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疑うという事 [かため(当社比)の話]

「常識を疑え」
疑似科学のみならずアヤシゲな主張をする方は良く言います。
常識を疑うというところから新発見が生まれるそうだ。
それは確かに正しい。

思考とは、まさに疑う事である。
より正しい解とは、どれだけ疑ってどれだけ間違いを捨てられたかに依存する。

哲学という学問はまさにそうだ。
ありとあらゆるものを徹底的に疑っていき、最後に残ったものを真理とする。

科学は元々哲学だった。だから、科学も疑う学問だ。
ある現象について説明できる仮説を作る。
でも、その仮説は正しいのか?と疑い実際に確かめる。
なるほど、実験はうまくいった。しかし、これでいいのか?
実験は正しかったのか?他の要因の影響は無かったのか?
なるほど、この要因の影響も考えられる。それを除外してもう一回確かめよう。
やはり上手くいく。うーむ、他に無いのか...
少なくとも現段階でできる事は全てやったが、それでも仮説は支持されるようだ。
仕方が無い、ひとまずこれを正しい理論と考える事にしておこう。

疑えば疑うほど、せっかく作った仮説は捨てられていく。
しかし、それをもったいないと感じるのは見当違いだ。それは間違った仮説なのだから。
累々たる間違った仮説の上に、ほんの一握りの「正しい理論」が生まれる。

人が最も苦手とするのは「自分自身を疑う」事である。
しかし、哲学や科学や高度な思考は、当然のごとくそれを要求する。
だからこそ難しいのであるが、だからこそ結果に価値がある。

しかし、アヤシゲな主張をする方々の多くは、それができない。
自分の”常識とは異なる”「直感」、「ひらめき」、「発想」を疑えないから
その代わりに「常識を疑え」と言っているにすぎない。

「常識を疑え」とご高説を垂れる者がいれば、こう言おう。
「じゃぁ、非常識ならもっともっと疑わなくてはいけませんね」と。

常識を疑う必要は、非常識を信じる理由にはならない。


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zanki

>常識を疑う必要は、非常識を信じる理由にはならない。

勿論そーですよね。
by zanki (2008-02-16 20:42) 

Judgement

nice!ありがとうございます。
(このシステムの意味が今ひとつ分っていない私ですが)
そうなんですよ。
あと、類似品に
「相手の主張の間違いを示す事は、自分の主張が正しい理由にはならない」
というのもあります。
by Judgement (2008-02-17 21:41) 

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