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電気クレクレ教の歪んだ教義 ~kikulog『再起動』考~ [他ブログいっちょかみ]

 今回は前に予告したkikulog『再起動』について書く。3ヶ月くらいかかったね。
 原発の話題だと、どうしても感情的になっちゃいそうなので、今回は“傍観者”を設定した「疑似インタビュー」の形にしてみた。

 本編に入る前に言っておきたいことをいくつか。

 自分の話だけど、震災の時手伝いに来てくれた新潟の方に、ふと「この前の新潟中越大震災の時は復興までどのくらいかかりましたか?」と聞いたら、「まだ仮住まいの人が残っている」との事。
 それを聞いて恥ずかしくなった。
 自分の中では「6年も前だし復興はとっくに終わってる」と勝手に思っていたから。

 この話では、放射能被害の現場にいる者としての視点、というのがどうしても入ってくる。私は口が悪いから、それが皆さんには、「こんな事も分からんお前はバカだ」という嘲りのように聞こえちゃうかもしれない。
 ただ、私自身は「現場にいなければ分からんでも仕方ない」とは思っている(自分もそうだったからね)。
 だけど「外の人にも現実を分かって欲しい」のがこの記事の目的の1つだし、語気が荒くなるのもその強い気持ちの裏返しと汲んで欲しかったりする。

 あと、まずちゃんと言っておきたいのは、「原発問題」に関しては県外の方々へ愚痴みたいな事も言っちゃうけど、その一方で復興支援に関しては感謝の気持ちでいっぱい。
 震災直後、正直「福島は終わった」と思ったけど、今こうして無事生活できているのは、県外からの信じられない程多くの無償の支援があったおかげだと思ってる。

 なお、私の発言が福島県民の総意なわけじゃないから、私のいう事にカチンと来ても、福島への復興支援の手を引っ込めたりはしないでちょうだいね。


【はじめに】

---では最初に、今回の記事のテーマである「原発問題」について、ざっくりとした認識を教えて下さい。

 いままでの「原発運営」は、もしかしたら「事故はない、万一あっても大事に至らない」という前提で進んでいたかもしれないけれど、今回で「事故はあるし、大事に至る」事が現実に分かったわけよね。
 そうなると今後の「原発運営」においては...原発の可否も含めてだけど...今回の福島の原発事故を教訓とした上で考えるのが不可欠だと思うよ。
 それがなければ「学習しない」事になるし、そうでもしてもらわなきゃ被害にあった私達も浮かばれないという私情もあるけどね。

---福島の状態と対策については、どう捉えていますか?

 放射性物質に汚染された広大な土地が「事故以前」のレベルに戻る事は、奇跡が起こらない限り、10年、いや20年でもあり得ないわけで、その長い長い間...少なくとも10年くらいは...そこにいる人間は絶えず「通常の10倍以上の放射線って大丈夫なの?」と「もしかしてホットスポットが残っていない?」を気にしつづけなくちゃいけないし、県外の人も「福島産の何か」を手に取った際に同様の不安が喚起されちゃうでしょうね。

 でも、今すぐ元に戻せと言ってもほぼ不可能ってのは分かってる。

 私にとっては唯一の故郷であっても、外の人にとっては「福島が無くても暮らしていける」ものであるのが悲しいけど現実だからね。
 対策は外部の人が考えた「コストとリスクの兼合いによる合理的なレベル」までだろうし、それで残余する「住む人の不安」や「買う人の不安」については、“それは不合理な事だからいちいち付き合ってられない”と切り捨てられるに違いないよね。

 それは感情的にはやるせないけどさ。
 理性的に考えれば福島にかかりきりで日本中共倒れなんてなっても仕方がないわけで、あきらめてあとはもう奇跡でも願うしかない状態よね。

---もう、元には戻れない、って事ですね。

 モチロン、大地震・大津波が奪った命だって元には戻れない大きな悲しみだよ。
 でも、生き残れた人達の「再生への希望」を刈り取ったという点で、より深刻と言ってもいいんじゃないかと思う。
 
 だからこそ、他の県の人がいつか同じ思いをしなくて済むように、せめてこの福島の原発事故を教訓として欲しいと思うんだ。
 
---それは、原発反対、って事ですか?

 心情的にはそうだけど、私ごときが反対してもたかが知れてる。例え福島県民全員が反対しても、所詮47都道府県分の1でしょ。そこも「あきらめ」るしかないよね。
 それに心のもう一方では、1回の大失敗で原発技術を闇に葬るのはもったいないとも思うし、「事故の教訓を生かす」という点では、止めるより続ける方が「生きる」とも思う。

---そういう意味では、福島を教訓にしてストレステストをやったりしてますから、「生かされて」いますよね。

 いや、「再発防止の対策」なんてのは当然すぎるぐらい当然の事なんだよ。
 それすらやらないのであれば、ただのバカだから

 今回津波と地震で事故が起きたから、それに対する安全性をチェックする、ってのは当然の事として、それで「大丈夫」と判断しちゃうなら、きっとまた深刻な事故を起こすよ。
 誰だって事故を起こそうと思って起こすわけではなく、事故は起こしたくないけれど「思わぬ事」で事故が起きちゃうわけだからね。

---では、どのような「教訓」が必要なのだと考えていますか?
 
