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正統な批判と悪意 [疑似科学総論]

 次はトンデモブラウさん。
 
 実は、「疑似科学関連」に関して自分で考えれば考えるほど、きちんとしておくべきと考える事があったのですが、その問題提起を誰か他の人にして欲しかったんですね(「わら人形論法」と言われないためにも)。
 そのために、ベクトルの違う人に違和感を抱かせる“罠”を仕組んでおきました。
 ただ、トンデモブラウさんは常連さんですし、私も何度かコメント欄で匂わせてきましたから、分っていて、踏んでくれたのだと思います。ありがとうございます。


〔コメント転載〕

殆ど異論はないのですが、若干しっくりこない部分も。

例えば、〔好ましい戦略〕の一つ前のプロセスの欠陥を指摘する、というのも相手に科学の素人を想定されているのであれば、ちょっと難しいかな、と思います。
素人のビリーバーさん達は、科学のプロセスなんぞすっとばして、提供された結果のみに喰いつくと思われるからです。
必然的に対処療法(〔好ましく無い戦略〕なんてこった)に追い込まれてしまうんですよね、私のような説明ベタでは。
こういったことは「科学」(のプロセス)を普通に理解していれば、そもそも疑似科学なんかには入れ込まないということなんじゃないかと。(前回のコメント)
ざっくばらんに言うと、〔好ましい戦略〕が有効なビリーバーっているかしら?ということになるんですが・・・(^^;)

また、 「疑似科学」は「科学」として信用してはいけない、なんて言うと『科学絶対主義者』みたいな的外れな批判を受けそう。
科学に擬態しているという欺瞞行為(あるいはそれを利用して詐欺行為を行うみたいなもの)を批判しているのに、「科学」ぢぁなくてもいいの、と開き直られた場合、「科学」の体面だけ守られる(しかも若干見下された感じで)のも寂しい。
できれば科学と詐欺の両方を啓蒙したいなぁ。(欲張りすぎでしょうか。)

「科学」とは、予想された誤差を含んだ未来予想ツールだと思っているので、例えば代替医療なんかのビリーバーさんに「西洋医学でも100%治るとは限らないじんですよ。」とか言われるとガックしきます。
私も個人的体験や直感を100%否定はしないんですけどね。

この辺の「科学」のあるなしの話は、理解するのが以外と難しいですよね。
本来線引きはできないと分かっているんですが、「科学」では「ある」と認められないもんは、「科学」では「ない」ことになっているということを伝えても、なおかつ『水伝』なんかを何の疑いもなく信じている人にかける言葉は、残念ながら私には見つけることができません。

次の更新を楽しみに待ってます。


【はじめに】

 まずは、「科学の素人」を想定するからこそ、一つ前のプロセスで根本的な所から理解させなければならないと考えています。
 そもそも、理論を理解していないなら、どんな推測が妥当か判断しようが無いし、方法を理解していないなら理論が妥当か判断しようが無いわけです。

 判断の仕方を理解させず対処療法だけ示しても、それすら妥当か判断しようが無いわけですから、そのやり方だって、相手に「直感に頼って判断させる」事を求めるようなものですよ。
 また、そういうやり方はきっと「科学、科学と頭ごなしに押し付ける」と、要らぬ反感も招きます。

 というわけで、〔好ましい戦略〕すら効かない人は、〔好ましくない戦略〕はもっと効かない。
 逆の視点でいえば、〔好ましい戦略〕に沿って上手く説明する事ができないならば、〔好ましくない戦略〕で相手を納得させることは不可能かと。

 特に、「疑似科学批判」と「オカルト批判」がごっちゃになった論調は、「科学」の側に立つ人にはすんなり受け入れられるものであっても、そちら側にいない人にとっては非常に混乱して、誤解を生みやすいと思います。
 誰を説得するのか、を考えた場合、あれもこれもは有効な戦略とは言い難いでしょう。

 モチロンそれは自分と対立する相手、あるいは対立しないまでも、どちらに付くか決めかねている人達を説得する事を目的とした場合の話であり、同じ「科学」側の人に話す事を前提とする場合は、別にかまわないと思います。


