SSブログ

「ニセ科学の問題」界隈に集う人達のタイプ分け [疑似科学批判批判批判批判]

 いやいや、間があいてしまった。自分でも前に何書いたか忘れそうだ。
 7月をオールブランクにしないためにも、とりあえず書きあがったものをUPしておく。

 まず、前回のおさらいを簡単にしよう。

 『ニセ科学入門』で目指しているのは、「ニセ科学」という概念を用いて、「科学である」と言われれば素直にそう信じていた人達に「科学であると言っても実は贋物、というのがあるらしいぞ」という疑念を植え付ける事であって、それにより贋物が平気でまかり通る状況を打破しようとしているわけだ。

 この場合、話のベクトルは科学の専門家の立場から、「ダマされ予備軍」つまり、一般の人達に向かう事になるね。また、その場合の「ニセ科学」という言葉には、明確な定義は必要無くて、むしろ不必要であるかもしれない、というような話もした気がする。

 いわば世間の怖さを知っている親が無垢な子供に「知らない人についていってはいけませんよ」と注意するようなもの。「知らない人」を明確に限定しすぎると、適用範囲外には無警戒になっちゃうから、漠然と言う方が、警告としては有効なんだな。 

 もちろん、こういった解釈は私の誤読の可能性もあるだろうけど、とりあえずはそういう前提で話を進める。
 んで、このポリシーに沿ったタイプの主張を『啓蒙タイプ』と呼ぶ事にしよう。


【別の「ニセ科学」の使い方】

 タイプと言ったけど、じゃぁ違うタイプの主張もあるの?となるケド、あるんですねぇ。
 まぁ、何がしたくて、何に対して働きかけるか、というのは人それぞれでいいとは思う。別に「ニセ科学」という言葉を使う以上、何が何でも『ニセ科学入門』のスタンスに従わなければならない、という事はないのだからね。

 んで、啓蒙はいわば防御壁を作るやり方だけど、「攻撃は最大の防御」の如く、いわば「ニセ科学の撲滅」、正確に言えば「自分達がニセ科学と呼ぶものの撲滅」を目的とするタイプもある。先に親と子供の例を挙げたけど、こちらは「子供に警告する」のではなく、「子供に危害を与えそうなものを排除する」といった感じ。
 そういった場合、ダマされ予備軍に対する啓蒙じゃなくて、「ニセ科学」あるいは「ニセ科学信奉者」と直接バチバチやりあう、あるいは直接対話しなくても、徹底的にやり込めようとするわけだ。

 ここでは、そんな目的でやっているものを『旧疑似科学批判タイプ』、『ニセ科学撲滅タイプ』、『科学教タイプ』の3つに分けてみる。


【旧疑似科学批判タイプ】

 そもそも、菊池氏が「ニセ科学」を持ち出す前から、その手のものに対する批判はあったわけだけど、それをしていた人が、「ニセ科学」という新たなムーブメントに乗っかる形でその言葉を使っているのが『旧疑似科学批判タイプ』。

 疑似科学批判と何が変わったわけでもなく、単に「疑似科学」という言葉の代わりに「ニセ科学」という言葉を使うだけであって、いわば”それ”の呼び方を変えただけ。
 実際に指摘している事は、「ニセ科学」の話以前から言っている問題点だから、「本当にそれがニセ科学であるかないか」という事はさほど意味を持たない。だから、「ニセ科学」の定義云々の問題を気にする必要は無いし、『ニセ科学入門』に拘る必要も無い。

 そんなんで、「ニセ科学批判」の仲間に入れられるの?
 と思うかもしれないけれど、菊池先生だって自分の思惑で、ある本の邦題から「ニセ科学」という言葉を拝借しているのだから、他の人だってそうしたっていいんじゃないかな。


【ニセ科学撲滅タイプ】

 一方で、『旧疑似科学批判タイプ』に非常に似ているけど、それに加えて「ニセ科学であること」自体が問題である、という論調を用いるタイプもある。それが『ニセ科学撲滅タイプ』。
 「嘘だからダメ」、「装う部分で既に詐欺」といった事を批判に加えるやつね。