 私が教訓として欲しいのは「どんなに大丈夫と思っても事故は起こる」って事なんだな。
 その上でも運用し続けると言うのなら、「大事故が発生した場合どう国民を守るか」をまず考えるのが福島を教訓にした「今後の原発との付き合い方」だと思う。

---「事故防止」だけでなく「事故がある事を前提にして考える」いうわけですね

 そのとおり。
 それって別に特別な話じゃなくて、私達も常識的にやっている事よ。
 「絶対安全運転するけど、万一のために対人対物無制限の保険に入る」ってね。

 常々「安全運転する」って宣言してた奴が事故を起こして、その時保険が不十分で満足な賠償ができなかったとするよね。なのに、まだ賠償も満足に済んでないうちから、「時間も金も無いから保険は見直さないけど、俺は今度こそ絶対安全運転する」なんて言って、再び車を運転しようとしたらどう思う?

---信用できないし、止めさせなきゃと思いますね。

 今の福島というのはおそらく本邦初のモデルケースなわけ。
 それは未だに収束してないし、未だにその影響が分からない。ならば、現時点においてまだ「福島の教訓」は出来上がってないわけだよね。
 なのに、とりあえず以前の取り決めのままで「再起動」しよう、ってのは事故を起こしたのに保険を見直さない、ってのと同じ話だと思うのよ。

 そういう話になると、まるで「福島には教訓はない」、「福島の事故は無視していい」みたいに思われているようで、現実に苦しんでいる福島県民としては非常に腹が立つ。

---原発をどう運用するかは「福島の教訓」が明確になってからにしろ、って事ですね。

 私としてはね。
 んで、これは福島県民としての私情を言っているだけの話じゃないよ。
 そうじゃないまま「再起動」の話を進めるのは、他県の原発周辺の住民が可哀想だと思ってるのが一番にある。

 福島の原発事故を聞いた時、福島県民の次に不安になったのは多分その方々だと思うし、まだ納まらないどころか様々な問題が次々に明らかになっている現状は、「明日は我が身」と身に詰まされる想いじゃないかな。

---今回の事故で影響が市町村レベルを超えて数十キロに及ぶ事が分かりましたから、不安を感じざるを得ない住民の数というのも多分膨大でしょうね。

 おそらく、県レベルの話になってくると思うよ。
 なのにそれを無視したまま、「再起動」だけ唱えても実現は困難なんじゃないかな。

 例えばさ、ジェットコースターで故障により転落事故が起きたとするよね。
 それを目撃した人の驚愕がおさまらないうちに、係員が「故障は直したので、どうぞ安心してお乗りください」と言われて...しかも、転落した人は絆創膏貼られたぐらいで「大丈夫大丈夫」と放置されているのを知っていて...それで乗れると思う?
 っていうか、それで乗せようとする奴の神経の方がおかしいよね。

---原発周辺の住民の承諾を元に「再起動」を実現化させるためにも「福島の教訓を生かす」スタンスが必要という事ですね。



【ファーストインプレッション】

---では本題に入っていきましょう。そう考えるJudgementさんが菊地先生の『再起動』を読んで、どう感じましたか?

 まず、今この状況の中で「再起動」を唱えるくせに、「原発事故が起こった時の問題」については全く触れない、というのが私にとっては非常に不完全なものに思えたね。

 原発が事故を起こして、シャレにならん影響を与え、いまや原発推進論者すら「原発は安全」とは言えなくなっている“実状”がある中であえて「再起動」を言うのであれば、、まず「原発リスク」に対する判断を明らかにすべきじゃない?

 「原発リスク」を語らずに「再起動」のみを語る、という構造がすごくイビツに感じた。

---菊地先生は「電力不足」の問題を中心に語ってますよね。

 今この世の中の殆どの人が「電力不足」を問題に思っているわけだ。
 菊地さんがわざわざ言わなくてもね。

 じゃぁ、何故「再起動」しないのか、というと当然「原発リスク」を心配しているからだよね。
 「その不安を抱えたまま、再起動していいのか」とか、「再起動する場合どうやって国民、特に原発周辺の方を納得させられるか」という事を考えなくてはならないと判断する必要があるからすぐさま「再起動」はできない...というのが、現状じゃないの?

