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問題と責任と解決 [他ブログいっちょかみ]

 色んな記事のコメントをほっぽって申し訳ないけれど、FSMさんのほたるいかの書きつけでの「『an・an』血液型特集:献血ルームで占いとは…」の記事とそのコメント欄でのやり取りについて考えた事があったので書いておきます。


 ...というのは、ここでの皆さんのコメントのやり取り(正確に言えば、主張のベクトルについて)に、なんとなく関係する感じがするから。
 話のネタにしてFSMさんには申し訳ないですが、別に喧嘩を売りたいわけでは無いです(普段は結構興味深く読んでいるんです)。
 なお、向うの記事に変なリンクが付くのも申し訳ないので、とりあえずTBはしないでおく。


【本題】

 さて、『an・an』での”占いをしてくれる献血ルーム”の紹介記事について、FSMさんはこうコメントしています。
…献血ルームでこんなことやってていいのかよ!!
(中略)
なあ、こんなんでいいのかよ、日本赤十字社。率先してオカルト広めているとは…。!

 この記事のコメント欄でヴィゼータさんという人がコメントを残しているけれど(どちらかといえばFSMさんと対立する主張)、私はこの人の意見にほぼ賛成。

 FSMさんは、赤十字社を社会的責任のある組織と位置付け、オカルトは社会的責任のある組織が扱うには慎重であることが求められる、と述べていますが、赤十字社の最大の社会的責任は「血液を確保する事」だろうと思うわけです。

 モチロン、その責任を果たすため何をやっても良いと言うわけではないでしょうが、でも、じゃぁ「占い」は職務遂行よりも優先して忌避すべきホドの事なのか、って思ったわけです。


【献血事情】

 日本では現在「売血」はできませんし、金券類を渡すようなのも有償採血と判断され禁じられているようです。

 しかし、慈善行為で賄うにしても、痛み等の身体的な不快感、そして採血のための決して短くは無い時間を考えれば「募金箱に100円を入れる」よりもハードルが高く、そのハードルを越えられる人をアテにしていても賄いきれないのが現状。

 そこで「サービス」により、言葉は悪いけど"善良な人”以外も釣るわけです。
 サービスとは、無形なもの(マッサージチェア、本やビデオの鑑賞)、あるいは飲食物の提供ですね。

 ちなみに、私も"善良な人”ではないのですが、学生時代は「ドーナツ食べ放題、ジュース飲み放題、ビデオも鑑賞可能」に釣られて献血をしてました。


【占いというサービス】

 そういう意味では「占い」は無形だから”サービス”の範疇に上手く入る。しかも、別に違法行為であるわけではないし、むしろ市民権を得ている。しかもしかも、世の中を見わたせば、「占い」のニーズは高い。
 これらを考えれば、赤十字社の最大の社会的責任である「血液提供者の増加」を果たすための有効な手段と思える。

 逆に言えば、このアイディアを思いついておきながら、「占いはオカルトだから」と言う理由で実行せず、漫然と血液不足を維持する方が「倫理」に反するんじゃないかな。
 
 「他のやり方もあるだろうに」と言うかもしれないケド、「他のやり方」があるならば、それ”も”やればいいだけの話。常に足りない血液の事を考えれば、工夫はいくらでも重ねるべきだと思う。

 それでも忌避しなくてはならないようなイリーガルなものなのだろうか「占い」は。


【これで占いが蔓延するか】

 ちなみに、コメントには御坊哲さんと言う人が凄いことを言っています。
占いにどれほどの集客効果があるかもしれませんが、私は少しくらい血液が不足しても、そこらじゅうで大っぴらに占いがおおはやりな状態よりましだと思います。

 献血の増加は「占いの集客効果」にかかっているけれど、献血の増加が「占いの蔓延」に繋がるような物言いはオカシイんじゃないの?
 