 ちなみに、量刑を決める前に、まず犯罪を犯している事を証明する必要があるのと同じで、それを言うためには、まずそれが「ニセ科学」であることを示せる必要がある。

 となると、定義しない『ニセ科学入門』では追いつかないから、自分達で定義を決める必要があるわけで、目的も必要な事も『啓蒙タイプ』とは全く異なってくる。
 じゃぁこのタイプの人達が実際にきちんと定義できているのかというと、私はそうは思えないわけだが。
 まぁ、そこをじっくり問題にしたいとこだけど、今回はその辺は置いておいて次に行く。


【科学教タイプ】

 このあたりになると亜流という感じになるけど、「科学ではない」イコール現実的には無意味・無効果である、という信念で語る人。
 例えば、「効果」を評価するのに、「科学の方がより確か」ではなく、「科学的な評価」をクリアしなければそれは無効果である事を前提にしたがる。
 確かにそうできれば非常にシンプルで考えやすいけど、実際は「科学で測れるものは測れるが、科学で測れないからといって存在しないわけではない」わけで、本来の科学の範疇を超えた主張になってしまう。
 そのため「科学教」と名付けた。
 
 その論法が示す攻撃範囲は原理的に「科学的でないもの全て」に向かう事から(当人の自覚は無いようだけれども)少なくとも『啓蒙派』とは明らかに異なる理念であり、一つ間違うと『啓蒙派』から否定されかねない
(ただし、『ニセ科学撲滅タイプ』との親和性は高いかもしれない)。
 

【ニセ科学考察タイプ】
 
 あと、ひとつだけタイプを付け加えれば、「ニセ科学」という用語を使用する活動を網羅し、「ニセ科学」及びそれに対する批判の全体像を把握しようというタイプを挙げておこう(いわゆる「事情通」)。
 そんなにいるわけではないけれどね。

 これに批判的精神が加わっていれば、科学に対する科学哲学のような位置付けで「ニセ科学」批判の舵取り的存在になるかもしれないが、集める事だけが目的、あるいは集めた上で全ての正当性を認める事が目的、となってしまうとダブルスタンダードの道しるべになってしまうかもしれない。


【主流は?】

 ざっと5つのタイプに分けてみたけど、1人の人間が1つのタイプの主張しかしないとは限らず、時と場合でタイプを渡り歩くケースもある事の方が多いとは思う。
 なお、渡り歩く事自体は別に悪いことではないけど、異なるスタンスの主張をしている事を自覚していないと、容易にダブルスタンダードに陥るので注意して欲しい。

 さて、タイプ別人口はどこが多いか、というと実際にカウントしたわけではないから憶測だけど、多分『ニセ科学撲滅タイプ』。

 何故なら、『啓蒙タイプ』や『旧疑似科学批判タイプ』は、基本的に科学的な間違いを説明できるだけの専門的知識が必要となるわけで、ハードルが比較的高い。
 一方、『ニセ科学撲滅タイプ』は、「ニセ科学」という新規な概念を元に問題を自由に語れればいいから、必ずしも専門家である必要は無い(あってもいいけど)。ある程度の情報収集力や分析力が備わっていれば申し分ないし、あるいは「ニセ科学の被害者」トカ「ニセ科学の被害者の関係者」として、問題を語ってもいい。
 つまり非常に間口が広いんだね。

 『ニセ科学入門』は、「ニセ科学を問題にする事」は”科学者としての責務”だと位置づけていたけれど、『ニセ科学撲滅タイプ』の出現により”科学者以外の人”も、気軽に参入できるようになった。
 だから、広まったんじゃないかな、と思うケド、その副作用で「市民運動化」になりつつあるように見えて非常に気がかりなところだ。


