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銀河鉄道の夜[初期形]ブルカニロ博士篇 [書評]

今回はちょっと毛色の変わったものを紹介。
「書評」と言うよりかは「読書感想文」なわけだけど...。

学生時代、宮沢賢治は「昔の童話作家でしょ」ぐらいの感覚で
「注文の多い料理屋」をショートショート感覚で読んだほかは読む気すらなかったけど
岩手に旅行したとき、宮沢賢治記念館に行ってもう少し詳しく知り考えを改めた
童話なんてとんでもない、大人の心にグサリと楔を打ち込むような代物だった。

その時買った「グスコーブドリの冒険」のマンガ版を描いていたのが
宮沢賢治の小説のマンガ化を多く手がけている山形出身のますむらひろし氏。
特徴は、登場人物の殆どを"猫”に変えて描いているトコロ。
その絵柄が可愛くて、彼の「宮沢賢治マンガ」を結構集めたんだけど
今回はその中の一冊を紹介。

『銀河鉄道の夜[初期形]ブルカニロ博士篇』
原作:宮沢賢治 作画:ますむらひろし 朝日ソノラマ


【前置き】

これは未完の小説「銀河鉄道の夜」の初期形を漫画化したもの。
(ちなみに、彼は最終形を漫画化した後に、”たっての希望で”初期形も漫画化した)

初期形には同行者のカムパネルラが突如消え、主人公のジョバンニが泣き叫んだ後
『黒い大きな帽子をかぶった男』が銀河鉄道に乗ったままのジョバンニの前に突如出現する。
私は、宮沢賢治が彼に託したセリフを読んで、衝撃を受けた。

残念ながら、彼との会話は、最終形(第四次稿)では”彼の存在”ごと削除されている。
お話としての体裁もあるのだろうし、未完の作品にケチ付けるわけでもないけど
彼のセリフこそが、宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』を通して表現したかった事の
最も深い部分に触れているように、私には思える。

残念ながら「初期形」の原作を呼んだ事が無いので、このマンガのセリフから引用する。
(ちなみに、ますむら氏は原作を忠実に反映していると思われる)


【引用】 ※『』は黒い大きな帽子をかぶった男、「」はジョバンニ

『おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう
 あのひとはね ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ
 おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ』

「ああ どうしてなんですか
 ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言ったんです」

『ああそうだ みんながそう考える けれどもいっしょに行けない
 そしてみんながカムパネルラだ
 おまえはあうどんなひとでも
 みんな何べんもおまえといっしょにリンゴをたべたり汽車に乗ったりしたのだ
 だからやっぱりおまえはさっき考えたように
 あらゆるひとのいちばんの幸福をさがし
 みんなと一緒に早くそこに行くがいい
 そこでばかりおまえはほんとうに
 カムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ』

「ああ ぼくはきっとそうします
 ぼくはどうしてそれをもとめらたらいいでしょう」

『ああ わたくしもそれをもとめている
 おまえはおまえの切符をしっかりもっておいで
 そして一心に勉強しなくてはならない』

『おまえは化学をならったろう
 水は酸素と水素からできているということを知っている
 いまは誰だってそれを疑いやしない
 実験して見るとほんとうにそうなんだから
 けれども昔はそれを水銀と塩でできていると言ったり
 水銀と硫黄でできているといったり
 いろいろ議論したのだ』

『みんながめいめいじぶんの神様がほんとうの神様だというだろう
 けれどもお互い他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう
 それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう
 そして勝負がつかないだろう』

『けれどももしおまえがほんとうに勉強して
 実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば
 その実験の方法さえきまれば
 もう信仰も 化学と同じようになる』


【補足】

この後に、彼は「地理と歴史の辞典」を取り出す。
それは、現在における「地理と歴史」を記したものではなく
各時代時代に「ほんとう」と信じられてきた「地理と歴史」を個々に記したもの
つまり、紀元前2200年前のページには
その時代の人が信じていた「地理と歴史」が記されている。
そして、こう言う

『いいかい ここに書いてある事は
紀元前2200年前ころにはたいてい本物だ
探すと証拠もぞくぞく出ている』
※注: 当時の人間も”ある証拠”を元に「ほんとう」だと信じていたという事

つまり、時代が変わると「絶対正しいもの」も変わってしまうという事だ。


【感想】

別に、これを紹介して「化学バンザイ」と言いたいわけでも
「信仰も、化学みたいなもんだ」と言いたいわけでもない。

私は、この部分をこのような話と解釈した。

”ほんとう”と信じる人は、”ほんとう”と考えるに足りうる証拠の上で言っている
一方で別な事を”ほんとう”と信じる人も、同じくらいの証拠の上で言っている。
互いに、自分が”ほんとう”と思うから、ひとかけらも譲らない。
だから、「勝負がつかない」。