 献血ルームでは、来た人全てを強制的に占うわけではない。そこに来るのは基本的に初めから占いに興味津々な人でしょう。で、どうせ他の「占い師」に走るぐらいなら、血液を提供してもらった方が世の中のためになるんじゃない?(当人のお財布にも優しいし)。

 なんて言うと「献血ルームで見て初めて興味を持つ人がいるかもしれないじゃないか」ってな事を言う人もいるかもしれない。それは否定しないけど、それを言うならば「献血ルームの中」よりも外の世界の方が占いに溢れているでしょう。「献血ルーム」だけの問題のように言うのならばそれは視野が狭すぎ。

 この人が「占い」を毛嫌いするのは別に良いと思うのだけど、それは「血液の不足」と並べて評価すべきものなんだろうか。
 モチロン、「その人の個人的都合」で何と何を比較しようが勝手だけど、そんな論調で「公(おおやけ)」まで語っても、正直説得力を感じない...。


【らしくない】

 FSMさんはそこまで凄いことは言っていないようなのでホッとしているのですが、記事の方で述べている「オカルト広めている」という表現は、“らしくない”短絡的な評価だと感じました。
 「既にある人気者を利用する事」と、「その人の人気を広める事」は、共通する部分もあるけどイコールとは限らないでしょ。

 また、FSMさんも『短期的メリット:献血に来る人を増やせる』、『長期的デメリット:日赤への信頼を減じ、社会にオカルトが蔓延する下地を作る』と、御坊さんと同様に「血液の不足」と「オカルト蔓延」を並べて評価しています。これも“らしくない”。

 FSMさんがオカルトを問題視しているのは分るし共感もするんだけど、だからといってその問題を「赤十字社」の社会的責任や倫理にまで一気に繋げてしまうというのは急ぎすぎじゃないかな。ある意味一点突破的で、どこか「買ってはいけない」の論理にも似ていると思う。

 そんなところが“らしくない”と思った次第。


【視点の違い】

 私は別にFSMさんの問題提起が全て間違っていると言いたいわけではなく、「献血増加」を窓に社会を見るか、「オカルト問題」を窓に社会を見るか、により生じるズレを「日赤の責任」にしてしまっているようなところが非常に気になるのね。

 FSMさんは社会を考えた上で「献血ルームで占いをするのはけしからん」と思ったとして、それは別に邪な気持ちではなく真剣にそう思った訳でしょう。で、それを口に出すのは別にかまわないと思うし、現状を「自分の理想」に近づけようとするならば、なんらかのアクションが必要だ。

 ただ、だからといって「自分の理想」のために、「赤十字社」に「社会的責任」だ、「倫理」だと、いろんなものを押し付けてしまうのは、私としてはいただけない論法。

 「赤十字社」だって、世間のニーズを読み取り、かつ「世間の占い事情」からはみ出さない範囲で利用しているだけではないかな。それはそれで、一生懸命社会を見つめ、本来の社会的責任(血液の供給)を果たそうとしているわけだからね。


【占いの可否と献血】

 「オカルト蔓延」を危惧する人にとっては、その嫌いなものを活用している「日赤」はオカルト蔓延の尖兵であり、信用ならんものに見えるんでしょう。
 で、もしそうだとして、その人たちは(そしてその人達の支持者は)「日赤はオカルトを支持して信用できないから献血はしない」と言い出すのかな?

 だとすれば、それは確かに日赤の誤算でしょうが(献血者が減るわけだから)、そのような人よりも「占いにつられて献血に行く人」の方が多ければ、誤算とも言えない(そして、悲しいけどおそらく現実は後者の方が多いんじゃないのカナ)。

 ってか、「占い」に文句言う人は「占い」を止めれば積極的に献血に行くのだろうか?
 うーん、多分そうでも無いんじゃないかな。

 となると、来るか来ないか分らない人が「占い」でより来なくなる事を危惧するよりも、「占い」に釣られて来る人の事を考える方が、「献血」という目的においては『合理的』な考え方ではなかろうか。

 そもそも、万一本当に「日赤はオカルトを支持して信用できないから献血はしない」と言うのならば、献血と言う行為を何か履き違えていると思う、私は。


【蔓延の責任】

 「献血ルーム」で「占い」を扱うことが問題、だとしましょう。

 では、そこで「赤十字社」に矛先を向ける事で何が期待できるのでしょう。
 例えば、万が一その訴えを聞いた赤十字社が恐縮して「占い」を止めたとする。
 それでどうなるんだろうか。

