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哲学思考トレーニング [書評]

 トンデモブラウさんが「対話」に悩んでいるような事を言っていますが、それを聞いた私は、正直言えば「あなたの態度じゃ100年たっても出来ねーよ」なんて内心思っていたわけです(失礼な)。
 だって、やりたい気持ちがあっても、やり方を知らなければやりようが無いし、そもそもあんたは本当に対話をしたいのかよ、と思うところもあり、コツコツ色々な事を書き溜めてUPしようとしていたんですけれど....。

 著者名で借りた本(この著者は『疑似科学と科学の哲学』というその筋では有名な本の著者)なんですが、その内容は思いもよらず、自分が書き溜めていたような事を100倍、いや1000倍以上キッチリと分りやすく述べられていたのですよ。ショック!!

 ...つうことで、恒例の手抜きですが、紹介するのはこちら

 『哲学思考トレーニング』 伊勢田哲治著 ちくま文庫

 なお、私の伝えたい事の意図によって、内容を抜粋して紹介しているので、引用文だけを見て「説明が足りない」とか「筋が通らない」とか「それは違うと思う」とか、果ては「気に食わない」等と“著者に対して”文句を言うのは認めませぬ。

 あと、私の文は雑になっていると思うので(病み上がりなので...と言い訳)、アレだったら読み飛ばしてクレ。


【クリティカルシンキングとは】
 クリティカルシンキングとは、ひと言でいうと批判的思考のことである。《中略》日常語では「批判」という言葉には否定的な評価という意味合いが強いが、ここではそれとはちょっと違い、ある意見を鵜呑みにせずによく吟味することを「批判」という。したがって、結論としては同意する場合でも、その意見が本当に筋が通っているかどうかよく考えたうえで同意するのであれば、批判的といってよい。
 この意味における批判的な思考法がクリティカルシンキングである。

 「クリティカルシンキング」とは、相手の意見を懐疑するための方法、というよりかは自分にバイアスがかかっていないか懐疑するための方法だと私は捉えている。

 自分が正しいと思っている事に対立する話を耳にすると、直感的に「これは間違いだ!」と思い、そして「相手の話が間違っているか」を検討するのではなく、「自分の判断がいかに正しいか」を確認する事によって判断しがち。一方で、自分が正しいと思っている事に沿った話を耳にすると、「なるほど、やっぱりね」的に鵜呑みにする。
 これを私は「視野狭窄」と呼ぶ。

 自分の立ち位置、自分の視線の先を一切動かさず、その視界に入るものだけが「必要なもの」であり、視界に入らないものは「必要でないもの」と判断してしまう状態。
 でも、そんなんでは「世の中」が把握できっこない。
 違う立ち位置、あるいは違う方向を見る事で「世の中」はより立体的に把握できる。
 そもそも、自分以外の全ての人は、基本的に自分とは違う立ち位置、違う方向を見ているわけで、互いにその位置、方向に固執していれば、何時までも目線が合わない。
 つまり、「対話」は不可能。

 「対話が難しい」と言う人の多くは、単に自分の立ち位置や視点を動かせない、動かしたくないだけで、それでいて相手が自分の視界に入ってくれないことに不満を抱いているだけにすぎないような気がする。

 それと、批判的な目で見る、というのはキチンと相手の意見を理解するという事だ。
 その上で同意なり否定なりをするべきであって、それは「対話」に必要な事と全く同じ。
 なお、「理解できない」事を否定の理由とする人も見かけるが、それでは「クリティカルシンキング」ではない。また、「理解=同意」ではない。「同意しないのは、理解していない証拠だ」と思いがちな人もいるケド、「理解されれば同意するに決まっている」と考えているようなもので、えらく自信過剰である。


【情報の質を高める共同作業】
 コミュニケーションというのは、情報の送り手と受け手の共同作業である。送り手の側が「わたしは好き放題に喋るから、信頼できる情報とそうでない情報を吟味してより分けるのはそっちで勝手にやってね」と受け手の側に丸投げしてしまうと、受け手の側の負担が増えるばかりである。情報の送り手もまたいつも送り手なわけではなく、他の情報については受け手になるわけだから、受け手にばかり選別の負担がかかる仕組みは結局、誰にとってもあまり望ましくない。
 そこで、本書では、クリティカルシンキングというものを、情報の送り手と受け手両方の共同作業の中で、社会において共有される情報の質を少しでも高めていくためのものの考え方、としてとらえる。実際、きちんとした議論にもとづいてきちんとした主張をするためにも、他人の主張を吟味するのと同じ技術や知識が役に立つはずであるから、コミュニケーションの両側にかかわるものとしてクリティカルシンキングを統一的に扱うのは、けっこう筋が通っているのではないかと思う。

 このあたりはまさに「対話」を成立させるための必要用件でしょうね。
 
 でも、『「対話」が成り立たないのは相手方のせいだ』と言いがちな人もいるようですが、おそらくそれは口では「対話したい」と言ってても、その実興味は無いのではないかな。
 相手がやらない事を、自分もやらない言い訳にしてしまっている。

 本当に対話したいと思うなら、振り向かない相手のフィールドに踏み込んで、脅したりすかしたり、相手を惹き付けるための努力を繰り返すでしょうよ。
 自分は一歩も動かず「対話しようよー」と声だけ張り上げているだけでは、本気で「対話」したがっているようには全く思えませぬね。