【周辺者】
 
 まぁ、色々問題も指摘したのもあったけど、上記5タイプは、”ニセ科学”という事についてちゃんと向き合おうとしている人たちだと思う(何を偉そうに)。

 一方で、『「ニセ科学」とは何か』という意識は特に無く、「自己の欲求の充足」を求めて他人の尻馬に乗ろうと、「ニセ科学」を考える場、「ニセ科学」を批判する場、「ニセ科学批判」を正当化する場等に出現する、ぶっちゃけ「ノイズ」と言いたくなるような人達もいる。
 そしてもしかしたら、「ニセ科学をテーマにする事の問題」よりも、この人達の介入による混乱の方が問題は大きいかもしれない。

 まぁ、この世界特有、というよりかはネット特有なんだろうけどね。

 ”フォロワー”と言えば聞こえがいいけれど、『野次馬』と言った方がより正確かもしれない。
 それは、”ニセ科学”と向き合っている人にとって、時には心の支えになるけど、困惑も与えたりもする。

 一番の悪影響は、真面目にやろうとしている自分達がその手の人と同類に思われて、心外な気持ちにさせられる事がある、というところかもしれない。
 まぁ、「いじめを止めない奴はいじめをしているのと同じ」ってな感じで、それを放置していれば、同類と思われても仕方が無いよね、とは思うケド、うんかの如く涌いて出てくる彼らは駆除しようにもしきれないだろうな、と思うとちょっとだけ同情する。

 まぁ、ウオッチするほうもそういうノイズは省いた方が、評価が正確になるわけで、その指標とすべくそんな周辺者達のタイプもざっと述べておく。


≪善意の人タイプ≫
 「ニセ科学」と呼ばれるものの影響として挙げられる端的なデメリットに感応して感情を高ぶらせ、その感情を解消するために批判するタイプ。「差別」あるいは「死」という分かりやすい”害”に釣られるだけで、本質的に「ニセ科学」云々という事はあまり関係ない。


≪偽善タイプ≫
 単に、「ニセ科学いじめ」をしたいというのが動機なのに、叩く正当化を装うために善意の人を装う。
 「善意の人」と見分けるための特徴としては、恫喝的でワンパターンな事ばかり言うだけで、その人自身の”思考”や”感情”が見えてこない点が挙げられる。
 この手の人は、例えば「差別はいけない、だから血液型性格判断を信じる奴はアホだ」何て口走るミスを犯す(本当に「差別」について考えているなら、「そういう自分も、血液型信者を差別している」という事に気付けるはず)。
 まず、「血液型性格判断を信じる奴」を罵倒したい、って目的があって、それを正当化させるために「差別はイケナイ」という他人の論調を安易に拝借するから、そうなっちゃう。
 

≪ボク知ってるタイプ≫
 「ニセ科学」云々よりも、「科学的な用語」をつかって「知的な話」をする、という事の方が主な目的なタイブ。
 自分で何かを1から組み立てると言うよりも、誰かが言っている事で、自分の知識に補足事項があればそれを述べる。
 「ニセ科学」に対しては、自分の知的水準の高さを示すためのネタにすぎず、科学的知識と相反するものがあればそれを指摘する。「何故ニセ科学批判なのか」という話になると、「他の人がこう言っている」と、それまた「自分の知識」で対応しようとする。
 本当は「知っている自慢」をしたいのだけど、そう見られるのは嫌だ、という意識が「自分を上げるのではなく、相手を下げる」、つまり、「こんな基本的な事も知らないのか」というイヤミ臭い態度に繋がる。
 基本的に、「自分の知識」だけに頼るので、狭量となる。


≪整いましたタイプ≫
 「ニセ科学」云々よりも、「上手い例え」をする、という事の方が主な目的なタイブ。
 基本的に、誰かが言っている事の尻馬に乗る事でしか、存在が示せない。
 捻りすぎて、元の発言者すら苦笑するしかないようなものや、「ボク知っているよ」的欲求と重複し、無理矢理自分の知識アピールにつなげようとする事で、何のために例えているのかさっぱり分からなくなっているような発言になったりもして、正直付き合いきれない。
 

