり、脅したりすかしたりとそういうのが好きな人も多いので、付き合わされています。まあ、私がガキなんで,そういうやり方が下手なだけなんですが。
by zorori (2009-04-17 06:59) 

トンデモブラウ

そういう陰湿な方法を活用できる場所にに限りなく近いのが、「ニセ科学」で商売をしている人たちじゃないかと思います。(「欺瞞」てもともとそんな場所でしょ。土台がないところに立ってるんで。)
避けては通れないのかもね。
いっしょくたに「悪」の烙印を押してあげましょう。
それにはJudgmentさんの指摘する陰湿な印象操作への対処法も考えとかないとダメよ、ということでしょうね。
by トンデモブラウ (2009-04-17 10:57) 

案外常識人

はじめまして。
先のエントリとこのエントリの内容に共感している者です。(もちろんニセ科学を擁護したいわけではありません。)
同じような疑問を感じているのは、決してJudgementさんお一人ではないということをお伝えしたくてコメントしました。
またよらせていただきます。
by 案外常識人 (2009-04-17 16:46) 

SSFS

下のトラックバックをご覧ください。

くだらん、現場に降りてこい
http://www.cml-office.org/archive/1239964885334.html

実に傲慢かつ下品なタイトルです。まるでヤ○ザの捨て台詞みたい。これが天羽氏の本性なんでしょう。自分の考えに合わなければ「敵」認定するという単純思考。これでも国立大学の准教授で、ニセ科学批判の重鎮(笑)なんですよ。
by SSFS (2009-04-17 22:04) 

shunsoku

お邪魔します。
judgementさんの、このエントリーと直前のエントリーに勝手に共感しました。

 「言論の世界」と私が認識している分野の表現で言えば、

「ニセ科学批判」の人々の言論は、効果的でない、または論争の相手に対して説得力がない

と感じています。

 勿論、裁判となれば話は別です。
 「科学的な証拠」や「論理的な認定」が重視されるのが裁判、という建前ですから。裁判官や裁判所の立場が不利にならないというのなら、科学や論理が重視されるでしょう。

 では、裁判で負けたからといって、「怪しげな水」に関する商売が壊滅したか、というと、しぶとく残っています。

 もっとも、裁判自体も「怪しげな水」を商売にする人々のほうから仕掛けていることが多いようなので、裁判を論争の主戦場と考えるのはあまり適切ではありませんが。

 裁判以外の場ではどうなのか、というと、「ニセ科学批判」の人々の言葉が、あまり効果的であるようには思えません。
 たとえば、昨年の血液型ブームは、人々の欲求が科学的検証を無視して大暴走したものだと、私は感じました。

 人々の欲求を「科学的でない」とか「無知のせいだ」とか、一刀の下に切り捨てたとしても、それで何が成し遂げられたと「ニセ科学批判」に与する人は思っているのでしょうか?「血液型性格ブーム」を「ニセ科学批判」が終わらせることができましたか?

 「ニセ科学批判」の側には、残念ながら(心底残念だと思ってます)そんな力はありませんでした。

 何かを達成できなくとも、「ニセ科学批判」の側に立つ皆さんは満足ですか?
 言い換えれば、何を成し遂げたくてニセ科学批判をしているのでしょうか?

 ニセ科学批判の動機が、ニセ科学批判をする人一人ずつによって違うのであれば、動機に関係する目的が一致しない分だけ、批判の効果は落ちるのではありませんか?

 私は、論理的な部分では「ニセ科学批判」に納得します。主張も正しい部分が多いのだろうと思います。

 が、社会的な経験や見通す力の不足に無自覚な人が多い、限定的な効果しか発揮できない主張になっているということは、言えるでしょう。

 さらに、「自分のところだけが現場だ」と受け取れるような不用意な発信が多いのも気になります。
 大学も現場だし、商品開発も現場だし、医療や福祉の場も現場です。
 しかし同時に、掛け算九九が理解できない日本国民が暮らしている場所も現場です。生活保護を受けながら金のほとんどをインチキ団体にピンはねされている人がいる場所も現場です。

 「社会的な発信」と受け止めることが可能な「ニセ科学批判」の言論は、社会的な見通しの確かさ(の論証)を要求されます。
 という意味で、「ニセ科学批判」の人たちの言論(kikulogブログ主などは除く)には、不満を感じます。

 私はjudgementさんの言葉から、勝手に私自身の問題意識にひきつけて、そういう風に読み取りました。
 誤読だったらごめんなさい。

 長文失礼しました。
by shunsoku (2009-04-17 23:26) 

disraff

shunsokuさんご自身が、血液型ブームやら蔓延する「怪しげな水」商売や、金をピンはねするインチキ団体やらを根絶するために、これまでどのような事をされてきたのかをぜひ教えてください。
さだめし効果的な方法を実践されて来たものと拝察しますので。

by disraff (2009-04-18 00:09) 

田部勝也

>shunsokuさんへ。

このコメント(↓)を書いた者です。
http://d.hatena.ne.jp/mzsms/20090411/1239382313#c104883555

shunsokuさんのコメントはもっともだと思います。shunsokuさんの非難は、少なくとも私に対しては的を射たものだと思います。私は「社会的な経験や見通す力の不足に無自覚」だし「限定的な効果しか発揮できない主張」や「“自分のところだけが現場だ”と受け取れるような不用意な発信」ばかりしているのも事実でしょう。

でも、だからといって、現状を何もしないで手をこまねいて見ている事は、心情的にできないんです。
確かに、「怪しげな水」に関する商売も、血液型ブームも、他のどんな「ニセ科学」だって、なくなりません。正直に言えば、自分(や「ニセ科学批判者」たち)にそれらをなくす力があるとも、そんな力を身につける事ができるとも、もっと言えば、誰がどんな事をしたって、それらがなくなるような事があるとも、まったくほんの少しも思ってはいません。
でも、自分に「ニセ科学の蔓延」を終わらせる力がないからといって、何もしないでいられるほど、私は人間ができていないんです。

その意味で、私に対して、「おまえがしているのは、ただの自己満足だ」と非難されたとしても、甘んじて受け止めるつもりです(し、実際受け止めてきたと思っています)。その「自己満足」が社会や社会の未来にとって有害なのだと知る事ができれば、私はすぐにでもそれをやめる覚悟はあるつもりです。

だから、もしも私が「ニセ科学の蔓延」に対抗するにあたって不利益になる言動をしている事があったならば、その都度はっきりと指摘し糾弾して下さい。少なくとも、「ニセ科学批判者」は私に対してこれまでそうしてくれました。shunsokuさんもそうしてくださると嬉しいです。

-------------------------
以下は余談です。

>shunsokuさん「さらに、“自分のところだけが現場だ”と受け取れるような不用意な発信が多いのも気になります」

私個人は「自分のところも現場だ」と受け取ってもらおうという意図の発言は良くします。「自分のところではこうだった」「自分はこういう経験をした」という事を発信すれば、同じような現場におられる方々が批判的に検討する材料になるでしょうし、まったく違う現場におられる方々は、そういうものとしてスルーされるだけでしょうから、デメリットやリスクは少ないと考えていたからです。
それが、「自分のところだけが現場だ」という発言だと受け取られるのだとしたら、今後は書き方により気をつけようと思います。
by 田部勝也 (2009-04-18 00:27) 

shunsoku

再びおじゃまします。

 disraffさん、勝手に話を振り替えないでください。

 私は「ニセ科学批判」の人たちの話し方には残念ながらあまり効果が大きくはないことを、「ニセ科学批判」の人たち自身が自覚していないのではないか、ということを書きました。

 まさか、効果が大きいことをしている人以外の批判を封じる、というのではありませんよね。

 個人的なことを書け、というのであれば、

私はかつて、「水伝」の話を子どもたちの前で肯定的に説こうとした人の話をさえぎったことがあります。
また、機会があるごとに、血液型別性格判断に科学的根拠がないことを同僚や子どもたちに話しています。

 あまり効果的にできたとは思っていませんが。

 上のコメントで、disraffさんのコメントのような態度を私は批判したつもりです。言葉尻を捕らえて、批判者を批判して、正しいことを言ったつもりになり、発言者の背景を無視するような態度です。

 「ニセ科学批判」に論理的に同調しようとしても、disraffさんのような対応をとる人が多いので、感情的には私も遠ざかるばかりです。かと言って「ニセ科学」に同調する立場に立とうとはまったく思いませんが。

 私のような、感情的に同調しにくい人間を増やすことを、「別に気にしない」と「ニセ科学批判」の立場に立つ人たちが一致して考えるなら、
それは「排斥主義」との批判を免れないでしょう。

 「ニセ科学」に対して(特に情緒面で)有効な反撃を打ち出せてはいないことを、どれ位真摯に受け止めているのか?「仲間内」の盛り上がりで自己満足してはいないか?

 という問に対して、

「おれ達、別に仲間じゃない」とか
「目的や動機なんか一致してないんだから、効果なんて気にしない」とか
考えているんだとしたら、

「ニセ科学」という言葉を共有する、という言葉遊びをしているのだと、私は思います。
by shunsoku (2009-04-18 00:45) 

shunsoku

三度お邪魔します。

 田部勝也さん、丁寧な対応、ありがとうございます。

 (2009-4-18 00:45)で書いたとおり、
田部さんのような限界の自覚をしながらも、自己の現場を書く人は、私の批判の対象ではありません。
 私もまた自己の限界を感じながら、ここまで「ニセ科学」に批判的な言明を私自身の「現場」でして来た人間ですから。

 ですが、自己の「背景」をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く者がいることもまた、悲しいけれど、現実です。

 「ニセ科学」の問題を、私は社会的な問題として考えています。
 純粋に論理や自然科学の問題としか考えていない人たちを、批判しています。

 社会的な問題について考えた場合、論理的な正しさは、将来の優勢や、将来の好意的評価を、なんら保障しません。
 「俺たちは論理的に正しいのだから、現在は少数派でもかまわないんだ」なんて考える人がいるとしたら、その人は歴史からなんら学んでいない、という意味で、科学的ではない、と私は思います。
by shunsoku (2009-04-18 01:07) 

SSFS

shunsokuさん、たぶん初めまして。横レスすみません。

>という意味で、「ニセ科学批判」の人たちの言論(kikulogブログ主などは除く)には、不満を感じます。

kikulogブログ主である菊池氏の言論には不満は感じない、氏の言論は正当だと感じているという意味合いでしょうか?


by SSFS (2009-04-18 01:39) 

田部勝也

田部勝也です。

>Judgementさん「私はただ、科学的な話や論理的な対話がしたいんだ」

私のみの事に限って言えば、これについては全力で否定します。たとえば、亀@渋研Xさんのブログのエントリ記事「私にとってのニセ科学問題」(↓)
http://shibuken.seesaa.net/article/52937095.html
とそのコメント欄を参照して下さい。他の方の目的・動機についてはそれぞれの方がそれぞれの立場から書かれていますけど、『ニセ科学批判まとめ %作成中』(↓)
http://www39.atwiki.jp/cactus2/
を読んでなお、「“ニセ科学批判”は科学の世界の一部に居続けるつもりなのか、それとも言論の世界に足を踏み込みたいのか?」という疑問が発せられるというのは、私には軽い驚きではあります。

>Judgementさん「進むも地獄、退くも地獄、こんな世界に足を踏み入れてた事、認識していましたか?」

私としては、Judgementさんに「そう認識していない」と思われている事のほうが驚きです。

ところで、このエントリ記事の主旨は、zororiさんさんが上で指摘されている通り「やり過ぎは印象が悪くて損だ」という事だと私は理解しました。前のエントリ記事で「批判される者にとって心地よく、満足感を与えるような批判なんかまず無いんだから」と書いてmizusumashiさんの否定的な言葉遣いを擁護された方が、そのような主張をされる事に戸惑いもありますけど、おっしゃる事はもっともだと思います。

一方で、私は「いわば“舌先三寸”で変動する」ような「勝負」をしたいとは、絶対に少しも思っていない事を、声を大にして言いたい(この点について他の「ニセ科学批判者」がどうだかは知らないし興味もない)。
確かに、今回のmizusumashiさんのように、自らの発言への非難に対して「僕は疑似科学批判を揶揄しているが、否定しているわけでは全然ない」「ただ、哲学的にそういう立場はありえるだろうというだけ」「何も“こうあるべき”とは言ってはないし、考えてもいない」「いま私がどう考えているかということを回答することはなく、そのときはどう考えていたのかということを回答することになる、ということでご寛恕ください」などと煙に巻いて、相手をなだめすかしていれば、相手が「(Judgementさんに言う)陰湿」な手段を使って自分を陥れようと思う事は防げるのかも知れません。
でも、私は常に誠実な一人の人間でありたいと願っているし、もしもその願いを貫く事で私の非難した相手が「(Judgementさんに言う)陰湿」な手段を使って私を陥れたとしても、見ている人たちは私の誠実さを認めてくれる――もしも認めてくれないのだとしたら、それはそもそもその対応において私が誠実ではなかった――という事を信じています。「信仰」と言っても良いです。けど、その「信仰」が本当に誰にもないのだとしたら、この世の議論はすべてくだらないディベート・ゲームか詭弁大会という事になってしまいます。

Judgementさんのここでの主張は、「いや、現実にこの世の議論はすべてくだらないディベート・ゲームか詭弁大会なんだ」という事なのでしょう。それで私に対して「常にハラハラしてしまう」のかも知れません。
そうですね。私個人に限って言えば(他の「ニセ科学批判者」の事は知らないですけど)、その点に関してはとてもイノセントです。それはもう中学二年生が恥ずかしくなって顔を真っ赤にして裸足で逃げ出すほどイノセントです。とどめに、こんな文章(↓)を書いてしまうくらいイノセントです。
http://k-tabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-ebbe.html
――でも、それは悪い事ですか。
確かにそんな私は「馬鹿にされるハメになる」でしょう。でも、「ニセ科学批判者」として私がしている「勝負」は私一人が得をしたり幸せになるためのものではありません。もしも私が「言論の世界で勝ちを拾う手腕手管の達人」に「“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメ」になったとしたら、Judgementさんは「ざまあみろ、弱者に相応しい結末だ」と満足感を覚えますか。それとも、「こんなのおかしい」と思ってくれますか。もしも後者ならば、私は上に書いたような自分の「信仰」は間違っていないと心から思えます。

むしろ、私は、「“舌先三寸”で変動する」ような「ネガティブカードやポジティブカード」を駆使して論敵をやり込めさえすれば勝ちなんだと考えたり、そうする事を奨励するような主張を、強く非難したいのです。
確かに、現実はJudgementさんの言う通りなのでしょう。でも、建前論さえ否定されてしまって、Judgementさんの言う現実が正論になってしまっては、社会の崩壊は目の前です。今振り返ると、だからこそ私は今回のmizusumashiさんの態度に対して、あれほどの怒りを抱いたのかなぁ……とも思ったります。

――もちろん、このように主張する自分自身が、自分の主張とまったく乖離した言動ばかりしている事は認めます。そのような時は遠慮なく非難して欲しいですし、もし仮に「(Judgementさんに言う)陰湿」な手段を使われて「“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられ」ても構いません。

-------------------------
一方で、無駄に無策に馬鹿正直に突撃して玉砕するだけが能……というのは、あまりにも「自己満足」に過ぎないですし、技術開発者さんの言う意味(↓)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1232672820#CID1237870883
で、「ニセ科学の蔓延」に対して「真剣に向き合う」姿勢でないのは間違いなく事実なわけで、Judgementさんのおっしゃる指摘というか危惧は、とてもとても大切なものだと本当に思います。
ただ、「言論の世界で勝ちを拾う手腕手管の達人」が「舌先三寸」の「陰湿」な手段で「勝利」する事で、簡単に壊滅し、その正当性や意義を失ってしまう程度の価値しか「ニセ科学批判」にはないと思われているのでしたら、そして今現在まだ壊滅していないのが「たまたま運が良かっただけ」だと思われているのだとしたら、とても残念ですし、もしも本当にその程度の価値しかないのだとしたら、それで自然淘汰されたとしても、私には文句のあるはずがありません――と、意思表明しておきたいと思います。
他の「ニセ科学批判者」がどう思うかは知りませんけど。

-------------------------
>shunsokuさん「人々の欲求を「科学的でない」とか「無知のせいだ」とか、一刀の下に切り捨てたとしても、(後略)」

もしもそのような切り捨てを行う人がいたとしたら、私はその人を非難すると思いますし、実際非難してきたと思っています。ただ、いわゆる「ニセ科学批判者」のなかにそのような人を見た事が、私はありません。

>shunsokuさん「ニセ科学批判の動機が、ニセ科学批判をする人一人ずつによって違うのであれば、動機に関係する目的が一致しない分だけ、批判の効果は落ちるのではありませんか?」

おっしゃる通りだと思いますが、いくらそれが目的のために効果的であると分かっていたとしても、私には自分の動機を偽る事はできません(少なくともしたくはありません)。

>shunsokuさん「ですが、自己の「背景」をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く者がいることもまた、悲しいけれど、現実です」

おっしゃる通りだと思いますけど、それは何も「ニセ科学批判者」に限った事ではなく、そういう者はどこでも一定数いるものだと思います。「ニセ科学批判者」に特にそういう者が多いという事ならば真剣にその事をもって「ニセ科学批判」を批判する必要があると思いますけど、私はそうは感じません。単なる印象論ですが……。
「自己の“背景”をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐くのはやめるべきだ」という批判でしたら、重く受け止めなければならないと思いますけど、「自己の“背景”をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く人間がいるから、“ニセ科学批判”はダメだ」という批判だとしたら、ちょっと言い過ぎのように感じますが、いかがでしょうか。

>shunsokuさん「「ニセ科学」の問題を、(中略)純粋に論理や自然科学の問題としか考えていない人たちを、批判しています」

少なくとも、私の知る「ニセ科学批判者」は、みな、「“ニセ科学”の問題を、純粋に論理や自然科学の問題としか考えていない人たちを、批判しています」。

>shunsokuさん「「俺たちは論理的に正しいのだから、現在は少数派でもかまわないんだ」なんて考える人がいるとしたら、その人は歴史からなんら学んでいない、という意味で、科学的ではない、と私は思います」

誤解されそうなので先に弁解しておきますが、私は、上でJudgementさんに対して述べた自分の「信仰」が「論理的に正しい」とは露ほども思っていない事を言明しておきます。それどころか、価値観や道徳観に関して「論理的に正しい」という事はありえないと、現時点での私は考えています(これに関しては「ニセ科学批判者」の中にも異論を持つ人がいる事は承知しています)。
かつて、『kikulog』のエントリ記事「道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきではない」のコメント欄に書いた文章を2つリンクしておきます。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1170079605
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987#CID1170171670
by 田部勝也 (2009-04-18 03:33) 