 場合によっちゃ、めんどくさいのか何なのか知らないけど誰に対して、というわけでもなく文句をブツブツ言ったりする輩もいる。
 独り言ならチラシの裏にでも書いてくれ、って感じだけど、そんなんで気を引こうとでも思っているのかしらん。
 いわゆる「表現方法」として使う分にはいいと思うケド、特定の人と「対話」しようとしているつもりなら、それはやっちゃいかんダロ。


【視点の違いによる見え方の差】
 事実判断についても難しい問題はある。それは、視点の差からくる見え方の差である。すでに見たように、温暖化論者と懐疑論者はお互いに相手が業界や企業のまわし者であるかのような非難を浴びせていた。  これが単なる論争のレトリックではなく、本気で相手の意見がそう見えているのだとしたら、危険な徴候である。というのも、こうした反応は、相手の目から証拠を見ることができず、相手がなぜ自分の意見に反対するのかが理解できなくなったときに典型的に生じるものだからである。政治党派どうしの対立や宗教的な対立でも似たようなことが起きる。

 陰謀論を鼻で笑うくせに、「ニセ科学」に対してはすぐ「金儲けだ」とか「意図的な詐欺行為だ」と決め付けるのは同じ事なんじゃないかと思うんだよねぇ。
 こうした現象は、科学哲学でいうところの通約不可能性が局所的に生じた結果によるものと考えられる。通約不可能性とは、二つのグループがまったく違う世界観で世界を見るために基本的な出来事でさえも違って見え、そのために話が通じなくなるという状態をさす。

 最大の問題はこの『通訳不可能性』という事が生じうる、という事をなかなか意識できない事じゃなかろうか(著者も後で述べるけど)。
 
 通約不可能性は特殊な場合にだけ起きることではない。人間の認知というもの自体が外からの刺激を一定の型にはめこむかたちで行なわれる。また、「あらゆる情報を考慮に入れる」ということは不可能で、かならず情報の取捨選択をしなくてはならない。その際に、違う型にはめこんで対象を見たり、違う枠組みのもとに情報を取捨選択すれば、当然ながら話が通じなくなるのである。このプロセスにはほとんど無意識に行なわれる部分がかなりあるのが、話をさらにややこしくしている。

 このあたりは心理学では常識だけど、素朴に「自分にはそう見えているのだから、他人にも同じに見えるのが当たり前」と思い込んでいる人は、『通訳不可能性』の存在すら理解できないでしょう。
 以上のような通約不可能な意見の差に敏感になり相手の「世界観」から状況を見てみることは、異文化理解の第一歩である。さらにいえば、共同作業としてクリティカルシンキングを進めていくうえでの必須条件でもある。《中略》世界観の違う人同士が単なるののしりあい以上の実りある論争をするためには、世界観を共有している場合にましてお互いの協力が不可欠である。

 「世界観の違い」を捨て台詞に、「対話」を打ち切ろうとする人がいるけれど、現実的には「全く同じ世界観を持つ他者」なんてのはいない。
 むしろ「対話」をするのであれば、「世界観の違い」が存在する事は大前提なんだよね。
 

【通約不可能性をどう処理するか】
 通約不可能な意見の差が生じている徴候はいろいろある。たとえば、自分が決定的だと思う証拠や議論を提出したのに、相手がまったくその重要さを認識していない(どころか単に聞き流してしまっている)ように見える、というのは通約不可能性が働いている一つの徴候である。
 逆に、相手の質問や意見が字面の上では理解できるのに、そもそもなぜそういう質問や意見が出てくるかがわからず頭をひねる、という状況も同じ徴候である。こういう場合、同じ質問に同じ答えが返されるといった不毛なやりとりが何度もくり返され、しまいには「こんなに物わかりが悪いのは裏で利害団体から金でももらってるんじゃないか」などと勘ぐることになってしまう。
 もちろん、単に予備知識に差があるためにお互いの言うことが理解できないという場合もあるだろう。その場合は必要な予備知識を共有することで意思疎通が可能になる。しかし予備知識を共有してもなお、お互いの質問のポイントが理解できないなら、通約不可能性が働いている可能性を疑ったほうがよい。

 「対話」が上手く行かない、と感じる人が思っているのはこんな事ではないかと思う。
 「こんなに一生懸命説明しているのに理解してくれない」とか、「なんだこの無限ループは」とか。
 ...で、大抵はその原因を「相手の資質」に求めてしまいがち。

 でも、『通訳不可能性』というものに気付けば、自分のせいでもないけれど、相手のせいでもないわけで、そうなるともう少し冷静に打開策を考えられるんじゃないかな。
 その打開策として幾つか提案されているけれど、そのうち比較的簡単にできて、かつ重要だと思われる2つを紹介。
 通約不可能なくい違いの解消の方法としては、とにかくまず、相手の認知の枠組みや、何が重要な問題で何が重要でないと思っているかを推定し、その枠組みを身につけた者からは世界がどう見えるか考えることである。

 つまり、相手の視点に立ってみる、という事。
 これと連動して、第1章で少し触れた、情報を発信する側のクリティカルシンキングについても考えなおす必要がある。情報発信者の側から見ると、通約不可能性が存在するということは、自分が発信した情報が思ってもみないやり方で解釈されるかもしれない、ということを意味する。《中略》そんな場合は、相手の視点から見ても理解できる言葉で情報発信する必要があるだろう。

