『ニセ科学入門』の捉え方 [疑似科学批判批判批判批判]
サボりまくってたし、来週はいそがしいしで、このままいくと6月真っ白になりそうなので、まぁまぁまとまってきたものをUPしておく。
最近になって、ようやく『ニセ科学入門』の上手い理解の仕方を見つけたつもりになっているので、その事を書く。
なお、『ニセ科学入門』批判のつもりはないので、その筋の方も変に構えないでいいですよ。
『ニセ科学入門』について、最初は色々と誤解している部分も正直あった。
でも今は、『ニセ科学入門』の記載内容については、非常に腑に落ちている。
最初うまく理解できなかったのは、『ニセ科学入門』は、「ニセ科学」の認定を前提にしていると誤解していたからだ(言い訳をすれば、多くの人達が認定を前提に語っているようだったから、その人達が強く押すこれも、そういう前提で書かれていると思っていたのだ)。
だけど、最近某所で菊池先生が「ニセ科学を定義しない」てな感じの事を言っていて、最初は「定義がなければ、認定もできないはずじゃないか」と思ったのだけど、いやまてよ、ともう少し考えたら「あっ、そういう事か」と理解できた(と思う)んだ。
【糸口】
理解に際して私が思い浮かべたのは「振り込め詐欺(旧オレオレ詐欺)」の事例だ。
「振り込め詐欺」と一口に言っても、様々な形態があり、これまでもこれからもバリエーションは増えてくるだろうから、画一的な『定義』を作成するのは難しいだろう。
ただ、刑法上は、振り込めだろうがなんだろうが詐欺は詐欺で、「振り込め詐欺」だから量刑がどうのこうの、という事は無い(はず)。
だから、ある詐欺が「振り込め詐欺」であるか否かを厳密に認定する必要はなく、それゆえキッチリした定義も特に必要ではないわけだ。
ではなぜ、「振り込め詐欺」という”概念”を作ったのか?その効果は?
それは、一般の人が「振り込め詐欺」という”概念”を頭に入れる事で、今まで何の疑問も持たなかった「振り込み」という行為の中に”疑い”というブレイクポイントを設けるためだろう。
そのためには、”概念”に警鐘となる程度の具体性は必要だけど、明確すぎてもいけない。
「オレオレ詐欺」という名称がこれに変わったのは、「オレオレ」いうパターンの限定が、かえってバリエーション的な手口への警戒を薄める危険を回避するためだろう(ただし、現状では「振り込め詐欺」でもカバーしきれず「還付金詐欺」という”概念”も必要になってしまったけどね)。
【「ニセ科学」とは何か】
んで、そういう事を考えて『ニセ科学入門』を読むと、「ニセ科学」という概念も”ブレイクポイント”としての機能が目的、と考えるのが色々辻褄が合うんだよね。
「科学に見えるけど、ホントは科学じゃない『ニセ科学』という魔物がおるんじゃよ」
と言っておく事で、それまで「科学だよ」と言われればそれで安心してた意識に「もしかしたらこれがその『ニセ科学』かもしれないぞ」という疑念を起こさせるようにする事ができる。
つまり、今ままで「科学だから確かだ」と判断していた人に、「それは確かに科学なのかな?」と考えさせるのが本来の目的であり、それを促進するための設定が「ニセ科学」。
【何故定義が不要か】
特定の理論を「ニセ科学」と認定する事は目的ではないんだよね。
むしろ、そちらは本来の目的を阻害する可能性があるんだ。
以前菊池先生は、「これはニセ科学なんですか」的な問いに対応する気はない、といった旨の事を言っていたような気がする。
それは、そうやって親切に仕分けしてあげる事で、「教えてもらわなかったものはノーマーク」になる危険を考えているからではなかろうか。
何より、それでは自分で判断できなくなってしまうわけで、本質は何も変わらない(信じるものを”科学と言う触れ込み”から”菊池先生の判断”に変えただけで、いつまた別の事を”信じる”ようになるかわからない)。
そういう立場だから、特定の理論を「ニセ科学」と認定するメリットは特に無い。
であれば、認定を可能にするような明確な定義を設ける必要が無い。
それにあまり明確にすると対象が限定され、「オレオレ詐欺」の事例のように「警戒心の幅が狭まる」というデメリットすら生じる。
だから、”見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの”なんて「謎かけ」みたいなゆるぅい概念規定でも十分なんだよね。
【解説の特徴】
解説も基本的に『こういうのは、こういうところが「ニセ科学」と言えるかもしれない』という”推測”の形で述べるのだ(断定ではない)。
※ ただし、全てがそうではない。それは後述。
明確な定義が無いから断定できない、というのもあるんだろうけど、そもそも力点を置いているのは、「それがニセ科学かもしれない」という部分ではなく、「こういう理由」で述べるような”考え方”なのだろう。
それでブレイクポイントで立ち止まった後、「自分で判断させる術」を教えようとしてるんだろう。
【何故宗教を対象にしないのか】