NO NAME

世の中きれいごとじゃないんだよ、戦略も必要だよ、権謀術数も必要だよ、なんてことはわざわざ言わなくても自然に身につきます。

それで、私は不思議なんですが、そういう戦略が大事なのはなぜなのでしょうか。その戦略で守るべきもっと大事なものがあるわけですよね。じゃあ、そのもっと大事なものが大事な理由は何でしょうか。その理由を真正面から説明できないし、相手に効果がないから、戦略を使うわけじゃないでしょうか。だとすると、相手も別のもっと大事だと思っているものを守るために戦略を使うわけです。これはどういうことかというと、お互いに議論を交わしコミュニケーションがあるのは戦略だけで、それぞれが大事だと思っていることは心の奥底に隠していることになります。最も大事なことは議論や他者の意見にさらされることなく、それぞれが勝手に大事だと思っているだけですから、どんなつまらないことでも、馬鹿げたことでもよいことになります。

結局、そのもっとも大事だと思うことは、社会の他者とは全く無縁の個人の趣味みたいなものということになります。議論や現実にもまれて生き残った社会的に認められたものは戦略だということです。個人の思惑がどうだろうと、社会が最も大事だと認めたものは戦略だということです。

考え方が逆立ちしているんじゃないでしょうか。ぐだぐだ書きましたが、簡単にいえば本末転倒ではないかということです。
by NO NAME (2009-04-18 07:32) 

zorori

すみません、上のコメント名前をわすれました。

それから、shunsokuさんのような考え方をすれば、世の中から犯罪はなくなりませんから警察は無駄だということになります。二次的、三次的な事柄で一番考えなければならないことを否定しているのではないでしょうか。
by zorori (2009-04-18 07:37) 

zorori

多分、イノセントな道徳や倫理というのは、教育の結果じゃないでしょうか。素朴に自然に育つものではないと思います。それは小さい子供を見ていれば、非常に残酷だし、ずるいし、うそつきだし、自分の利益しか考えていないことから想像できます。イノセントとは人為的、社会的なもので、素朴でも自然でもないとのではないじゃないでしょうか。

で、高度な技術的な面は別にして、権謀術数精神はほおっておけばそうなるので、別に社会の荒波にもまれて苦労して身につける努力は不要じゃないでしょうか。
by zorori (2009-04-18 07:58) 

disraff

僕はしょせん野次馬で、きくちさんなどと一緒に“ニセ科学批判者”なんて括り(?)に入れられると戸惑うばかりですがそれはさておき。
端的に言えば、他人のやり方に不満があるなら、自分でやるのが良いでしょうということです。社会的な立場において、“ニセ科学批判者”とshunsokuさんとでそう大きく違うわけでもないんですから。
shunsokuさんの最初のコメントからは、なにやら納税者が行政のサービスに不満を述べるような、強烈な「お客様意識」しか(僕には)感じられませんでした。

…尤も、“ニセ科学批判者”と称すものの、批判したい対象が僕みたいな野次馬ということなのでしたら、まぁ特に抗弁することもありません。そこまでの問題意識がありながら、野次馬がいるから感情的に同調できない、というのはなんか釈然としないですけれども。
by disraff (2009-04-18 09:48) 

apj

shunsokuさん、みなさん、

 まず、最初にはっきりさせておかなくてはならないことは「ニセ科学批判」を実施した例もなければ成功例もない、ということです。
 実際に行われている批判は「水伝批判」だったり「マイナスイオン批判」だったりするわけで、あくまでも個別の怪しいモノ批判なんですよ。だから、「ニセ科学批判」という言葉を共有する云々は、せいぜい、個別の批判から共通するものを括り出せる、くらいの意味でしかありません。
 自分のところでも書きましたが、これは、「スポーツをすること」を話題にしようとすると、実際には野球やテニスなど個別の競技種目の話題になるというのと同じです。

 元々、放っておくと人間は非合理なことを信じることになったりします。それを食い止めているのは、後付けである、教育の効果です。
 たとえば
http://blackshadow.seesaa.net/article/116264312.html
を見れば、そのことがよく分かります。為政者が、AIDSの治療法を決めるのにインチキにはまってパンデミック発生、という話です。今の日本では、さすがにこういうことにはならないでしょう。それでも、予防接種をやめてホメオパシーで対策、と言い出しそうな人が小数ですが存在します。
 こういう状況ですので、もし、ニセ科学の方を受け容れる人の割合を減らすことはできても、なくすことはできないでしょう。私がやっていることは、インチキ浄水器の批判が主ですが、批判したからといってインチキ浄水器を売る人が居なくなるとは、まったく考えていません。

 批判に効果があるとしたら、ニセ科学を信じかけたけれども正しいことを信じたい人や半信半疑な人への被害を防ぐことにあります。情緒を優先させたい人や信じたい人には効果はありません。ニセ科学を撲滅するというのは、全ての人に対して情緒を捨て去れと言うに等しいので、そんなことは不可能です。
 私は、半信半疑な人、信じかけたけど正しい情報が欲しい人の役に立てば、それでかまわないと考えています。すると、まずは、そういう人達に、「批判的な意見があること」が伝わらないといけません。ですから、「野次馬」(そんなに突っ込んだ議論をせず軽く話題にする人)が存在することにも意味があると考えています。情報を得る最初のきっかけを増やすことは大事ですので。

 さて、情緒面云々ですが……。オレオレ詐欺の取締状況と発生状況を考えてください。新聞記事で事件が何度も報道され、警察も金融機関もこぞって注意喚起しているにも関わらず、被害が続いています。窓口で注意したって、信じて振り込んでしまう人が出てきています。もちろん、犯人は捕まったら刑務所行きで、警察はどんどん捜査して捕まえています。それでもオレオレ詐欺の撲滅はできていません。ニセ科学とは比較にならないほど、社会における注意喚起の度合いが強く、処罰もあるのに、無くならないんですね。このことからわかることは、「科学が絡んでいなくても、情緒面から攻撃されると人はもろい」「故意に他人を欺す人はバレたら処罰されるとわかっていても欺す」ということです。
 だからといって、撲滅できないのだからオレオレ詐欺を取り締まらなくてもいい、ということにはなりませんよね。注意したって振り込む人が居るから窓口での注意はあきらめましょう、とはなりませんよね。みなさんはどうですか。顔見知りの人が、電話がきたので急いで振り込まないと……などと慌てているのを見たら、一言注意の言葉をかけたりはしませんか?

 個別のニセ科学批判が目につく場所にあることによって、欺されかけた人がちょっと立ち止まることがあるならばそれでいいんですよ。身内が欺されかかっているときに、ちょっとネットを調べて、被判的な意見を見た人が「あぶないかもしれないよ」と注意喚起してくれるなら、それで役に立っているんです。
 批判をすること、というのは、まともな健康法みたいなもんです。効果があったというのは目立って見えることがないけど、健全さを維持するのには役立っている、というか。

 なお、頭ごなしに相手を非難したりすることを避けておけば、情緒的な反発をそんなに気にする必要は無いと考えます。
 情緒的に共感したからインチキを信じて金を払う人や、情緒的に共感できないから批判意見に賛成しないという人は居ても、情緒的に批判に共感できないからインチキに金を払う人は少ないでしょうし。
(金を払う、は、怪しい製品を買ってしまうということから、インチキを信じて行動した結果誰かに訴えられて損害賠償を払うハメになる、まで、ちょっと広い意味で使っています)

by apj (2009-04-18 11:48) 

PseuDoctor

こんにちは。
まだまとまったものを書く時間が取れませんので、非常に局所的に反応します。ブログ主さん宛ではありませんが、どうしても気になったので。

>shunsokuさん
はじめまして。
>「ニセ科学批判」の人たちの話し方には残念ながらあまり効果が大きくはないことを、「ニセ科学批判」の人たち自身が自覚していないのではないか

とんでもないことです。
少なくとも私自身に関して言えば、日々無力感に苛まれています。自分の活動の「効果の無さ」に関しては、ひりつく様な焦燥感を感じる事もしばしばです。
それでも、何もしない訳にはいかないと思うから「もっと良い方法は無いか」と思いながらも出来る事からやっているのです。(費用対効果という観点から見て)もっと効果的な方法があれば教えて欲しい、本当に心から切にそう願います。ですから、大変失礼ではありますが、言い方が皮肉っぽいかどいうかという違いだけで、私もdisraffさんと同じ様な感想をshunsokuさんに対して持ちました。

むしろ、いわゆる「批判批判」の方が、批判者のロウソクの火のような細々とした活動を大袈裟に取り上げて潰そうとしているかの様に、私には思えます。「批判批判」の人達が言い立てる半分でも「ニセ科学批判」に社会的影響力があるのであれば、私ももう少し安らかに眠れるのですが。

何と言いますか、別に評価して欲しくてやってる訳ではないんですけど、自分が問題点だと思っているまさにその事に対して、まるっきり逆の解釈に基づいた批判を受けると本当に気力が萎えますね。
by PseuDoctor (2009-04-18 11:57) 

PseuDoctor

連投すみません。

「もっと相手に届く様な言い方を考えろ」という御意見であれば、ある程度は傾聴に値すると思います。しかし、受け手が一様でない限り、誰にでも届く万能の表現方法というものは存在しませんよね。
それでも「もう少し配慮しろ」と言われるのであれば「既に配慮している」という答えになってしまいます。それ以上は程度問題ですから検証しようがなく、最終的には「俺が満足する様にしろ」という話になりかねません。

また「傍観者を引かせる様な批判方法は戦略的に損だ」という意見でしたら、それも確かに一理ありますが、一理あるという事は、問題意識を持つ人の間では既に議論されているという事でもある(でも決定的に有効な結論は未だに出ていない)のです。
by PseuDoctor (2009-04-18 12:10) 

Seagul-X

disraff さん、PseuDoctor さん、

おそらく shunsoku さん自身は意図してのことではないのでしょうが、期せずして shunsoku さんのコメントそのものが「相手に届かない」状態を端的に示しているんじゃないでしょうか。

disraff さんのおっしゃるように効果的な実例があれば、それを分析したり取り入れることができるでしょう(その意味で私も disraff さんに同意します)。
でも過去にいろいろな方法を試して「現在の方法がベストじゃないかもしれないけれど、ある程度の効果はあるよね」という結論に達しているひとたちに対して、「あんたらの方法は効果的じゃないから変えろ。いい実例はないけど。」と云われても困っちゃいますよね。

で、提案なんですが、shunsoku さんも悩んでいろいろな方法を試されてきたようなので、効果的な方法は挙げられなくても「これは効果的じゃなかったからやめた方がいい」という実例なら挙げられるんじゃないでしょうか。あいまいな現状批判ではなく個別の「効果的でなかった実例」なら「効果的な実例」同様に分析して今後の役に立てることができると思います。
なかには「その方法はいままで試したことがなかったけれど、効果的じゃないなら試す労力を省ける、ありがたい」と思うひともいるでしょうし、そのままでは効果的ではないにせよ、いま私が提案しているように「効果的な実例」を「効果的でなかった実例」に変えるといった微修正で効果を出すことができる方法だと誰かが気づくことがあるかもしれません。

shunsoku さん、いかがでしょう?

by Seagul-X (2009-04-18 12:55) 

shunsoku

 またお邪魔します。

>dissraffさん
 「皮肉」以上の発言と思われるあなたの言葉について

>僕はしょせん野次馬で

 と言うのは「ずるい」と私は思いますが。
 尻馬に乗ったのだと、認める気はありませんか。

 私が今回批判の対象にしたのは、
一つにはあなたのような野次馬です。
 もっとも、私自身がかつてはそのような発言もしていたのですから、
自戒を込めての話ですが。

 「私は野次馬」と断われば何を言ってもよい
わけはありません。

 他のことについては、後ほど書かせていただきます。
by shunsoku (2009-04-18 18:00) 

apj

 上の方で裁判の話が出たので、補足しておきます。

 ニセ科学宣伝が問題になって裁判所まで行く典型的なのには、訪問販売やマルチ商法などでインチキ健康グッズなどを売りつられた、なんてのがあります。この手の宣伝に科学的根拠はありませんし、販売する側は体験談満載のパンフレットを示して「こんなに効果が……」とかやっているわけです。

 ところが、実際に被害にあった人が解約や返金のための紛争をするにあたって、「宣伝に科学的根拠がなかった」という争い方はしないのが普通です。この争い方ではむしろ手間がかかる上に不利になります。
 「販売者による、すごい効果が必ずあるという宣伝があったから購入したけど、実際に買って見たらその宣伝とはとはかけ離れていた」ということを立証することで販売者が不実告知をやったというのを裁判官に示すとか、契約に必要な書類が全部渡されていないからまだクーリングオフ可能である、といった形に持っていく方が、契約解除がすんなり認められます。「すごい効果が必ずあるという宣伝は(客観的に)科学的根拠がない」という立証の仕方は、弱いんですね。販売側の主張と実際の製品の「ギャップ」を示せば足りるので、「ギャップ」の原因が販売側のニセ科学宣伝にあったとしても、ニセ科学であることをことさら裁判所で理由にする必要は無いんです。

by apj (2009-04-18 18:30) 

disraff

はて。「野次馬と断れば何を言ってもいい」なんて夢にも思っていませんし、そうとれるような事を言ったつもりもありませんが。
「野次馬」と言ったのは、僕の目に「高い能力を持ち、真剣にコミットしている」と写る方々を前にすれば、そんなものだろうという正直な感覚です。できる範囲のことはしているつもりですが狭いですし、できる範囲を拡げる努力はできていませんので。

でもって、野次馬には野次馬の分があると思っています。なので、自分でやれないか何のかんのと理由をつけてやらないのに、がんばっている人に指図する人を見ると、何か言いたくなったりもします。露払い、なんて言うとおこがましいですけどね。
by disraff (2009-04-18 19:15) 

shunsoku

連投失礼します。

>PseuDoctorさん
 あなたとは、間接的だったとは思いますが、別HN(憂鬱亭)で会話らしきものをしたような記憶があります。

>皆さん

 私の言葉はおおむね、PseuDoctorさんが書いたような趣旨です。
 そして、PseuDoctorさんが書いてくれたようなむなしさを抱き、表明できる部分は私の批判の対象ではありません。

 もう一つの批判の対象ですが

 「個別の事象に対する批判」が戦術的に間違っているのではないか、と私は感じています。(戦略ではなく、戦術です。「選挙戦術」などと表現する場合の「戦術」です)
 「ニセ科学」という概念を掲げているのに、「していることはニセ科学批判ではなく、個別の批判だ」としか言わないことで、かえって「ニセ科学」という概念をより多数の人が共有することを阻害している、と感じています。

 ああ、「この物言いも通らないだろう」と絶望しながら書いているのですがね。
 なぜなら、「すでに概念を共有できている人と、容易に共有できる人たちが共有できれば良い」という主旨のことを、何人もの人が書いているではありませんか。その発言はすでに敗北宣言でもありますね。
 なのに、日ごろ皆さんが書いておられることからは「負けの自覚」が、あまり感じられないんですよ。

 ・・・・・・今、個人攻撃に当たるようなことを書こうとして、思いとどまりました。(「現場」って、今回誰が使い出したんでしたっけ?という話です)

 複数の人に向けた話に戻りますと。

 このコメント欄で私は、「ニセ科学批判は戦術的に間違った方向に行っているのではないか」ということを書いたみたいですね。少なくとも、そう受け取ってもらえる人が何人もいたようなので、趣旨は伝わったかなあ、と思います。

 で、私の意見に対しては、「今の方向で行くしかない」ということを、これまた何人かの人が書きましたね。

 ある批判に対して同じ趣旨の賛同ではない回答で答えれば、批判した側からすれば敵対する側、言い換えれば「一派」として認識するのは当然じゃないでしょうか。
 そこも自覚がない人がいるようですね。

 「科学的論理的に正しい多数者」と「科学的論理的に間違っている少数者」という区分をして、あっさりと多数者の側に自己を含めてはいませんか?
 「多数者は一派とは呼ばない」なんて、理屈にもならないことを思っていませんか?もし「正しくて多数」だとしても、それは「多数派」という「一派」なんですよ。

 もっとも、私が「ニセ科学」の代表例の一つとして批判的に見ている「ABO血液型別性格判断」の場合でいうと、「科学的論理的に正しい少数者」と「科学的論理的に間違っている多数者」というのが、日本での事情のようです。
 この問題については「ニセ科学批判」の側は、現状では多数の支持を得られていないので、多数派形成という観点からは負け、と言って良いですよね。負けのままでは嫌だ、と私は考えています。


>Seagul-Xさん

 意地が悪いことをおっしゃいますね。
 要するに「お前の失敗をみんなにさらせ」ということですね。
 わかりました。

 「科学的な根拠を示してもだめ」「感情に訴えてもだめ」というのが、目下のところの「血液型別性格判断」に関する私の経験です。
 もっと言えば、「人間として尊敬され、かつ、親しみやすい、と相手が感じていないなら、その人への科学的な説得は成功しにくい」ということが、私の経験から言える話ですね。

 で、「お前の失敗をさらせ」と親しくもない人に要求する人(あなたのことです)は、当然、相手の尊敬の対象にはなりません。
 あなたのようなやり方が戦術的に間違っている、ということは言えると思いますよ。

 他の多くの方にも経験があると思いますが、
 絶望したまま他人に何かを伝えようとするのは、ひどく消耗します。

 あまりまとまりがない文章の長文になりましたが、今はこれで失礼します。

 なお、ブログ主のjjudgementさん、
私の文章が他の方を傷つけ、あなたのブログに残すことが不適切だと判断した場合は、遠慮なく削除してください。私にことわる必要はありません。

長々とお邪魔しました。
by shunsoku (2009-04-18 19:26) 

shunsoku

また失礼します。

>disraffさん

 あなたは「野次馬」だとエクスキューズした上で、私に対して自分勝手なことを言っている、と私は読みましたよ。
 失礼を承知で本音を言えば、
相手に伝わる文が書けない
間違いを認める度量がない
 のどちらかにしか読めません。

 個別に「怪しい科学らしきもの」を批判しているだけでは、
うまく行かないのではないか、というのが私の主張です。

>皆さん

 「戦略」という言葉を使って
「ニセ科学批判」の現状を表現するなら、

戦略目標が明確に策定されていない上に、
「戦略目標はなくても良い」と思っている人が多いので、

個別の事象では戦術的に勝利しているのに
(たとえば裁判などでは勝っているのに)

戦術上の勝利が戦略目標の達成につながっていないだけでなく、
(設定していないから当然だけど)

一緒の戦術目標を持てる人さえも、
むしろ積極的に仲間はずれにしようとしている。

そういう構図に見えてきました。

 こういうのは軍事や政治や経済の用語法なのだと思いますが。
 「戦略」という言葉を使っているうちに、昔やっていたボードゲームの用語を思い出したんですよ。
 
 最近やり取りした人の言葉を思い出すと、
まるで「連帯を求めて孤立を恐れず」みたいですよ。

って言っても、若い人には通じないか。
私も本当はそのあとの年代の人間なんですけどね。

 敗北の歴史もきちんと学んでみませんか?