 以前指摘した事があるけれど、自分の知識を誇示したいのか「難しい言葉」をあえて並べて語る人がいる。
 そんなのは単なる「自己満足」であって、装った自分を鏡で見てうっとりしているナルシストのようなもの。自分の主張を他人に伝えたい気持ちなんてさらさら無いように見える。さらに勘ぐれば、まともに説明ができないから、ハッタリかましているだけなんではないかなぁ、と思ったりする。

 「言葉に気を使う」というのは、まぁ「言葉の意味を明確にする」のも重要だけど、一番大切なのは「相手に分る言葉を使う」のはもっと重要でしょう。
 「難しい単語のボキャブラリー」よりも、「同じ意味の言葉を様々に表現できる」というボキャブラリーの方が大切なんじゃないかな。

 あと、もっと分らんのはどう考えても説明を省いているようにしか見えない人。そういうのは、自分の主張を明らかにしたいんじゃないで、後から都合よく変えようとしているだけではないかなぁ。
 しかも、説明不足のクセに、そこについて、相手が何か言うと「そうじゃない」を連発するし。
 なお、こうした作業を自分からすると相手に譲歩することになるのではないか、と心配する人もいるだろうが、必ずしもそうはならない。「あなたからこう見えているであろうものは、こういう差があるために、わたしからはこう見えます」というかたちで相手に通約不可能性が働いていることを説明するためにも、まず何がくい違っているのかを把握しなくてはいけない。
 もちろん、相手の見方を理解することで自分の立場が変わることもあるだろう。それもまた理解が深まったということであって、譲歩したわけではない。最終的にはお互いがお互いについて理解を深め、両者のものの見方を統合した一段レベルの高い視野を獲得するのが理想である。こうした統合は地平の融合と呼ばれる。

 「自説から一歩も動こうとしない」ような人はこのような心理が働いているのだろうか。

 私は、そんな意固地な人は「ああ、それしか考えられないのね」と見下げるし、上のような事ができる人の方が能力があると感じるんだけどね。


【間違いを認めるのを恐れないこと】
 最後にもう一つだけ、個人のクリティカルシンキングにおいても多人数のクリティカルシンキングにおいても重要な心構えについて簡単に触れておこう。
 それは「間違いを認めて改める」という態度であり、これができなければ、ここまで書いてきたクリティカルシンキングの手法をいくら学んだところですべては無駄である。

 「クリティカルシンキング」を、“他人の課題”にするためだけに使っている人も見かけるケド、他人を「クリティカルシンキングができていない」とあざ笑っておきながら、“自分の課題”でもある事を考えてないから、実はその本人も「クリティカルシンキングができていない」...なんてのを見ると、ほんとムカつく。
 自分に都合のよい文脈を選び、自分に都合のよい基準で議論を評価し、自分に都合のよい証拠だけを見るなら、ここまで紹介してきた技術を使っても、確かに今の自分の立場を変えずにすむかもしれない。しかしそれが目的ならクリティカルシンキングをする必要はない。

 何を言っても「でも、○○じゃないか!」とか「だって、○○なのは確かだ」、相手が何を言っても関係無しに、自分を正当化させる根拠ばかりをしつこく言う人。「程度問題だ」と曖昧にしつつ、自分に都合のいいように程度の基準を設定しようとする人。
 こんなのは「自分が正しい事」を一方的に相手に押し付けたいがためだけのものであり、「対話」ではないんだよね。
 「過てば則ち改むるに揮ることなかれ」という『論語』の言葉は、クリティカルシンキングを志すすべての人問の座右の銘(の一つ)になってよい。これは、第2章で紹介したポパーの反証主義の基本理念でもある。

 あるいは、「間違い」を認めると言うよりも、「正解はいくつもある」という認識を持つだけでも違うんじゃないかな。
 人間は批判されることに弱い。自分の意見を批判されると頭に血がのぼり、自分自身が攻撃されたように感じ、相手が何を言っているのかもよくわからなくなる。《中略》逆の立場で、わたし自身も他人の批判に対する自分の解答をあとで読み返して反省することは多い。これは、部分的には通約不可能なくい違いが生じているせいだと思われるけれども、部分的には批判されたことで単に思考が硬直してしまっているからだと考えられる。

 こういう場合、どうしたらいいだろうか。いくつかルールを挙げよう。まず、自分の意見に感情移入しすぎないことである。自分で思いついて愛着のある説でも、場合によっては切り捨てる覚悟がないと、結果的には自分にはねかえってくることになる。相手に譲歩するのはプライドが許さない、という人は、自分が今持っている意見を無理矢理弁護し通すことにプライドを持つのではなく、自分の過ちを素直に認められるということにプライドを持つことを考慮してみてほしい。それが結局は実り多い論争への道でもあり、実り多い論争からは自分自身も得るものが多いはずである。

 次に、自分の意見に対する批判は必ずしも自分自身に対する攻撃ではないということをわきまえることは大事である。もし論争相手がそこを混同しているようであれば、まず文脈の分業について相手と一致をとり、人格攻撃と切り離したかたちで冷静に論争できる場を整えるのもよいだろう。また、批判されて頭に血がのぼっていると感じたら、自分が落ち着くまで返事をするのを待つのも実際的なアドバイスとして有効である。

