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SS4の問答集 ~攻撃性の発露~ [ABOFAN問答集]

 このあたりで「素直に自分の話を受け入れてくれない」FSMさんに対する攻撃性が強くなっていきます(相手を敵とみなしはじめると、「まず質問にいちゃもんつけて、直接的な回答を避ける」傾向が強まるのですぐ分かります)。
 屁理屈もネタ切れか、あるいは否定欲求が理性を上回ったのか、「せいかくしんりがく」に逃げるだけでなく、「お前は“せいかくしんりがく様”を否定する気かぁ!」と脅し始めます。

【問答集】

[Q4-1] 心理学・統計学にのっとった科学的な調査で血液型と性格に有意な相関があるとしたものは、思い込みによって生じたもの?
[A] その「思い込み」が、正しい(事実)なのが、間違っている(事実でない)かどうか証明した文献は知りません。ですから、間違っているというのはあくまで推測

[Q4-2] 自己評定が正しく性格を反映しているならば、『血液型と性格の関係なるものを正しい知識として思い込んでしまったが故に性格が歪められたことを検出している』となるのであり、自己評定が正しくは性格を反映しないならば、『自分の性格とは無関係に「自分の血液型は○型だから~という性格だ」と思い込んだ結果表れた相関だ』、ということではないの?
[A] 「性格が歪められた」という証明は、あくまで推測です。明確に証明した文献はなかったと記憶しています。「自己評定が正しくは性格を反映しないならば」というこの質問は無意味です。

[Q4-3] 「自己評定が正しくは性格を反映しないならば」というのが無意味ってどういうこと。
[A] それなら性格心理学(正確には質問紙法による性格検査)を否定しなければならなくなるからです(行動主義の立場でもとるなら別ですが)。言い換えれば、どの人間も自分の性格はデタラメに把握している、ということになります。 それが性格の一部ならいいのですが、大部分とすると、その人は正常な能力の持ち主ではないということになります。また、性格心理学では「自己評定」を性格と見なしているのですから、「自分の性格と無関係」というのは証明されていません。他人が行動でも観察すれば別ですが、そういう文献は見たことがありません。

[Q4-4-1]  血液型と性格に関係があるという話を聞いたことのない人々に同じ調査を実施したら、相関は出ないと考えるのが妥当なのでは?
[A] 追試が少ないので、「相関は出ないと考えるのが妥当」とは必ずもしも言えません。 逆に、「相関は出る」というのも推測です。

[Q4-4-2]  「相関は出る」というのは、論理的な推測として妥当なのではないのですか?
[A] 論理的な推測なら、「関係がある」とも言えますよ。(笑) ただ、それを言ってしまうと、科学的とは言えないでしょう。

※ 論理的な推測で、相反する事が同時に言えるという彼の主張は、科学以前の問題だ。

[Q4-5]  自己評定が正しく性格を反映していようがしていまいが、知識が自己評定によって出てくる「性格」に反映されてしまうということですから、知識がなければ相関も出ないだろうと考えるのは自然な帰結ではないのですか?
[A] これは推測ですよね。 また、論理的でもありません。 というのは、現実に観察できるデータでは、質問紙法による性格検査で「差がある」だけだからです。それ以外のことは、まだ調査中です。

[Q4-6-1] 血液型と性格の関係は、行動調査を行えばもしかしたら相関が見出されるかもしれないが、現状ではそのような調査はないんだよね?
[A] 行動調査の定義によります。

[Q4-6-2] あれ、自分で「行動を測定したという文献は聞いたことがありません」って言ったよね?
[A] ひょっとして、心理学関係者じゃないのでしょうかね。性格心理学では、質問紙法による性格検査と行動の一致を調べて、相関が0.8ぐらいというのがウリなわけです。 要するに、性格検査は行動に一致する(はず)と言っているのです。これを否定すると、性格心理学を否定することになってしまいます。 また、今まで心理学者が営々と積み上げたデータはすぺてダメということになります。これは、かなりの極論でしょう。 正直、受け入れる人は少ないと思いますよ。

[Q4-7] いずれにしても、自己評定に基づく調査を行う限りは、相関が見出されたとしても思い込みの影響を免れ得ないって事ね。
[A] 確かにそのとおりです。

[Q4-8-1] 相関が出たとしたら、それは「自分の血液型から思い込みで自分の性格を決定してしまう効果」あるいは「自己評定に基づく性格の規定は無意味である」のどちらかだという事になるんじゃないの?
[A] そうではありませんよ。 なにしろ、追試が少ないので、現時点で断定は禁物です。 例えば、「もともとあった小さな差が自覚されたため、大きく出ている。」という可能性もあります。また「自己評定で差がなかった人は、その人の自己評定が間違っている」という可能性もあります。これらの可能性のどれかは、現時点では判断できないというのが一番妥当な結論です。根拠なり出典がないと、否定は出来ないと思いますよ。

[Q4-8-2] 統計調査で「もともと小さな差があった」かどうかは、知識のない人々を対象にした調査をしない限りは原理的にわかかりませんよね。
[A] 山岡さんと渡邊さんのデータから、そう推測しています( ただし、まだまだ追試が必要と思いますが)。

[Q4-8-3] 因果関係を測定するわけじゃないでしょう。「自分の性格は○型だから~だ」と自覚したことによって相関が生じたわけですから、それは思い込み、ということになりませんか?
[A] それなら、本当に差があるのかどうかは、わからないというのが結論ですよね?