 お邪魔しました。
by shunsoku (2009-04-18 21:25) 

apj

shunsokuさん、

> なぜなら、「すでに概念を共有できている人と、容易に共有できる人たちが共有できれば良い」という主旨のことを、何人もの人が書いているではありませんか。その発言はすでに敗北宣言でもありますね。

 逆に、「既に概念を共有出来ている人や容易に共有できる人達以外にも無理矢理共有させることを可能にしましょう」となると、それは洗脳の一種になります。
 ですから、敗北宣言ではなく、むしろ「洗脳はしません」宣言ではないかと思います。

> なのに、日ごろ皆さんが書いておられることからは「負けの自覚」が、あまり感じられないんですよ。

 普通の範囲で情報伝達しているだけなので、そんなものです。別に、ニセ科学に限った話でもありません。

 なお、「勝って」いるケースには、マルチ商法で金が絶対儲かる、と信じ込ませて親族の説得も効かない状態にして借金をこしらえさせてしまう、といったものがありますね。


> で、私の意見に対しては、「今の方向で行くしかない」ということを、これまた何人かの人が書きましたね。

 そう書いた一人ですが、通常のやりとりの範囲でやるなら今以上のことはできないでしょう、ということです。

> ある批判に対して同じ趣旨の賛同ではない回答で答えれば、批判した側からすれば敵対する側、言い換えれば「一派」として認識するのは当然じゃないでしょうか。

 その中身が問題なんですよ。
 一致しているように見える「中身」は、他人の意思を強制的に変えさせるようなことはできない、言い換えると「洗脳したりといったことはしない」というものになるので。
「同じ趣旨」=「倫理的に問題があるような洗脳まがいのことはできない」と読み替えると、この意思表示をする人達をまとめて一派と呼ぶのが適切かどうかはっきりします。

> そこも自覚がない人がいるようですね。

 あなたが特別視していることは、何も特別なことではないという自覚はありますか?
by apj (2009-04-18 21:35) 

Judgement

 コメント沢山有難うごさいます。
 流れを追いきれて居ませんので今現在迂闊に口を挟む事は止めておきます。
 モチロン、ここでのやり取りに関しても、自分の思考に生かす情報とさせていただいた上で、後日返事となるような記事を書きたいと思います。
 また、続くようであれば、どんどん続けていただいて結構です。

 ただ、ここのBlogを運営する権利を持つものとして要望します。
 金払ってここを借りている者として!

 えっと...
 
 「個人的怨嗟に伴う中傷活動はやめて下さい。」

 to SSFSさん

 私は、「SSFSさんである」というそれだけで袖にする気はありません。
 そのうちじっくり、あなたの話を検討してあげてもいい。
 (ABOFANクン並みのVIP待遇で) 
 だから幼稚な中傷活動はやめてください、ね
 (またやったら、Blog主権限で削除するか、つるし上げます)
by Judgement (2009-04-18 21:43) 

apj

連投失礼します。

> 「科学的な根拠を示してもだめ」「感情に訴えてもだめ」というのが、目下のところの>「血液型別性格判断」に関する私の経験です。

 本当にそうなら、これを解決しようとしたら、相手の思想を上書きする、つまり洗脳するしかないと思います。あるいは、「人の性格を推し量ること自体が倫理的に悪」という価値基準を社会に立てるとか。どうすればいいのかは私にもわかりませんし、仮に実現しても弊害が大きそうですが。

> 個別に「怪しい科学らしきもの」を批判しているだけでは、
>うまく行かないのではないか、というのが私の主張です。

 では、どうするべきとお考えですか。具体的にお教え下さい。
実現可能な対策案があるなら、試してみる価値はあると思います。

 それとも、うまく行かないからやめろ、という意見ですか?

>一緒の戦術目標を持てる人さえも、
>むしろ積極的に仲間はずれにしようとしている。

 戦術が提示されないので、仲間はずれ以前に評価のしようがありません。
by apj (2009-04-18 21:44) 

Judgement

あ、書き忘れた。
えっと、『Blogを運営権利者の行使その2』

無礼をモットーとする私が運営するブログにおいては

”「失礼」宣言不要!”

書き込む事は全然失礼な事じゃありません。
連投・長文全然OK!

「そのぐらいの事が失礼なら、私はどんだけ失礼大魔王なんだよ」
といじけてしまいますのでね。
”「失礼」不要!”というか”「失礼」禁止!”の方向で。
by Judgement (2009-04-18 22:13) 

shunsoku

またお邪魔します。

>apjさん

 何故すぐに「洗脳」という話に飛ぶのか、私には理解できません。

 「使える労力には限界があるから、説得の可能性が低いところには今は手が回らない」というのなら、私も理解できます。
 が、何故すぐに「洗脳」?

 おっしゃる「洗脳」のこの場合の定義も良く分からないので、それこそ「評価のしようがありません」。犯罪も実行させるカルト宗教的な意味で使っているのか、「なんとなく正しいと思わせる」程度のことで使っているのか、私には判別できません。

 後者の意味の「洗脳」も拒否する宣言だというなら、それはまさしく「負けたままで良いや」という宣言だと私は感じます。
 学者研究者としてそう言明するのは、正しいのだろう、とも思いますが。

 ところで、「戦略目標」を共有するのかどうか、という話は、
触れてもらってないですね。


>ここをお読みの皆さんへ

 「戦略目標」があって、そのための「戦略」があります。
 その途中規模のものもいろいろとあるのですが、
 「具体的にどんなことをとりあえず達成するのか」という「戦術目標」を立てて、
目標達成の手段ととして「戦術」がある、という用語を今回使っています。

 「戦術目標」があっての「戦術」なんですが、この辺は用語の世界がずれているので、かみ合わないのはしょうがないですね。(念のために。私が勝手に使っている用語法ではありません。軍事オタクや経済コンサルタント関係なら、分かりやすい用語法なんですが)

 書いているうちに自覚できてきたのは、
周囲から「良い人だ」と評価されている人に説得してもらうのが効果があるので、
各自がそういう人を目指すか、「良い人だ」と評価されている人を「ニセ科学批判」の仲間にするか、
という戦術があるなあ、ということです。

 勿論、「戦術」は「戦略目標」が決まったあとに立てるほうが有効だし、
「戦略目標を立てるべきだ」という話に皆さんが同意しないのであれば、
こんな話、何の役にもたちはしないのですが。

 皆さんが戦略目標を共有するのかどうか、という話を私が聞いている段階で、
何故私が戦術を示さなければならないのか、
実はまったく納得できません。

 きくちさんのブログで「9 11」のエントリーで
「あれは陰謀だという人たちの間で、どんなことが起きたと主張するのか、話を統一してくれ」という話を出した人がいましたが、

今私は皆さんに「話を統一する気がありますか?」と尋ねている状態ですね。
「統一しよう」という意見の人は今のところ皆無のようです。

 「戦略目標」を統一するのもまた、時間と労力が必要だし、いろいろと付随的な問題も起きるだろうとは思います。オバマ大統領のような若いカリスマもいたほうが楽ですね。

 個人的には
現状だと「戦力」の分散状態が続き、それぞれの疲労が溜まるなあ、と思うのです。

 個別の行動として、apjさんがなさっている裁判や「怪しげな水」に対する批判活動は、正当だし、貴重だと思っています。
 ただ、「うまくつながったらもう少し効果があるんじゃないかなあ」と思っています。
 「つながりたくない」というのが皆さんの統一見解(妙な表現ですが、ありがちなパターンです)なのであれば、
「戦術」とか「戦略」とかの話は、これで終わりにしたいのですが。
by shunsoku (2009-04-18 22:46) 

miya-h

 こんにちは
 一連の発言を読み自分の立ち位置を確認する良い機会になりました。

>shunsoku さん
 あなたがどのような局面で活動をされているかは存じ上げませんので、的外れな話になるかもとはおもいつつ……
 わたしは高等学校に勤務していますが、実のところたまにおかしな講演会等が企画されることがあります。(ニセ科学に限りませんが)私は、それが生徒にとって不適切なものであるという判断をしたときに、通常の手順を無視して、不躾な態度で出来るだけ大きな声で反対を表明します。理由もデカイ声で言います。みんな引きます(普段は無口なので)。後で校長にたしなめられます。
 ときとして、本当に逆上するときもありますが(駄目ですね)。
 あなたが例に挙げておられた血液型の話は、熱狂的ビリーバーを除けば人間関係の潤滑剤と認識している人が多いですから、失敗に終わったとお考えの行動も「あれ、みんな気楽に楽しんでいるわけじゃないのか」という印象を何人かの人に残せたのではないかと思います。
 うるさいやつだと思われて終わりといえば、表面的にはそうなんですが、流れを変えるというのはそういうことの積み重ねかなとも思います。
 ただ、まあ、私は職務の一環ですから嫌われてもあきらめがつきますが、仕事以外で、よりによってこういうことで嫌われるのは、あまり愉快ではないですよね。
by miya-h (2009-04-18 23:18) 

むいみ

> shunsokuさん

こんばんは、はじめまして。

shunsokuさんはSeagul-Xさんのおっしゃったことを曲解しているように感じます。
たくさんのニセ科学批判者がいろんなパターンの批判を行っていますが、黄門さまの印篭のように「出せば必ずうまくいく」なんて方法は残念ながらまだありません(今後も出てくるとは思えません)。

私も先日Seagul-Xさんと同じようなことを書いたのでこれを意地が悪いと取られてしまったらとても残念です。


(略)実験を行ってみて、「この条件では成功したor成功しなかった」というデータを出します。さらに条件を少しずつ変えていって「この条件では成功したor成功しなかった」というデータを蓄積していきます。
成功しなかったというデータは一見無駄に見えますが、「ある条件では成功しない」という知見は実はとても重要なものなのです。後から研究を始める人が「なるほど、この条件では上手くいかないのだな。でもこういう条件ではやっていないみたいだからやってみよう」と、上手くいかない実験を繰り返さずにすむからです。また、対象が狭まることにより、より限定された部分を調べることができるようになります。
とても時間がかかるし面倒くさいですね。
しかし世の中の真っ当な科学者はみんなこういうことをしています。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1125282191


残念ながら「やりすぎるとニセ科学批判全体の印象を悪くする」というのは私も感じています。それでもやらないよりはやった方がいいと考えているからやっていますし、失敗したら次は同じ失敗はしないようにしようと考えますよね。

Seagul-Xさんのコメントは「成功談も失敗談もみんなで共有することでよりたくさんのパターンを試せるからさらに有意義だ」以上の意味はないと思います。
解決の糸口が見つからないのなら反対にダメだった方法を挙げてみて、他の多くの人もそれを体感しているのならやっぱりダメなのだろう、でも少し違うアプローチをしたらできるかもしれないね、そうやって段々と洗練させていきましょう、という話だと感じました。少なくとも私はそういう意味で書きました。
by むいみ (2009-04-18 23:29) 

SSFS

ニセ科学批判がダメな理由のひとつとして、菊池氏と天羽氏が「と学会」の会員であることの影響を挙げましたが、それは「菊池先生と天羽先生」と祭り上げるJudgementさんの逆鱗に触れるんですね。分かります。「くだらん、現場に降りてこい」と罵倒されても、自分のほうが悪いことをしたと受け止めちゃっうんでしょうか。不思議なバランス感覚です。

ニセ科学批判のあり方を本格的に議論したければ、残念ながら彼らの個人的資質に関する部分を抜きにはできません。封印したいのなら、お茶を濁した結論になることは目に見えています。「波風を立てたい」は本意ではなかったのでしょうか?
by SSFS (2009-04-18 23:43) 

apj

shunsokuさん、

>今私は皆さんに「話を統一する気がありますか?」と尋ねている状態ですね。
>「統一しよう」という意見の人は今のところ皆無のようです。

 ちょっと待ってください。

 私の意見は、統一する気がある・無いというものではなくて、「統一は無理だろう(私は統一を可能にするやり方を思いつかない)」なんですが……。
「話を統一する気がありますか?」がshunsokuさんの問いであれば、shunsokuさんは「統一が可能である」と考えておられるのでしょうか?

 完全な統一が無理でも、ある程度共通するものを括り出せるなら、後から批判をする人がより楽に入ってこれるようにするとか、効率的にいろんな場所で教育する、といったことに使えると思います。
by apj (2009-04-18 23:54) 

Seagul-X

shunsoku さん、困りました。私には shunsoku さんの云われることがわかりません。
もちろん、日本語として文章の意味は取れます。でも、どうしてそんな話になってしまうのか、さっぱりわかりません。

私は、
>で、提案なんですが、
と書きました。この「提案」がどうして「要求」に変わってしまうのか理解できません。「お前の失敗をみんなにさらせ」というのは、私の提案を要約すればつまるところそのとおりなのでしょうが、失敗でも色々ありませんか?
「これは恥ずかしいから出したくないなぁ」「他人を巻き込んだ時のものでプライバシー絡みで出せないわ」とかいうのから、「これ、恥ずかしいけど、まぁ出してもいいか」とか「こんな失敗しちゃった、あはは」と気軽に出せるものとかまであるんじゃないでしょうか?

そういった個別の事情から出せる例と出せない例を判断できるのは shunsoku さんだけでしょうし、その結果まったく実例が出せなくなったのなら、それはそれで仕方がない(まぁ、実例が出せないのでは説得力は落ちるのも仕方がないですけれど)、そういう意味も込めて「出せ、という要求」ではなく「出してみたらいかがですか、という提案」として書いたつもりです。
ま、そこまで読んでいただけるとは必ずしも思ってはいなかったのですが、「提案」と書いた以上、出すかどうかは shunsoku さん次第、別に出したくなければ出さなくてもいいというところぐらいは汲んでいただけるものだと思っていました。

で、それがどうして「要求」に変わってしまうんでしょう?
でもって、私が尊敬の対象になるかどうか、なんて話になっちゃうんでしょう?
まぁ、私が尊敬の対象にならなくてもいっこうにかまいませんが。

というか、私ごときが尊敬の対象にならなくなったり、軽蔑されたりすれば失敗の実例を出してもらえる(で、その情報がみんなで共有できる)のなら、いくらでもしてください。
そりゃ私だって尊敬の対象にならないよりは、なるほうがいいに決まっています。でも、私は「提案」をしました。この「提案」が受け入れられ、shunsoku さんの失敗の実例がみんなの役に立つのなら、私にとっては他人に尊敬されるよりその方が価値があります。

shunsoku さんは「あなたのようなやり方が戦術的に間違っている」と書かれましたが、むしろ私としては「尊敬の対象にならないことで失敗の実例を出してもらえる」なら「戦術的には成功」だと考えますね。


まぁ上の話は余談として、どうして「提案」が「要求」に変わってしまったのか知りたいので、shunsoku さんがどう受け止め、どう考えたのか解説していただけないでしょうか?
それを知ることで、次は誤解されないように書く方法がみつかるかもしれません。それ以上に「納得いか〜ん」という気持ちにけりをつけたいというのが正直なところですが。

念のために書いておきますが、今回のも「要求」ではなくて「お願い」です。shunsoku さんが気が向いたらでかまいません。
「書きたくない」の一言でもかまいません。黙殺でも、それはそれで仕方ありません。
ですが、できれば解説をお願いします。

by Seagul-X (2009-04-19 00:02) 

shunsoku

ブログ主さんの言葉をよんだので、
余計なエクスキューズ抜きで書きます。

少し読み直して、落ち着きました。

 どうも、このエントリーに対する最初のリアクションの段階から、
用語の定義の問題が引きずられていたようです。


 最初の引っ掛かりとなった言葉は「言論」。

 ブログ主は「言葉遊び」の意味で使ったのではないのに、
勝手にそう判断して批判した人がいた訳ですね。

 それからapjさんが使った「現場」という言葉に私が引っかかりました。
apjさんは「言論の世界」と「現場」を対置していたわけですね。
理解はしましたが、勝手な用語法だと私は思います。
 何故「言論の世界」をそこまで狭く限定するのか、理解しかねます。
 ブログだって「言論の世界」の一部なんですが、
まさか「言葉遊び」だと考えて「ニセ科学」関係のブログを維持してる人は
ほとんどいないと思います。


 そして、「戦略」という用語です。

 勿論「戦略を使う」という言い方があることは私も認めますが、
適切な用語だとは思いません。
 「戦略」は「立てる」ものです。
 個別の局面で目的を達成することであれば「戦術」のほうが適切だと感じます。
 「戦略」はもっと大きな局面に使うのがふさわしい言葉でしょう。

 たとえば、
「ニセ科学を信じることはおろかだという共通認識を作る」ということを戦略目標として立てたとします。
その目標達成のために「学校教育で継続的に取り上げるようにする」というのが「戦略」にあたるという具合です。
 で、その戦略の一部として、たとえば「ある地域の小学校の『総合的な学習』の時間で必ず取り上げてもらうようにする」というのが戦術目標だとします。
 ならば、「学校で取り上げるようにその地域の教育委員会に署名で働きかける」というのが、戦術の例になります。

 「いや、そんな面倒な概念は使わない」という考えの人は、うかつに「戦略」という言葉は使わないほうが良いと思います。
 これは「言葉の定義」の問題ですから。「体積」とか「質量」とか、うかつに使ってはいけないのと同じですね。

 正直言って、「みんな、目の前のことをこなすだけで精一杯なのだなあ」と感じます。その上に「戦略を立てて行動」なんて、無理なのかなあ、と。
 私自身が精一杯の状況なんですが。


by shunsoku (2009-04-19 00:05) 

