不思議でたまらない [気になる人達]
「血液型と性格の関係」について、いわゆる”信じる”のみならず、他者にも肯定的に捉えるよう積極的にアナウンスする人には、自己中心的な視点でしか物が見れない人が多く見受けられます。
むろん、自己中心的だからこそ、「自分の信じるものはお前も信じろ」と押し付けがちになるのは良く分かります。また、自己中心的なのは彼らに限ったものではない、というのも分っています。
ただ、「血液型と性格の関係」を確信している人が自己中心的であるというのは、致命的な矛盾である気がしてならないのです。 彼らの多くは、(否定的な)他人の話を理解できないし、しようともしません。
自分の意見に迎合するような発言には諸手を挙げて大歓迎する一方、少しでも批判的な内容を含む発言であれば、どんなに懇切丁寧に説明しても、切り捨てるか、非常に無理のある曲解をあえてするか、どうでもいい部分に噛み付き続けます。
簡単に言えば、彼らは、既に持っている意見の範疇に入るものしか受け付けません(むろん、場を正確に把握する能力に欠けているので、本人だけは「そんな事は無い」と思っているのでしょうが) 。
まぁ、それは「信じる」ものを持っている人は誰でも陥りがちな態度ではあります。
でも、「血液型と性格の関係」の場合、それが致命傷ともなります。
対人スキルが低い人が、個人の「性格の違い」なんて微妙なものを区別できるでしょうか?
視野が狭い人が、集団的な面での「性格の違い」なんて捉えられるのでしょうか?
人の発言すら正しく理解できない人が、言語化されていない人の行動傾向について理解できるのでしょうか?
それを見る能力に欠けている人が、その状態をどう判断できるというのでしょうか?
対人スキルの低さとか視野の狭さを理由に、「人間としてダメ」と言いたいわけではありません。
単に、「性格の関係性」を語るにはふさわしくない、というだけです。
...そういったわけで、彼らの対外的な態度を見れば見るほど、その口から根拠として語られる「性格の違い」というものが、非常に薄っぺらい物に聞こえてしまうのです。
この流れでもう一点。
彼らは、仮説の上に仮説を立てて考えます。
何らかの(彼らの持つごく狭い)視点で「関係があるに違いない」という直感を得た後は、それをろくに確かめもしないうちに、「なぜ関係が生じるのか」と次の仮説に移ってしまいます。
このように、物事を直感、あるいは自分視点のままでどんどん決め付けていく傾向は、彼らの「データの解釈」、「用語の解釈」「科学的研究結果の解釈」、「相手の意見の解釈」にも見受けられます。
このような性質も、場合によっては「想像力が逞しい」とポジティブに受け止められる事もあるでしょう。
ですから、「科学的」である事を本気で求めないなら、それはそれで別にいいのかもしれません。
ところで、彼らの中には「関係はあるが血液型で性格を決め付けてはいけない」と言う人がいます。
モチロン、万一その関係とやらが事実であっても肝に銘じるべき事でしょう。
しかし、自分の決め付け思考の集大成として「血液型と性格が関係が有る」と主張する人の発言であれば、それは暴君が「博愛」を唱える、あるいは詐欺師が「信頼」を唱えるようにしか聞こえません。
私個人としては「血液型と性格の関係」はあってもかまわないと思ってます。
ただし、現段階では到底「正しい」と判断できませんし、「信じる」事すらできません。
その原因として、確たる根拠が無い点や、判断する材料となる具体的で検証可能な関係性の提示が無いというのもありますが、むしろ彼らに対する不信感が最大の要因かもしれません。
浪人生が語る「大学合格の必勝法」には頼りたくないように。
様々な自己矛盾を省みず突き進む彼らこそが、肯定派側の「獅子身中の虫」だったりして。
むろん、自己中心的だからこそ、「自分の信じるものはお前も信じろ」と押し付けがちになるのは良く分かります。また、自己中心的なのは彼らに限ったものではない、というのも分っています。
ただ、「血液型と性格の関係」を確信している人が自己中心的であるというのは、致命的な矛盾である気がしてならないのです。 彼らの多くは、(否定的な)他人の話を理解できないし、しようともしません。
自分の意見に迎合するような発言には諸手を挙げて大歓迎する一方、少しでも批判的な内容を含む発言であれば、どんなに懇切丁寧に説明しても、切り捨てるか、非常に無理のある曲解をあえてするか、どうでもいい部分に噛み付き続けます。
簡単に言えば、彼らは、既に持っている意見の範疇に入るものしか受け付けません(むろん、場を正確に把握する能力に欠けているので、本人だけは「そんな事は無い」と思っているのでしょうが) 。
まぁ、それは「信じる」ものを持っている人は誰でも陥りがちな態度ではあります。
でも、「血液型と性格の関係」の場合、それが致命傷ともなります。
対人スキルが低い人が、個人の「性格の違い」なんて微妙なものを区別できるでしょうか?