「確かに科学なのかな?」という問いは「科学だろうと思うもの」にしか使う必要が無いので、その範疇にあるであろう宗教・オカルトについては対象にする必要は無い。
そもそも、それらに求められているのは、必ずしも「確かさ」ではない。
例えば「不確かだけど夢がある」方が尊重されたりするわけで、そこで「科学か否か」で”確かさ”を追及するのも野暮だろう(SFを除外するのも、同じ理由)。
【総括】
どうだろう?個人的には95点ぐらいはもらえるのではないかと思うぐらい『ニセ科学入門』の解釈としてはかなり筋が通っていると思うのだが。
『信じるな、疑え』、『信じぬものは救われる』と、”疑う”事の重要さをアピールしてますしね。
モチロン、この解釈で良いと言うのなら、私はこの「ニセ科学」の捉え方を全面支持しますよ
...って、私が支持する事に何の価値もないけどね。
ただ、菊池先生が他で何を言っているか、というのは正直いちいち把握していないから、あくまで『ニセ科学入門』で言っている事に限定すれば、筋が通っている、という話。
【補足】
とはいえ、正直に言えば「全てに筋が通っている」わけではない。
実は『ニセ科学入門』の中では、特定の理論を「ニセ科学」と”認定”しちゃっている部分もある。
でも、それではおかしくなっちゃうんだよ。
いや、私の解釈とはズレるから、ではなくてさ。
『ニセ科学入門』で示す「ニセ科学」の概念は、認定に使える代物ではないんだもん。
菊池先生自身が最後の方で明言しているように、それが『科学的だからこそ信じられている』というのはあくまで”仮説”の段階なんだな。
仮説の段階で、そうだと認定するのはやはり辻褄が合わない。
『仮説を信じるな、疑え』と言いたくなっちゃうよね。
その辺は、ちょっと勇み足、と善意で解釈しておく。
【終わりに】
なんか、いきなり『ニセ科学入門』を支持するような事を書いて、なんだJudgementは「ニセ科学批判」側に戻りたいのか、と勘ぐった方、ご心配なく。
そのような事はありません。
『ニセ科学入門』はなかなか良くできている。
それは認めるんだけどさ
じゃぁその『ニセ科学入門』をこぞって支持して見せる『ニセ科学批判者』達の自分の言動は、これを支持するに見合っているの?
万一、見合っていないなら、自分が批判された時『ニセ科学入門』を持ち出せないはず。
てか、読め読め言う自分はちゃんと読んでんの?
支持するのと、自分のやっている事は別だ、というならそれはかまわないけれど
じゃぁ、自分のやっている事の理屈付けは、ちゃんと考えているの?
というか、「ニセ科学」が何だろうとかまわないような”ノイズ的発言”はお互い邪魔だよね。
...なんてあたりの問題を最近考えている。
確かに「ニセ科学批判」は『ニセ科学入門』と密接な関係はあるんだろうけど、「ニセ科学批判」に感じる問題は、『ニセ科学入門』とは切り離された所にあるんじゃないのかな。
で、今回は、そこに踏み込むための前フリ。
とはいえ、後で有利になるよう『ニセ科学入門』を都合よく曲解しようとはしていないからね。
何箇所か言葉の意味のブレや、文章的なねじれっぽいのがあって、あえて無視した部分もあるけど、一応は、極力菊池先生の意を汲もうとしたり、なるべく筋が通る方に好意的に解釈したつもり。
まぁ、その辺については、「ニセ科学批判」側の皆さんは、おそらく私以上に『ニセ科学入門』を熟読しているはずですから、何か間違いがあったら遠慮なく指摘してくださいな。
最近になって、ようやく『ニセ科学入門』の上手い理解の仕方を見つけたつもりになっているので、その事を書く。
なお、『ニセ科学入門』批判のつもりはないので、その筋の方も変に構えないでいいですよ。
『ニセ科学入門』について、最初は色々と誤解している部分も正直あった。
でも今は、『ニセ科学入門』の記載内容については、非常に腑に落ちている。
最初うまく理解できなかったのは、『ニセ科学入門』は、「ニセ科学」の認定を前提にしていると誤解していたからだ(言い訳をすれば、多くの人達が認定を前提に語っているようだったから、その人達が強く押すこれも、そういう前提で書かれていると思っていたのだ)。
だけど、最近某所で菊池先生が「ニセ科学を定義しない」てな感じの事を言っていて、最初は「定義がなければ、認定もできないはずじゃないか」と思ったのだけど、いやまてよ、ともう少し考えたら「あっ、そういう事か」と理解できた(と思う)んだ。
【糸口】
理解に際して私が思い浮かべたのは「振り込め詐欺(旧オレオレ詐欺)」の事例だ。
「振り込め詐欺」と一口に言っても、様々な形態があり、これまでもこれからもバリエーションは増えてくるだろうから、画一的な『定義』を作成するのは難しいだろう。
ただ、刑法上は、振り込めだろうがなんだろうが詐欺は詐欺で、「振り込め詐欺」だから量刑がどうのこうの、という事は無い(はず)。
だから、ある詐欺が「振り込め詐欺」であるか否かを厳密に認定する必要はなく、それゆえキッチリした定義も特に必要ではないわけだ。
ではなぜ、「振り込め詐欺」という”概念”を作ったのか?その効果は?