 私が常に考えているのは「どんなに頭が良くても、人間は間違うものだ」という事。
 ましてや、人並み程度かそれ以下の頭の私なら、間違わない方がおかしい。
 (というか、人生今まで間違いだらけだ)
 他人に色々と疑い深いコトを言ったりしているけれど、実は、私が最も疑っているのは自分自身。
 だから、自分が言いたい事を思い付いても、そっからあれやこれやと検討する。だけどそれで「完璧」にしてからUPしているつもりなのかというと、申し訳ないけどそうじゃない。
 「絶対どっか間違っているだろう」という思いを拭えぬまま、最後は「もういいや」と開き直ってUPする、そんな感じ。だから、「間違う」事はあまりおそれないし、むしろあって当然という気もしている。

 んな感じだから、反射的な応答なんてもう怖くてとてもできない。
 だって十分考えても間違えない自信が無いのに、考えないで反応したら間違うに決まっているもの。

 私の口調は偉そうだけど、内実はそんなもんだ。

 そんなんだから、自分を疑わず、反射的に言葉を並べる事ができる人に対して、「すげーな、おい」と興味を持つと同時に、不確定要素満杯の公道をフルスピードで暴走する車を見た時の様な不安を感じてしまうんだなぁ。


【おわりに】

 偉そうに解説したけれど、むしろ、紹介したものは、自分もうっかりやらかしそうな間違いだからこそ、戒めとして挙げたようなものでもアリマス。

 「そういうお前はどうなんだ」と言われるかもしれないけど、そうしたら「自分の至らなさ」を認めた上で、「そういうお前もどうなんだ」と言うのでヨロシク。
 「お前もそうなんだから、他人に文句を言うな」は無しの方向で。

 「互いにダメだから、互いにダメなままでいい」なんてのはくだらんからね。
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トンデモブラウ

私も「対話」なんてしなくってもいいんですけど、つい好奇心が。
正直インチキ代替医療へ傾倒する気持ちも解るんですよ。
元オカルト超常現象研究会なので、一般人よりはディープな見方ができるし。

で、いろんな人がいれば、いろんな経験や思考をするのは当然ですが、「水」は万能薬じゃないし、いわゆる「波動」が物理的現象を引き起こすこともない、というのは共通認識としてあってもいいんじゃないかと思うわけですよ。
そこの部分の共通認識が「どう違っている」のかは気になるところ。
「信仰」なんですか?(いやマジで。)

>陰謀論を鼻で笑うくせに、「ニセ科学」に対してはすぐ「金儲けだ」とか「意図的な詐欺行為だ」と決め付けるのは同じ事なんじゃないか

そりゃ一緒でしょう。
どっちもインチキかつ非現実つながりで。
善意が動機であっても「ニセ科学」を勧める人は、全力でdisりますよ。
むしろ鼻で笑うのが正常な反応じゃないかな。

「人間は間違うもの」という意見には同意します。
で、間違いを認めて修正できるハズですよね。
孔子も言っているように。

「確証バイアス」ちゅうの、よう知らんけど。(羹に懲りて膾を吹く、というのじゃろうか。)
個人的な経験則と表裏一体ですよね。
おっと、またアクセルをむやみにふかしちゃったゼ。
by トンデモブラウ (2010-05-08 15:57) 

cosi

久々の書評、待ってました!
病み上がりなのに・・、ブログ愛読者の期待にこたえるかのように・・。ありがとうございます。

いろいろと、身につまされる話であります。自分の視点を離れて、他の視点から物事を見ることは難しいことですね。

ホメオパシーにおける対話においては、私は、批判する人が、なぜ批判するのかを知りたいという動機でやってました。それと同時に、なぜ私がホメオパシーを利用しているのかも、知ってもらいたいという動機で。

(た)さんの、ホメオパシーを批判する理由は、理解することができました。トンデモブラウさんの批判理由は、いまだによく理解できないまま、ループに入っている?状態ですかね。

【トンデモブラウさん】
>いわゆる「波動」が物理的現象を引き起こすこともない
>そこの部分の共通認識が「どう違っている」のかは気になるところ。

そこは、同じように認識しています。
そこの認識は、トンデモブラウさんと違っていないのです。
そういうことと関係なく、現実的な数々の理由から、ホメオパシーを利用するに至っているのです。

一番の理由としては、子供のころから数十年にわたり、通常医療の治療を受けていたのですが、副作用の方が強くなり、効果がなくなってしまったことが一番大きい。
その他にもいろいろあるわけですが。

ホメオパシーをやっても治りはしないが、気持ち的には現実に役に立っている。それが全てです。
だから、自分と同じようなタイプで必要そうな人には勧める。トンデモブラウさんのような人や必要としていない人には勧めない。

だから、ニセ科学批判の人たちに、「原理が科学的に間違っているニセ科学だし、疫学的にも効果なしという結果が出ているからホメオパシーはなくすべきだ」と言われたら、困るのです。実際ホメオパシーがこの世からなくなったら、私は非常に困るのです。般若心経を唱えて耐える方法しかなくなってしまう。つらい状況をやり過ごす方法が減ってしまう。
通常医療が効かないどころか、副作用に苦しめられるばかりの状況にいるから。(もちろん、自分の今の状況以外では、通常医療が役に立つことがあることもわかっているので、通常医療を全否定しているのではないのです。)

