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『依存主張』という方略 [疑似科学総論]

 自分の主張したい事について、「他の人もそう言っている」あるいは「他の人がそう言っている」という事を理由とし、かつその他者の主張に対しなんら説明をしない主張について『依存主張』と呼び、それによって参照される元の主張を『被依存主張』と呼んで話を進めます。
 なお、『被依存主張』として用いられる他者とは、専門家という特定の人物である事もありますが、「民衆・一般人」という抽象的な他者や、「科学」といった人格を持たないものである事もあります。

このあたりも関係します↓
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2008-05-03-2


【『依存主張』に欠けているもの】

 『依存主張』が説得力を持つには、最低限以下の3つの要件を満たす必要があります。

  A 実際にそのような『被依存主張』が存在する事
  B 『依存主張』の論旨と『被依存主張』の論旨がイコールであること
  C 『被依存主張』が適切な内容である事

 しかし、これらを満たすレベルの説明が自分できるのであれば、最初から自分の主張として自分の言葉で言えば良いわけです。
 ですから、逆に言えば上記A~Cのいずれか(あるいはいずれも)できないからこそ、『依存主張』に陥ってしまっている、と考えられます。
 また、その『被依存主張』の適用妥当性を問われると、(自分が説明しない事を棚に上げ)「これを知らない方が悪い」、「きちんと調べてから文句を言え」と“逆ギレ”されがちです。

 そうなってくると、『被依存主張』と同じとする『依存主張』を検証するために『被依存主張』を自分で検証しなくてはならないのであれば、最初から『被依存主張』自体を検討の対象とすれば十分であり、それに従属する『依存主張』も、その主張者も、はじめから相手にする必要は無い事となります。
 上記の観点で、『依存主張』は相手にとっては無意味なものとなります。


【『依存主張』に何を望む】

 一方、『依存主張』という方略を使う側にとってはどのような意味があるかというと、ひとつの側面として『自己の説明能力以上の事を主張するための “水増し”』があると考えられます。

 例えるならば、保証人を立てる事で、自分の信用で借りられる限度以上の金を借りようとする行為と同じです。そして、先に挙げたA~Cの要件をこの例えに沿って言い換えれば以下のようになるでしょう。

  A 保証人とする人が、具体的に誰であるか
  B 保証人とする人が、保証人になる事に同意しているか
  C 保証人とする人が、返済能力があるのか

 『依存主張』とは、これらのA~Cを自ら明らかにせず、それでいて保証人の名前を使って自分の信用以上の金をふんだくろうとしているようなものです。
 しかも、そんな人に金を出し渋ると、A~Cが適切であるか「保証人がいるかそちらで調べない・保証人を良く知らないのが悪い」と文句を言う、そんな感じです。


【責任の在処】

 もう一つの側面として「逃げのための保険」という、なんとも呆れた使い方をする人もいます。

 上記Cに関する欠陥により、自分の主張の旗色が悪くなった時に、『被依存主張』がそう言っていたからそれに準じただけで、自分が間違っていたわけではない、と責任逃れしようとするのです。

 また、場合によっては上記Bに関する欠陥のため、『被依存主張』そのものは間違ってないのに、誤読・湾曲・拡大解釈により『依存主張』への引用の仕方が間違っているケースもあります。それは当然、間違って解釈した人の責任のはずですが、“間違って解釈させた” 『被依存主張』の方の問題として、責任逃れを試みます。

 しかし、そもそも自分の主張に『被依存主張』を選択したのは自分のはずですから、選択ミスの責任は当然『依存主張』者が取るべきです。
 また、他者の言葉であるから“間違って解釈”する危険性があるというのであれば、最初から『依存主張』者自身の言葉で説明すべきであり、その危険を予見すらできなかったとすれば、それも自分の能力不足の結果として責任を取るべきでしょう。


【代弁者の資格】

 説明すべき事を説明せず、自分の主張として責任取るべきを取らない言い訳をするための『依存主張』が幅をきかせるならば、どんなに「立派そうに」見える事を並べ立てようと、およそ中身がない主張になります。
 すくなくとも、いちいち『依存主張』が『被依存主張』に対して妥当であるか、「検証してあげる」義務は相手には有りません。