≪スネ夫タイプ≫
 「ニセ科学批判」の仲間に入りたいがために、ご機嫌を取ろうとちょこまか動くタイプ。
 「どこそこではこんな事言ってましたぜ!」と密告したり、あるいは
 「そいつらに、思い知らせてやりまっせ!」と、ちょっかいを出しに行く。
 でも、借り物の主張で行き詰まると
 「どこそこに来てみろ、お前ら、兄貴にボコボコにされやがれ」的な態度を取るお調子者。


≪太鼓持ちタイプ≫
 特に考えはないけれど、頭がいいはずのひとが考えている事にとりあえず同意する人。
 同意する事で、自分のステイタスも彼らと同化させられると思っているのかも。
 議論に何の深みを与えない一方で、混乱もさせないため一見無害であるが、そのような人達の存在のせいで「これで十分理解できるようだ」と錯覚させてしまい、議論をより深める機会を失う、という危険がある。


≪ひと言口を挟みたいタイプ≫
 とりあえず、上から目線のワンフレーズを言って、分かったフリをしたがるタイプ。
 基本的に、ワンパターンな単語を駆使してメタな評価を下すが、「何故そう言えるのか」の説明が一切欠けている。説明不足でも「そうだそうだ」と賛同してくれる人の存在が心の支え。
 こんな奴に限って、「説明が足りない」とか文句を言ったりするのでアホくさい。


 まだまだありそうだけど、今回はこの辺で。
nice!(0)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 8

cosi

Judgementさん、楽しみに待っていました。
すっきりさせてもらいました。ありがとうございます。
特に、周辺者のタイプ分けには、笑わしてもらいました。
Judgementさんが、おそらく小学生の頃から、転校のたびに培ったにちがいない、人間観察力が炸裂していて、脱帽です。
クラシックの演奏家を評する時に、良く使われる表現を借りると、「他の追随を許さない」表現力です!!
kikulogのコメント欄を読む時には、このタイプ分けを念頭においておくと、さらに楽しめそうです。

特に偽善タイプの説明には納得でした。

>この手の人は、例えば「差別はいけない、だから血液型性格判断を信じる奴はアホだ」何て口走るミスを犯す(本当に「差別」について考えているなら、「そういう自分も、血液型信者を差別している」という事に気付けるはず)。

確かにそうですよね。この手の発言にうっかり騙されるところでした。
この手の人たちの、「とにかく罵倒したい気持ち」というのを考えると、そうとう鬱憤ためて生きてるんだろうなと、逆に気の毒になったりもします。
by cosi (2010-07-08 21:38) 

cosi

きくちセンセイへの評価は、Judgementさんと私は、少々違っているみたいです。
私は、知れば知るほど、だんだん評価を下げています。

>うんかの如く涌いて出てくる彼らは駆除しようにもしきれないだろうな、と思うとちょっとだけ同情する。

私は、きくちセンセイが、kikulogでうんかを発生させることで、やっと安心して発言できる人なんじゃないかと、思い始めています。
kikulogのコメント欄で、よく、うんかが湧いているからそう思うのですが。

やたらと、「僕ら」という表現も使うし。一人で主張する勇気がないんじゃないかな。
統計学者さんだから仕方ないのかもしれないけれど、議論のルールとかもわかっちゃいないし。

ところで、Judgementさんの蔵書から、早速「理性の限界」「知性の限界」お借りしました。まだ「理性の限界」の最初の部分を読んだだけですが、しびれました。世の中にはすごい人がいるものですね。こういう本を紹介してくれるJudgementさんも、ホントにすごいです。
by cosi (2010-07-09 17:54) 