ニセ科学とやらのホメオパシーをなくすのなら、あなたたち何か他の方法で、私を治したり、気持ちだけでも楽にできるわけ?と言いたくなるわけ。
できないんなら、(た)さんのような合理的な批判以外は、やめて欲しい。

エントリーの内容に反して、とことん主観的で感情的な意見を書いてしまいました。トンデモブラウさんの質問に答える時には、どうしてもこうなってしまう(人のせい)。

Judgementさんの前のエントリーのコメントにあった、
>月マガ今月号「海皇記」、主人公ファンのセリフ。
>『自分が絶対正義だと強く信じているヤツが、一番 非道い事をする』
気に入りました。

トンデモブラウさんは、

>「人間は間違うもの」という意見には同意します。
>で、間違いを認めて修正できるハズですよね。
>孔子も言っているように。

と書いていますが、あくまでも、間違いを認めて修正できるハズの人間の中に、自分は入ってないような・・。
どこか、「自分が絶対正義だと強く信じているヤツ」のにおいがするのです。「一番 非道い事をする」とまでは思いませんけど。
by cosi (2010-05-09 01:31) 

Judgement

【トンデモブラウさん】
ホント、アクセルべた踏みね。

>私も「対話」なんてしなくってもいいんですけど、つい好奇心が。

 本当に好奇心があれば、「対話」をしたがるはずなんですけどね。
 私の見立てでは、それは「好奇心」じゃなくて、「自分の言ってほしいことを言ってもらって安心したい」という”自己愛”に基づく欲求ではないかと思う。んで、「言って欲しいこと」を言ってもらえないから、『「対話」なんてしなくってもいい』って思っちゃうんじゃないのかな。
 
>そこの部分の共通認識が「どう違っている」のかは気になるところ。
>「信仰」なんですか?(いやマジで。)

気になるならば、自分で考えるがよろし。
私はあなたのGoogleではないからね。
自分で考えて、自信が持てる答えが出たら聞いてしんぜよう。
その上で、批判してあげるさ。
「批判されるのが嫌、批判する側になりたい」からといって、他力本願になるのはズルイ

>で、いろんな人がいれば、いろんな経験や思考をするのは当然ですが、
>「水」は万能薬じゃないし、いわゆる「波動」が物理的現象を引き起こすこともない、
>というのは共通認識としてあってもいいんじゃないかと思うわけですよ。

 誰も「水」を万能薬とは言っていないと思うぞ。トンデモブラウさんには「水」にしか見えないものが、ホメオパスには「レメディ」という特別なものに見えているんだよ。
 自分の認識が共通認識であって欲しい、という欲求は分かるケド、欲求に従うだけではそれを本当に共通認識にする事はできないんだな。

 『いや、だから「只の水」が水に見えないのがそもそもおかしいんだよ』と、「固定された視点」につき合わされ続けるのも嫌なので、あえて自分で禁忌を破って言うけどさ...

 キリストが「神の子」なんてウソじゃん。どう考えても人だし。
 だから、キリストは「只の人」であることは共通認識としてあった方がいいんじゃない?
 んで、自分を「神の子」と偽って話を信じさせようというのは結局詐欺だよね。
 だから、彼の教えを信じる人だって、詐欺師の片棒をかついで社会をまどわす輩だ。

 ...なんて言われて納得できる?
 ちなみに、私は本気でこう思っているわけではないよ。トンデモブラウさんのホメオパシーに対する論調をキリスト教に向けるとこうなるって事。
 そう捉えられて本望だ、と思うならその論調のままホメオパシーを批判すればよろし。

>>陰謀論を鼻で笑うくせに、「ニセ科学」に対してはすぐ「金儲けだ」とか
>>「意図的な詐欺行為だ」と決め付けるのは同じ事なんじゃないか
>そりゃ一緒でしょう。
>どっちもインチキかつ非現実つながりで。
>善意が動機であっても「ニセ科学」を勧める人は、全力でdisりますよ。
>むしろ鼻で笑うのが正常な反応じゃないかな。

 ...まぁ、読み方は人それぞれ、って事なんだろうケド
 記事を書いた人として言っておけば
 「通約不可能性」が生じると、変に勘ぐって陰謀論などに走りがち。
 それを見てあざ笑うくせに、自分がいざ「通約不可能性」にぶつかると、”陰謀論を唱える人と同じように”、すぐ変に勘ぐって「金儲けだ」とか「意図的な詐欺行為だ」と言い出すのは、『同じ穴の狢』だよ、って話だったのだ。
 
>「人間は間違うもの」という意見には同意します。
>で、間違いを認めて修正できるハズですよね。

 そうなんだけど、自分の間違いは中々認められないというのが人間のサガ。
 だから孔子さんもわざわざ指摘するわけですよね。

 というか、「気付いても認めない」のはまだいい方じゃないかな。
 何度も言ってきたつもりだけど、自分の事となると、「正しい」証拠をばかりを集めたがり、「間違っている」証拠が無いかは探しにくい。それが「確証バイアス」。
 それに流されると、「間違っていても気付きようが無い」んだな。