---電気は欲しいけど、原発の安全性に問題がある、というジレンマをどう解消するか悩む段階、って事ですね。

 逆に言えば、そういう状況だからこそ、菊地さんもあえて「再起動」を口に出して主張しなくてはならなくなっているわけだよね。
 その状況で「再起動」を主張するならば、まず現時点で「再起動」を妨げている要因に対する解決方法を示すべきじゃないのかな。

---でも、菊地さんの主張には、そのあたりの事が一切出てきませんね。

 で、したり顔で何を言かと思うと「電気不足になると困った事になるよ」という脅しばっかり。そんな事は誰でも分かっていて、ただ、菊池さんの考えが至らない部分をちゃんと考えているから、踏み切れないだけなのに。

 一番問題だと思うのは、彼が自分の「再起動が正しい」という判断の説明において、自分がそれを「確証した」事例を殊更持ち上げてみせる一方で、「反証」の検討が非常にぞんざいってところ。

 科学者のくせに、この話題に関しては科学の逆をやっているんだよね。

---それって、「ニセ科学」と同じやり口なんじゃないんですか?

 そこなのよ。それを仮にも「ニセ科学批判」の看板持っている菊地さんがやらかしているから特に問題に思うわけよ。

 それにね、後で詳しく検討するけど「確証事例」だってかなりあやしい。
 都合のいい側面だけを見て、都合の良い解釈をして「妥当性の根拠」に仕立て上げちゃっているんだよね。



【菊池先生をプロファイリング】

---ところで、何で菊地先生は「原発問題」に触れずに「再起動」を主張する、という妙なスタンスになってしまったのでしょう?

 多分菊地さんは「原発リスク」という事について『実感』が無いんだと思うんだ。

 現状では日々『実感』せざるを得ない状況にあるのは東日本の一部の地域の人達。
 それ以外の、しかも西日本に住んでいる彼にとっては『実感』は薄くても仕方がないだろうし、それよりも自分の生活を実際に脅かしている「電気不足」の方が容易に『実感』できるだろうね。

 そういった『実感』の違いを素直に示している、と考えれば、「原発問題」抜きで「再起動」を語れる神経、というのもある程度は理解できるんじゃない。

 そんなんだから「電気がなければ、原発を動かせばいいじゃない」なんて、まさに世間知らずのマリーアントワネットのような発言を平気で出来るわけよ。

---『実感』が無いからそこに焦点を当てられない、どころかフレームから外しても気にならない、って感じでしょうか。

 とはいえ、私はと言えば日々「原発リスク」の『実感』に押しつぶされて、正直「電気不足」を『実感』する暇があまり無いわけで、そういう意味では必要以上に「原発リスク」を問題視しちゃう面も無いとは言えないよ。
 でもさ、フラットな視点で見ても、やっぱ“原発”を再起動させる話するんだから、“原発”のリスクを考えるのは当然じゃないかな。

 んで、もう一つの問題として挙げたいのは、菊地さんの思考停止っぷり。
 「電力不足」の解決方法や問題について、『再起動ありき』という前提以外での検討ができなくなっちゃってる。

---他の可能性とか、他にすべき事に思いを巡らせられない、って状態ですね。

 菊地さんは「なんで『再起動』が一番手っ取り早いのにしないんだろう」って不思議でたまらないんだと思うよ。
 そこで、「もしかしてみんなは電気なんて無くてもいい、って思っているんじゃないかナ」なんてバカな仮定に安易に飛びついちゃってるんじゃないかな。
 んで、「それならボクが教えてあげなくちゃ」と奮起し、自慢げに「電気が必要な話」を蕩々としちゃうわけだ。

---自分が想像できるレベルで、世間を解釈しているって事ですね。

 まぁ、それだけだったら「関西のしかも世間知らずの学者先生は平和でいいわね」と鼻で笑って済む話だったかもしれないんだけどね。
 でも、その程度の行為を正当化するのに、わざわざ「弱者のために」とか「人が死ぬから」と、ヒューマニスト気取りな態度を取ったりするところが鼻につくんだよね。

 そんなにヒューマニスト気取るなら、原発周囲の人の事も考えてやれよって感じ。
 菊地さんが言っている事を原発周囲の人が聞いたら、「私と弱者のために、お前らが人柱になれ」と言われていると感じると思うよ。

---まぁ、菊地先生はそこまで意識していないと思いますが、それを意識していないのがまた問題だということですね。

 そのあたりの事についてちょっと例え話してみようか。
 福島県の原発周囲の危険地域には、自衛隊や警察、消防団の方が危険を省みずにご遺体捜索等で入っていたのね。
 その方達に「大変でしょう」と聞くと、『被災された方々の気持ちを考えれば、当然の事をしているだけ』って答えるのよ。

---尊敬しますね。

 そこで例えばさ、ビールでも飲みながら寝そべりつつ、そのご遺体検索の情景をTVで見てる人がいるとするよ。
 その時、近くにいた人が「この人達も大変だね」と言った時、それに応えて『被災された方々の気持ちを考えれば、当然の事をしているだけだ』と言ったらどう思う?

