ABOFANさんへの返信 [kikulog「血液型と性格」関係]
kikulogにて、ABOFANさんから当ブログに向けてコメントいただきました。
誠にありがとうございます。
このブログについての事ですので、ここで返事したいと思います。
>> え~、唐突ですがブログはじめました。
> はい、読ませていただきました。
> また、リンクを張っていただきありがとうございます。
読んでいただいてありがとうございます。
また、断りの無いリンクに対し、御礼までいただいて恐縮です。
>ところで、坂元データと松井データの話に限らず、データ分析の話は書いてないようですね。
>なぜでしょうか?
なぜでしょうか、って...
ここが「血液型性格関連説」全般を検証するブログとはどこにも書いてないはずですが。
それに、坂元論文と松井論文の話は既にじっくりkikulogでしましたよね...。
というか、むしろ、「血液型と性格の関係を科学的に検証する」と標榜する『ABOFAN』HPこそ、本来、最低でも私程度のレベルで坂元論文と松井論文の解説や検討があってしかるべきかと思ってました。
しかし、そちらがおそろかなまま、いきなり坂元”データ”と松井”データ”の話に飛んじゃう事の方が、私にとっては「なぜでしょうか?」って感じです。
うーん、それは「データ分析”しか”できない人」には仕方の無い考え方なのかもしれませんが、データ分析は科学的アプローチの流れの中に組み込まれた一部ですからねぇ。
そんなの「木を見て森を見ず」というか、木から落ちた枯葉しか見えていないのと同様です。
その人に合わせて、木から落ちた枯葉の話に付き合ってもしょうがないと思うので。
<例え話>
「餃子を美味しくするには皮にどのような工夫が必要か」という検討は必要だが、それについて「餃子の皮の事しか知らず、餃子がどのような料理かも知らない人」と話し合うのはあまり意味が無ありません。そいつの持ってきた皮を吟味してあげる前に、せめて餃子がどのような食べ物か分ってから話しましょう、と言うしかない。
しかも、念のためその人の持ってきた皮を見てみると、なんかスーパーで買ってきた餃子の皮を持ってた(本当は皮自体も詳しいわけじゃないじゃん!)、となるとまったく話になりません。
ABOFANさんは、あくまで「科学的な話題」として、「データ分析」を持ち出しているつもりなのでしょうから、まず、「科学的な研究におけるデータ分析の位置付けと必要な事」を理解して、自慢できるデータ分析ができるようになってから、人に「データ分析の話」云々を要求して欲しい。
血液型信仰ってのも、まぁなんですな、おめでたいこってすな。
こんなのが瀰漫してるのは、世界広しといえども日本と、あろうことか日本に影響された韓国だけじゃないですか!
韓国の人は日本に対しては愛憎半ばかも知れないけど、よりによって何もこんな、日本人の愚の骨頂の真似をすることはないでしょーに!
by ask (2008-02-10 23:45)
うーん、私個人としては、今は「血液型性格判断」という大枠のくくりでは語れない(語らない)というスタンスです(ちなみに、ここで主に扱うのは「ABOFAN氏による」と注釈付きの「血液型性格関連説」です)。
自分からみれば、他人の信仰を、ばからしい・愚か、と思うやもしれませんが、実は自分も(他の人がバカらしいと思う)別なのものを信仰しているかもしれません。
そう思うと、迂闊に特定の信仰の価値を定める事はできないかな、と。
by Judgement (2008-02-11 00:38)
信じることに対する評価を下すのはそう簡単なことではないということだと思います。
ただし、それが科学的であると標榜した時点で、科学的観点から評価されるのは当然のことです。それが適切な科学的手順を踏んでいなければ疑似科学なりエセ科学だと批判されるのも当然のことです。「何故、疑似科学は科学を装うのか」「疑うという事」エントリあたりの話に通じそうですね。
一言でいえば「安易」ってことでしょうかね。「なんかスーパーで買ってきた餃子の皮を持ってた」の例えあたり、また吹き出してしまいました。
by NO NAME (2008-02-11 10:16)
すみません、名前入れ忘れました。
by ↑ぱんだ (2008-02-11 10:16)
こんにちは。
>>なぜでしょうか?
>なぜでしょうか、って...
本当になぜだかわからない、本当になぜだか知りたい、というわけではなく、kikulogに、「なぜでしょうか」という言葉を残したいだけで書いているわけですから、この部分はkikulogでちゃんと「なぜも何もない」ということを書いておいた方がいいかもしれません。
by みづ (2008-02-11 11:16)
>ぱんださんへ
今の私は、「疑似科学を信じる人」について、「根拠があるように感じている人」と、「正しい根拠があると主張する人」の分離を考えています。で、前者は人間の一般的な傾向を原因としてそうなるだけで、特に愚かとは考えませんし、警告はしますが批判しようとは今は思いません。
ぱんださんがおっしゃるように、問題は「科学的」だと言う根拠により主張する人で、それが実際は科学のかの字も知らないような発言であれば、「批判」するのは必要だと考えます。
最近「疑似科学批判批判」に目を通しているのですが、「批判者の持つ科学優先意識に基づく批判」と「批判される者が持つ内的矛盾に対する批判」が上手く分離されていない気がします。
ちなみに私、餃子は皮から作ります。強力粉と塩と熱湯だけですが、それでも市販品と食感に雲泥の差が出ますよ。
>みづさんへ
ご来訪ありがとうございます。
kikulogの読者の方々は、そんな姑息な作戦お見通し、と思っていますので、コメントしても単に「ABOFAN氏だけに必要なもの」にしかならないと考えてます。
じゃぁABOFAN氏にとってこの問いがどれだけ必要かというと、それこそみづさんご推測のレベルと思われますので、わざわざ説明してあげても
「単に不思議に思ったから聞いてみただけです(言論の自由)」
とくだらない言い訳だけを聞かされて済まされるのがオチの気がします。
という事で、こんな事にいちいちkikulogリソースを消費する必要は無いかなぁ、と思っているのですね。
by Judgement (2008-02-12 00:20)