 「自分は間違いがあれば、それを認めて修正できる人間だ」と分別があるように思っていても、「間違いを見つける機能」が停止していれば、その思いは”口だけ”になるのだよ。
by Judgement (2010-05-09 02:21) 

Judgement

あ、cosiさんと入れ違い。でももう寝るぅ。
何時かは約束できないけど、後日。
by Judgement (2010-05-09 02:23) 

トンデモブラウ

キリストが神の子かどうかは、確かめようがないので、嘘かどうかは不明。
確かめ方法が解るなら、神の存在も同定できるよね。

でも「水」は「水」。
それが何に見えようが、「水」として売っていなければそれは詐欺行為。
「水」が何に見えるか、ってのは問題にしてないんだよね。
でも「水」でしょ。

「間違いを見つける機能」が停止しているのは、ホメオパシー批判者だけなの?

by トンデモブラウ (2010-05-09 13:58) 

cosi

【トンデモブラウさん】
揚げ足とりのようなコメントになるけれど、レメディは普通、「水」ではなく、「砂糖玉」の形態で売ってます。
で、原料名は、砂糖とか、てんさい糖とか書いてあります。
食品扱いです。
「砂糖玉」を「砂糖玉」として売ってます。
だから詐欺行為にあたらず、違法行為ではないのでしょう。

>「間違いを見つける機能」が停止しているのは、ホメオパシー批判者だけなの?

この問いから、自分自身を振り返ってみました。

エントリーにあった、

>温暖化論者と懐疑論者はお互いに相手が業界や企業のまわし者であるかのような非難を浴びせていた。 これが単なる論争のレトリックではなく、本気で相手の意見がそう見えているのだとしたら、危険な徴候である。

実は私は、最初にkikulogでの、ホメオパシー批判やタミフル擁護論をネット上で目にした時、「製薬企業のまわし者たちに違いない。菊池誠氏は製薬企業から、金をもらっているんだ」と思ったのでした。
ホメオパシーを利用する人口が増えれば、市販薬の売り上げは減るわけですから、製薬企業は当然、ホメオパシー人口が増えるのを危険視しているだろうと思ったからです。

今考えると、お恥ずかしい限りです。

トンデモブラウさんとの対話を通して、ホメオパシーを批判するのは、必ずしも製薬企業のまわし者というわけではないという、新たな認識をしています。
医原病の患者にあたる私としては、どうしても製薬企業への視点は、敵意に満ちたものになり、結果的に歪んだ見方をすることがあるようです。そういう点を反省しながら、物事を視ていきたいです。
by cosi (2010-05-14 18:43) 

cosi

最近、以前のエントリーを再度読ませてもらってます。
例えば、『「大義名分」批判』などです。
Judgementさんの、相手に理解できるように言葉を尽くして説明しているさまは、私などは能力的にも、人格的にも、とても真似のできるものではありません。
私だったら、「大義名分を振りかざす人をどうして批判するのか?」という問いに対しては、「その質問は、冗談でないのだったら、無意味です。」と、きくちセンセイのように切り捨てるところですね。
こういうイノセントすぎる質問をしてしまう人が、「ニセ科学批判」とか言っても・・。ニセ科学を「科学的に間違ってる」と批判しながら、自分が科学的な思考ができていないという矛盾。

「科学的に正しいか間違ってるか」を考え続けるのが、ニセ科学批判の根幹とすると、その矛先は、製薬企業にだって向けられるべきだし、ホメオパシーが(レメディ以外の要素で)科学的に正しく効果がある可能性だって検討すべきだろうと思う。
ホメオパシーを(合理的に批判するのでなく)やたらに毛嫌いするタイプは、一見科学的に見えて、本当の意味では、科学的な思考ができていないんだと思う。

エントリーと微妙にずれたコメントをしてしまいましたが、ご紹介の本、読んでいる最中です。前にも書きましたが、Judgement さんのブログを読むようになってから、飛躍的に、今まで読まなかったような分野の本を、読むようになりました。通信制の私塾に通っている気分です。それも月謝無料で。ありがとうございます。こんなこと書くと、振込先の口座番号を書かれそうですね!
by cosi (2010-05-20 16:14) 

Judgement

死亡説が流れる前に返事しなきゃ。

【cosiさん】

>久々の書評、待ってました!
ジャンルが「書評」となっているけど、良く考えればそんなに「書評」してないや。
「我田引水」の方が正しいカモ。

んで、他人を知る、という事は、自分を知る、と表裏一体だと思うんだよね。
他人がどう見るか、というのは、自分がどう見られるか、を示す。
そのためには、自分を他者と相対化できなくてはならない。
んで、その道具が「対話」と言うわけ。

でも、中には自分を絶対化しないと話せない人がいる。
そもそも「他人からどう見られるか」を気にしない人は「対話」を必要としないし
気に出来ない人は、いくらやりたくても「対話」はできない。
「素直な自分のままがイチバン」なんてイノセントな事を平気で言っちゃう奴とかさ。

 とはいえ、それもその人にとっては幸せな生き方なのだろうからほっといてもいいんだけど、中には「他人からどう見られるか」を気にかけないくせに「他人はどう見るべきか」を押し付けようとする奴がいて、それは非常にうっとうしいのよね。
 