---なんか腹立ちますね。

 全く同じ言葉でも、発する人間の立場が異なれば意味も異なるでしょ。
 誰かが言ったコトバが良いものでも、同じコトバを別の立場の人が言えば、意味がガラッと変わっちゃう、って事は往々にしてあるの。ついでに言えば、聞く人の立場が異なっても意味がガラッと変わっちゃう、って事もあるけどね。

 だけど、菊地さんを見ていて感じるのは、「この人はつったって眺めながら話すタイプ」なんだな、って事。

---というのは?

 例えば、「電力不足」について話をする時も、自分の立ち位置から一歩も動かず、そこから自分に見えるものをただ蕩々と説明するんだよね。

 『他のところからはそれはどう見えるか』なんて考えないし、『自分と同じ立ち位置と同じ角度に相手も立たないと同じものを見れず、説明も通じない』なんて事も想像できない。

 「自分が見えているものは他人にも同じように見えるはずだし、見えないのであればそれは他人の目がおかしい」と素朴に信じてそうね。
 そしてそれを正当化する方便にしようとしているのが、「線引き問題」とか「優先順位問題」じゃないのかと私は思うよ。

 それと、『人は話を聞く時、まずはその話をしている人の方を見る』という事も考えてないかもね。
 だから、「お前が言うな」という事も平気な顔して言えるんだ。




【表と裏の混在による混乱】

---かなりきつい事をおっしゃっり始めましたが、実際のところどうなのか、菊地先生の記事を細かく見て具体的に指摘して欲しいと思います。では、最初から見ていきましょう。
原理的には最短二年程度ですべての原発を止めうるというのが現実味を帯びてきた状況下では、原発推進も反原発も脱原発も無邪気ではいられない。どれを止めてどれをいつまで動かすかをまじめに議論することになるし、反原発運動といえども「再起動」を認めなくてはならないときがくる。

 菊地さんの主旨を簡単に言えば、「このまま行けば最短二年で全ての原発が止まり、それに伴って多大な電力不足が生じる」場合、後に説明されるけど、様々な障害が発生する恐れがあるため、『再起動』が必要だ、という事だよね。

 確かに現在多くのモノを電気に頼っているから、電力不足という事態は問題である、という主張をする事自体は、べつにおかしくはない。
 ...ま、誰でも思い付くアタリマエの話ではあるけどね。

 でも、だからといってそこで「原発推進、反原発、脱原発」に喧嘩売る必要は無いんじゃない?

---喧嘩売ってますか?

 だって、「電力不足問題」を提起するだけなら、「原発推進、反原発、脱原発」をあえて持ち出す必要は無いはずなんだ。

 でも、おそらく菊地さんは「電力不足問題の提言」というレベルに留まらず、『再起動の他に無い』という信念にとりつかれ、それを妨げる要因は排除したいんだね。
 「原発是か非か」をやり合っている「原発推進も反原発も脱原発」は、自分の認識している「正解」を妨げているから「間違っている」と判断し、「間違っている」事を悠長ににやっているように見えるから、「無邪気」と揶揄する、って話だと思うよ。

---そのぐらい、自分の正しさを信じきっていると。

 そういうところは、どっちが無邪気なんだよ、という感じだね。

 むしろ、「原発推進、反原発、脱原発」の方々が、今回の事故をどう捉え、どう摺り合わせしていくか、という事こそ「再起動」の議論では必要なんじゃない?

---菊池先生はそれをしてない事を指して「無邪気」と言っているという可能性は?

 菊地さんは「とにかく再起動」って一番単純な事を言っているわけだから、それはないだろうね。
 というか、あえてここで「原発推進、反原発、脱原発」を持ち出すのは、暗に「原発リスク < 電力不足解消」というスタンスを示した、と捉えるべきものだよね。

---『反原発運動といえども「再起動」を認めなくてはならないときがくる』ってどういう事なんでしょう?

 反原発運動のアイデンティティを真っ向から否定するすごい発言だけど、そういった自己矛盾が生じてもおかしくないと思える程「自分の言っている事が正しい」と確信している、って事なんだろうね。

 ってか、「原発推進・反原発・脱原発」にとっては、理由も明らかにされないまま名前だけ使われちゃってる感じだよね。他人事ながら可哀想な感じ。
 ま、狂犬に噛まれた、と思うしかないんだろうけどさ。



---続けて書いてある箇所は、なんかちょっと、主旨が捉えにくいのですが。
という趣旨の話を書いて、一部のかたには怒られ(無邪気ではいられないという表現がいけなかったようですが、そんなに妙な表現とは思っていません)、一部のかたには同意していただいたのですが、菅首相が浜岡に停止要請をしたことで、この話が現実味を帯びてきました。

 ここは『という趣旨の話を書いたのですが、菅首相が浜岡に停止要請をしたことで、この話が現実味を帯びてきました。』で本来済む話で、「一部のかたには」うんぬんのくだりは、文章的には邪魔以外の何の効力もないね。

---なんでこんな文章になったんでしょう?