 確かに「占いの蔓延に加担する可能性(がどの程度と見積もっているのか知らないけれど)」は皆無になると思うケド、一方で「占い」目当ての献血(これも実際にはどの程度か知らないけれど)の分の損失はどうするのだろう。
 「血液確保」に焦点を当てると、「オカルト蔓延防止」に拘る事にも問題がありそうだ。

 「そんな事知るか、とにかく占いはダメ」なんて悲しい事は言わんで欲しい。
 「血液を集める」事ができるのはとりあえず赤十字社だけだからこういう話をしているのね。

 そもそも、「占い」の蔓延については、今まで手に負えなかったわけで、だから結局「占い跋扈」の現状になっており、日赤はその現状を踏襲しただけだよね。

 日赤に「オカルト蔓延への関与の可能性」を危惧させたところで、どれだけ効果があるのか。まさか、そうすれば蔓延が防止できるとは言えないだろう(今まで手に負えてなかったのだから)。
 なのに、あたかも「蔓延の責任」があるかのように糾弾されるのは、ある意味「オカルト蔓延防止」が上手く行かなかった事のトバッチリを受けているようなものじゃなかろうか。


【バランス】

 別に「オカルト蔓延」が問題じゃない、と言いたいわけじゃないのね。
 けれど、色んな視点で見れば色んな問題が見えるわけで、そういった問題の全てを解決する責任の全てを日赤が負わなければいかんのかな、と思うわけ(血液不足の問題を差し置いて)。

 一番言いたいのは、自分が捉える実情として献血センターが「占い」を利用するのが問題だと思ったとして、相手の実情である「血液不足」も踏まえた上で、「自分がする事、できる事、すべき事」も提案する、ってのがバランスが取れているんじゃないの、って事。

 例えば、『献血センターで占いを利用するのは、オカルト蔓延の観点でよろしくない』と問題提起した上で、『だから私達はもっと頑張って占いの魅力を無くし、献血センターとかで「占い」に頼る必要性を感じなくさせよう』と言うトカ。
 『でも日赤にはとにかく不足している血液をなんとかしてもらって、多少のオカルト蔓延は私達が何とか防ごう』って言うように”分業化“を提案するってのもある。
 また、実情を鑑みれば、『占いを使ってまで客寄せしなくてはならない現状を打破するため、積極的に献血に行こう』ってのもいいんじゃない?

 「社会を良くする」という大義名分を使うとしても、何でもかんでも赤十字社に責任を取らせるだけでは、何もしていないようなもの。

 それでは単なる「占い嫌いのクレーマー」になっちゃうと思うノダ。
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コメント 14

cosi

きゃ~うれしい。Judgementさんが生きていた!(失礼)
また、ぶり返したのではないかと、もんもんと心配していたのでした。

オカルトに過敏に反応するのは、いったいなんだろうと思います。生理的な好き嫌いはどうしようもないですけどね。
何でも批判するなら、実情を知った上で、代替案も示してほしいなと思います。高みの見物での批判しっぱなしは、当事者たちからすると、うっとうしいだけではないでしょうか。
話が飛びますが、親が子を叱るときでも同じ気がします。子供の状況を理解し、どうすれば良いかを一緒に考え示す態度が、子供の心を動かします。状況も聞かず、理解しようともせず、一方的に親の価値観を押し付けて叱ると、反発するか萎縮するだけですよね。
by cosi (2010-05-04 16:15) 

トンデモブラウ

「占い」を商売にするのは別に違法ではないよね、きっと。
占い師のカテゴリは、エンターテイナーだろうし。
個人的には、献血ルームで占いをしようが、仮面ライダー・ショーをしようが、特に気にはならないけど、「オカルト蔓延」に危惧する人がいても、そっちも気にならない。
子供に注意する頑固親爺みたいで、レーゾンデートルはあるとみた。

で、献血は政府機関が半強制的に集めればいいんじゃないかと思うけど。
原理主義的宗教関連や代替医療信奉者が反対すんだろうな。
by トンデモブラウ (2010-05-06 11:25) 

cosi

なるほどね~。頑固親父ね。確かにそういう、頭が固くなっちゃって、それまでの価値観と違うことが理解できないタイプは、仕方がない気がします。

頑固親父という年齢でもないのに、「自分の理解できないことを受け付けない」タイプに、ナルシシズムや大人げのなさを感じます。自分のわかることだけを世の中に求める自己愛的な人達。異質な他者への理解に乏しい、または異質で理解不能な存在への耐性の低さ。