 「自分は何が言いたいのか」を伝える能力の無い人が
 相手の解釈に対し「そんなつもりじゃない」とウダウダ言うなよ、って感じ。
 相手を知ろうとしなれば、相手への自分の伝え方を知る事はできないのだよ。

 ...ってか、cosiさんへの返事じゃないね、コレ。
 まるで愚痴だ。

 個人的な憶測レベルの話だけど、そういう「他人からどう見られるか」を意識するってのは”鏡を見て化粧と言う修正を施す”女性に一日の長があると思う。
by Judgement (2010-05-21 00:07) 

Judgement

【トンデモブラウさん】

>キリストが神の子かどうかは、確かめようがないので、嘘かどうかは不明。
>確かめ方法が解るなら、神の存在も同定できるよね。

また反射的にモノを言う...
だったら「水に現代科学では検出不可能な変化があったかは不明」とも言えるのでは。

>「水」が何に見えるか、ってのは問題にしてないんだよね。

それはあくまで、「あなたは問題にしようと思わない」だけでしょ。
自分は主観的に問題の枠組みを限定してみせておいて
他人の主観(「水」が何に見えるか)は否定する、ってのはかなり不公平なねじれじゃなーい?

>「間違いを見つける機能」が停止しているのは、ホメオパシー批判者だけなの?

いや、そこでさりげなくカテゴリ広げなくていいから。
トンデモブラウさんがそうである事が、ホメオパシー批判者全般の性質である事を意味しない。
でも安心して。誰でも油断すればそうなるものなのよ。
トンデモブラウさんがそうである事が、他の人がそうでない事も意味しないからね。

 でもね、すぐに「おまえこそそうだ」的な文句に逃げるのは(しかもあんま練れてないし)、未だ停止している証拠に見えるわん。
by Judgement (2010-05-21 00:08) 

Judgement

【cosiさん2】

>こういうイノセントすぎる質問をしてしまう人が、「ニセ科学批判」とか言っても・・。
>ニセ科学を「科学的に間違ってる」と批判しながら、
>自分が科学的な思考ができていないという矛盾。

 実は私もそのあたりが一年前からモヤモヤしている。
 まだ上手くまとまっていないけど、「ニセ科学批判者」の中には、たまたま選んだ立場がそれだっただけで、思考のバイアスっぷりは「ニセ科学信者」と同レベルに思える人が結構いるように思える。

 「科学的・客観的とはどういう事か」という事を自分なりに十分租借しないまま、「頭のいい学者先生がそう言っているんだから間違いないだろう」と、受け売りで反対者を攻撃する。中身が無いのに、いや、中身が無いからこそそれを気取らせないために攻撃をエスカレートさせているみたい。

 もちろん、そんな人が全てじゃないんだけど、そういうまともな人の存在はかえって格好の隠れ蓑になって、ますます調子付いている、そんな感じ。

 これも上手くまとまっていないんだけどさ
 「自分が語っている」という事を意識していない感じがするんだよね。

 普通人の話を聞くときは、まずその人を見るんだよね。
 ヨレヨレの服を着た人が「身だしなみをキチントしなくてはいけない」と言ってたら聞いている人は呆れるし、説得力ゼロ。
 なのに、当人は「こんな立派な事を言う自分は立派だ」と自己陶酔しちゃってる。
 そんな感じがあるんだなぁ。
 
>前にも書きましたが、Judgement さんのブログを読むようになってから、
>飛躍的に、今まで読まなかったような分野の本を、読むようになりました。

そういう事言われると、また紹介したくなるけれど
私的には「手抜き」なのでセーブしつつ気が向いたらまた。

月謝なんて結構ですよ、やだなぁ、もう。
初年度年会費無料キャンペーン中ですから。
(来年度から自動引き落としになりますので、
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by Judgement (2010-05-21 00:14) 

トンデモブラウ

>だったら「水に現代科学では検出不可能な変化があったかは不明」とも言えるのでは。

マジっすか!
検出不可能な何かがあっても、現状把握している「水」は「水」ですよ。
何かが見つかった時点で、その「水」が以前の「水」と変わるわけでもないし。

伝聞だけで事実確認ができないことと一緒にするのは、無理がありすぎる。

>思考のバイアスっぷりは「ニセ科学信者」と同レベルに思える人

別にいいんじゃない?
「科学」的なら。
土台はきちんとしているわけだし。
むしろウェルカムな感じ。
by トンデモブラウ (2010-05-21 08:34) 

cosi

さすが科学教カルトの教祖と称する、トンデモブラウさんならではのコメントですね!