 「怒られたけど、自分は間違っていない」的な弁解を無理矢理にでも挿入したかったんじゃないの?
 しかも、「一部のかたには同意していただいた」なんてどうでもいい“恣意的な例証”を、恥ずかしげもなく持ち出すところがすんごいいやらしい。

 なんつうか、「文章の半分は自慰でできています。」って感じ。

---じ...表現をちょっと押さえてください。

 私に言わせれば、正当化にそのレベルの根拠を示すってのは、主張はその程度のレベルでしか支えられない「浅いモノ」である裏返し。
 てか、そんな思慮浅いバカに「無邪気」呼ばわりされれば誰だって怒るだろーに。

---「思慮浅いバカ」とか、そういう言い回しに目くじら立てる人がいるんで...

 ま、怒られたのは、「表現の問題」じゃなくて、「資質の問題」じゃないの?ってコト。



---先に進みましょう。次の文章もちょっと私には複雑だったんですが
浜岡は止めればいいと思っていますが、その先を考えると気分はかなりブルーです。
「浜岡をすぐに止めよう」という運動と「すべての原発をすぐに止めよう」という運動は、実は必ずしも相容れるものではないということに気づいている人と気づいていない人がいるのだと思います。後者は無邪気にすぎるということですが。そうではなく、これからは「どの原発の再起動を認めるか」が争点になっていくはずです(すべての原発は最長二年の運転ごとに定期点検が義務づけられている)。

 確かに文章構成が混乱し、何を言いたいのか良く分からなくなってるね。ま、この人は別に物書きのプロじゃないから仕方が無い事なんだろうけどさ。

---「そうではなく」の接続詞の意味がちょっと...

 ここは本来『浜岡は止めればいいと思っていますが、その先を考えると気分はかなりブルーです。これからは「どの原発の再起動を認めるか」が争点になっていくはずです(すべての原発は最長二年の運転ごとに定期点検が義務づけられている)。』と言えば済む話なんだよね。

---「そうではなく」の前の一文がいらないということですか?

 あくまで、読み手にとってはね。
 でも、そこであえて書いた菊地さんとしては、実はそこが一番言いたかった事なのかもしれないよ。

---言いたかった事とは何なんでしょう?

 まず、『自分は「浜岡は止めよう」とは言うけれど、「すべての原発をすぐに止めよう」と主張するわけじゃないからな』といった“予防線”だろうね。
 つまり、「浜岡停止」には賛成するけど、「全て停止」には反対するって事。
 アタリマエよね、自分は「再起動しろ」って主張しているんだから。

---その論理も私にはいまいち理解できなかったんですが

 実際のトコロ、この人は「浜岡原発」って所はどうでもいいのよ。「ひとつぐらい止めてもいいけど、すべての原発を止めるのは困る」って程度の話なんでしょ。
 仮に、原発全部止めても電気は十分足りる状況であれば、彼は「どうぞどうぞ、原発全部止めちゃってください」って言うだろうからね。

---つまり、「原発の危険性、安全性」という質の問題ではなく、単に数の問題として捉えている、って事ですか?

 ま、彼に聞けば「浜岡原発」は安全性が不十分だから、とか言いそうだけどね。
 でも、今回の事例を考えれば、「安全性が不十分」だった事は事故が起こってから分かる仕組みになっているから、あんま筋のいい言い訳とは言えないね。

 それか万一「浜岡原発は首都圏に近いから」なんて理由で言うなら、「じゃ、首都圏以外の人間なら多少死んでもかまわないのか」とぶっ飛ばすよ。

---じゃぁ、菊地先生はどの原発なら止めなくても安全だと考えているんでしょう。

 んー、そこまでは考えていないんじゃない。
 「どれを再起動すべきかは“悩ましい”」と問題解決を棚上げしつつ、「でも、とにかくこのままでは問題がある事は明白だ」と自分の立場の正当化だけ確保しそうね。

 で、「自分の主張は正しいんだから」、あとはその自分の考えに従って「どの原発の再起動を認めるかを争点としろ」と、と他人に丸投げするんだよ。

---あと、「気づいている人と気づいていない人がいるのだと思います。」って何なんでしょう?

 さっき言った自分の立場...つまり「浜岡止めてもいいけど、全て止めてはダメ」...という「自分の立場」について、「分かってくれる人と、そうでない人がいる」と言っているわけ。

 つまり、自分中心に世の中の人を2分化しちゃってるのよね。
 それだけですごく恥ずかしい気がするのに、さらには、「気づいてくれない人は無邪気にすぎる」なんて言い出す。
 これって冷静に読めば、「俺を尊重しない奴はバカだ」と言っているのと同じよね。
 そんな事を平気で口に出せる神経がすごいよ。

---なんでいきなりここでそんな話をするんでしょう?