一言でいうと、〝幼稚〟なんでしょうね。科学的思考能力が高い人達だけに、その幼稚さが、奇異に映る。
by cosi (2010-05-06 16:32) 

トンデモブラウ

>頭が固くなっちゃって、それまでの価値観と違うことが理解できないタイプ

なんでやねん!
どんな人(物事)にも、欠点を挙げて批判できないもんなんてないのよ。
制限速度以下で走行する自動車にはイラっときますけど、コンプライアンス精神としては天晴れでしょ。

そこの部分を「幼稚」とするのは、自分の都合のいいように解釈してるだけなんじゃないかな。
異質な他者への理解が乏しいのは、「異質な他者」が「異質ではない人々」に与える影響を無視しているという点で、頑固親爺よりももしかしたらそっちの方が他者への理解度が低いんじゃないかな、という疑問も。
「異質な他者」に含まれる人は、気付き難いんじゃなかろうか、ということ。
どっちがどっちとは言いませんけど。

頑固親爺が怒鳴らないと、他人に迷惑をかけている子供当人はなかなか気付かないでしょ。
怒鳴られた子供の親が怒鳴った頑固親爺に「大人げない」というのは、大人の対応でしょうかね。
by トンデモブラウ (2010-05-07 09:13) 

cosi

コメントを短くしすぎたせいで、うまく伝わっていないような。

頑固親父はもう頭が固いので、仕方ないと言っています。
「幼稚」だとか、「大人げない」とか、「異質なものへの耐性が低い」というのは、そこまで年齢のいっていない、頑固親父という世代でもない人たちへの形容です。

それはともかく、

>怒鳴られた子供の親が怒鳴った頑固親爺に「大人げない」というのは、大人の対応でしょうかね。

子供が、何をやらかしたかにもよりますね。
まあ、滅多な事でない限り、いきなり怒鳴るのはどうだろうと思う。
そういう人を、あまり尊敬はしない。でも、大人げないというより、そういう価値観の世代だし、脳の構造なんだろうからと、理解はする。
頑固親父が、小さい脳梗塞をたくさん起こしているんだったら、感情のコントロールが効かないのも仕方がないから。

>「異質な他者」に含まれる人は、気付き難いんじゃなかろうか、ということ。
>どっちがどっちとは言いませんけど。

結局、どっちが多数派かということで、多数派が正常、少数派が異常とみなされるんですよね。その場合、あまりに極端に少数派を排除しようとすると、「魔女狩り」になってしまいますよね。
そういう、少数派を排除しきった社会は、思想的に清潔なんだろうけど、きちきち管理が行き届きすぎて柔軟性に乏しい。行き過ぎるとナチス支配下のドイツのような状況になるのではと思います。
by cosi (2010-05-07 14:47) 

Judgement

【cosi さん】
大丈夫ですよ、ご心配なく。”憎まれっ子世に憚る”ですからね。

まぁ、上の記事についてはあんま真剣な批判じゃなくて
軽いツッコミぐらいの感覚のつもり。
FSMさんのキャラってものもあるし、その彼の語り口調は嫌いじゃないのだ。

オカルトに過敏に反応する人もいれば、
オカルトに過敏に反応する人に過敏に反応する人もいる。
そのようなものが混在しているのが社会の姿でありますね
Cosiさんの別の所のコメントを借りれば、まずは
>ありのままで把握
するのが第一かと。

>話が飛びますが、親が子を叱るときでも同じ気がします。
私流に言えば「叱る」と「怒る」の違いみたいなもので
「怒る」のは、理由は自分中心であって、相手に対する威嚇行為。
「叱る」のは、理由を相手に伝える事が目的になるわけ。
それには、相手に目線を合わせる、相手の立場を知る必要がある。

 でも、ただ「怒ってみせて」、延々”自分の理屈”を押し付けようとする人も多い。
 そして、「怒っている理由」ではなく、「怒っている自分」が大切だから、その自分を正当化するため”理屈”もコロコロ変わる(けど、当人は「至極当然の事を言っているツモリ」)。
 そしてそれが受け入れられないと、ますますキレる。単なる駄々っ子。

で、最後のセリフ
「私は、お前のために言っているんだ!!」
ハァ...ウソつき...

