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SS3の問答集 ~迷走する“せいかくしんりがく”理解~ [ABOFAN問答集]

 ABOFANクンの「坂元による各血液型のイメージについての調査結果」や、「佐藤・渡邊の血液型ステレオタイプの調査」の提示が発端と言えるセッションです。
 そろそろ質問に屁理屈が追いつかなくなってきたようで、「せいかくしんりがく」に逃げる事が目立ち始めます。
 ステレオタイプ、性格認知、性格測定の問題といった、“まともな人がまともに述べれば”非常に興味深いテーマが含まれていますが、ABOFANクンの語るそれは、混沌への序章にすぎません。


【問答集】

[Q3-1] (坂元による各血液型のイメージについての調査結果に対し)「○型は~という性格だ」と考えている人の多くが、4つの血液型に基づく性格をそのように分類してとらえている、ということですね?
[A] はい

[Q3-2-1] 血液型と性格の関係は、本人が「自分の血液型は○型なので、こういう性格だ」と考えているということが、重要なポイント?
[A] 心理学の研究では、「通説」と一致するのは、せいぜい全体の4割程度。つまり、血液型の特徴が当てはまるといっても、そんなものなのです。「自分の血液型は○型なので、こういう性格だ」というのは、覚えやすく理解しやすいからそう考えているだけで、実態とは違います。

[Q3-2-1] 「実態」というのはなんなのでしょう?
[A] 言葉では性格の正確な定義はできないという意味です。

[Q3-3] 血液型と性格の間の関係についての知識がゼロの人々がいた場合、彼らの行動には「血液型による性格の差」が出ない?
[A] 出る。行動を測定したという文献は聞いたことがありませんが、「自己評定」では、それほど大きな差は出ない。こう考えると、すべてがうまく説明できます。

[Q3-4] 「行動に出る」とか「すべてがうまく説明できる」というのはABOFANさん個人の考えで、まだ科学的な調査で根拠づけられたものではないんですよね。
[A] (自然)科学的な調査なんてありません。

[Q3-5] 行動を測定するのは可能なんでしょうか。
[A] 可能です。性格心理学の教科書を読んでみてください(例示:ミッシェル/柏木繁男)

[Q3-6] 一つの行動にも色々な要因が絡むので、20%程度の違いを検出するのはかなり難しそうな気がしますね。
[A] 難しくはないと思いますよ。 現に、血液型では7割程度の人が違いを感じています。
 
[Q3-7] でもその大多数が、性格を言語化する際には単純化された正しくないものを血液型に当てはめて理解するわけですよね。
[A] 差があるかどうかは、明確にわかりますよね。

[Q3-8] ある行動の要因が血液型なのかどうかを切り分けるのは大変そうだなあ、
[A] とりあえず相関を見て因果関係を考えることになります。

[Q3-9] 「○○に神経質」の「○○」の部分を、どう行動から読み取るか、というのは、かなり慎重に方法を考えないと、大変そうです。
[A] そのとおりです。素人では難しいと思います。

[Q3-10] 現状では、行動を根拠にした血液型と性格の相関は、まだ証明されてはいないのですね。
[A] 「行動」に定義によります。質問紙法はダメというなら、私が知る限りありません。

[Q3-11] もし知識がない人々にも行動に違いが出るのだとしたら、それは言葉で説明できるはずですよね?(できないのであれば、調査して違いとまとめることも不可能になってしまいます)
[A] 「自己評定」が正しいというのが前提です。現実のデータを見ると、「自己評定」では、それほど大きな差は出ないようです(差がゼロではないようですが)。

[Q3-12-1] (佐藤・渡邊の血液型ステレオタイプの調査を参照し、『そう言う意味では、「A型は神経質」は必ずしも正しくありません。』と述べたABOFANに対し)「そう言う意味では」とはどういう意味?
[A] 「自分の血液型は○型なので、こういう性格だ」というのは、覚えやすく理解しやすいからそう考えているだけで、実態とは違うという意味。ただし、 実際に「A型は神経質」という結果は出ています(その差は一般に言われるほど大きいものではありません)。

