言葉はいつも思いに足りない [思い付き]
この言葉が私は好きです。
鴻上尚史さんの戯曲に出てくる言葉です。
言葉という制約は、思っている事を中々正しく表現できません。
言葉で思いを表現しようとし、具体的に、抽象的に、例え話で、例示で...と言ったように、さまざまな手を尽くして初めてなお、自分の思いそのままを伝えきっているとは言えません。
でも、自分の思いを伝えられないのなら、自分で言葉を発する意味がない、と考えます。
だから、自分でも分かっているのですが、私の文章は長いしくどくなるのです。
(だけど、長いと読む気を起こさせないのでは、というジレンマを感じています)。
で、そんな私は言いたい。
ただでさえ言葉は思いに足りないのに、その言葉を出し惜しみしてどうするのと。
自分の思いを正確に伝えるのは自分の他にいないのです。
自分の主張を述べなくてはならないのに、説明を惜しむ人、あるいは解釈すら難しい独りよがりの単語を投げかける人がいます。
しかも、そんな人に限って、言っていない「言いたい事」を読み取ることを相手に要求し、通じないと「何故分からないんだ」と不思議がり、相手の「誠実さ」、あるいは「理解力」が問題だとなじります。
『私は君達に反対だ。でも反対の理由は君達でよく考えたまえ。』
こんな事を言う奴はいらない。
自分とは異なる主張をしている相手に、「自分に都合の良い解釈」をするようを要求するのはあまりにもズレた考え方です。
それとも、この手の人は、他の人を「テレパス」とでも思っているのでしょうか?
あるいは、この手の人は、自分の事「サトラレ」とでも思っているのでしょうか?
この手の人は、そもそも「意思伝達」する気がはじめから無いのかもしれません。
よほど嫌な思いをされたんですね。
by zanki (2008-02-28 21:23)
「嫌な思い」、というか「イラッと来る」感じですね。
by Judgement (2008-02-28 22:23)