でも、一歩引いてみると、
「お互い他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれる」ように
異なる”ほんとう”の間にも共通する所が見えたりする。
それを見つけ出す方法を、「化学」に比喩して「実験」と述べているのでしょう。


そして私は、価値の相対化や客観、そして対話が
「ほんとうの”ほんとう”」を見つける「実験」の道具になると思うのです。
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コメント 7

naoko

>信仰も化学と同じようになる
つまり
>「ほんとうの“ほんとう”」を見つける

そのための土台は、「実験」(つまり当人の経験そのもの)の広がりと深さに大きく依拠するような気がしますね。
確かな経験を土台として、価値の相対化や客観、そして対話がなされなければ、なかなか「ほんとうの“ほんとう”」にはたどり着けないんだろうなあ。

ま、この感想はほとんど、(ここでの議論を見ている)友人の受け売りなのですが。
本当にそうだなあ、と思うので、使っちゃいました。
by naoko (2010-02-21 03:34) 

NO NAME

おぉ!宮沢賢治ですか!私もJudgementさんと同じように、数年前に読み返し、子供の頃と違って、その深さに驚いています。
ちなみに、私が読んだのは、新潮文庫の「注文の多い料理店」に入っている、短編群です。特に「ひかりの素足」というのには、ガツンときました。

「ひかりの素足」のあらすじですが、小学生の兄弟が、山の中で仕事をして暮らしている父親(今で言う単身赴任?)のところへ、週末泊まりに行き、二人で一時間半ほど歩いて家に戻ろうとします。ところが、道に迷い、天候が変わり、遭難するのです。雪の中でどうしようもなくなります。

で、地獄に行ったり、お釈迦様が出てきたりして、弟はあの世へ行くことになり、兄は現世に戻りなさいと言われ、生還します。
このような話を、宮沢賢治は、見事な文章、描写力で描き、静かな始まりから、進むにつれて、どんどん胸に迫ってきます。

文庫本の後ろの、天沢退二郎氏の解説によると、
「愛する者と死の国へ入りこんで、ひとりだけ戻ってくるというこの物語の設定は、『銀河鉄道の夜』の先駆をなし、かつ、妹トシを喪った体験を素材とすつ詩篇群と通底するものをもっている」
らしいです。

『銀河鉄道の夜』は、カタカナ語にひっかかって、今まで読んだことがないです。ますむら氏のマンガも読んでみようかな。

それにしても、宮沢賢治は、36歳で亡くなってますので、30代前半までに、これらの作品を書いたんですよね。ほとんど信じられません。最近読んだ「ボヴァリー夫人」のフローベールも、30代前半で書いてます。30代前半の男が、繊細に女性心理を描き、一人の平凡な人間が自殺にいたる道筋を、見事に表現しきっています。

naokoさんが仰る、
>「実験」(つまり当人の経験そのもの)の広がりと深さ
が、昔の人間の方が、すごいんだと思います。
「すごい」を使いたくなかったんだけど、思いつかなかった(笑)。

今は、実体験を伴わない表面的な知識で、感情のコントロールのできない精神的に未熟な人間が、偉そうに他人を批判している例が、kikulogなど見ればたくさんあります。
もちろん私もそういう一人なので、反省。
by NO NAME (2010-02-22 13:55) 

cosi

すみません。上のコメンは、cosiです。もう、認知症始まってます。
by cosi (2010-02-22 13:57) 

Judgement

私の解釈を言えば、
「確かな経験」=「実験」じゃなくて
もちろん「経験」も必要なんだけど、それは「実験材料」って感じかな。

「確かな経験」が「確か」であるかは分からないのだから

『ぼくたちは
 ぼくたたちのからだだって考えだって天の川だって汽車だって歴史だって
 ただそう感じているものなんだから』

じゃぁ、「実験」は何か、というと...それは私にもまだ分からない。
「その実験の方法」はまだ決まっていません。

で、経験は「事実の切れ端」と捉える事が肝心なのかなと感じています。
自分の経験を軽視するわけではなくて、自分の経験だけを重視してはならないって事。

だから「表面的な知識」であっても、それはそれでいいと私は思う。
「それが全てではない」と認識できていれば

でも「それが全て」と思うエゴの強さが、
他人を批判しているクセに自分への批判は受け付けない
という凝り固まった態度を生むと思う

自分を大きな存在だと認識すると、考えは狭くなる
自分を小さな存在だと認識すると、考えは広くなる
そんな感じかな

『このきれぎれの考えの
 はじめから終わりすべてにわたるようでなくてはいけない
 それがむずかしいことなのだ
 けれどもちろんそのときだけのでもいいのだ』
by Judgement (2010-02-23 01:19) 

naoko

体験は『実験』の材料でもあるし、実験そのものにもなりうると思うよ。
自分が一つの状況に放り込まれ、そこで身体ごと、生きるわけだから。
〝自分の存在の小ささ〟は、そこで身にしみる。