それは、一般の人が「振り込め詐欺」という”概念”を頭に入れる事で、今まで何の疑問も持たなかった「振り込み」という行為の中に”疑い”というブレイクポイントを設けるためだろう。
そのためには、”概念”に警鐘となる程度の具体性は必要だけど、明確すぎてもいけない。
「オレオレ詐欺」という名称がこれに変わったのは、「オレオレ」いうパターンの限定が、かえってバリエーション的な手口への警戒を薄める危険を回避するためだろう(ただし、現状では「振り込め詐欺」でもカバーしきれず「還付金詐欺」という”概念”も必要になってしまったけどね)。
【「ニセ科学」とは何か】
んで、そういう事を考えて『ニセ科学入門』を読むと、「ニセ科学」という概念も”ブレイクポイント”としての機能が目的、と考えるのが色々辻褄が合うんだよね。
「科学に見えるけど、ホントは科学じゃない『ニセ科学』という魔物がおるんじゃよ」
と言っておく事で、それまで「科学だよ」と言われればそれで安心してた意識に「もしかしたらこれがその『ニセ科学』かもしれないぞ」という疑念を起こさせるようにする事ができる。
つまり、今ままで「科学だから確かだ」と判断していた人に、「それは確かに科学なのかな?」と考えさせるのが本来の目的であり、それを促進するための設定が「ニセ科学」。
【何故定義が不要か】
特定の理論を「ニセ科学」と認定する事は目的ではないんだよね。
むしろ、そちらは本来の目的を阻害する可能性があるんだ。
以前菊池先生は、「これはニセ科学なんですか」的な問いに対応する気はない、といった旨の事を言っていたような気がする。
それは、そうやって親切に仕分けしてあげる事で、「教えてもらわなかったものはノーマーク」になる危険を考えているからではなかろうか。
何より、それでは自分で判断できなくなってしまうわけで、本質は何も変わらない(信じるものを”科学と言う触れ込み”から”菊池先生の判断”に変えただけで、いつまた別の事を”信じる”ようになるかわからない)。
そういう立場だから、特定の理論を「ニセ科学」と認定するメリットは特に無い。
であれば、認定を可能にするような明確な定義を設ける必要が無い。
それにあまり明確にすると対象が限定され、「オレオレ詐欺」の事例のように「警戒心の幅が狭まる」というデメリットすら生じる。
だから、”見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの”なんて「謎かけ」みたいなゆるぅい概念規定でも十分なんだよね。
【解説の特徴】
解説も基本的に『こういうのは、こういうところが「ニセ科学」と言えるかもしれない』という”推測”の形で述べるのだ(断定ではない)。
※ ただし、全てがそうではない。それは後述。
明確な定義が無いから断定できない、というのもあるんだろうけど、そもそも力点を置いているのは、「それがニセ科学かもしれない」という部分ではなく、「こういう理由」で述べるような”考え方”なのだろう。
それでブレイクポイントで立ち止まった後、「自分で判断させる術」を教えようとしてるんだろう。
【何故宗教を対象にしないのか】
「確かに科学なのかな?」という問いは「科学だろうと思うもの」にしか使う必要が無いので、その範疇にあるであろう宗教・オカルトについては対象にする必要は無い。
そもそも、それらに求められているのは、必ずしも「確かさ」ではない。
例えば「不確かだけど夢がある」方が尊重されたりするわけで、そこで「科学か否か」で”確かさ”を追及するのも野暮だろう(SFを除外するのも、同じ理由)。
【総括】
どうだろう?個人的には95点ぐらいはもらえるのではないかと思うぐらい『ニセ科学入門』の解釈としてはかなり筋が通っていると思うのだが。
『信じるな、疑え』、『信じぬものは救われる』と、”疑う”事の重要さをアピールしてますしね。
モチロン、この解釈で良いと言うのなら、私はこの「ニセ科学」の捉え方を全面支持しますよ
...って、私が支持する事に何の価値もないけどね。
ただ、菊池先生が他で何を言っているか、というのは正直いちいち把握していないから、あくまで『ニセ科学入門』で言っている事に限定すれば、筋が通っている、という話。