Seagul-X

私がコメントを書くのに時間がかかっているあいだに、むいみさんが適切なフォローを入れてくださりました。むいみさん、ありがとうございました。

私の「提案」の意図はむいみさんが書かれたとおりです。
でもって、上で書いたように無理強いはしないという意味で「提案」と書きました。
なので、shunsoku さんの反応にはまったくもって困惑しています。

by Seagul-X (2009-04-19 00:10) 

apj

 ところで、shunsokuさんのおっしゃる戦略とははどんなものでしょうか。


 私は次のようなことを考えて悩んでいます。
 特定のニセ科学言説のどれかを撲滅することを目標にしても意味がない。誰かを欺したい人や、情緒を優先して非合理を受け容れる人を根絶するのはまず無理だろう。すると、社会全体としてニセ科学に抵抗力をつけるといったあたりをめざすしかない。つまり、個別のニセ科学が出てきても大流行しなければいい、といった社会を作るのが現実的か。
方法1:ニセ科学の多くは財布を狙うので、とりしまりをもっと厳しくする→公取や消費者センターの予算と人手の確保かなぁ。
方法2:消費者庁ができるので、なんとかそっちに協力するような方向で動けないか?マルチ商法対策やってる議員さんはこの間知り合ったけど……。弁護士も居るけど……。
方法3:テレビ放映が血液型性格診断を煽ったりマイナスイオンを流行させたりしているなぁ。インチキ放映をとりしまれないか→言論と表現の自由が邪魔をするとか、検閲にたいする警戒が強くて、例の納豆ダイエット捏造事件でも大した処分はされてないし、テレビ局が反省したそぶりもない。インチキをやったら局がつぶれるくらいのペナルティを課さないとダメだが、総務省あたりと折衝?その前に議員に向かってロビー活動でもする?
方法4:取り締まる時点で被害発生だけど、本当に必要なのはひょっとして予防じゃない?じゃあ教育で何とかするしかないのかな。今の初等中等教育のカリキュラムはかなり手一杯だよなぁ。本当はわかってないのにわかったふりをする説明で納得しない、わからなさに耐えることを教えるとか、消費者は保守的でも損をしないということを教えるとかしないといけないのだけど……。
 何か、私が悩んでいることを解決しようとすると、もろに政治の世界に突入しそうです。どうしたものか……。
by apj (2009-04-19 00:15) 

apj

コメントを書いている間にshunsokuさんのコメントが上がっていたので補足です。
言葉の問題について。

 自分の所のコメント欄にも書きました(http://www.cml-office.org/archive/?logid=334#com7)が、「言論の自由」の「言論」の意味(これはshunsokuさんの解釈であると教えていただきました)で、このエントリーの「言論」を解釈した場合、私にはJudgementさんの問題提起の意味がとれなくなったため、狭く解釈して議論したのです。

 それから、目の前にニセ科学を持ち出されて、人間関係を気にしつつ対応しなければならない個別の人達に向かって「現場じゃない」と私が主張したように誤解されてる感があるのですが、そんなことは微塵も思っておりません。むしろ、目の前の人間関係を気にしながら、やっぱり欺されるのを食い止めたいという人達の力になりたいと思ってこれまでやってきました。この点はどうかご理解ください。
by apj (2009-04-19 00:23) 

PseuDoctor

こんばんは。

詳しく書く時間が取れなくてもどかしいのですが。

私は「戦略的目標を設定すべきかどうか」というテーマであれば(賛否はともかくとして)議論する価値はあると思います。
他の点はともかく、shunsokuさん(確かに憂鬱亭さんであれば私にも記憶はあります)が「戦略的目標」という言葉を出された事で、かなり腑に落ちる部分はありました。今のニセ科学批判には戦術的目標に基づいた勝利や敗北は存在するが、そもそも戦略的目標が存在しない、という指摘であれば、耳を傾けるべきところかもしれません。

ただし、個人的には、これはニセ科学批判の枠組みそのものに関わる内容になると思っていますので、容易には結論は出せません。下手をすれば、それこそこれまでの議論の蒸し返しになってしまうかもしれませんし。

そして「どのような目標を設定すべきか」「そもそも戦略目標が設定可能かどうか」というのはその次の段階の議論だとも思っています(勿論、他の方が議論するのを妨げるものではありませんし、それほど議論しなくても「戦略的目標を設定すべき」というコンセンサスが得られるのであれば、それはそれで良い事だと思っているのですが)。
by PseuDoctor (2009-04-19 00:44) 

shunsoku

まだ、他人のブログに安定して書き込める状況ではないのだなあ、
と改めて自覚しました。

場所も皆さんの気持ちも荒らすだけ荒らして、すみません。

>SeaGul-Xさん

 「提案」だというのは、ついさっき理解しました。
 しかし、私個人宛の「提案」でしたよね?失敗例を探すなら、みんなへの提案でも良かったはずですよね?
 そこに悪意をはっきりと感じました。

>そこまで読んでいただけるとは必ずしも思ってはいなかったのですが

はあ、「勝手にさらすなら、さらせば良いや」と思っていた、ということですね。
少なくともあまり好意的な文章とは読めませんでしたし、あなたにもそういう自覚はあった、ということですね。
 いまさら「何故だかわからない」なんて振りはしなくて良いですよ。
あなたのちょっとした悪意を私が増幅して感じただけですから。


>むいみさん

以上のような事情で、やっぱりみんなに対する提案じゃなかったんですよ。
「要求」ではなかったけれど、単なる「提案」でもなかったんです。

>miya-h さん

 同業の方からのことば、身に沁みました。
 仕事について以来、職場や飲み会や教室で、今からくくれば「ニセ科学批判」に当たるようなことを延々と繰り返してきたのですが、
それこそ「私自身の魅力と人徳のなさで受け入れてはもらえないのだなあ」
と悲観的になっています。

(以下、愚痴です、すみません。

ああ、だんだん私自身の物言いがブログ主さんの批判対象に似てきているなあ。
軍事オタクとかは、ここにはあまりコメントしないんだろうなあ。
「戦略」とか「戦術」とか、あまり気にしない人が多いんだろうなあ。

さっき書いたコメントとぜんぜんテンションが違っているなあ。

「孤立無援」と勝手に思い込む状況って、こういうものなんだろうなあ。)

>apjさん

 あなたの善意を、疑ったことはありません。
 ただ、配慮不足や言葉足らず、歴史や社会への興味不足が気になっているのです。
 「ニセ科学」って、政治なんだと私はずっと思ってきました。科学を偽装したさまざまな差別とか、欺瞞とか。
 戦略的に行動しようとすれば、政治活動になるのは避けられないと思います。共闘することが難しい理由の一つですね。日本では、政治活動をするのは一部の偏った人、というイメージが色濃く残ってます。また、教員の政治的な発言や行動は、批判を受けやすいですから。
by shunsoku (2009-04-19 01:24) 

apj

shunsokuさん、

> ただ、配慮不足や言葉足らず、歴史や社会への興味不足が気になっているのです。

 他人のことを言えた義理じゃないと思います。
 社会への興味については反論しておきます。浄水器関係の批判の継続のために、進歩は遅いですが法学の勉強だけは、基本書を読むといったところから継続してやっております。社会学と歴史学については、法学が関連する部分以外に興味は無いですけど。


> 戦略的に行動しようとすれば、政治活動になるのは避けられないと思います。共闘することが難しい理由の一つですね。日本では、政治活動をするのは一部の偏った人、というイメージが色濃く残ってます。また、教員の政治的な発言や行動は、批判を受けやすいですから。

 そうです。政治活動にもつれ込んでしまうと、Aという政治集団が「反ニセ科学」と「別の政治的主張X」を持っていた場合、Aと組んだら、関係のない「別の政治的主張X」に賛成の立場だと見做され、今度は、「反・別の政治的主張X」を掲げる政治集団Bと対立する、といったことになりかねません。無用な対立に巻き込まれることによるリソースの浪費は、ばかにならないと思います。このへんの誤解に基づく批判は、ニセ科学批判の態度が気に入らないとか周囲が引くといった批判どころではないでしょうし。
 個別の政党とは距離を置きながら、条文を変える提案を出す、といった方向しか無いかもしれません。
 例えば、景表法で網を掛けられるのは一般消費者だけで事業者が抜けているが、個人営業の事業者が事業(つまり専門)ではないニセ科学ネタを伴ってインチキ製品を売りつけられるといったケースや、組合が売りつけられる(でも実際は専門家が居ないので個人を欺すのと難易度はあまり変わらない)ケースを救済するように条文を変えろとか、そういう、もっと実務に効く部分でできることが無いか探していくことになるんでしょうかね。
 ある思想の発表自体を禁止するのは、それこそ言論と表現の自由の侵害になるから、制度としては作れませんし。宣伝に限って、とか、思想内容を知ることにかかる費用以上の財産的被害を発生させることを防ぐ、といったあたりを狙うしかないかも。
by apj (2009-04-19 01:58) 

apj

微妙に訂正。景表法の4条の話です。
×網を掛けられるのは一般消費者だけ
○網を掛けられるのは一般消費者相手に販売する場合だけ


 いずれにしても、○○法の何条を変えろとか何条の2をこう入れろ、といった話になるので、現実にどんなケースが救済されるのかとか、何に対する歯止めになるのかを考えないと先に進まないでしょう。文言を決めるのは官僚がやるとしても、その必要性を具体的に出すのは提案する側の仕事になりますし。

 景表法や特商法の条文と運用ガイドラインは、ニセ科学関連の話題でもよく資料として使っています。立証責任をだれに負わせるかという条文一つで、とこまで摘発できるかが大違いなのです。政治……というよりも政策の動きとリンクした形でのニセ科学に対する批判、というのであれば既にやっています。「排除命令にみるニセ科学」みたいなのをちゃんと書こうと企画しているのですが(でもって、法の適用と科学の判断が重なる部分と違う部分についても議論したいと思っているのですが)手が回ってません。
by apj (2009-04-19 02:15) 

shunsoku

>apjさん

 すみません、私のこれまでのいろんな言葉に配慮が足りなかったことは事実です。

 >社会学と歴史学については、法学が関連する部分以外に興味は無いですけど。

 「社会」や「歴史」は、「社会学」や「歴史学」とは意味する内容がずれます。1970年前後にこの国の中で起きたことは、「歴史学」の研究材料にするには、一般的にはまだ近過ぎます。でも、現在のことでもないので、調べる手法は歴史学のものを援用すると思います。
 いずれにしても、詳しく知らない部分に言及するときは、できる範囲で勉強してからのほうが良いですよね。(私自身の話でもあります)

by shunsoku (2009-04-19 07:36) 

zorori

局所的な反応ですが、エントリーの趣旨(陰湿な戦略)に関係すると思うので、

> 「科学的な根拠を示してもだめ」「感情に訴えてもだめ」というのが、目下のところの「血液型別性格判断」に関する私

の経験です。
 もっと言えば、「人間として尊敬され、かつ、親しみやすい、と相手が感じていないなら、その人への科学的な説得は成

功しにくい」ということが、私の経験から言える話ですね。

事実はまさにその通りなのですが、科学的根拠を示すしかないというのが私の意見です。粘り強く、永遠にです。

ニセ科学に騙され被害を受けたり社会的偏見が生じたりしている状況で、「人間としてして尊敬され」るためには、「科学

的根拠を示して」、ニセ科学を摘発するしかないと思います。ニセ科学批判の分野で「科学的根拠を示さずに」得られた「

尊敬」ってなんだろうと思います。いわゆる権威への尊敬みたいなものでしょうか。

例えば、「時計仕掛けのオレンジ」に出てきたような方法で犯罪者の洗脳を行うのが、犯罪を無くすという目標に最も効果

的な戦略かもしれません。個別の犯罪を取り締まるというようなイタチごっこをしても犯罪はなくなりません。期間が限定

された戦争というような場合は、最終的に勝利を得るためのこのような「戦略」が必須だろうと思います。局地の戦闘では

負けるという(当然、犠牲者を出すことになります)戦術的失敗をわざと行うという非情さもありうるわけですね。という

か、戦争の選択をしたこと自体が非情になっているわけですか。

しかし、日常的に続く社会生活ではこのような「戦略」を採ってはいけないと私は考えます。さらに言えば「戦略目標」よ

り、「戦術目標」が重要なのではなかろうかと言う気がします。「戦略目標」は達成できないのですよ。

戦略目標:ニセ科学撲滅
戦術目標:個別のニセ科学の非科学性を指摘

人々が科学的考え方をせずに、ニセ科学の非科学性を理解していなくても、ニセ科学を撲滅する方法はあるかも知れません

が、たとえ個別のニセ科学さえ潰すことができなくても、その非科学性と害悪を理解してくれる人が増えればその方が良い

と思います。ニセ科学は無くならないと思います。ずっと付き合っていかなければならないんですよ。科学的根拠を示して

もニセ科学には通じないからといって、騙されかかっている人に科学的根拠を示さなかったり、自分自身までもが科学的思

考を捨て去ったりしては、悪魔に魂を売っているようなものではないかと。
by zorori (2009-04-19 08:33) 

Seagul-X

shunsoku さん、やっぱりわかりません。shunsoku さんが
>いまさら「何故だかわからない」なんて振りはしなくて良いですよ。
と書かれても、わからないものはわからないです。どうしてそうなるかなぁ。

元々の私のコメントは、
1) 実例がないと shunsoku の主張(批判)の効果(説得力)が薄いよね
2) 「効果的な実例」を出せないなら「効果的でなかった実例」でもいいんじゃない?
3) その経験を(shunsoku さんだけでなく)みんなが共有して、これからの役に立てればなおラッキー

ってことですよ。1) と 2) を無視して、3) だけから「悪意」を読み取られてもねぇ。
みんなへの提案、ってことなら 4) のステップになりますけど、そこまで考えないでもなかったんですが、省略しました。別に悪意から省略したわけじゃなくて、単純に長くなるから。shunsoku さんの例が役に立ったら、それから「ほら、失敗例でも役に立ちますからみんなで出し合いましょう(役に立った実例もできたし)」っていっても遅くないだろう、ってだけです。

文章を書く時に考えたことを全部入れるわけじゃなくて、実際、考えたこと、思ったことの 1/10 も書いてません。頭の中で省略したこともあるし、文章に書いてから削ったこともある(逆に書き足すこともありますが)。「これを伝える(強調する)ために今回はこれは削っておこう」とか、「これは書くと長くなりそうだから省略。まあ書かなくても大意は伝わるだろうし」とか、これまたいろいろ考えながら盛り込む内容を絞り込んでいくんです。shunsoku さんはそうじゃないんですか?

ついでに書いておくと、最初のコメントを書いた時に省略したもののなかには「別に shunsoku 自身の体験でなくてもいい。ネットとかで端から見ていた失敗例でもいいんじゃないか」ってのがあります。これも削ったのは悪意からと思われるかもしれないので補足しておくと、そういうのは他の誰かももう見ていて自分の参考にしている可能性もあったので、あえて shunsoku さんの体験に絞ったんです。
でも、客観的な事象は他のひとが見ていてもそこから考えたこと、得たものは shunsoku さん独自のものかもしれない(というのは今思いついた)ので shunsoku さん自身が「失敗例は自分自身の体験じゃなくてもいい?」って逆提案するっていう方法もあったんですよ。
でも、shunsoku さんはそうせずに、私のコメントから悪意を読み取っちゃったわけで。

>そこまで読んでいただけるとは必ずしも思ってはいなかったのですが
だって「勝手にさらすなら、さらせば良いや」じゃなくて、単純に「そこまで読み取れなくても提案ってことがわかれば(例を出すか出さないかは任意だってことは伝わるから)充分だろう」っていうだけです。

私に対してではないんですが、shunsoku さん自身が
>言葉尻を捕らえて、批判者を批判して、正しいことを言ったつもりになり、発言者の背景を無視するような態度です。
と書いているわけで、それなら他人の主張だってちゃんと流れの中で捉えてくださいよ、といいたいです。
正直、このやりとりで私は shunsoku さんに「勝手に誤解して、勝手に怒って、勝手に絶望して、勝手に断じるひとだなぁ」と思いました。最初は思ってなかったんですけどね。shunsoku さんのいう「悪意」は結果的に植え付けられたみたいです、shunsoku さん自身によって。

そういうわけで、そろそろ「悪意」なしで shunsoku さんと言葉を交わすことが難しくなってきたので、この辺で撤退します。結局 shunsoku さんがどうして私の発言をそう捉えるか、っていうところで納得がいかずにモヤモヤしたところはのこっちゃいましたが、これ以上続けても当初の「提案」の意図は達せられないでしょうし。
みなさん、どうもお騒がせしました。
ただ私の書いたことって、そんなに意味のとりにくいものだったですかね?その辺、他のみなさんがどう受け取ったかは(今後のために)少し気になります。

by Seagul-X (2009-04-19 09:08) 

disraff

shunsokuさんが、最初のコメントに見えた「行政のサービスに不満を述べる納税者」のようなスタンスではないことを理解しました。
失礼の段をお詫びします。

> Seagul-Xさん

僕に一部賛成、みたいに書かれたことが、あるいは悪影響したかも知れませんね。すみません。
by disraff (2009-04-19 09:23) 

エディ

こんにちは。横から失礼します。

>Seagul-X さん

こことapj さんとこのコメント欄
http://www.cml-office.org/archive/?logid=334#comments
を見ると、
>「勝手に誤解して、勝手に怒って、勝手に絶望して、勝手に断じるひとだなぁ」
という印象にならざるを得ないと私も感じました。shunsoku さんには失礼かと存じますが。
by エディ (2009-04-19 11:08) 

TAKESAN

今日は。

>Seagul-X さん

▼引   用▼
ただ私の書いたことって、そんなに意味のとりにくいものだったですかね?
▲引用終わり▲
いえ、全く明快だったと思います。しかも、相当気を遣った表現でしたよね。
by TAKESAN (2009-04-19 12:29) 

shunsoku

やられてみて初めて分かりますが、
けっこうこの「つるし上げ」、威力ありますよ。

途中から「横レス」とかいって尻馬に乗る人もやはりいますし。

で、皆さん、「戦略」の話は、先送りですね。
少なくともapjさんとzororiさんの見解は違っているように見えますが。
「仲間内だから議論しないんだな」と感じます。

「勝手に」納得するとまた批判されるので、聞きますが、
皆さん同士で議論はしないんですか?