 文脈の繋がりも文章も滅茶苦茶だから分かりにくいだろうけど、おそらく、ここのくだりは「原発推進も反原発も脱原発も無邪気」の理由を説明しているつもりなんだよ。

 ま、菊地さんの「自分と同じように考えてくれない奴らは『無邪気』認定」というすごい判断基準をより明らかにした、ってことだね。
 そんなしょうもない事を明確にするために、文章構成をぶちこわすなんて、やっぱり「自慰」よ「自慰」。

---ちょっと...お願いしますよ(泣)




【安易な正当化の問題】

---ただ、菊池先生が持ち出す根拠にも一理あると思いますが...例えばこれとか
節電でしのぐという考えかた自体は悪くないのですが、ときとして「○○は贅沢だから止めろ」という健常者視点の乱暴な意見になってしまうのが気になっています。バリアフリーの中には電気で実現しているものが少なくないのだし、高齢者や体力のない人には夏の冷房が重要なのだから、簡単に贅沢と言って欲しくはない。駅のエスカレーターは贅沢か、という問題はきちんと考えたほうがよいです。自分は平気だから他人も平気なはずだ、というのでは乱暴にすぎます。

 確かに、今年は熱中症で倒れる人が多いみたいだし問題よね。
 電気不足だから、というよりも、それに伴う過度の節電意識による“自粛”原因で、特に高齢者や体力のない人に負担がかかってるのは事実でしょう。

 ただ、この人は「その問題は不可避か、解決できないか」までは踏み込まないよね。
 むろん、そこを判断するのは難しいわけだけど、難しいからといって「節電」という選択肢を否定するのは早急すぎるわ。

---菊池先生は節電による対策を否定しているんですか

 まわりくどい言い方をして、ぼやかしているけど、その結論が『再起動が必須』なんだから、否定しているとしか判断できないよね。

---ちなみに、否定しない前提で書くなら、どんな言い方になるんでしょう

 私が同じ問題でものを言うならば、
『もし、日本が「自分は平気だから他人も平気なはずだ」という考え方にとらわれる人ばかりなら「節電」という選択肢は弱者にとってリスクが高いものとなるでしょう。だから、「節電でしのぐ」という選択肢を選ぶ場合、その「節電」のレベルを健常者と弱者でちゃんと分けて考えるようにするべきだ。』
となるね。

---例えば、そういった主張を菊地さんが聞いたら何と言うと思いますか?

 その場合「再起動は必要」という結論にならないから、否定しようとするんじゃない?
 『健常者と弱者の線引きは悩ましい問題だけど、議論に時間がかかって間に合わないから...』とモニャモニャ言いそう。

---あくまで“仮に”ですけど、もし実際に菊池先生がそう言ったとすればJudgementさんは何と応えますか?

 自分で先に「弱者」という概念を持ちだしといて、後になって線引きがまだ、というのはおかしいよ、って事と、「じゃぁ。原発の安全性の検討には時間をかける必要は無いとでもいうの?」って言うと思うよ。

---最後の『自分は平気だから他人も平気なはずだ、というのでは乱暴にすぎます。』というのは良いこと言っている気がするんですけどね。

 確かにこのフレーズ自体は正論だと思うよ。
 たださ、今この状況の中で「原発リスク」をすっ飛ばして“再起動”の話ができる菊地さんを見ていると『原発の事故は、自分は平気だったから他人も平気なはずだ』と考えているような感じなんだよね。

 泥棒が「人の物を取るのはいけない」と言うようなモノで、言っている事は正しいけれど、言っている人が間違っている、って感じ。

---ちなみに、福島の節電事情はどうなんですか?

 一応、輪番停電になってもその対象から外される、って事になってるみたいだけど、それでもちゃんと節電しているよ。

 ついでに言っておけば、皆さんも節電で暑くて大変だとは思うけど、福島はそれに輪をかけて大変なのよ。
 特に小学校や幼稚園の小さい子供が可哀想。
 エアコンがある学校自体あまり無いのに、この暑いさなかに閉めきった教室で過ごす事しかできない。「窓を開け放して風を通す」事や「外で涼を取る」、「プールで水浴びする」ってコトが全部できないんだから。
 せめて、子供ぐらいは涼しい中、元気に過ごして欲しいと思うんだけどね...

