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駅と線路モデル [kikulog「血液型と性格」関係]

 Kikulogにおいて、ABOFAN氏は自分では「議論したい」と言うくせに、こっちから見るといつまでも「議論」を始めようとしてくれない、と多くの方が感じています。
 また、ABOFAN氏は、「議論の摺り合わせ」と言いつつも、相手の言い分は右から左に受け流し、自分の言い分だけ通そうとしているように見受けられます。
 定義を求められると、「そんな事も分からないのか」と言うくせに、自分で”そんな事”という事すらまともに説明できません。
 彼は、自分の説明よりも、質問を多用します。でも、ある特定の質問にこだわり、必死で回答を要求していた割に、ある時点であっさり質問を変えたりします。

 ...こうしてみると、ABOFAN氏というものは、「支離滅裂で何を言うのか予測不能な人」、に感じられるかもしれません。

 しかし、結構な期間、ABOFAN氏という対象を観察し、かつ色々働きかけてきた私にとっては、むしろパターンは非常に分かりやすい人物であり、その行動原理もうっすらと見えてきた感じがしています。
 そんな私が、ABOFAN氏の言動のその理由を理解する手助けとするための、モデルを提案してみたいと思います。

どんなモデルかというと、タイトルを付けるならば
『駅と線路モデル』です。

 ABOFAN氏が、高いアンテナと情熱により様々な資料を集め、それを広大な大地に敷き詰めたと想像してください。
 しかるべき後、ABOFAN氏はその大地に鉄道を敷きます。その線路は、膨大な資料の大地の中から、氏が選択した情報を駅とし、それらを経由しつつ、最終的に終点である「血液型と性格は関係する駅」に到着するものです。
 これにより、ABOFAN氏にとっては「血液型と性格は関係する」という結論まで矛盾無く説明できる道筋ができ、目的地までスムーズに行けるようになりました。

 ここまで想像できましたか?

 さて、こう考えてみてください。
 ABOFAN氏が敷設したABOFAN路線は、ABOFAN氏が「血液型と性格は関係する駅」に行く必要のため敷かれました。そのため、駅の場所は最終目的地に上手く辿り着けるよう選定されます。つまり、路線の途中に駅を設置するのではなく、先に定めた駅を繋ぐよう路線が設置されたのです。
 最終目的地も、各駅の場所も、あくまでABOFAN氏の都合で設定されているわけです。しかし、一応一本の路線で繋がっている、という点だけを重視し、ABOFAN氏はこの路線を、矛盾がない・論理的なルートと自分で評価しているわけです。

 それが、単に自己満足で済むのであればまだマシなのですが、矛盾が無く論理的なのだから、これこそ「万人共通の真実を繋ぐルート」なんだ、と思い込んでしまったのです。
 だから、「血液型と性格の関係」について論理的に議論したい人は、皆この路線に乗るのが当然と考えるようになってしまいました。

 おそらく、ABOFAN氏(だけ)にとっての「議論の前提」とは、相手が自分の敷いた路線を走る電車に一緒に乗る事と考えていると予想されます。
 で、双方乗り込んだ上で「議論」しよう、という態度を取ってはいますが、おそらく乗り込んだが最後、どの行き先を要求しようが、線路の上を半ば強制的に運ばれる状態になり、ABOFAN氏による途中の駅についての「ね、当然ここを通るでしょ」といったガイドを聞くうちに、いつの間にか終点「血液型と性格は関係する駅」に到着。
 そして「あなたも私と同じ場所に辿り着きましたね。いやー、有意義な議論だった」と言われてしまうはめになると予想されます。

 ABOFAN氏は、大抵「質問」という形で路線の駅のひとつに誘導しようとします。
 もし、その質問に対し、ABOFAN氏が期待する答えを述べれば、自動的にあなたは列車に乗せられます。あるいは、それがABOFAN氏の期待する答えでなければ、その答えはおかしいはずだと言われ、ABOFAN氏しか承諾できないであろう曲解や憶測によりなじられます。
 そして、答えないでいると、「答えないのは、答えられないと判断します」等と不穏な事を言って強制的に列車に乗せられそうになったり、何度も何度も何度も「なぜ答えないのですか」としつこく言われたりします。
 