ああ、この言い方だと「勝手にいろいろしてると認めた」とか書かれますね。
まったく論理的ではありませんが、袋叩きに懲りたので、「「勝手に~」という話は認めません。


>disraffさん

あなたのことは、別の人にコメントしているときはまったく念頭にありませんでした。過大な自己評価はやめてください。
一方で「野次馬である私はたいしたことない」みたいなことを書きながら、他方では自己評価が高いんですね。

>SeaGul-Xさん

 「要求」という言葉を持ち出したのは私ではなくあなたですよね。
「文脈で読め」とのことですが、
 私の中の文脈では「その主張をしたいんなら、お前の失敗談をだして見せろよ」という内容に読みました。私が「主張を取り下げずに、なお且つ自己の失敗談を見せない」というのは、根拠なく主張を続けているように読めますよね。
 つまり、主張を取り下げるか、失敗談をだすか、スルーして批判を受けるか、の3択をあなたは提示しているように私は受け取りました。
 主張を取り下げるつもりはあの時点ではなかったので、失敗談をだしました。
 説明は以上ですが、納得していただけたでしょうか?
(ああ、本当に某氏に似た物言いになっています)

>皆さん

 これ以上の袋叩きに遭うのは、私の神経が持ちそうにないので、
このエントリーへのコメントは、たぶんこれが最後になります。

 自覚がないとしたら処置なしなのですが、
皆さん「党派性」丸出しに見えますよ。
「論理的正しさを重んじる」という「党派性」があるのは自覚しますよね?
 それだけでなく、敵味方識別も働いてますよ。
少なくとも「仲間内」(と相手方である私から感じられる人)の批判の「応酬」は発生しませんでしたよね。(読み返してください)

 「いや、これは党派じゃない」なんていうのなら、それこそ無知丸出しですよ。あることに対して共通の見解をとって共同の行動をするなら、それは「党派」ですよね。
 確認しますが、「法律的定義の党派だ」なんていう逃げは、なしですよ。社会的な用語のすべてを法律解釈の用語で説明するのは、おかしいでしょう。

 もしかして、皆さんすべてが、政治や社会は、法律に関係する以外のことは興味ない人ですか?
 こういう用語に関する話も、皆さん同士の「応酬」にはなりませんでしたね。

 いつもの私の論法ならば、ここで善人ぶって話をまとめて退くところですが、今回ばかりはそれもできないほどに完膚なきまでに打ちのめされています。

「ここまで党派性・排他性が強い集団だとは知らなかった」
「ニセ科学批判者にかかわるのは当分は遠慮しよう」
という言葉を捨て台詞にしましょう。

で、
このあと誰かが敵味方認定をした文章をアップして、
めでたしめでたし

ですよね。
by shunsoku (2009-04-19 19:48) 

zorori

>「仲間内だから議論しないんだな」と感じます。

ああ、これは完全な事実誤認です。

私は「ウンだ、ウンだ、オラもそう思う」というコメントはあまりしないようにしています。異論を述べるのが基本です。でなきゃ、面白くないでしょう。
最終的に「そうですね」となったりはしますが。

by zorori (2009-04-19 20:20) 

disraff

まぁ、なんというか…。
僕はどうにも「身の程知らず」が嫌いなのですが、そういう気配を感じると抑制が効きづらくなる傾向があるようです…ということが、改めて自覚できました。

by disraff (2009-04-19 20:29) 

PseuDoctor

私の
2009-04-19 00:44
のコメントには反応が無かったですね。ちょっと悲しいです。

まあ、終わりと仰るならそれでも構いません。
前回の繰り返しになりますが、少なくとも私は「戦略的目標を設定すべきかどうか」を検討すべき問題として認識しています。
ただ、簡単に結論の出せる問題ではないとも思っています。
by PseuDoctor (2009-04-19 21:03) 

NO NAME

shunsoku さん、大丈夫ですか?
余裕が無さ過ぎです。

勝ち/負けの二分法は有効かな?
抑止力が機能してると思うけどな。

どうして悪意でとらえるかな?
建設的応援だと思うけどな。

戦略は統制する必要があるのかな?
個別問題で機能してる人がいるけどな。

もう少し休養なさっては?
悪意でなく、応援です。
by NO NAME (2009-04-19 21:04) 

apj

shunsokuさん、

>「仲間内だから議論しないんだな」と感じます。

 ニセ科学撲滅という戦略目標を立てても達成できない、というzororiさんの意見と、私も同意見です。ですから、私は、ニセ科学が出てきても大流行はしないような社会を作るといったあたりが戦略目標になるのでは、ということを書きました。
 ここでもし、zororiさんが「撲滅が無理なのはもちろんだけど、大流行はしないような社会を作るという目標もやっぱり無理だから達成できない目標を立てても意味ないんじゃない?」と主張すれば、その先はzororiさんと私の議論になります。

>で、皆さん、「戦略」の話は、先送りですね。

 先送りも何も、私は、2009-04-19 00:15のところで、

>ところで、shunsokuさんのおっしゃる戦略とははどんなものでしょうか。

とお伺いしています。そのすぐ後で、PseuDoctorさん (2009-04-19 00:44)が、

>私は「戦略的目標を設定すべきかどうか」というテーマであれば(賛否はともかくとして)議論する価値はあると思います。

と書いています。つまり、私は、戦略の例としてどんなものがあるかということを出してほしいと書き、PseuDoctorさんは戦略目標を設定するかどうかを議論することに価値があるとはっきり書いたわけです。
 そうであるなら、次の議論は、
(1)shunsokuさんがたたき台になる「戦略」を示す。それについて、そのままでいけるか、一部修正するべきか、全く無理なのか、みんなで考える。
(2)shunsokuさんが、「戦略」を共有するとこんな効果が期待でき、その場合のデメリットにはこんなものがある、といった説明をする。
といったものを期待することになります。

 しかし、shunsokuさんは戦略が必要だということだけを言いっぱなしで、何も具体的な話をしてくれません。後は、党派性を感じるだの仲間内だから批判しないだのといった愚痴ばっかり。これでは、話が先に進むはずもありません。

 そもそも、shunsokuさんが戦略云々を言い出した理由も私にはわからないんです。血液型性格診断を信じている人の説得に失敗したということが書かれていましたが、それだけでは情報が足りなさすぎてわけがわかりません。
 何をどうやったらどんな形で失敗し、その失敗の原因は戦術の失敗じゃなくて戦略の問題(特に戦略がまだ無いことが問題)だ、といったことを、まずはわかるように説明してもらわないと、何から考えていいのかがわからないんです。

>「論理的正しさを重んじる」という「党派性」があるのは自覚しますよね?

 「党派性」以前の問題として、話に論理性が伴わないと、そもそもお互いの話が通じないんですよ。何せ、ネットという場所で、お互い顔見知りでもない相手と、文字だけでやりとりするわけです。お互いが顔見知りで付き合いも長く、パーソナリティを熟知していれば、多少論理性を欠いても、きっとこんなことをいいたいのだろうと想像することができますけど、ここで議論している人達は多分そういう間柄じゃない(少なくとも私にとっては)。論理性を欠いたら意思疎通そのものが不可能になります。もちろん、論理的に正しいことと主張が正しいことは別ですから、「論理的に正しいので言いたいことは理解できたが同意はできない」という場合もあるわけですけど。
by apj (2009-04-19 22:46) 

apj

 悪徳商法マニアックス というサイトがありまして、そこの会議室では、悪徳商法についての相談が書き込まれ、「レス屋」と呼ばれる常連さんが被害者に回答したりしています。数年間、そこで常連として、いつも大変的確なアドバイスをするレス屋をしていた「ものつくり屋」さんという方がいます。その人が「レス屋の心得」というスレを立てたんですね。
http://archives.a902.net/akutoku/qa/2004/pslg115986.html#115986
この中の[116062]にこんなことが書かれています。

------------------------------------------------
一番最初に「レス屋」と書いたのは、特商法以前で内職商法の被害者の方と
お話していた時だと思います。「弁護士に頼めばなんとかなりますよ」と、
いろいろとご説明したけど「大変そうなので諦めます」という書き込みをさ
れたのに対して「レス屋の愚痴としてお読みください」みたいな事を書いた
んですね。その時期、私はある種の苦しみを感じながら書いていたんですね。
なんて言いますか「現実には何の手伝いも出来ない。ここで言葉を幾ら駆使
しても限界はある。」という意識による「何やってんだろう」と何もかも投
げ出したくなるような感覚です。ですから、その時に書いた「レス屋」とい
う表現は、「レスする以外の何の役にもたたないもの」という意味合いが強
かったんです。

でもって、レス屋という言葉こそ使わなかったと思いますが、「レス屋」と
いう言い方に変化が起こる一つの書き込みがあったと思います。それは、「
蟻が一粒の砂を運ぶように」という発言でした。やはり誰とのやりとりかも
忘れましたが、「悪徳商法は浜の真砂じゃないけど次から次へと出てくるよ
ね」みたいな発言に対して、「自分たちができることは、パワーシャベルで
砂浜を消し去ることじゃあないんだ。蟻が一粒ずつ砂を運んでいるみたいに
目の前の一つの書き込みを懲りずに飽きずに続ける事だ。確実にその一粒は
砂浜には無くなるんだから。」みたいな事を書いたと思います。おわかりか
と思いますが、これは、ほとんど「自分に向けた書き込み」なんです。「掲
示板で語ることだけで、実際には何も出来ない自分」へのいらだちと「なに
やってんだ」という投げ出したくなる思い。それを吹っ切るために書いたよ
うな言葉なんですね(笑)。

「蟻の一粒」というのは私自身が苦しく成るたびに何度か書いてきました。
そして、そのたびに「自分も運ぶよ」という人の書き込みに励まされた訳で
す。でもって、そうやって励まされる事を繰り返すうちに私の中でなんだか
変な意識が起こるわけです。つまり、「自分も運ぶよ」という励ましに対し
て何かお手伝いするべきだという意識ですね。「蟻がうまく運べるように手
伝う」なんていう変な意識ですね(笑)。
------------------------------------------------

 ニセ科学に対する批判も、この「蟻の一粒」をやっている面があると思います。
 パワーショベルを開発しようと考えることがあってもいいし、試してみたっていいんだけど、できるとは限らないです。できれば便利だろうけど。
by apj (2009-04-19 23:12) 

Seagul-X

撤退宣言した後なんですが、事実誤認は正しておきたいので。

shunsoku さん、

>「要求」という言葉を持ち出したのは私ではなくあなたですよね。

違います。shunsoku が

>で、「お前の失敗をさらせ」と親しくもない人に要求する人(あなたのことです)は、当然、相手の尊敬の対象にはなりません。

と書いたのが先です。
他人の発言をちゃんと読まないばかりか、自分の書いたことも覚えていられないなんて…(激しく脱力)
てか、自分が書いたことを忘れていても、コメント読み返せばちゃんと書いてありますよね。shunsoku さんはその手間すら惜しむひとだと思ってもいいですかね?

by Seagul-X (2009-04-19 23:42) 

Seagul-X

失礼、

>違います。shunsoku が

「さん」を入れ忘れました。(名前のところはうち間違えないようにコピー&ペーストで入れているので)

>違います。shunsoku さんが

が正しいです。もうしわけありません。

by Seagul-X (2009-04-19 23:45) 

エディ

>shunsoku さん
ここもapjさんのところでもそうですが、



 頭  を  冷  や  せ



ということですよ。
by エディ (2009-04-20 00:24) 

Judgement

えっと...理由をここで述べないで相手に対する感想だけを述べるの禁止にします。
(理由を述べながらなら罵倒してもOKデス)

あと、「失礼」禁止ですよ~。


by Judgement (2009-04-20 00:59) 

案外常識人

再度、おじゃまします。
私のような一般人には、何か非常~にモノ申しにくい雰囲気がありますが、
ここはあえてKYで行かせていただきます^^;
お手柔らかにお願いしますね。

突然ですが。
私は教育現場にいますので、こんなたとえ話になってしまうことをお許しください。

いじめは、子どもに深い傷(ときにはとりかえしのつかない)を残します。
ですから、個々のケースに真剣に取り組むのはもちろん、同時に「いじめはいけない」という信念のある社会をつくらなければならない、と考えています。

一方で、「いじめかそうでないか」の線引きには、ときに非常に難しいものがあります。
どうです、ちょっと「ニセ科学」に似ていないでしょうか?

しかしです。
いじめ蔓延防止に貢献している
 「いじめ批判者」
というのを、私は見たことがありません。
(ただし、あるいじめを解決するために、「一時的に」あえて厳しく批判することはあるでしょうし、裁判などの話になればもちろん別です。)

いじめは許せない、にもかかわらず、なぜ「いじめ批判者」と呼ばれる存在はいないのか。
それは、批判という「手段」にこだわってしまうと、本来の目的を見失ってしまうから、ではないでしょうか。

「いじめは有害だから批判すべきだ・批判せずにはいられない。だから私は批判する。」
「いじめ批判より効果的ないじめ蔓延防止策があるなら出してみろ」
なんていう教育者に、いじめを減らせるとは、私には思えないのです。

見当違いな話だったらすみません。

勇気を振り絞って、転送!じゃない、送信!!
by 案外常識人 (2009-04-20 01:53) 

apj

案外常識人さん、

 おっしゃること、参考になります。

 「いじめ」の例ですか。
 私も、かれこれ1年、自分の職場で、学科教員十数人によって全く謂われのないキャンパスハラスメントの濡れ衣を集団で着せられて、手続を践んでの反撃の真っ最中(下手すりゃ半年以内に職場の同僚相手に甲乙の仲、って可能性もある)をやっていまして、確かに「批判」どころじゃ済まない事態になってます。刑事も民事も学内規則も動員し、相手の非を立証するための証拠をかき集めているという状態で……。
 まあ、大人が絡むと相当激しい紛争まで手加減無しで突っ込むわけですが、小中学生あたりのいじめだと、批判というよりも、その場で止めるとか、相手がどう感じるか考えてごらんといった感じで諭したりするんでしょうね。人がお互い違うのが当たり前だとか、趣味や性格が違うのも当たり前だから、無理に親しくせず、かといって協力不可能なほど離れることもないような距離で付き合えばいい、といったことを教えるのも対策になりそうですよね。

 ちょっと前置きが長くなったのですがここからが本題です。

 そういえば、「ニセ科学批判」って誰が言い出したのかがよくわからないんですよね。多分私じゃないですし、きくちさんでもないんじゃないかな。「ニセ科学」はきくちさんが最初に使い始めて私も賛同してその後広まったんですけど。確か、松山の物理学会のシンポジウムをやったあたりからだったかと。

 確かに「批判」というのは手段・行為の1つを指す言葉ですよね。

 私がやりたいことは、「ニセ科学蔓延防止対策」なんですよ。多分、これまで「批判」をしてきた他の人達も、めざすことが「防止対策」だというのは、多少の表現の違いがあっても、同意してもらえるんじゃないかと思います。
 すると、「批判」することは手段の1つに過ぎなくなります。「批判」の中身をブラッシュアップする人、誰かがこさえた「批判」をかみくだいて広める人、批判するよりも理科に親しんでもらうことで抑止力にしようと考える人、いろいろやり方がありそうですよね。

 これは私の印象なので、間違っているかもしれないのですけど、「ニセ科学批判」とか「ニセ科学批判者」という名称は、多分、メタな議論や「批判批判」をやろうとした人達が先にこういう単語で括ったのかな、とも思います。それに乗っかって「ニセ科学批判」という単語を使い始めたので、ちょっと範囲が狭くなりすぎたようにも思います。

 そう考えると、私が一般向けニセ科学対策として話をしている内容は、必ずしも批判だけじゃないんですよね。たとえば、「いろんな健康法やダイエット法が宣伝されていますよね。この30年ほど毎年こんなのが流行って(と資料を示し)、でもどれも生き残ってないんですよ。本当に効果がある方法なら、実行する人が増えて、月日が経ってもちゃんと残るはずだからね。だから、何か新しい方法グッズがテレビで紹介されても、実行するのは1年待ちなさい。1年待って、友人知人がこぞってまだやっていて効果も上がっているのを見てから始めればいいんですよ。グッズだったら、みんなが買うようになると、より便利に安くなるものだからね。後から買う方が消費者としてはお買い得なんですよ。慌てて飛びつかなくたって、消費者は決して損をしませんからね。後から買おうとしてどこにも売ってないようなグッズは、効果が無くて消えたってことだから、買わなくてよかったんですよ。」などと話をするわけです。
 知識の勝負に持ち込んで健康法のニセ科学性を指摘するのも1つの方法なのだけど、結局そういう商売は「慌ててこれを買わないと病気になるなど怖いことが起きる」という形で不安を煽るものなので、ニセの「不安」の方に対策を講じることができれば、科学的理解が伴わなくても、安全側に振った行動が可能になるわけです。で、これでも対策としては足りてるんですよ。
by apj (2009-04-20 03:57) 

zorori

案外常識人 さん、おはようございます。

教育現場のいじめ対策と、ニセ科学対策は違う面があるのではないでしょうか。大人社会のいじめ対策に似ているかもしれません。

とりあえず大人を対象にした議論に絞った方が混乱しないと思います。簡単には割り切れない面もあるとも思いますが。
by zorori (2009-04-20 07:11) 

Seagul-X

ああ、なるほど、投稿内容云々ではなくて「失礼」が禁止なんですね。
「さん」入れ忘れってのは長文投稿とか連続投稿とかと違う種類のことなんで、対象外かと思ってました。
趣旨が汲み取れず、どうも失…すみませんでした。

by Seagul-X (2009-04-20 09:27) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。

新しいエントリの方には「負け戦論」なんて書いて起きましたが、むしろ現状はヴィシー政権下のフランス国民という方が近いかも知れませんね。

とりあえずwikipediaから引用しますと
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コラボラシオン(対独協力) [編集]
多くのフランス人は、積極的・または消極的にヴィシー政府の統治を受け入れた。一部の人々は積極的なコラボラシオン(対独協力)の姿勢をとり、それ以外の多くの人々はヴィシー政府下の平穏を受け入れて沈黙を続けた。その一方で、少数ながらレジスタンス運動を始める動きもあったが、本格的なレジスタンス運動が見られるのは戦況がドイツにとって不利になり始めてからである。

ヴィシー政府下での対独協力は、政治・経済・文化面の多岐に及んだ。反ユダヤ主義が広がる中で「ユダヤ人狩り」が行われ、強制収容所への輸送も担った。ドイツ軍の占領費を支出したほか、安価にフランスの資源をドイツに提供した。ドイツ軍将校の愛人となったココ・シャネルなど親ドイツ的な文化人も増加し、ヴィシー政府の統治やドイツの占領政策を支えることになった。軍事的には公式な協力はなかったものの、自発的な民兵団のなかにはドイツの武装親衛隊に組み込まれるものもあった。
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我々ニセ科学批判者がニセ科学の蔓延による悪徳商法系被害について言及しても、所詮は、ユダヤ系でないフランスの市民が「対独協力」をやめたりしないのと同じでして、社会は既にニセ科学の制圧下にあり、儲け主義による「ニセ科学万歳!」という傀儡政権はできており、普通の市民にとって敗残兵に過ぎないニセ科学批判者にシンパシーを寄せるよりも、ニセ科学を褒め称える方がよほど現実的であるわけです。

或る意味で、judgementさんご自身は「自分はパルチザンより」と思っておられるかも知れないけど、現実におやりになっているのは、コラボラシオンそのものなんですね。それは当然でして、judgementさんは市民全体が向く方向に逆らうべきでは無いと考えておられる訳で、市民は「ニセ科学の半円万歳」方向に向いている訳ですから、パルチザン退治こそが、市民の方向性に向いている事になるんです。

by 技術開発者 (2009-04-20 13:58) 

apj

 ちょいと情緒的なことを書いておきますね。ほとんどshunsokuさんへの私信です。
 また、私の勝手な推測・憶測・想像を含んでいるので、外れていたらお詫びします。