その体験・経験の積み重ねは事実の切れ端を集めたものではなくて、『まるごと一つの世界』にもなりうるよ。
職人の技ってそうして磨かれるもんだし。
どこまでいっても修行なのかもしれないけど、『あやふやな経験』は、やがて格段に〝確か〟になってくる。

それは、あくまでも個人の経験によって、当人が掴んだ〝確かさ〟で、それを人に伝えることは、なかなか難しい。
けれども、その人の存在そのものが、何かを周囲に伝える。
それでいいのだと思う。
by naoko (2010-02-23 04:05) 

cosi

Judgementさんと、naokoさんのコメントを読んで、あまり理解できなかったので、これは『銀河鉄道の夜』を読まなければと思い、近くのJudgementさんの蔵書をお借りしました(笑)。マンガは置いてなかったので、児童向けの本ですが、原文のままのやつです。

「ひかりの素足」と同様、胸に迫ってくるものがあり、泣きました。と同時に、Judgementさんの引用されている部分は、とても不思議な部分でした。また、ソクラテスの時と同じ表現をしてしまいますが、魂を揺さぶってくる感じ、とでも言うのでしょうか。

実験についてですが、ようやくJudgementさんと、naokoさんのコメントの意味がわかってきました。

私の理解では、その時代時代の影響を受けない、本当の真理みたいなものに辿りつくためには、どうしたらいいかという話ですよね。

で、naokoさんとかぶるのですが、体験は実験の材料にもなるし、実験そのものにもなると思います。

動禅という考え方が、あるらしいのですが、家事でも育児でも、それぞれの仕事などでも、真剣に取り組む中で、真理を発見するみたいな考え方が、ありますよね?

もっと深刻な体験、破産するとか、家族を亡くすとか、自分が不治の病にかかるとか、そういう体験は、真理の発見の、大きな実験そのものと言えるのではないでしょうか。

失恋とか、失業とか、座禅とか、哲学とか、宮沢賢治のような人の作品を読むとか、そういう様々な体験も、実験そのものであり、実験材料にもなるのではないかと。一つ一つの小さな実験から得た結果が、次の、より大規模で、広くて深い実験の材料ともなる。そういうイメージです。

宮沢賢治のような人は、おそらく他の人の何倍も、密度の濃い実験を繰り返し、その実験の材料ややり方のヒントを、人生をかけて、それを作品を通じて、他の人に伝えようとしている。そういう気がしました。

『銀河鉄道の夜』に出てきた、さそりのお話が、私は好きですが、宮沢賢治は、その星になったさそりのような気持ちで、生きていたのではないでしょうか。
「どうかこのつぎには、まことのみんなのさいわいのためにわたしのからだをおつかいください。」

宮沢賢治は、それをやり遂げたのだと、思います。

今までなぜか敬遠してきた分野の本や、作品を読むことが、最近出来ていて、新しい世界が開けてきた感じです。Judgementさんのブログで、良い刺激を受けている気がします。ありがとうございます。
by cosi (2010-02-23 20:13) 

(た)

実験というものの考え方の違いかな。

経験を通して得られたと感じた事。
私の感覚だとそれを確かめることが実験。

私には(私にも?)対話自体が、道具ではなく、実験そのものであるように感じられます。人とのコミュニケーションの中で自分のささやかな経験で得たことを確かめていく。

そこまで考えて気付いた。
懐疑のレベルをもう一つ上げると、対話は実験の道具と考えたほうがいいのカモ。
でも、それでも、対話が実験であると主張します。
相対的思考はその実験の一番大事な大切なしもべ。
相対的思考を人生で実行するのは私にはとてもとても難しいですが。

まぁ、いずれにしても自分の経験やそれを通して得たものを疑いながらも信じつつ、他者の経験・知見もまた同様に扱うべきであるという Judgement さんの意見には賛同の意を表します。
by (た) (2010-02-23 23:02) 

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