 放射性物質がばらまかれた状況は、節電による悪環境をさらに増幅する、ってのは知っておいて欲しい。



---でも、人が死ぬ、って言われると、私も再起動は仕方がないと思うのですが
電気がないと生きられない人たちがいることも考えたいところです。
大規模停電の怖さを考えると(人が死にます)、単純に発電可能量を足し算して、かつかつで足りるという話ではだめで、マージンがどれだけ必要かも含めて話をしないと。また、中には発電可能量を足す際に、どの発電所も点検のために止まるということを忘れる人もいるように見受けられます。

 ああ...『死ぬ死ぬ論法』ね。

---死ぬ死ぬ論法?

 勝手に私が言っているんだけどね。
 ホメオパシー批判あたりで味をしめた彼らの安易な正当化手法よ。
 はてブでは「弱者人質論」というフレーズが出て来ましたけど、そっちも言い得て妙。

---でも、やっぱり人が死ぬのは避けなくてはいけないんじゃないでしょうか。

 そりゃモチロンだめよ。
 だけど、これは「再起動したら解消されるかもしれないこと」であって、「再起動しなければ解消できないこと」じゃないよね。

 本気でその人達を死なせたくないなら、まず真っ先に「健常者は節電して、弱者に優先的に電気を配分する」ぐらいの意識を持たなければだめでしょ。
 それができなければ『再起動』したって「健常者」が優先的に電気取っちゃって、弱者のリスクは変わらない事になるんじゃない?

---でも、さすがにカツカツな状況だと、不慮の停電の危険も高いのでは?

 じゃぁ例えば、各電力会社でそれぞれ手持ちの発電所の1つを「弱者専用」にして、他と切り離し、他が停電起こそうが、そこだけは安定供給するようにするのはどう?
 モチロン、その分さらに健常者の取り分は減るけど、「弱者の死」を本気で心配するなら、これぐらいの事をしてもいいはずよね。

---そのシステムを作るのに時間がかかるのでは?

 今になって作ろうとするから時間がない、って話になるんであって、本当に心配だったのなら、電力不足になる以前から話をしていたはずよね。
 それが、自分達の取り分が減ってから、思い出したように「弱者が~」と言い出すのは付け焼刃感アリアリよね。

---今回の事態になって初めて気付いた、という面もあると思いますが。

 だったら、そもそも「一般の家庭用電源」で命を繋いでいる実状にこそ異を唱えるべきでしょ。だって、「再起動」しようがしまいが、大きな地震があれば大規模停電が起きるわけだし。

---実際にそれでお亡くなりになった方がいましたよね。

 例えば、家庭用発電機を配布する、なんてのが最も確実で現実的かもしれないよね。
 ホンダなんかでは、カセットボンベ使用の発電機とか作ってるし、あとは病院みたいに停電持にすぐに電源が切り替わるシステムがくっつけられればなお安全よね。

---でも、その方式もコストがかなりかかるんじゃないですか?

 いや、ここでコストの問題をからめちゃいかんでしょ。
 「弱者のためにも再起動を!」なんて言っているヒューマニストが、「だけど弱者のためにコストをかけるのはちょっと...」とは言えないはずじゃない。

 それと、じゃぁ「再起動」はコストがかからないか、というとそうとは限らないんじゃない?ま、それについては後で詳しく言うつもりだけどね。

 とにかく、本当に「電気がないと生きられない人たち」を心配しているのなら、「再起動」という結論に飛びつく前に、もっとより確実な方法を考えるべきじゃない。
 なのに安易に「弱者の死」を使って、自分の「再起動」を正当化しようとするから、「弱者人質論」って言われちゃうんだ。

---菊地先生は弱者をダシにしているだけなんでしょうか?

 まぁ、菊地さんも菊地さんなりに、弱者のためにと考えているとは思うよ。
 ただ、持論である「再起動」の枠組みから一歩も動かないから、「弱者」の視点でちゃんと考える事が上手くできてないんだと思うよ。

---悪気は無いということですね。

 でも、やっぱり「人の死」という重いテーマを持ちだすなら、もうちょっとキチンと考えるべきだと思うね。「悪気は無いけど、本気でも無い」ってのは、取り上げられた当人、ここでいえば「弱者」の方に、失礼なハナシだと思うんだ。
 そこらへんを分かってないまま適当に話すから、「ホントは自分が電気を得たいから、『人の死』を利用している」と思われてもおかしく発言をしちゃうんだよね。

---菊地先生にはそんなつもりは全く無いと思いますけどね

 少なくとも自覚は無いでしょうけどね。
 でも自分は「再起動」で思考停止してよく考えないくせに、人には「電気がないと生きられない人たちがいることも考えたいところです。」と考えるよう強要し、しかも死ぬ死ぬ脅すのはどうかと思うよ。



---再び『死ぬ死ぬ論法』のようですが、これはどうなんでしょう
また、経済への影響を心配すると、経済より安全がだいじだというかたがおられるのですが、経済が落ち込むとたくさんの人が死ぬのではないでしょうか。電気料金の値上げが回りまわってどういう影響を生むかも、ちょっとくらいは考えるべきで、何も考えないのは無邪気にすぎると言うべきでしょう。
 
 ま、「経済が落ち込むと人が死ぬ」というのは間違いないでしょうし、再起動をしなければ、そうなる危険もあると思う。

---じゃ、やっぱり「再起動」は必要?