 何となく、今回のshunsokuさんの一連の書き込みって、shunsokuさんの「心が折れた」のが背景にあったのかな、という気がしてきています。

 個人レベルでのニセ科学への対応は決して恰好良いものにはならないんですよね。技術開発者さんがおっしゃっているように、ぼろ負け状態からのスタートですから。ニセ科学が身近に出てくる度にどうにかしようと気まずいのを我慢して説得したって、なかなか受け容れてもらえない。マスコミ経由で変な話は一気に広がるのに比べて、膝詰め談判で説得するのは困難を極めたりする……まさに「蟻の一粒」をやっているわけです。
 shunsokuさんの書き込みを見ていると、何回もそういう説得をして失敗をして、無力感に打ちのめされてもう個人じゃどうにもならんから戦略を、って言い出したように見えます。だから、私がjudgementさんに対して使った「現場」という言葉にも過剰なまでに反応し、「自分トコだって現場だだだっ!」という怒濤の書き込みがここでもウチでも行われたんじゃないですかね。

 顔見知りなら、メシでも一緒に食べながら、とか、焼鳥屋で一杯やりながら愚痴をきく、という対応もありなんですが、残念ながらここはネットですから、言葉だけで、しかもある程度論理性を優先してのコミュニケーションしかできません。

 だから、もし、shunsokuさんの心が折れたんなら、暫く休んでてくださいね、とだけ書いておきます。誰だって、いつもいつもそうそう頑張ってばかりはいられませんし。無理に対話をさせようとか、そういうことは考えていません。ただ、私は、shunsokuさんの正義感を疑ってはいないし、一時的に嫌になることがあっても、それをずっと続けるのもまたストレスになることもあるんじゃないのかな、と思ったりもします。shunsokuさんなりのペースを取り戻していただけることを願っています。

by apj (2009-04-22 00:56) 

技術開発者

こんにちは、皆さん。apjさんに先に情緒的な事を書かれちゃいましたね(笑)。

あちこちで、ヴィシー政府下のフランス国民のコラボラシオンみたいなもんだよと書いたら、「それは違うだろう」みたいな反応が結構来たのね。「皆さん自分の理性に相当自信があるんだなぁ~」というのが感想ね。なんていうかな、最初は強制だろうがなんだろうが、「多数の共通認識」ができあがってしまうと、そうそう簡単なものじゃないのね。ヴィシー政権下でコラボラシオンしたり沈黙していたフランス国民だって、その時代は「自分たちのヴィシー政権をもり立てて、対独協力する」のが多数派なら或る意味「心から親独的」になる部分があるということね。もちろん、解放されれば「あの時代だから仕方なかったんだ、心の底では違ったんだ」ってみんな言うけどね(笑)。

>ニセ科学が身近に出てくる度にどうにかしようと気まずいのを我慢して説得したって、なかなか受け容れてもらえない。マスコミ経由で変な話は一気に広がるのに比べて、膝詰め談判で説得するのは困難を極めたりする……まさに「蟻の一粒」をやっているわけです

そう、そういうのが当たり前なんだと思わなきゃやってられないものなんです。私もマイナスイオン批判をはじめた当初はずいぶんとまどったものです。その時期に「T型活動」なんて事も提案したよね。小難しくて深い批判部分(Tの縦棒)はapjさんとかに任せておいて、深い知識が無くてもできる活動として、「あれはニセ科学だと言っている人たちがいるよ」程度の事を沢山の人が言おうよ(Tの横棒)なんてのを提案したのね。私もどちらかというと縦棒の人だから、「そのくらいなら」と思ったんだけどね。実際のところ「それを言うのだって難しい、大変」という反応を示してくれた人が結構居て、今なら、「そうだろうね」とわかる訳ね。

それに比べると、悪徳商法批判で「蟻の一粒」とか言っていた方が楽脱端ですね。少なくとも「悪徳商法は良くないことだ」が多数派だったからね。

>もし、shunsokuさんの心が折れたんなら、暫く休んでてくださいね

なんていうか、「猫はひっかく、犬はかみつく」って言ってね、やれることしかやれないし、逃げた方が良ければ逃げるのが負け戦のコツですって、そうやって生き延びてりゃ、いずれ状況も変わると信じてね(笑)。

by 技術開発者 (2009-04-22 17:44) 

Bandicoot

どなたも、エディさんの書き込みを、いさめたり、注意したりしないんですか?
「そういうこと言ってるんと、ちゃうから」とか
「いままじめな話してるから、チャチャいれんといて」とか
エディさんに一言いっていただければ、よかったのに、と思います。


申し訳ないんですが、disraffさんやエディさんの書きようを放置してるのを見てると、「仲間に対するお目こぼし」のように見えます、ぼくにも。


ああ、これこそが、「一派」としての自覚の無さの表れなのか!
別に自分の身内じゃないって思うだけに注意をしないで、ニセ科学批判一派(というイメージ)のイメージダウンにつながっていくわけですね、ブログ主さま。

みなさま「言論の世界」にようこそ!

by Bandicoot (2009-04-26 03:48) 

apj

Bandicootさん、

 では、私の見解を述べますね。

エディさんの書き込みについて。

2009-04-19 11:08
 私もエディさんと同じ印象を持ってました。自分トコでは感想文ネタを見事に誤読されましたので。
2009-04-20 00:24
 こちらも大体同意ですよ。表現の選び方はあるにせよ、頭を冷やせというか落ち着けというか、まあそんな感じ。

disraffさんの書き込みについて。
2009-04-18 00:09
 具体的に何をしたか言ってみてほしいという指摘ですよね。揶揄は入っていますが。戦略が足りないと主張するのなら、戦略が無くて失敗した例か戦略的にやって成功した(が他の人は成功していない)例を出すところが議論の出発点になるのでは。ということで、出てきてもおかしくない指摘ですね。
2009-04-18 09:48
 他人のやり方に不満があるなら自分でやれ、という、至極まっとうな指摘ですね。
2009-04-18 19:15
 野次馬についての議論ですね。disraffさんなりの「野次馬」観の説明です。野次馬の定義を巡って議論しなければならない必要性は少ないと判断しました。
2009-04-19 09:23
 disraffさんからの謝罪ですね。
2009-04-19 20:29
 disraffさんの反省ですね。

 以上が私の見解です。単に、書かれている意見内容に同意する部分があったからそのままにしておいただけです。

>「そういうこと言ってるんと、ちゃうから」とか
>「いままじめな話してるから、チャチャいれんといて」とか

 真面目な話をしていても一方が興奮して話が通じなくなりつつあった時の書き込みですから、チャチャとは言えませんね。

>ああ、これこそが、「一派」としての自覚の無さの表れなのか!
>別に自分の身内じゃないって思うだけに注意をしないで、ニセ科学批判一派(というイメージ)のイメージダウンにつながっていくわけですね、ブログ主さま。

 あなたの書き込みはむしろ「印象操作」を狙っているように見えますね。
単に同意見だから放置してあるものを、「一派」と敢えて呼ぼうとするあたりが。
「言論の世界」なら、この手の見え透いた印象操作は大抵失敗するんじゃないですか。
by apj (2009-04-27 01:09) 

NO NAME

apjさん、おはようございます。

>あなたの書き込みはむしろ「印象操作」を狙っているように見えますね。

Bandicoot さんは、ブログ主や他のみなさまになぜいさめたり、注意しないのかと仰っているわけですね。ただ、どういうところが問題なのか説明がないのでなんだか、よくわかりませんね。

おそらく、自分自身でいさめようとするとどこが問題なのか指摘する必要が出てきます。ところが、他人に振ると問題点をあいまいにしたまま、なんとなく問題点がありそうな印象を与えることができますね。
by NO NAME (2009-04-27 07:14) 

zorori

すみません、また名前を忘れました。
by zorori (2009-04-27 07:15) 

けんぶつに

上の Bandicoot 氏の書き込みはブログ主Judgment氏の
”理由をここで述べないで相手に対する感想だけを述べるの禁止にします。”
に反するご意見ではありませんか。
それに加え興味深いのは Bandicoot 氏の論法が
①感情的な主張
②具体的な根拠を示さずに説明を重ね
③”ああ、”等と独り合点した挙句に話を拡げ
④最後に駄目押しの印象操作
恐らく唯の偶然なのでしょうがshunsoku氏と同じ文章構成なのが面白いですな。
「類は友を呼ぶ」とは良く言ったものであります。
by けんぶつに (2009-04-27 11:44) 

NO NAME

こんばんわ。

apjさん

ぼくも同じ意見で「揶揄」していると感じました。
「揶揄」というのは、からかったり、なぶったりすることをさすようです。(Yahoo!辞書から)
ですから、当の本人であるshunsokuさんが、disraffさんの発言に悪意があると発言したことは、そう思って当然かとぼくは思いました。
disraffさんのこの回の記事の第一声ですよね、これは。
それでいきなり揶揄をぶちこんでくるのは、どうなんでしょうか。
まじめに意見を聞きたくて質問したとはぼくはとれませんでした。
まあ、発言者は悪意がない、と言っていますが。
「揶揄」ときっぱり断じていただけてよかったです。

「野次馬」についてですが、それなら初めから「いち野次馬からの質問ですが」とつければいいやん。と思いました。あとから野次馬だって言っても、それは「ネタにマジレス~」と変わりないように感じます。
「野次馬」というより「野次」が問題な気もします。

最後の書き込みですが、これに関してはまるっきりapjさんと解釈が異なりました。反省どころか、自己分析のふりして、shunsokuさんを「身の程知らず」呼ばわりしてるだけにしか読めませんでした。

というわけで、とうてい、感情的になってるかもしれませんしグダグダだったのかもしれませんが、shunsokuさんとapjさんのまじめなコメントの応酬に「ちゃちゃ」をいれてる、と結論づけました。



けんぶつにさん

まったくあたなのおっしゃることが僕もきになったんです。
そういうことを、議論してる両サイドの方に、同じようにしてもらえませんか。っていう話なんです。
議論のさいに同じ方向性の人にはつっこまなくて、方向性の反した人にのみ、それを指摘してると、ROMの人たちはよい印象を持たないと思います。
でも、よく読み返してみると、エディさんのことはブログ主さま以外のみなさんスルーしてましたね。大人の反応でした。ぼくが釣られただけかもしれない気がしてきました。



zororiさん

すいません、書き込んだときには、めっちゃ興奮しておりまして、簡潔に、冷静に、と心がけてるつもりではありましたが、ぜんぜんでした。
前回の書き込みについての説明は以上の通りです。
そのうえで、「みなさんがいさめてくれればよかったのに」というコメントにつながるものだと解釈ください。



それぞれの書き込みの内容に、というよりその書き方のスタンスについて説明というか意見をのべているのは、それが今回のブログ主さまの記事についての話にまつわることだと思っているからです。


今回、お三方に指摘をうけて、説明せねば、と自分の考えをまとめてみると。
誤り導かれた第三者に、ニセ科学批判者が不人気なのはこの辺に問題があるような気がしてきました。

問題点の一つ目として、まじめにコメントの応酬をおこなう二人や三人だけならそうは見えないのに、ニセ科学批判者に追従する人たちが、コメントの無いようにふれずに揶揄やら理由をのべない感想だけを述べているのを混ぜ込んでしまうせいで、第三者には一方的にやりこめているように見えるのではないか。(コメント全体の流れとしての印象がわるくなること)

二つ目として、自分たちがスルーしてるだけに、同じニセ科学批判者一派と追従者たちがみなされていることに気づかずにいてるのではないかということ。当人でなく追従者が書き込むことによって「一派」とまわりが感じることや、表現の選びかたが問題で、まわりの感情を逆なでしてしまうこと、それすらも「一派」としていっしょくだに見られてしまうこと。(追従者を放置することでのリスク)

そんな風にいまは考えています。
by NO NAME (2009-04-27 21:59) 

Bandicoot

すいません、ぼくもやってしまいました。
ごめんなさい。名前忘れです。
by Bandicoot (2009-04-27 22:00) 

apj

Bandicootさん

 当人達が大真面目に議論していても、変な思い込みやら何やらで思考が暴走してしまっていて端で見ていて収拾が付きそうにないときは、「頭を冷やせ」くらいは言われても仕方がないでしょう。
 当人達だけで真面目にやることのみが良いことである、とする理由は無いのでは。

 本筋とは直接関係のない「頭を冷やせ」書き込みに対してまで応答すると、ますます本筋が見えにくくなるので、議論のテクニック上スルーしておく、というのもありますね。

 また、本筋と関係のない書き込みであれば、追従と呼べるほどの情報は最初から含まれていないので、放置しても問題が無さそうです。追従するには、誰かの論に賛成していることがはっきりわからないと、第三者から見て追従したことにはならないのでは。関係のないヤジを飛ばしている、と思われることならあるかもしれませんけど。
by apj (2009-04-27 22:37) 

disraff

Bandicootさん、
「悪意」云々のやりとりは、Seagul-Xさんとのものと混同していますね。
皮肉を言いたくなる程度には悪い印象を覚えたから、どなたの目にも皮肉と写るだろうと意図して書きました。それをごまかすつもりなど毛頭ありません。

#あとは、本筋でもない事ですし自重します。

by disraff (2009-04-27 22:56) 

Bandicoot

apjさん

じつは別のブログでapjさんや、shunsokuさん(というより憂鬱亭さん)のお名前も存じておりました。
ですので、どちらかがニセ科学の人ってわけでもなかったので、どちらに肩入れすることなく読んでいたわけですが、そのつもりだっただけに、「え?そこまでshunsokuさんは言われなあかんわけ??」と、「頭を冷やせ」書き込みに、カチンときてしまいました。文章だけでなくあのレイアウトにも。
カチンときた、という意味では熱くなってしまいスルー出来ずにいたのは、おっしゃる通りです。テクニックの「テ」の字もまったくない・・・

ただ、ROMのかたは、僕とおなじで議論のテクニックをもってない人も多いとおもうんで、という話をしはじめると、平行線ですね。。

追従の件についてはapjさんのブログまでとんで、話をひっぱってくるわりにはそこにshunsokuさんに対する自分の考えが入ってない時点で追従している(あああ!阿諛追従のついしょうでなくて、「つきしたがう」ほうのついじゅうです。もしや、いろんな人に誤解を与えたり・・・?)と感じました。
情報が少ないから切り捨てる、放置するという考えにはなかなか至らない気がします。
少ない情報でやりくりしようとするからニセ科学にだまされるのだ、とい言われると、返す言葉もないのですが、「そういう人たちにいまのニセ科学批判は効果的か」というのがもとの記事の内容かとも思いますので勘弁してください。


disraff さん

おっしゃる通り、混同してました。
じっさいは「ずるい」でした。別に否定もしてませんでした。失礼しました。
企図通りに皮肉にうつり、disraffさんに悪印象を覚えました。
そして熱くなったままSeagul-Xさんのコメントを読み誤解したままカチンときてしまったようです。
そいう意味では、過大な自己評価と否定されていますが当事者であるshunsokuさんにも「悪影響」を与えたのだろうと僕も思います。
一部賛成とかではなく、皮肉で書かれた質問と同じような質問であったために。Seagul-Xさんは丁寧に書かれていたのですが、もう慇懃無礼に写ってしまったのではないかとdisraffさんの指摘についていろいろ考えているうちに想像しました。

by Bandicoot (2009-04-28 01:14) 

エディ

久々にこちらをのぞいてみたら自分がネタに…

>Bandicoot さん

apj さんが(2009-04-27 01:09)でおっしゃってくださった通りです。

>「え?そこまでshunsokuさんは言われなあかんわけ??」

私が(2009-04-19 11:08)でコメントした
http://www.cml-office.org/archive/?logid=334#comments
をちゃんとご覧になりましたか?
読書感想文のことなんか、誤爆に近いと思いますが?
「カッカしている」と感じませんか?
そういう状態では満足な議論は出来ないだろうと思ってのコメントでしたが。
by エディ (2009-05-10 02:38) 

Bandicoot

エディさん

ぼくもapjさんのおっしゃってくださった通りで「表現の選び方」に問題あり、と思ってるって話なんですよ。
今回のコメントのような書かれようであれば、別にちゃちゃ入れてるとぼくも思いません。

なのでエディさんのコメントが、満足な議論をのぞむようには見えないので、できれば同じサイドの人たちから、なんとか言ってください、という気持ちで書きました。
なぜ自分でではないかというと、共感しているひとから言われたほうがすんなり受け止めれるだろうと思ったからです。
だって、当事者というかコメンテーター以外もたくさん見てるんですよ、イメージ悪くなっても損するだけですよ。というのが今回の記事の「言論の世界」についての記述だと解釈しましたので、そのまま当てはまると思いコメントしました。


というか、あの



 頭  を  冷  や  せ



ということですよ。


という発言はカッカしてる人にそういう状態では無理ですよ、っていうアドバイスだった、ということですか?
僕からもアドバイスさせてください。それはたぶん逆効果。
by Bandicoot (2009-05-10 08:49) 

shunsoku

 頭ごなしに「頭を冷やせ」と書かれていることも知らずに、
しばらく遠ざかっていました。

 時間がたっただけで、相変わらず絶望を抱えてます。

 いろいろと書きかけましたが、
私は私自身が無謬であるという主張はする気がないので、
多くは書き込めません。

 混乱して迷惑かけたことは事実ですから。


 一つだけ、書かせてください。

 自己の党派性を自覚していないことは
党派性がないことの証明にはならないんですよ。

 というポイントまでもどらないとだめですかね?