【私の視点/A面】

 「疑似科学」は“科学の装いをした→オカルトあるいは経験則”という性質を持ちます。
 そして、私は“科学の装いをした”の部分だけ否定できれば十分と考えています。

 だから、私は『「科学」ぢぁなくてもいいの』と言うのであれば
 満足して『科学じゃないと分かってくれれば、それでいいの』と答えたいです。


 でも、トンデモブラウさんは、さらに“オカルト”と“科学”の比較で、“科学”に軍配を上げて見せたいのですよね。
 例えば電器屋の商戦のように、「他店より安い」、「他店よりアフターサービスが良い」、「ポイントではなく現金で還元」とアピールするように、「科学」と「オカルト」の『確実度』の違いをアピールする事で差別化をはかり、『確実度』に魅力を持つ人を引き込みたい、あるいは『確実度』の魅力を分って欲しい、というのはアリだと思います。

 ただし、「安さ」よりも「サービス」、あるいは「安さ」よりも「近さ」を重視する人がいるように、『確実度』以外のものを重視する人もいるでしょう。
 そんな人が『「科学」ぢぁなくてもいいの』と述べるのに対し、「科学側」は何かすべきでしょうか?

 それは、肉の好きな人が「肉は魚より美味いから、肉の方がすぐれている」と言って、魚好きの人に無理矢理魚を食べるのを止めさせようとするようなものになると思います。


【凶暴な優しさ】

 森達也著「視点をずらす思考術」(講談社現代新書)に『凶暴な優しさ』というフレーズが出てきます。
 「イラクを民主化する」という大義名分を掲げ、イラクの無辜の民を殺戮するアメリカの行為を評した言葉です。

 政治・宗教に首を突っ込む気は無いので、ひとつの例え話と考えて欲しいのですが、
 例えば、民主主義国家に、それに反する行動を取るものが入り込んだならば、排除しなくてはいけないでしょう。しかし、民主主義国家が、「民主主義はすばらしい」からという理由で、「民主主義」ではない他国に戦争をしかけ、解体しようとする、というのは非常に自己中心的で自分勝手に思えます。

 同じように、「科学」に入り込もうとする「疑似科学」を排除するのは妥当としても、「科学」の外の「オカルト」まで否定するのは、『凶暴な優しさ』と考えます。
 そのような『凶暴な優しさ』は、意図せずとも『科学絶対主義』と取られかねません。


【私の視点/B面(種明かし)】

 ...とかとか述べると、私がなんか「オカルト」にまで気を使う善良な人間のようですが
 種明かしをすれば、最近書いてきた〔戦略〕にまつわる話は、実は全て「疑似科学やオカルトに効率的に悪意をぶつけるため」の踏み台なのです。

 残念ながら、今の「科学」のパンチ力は、「オカルト」の類を完全KOさせる力を有していないと私は判断しています。それに、安易な「批判」はカウンターをくらう危険があります。
 そこで、有効な「批判」を着実に当てると同時に、反則ギリギリの手段で「悪意」をぶつけ(き、汚い)、じわじわとダメージを与えるというのが私の考える本当の作戦です。
 
 「批判」と「悪意」の区別を自分でしっかり認識し、上手く立ち回る(批判外の事はそれなりに工夫する)ためには、どこまで批判が可能か把握する必要が有り、それが今まで述べた〔好ましい戦略〕や「どこまでを疑似科学と呼ぶか」や「オカルト批判は可能か」といった考えなのです。

 言い換えれば、どこまでが「科学」でどこからが「主観」であるか明らかにすれば、後はけなそうがくさそうが自由自在になる、と。
 モチロン、主観で述べた事に対し「人間性」が問われるかもしれませんが、私は自分でも「人間性」がよろしいとは思っていないし、そんな事を言う人にはもっと「人間性」がよろしくない所をアピールしていってもいい。

 だってそんなの、「相手にする必要も無い(http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2008-05-03-8)」のだから。


【例題】

 例えば「科学」をネタにオカルトを批判したとしましょう。
 どこまで批判できるか認識していない人は、「真理問題」にうっかり足を踏み入れてしまい、「科学だって100%正しいわけじゃないじゃないか」と返せない反論が浴びせられます。


 しかし、「真理問題」に踏み込まず、慎重に「科学ではね」と言っておけば、仮に「科学だって100%正しいわけじゃないじゃないか」と言われても

 『あなたの言う事はまさしくその通りだけど、何をいまさらそんな当然の事をさも偉そうに言うの?私はあくまで、科学の価値観に照らし合わせているだけで、その他の価値観を否定してはいないわよ。それって典型的な『わら人形論法』かな?あまり感心しないわね。私は単に「確実性」に価値を見出す人に対し、有効な評価を言っているだけ。1万円あったらそれに見合った物を買う人もいれば、ギャンブルに全額投資してすっからかんになる人もいるわけだし、それは好きずきだからね。どっちがどっちとはあえて言わないけど。』
 