ところで、「大義名分」の件に言及したのは、最近読んだカルトに関する本に、興味深いことが書いてあったからです。

『魔女とカルトのドイツ史』(浜本隆志著、講談社現代新書)という本です。ドイツの歴史上、ユダヤ人や異端派や魔女などが繰り返し虐殺されてきて、ナチスのホロコーストにまでつながっていることが書かれている本です。ドイツという国やナチスへの理解が、少し進んだ気がしました。お勧めです。(本の紹介を逆にすることで、来年の会費から逃れようとしている私)

大義名分はどこで出てきたかというと、第五章の「カルト集団の生成メカニズムと連鎖」にありました。

ドイツのカルト集団史において、共通していることとして、

(1)共同体におけるストレスや緊張感がピークに達し、極限を超えると、些細なきっかけで、パニックや集団ヒステリーが生じる。カルト集団はそのような背景で発生する。
(2)集団の規模の大小を問わず、カリスマ的人物の存在が認めれられる。
(3)カリスマ的人物は、大義名分を標榜し、集団を扇動する。
(4)共同体が、パニックやカルトの嵐にみまわれると、スケープゴートを必要とする。(スケープゴートとしては、ユダヤ人、老婆、子供たち、異端者、イスラム教徒、嫌われ者、放浪者、女性、ロマなど、一言で言えば、社会的弱者)

「大義名分を振りかざして扇動するカリスマ的人物」というのが出てきたので、例のエントリーが気になったのでした。

トンデモブラウさんも、カルトとして影響力を持ちたければ、カリスマ性を持たなきゃね。大義名分を振りかざすだけじゃなくてさ。
by cosi (2010-05-21 20:03) 

Judgement

【トンデモブラウさん】

>マジっすか!
ああ、ああ、落ち着いて。
自分の認識を否定したくない事だけは良く分かった。
でも、自分を肯定する気持ちばかりをばら撒かれても困る。

>何かが見つかった時点で、その「水」が以前の「水」と変わるわけでもないし。
その場合、「水」の定義は『「水」=現状把握しているもの(H2O)+後で見つかるかもしれないもの(X)』としておかなければならないはずよね。
でもトンデモブラウさんはその一方で
>現状把握している「水」は「水」ですよ。
つまり 『「水」=現状把握しているもの(H2O)』のみに限定した定義にしようとしている。
定義をグラグラさせながら、「水」、「水」まくしたててもさ...。

多分、言いたい事に言葉が付いてきてないだけだと思うのだけどサ
もう少し自分でじっくり考えてから、「ちゃんと説明して」クレ。

>伝聞だけで事実確認ができないことと一緒にするのは、無理がありすぎる。
人を無理呼ばわりする前に、まず自分の無理をなんとかしたまへ。

>>思考のバイアスっぷりは「ニセ科学信者」と同レベルに思える人
>別にいいんじゃない?「科学」的なら。
>土台はきちんとしているわけだし。

『「科学」的』って変なカギカッコの付け方をしたところに何の隠喩があるのか知らんケドさ(半端なやり方で、あとで「つもり」話を持ち出すのは勘弁して欲しい)。思考のバイアスの呪縛から離れられてない時点で、少なくとも「科学的」ではないのだけど。

そんなんでは、「その人が思っている科学」が「科学」だと信じているだけでしょ。
そのレベルでいいって言うのなら、「ニセ科学信者」だって、自分は「科学的」と思っているし「土台もしっかりしている」と錯覚しているぞ。

つうか...
こんな事を言っているトンデモブラウさんの「科学」の土台がまずきちんとしていないんだよね。
別の記事のコメントであまりの事でツッこむ気すら起きなかった発言だけど
>自然科学=経験則=試行錯誤のデータの寄せ集め、
これ、メチャクチャよ。
科学を「経験則」や「データの寄せ集め」とイコールでつなぐような的を外した理解はきくち教祖も許すまい...
by Judgement (2010-05-22 02:25) 

トンデモブラウ

う~ん、面倒くさい感じになってきてますね。
「水」の定義って・・・
別に、水道水でも超純水(25℃、15mS/cm以下)でもホメオパシーに使う希釈水(水を水で希釈すると言うのは正しいと思えないけど、何て言うか知らん。)でもなんでも一緒でしょう。
ある日にそこに検出されなかった何か(物質でも『波動』でも何でもいいです。)が検出できるようになったと。
で、その日からそれ以前に把握されていた「水」と何かが変わるとでも言うんですか?
一緒ですよ。(未来永劫)
いきなりそこから今までの「水」が万能薬に変身するわけでもなく、依然「水」のまま。
「ちゃんと説明」しようにも、何が解ってないのかさっぱり解らないので・・・どう説明すればいいんでしょうか。

>その場合、「水」の定義は『「水」=現状把握しているもの(H2O)+後で見つかるかもしれないもの(X)』としておかなければならないはずよね。
>つまり 『「水」=現状把握しているもの(H2O)』のみに限定した定義にしようとしている。

違いますよ。
ここの「水」も「現状把握しているもの(H2O)+後で見つかるかもしれないもの(X)」ですけど。
だって一緒の「水」だし。
あえて言えば、新しく検出されたものを含むことが解った水という「呼び方」になるだけでしょ。

なぜ定義がグラグラしているように思えるのかが解らないんですよ。(私の書き方が悪過ぎるっちゅうことでしょうが。)
きっと今回も同じことを書いたので、誤解は解消されてないんでしょうね。
でも、ここが私の能力の限界ですな。

>「その人が思っている科学」が「科学」だと信じているだけ

それを言っちゃあ世の中のもの全部そうじゃん。
絶対的なもんは神様だけだよ。
で、「自然科学」の近似として「=経験則=試行錯誤のデータの寄せ集め」というのもメチャクチャとは思ってないんだなぁ。
っていうか、どこがメチャクチャなんだ?
自然科学の実験はTry&Errorだよ。
by トンデモブラウ (2010-05-22 13:32) 

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