 


by shunsoku (2009-05-18 20:07) 

田部勝也

>shunsokuさん「自己の党派性を自覚していないことは党派性がないことの証明にはならないんですよ」

おっしゃる事は良く理解できているつもりです。私は、その事について実際問題として、「ニセ科学批判者」はどのように考え、どのような心構えで、どのような実践をすれば良いのか、有意義な議論ができれば心底嬉しいと思っている者です。
そこで僭越ながら、具体的な論点を2つ提示したいと思います。

-------------------------
【1】 「ニセ科学批判者」一派として非難されたとき、「確かにある意味一派ですけれど、私はAさんとは随分違うやり方で批判活動をしていますし、Bさんとはこの点で大きな見解の相違があります。あなたが非難されているのは“ニセ科学批判者”一派の誰のどんな言動なのか、具体的に提示していただけませんか。私はこういう考え・態度で批判していますけど、それはまずいですか。それとも私には問題はないけれど、同じ一派のAさんの言動が非難に値するものだったのですか」と、まず最初に確認する事はとても大切だし有益だと、私は思っています。
この私の見解に問題はありますか。
また、私は多くの「ニセ科学批判者」は概ねこの見解通りの対応をされる事が多いように感じていますが、私の知らない(ないし知っているのに目をつむっている)ところで、この見解に反する対応が横行しているという事でしょうか。

【1'】 もちろん、「最初からそんな屁理屈で言い逃れようとせずに、“ニセ科学批判者”一派である以上、自分の事として、まずは謙虚に批判を受け止めよ。すべてはそこからだ」という指摘は正論だと思います。でも一方で、亀@渋研Xさんの提起するこの問題(↓)
http://shibuken.seesaa.net/article/113132890.html
の存在も知っているので、現実的な対処の仕方としては悩ましいところです。

-------------------------
【2】 たとえば、apjさんのブログでPseuDoctorさんが提起された(↓)
http://www.cml-office.org/archive/?logid=357#com7
「“尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達”にどう対処するか、という問題」についての議論はとても大切だと、私は考えています。
現実問題として、このような人たちにどう対処すべきだと思いますか。
これについては、上記URLで議論が続いてますので、そちらで進めていただければ効率的かと思います。

【2'】 誰でもリソースは限られています。その中で、「野次馬発言」があった場合、個人的見解では、「荒らし」と見なして、「“荒らし”は“スルー”(もちろんコメントの管理権限を持つ者は“荒らし”に対して警告・削除する)」ルールを適用――というのが一番効率的だと思っています。そもそも真面目で真剣な議論の参加者は、そんなコメントにいちいち構わない/構っていられないと思いますし、「あぁ、ガキ(PseuDoctorさんの言葉を借りれば「フーリガン」)が紛れ込んでるな」でおしまいです。
おしまいなんです。おしまいになって欲しいんです。……でも、実際問題として、おしまいにならない/なっていない現実から目を逸らすわけにはいきませんよね。その点についての非難はとても強いと感じていますし、正当な非難だと思います。
――これは本当にどうしたら良いのでしょうか。いつも途方に暮れています。
正直に言って、そういう「ガキ」の出現をあらかじめ阻止する手段はまったく思いつきません。「ガキ」が出現するたびに有意義な議論を中断脱線して余計な「お叱りコメント」をしている余裕はあまりありません(よほど神経を遣わないと「ガキ=荒らし」に燃料を注ぐ事にもなりかねませんし)。
それでも、あまりに目に余るものについては、たとえば最近の『kikulog』では、このコメント(↓)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1232672820#CID1241682342
に対して、このようなコメント(↓)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1232672820#CID1241690466
がすぐにつきましたし、別エントリではこんなコメント(↓)
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1241919950#CID1242658965
もありましたし、まだ良くやっているほうだとは思っています。でも、そういった非難が実際にたびたびなされるという事は、まだまだまったく不十分だという事なのでしょう。正直に言えば、私にこれ以上を求められても、「ごめんなさい、私には無理です。手が回りません」「どうすれば良いのか具体的手段を教えてください」と音を上げるしかなさそうです。

【2''】 この問題については、私は「ニセ科学批判」だけの問題ではないと思っています。他の、たとえば政治問題や経済問題を批判しているような「グループ」ないし「一派」は、このような問題に対してどのように対処しているのでしょうか。そのあたりを研究してみるのが手っ取り早いのでしょうか。
かなり言い訳がましい自己弁護になってしまいますが、ずっと上のほうの(2009-04-18 03:33)のコメントを以下に再掲しておく事で、「これは“ニセ科学批判”の問題ではなく、世の中のありとあらゆる“批判”の問題である」という事を強調しておきたいと思います。もしも仮に、「他の“批判”はうまくやっているのに、“ニセ科学批判”だけが、この問題に対してあまりにも不適切な対応ばかりしている」という事が示されるのならば、問題の解決はとても簡単だと思うのですけど……。

>shunsokuさん「ですが、自己の「背景」をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く者がいることもまた、悲しいけれど、現実です」

おっしゃる通りだと思いますけど、それは何も「ニセ科学批判者」に限った事ではなく、そういう者はどこでも一定数いるものだと思います。「ニセ科学批判者」に特にそういう者が多いという事ならば真剣にその事をもって「ニセ科学批判」を批判する必要があると思いますけど、私はそうは感じません。単なる印象論ですが……。
「自己の“背景”をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐くのはやめるべきだ」という批判でしたら、重く受け止めなければならないと思いますけど、「自己の“背景”をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く人間がいるから、“ニセ科学批判”はダメだ」という批判だとしたら、ちょっと言い過ぎのように感じますが、いかがでしょうか。
by 田部勝也 (2009-05-20 04:19) 

Bandicoot

田部勝也 さん

横からしゃしゃりでました。すいません。
【1】のサンプルとしてこの記事のコメントはいかがでしょう。

shunsokuさんの初めのコメントは、shunsokuさん自身の問題意識も含めてとご本人が最後に記した上で現状のニセ科学批判をされているように、ぼくは読みました。田部勝也さんはどうでしょう。

その後にshunsokuさんへのコメントが続きます。
その中にはおっしゃる通りに自分のことを挙げたうえでコメントを返してらっしゃる方もたくさんいますね。田部勝也さんもそのおひとりですが。
ほんとにそういうコメントばかりですか?
でもって、田部勝也さんのおっしゃる通りのコメントを返してらっしゃる方には、shunsokuさんからけっこう丁寧なコメントが帰ってきているように読めました。
どうでしょう、読み返していただけないでしょうか。
おっしゃるような方ばかりだったでしょうか。


【2】について。
これは【1】の続きとしてお読みください。
「ニセ科学批判者」
「尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」
この二つの立場を、直接批判にさらされている人、それを横からROMしているひと、身内でそんな問題が湧き上がって、とりあえずネットでしらべてたどり着いた人、そんなひとたちはどうやって区別したらいいんでしょう。
区別できなくていっしょくたに「一派」とする可能性は非常に高いと思いますし、非常に悩ましい問題だと思います。


たぶん、【1】と【2】は、わけては考えれない問題じゃないかと僕は思っています。


だがしかし。
発想の転換というか。
「ニセ科学批判者」は「ちゃんとお断りをいれている」
を、
「ちゃんとお断りをいれている」のが、「ニセ科学批判者」だ
と田部勝也さんがおっしゃっている、と考えるとなるほどなー、と思えることが出てきました。【1】と【2】を分けて考えたりもしやすい気がします。僕のコメントが、このコメント群のなかで浮いてるような気がしてるとことか。。。
僕自身の認識は「ちゃんとお断りをいれている」「ニセ科学批判者」もいる、になるのかな。


最後の部分ですが。
「自己の背景をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く人間がいるから、ニセ科学批判“も”ダメだ」
ならいかがでしょう。
そういわれないように、頑張りたいですね。
だからどんな手があるんだ、と問われれば、注意を促すコメントを入れるしかないんだろうなあ、と思うわけで、つらいところです。
いたちごっこだろうし、きっとapjさんの言うとおりで、そこまで相手してられないってことなんだとも思います。
でもやっぱり、第三者を意識するべき時期なんじゃないかな、とも思うのです。
by Bandicoot (2009-05-20 21:14) 

shunsoku

田部勝也さん

 丁寧な考察、ありがとうございます。


>確かにある意味一派ですけれど

と田部さんは認めますが、
そこは認めない、というか答えない人も、
「ニセ科学批判」をする人にはいます。
(たとえば、apjさんは、私が読んだ範囲では、答えてないと思います)

 答えない理由を私が想像するのも危ういことなので、
想像で書くのはやめておきます。
 私としては、
一派としての統一性がないことを表明するのは、
意図的にニセ科学を撒き散らす連中に、
安心感を与えるという意味で
得策だとは思えない、
と私個人の考えを書くにとどめておきます。

>>自己の「背景」をまったく明かさずに、尻馬に乗るような言葉を吐く者がいる

という表現は、私の意図としては、
「ニセ科学批判」だけに尻馬にのる者が多い 
と主張しているのではなく、
ここやきくちさんのところに常連として書き込んでいる人とは(おそらく)別の人が、
私のブログに、皆さんの尻馬にのる形でおとずれ、
しかもその人格の実在さえ怪しいコメントを吐いていったことを嘆いたものです。

田部さんやきくちさん、apjさんのように、
実在の裏づけが取れる人は責任を持って書くのでしょうが、
責任を回避するために別人格を設定して書き込むjことも
ネット上では可能だし、
怪しい人に成りすます輩さえいるのですから。
by shunsoku (2009-05-20 21:30) 

田部勝也

田部勝也です。

>Bandicootさん「ほんとにそういうコメントばかりですか?」

確かにそうですね。誤りを認め、上の問題提起【1】は撤回します。
ただ【1'】の論点は、一連の問題で個人的に特に重視したい視点ですので、問題提起【1】を新たに次のように設定し直してみます。

【1】 「ニセ科学批判者」一派として非難されたとき、「それは当然考えていないわけではなくて、別のこのような事も考慮した上で秤にかけて選択された行動なのですけど、それでもまだ非難に値しますか」と、まず最初に確認する事はとても大切だし有益だと、私は思っています。
この私の見解に問題はありますか。
また、私は多くの「ニセ科学批判者」は概ねこの見解通りの対応をされる事が多いように感じていますが、私の知らない(ないし知っているのに目をつむっている)ところで、この見解に反する対応が横行しているという事でしょうか。

以前、亀@渋研Xさんのところに書いたのですが(↓)、
http://shibuken.seesaa.net/article/106899182.html#comment20081002012138
およそ、価値観や道徳観・倫理観についての主張はすべて「傲慢」なものだと、私は思っています。ある人の理想(=わがまま・独善)と別の人の理想(=わがまま・独善)とが衝突したときに、どのように・どのような建設的な結論を出すのか・出せるのかが問われているのだと、私は考えています。
また、「ニセ科学批判」は結果や効果が見えにくいというのも否定できない事実であり、それどころか、どう効果を確かめたら良いのかさえ五里霧中のままという状態です。少なくとも私はそういう認識です。

その点から言えば、ほとんどの「ニセ科学批判批判」は正論なんです。「ニセ科学批判」は、「上から目線」だし「価値観の押し付け」だし「効果がない・分からない」し「多くの“敵”を作っている」し……。
ただ、ほとんどの「ニセ科学批判批判」はすでに長い間ずっと考え悩み続けている(あるいは概ね結論が出ている)事を改めて(多くの場合、「ニセ科学批判者」どうしの議論よりも遥かに狭い視点から)指摘するものであって、少なくともここ数年は、自分がこれまで気づいていなかった点を指摘した「ニセ科学批判批判」は、ほとんどないというだけで。
この点は特に強調しておきたいです。

>Bandicootさん「「ニセ科学批判者」/「尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」/この二つの立場を、(中略)どうやって区別したらいいんでしょう」

これも私にとっては重要な視点で、はっきり言えば「ニセ科学批判者」自身だって、自分以外の各発言者の動機や内心などは区別できないわけです。Judgementさんに言わせれば、自分自身の本当の動機や内心だって理解できていないのに、そんな事ができるわけがありません。
この点も特に指摘しておきたいと思います。

さて、その上で、私が今回一番感じた事です。

>Bandicootさん「でもやっぱり、第三者を意識するべき時期なんじゃないかな、とも思うのです」

私は逆に、第三者を意識しすぎた結果が今の状態なんじゃないかと思い始めています。apjさんのところにも少し書いたのですけど(↓)、
http://www.cml-office.org/archive/?logid=357#com11
何かを非難すれば、それで気分を害する人が出てくるのは当然ですし、非難という行為自体に対して嫌悪感を抱く人が出てくるのも当然なわけです。その事に対して、自分も含めた一部の「ニセ科学批判者」は少しナイーブに過ぎるのかも知れないという気がしています。

たとえば、「ニセ科学批判批判」が書かれているのを見つけると、第三者を意識しすぎるクソ真面目な「ニセ科学批判者」たちが、よってたかって「自分はどう見られているのだろう」「自分のどこが悪いのだろう」「どう直せば良いのだろう」と追及し出します。
その「ニセ科学批判批判」が誤解に基づくものであったり、すでに十分議論し尽くされた問題を偏った視点から再発見しただけのものだったりすると、第三者を意識しすぎるバカ正直な「ニセ科学批判者」たちが、よってたかって「そのくらいの事はもう考えている」「別のこの視点が足りないから、そんな事が言える」「そういう誤った“ニセ科学批判”像を喧伝しないでくれ」と躍起になります。

もう少し泰然と構えていても良いのではないか――と、考え始めています。そんな第三者を意識しすぎる「必死さ」が、逆に「キモい」とか「カルト集団のよう」とかいった第三者の印象に繋がるのかも――と。

「よってたかって」と書きましたが、誰も他の発言者の真意など分からないわけです。分かるのは、「この状況でコメントをした人は、この状況で自分がコメントをすべきだと思った」という事だけです。「よってたかって」になるのは、「この状況でさらになお自分もコメントすべきだと思った」と思った人がたくさんいたという事であって、それ以上の事は、直接批判に晒されている人や偶然通りかかってとりあえずROMしている人が分からないのと同じように、「ニセ科学批判者」にだって分かるわけがないんです。

――具体例を1つ。
Judgementさんがエントリ記事「ナゼ?ではなく、ホントニ?が大切」で、「ニセ科学批判者」が「愚劣なチャチャ」をたしなめない事を強く非難されました。
第三者を意識しすぎる私は、「愚劣なチャチャ」をたしなめなかった事を延々と弁解しました。私は私で別の論点の議論に夢中だった事、Judgementさんとapjさん・技術開発者さんとの議論に介入するだけの力と余裕がない事、「愚劣なチャチャ=荒らし」に油を注ぐのを恐れた事、……などなど。
心理学のプロであるJudgementさんがそういった事情に思い至らないまま非難するはずがないわけですけど、第三者を意識しすぎる私は、そういった事情の存在をすっとばして心理学のプロが非難した場合と、そういった事情をちゃんと勘案した上での非難である事が明示された場合とで、第三者に与える印象が大きく異なるであろう事を気にしないではいられなかったのです。
で、結果はまったくの逆効果であり、私の印象は悪くなる一方です。それどころか、当初のJudgementさんの非難対象は私ではなかったようで、私は、自分が非難されたわけでもないのに「一派」の仲間の行為を正当化するために必死に幼稚な醜態を晒している――という構図になってしまいました。Judgementさんの非難する「“自分の敵に対する攻撃”という事であるがために、たしなめるどころか、支持してみたり、それでは飽きたらず“愚劣なチャチャ”にそれらしい正当化を付与してあげようという人」「自分の味方っぽい人を必要以上に守る(自分に自信が無いから?)」とは、まさに私の事であると示してしまったようなものです。

上で強調したように、およそあらゆる「批判活動」は、程度の差こそあれ、「上から目線」だし「価値観の押し付け」だし「多くの“敵”を作る」ものであって、ほとんどの「ニセ科学批判批判」の主張は(程度問題を無視すれば)極めて正当です。
「ニセ科学批判者」はその事を承知した上で、いろんな事を考え思い悩み、いろんな事を秤にかけ、言動を選択しているのだと思います。そして、その判断がまだまだ至らないという事も良く自覚しているのだと思います。だからこそ、「ニセ科学批判批判」は良く「釣れる」わけです。とても食いつきが良い。
しかも、ほとんどの「ニセ科学批判批判」の主張は(程度問題を無視すれば)正論です。だから、何も知らない第三者が読めば説得力を感じるだろうなぁ……と、「ニセ科学批判者」に強く思わせます。「上から目線」は印象が良くないし、「価値観の押し付け」はやめるべきだし、「多くの“敵”を作る」のはやり方が悪いのです。でも、そういった事はあくまで程度問題です。「多くの“敵”を作る」のはやり方が悪いですけど、「1人の“敵”も作らない」のは実は何もしていないだけです。それを自覚している「ニセ科学批判者」は、こういった程度問題を無視した「印象操作」を極端に嫌います。だから、よってたかってフルボッコにするような事態が起きてしまう――第三者を意識しすぎるからです。
私はそう考えるようになってきています。

そんなわけで、第三者を意識しすぎるのは逆効果なのかも知れないなぁ……と、思い始めてきています。
むしろ、小泉純一郎みたいに泰然と「抵抗勢力、乙」とでも言っていたほうが、第三者の印象は良さそうです……私は絶対にそういう態度は選びたくないですけど。
私は今後、「ニセ科学批判批判」には、「自分の事かな? 自分の事かも知れないな。その点はもう十分考えた上でやってるんだけど、まぁ、より一層自戒しておく事にするかな」とでも心の中でつぶやくだけにしたいと考えました。あとは態度で示すだけです。
スルー力のない私にはとても難しい事かも知れませんけど、できるだけ頑張ってみます。
by 田部勝也 (2009-05-25 04:33) 

田部勝也

田部勝也です。頑張ると言ったそばから……ですけど、そう表明する前のコメントには返信しておきます。

>shunsokuさん「一派としての統一性がないことを表明するのは、(中略)得策だとは思えない」

おっしゃる事は理解できるつもりですが、上の(2009-04-18 03:33)でも表明したように、目的のためにウソを弄するような事はしたくありませんし、それが得策だとも思えません。それに、「ニセ科学」を批判する人たちが思想や信条として統一される事をできるだけ避けたいと思う気持ちはとても強いです。「価値観の押しつけをしているわけではない」と主張している人間が、「ニセ科学批判者」に対して統一した価値観を押し付けるのでは本末転倒でしょう。
そもそも、はっきり言って、「田部勝也と同じ考えだと思われると困る」「田部勝也とは一緒にされたくない」と考える「ニセ科学批判者」はとても多いと思いますし。

「ある意味一派」と書きましたけど、「ニセ科学」やその蔓延を問題視しているという以上の統一性を見出すのは困難だろうと、私は思っています。(少し違う文脈ですけど)菊池誠さんが「“批判の仕方批判”はもうやめにしよう。批判者それぞれが自分が最良と思う方法でトライする以外にない。各自がいろいろなやり方を試みて、その結果を報告しあうほうが建設的」と宣言するくらいに(↓)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1131189215
「ニセ科学批判者」たちがお互いの言動に極めて非干渉な立場を強調するように見えるのも、そのあたりから来ているのかも知れません。

一方で、mzsmsさんのところに書いたように(↓)、
http://d.hatena.ne.jp/mzsms/20090411/1239382313#c104883555
「ニセ科学批判者」どうしでも、ちゃんと相互批判はされているように、私には思えます。だから、「ニセ科学批判者」のあいだでは自浄作用がはたらかない・はたらいていないと言われると、ちょっと抵抗を感じます。
lets_skepticさんのブログのコメント欄でのやりとりも参照(↓)。
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20090220/p1#c

最後に、このコメントを書くにあたって、菊池誠さんの「“批判の仕方批判”はもうやめにしよう。批判者それぞれが自分が最良と思う方法でトライする以外にない。各自がいろいろなやり方を試みて、その結果を報告しあうほうが建設的」という言葉を読み返してみて、とても深く自省するものがありました。それを、それだけを実践できたなら、なんと素晴らしい事だろう――という想いを、いま抱いています。
by 田部勝也 (2009-05-25 04:43) 

bandicoot

田部勝也さん

丁寧なお返事ありがとうございます。
「誤り」とか「撤回」とか僕のほうが誤解してる可能性も多々ありますので、もうちょっと保留でお願いします。
田部勝也さんの見解について、ひっかかりを覚えたわけではありません。
そのあとの部分なんですが、ここでどうも「ニセ科学批判者」という言葉の意味合いが、僕と田部勝也さんの間でずれている気がしてきました。
お手数ですが、もう一度確認させてください。