 ...と、ねちっこ~い言い方で、悪意を感じ取らせつつ、口を封じる事が可能になります。
 性格悪いでしょ。
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コメント 10

トンデモブラウ

そうか、分かったゾ。
Judgementさんは「科学」の体面を保つのが目的じゃなくて、ビリーバーを張っ倒す・・・じゃないや、優しく説得するのが目的なんですね。
私は比較的「科学」の啓蒙に荷重をかけていたようです。

それにしても、「科学」って誤解されてますよね。
少なくとも自然科学の法則なんかは経験則なので、演繹的に証明できてるものではないのに。
だから揺らぎもすくないんですけど。

by トンデモブラウ (2008-05-18 10:29) 

Judgement

「科学」の体面を保つのが目的じゃないのは当たりです。
元々「科学」側にまぜてもらえるような知識はないので。
だから、「啓蒙」をするつもりも、する資格もないかと。

でも、ビリーバーを説得(あるいは罵倒)するとしても、それは目的ではないです。
強いて言えば、それは単にひとつの手段にすぎないですね。
目的は別にあります。
ただし、その目的は極めて個人的なものかと

そのあたりもまた今度書きます。
by Judgement (2008-05-18 22:36) 

ふま

野球する気なんてそもそもなくて、テレビゲームの野球ゲームをしていたと。そこに野球指導員だか、野球ファンだか、なんだかが「それは野球じゃない」と言って乗り込んで来た。
まあ、そういう図式だよね。
ついでに 2008/05/14 23:57
「俺はホームランを打つ!」って、野球ゲームで対戦相手にそれくらいのことは言うでしょうよ。
そんなことしても 2008/05/15 16:56
野球ゲームは好きだけど、野球は嫌いって人間を増やすだけでは?
by ふま (2008-05-21 03:21) 

Judgement

↑なんだか謎のコメントです。
聞いた事のある名前ですが、リンク先はdlitさんの所で
内容は「比ヤング」とこれまた聞いた事のある名前の方の
3連投分のコメントだし。

消してもいいのですが、どういう現象か非常に謎なので
分る方、思い当たる方がいれば教えてください。
by Judgement (2008-05-21 23:33) 

Judgement

apjさんありがとうございます。
実は過去に「室井健亮」という方のトラックバックを受けたのですが、トラックバック先を読んでも何ゆえのトラックバックか理解できなかったので、色々周辺情報を調べた際、ご紹介のページを見ました。
(トラックバックは結局削除しましたが)。

疑問は
このコメント投稿は、その人物によるものなのか?
だとして、なぜ自分の名前にdiltさんのblogのリンクを付けるのか?
そして、記事と繋がりが無いコメントの引用の意図するところは?

誤爆と思いたいけど、じゃぁ本来は(こんな訳の分らない)このコメントをどんな文脈に投入するつもりだったのか?

そこまで支離滅裂な人なんでしょうかね?
もやもやもやもや
by Judgement (2008-05-23 00:47) 

muroikensuke

自分達のテリトリーがあって、そこは今のところバカの被害をあまり受けてないんだけど、そこがバカに侵略されようとしているという被害者意識がまずある。
http://d.hatena.ne.jp/raurublock/20080522/1211468319#c1211625117
by muroikensuke (2008-05-24 21:16) 

Judgement

...で、何?
何を私に聞いて欲しいの?
by Judgement (2008-05-24 21:35) 

TAKESAN

今晩は。

ニセ科学論周辺でのふま歴が長い人です(1年以上)。

完璧に崩壊しているので、無視がベターかと思います。
私が知る限り、5・6箇所で、アクセス禁止、もしくは即刻削除の対象となっています。
by TAKESAN (2008-05-25 00:21) 

Judgement

あ、ご心配おかけして申し訳ありません。
「完璧に崩壊している」という噂はかねがね聞いてまして
まともな議論をしたいのであればご助言の通りとは思いますが
ABOFAN氏が休止中の今、手持ち無沙汰なので
その「崩壊しっぷり」でもウオッチしようかと
ちょっと誘いをかけてみたのでした(笑)
by Judgement (2008-05-26 21:32) 

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