[Q3-12-2] あれ?「A型は神経質」は決めつけなのでダメだったんじゃなかったでしたっけ?
[A] それほど大きい差、言い換えれば簡単に決めつけられるほどの差ではないということです。どちらかというと、「A型は神経質」というよりは、「安全志向」や「危険回避」といった方がいいかもしれませんね。繰り返しますが、血液型による性格特性や実態が、性格を表す言葉と一対一で対応する、という前提は捨ててください。そう考えていると、血液型は絶対に理解できません! 例えば、「A型は神経質」と「準備は慎重にやる」「けじめをつける」とは、よく考えると違いますよね。

[Q3-13] (佐藤・渡邊の血液型ステレオタイプの調査を参照し、『そう言う意味では、「A型は神経質」は必ずしも正しくありません。』と述べたABOFANに対し)何が正しくないの?
[A] 多くの人は「A型は神経質」と単純に思い込んでいるが、それは正しくない、「○型は~について神経質」と、各血液型について何に神経質なのかを考えるべき。ただし結果として出ているのは、傾向として「A型は神経質」ということなので、実際に血液型と性格がどのような関係として表れるかは、その人が血液型と性格の関係をどのように覚えているかによる。

[Q3-14] 血液型と性格の間になんらかの傾向が出る=本人の自分の血液型に対する性格の思い込みが行動にあらわれる、ということですね?
[A] 普通は性格の「自己評定」なのでそのとおりです。 ただ、その「自己評定」が正しいかどうかは別の問題です(実は、あまりチェックされてないんですよね)。

[Q3-15] 科学的な調査で血液型と性格の関係を調べたものは自己評定に基づくものなんではないのですか?
[A] (自然)科学的な調査なんてありませんよ。

[Q3-16] 科学的に出された血液型と性格になんらかの相関があるデータは、血液型自体が性格に及ぼす影響によるものではなく、本人の思い込みによる、ということですね。
[A] そうではありません。本人の思い込みかどうかは不明ということです。 ですから、本当に関係があるかもしれませんし、思い込みなのかもしれません。一番確からしいのは、その中間と言うことです。つまり、言われれば血液型による差に気がつくようなのです。

[Q3-17] 少なくとも自己評定の結果として出てくる「性格」なるものと血液型との間の相関は、本人が性格というものを単純化しておぼえた結果生じる人為的なものなのですか?
[A] そのそおりです。

[Q3-18-1] 自己評定に基づく心理学者の調査によって得られたデータで、血液型と性格の相関が有意だとしたら、それは本人の思い込みによるものである、ということなんですね。
[A] そのとおりなのですが、すべて「思い込み」とすると、性格心理学は無意味になります。

[Q3-18-2] なんで性格心理学は無意味になるの?
[A] 基本的に、本人の自己評定は正しいというのが前提で、「血液型」はごくごく例外と考えないと、性格心理学自体が崩壊します。しかし、現実問題として、データを見ると、ごくごく例外とは言えません。ですので、私はすべてが「思い込み」とは言えないと考えます。

[Q3-19] 結局「自己評定は性格を反映しているが、自己評定に反映される性格には思い込みの影響がある。」という事ならば、自己評定に基づく限りは、「本来、血液型と性格には関係がある」という証明は原理的に不可能ですよね?
[A] 私は初めから「自己評定は性格を反映しており、自己評定に反映される性格には多少は思い込みの影響があるにしても、概ね正しい」というつもりで言っている。また、「自己評定は正しく性格を反映しない場合と、正しく反映する場合がある」可能性も有る。どれが正しいか判断するには、更に追試が必要と考えます。

[Q3-20] 現状では血液型と「本来の性格」(知識の影響を受ける前)の間に相関があるとは言えないというのが妥当なところではないでしょうか?
[A] どうもかなり誤解されているようです。 性格心理学では、質問紙法による性格検査と行動の一致を調べて、相関が0.8ぐらいというのがウリなわけです。 自己評定の妥当性を否定するのは、それほど大きなことなのです。言い換えれば、性格心理学的な視点からから言えば、血液型と性格の関係は肯定せざるを得ないのです。だから、多くの心理学者は沈黙したのだと思いますよ(もちろん推測ですが)

[Q3-21] いまのところ、自己評定に基づくものしか科学的手続きを踏んだ統計的研究はないのではなかったでしたっけ?
[A] 職業別とか、生体反応とかありますが、再現性に難がありますね。

※ 科学的手続きを踏んだ研究で、再現性に難があるなら、すなわち棄却されるって事では?
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