Judgement

あまり褒めるな、嫌いになるゾ(私、褒められるの苦手なの)。

>周辺者のタイプ分けには、笑わしてもらいました。

そこが、私も一番書きたかったトコなんだな。
正直、一番役に立たないのに、一番うるさい人達なんだよね。
特にツイッターとはハテブコメントとかは、そいつらのためにあるんじゃないのか、って感じだよ。

>kikulogのコメント欄を読む時には、このタイプ分けを念頭においておくと、さらに楽しめそうです。

そう、そんな風に使って欲しいんだよね。
ステレオタイプ、って必ずしも悪いものでもなくて、物事を効率的に分類するのに役立つんだ。
そうすれば、本当に押さえるべきコメントも分かってくるし
時には「なんじゃこりゃ、このスレは周辺者しかいねー」なんて事もあるかも。

>そうとう鬱憤ためて生きてるんだろうなと、逆に気の毒になったりもします。

うん。私も皮肉じゃなくてそう思う。
中には、お前に実生活の時間はあるのか!?と不思議に思うほど熱を入れている人もいるし。
でも、頭使わず匿名さんを叩いて解消できるような鬱憤ならば、鬱憤の質もたかが知れてると思うけどね。

>きくちセンセイへの評価は、Judgementさんと私は、少々違っているみたいです。
>私は、知れば知るほど、だんだん評価を下げています。

あはは、誤読よそれ。
私が評価しているのはあくまで『ニセ科学入門』だけ。

菊池誠センセイは正直よくつかめてないし、つかもうともしていませぬ。
つかめるほどあんまり気安くコメントしないしね、あの人。
結構防衛強いのかな?つつきがいはなさそうだ。

まぁ、他所のブログを見ていると「へぇ、菊池先生はそんなこと言う人なんだ」と幻滅するコメントの紹介を見つけたりするけど、裏が取れないので評価はとりあえず保留している状態。

ちなみに、菊池聡センセイの方は好き

>統計学者さんだから仕方ないのかもしれないけれど

え?物理学者じゃなかったっけ?
...今wikiで調べたら「計算統計物理学の専門家」だった。

>まだ「理性の限界」の最初の部分を読んだだけですが、しびれました。

ね、面白いでしょ。
さらりと読むのに丁度いい構成だから、気合入れないで読んでみて。
by Judgement (2010-07-10 02:09) 

klm

統計学と統計物理学はまったく別物ですよ。念のため。

統計学は数学の一分野で、理工学系にかぎらず測定とその値の解釈を必要とする分野でかならず使われます。(使えないひともいるのが困りものですが)

統計物理はミクロなものの相互作用を記述し、それが大量にあるときの総体のふるまいを導き出す(eg.分子運動→熱力学)学問です。
by klm (2010-07-12 15:03) 

Judgement

klmさん、説明サンキュ。

まぁ、説明してもらって言うのもアレだけど、ちなみに私はその事は知っておりますよ。
古い話になりますが、ABOFANくんをいじって遊んでた時、ちょうどそんな話をしております。
(厳密には「統計物理学」ではなく、「統計力学」の話でしたが)
興味があれば↓(長いケド、だいたい真ん中くらい?)
http://www010.upp.so-net.ne.jp/abofan/no1049.htm

なのに私が「統計学と統計物理学の違い」について特に触れなかったのは、
>統計学者さんだから仕方ないのかもしれないけれど、議論のルールとかもわかっちゃいないし。
ってのは、cosiさんが指摘したい事実認識は
「菊池先生が議論のルールを分かっていない」ってところであり
”統計学者云々”ってのは、その事実の原因を推測しているだけ。
まぁ、ちょっとした倒置法?