>そういう、少数派を排除しきった社会は、思想的に清潔なんだろうけど、
>きちきち管理が行き届きすぎて柔軟性に乏しい。
>行き過ぎるとナチス支配下のドイツのような状況になるのではと思います。

月マガ今月号「海皇記」、主人公ファンのセリフ。
『自分が絶対正義だと強く信じているヤツが、一番 非道い事をする』
by Judgement (2010-05-07 23:08) 

Judgement

【トンデモブラウさん】
>占い師のカテゴリは、エンターテイナーだろうし。
むしろ、カウンセラーよ。元占い師とすれば。

>異質な他者への理解が乏しいのは、
>「異質な他者」が「異質ではない人々」に与える影響を無視しているという点で、
>頑固親爺よりももしかしたらそっちの方が他者への理解度が低いんじゃないかな、
>という疑問も。
>「異質な他者」に含まれる人は、気付き難いんじゃなかろうか、ということ。
>どっちがどっちとは言いませんけど。

「異質な他者」と「異質ではない人々」なんて、えらく差別的な...
こういう差別的な区分けをする人は、自分こそが「異質ではない」って思っているもんなんだよねぇ。
んで、自分らが「正しい人々」であるという事にして、なびかない者に「他者への理解が足りん」とか「お前ら気付けよ」と全ての責任をおっかぶせようとしているだけでは?
で、自分が「異質な他者」とやらに与える影響は当然の如く無視すんじゃないのカナ?
なんかなぁ。

ちなみに私は全ての人が(自分も含めて)それぞれが「異質な他者」であると考えているケドネ。
by Judgement (2010-05-07 23:08) 

naoko

しばらく遠のいていたんだけど、最近また仕事が入り始めた復帰した〝占い師〟の立場から言わせてもらっても、占いはやっぱり、まるっきりエンターテイナーではなくて、ほとんどカウンセラーだと思う。さもなきゃ人生相談かな。
少なくともわたしはそういう感じでやっている。
謝礼はちょっぴり受け取るから商売っちゃ商売だけど、占い作業に一時間以上、さらに当人との面談に3時間ぐらいかけるから、まったく割にはあわないなあ。ほとんどボランティア気分だね。
本業じゃないので、まあ、人助けと思ってやってるんだけどね。

わたしの実感としては、「易」は、真剣に良心的に追求すればするほど、今の時代、本業には向かないとは思う。
by naoko (2010-05-08 07:00) 

トンデモブラウ

「異質な他者」って私の言葉じゃないんですけど。
乗っかったでけで、要は揺らぎのない視点なんか存在しないっちゅうことが言いたかっただけ。
「お前ら気付けよ」じゃなくって、「こうかもしんないよ」っていうサジェッションです。
主語も自分じゃないし。

エンターテイナーの占い師とカウンセラーの占い師の区別が解らん。
方法も目的も一緒じゃなかろうか。
by トンデモブラウ (2010-05-08 15:28) 

Judgement

【naokoさん】

そちらは易ですか。こちらはタロットでした。
でも、中国哲学好きだったので岩波文庫の易経(上・下)は持っている。 
最初は「何で四書五経に占いの本が入っているの?」って思ってたけど
ある意味、「世の中の出来事の傾向」を分類したものであり、占いという目的だけではなく、処世訓としても有用だったのでは、と今は考えています。

>占い作業に一時間以上、さらに当人との面談に3時間ぐらいかけるから、
うひゃぁ、それは長ぇ。
でも、見ず知らずの人相手ならばそれくらいは必要か
(私は友人相手のみだったからチャッチャとやったケド)

>さもなきゃ人生相談かな。
いや、まさにそうなんですよねぇ。
また、無責任なくせにおせっかいな人間相手に相談するよりも、無責任だけどあとくされない「占い」に相談する方が当人の自由度は高いのかな、と思ったり。
by Judgement (2010-05-09 01:13) 

Judgement

【トンデモブラウさん】
うーん....