視野が狭い人が、集団的な面での「性格の違い」なんて捉えられるのでしょうか?
人の発言すら正しく理解できない人が、言語化されていない人の行動傾向について理解できるのでしょうか?
それを見る能力に欠けている人が、その状態をどう判断できるというのでしょうか?
対人スキルの低さとか視野の狭さを理由に、「人間としてダメ」と言いたいわけではありません。
単に、「性格の関係性」を語るにはふさわしくない、というだけです。
...そういったわけで、彼らの対外的な態度を見れば見るほど、その口から根拠として語られる「性格の違い」というものが、非常に薄っぺらい物に聞こえてしまうのです。
この流れでもう一点。
彼らは、仮説の上に仮説を立てて考えます。
何らかの(彼らの持つごく狭い)視点で「関係があるに違いない」という直感を得た後は、それをろくに確かめもしないうちに、「なぜ関係が生じるのか」と次の仮説に移ってしまいます。
このように、物事を直感、あるいは自分視点のままでどんどん決め付けていく傾向は、彼らの「データの解釈」、「用語の解釈」「科学的研究結果の解釈」、「相手の意見の解釈」にも見受けられます。
このような性質も、場合によっては「想像力が逞しい」とポジティブに受け止められる事もあるでしょう。
ですから、「科学的」である事を本気で求めないなら、それはそれで別にいいのかもしれません。
ところで、彼らの中には「関係はあるが血液型で性格を決め付けてはいけない」と言う人がいます。
モチロン、万一その関係とやらが事実であっても肝に銘じるべき事でしょう。
しかし、自分の決め付け思考の集大成として「血液型と性格が関係が有る」と主張する人の発言であれば、それは暴君が「博愛」を唱える、あるいは詐欺師が「信頼」を唱えるようにしか聞こえません。
私個人としては「血液型と性格の関係」はあってもかまわないと思ってます。
ただし、現段階では到底「正しい」と判断できませんし、「信じる」事すらできません。
その原因として、確たる根拠が無い点や、判断する材料となる具体的で検証可能な関係性の提示が無いというのもありますが、むしろ彼らに対する不信感が最大の要因かもしれません。
浪人生が語る「大学合格の必勝法」には頼りたくないように。
様々な自己矛盾を省みず突き進む彼らこそが、肯定派側の「獅子身中の虫」だったりして。
小難しい数式や化学記号を扱うものと違って、「性格」だの「血液型」だのは入りやすい概念なんでしょう。
技術用語が一般にも分かりやすい言葉なので、間口をトンデモに広げているのではないかと思っています。
「性格の認知」なんて揺らぎの大きいものを扱う方が、よっぽど大変なのに・・・
「科学」の土俵に上がるための最低限のプロセスが、物理や化学よりも平易に見えるんでしょうねぇ。
by トンデモブラウ (2008-04-02 11:58)
>「科学」の土俵に上がるための最低限のプロセスが、
>物理や化学よりも平易に見えるんでしょうねぇ。
多分そうなんでしょうね。
何せ、「心理」の対象は”自分自身の心”も含みます。
だからこそ、自分がそうだから、自分がそう感じたから、「心理学」でもそうであるはずだ、と誤解しがちなんではないかと。
>技術用語が一般にも分かりやすい言葉
そうそう、そうなんですよ。
まぁ、厳密には、(専門用語としてのそれが指す学問上の定義とは違うのに)「分かりやすい」と錯覚してしまう、って事ですけど。
だからこそ、『安易に参入できる学問』と考えられちゃうんでしょうね。
by Judgement (2008-04-19 01:29)