[Q4-8-4] 「 自己評定で差がなかった人は、その人の自己評定が間違っている。」なんて言っても、血液型と本当の性格の相関は測れないわけですから、差があるという根拠には使えませんよね。
[A] いいえ、そういう意味ではありません。現実のデータで言えるのは、「差がある」ということだけです。その理由を推測すると、差がない人はすべて自己評定が間違っており、差がある人はすべて自己評定が正しいとも言えます。 あるいは、全く逆のこと(差がない人はすべて自己評定が正しい…)も可能性としては言えます。つまり、真実は不明ということです。

[Q4-9] 行動調査に基づかない限り思い込みを排除して血液型と性格の関係を立証することは原理的に不可能ですよね。
[A] 原理的に不可能ではありません。山岡さんや渡辺さんの論文があります。

[Q4-10] 自己評定の性格が本当の性格とはまったく関係ないのであれば、血液型と「本当の性格」の間の相関を調べることは不可能では?
[A] そんな文献は記憶にありません。 繰り返しますが、性格心理学では、質問紙法による性格検査と行動の一致を調べて、相関が0.8ぐらいというのがウリなわけです。これを否定するなら、それなりの根拠が必要と思いますが。

[Q4-11] 能見さんの説については、現状ではそれを正しいとする科学的な根拠はないって事ですよね。
[A] 統計的なことだけなら、正しいと断言していいと思います。

[Q4-12] どうして能見さんの説について統計的なことだけなら、正しいと断言していいのですか?
[A] 能見さんが言っているのは、「統計的に差がある」ということだけです。「思い込み」については、何も言っていません。そして、現実のデータでは差があるのですから、彼は正しいことになります。

[Q4-13-1] 自己評定に基づく統計調査ではすでに強い相関はないということがわかっているんですよね。
[A] 「強い」の定義によります。

[Q4-13-2] 私は「あの人は~な性格っぽいから○型だよね」と言える程度の、という意味でここでは「強い」と言いました。
[A] 能見さんも、「強い」かどうかは言っていませんし、心理学者も、データでは定義していません。つまり、「強い」だけでは科学的な議論にはならないということです。科学的な議論なら、明確な定義が必要です。

[Q4-14] 思い込みに基づく弱い相関は時として現れ得るが、それは能見さんの説が間違っているか、自己評定では立証不可能な主張である。もし行動調査が行えれば、証明される可能性は排除されないが、自己評定では強くは現れない程度の相関になると考えるのが妥当である、って事では?
[A] これは、なんとも言えませんね。

[Q4-15] 血液型と性格の間には、思い込み以上の関係があるという科学的根拠は現状ではない、ということが結論でしょ。
[A] だいぶ誤解されているようですね。それは科学的にありません。なぜなら、すべてが「思い込み」という根拠がないからです。ただし、「思い込み」ではなない、という根拠も曖昧です。ですから、ぜひ文献の原典を読まれることをお勧めします。

[Q4-16] あれ?前は思い込みでOKって言ったじゃないですか。
[A] すみません、私の書き方が悪かったのでしょうね。この場合の「思い込み」というのは、事実として正しい「思い込み」と、間違っているのとは区別して書いていません。 確かに、前者を「思い込み」と表現するのは、ちょっと一般的な感覚ではないのかもしれませんね。

[Q4-17-1] 結局、山崎・坂元論文のような、通常は自己成就現象を検出した(かもしれない)という話で出てくる有意差は、ABO FANさんの立場から見ても、思い込みの産物である、ということになんでしょ。
[A] そんなことは、山崎・坂元さん本人も言ってませんよ。 ましてや、私が言うはずがありません。(笑)

[Q4-17-2] いや、いままでのABO FANさんの発言を論理的に突き詰めていくと、そうならざるを得ないんですが
[A] やはり私には理解できません。 お手数ですが、ごく簡単で結構ですので、その論理を示していただけないでしょうか?

[Q4-18] 「差がある=血液型と性格に意味のある相関がある」というのは、単に『そう解釈をする余地がある』ということですよね。でも意味のある相関があるとは言えないというのは既に別の研究でわかっているわけですよね?
[A] お手数ですが、出典を示していただけませんか?私はそんな文献は聞いたことがないので、ぜひ調べようと思います。

[Q4-19]  ABO FANさんは「すべてが『思い込み』とは言えないと考えます」とおっしゃっているのですが、私は当然自己評定が正しいとした上での思い込みの話をしているわけですから、論理的にそれは成り立ちませんよね(というかそれが自己成就予言というものでしょう)。
[A] だいぶ「思い込み」があるようですね。繰り返しになりますが、自己成就予言かどうかは、推測であって証明されたわけではありません。

[Q4-20-1] 今回は、「統計以前」のところでお話をしてみましたが、いろいろと面白かったです。
[A] 山崎・坂元論文は統計そのものなのですが…。

[Q4-20-2] 坂元論文はどういうものですか?
[A] この論文の結論は、調査したすべての年で差があった、そして年々差が大きくなったということです。だからといって、外挿法が正しいという保証がないのに、自己成就予言というのは科学的とは言えないと思います。

[Q4-20-3] はい、自己成就予言だとはまだまだ言えないと思います。それを示唆する結果だ、というだけですよね。それを言うにはもっと調査が必要なんですよね。
[A] 同意できてよかったです。

[Q4-21] 数字こねくりまわすだけでは意味はないですよね。
[A] 私は、そっちの方が科学的だと信じています。現実のデータがすべてですからね。血液型は、まさに「現実は小説より奇なり」を地で行っていて、実に面白いですよ。

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