 ただし、駅を示される側としては、以下の点で困惑します

1.『駅の場所がよく分からない』
 駅を作ったABOFAN氏としては、その駅がどこにあるか明白なのでしょうが、駅名を告げるだけなので、他の人はその駅がどこにあるのかすら分からない場合があります。
 しかし、これに対し、「この駅がどこにあるのかすら知らないなら、そもそも議論にならない」となじり、地図(ある分野の本)をよく見るように要求します。ですが、本物の地図に沿って駅を目指してみると、そんなところにそんな駅は無かったりして、本物の地図と、ABOFAN氏が想定する地図のズレが判明したりもします。
 ただし、それを批判しても、「そんなはずがない、地図をちゃんと読めば辿り着くはずだ」と言い張り、自分の地図を示して詳細に説明する事はまず無く、辿り着けない人が怠慢であると不当になじり続けるばかりです。

2.『その駅に行かなければならない理由がよく分からない』
 駅を作ったABOFAN氏にとっては、駅をそこに設置した事にこそ意味があるのですが、他の人には、わざわざその駅に行く必要が全く分かりません。
 ABOFAN氏は、その理由について満足のいく説明のないまま、それでもともかく駅に行く事だけを要求し、行かないと議論が始まらないよ、と勝手な言い分を通そうとします。
 そして、これがまた良くある事なのですが、どんなに要求しても、皆が不満を述べ、行くことを拒否する状況が続くと、「皆が来ないのが悪い」という態度を取りつつ、「じゃぁここならどうだ」と別の駅名を告げ、そちらに行くよう要求するのです(当然理由は言わずに)。
 ABOFAN氏は、既に駅を幾つも設置しています。ある駅に行く納得のいく理由を述べるのは面倒ですが、他の駅の名前を告げるのは楽です。そして、もしかしたら別の駅ならうっかり乗り込んでしまう人もいるかも知れない、との思惑もあるのかもしれません。
(このような行為は、一言で言えば「その場しのぎ」なんですけどね。)

 さらに、ABOFAN氏にとっての「具体的」とは、その路線そのものであり、自分が設置した線路と駅しか見えません。そして
 ・ 自分に見えるものは、他人にも当然見えるはずだ
 ・ 自分に意味があるものは、他人にも当然意味があるはずだ
 ・ 自分にとって必要なものは、他人にとっても当然必要なはずだ
という誤った固定観念を持っています。

 だから、「ひどくねじ曲がった路線だよね」とか、「なんであんな所に駅があるのかね」とか、「本物の地図見たら、あんな駅載ってなかったぜ」とか、路線そのものの有りように対する批判は、ABOFAN氏にとってのみ、「無知ゆえの誤解」あるいは「抽象的な話」に聞こえるのでしょう。
 また、「駅で列車に乗せるためなら、どんなにメチャクチャな事でも平気で言うのはおかしいよね」とかいう批判も、「乗ることが前提条件」と考えるABOFAN氏にとっては、単なる「個人的な感想」にしか聞こえないのでしょう。

 もしこれが、ABOFAN氏のテリトリーである『ABOFAN』であれば、列車に乗らない以上話が進まないため、あきらめるか、あるいは「乗ってから何とかするか」と腹を決めて乗り込むか以外の選択肢はほぼありません。
 しかし、Kikulogでは、別に乗らなくても他の人との話は進むわけで、むしろろくな説明もしないまま、乗れ乗れとギャアギャア騒ぐさまの方が浮いてしまいます。

 むろん、ABOFAN氏は、自分の設定した路線に乗り込まない事を「逃げ回っている」と認識しているでしょから、多分彼にとって「誰も乗らない事」すら、自分に有利な状況と思い込んでいるのかもしれません。

 ...というのは、私が今までのABOFAN氏の言動を見てきた経験から、現在のところ、氏の言動の理由を説明するのに最も分かりやすいかな、と思うモデルです。
 少なくともABOFAN氏の相手をしている人にとって非常に腑に落ちるモデルになっててくれればいいだけなんですけどね。

 このモデルの妥当性については、このモデルで説明できる言動が今後も相変わらず続くようであるかどうかで判断すべきでしょう。


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