【補足】
とはいえ、正直に言えば「全てに筋が通っている」わけではない。
実は『ニセ科学入門』の中では、特定の理論を「ニセ科学」と”認定”しちゃっている部分もある。
でも、それではおかしくなっちゃうんだよ。
いや、私の解釈とはズレるから、ではなくてさ。
『ニセ科学入門』で示す「ニセ科学」の概念は、認定に使える代物ではないんだもん。
菊池先生自身が最後の方で明言しているように、それが『科学的だからこそ信じられている』というのはあくまで”仮説”の段階なんだな。
仮説の段階で、そうだと認定するのはやはり辻褄が合わない。
『仮説を信じるな、疑え』と言いたくなっちゃうよね。
その辺は、ちょっと勇み足、と善意で解釈しておく。
【終わりに】
なんか、いきなり『ニセ科学入門』を支持するような事を書いて、なんだJudgementは「ニセ科学批判」側に戻りたいのか、と勘ぐった方、ご心配なく。
そのような事はありません。
『ニセ科学入門』はなかなか良くできている。
それは認めるんだけどさ
じゃぁその『ニセ科学入門』をこぞって支持して見せる『ニセ科学批判者』達の自分の言動は、これを支持するに見合っているの?
万一、見合っていないなら、自分が批判された時『ニセ科学入門』を持ち出せないはず。
てか、読め読め言う自分はちゃんと読んでんの?
支持するのと、自分のやっている事は別だ、というならそれはかまわないけれど
じゃぁ、自分のやっている事の理屈付けは、ちゃんと考えているの?
というか、「ニセ科学」が何だろうとかまわないような”ノイズ的発言”はお互い邪魔だよね。
...なんてあたりの問題を最近考えている。
確かに「ニセ科学批判」は『ニセ科学入門』と密接な関係はあるんだろうけど、「ニセ科学批判」に感じる問題は、『ニセ科学入門』とは切り離された所にあるんじゃないのかな。
で、今回は、そこに踏み込むための前フリ。
とはいえ、後で有利になるよう『ニセ科学入門』を都合よく曲解しようとはしていないからね。
何箇所か言葉の意味のブレや、文章的なねじれっぽいのがあって、あえて無視した部分もあるけど、一応は、極力菊池先生の意を汲もうとしたり、なるべく筋が通る方に好意的に解釈したつもり。
まぁ、その辺については、「ニセ科学批判」側の皆さんは、おそらく私以上に『ニセ科学入門』を熟読しているはずですから、何か間違いがあったら遠慮なく指摘してくださいな。
お久しぶりです。
Judgementさんの、隙のない文章を読むのは、いつも楽しみです。
実は、「哲学思考トレーニング」、やっとこさ読みました。
なんて大変な本なんだ!
Judgementさんは、日頃から、こんな面倒な本読んでるんですね。
もう、つらくてつらくて、自分が「考えない人」だと、思い知らされました。
でも、頑張って読んだから、少しはましになったかも。少なくとも、他人の文章のアラは、探せるようになったかもしれない。
by cosi (2010-06-21 22:10)
放置しててスマヌ!
「哲学思考トレーニング」読みましたか、えらいっ!
じゃぁそれで下地ができましたので次は
高橋昌一郎著 (講談社現代新書)
『知性の限界』と『理性の限界』の2冊にチャレンジしてみては。
これは多分、伊勢田さんのより読みやすいし、かつ面白い、というか楽しい内容の本だと思いますよ。
>日頃から、こんな面倒な本読んでるんですね。
面倒な本でも斜め読みするのがコツですよ。
頑張っちゃいけない。そんな事をしたら、読書が義務になっちゃうから。
伊勢田クンの話を相槌打ちながら聞き流すくらいの感じが丁度いい。
正直、私はもうその本がどんな内容だったか、記事を確認しないと思い出せないくらいだよ(!)。
by Judgement (2010-07-08 00:59)
さっそくの、次の課題図書、ありがとうございます。
naokoさん御紹介の、ヒルクレストの娘シリーズと同時進行で読みます。それにしても、伊勢田クンと言えちゃうJudgementさんには、憧れます。
私のキャラじゃ一生無理かも。
by cosi (2010-07-08 21:58)