 最も腹立たしいのは、この手の方々の中には『被依存主張』の“代弁者”であるかのように振る舞う人も少なくない事でしょう。

 「虎の威を借る狐」よろしく『被依存主張』のネームバリューを振り回して相手を見下したように批判する彼らは、結局、『被依存主張』の“代弁者”どころか、自分の拙い主張を『被依存主張』に“代弁”させようとしているにすぎません。


【科学の尻馬に乗る】

 このような『依存主張』的なものは、先に紹介した舌禍事件の批判者の中にも見出されます。
 自分の説明能力以上の事を、「さも妥当性がある」と思わせたいがために、「一般人」とか「識者」にも支持されているかのように述べているのです。

 モチロン、『依存主張』的なものは「疑似科学」にも見られます。
 そもそも、「疑似科学」が「疑似科学」たる所は、『依存主張』レベルでしか科学を語り得ない、という所ですが。

 しかし、私が奇異に感じるのは、「疑似科学」VS「正統科学」において、「疑似科学」側においてのみ『依存主張』が幅をきかせているわけではない、という事です。

 残念ながら「正統科学」側についている人においても、その正当性を『依存主張』により水増しして述べているだけではないか、という人が見受けられます。
 そういう人とは、どこが科学的でないのか、なんで科学的でないのか自分の意見を言わない(言えない)にもかかわらず、「科学的でない」と他の多くの人が言っている事を頼みに、一緒になってまるで「科学」の“代弁者”のように批判する人達です(某巨大BBSには沢山いますね)。

 それを語る能力がないのに「疑似科学」あるいは「疑似科学」提唱者を、無知蒙昧の類であり、世の中の害悪であると言い放つ姿は、私にしてみれば「疑似科学」を提唱する人を比べて、どちらも「科学の尻馬に乗っているだけの人」という点で同類に見えます。
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トンデモブラウ

『被依存主張』をきちんと理解していないのに、それを利用して『依存主張』するというのは、『被依存主張』を知らない人が聞いてしまうと『依存主張』を信じてしまうかもしれないけど、『被依存主張』が分かっている人にはその『依存主張』は笑止の一言。
でも大方の『依存主張』は、『被依存主張』の中身をあたるまでもなく、『依存主張』のヘンテコさで『被依存主張』とは縁もゆかりもないばかばかしいものばかりであることよ、という感じでOKですか。
ホメオパシーでもないのに水増しするな、とか。

「科学」の尻馬に乗る私のような末端の技術者も、debunkingしているつもりで自分が嘲笑されないように、しっかりとした「正統科学」に立ち位置を確保しないとダメよ、ということですね。
これって、分かっていてもなかなか難しいとこですよね。
揺らぎの少ないところに立っているつもりでも、気がつけばフワフワした部分に浮かんでいたりするので・・・

多くの炎上ブログで見かける「反対意見」の怒涛の書き込みをROMしてて思うのですが、「私も〇〇さんと同じ意見で、ブログ主の主張する・・・は間違ってます。・・・・・失望しました。もう来ません。」みたいなやつ、これって鬱陶しくないですか。
議論も収束しにくくなるし、何よりも見難い。
同じ意見なら書くな(アホか、黙って去れ!)、と言いたい。
ROMしてるだけの傍観者は黙っとけと言われるとそれまでですが。
by トンデモブラウ (2008-05-20 09:19) 

Judgement

多分、『依存主張』も、あと炎上ブログの例も、発言する人は『多数決』とか『選挙』の感覚なのではないかと。
そして、誰かがやれば、われもわれもとやり始める。
ただ「右に同じ」と言う為だけに、リソースを消費する。

自分の無垢な同意が、何かを真実に仕立て上げるかもしれないという幻想ですね。
 
私なんて、99人が賛成する場に100人目として登場するなら
反対に投票しないまでも、すべてをひっくり返す別案を出したい所ですが
(天邪鬼なんです)
by Judgement (2008-05-20 23:44) 

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