・shunsokuさんのコメントがあり
・disraff さん
・田部勝也 さん
・SSFSさん
・zororiさん
・ apj さん
・PseuDoctor さん
・Seagul-Xさん
・miya-hさん
・むいみさん
・エディ さん
・技術開発者さん(みなさん、の中にshunsokuさんが含まれている場合)
以上の方がコメントを返されています。
この中に「私の知らない(ないし知っているのに目をつむっている)ところで、この見解に反する対応」というのはありませんでしたか?
僕は、どなたもニセ科学批判者に含めて問題ない(SSFSさんのぞく。apjさんといっしょのチームといわれたら、どちらもきっと嫌がるでしょう)のではないかと思っています。僕が名指ししたお二方に関しても。

もうひとつの例を出しますね。
僕も「ニセ科学批判者」に対し「批判」コメントしたわけですが、そのあとお三方からコメントを返していただきました。
apjさん
zororiさん
けんぶつに。さん
です。
apjさんには、僕の言った点に関するコメントを全て抽出していただいた上にそれぞれについてのご自分の見解を述べられました。あわせて、僕のコメントこそ、「印象操作を狙っているように見える」という感想を述べられました。
zororiさんはapjさんのコメントをうけて僕のコメントの書き方について説明がないことを指摘したうえで、「あの書き方だとなんとなく問題がありそうな印象を与えることができる」と可能性の指摘をされました。
けんぶつに。さんは、僕のコメントを分析するなかで「最後に駄目押しの印象操作」と断定されました。shunsokuさんのお名前を出して関連性について指摘し、「類友」だとおっしゃいました。

どうでしょう。
田部勝也さんにとってはいかがでしょうか。
田部勝也さんの見解に沿った行動をお三方はしてらっしゃいますか。
僕は、ぶっちゃけ「おいおい、とうとう三人目は印象操作って決めつけかよ。なんか謎のレッテルまで貼られてるし!」とも思いましたし、「三人がかりで印象操作してるの、そっちやんけ!」とも、ちらっと思いました。
それでも、僕にとっては、お三方とも「ニセ科学批判者」なわけですが。

そのうえで、いま挙げたふたつの例の、延べ14名の方のコメントがすべて見解通りだ、とおっしゃるのであれば、僕ら二人の間での議論は最後までかみ合わないかもしれません。良いとか悪いとかではなくて。

もし、「多くの」って断ってる。すべての批判者が見解に沿うとは言っていない。ということであれば、少数の批判者が誰で、どの部分が見解に反するかおっしゃっていただければ、両者の理解のきっかけになるかもしれません。


すごいなあ、って思えるニセ科学批判者の方って結構いますよね。
で、そういう人たちってたいがい、ブログとかHPもってたりして。やっぱり自分の考えがあって、それをいつでも誰にでも公開してるっていうのが、コメントの際のきちんとした対応に繋がるのかな、なんて思います。
田部勝也さんにとっては、このすごいニセ科学批判者だけが、「ニセ科学批判者」なのかな、と思ったわけです。
ただ、僕にとっては尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」もやっぱり「ニセ科学批判者」なんです。

なんか全然後半部分までたどり着けなくてすいません。
ああ、ちなみにぼくもニセ科学批判一派のつもりなんです。
一派なだけにこれだけは、とコメントしはじめたわけですが・・・
by bandicoot (2009-05-26 01:11) 

田部勝也

>bandicootさん「田部勝也さんの見解に沿った行動をお三方はしてらっしゃいますか」

YES/NOで明快に答えられないのが心苦しいのですが……。

普通に暮らしていれば、他人の事だけど「確認するまでもなく決めつけるのに足る十分な材料が出揃っている」と思う事って、ありますよね。たとえば、これまでのこのブログでの私のコメントを読んできた人なら、「田部勝也は、Judgementさんの一連の“ニセ科学批判者”に対する非難の正当性を疑っている」と決めつけるのに、わざわざ私に確認しなければならないと思う人はいないでしょう。

もしも、「こっちはこういう事も考えた上でこういう言動をしているのに、あいつはその点をまったく考えずに、この点だけ見て好き勝手言いやがってるな」と「決めつけるのに足る十分な材料が出揃った」と感じた人がいれば、その人はわざわざ「それは当然考えていないわけではなくて、別のこのような事も考慮した上で秤にかけて選択された行動なのですけど、それでもまだ非難に値しますか」といった事を尋ねたりはしないでしょう。
それに対して、「決めつけるな」と非難したり不満を漏らすだけというのは不毛ではないかな……とは思います。愚痴をこぼしたくなる気持ちは良く分かるつもりですけど。

Judgementさんは「疑似科学批判批判批判批判」に始まる一連のエントリで、最初は慎重にいろんな事を「ニセ科学批判者」たちに確認しようとしていますが、やり取りを通じて、おそらく「決めつけるのに足る十分な材料が出揃った」と感じたのでしょう。「apjさんが“保身のために規範を決め付けている”」と決めつけるに至ったわけです。
でも、Judgementさんに対して「決めつけるな」と非難する人は少ないでしょう。「その決めつけはおかしい」「そう決めつけるのは、この点を見落としているからだ」と非難する人はいるかも知れませんが。

先に私は「ほとんどの“ニセ科学批判批判”は正論なんです」と強調しました。
「決めつけるな」も「印象操作をするな」も正論だと思います。でも、およそどんな他人に対する判断も「決めつけ」ですし、どんな発言も「印象操作」です。だって、他人の本当の事など分かりようがないし、どんな他者への発言も目的があるわけですから。
だから、どんな他者に対する判断も「それは決めつけだ」と非難できるし、どんな発言も「それは印象操作だ」と非難できる。そう言い合う両者とも「そう判断するに足る十分な材料は出揃ってる」と思っているのですから(そう思わずに断定する人は少ないでしょう)、「印象操作だ」「決めつけだ」と正論を言い合うだけでは、どうしても不毛になりがちな気がします。

「本当にそう決めつけるのに足る十分な材料が出揃っているのか?」「相手がそう決めつけたのは、どんな材料が見えていて、どんな材料が見えていないからか?」という自問自答をしたり、自問自答を促したりする事には意義があるかも知れません。
その過程で、気づいていなかった事や知らなかった事を新たに学び、「尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」が「すごいニセ科学批判者」へと成長する一歩を踏み出せるかも知れません。ほとんどの人は最初から「すごいニセ科学批判者」であるわけではないし、「すごいニセ科学批判者」の多くは元々は「尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」の一人だったのが、さまざまな成功・失敗の経験を積み、それらの経験を共有し学んでいく事で「すごいニセ科学批判者」へと鍛えられていったという事を忘れるべきではないと思います。
でも、「印象操作だ」「決めつけだ」「けしからん」「嘆かわしい」という言い合いをしているだけでは、あまり建設的ではないような気が、私はします。

「尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」を見かけたら、失望するよりも、「すごいニセ科学批判者」へと「育ててあげる」事を考えて欲しいなぁ……と、私は思います。たとえ表面的でも「ニセ科学批判」を行ったという事は、何もしない人よりも「すごいニセ科学批判者」になれる資質を備えているという事なのかも知れませんから。

-------------------------
ちなみに私は、このコメント欄において「愚劣なチャチャ」をたしなめる事はしませんでした。
「決めつけ」を行った人たちは「決めつけるのに足る十分な材料が出揃った」と思って「決めつけ」を行ったのは疑いようがない事ですが、私は「そう決めつけるのにはまだ材料が不十分である」という事を明確に示せなかったからです(自分の事で精一杯で「そう決めつけるのに足る十分な材料は本当に出揃っているか?」「その決めつけは正当か?」という検討を真摯にする余裕がなかったというのが一番の理由だと、私は自己分析していますが)。
by 田部勝也 (2009-05-28 05:05) 

bandicoot

田部勝也さん

>>bandicootさん「田部勝也さんの見解に沿った行動をお三方はしてらっしゃいますか」
>YES/NOで明快に答えられないのが心苦しいのですが……。

そうですね。設問にミスがありました。「お三方がしてるかどうか」、ではなく「お三方がしてると感じるかどうか」田部勝也さんの印象を聞くべきでした。
そうであれば、田部勝也さんの主観であるので明快にお答えいただけたかもしれなかったですね。失敗しました。
ただ、決め付けかどうかを聞いていたのではなく、見解にあってるかどうかだったんです。


>「決めつけるな」と非難したり不満を漏らすだけというのは不毛ではないかな……とは思います。
>「印象操作だ」「決めつけだ」と正論を言い合うだけでは、どうしても不毛になりがちな気がします。

僕もそう思います。
そう思うので、実際にはそうコメントしなかったのです。それよりもっと重要なことがあると感じていたので。
それが「そういうことを、議論してる両サイドの方に、同じようにしてもらえませんか。っていう話なんです。」(2009-04-27 21:59) というコメントです。
なので僕は、田部勝也さんに、印象操作という言葉を使ったapjさんや、けんぶつに。さんにも「印象操作とか決めつけしても不毛ですよ」ってコメントをつけてくださいね。と言わねばなりませんね。



すこし脱線です、お付き合いください。
他のとこでは批判批判軍団から「ソースだせよ」とか批判軍団から「そうおっしゃるなら、例を具体的にあげてください」とかコメントあったりしますよね。
それでこの一連の僕らからの問いかけでは「出来うる限り具体的に。」をテーマにしてみました。
あまり具体的なお返事はいただけませんでした。
(どう返事しても困ったことになりそうな、いじわるな質問でした、すいません。「仲間に甘い、は本当か」の確認をかねてたので)
今回も「『すごいニセ科学批判者』の多くも~」という言葉に対して「一般化の危険性」を少し感じます。たとえばこのブログからリンクが貼ってあるニセ科学批判者のなかで誰か「尻馬に乗って表面的なニセ科学批判を行う野次馬的な人達」出身者がいるんでしょうか。(黒歴史をほじくり返してすいません)具体的な名前はやばそうなので、「あの中にもいる」とかおっしゃっていただければ結構です。



話を戻しまして。

>「すごいニセ科学批判者」へと「育ててあげる」事を考えて欲しいなぁ

一派が存在しないと成り立たない気もします。
このブログがコメントデビューの僕がその趣旨でコメントしたらば、めっちゃ「身の程しらず」あつかい受けませんか?素直に受け止めてもらえると思います?育つまでは「尻馬にのる野次馬的な人たち」なんですけど。
なのでそんな彼ら彼女らでも一目おくような方からぴしゃりとやってほしいという話につながるわけですけどね。



>たとえ表面的でも「ニセ科学批判」を行ったという事は、何もしない人よりも「すごいニセ科学批判者」になれる資質を備えているという事なのかも知れませんから。

ただの確認ですが、「コメントしない人」=「何もしない人」ではありませんよね。
僕としては「すごいニセ科学批判者>ROMの人>無責任な野次馬」の順番です。
例えば、田部勝也さんががんばって近所の子に血液型性格判断を信じて人を判断しちゃいけないよ、と伝えることができて、半信半疑になったその子がネットで確認しようとしました。その時に「アンチが性格判断信奉者に、身の程知らずが、と野次を飛ばしている」のを読んだとします。ほんとにそれは田部勝也さんの後押しになってますか?すごいニセ科学批判者になるまで、なま暖かく見守っていられますか?


>ちなみに私は、このコメント欄において「愚劣なチャチャ」をたしなめる事はしませんでした。

「ちゃちゃ」発言について認めていただけたコメントはひとつもなかったので、勇気をだして書き込んだ甲斐があったと感じてます。ありがとうございます。
あと、身内だったら判断材料が足りなくても「決め付けに見えるんだけど、大丈夫?」って確認は許容されると思いますよ。たぶんですが。
by bandicoot (2009-05-28 13:32) 

zorori

bandicootさん、

>僕は、ぶっちゃけ「おいおい、とうとう三人目は印象操作って決めつけかよ。なんか謎のレッテルまで貼られてるし!」とも思いましたし、「三人がかりで印象操作してるの、そっちやんけ!」とも、ちらっと思いました。

確かにそうですね。申し訳ありません。
決着済みでない事柄を前提として話を進めて、決着がついたかのような印象を与えるという詭弁が有りますが、bandicootさんのコメントにそれを感じたのですが、自分自身も同じことをしていました。

印象操作しているという印象を与える書き方になってしまいました。あまり先走らずに、愚直に「どこが不真面目なのか?」と尋ねるべきでした。
by zorori (2009-05-28 22:22) 

田部勝也

「印象操作とか決めつけしても不毛ですよ」と、私は絶対に言いませんし、言った事もないはずです。何度でも繰り返しますが、およそすべての発言と判断は「印象操作」であり「決めつけ」だからです。

ちなみに、bandicootさんは「自分は“ニセ科学批判者”によって不快感を抱いた。それが解消されないと“ニセ科学批判者”全体のイメージダウンになる」と主張していると、私は「決めつけ」ています。bandicootさんは「田部勝也(および“ニセ科学批判者”)は、そのリスクにまったく気づかないまま言動を選択している」と「決めつけ」ていると、私は「決めつけ」ています。

このコメント欄において「愚劣なチャチャ」があったのかどうか、私は判断しませんし、その判断をする事は不毛だと思っています。それは何度も強調しています。この判断の回避を「卑怯」と思われても構いません。
「愚劣なチャチャ」とbandicootさんが「決めつけ」るようなコメントがあったのは事実なのでしょうけど、bandicootさんのその「決めつけ」に対して正当性を検討するコストを支払う気は、私にはない――というのが、私の先のコメントの主旨です。「愚劣なチャチャ」をたしなめなかったのは、「愚劣なチャチャ」があったかどうかの判断をする気が私にはなかったからだとも述べています。

自分の事でも精一杯だし、それでもぜんぜん不十分だというのに、はっきり言って他人の面倒まで見ていられません。他人の面倒を見る資格や能力があるとも思いません。その事を非難されても、その改善にリソースを振り向ける余裕などありません。その事をもって「仲間に甘い」と思われても構いません。

私は「野次馬」の存在を積極的に評価しています。何度もリンクしていますが、何度でも読んで下さい(↓)。
http://www.cml-office.org/archive/?logid=357#com11
「戦略」としての「野次」や「罵倒」や「嘲笑」も、私は否定する気にはなれません(↓)。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1227356415#CID1243458205
以上の点がご不満ならば、「ニセ科学批判者」一派の一員と見なされないよう注意しつつ「ニセ科学」を批判するなり、本当の「ニセ科学批判者」は田部勝也とは違うという事を強調しつつ「ニセ科学」を批判するなり、誰と「ニセ科学批判者」一派として括られても意に介せずただひたすら「ニセ科学」を批判するなり、「ニセ科学批判批判者」に転向するなり、お好きにご自身の態度を決めればよろしいと思います。

最後に、自分が不当だと思う「印象操作」や「決めつけ」や「野次」や「罵倒」や「嘲笑」に対抗するのに、「彼ら彼女らでも一目おくような方からぴしゃりとやってほしい」とお願いするというのは、私の個人的な美学や矜持に著しく反するので、はっきりとお断りします。私以外の「ニセ科学批判者」に頼んでください。快く請け負う「ニセ科学批判者」がいるとは思えませんが。
by 田部勝也 (2009-05-29 02:49) 

bandicoot

zororiさん

今さら引き合いに出して、こちらこそすいません。
zororiさんの指摘をうけて、そりゃもっともだ。と反省してそれ以降は、より具体的に、と意識してコメントしてみたつもりだったんですが、どうでしょうか。
ほんとに、ちらっと思っただけです。


ぼくがきちんと、どこを不真面目だと感じてるのか説明すればもう少し、この場でも受け入れられたのかな。と反省してます。

いくつかのコメントを不真面目だと思ってコメントをしたこと自体には後悔してませんが。



田部勝也さん

僕は何かしら地雷を踏んでしまったようですね。それはさておき。

>「印象操作だ」「決めつけだ」と正論を言い合うだけでは、どうしても不毛になりがちな気がします。
>、「印象操作だ」「決めつけだ」「けしからん」「嘆かわしい」という言い合いをしているだけでは、あまり建設的ではないような気が、私はします。(2009-05-28 05:05)

と、
>「印象操作とか決めつけしても不毛ですよ」と、私は絶対に言いませんし、言った事もないはずです。(2009-05-29 02:49)

は、田部勝也さんの中では両立するんですね、了解しました。


ちなみに~以降のコメントについてですが。やはり「ニセ科学批判者」というのがどこまでどう含まれているのかつかみにくいです。
「一部のニセ科学批判者の不真面目なコメントには不快感を感じるし、他のニセ科学批判者が不快感を表明しないとニセ科学批判者全体の説得力を減じさせるであろう」とは主張したいと思っています。
そしてニセ科学批判者によっては不快感の表明はコストに見合わないと考えている。と思っています。
なおかつ、「一部の不真面目なニセ科学批判者はそのリスクに気づかないまま言動を選択している」とも思っています。
誰が見解に沿ってて、誰が沿ってないかとか、野次馬出身は誰かとか、具体的な例を挙げることに協力いただけないようなので、個人名は省かせていただきました。


>このコメント欄において「愚劣なチャチャ」があったのかどうか、私は判断しませんし、その判断をする事は不毛だと思っています。

と、おっしゃるなら
>ちなみに私は、このコメント欄において「愚劣なチャチャ」をたしなめる事はしませんでした。

は、
「ちなみに私は、このコメント欄においてたしなめるべき『愚劣なチャチャ』を見つけることはできませんでした。」

の、方が分かりやすかったかもしれませんね。
ぼくは、「たしなめるべき事例があったにも関わらず、たしなめなかった」と誤読したようです。
その後のコメントの整合性とかは、なんかもういいです。



えーと。これまでの問答から。
田部勝也さんが、「ニセ科学批判者」について定義できていないと、「決めつけ」させていただくことにしました。
田部勝也さんが「多くのニセ科学批判者」と言ってはいるが具体的にだれがどうとも挙げられなくくらい曖昧な捉え方をしていると「決めつけ」させていただくことにしました。
「お好きにって、結局最後はけつまくって終わりかよ」とbandicootが「決めつけ」たと思っていただいて結構です。


あと。
ニセ科学批判者に僕が頼んだのは「ぴしゃり」としてもらうことで、ぴしゃりとしてもらうことを頼むのを頼んだわけではありませんよ。
なのでおっしゃるような事を、端から田部勝也さんに頼む気もありませんし、誰に頼む気もありません、そんなこと。

ここで最後に、エディさんのあのコメントを書き足そうかとも思いましたが、やっぱりぼくには不真面目に思えるんでやめておきますね。
ほんとに僕がこのコメントの最後にあれを書いて、まじめな議論とみんな思うのか、確かめてみたい気もしますが。
by bandicoot (2009-05-30 02:59) 

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