>「異質な他者」って私の言葉じゃないんですけど。
>乗っかったでけで、

確かにcosiさんは「異質な他者」という表現を使っているけどさ
それに「異質ではない人々」という言葉をワザワザくっつけて
「差別的図式」をあえて作り上げたのは、あ・な・た。
それを「乗っかっただけ」とは、ちとアコギな言い分じゃなぁい?

他人がやった事だけ言及し、自分がやらかした事は隠した上で
さも、「自分のせいじゃないですよ」的な正当化を試みるのは
トンデモブラウさんが常々言っている「詐欺」には含まれないのかな。

>要は揺らぎのない視点なんか存在しないっちゅうことが言いたかっただけ。

 cosiさんは「異質な他者」という言葉を「自分とは違う他人」と言う意味で使っている。
 それを勝手にアブノーマルという意味に変換し、差別的な自分の視点をくっ付けて主張する、何てことをやらかして「揺らぎの無い視点」もないもんだと思うぞ。
 自分の視点が乱視気味では、確かに揺らぎのない視点なんか存在しないだろうケド。

 とか、厳しい事を言ってみたけど、そもそも「視点によって見え方が違う」は、おそらくcosiさんとかnaokoさんもとっくに承知していて、その上で「どういう視点だと、どう見える」という話をしているんだよね。
 それに対し、今更「揺らぎのない視点なんか存在しない(お前の見方が唯一じゃないぞ)」的な事を言う(つもり)なのは、あまりにも引き離されすぎだろうに...。
by Judgement (2010-05-09 01:14) 

bandicoot

ごぶさたです。

>異質な他者
これの引き合いに「異質でない人々」を出したのではややこしくなりますね。視点によって見え方が違うというのではれば、
「異質な他者」への視点なんだから、
もうひとつは
『頑固親父とちがって自分は「異質な他者」を理解できていると思っている人々の、ナルシシズムや大人げのなさ。』

例えば、裸の王様を見て
「王様の服なんて着てない。実際見えてないし。」
という頑固親父と、
「いやいや、正直者には見えているんだ、見えてるって人まわりにいるし」
という科学では解明できない服の理解者。
の視点であって、王様からどう見えるか。ではないということかと思います。

トンデモブラウさんは、ここを、「正直者にしか見えない服を見えててそれを着た王様」と「その服が見えなかった残念な王様」のふたつにわけちゃった感があります。

ああ、これは僕にはこう見えているしこう考えている。というはなしで。
トンデモブラウさんはこう考えているはずだ!というものではありません。
by bandicoot (2010-05-10 12:37) 

Judgement

【bandicootさん】
 お久しぶりっ!
 ところで、「裸の王様」の例、かえって分かりにくぅ(いきなり辛口)

 まぁ、彼が言っている事がそもそもとっちらかっているようなので、上手く例えられないのはそのせいと言えばそのせいなのだろうけどね。

 「人それぞれの視点によって見え方が違う」と心底了解している人にとっては『異質な他者』の言葉が指すものを、スッと理解できるのだろうケド、『異質な他者』を「マイノリティな人達」に思わず変換してしまうような人が「視点によって見え方が違う」が意味する事を深く考えているのか疑問なんだなぁ。
by Judgement (2010-05-20 22:46) 

bandicoot

>かえって分かりにくぅ

うーん、残念。
考えれば考えるほど「ホメオパシー」と「正直者にしか見えない服」、めっちゃ似てるなあ、と悦に入ってたのに。

あの服ももしかしたら、着てる(つもりの)人が肌寒く感じない、くらいの効果はあるかも。


「めっちゃ寒いときにそれを着ろ、と言ってるわけではありません。すこし寒いかなー、くらいのときに、その服をきれば肌寒く感じないのなら、それを認めるべきだと言ってるんです」
とか、
どこかの衣料メーカーの不祥事やら、不良品つかまされたことをあげ、
「現代衣料は信用できない、代替衣料を選択して何が悪い」
とか、
どこからか聞こえてきそう。






by bandicoot (2010-05-23 17:55) 

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