だから、「統計物理学は統計学じゃない」と訂正したところで、
cosiさんが予測する原因の候補からそれが外れるだけ。
指摘の事実認識は別に変える必要が無いんだな。
『統計学者だから、きっと議論のルールが分からないだろう』なら話は別だったけどね。

となると、あえて細かく説明する必要も無いかと思った。
そもそも、cosiさんも専門家じゃないんだからさ。
むしろ、間違えても仕方ない名前だよね、という意味で
>...今wikiで調べたら「計算統計物理学の専門家」だった。
と引用したんだなぁ。
間違いは間違いなんだろうケド
本題に関係ないなら、あっさり訂正でもいいんじゃないかと。

まぁ、知っている人はその間違いが気になって仕方ないんだろうけどね。
by Judgement (2010-07-12 23:22) 

Judgement

てか、klmさん。
この私の前で「統計」の概念説明をするたぁ、ああ憎たらしい。

しかも、あたかも統計が理工学系が中心である事を匂わせるような言い方!
きぃぃぃぃぃぃ!!

私に言わせりゃ、統計を一番駆使する必要が有り、実際やっているのは
社会学、心理学、経済学あたりの文系分野ではないかと思うゾ。
(まぁ、文系びいきの私のバイアスが多分に入っちゃいるが)

それでも、統計物理学あたりになると必要不可欠かつ高度な事やってんだろうなぁ、って思うけど、少なくとも、工学と化学あたりは(羨ましい意味で)統計使う必要があまり無いんじゃないかな。

前に化学分野の研究やってる人に統計(検定)の事聞かれて、その際にデータ見たんだけど、分散がほとんどなくて、見ただけで検定で危険率0.001%でも楽勝だろう、って分かるし、相関なんか回帰直線上にしかプロットが無い。
「これってなんで統計やる必要があるんですか?」ってこっちが聞いちゃった。

つうか、「使えないひと」、特にトンデモ統計をやっちゃう人ってのは、私としては工学系の人の印象が強い。
能見氏しかり、ABOFANクンしかり。

半知半解なくせに、理系だから数字に強い、という自負だけで間違ってないと確信しちゃうんだよね。

と、klmさんにかこつけて、理系批判をしてミタ。
by Judgement (2010-07-12 23:24) 

klm

> 古い話になりますが、ABOFANくんをいじって遊んでた時、ちょうどそんな話をしております。

そうでした。失礼しました。

たしかに、物理、化学あたりはあまり統計学の技術を必要としないかもしれません。生物あたりだと必須になってくるのですが、よく理解せずに統計処理をおこなってしまっているという嘆きをよくききます。というか、たぶん使ってないからばれないだけで、物理屋、化学屋でも理解してない人は多いんではないでしょうか。

ちなみに私の本業は統計自然言語処理ですが、統計学は教科書を見ながらでないと使えません(恥)
by klm (2010-07-13 09:22) 

Judgement

へぇ、統計自然言語処理!それは面白そうね。
計算言語学系だったら「シェイクスピアは誰ですか?」って呼んだことあるけど、そっち方面でなくて、機械翻訳とか情報検索系かしらん。

今の私の中のトレンド゙は“ベイズ統計”なんだけど
(気になっているだけで、使いこなしているわけではない)
まさにそういうの駆使してるんじゃないかなと勝手に想像してみたり
(違うかもしれんけど)。

>生物あたりでは必須になってくるのですが
私が昔参照していた分散分析の本も、確か生物の実験を前提にしたものでしたね。あと、理系と言っていいのか分からないけど疫学あたりも統計は必須でしょうね。

>統計学は教科書を見ながらでないと使えません(恥)
統計は教科書見ながらやるくらいが丁度良いんです。きっと。
自信が無い方が、慎重になれる。

今や、SPSSだRだのと便利なソフトがあるから、データさえあれば簡単に結果が出せるんだけどさ。
その簡易さ故に、やたらめったら使って多重検定による誤りの危険度が上がったりするんだよね。
また、便利な道具があるから、統計の仕組みというのをちゃんと理解しないでも、表面的には”できちゃう”から、サンプリングや仮説という下準備の重要さの認識が薄れかけているんじゃないかと思ったり。

まぁ、こんなブログの片隅でKlmさん相手に世の統計の傾向語っても仕方ないんだけどね...。
by Judgement (2010-07-13 22:57) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。