「科学的」を使って何がしたい? [疑似科学総論]
今回も前回、前々回と関係有るお話
まずは、前回の「疑似科学批判における戦略」のおさらい
〔好ましい戦略〕相手の主張する「科学的」の段階に対し、一つ前の段階のプロセスが充足していない点を指摘する事(Ex:理論に対し、導出に科学的方法が使われていない事を指摘)
〔好ましく無い戦略〕相手の主張する「科学的」の段階と同じ段階のものをぶつける事(Ex:理論に対し、現有の科学理論に合致しない事を指摘)
まずは、前回の「疑似科学批判における戦略」のおさらい
〔好ましい戦略〕相手の主張する「科学的」の段階に対し、一つ前の段階のプロセスが充足していない点を指摘する事(Ex:理論に対し、導出に科学的方法が使われていない事を指摘)
〔好ましく無い戦略〕相手の主張する「科学的」の段階と同じ段階のものをぶつける事(Ex:理論に対し、現有の科学理論に合致しない事を指摘)
「科学的」を把握した戦略を [疑似科学総論]
さて、前回のおさらいから。
〔(科学的)方法・視点〕→〔(科学的)理論・知見〕→〔(科学的)技術・推測・発想〕
この流れを把握してもらってから、「疑似科学」を効果的に批判する戦略について述べてみたいと思います。
〔(科学的)方法・視点〕→〔(科学的)理論・知見〕→〔(科学的)技術・推測・発想〕
この流れを把握してもらってから、「疑似科学」を効果的に批判する戦略について述べてみたいと思います。
「科学的」とは舌足らずである [疑似科学総論]
先日TAKESANの所で「科学的に」という記事がありました。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ddf5.html
それに対し、私は「”科学的”とはその中の方法論に限定されたものと考えている。」というコメントしましたが、「科学的」という用法を改めて考証し直すと、確かに様々な側面を持ち得る用語であると考え直すに至り、改めて整理しなおしてみました。
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_ddf5.html
それに対し、私は「”科学的”とはその中の方法論に限定されたものと考えている。」というコメントしましたが、「科学的」という用法を改めて考証し直すと、確かに様々な側面を持ち得る用語であると考え直すに至り、改めて整理しなおしてみました。
サイエンス・ギャップ論 [疑似科学総論]
『現代科学論(井山弘幸・金森修 新曜社)』を読んでいたら、”科学者と公衆の間にある埋めがたい溝”があるとして、このコミュニケーション不全の元凶として、ロスマンという人が唱えた「公衆が科学に対して想う16の神話」が紹介されており、面白かったので引用しておきたいと思います。
何故、疑似科学は科学を装うのか [疑似科学総論]
例えば、この世には科学という操作的手法ではなく、観察の積み重ねだけで培う「経験則」による理論(例:ことわざ的なもの)や、独自の世界観と自然現象で構成された理論(例:占いや魔術)も命脈を保っていますし、両者のコラボレーションで作り上げた技術(例:鍼灸・気功・霊視)もお盛んです。
だから、別に科学的でないからといって、効果が絶対に無いわけでも無いし、人々に受け入れられないわけでもないはずです。
ですから、それが正しいと信じさせるのに、あえて「科学的である」という(結果としての)嘘を付く必要はないはず、と思います。
なのに何故、「科学的である」と言ってしまうのか、ちょっと推測してみましょう。