 今の福島のはなしをちょっとさせてもらうけど、今回の原発事故のせいによる土壌汚染が、福島県の生産物の流通に大きな影響を与えている事は知っているよね。

---基準値越えの出荷停止だけでなく、風評被害も大変みたいですね。でも、その分保証が出ているんじゃないですか?

 一部出ているものもあるけれど、まだまだ全然、って感じなのよ。
 風評被害分になると、保証するみたいな話は出てても、具体的に支払うところまではまだ行っていないしね。
 結果、経済的に大ダメージを受け、どのくらい保証されるかも分からないのが現状だし、おそらく実質的な被害が全てカバーされる事は期待できないと思う。

---つまり、原発が事故を起こしても経済が落ち込む、って事ですね。

 んで、最初に「経済が落ち込むと人が死ぬのは間違いない」と断言したのは、実際に原発事故による経済的落ち込みによって、先行き不安で自殺した、って事案が発生しているのね。
 これは、多分菊地さんが記事を書いた後の出来事だけど、避難勧告が出されている地域で、農場の壁に苦境を書き付けた上で自殺した方がいらっしゃって、事故さえなければ、今でものどかに農業とか畜産業を営んでいただろう、って思うとホントせつない。
 また、6月頃には「福島県の経営者の自殺防止対策」なんて、やるせない対応のニュースが流れたりもしてる。

---「原発のせいでも経済が落ち込んで人が死んでいる」って事ですね。

 もちろん、他の県の人にとってはそれは対岸の火事であって、やっぱり「自分の目先の経済の方が気になる」っていうのが率直な思いだろうし、それは仕方ないと思う。

 だとしても、実際に原発事故で経済が落ち込んで人が死ぬ、という状況の中で、まるでそんな事なかったかのように、「原発が止まって経済が落ち込むと人が死ぬ」と言うのはやめて欲しいよ。

 せめて、「確かに原発事故の影響は深刻だけど、それ以上の死者を出さないためにも」ぐらいは言って欲しかったね。

---菊地先生はその事件を知らなかったのでは?

 4月5月の段階で少なくとも1件は発生していたはずよ。でも、全国区のニュースにはならなかった可能性もあるから、知らなくても無理はないかもしれない。
 だけど、今福島が原発事故のせいで物が売れなくて困窮状態にある、って事はさすがに想像できないわけないんじゃないかな。

---ところで「経済より安全がだいじ」って誰が言ったんでしょうね?

 それは知らんけれど、私は「安全だからこそ経済も安定する」と思うけどね。
 菊地さんにとっては、自分達の経済が安定さえすれば、そのせいで誰かの経済や安全が危険にさらされたとしてもいいのかもしれないねぇ。

---電気料金の値上げについてはどうですか?

 さっきちょっと言いかけたけど、本当に「再起動」はコストがかからないのかな。
 というか、菊地さんの考えでは「再起動した場合今まで通りの価格設定でやる」って事が前提になっているみたいだよね。

 でもさ、今回の事故では、結局東電だけでは補償出来ないから国が負担しなきゃ、って話になってるんだよね。そして、そこまでしても足りるかは不安なわけだ。
 同じ問題を繰り返さないためにも、今後は当然万一の時の補償体制を確保しなくてはいけない、って話にならなきゃならんと思うんだけど。

 そうなったら当然保険料やら保証金やらが今までより多く必要になるんじゃない?
 そうなれば、原発を動かすからこそ、それらの出費を電気料に上乗せしなければならない、という事も十分あり得るよね。

―――実際にどうなるかはフタを開けてみなければ分からないですけどね。

 ただ、「値段を上げないために原発を動かせ」という主張は、「原発は動かしても補償体制のグレードアップはするな」と言っているのと同じコトなんだよね。
 電気料金、あるいは税金を上げずに、補償だけ増やすなんて無理なんだから。

 この人、「ちょっとくらいは考えるべき」と言ってるけど、当人はちょっとぐらいしか考えていないと思うよ。



---これはどうなんでしょう。『脱原発』容認のような、否定のような、よく分からないんですが。
多くのものが「電力の安定供給」を前提に作られています。長期的には脱原発が事実上の規定路線になったと思いますが、オイルショック以降何十年もかけて、現在の電力の体系ができてしまったので、転換にはやはり相当の時間がかかると考えるのが自然でしょう。

 だから、菊地さんの場合は「脱原発」か否かとか、そういう次元じゃないのよ。
 彼は「とにかく早く電気をフルパワーで使わせてもらいたい」派なの。
 それがすぐできるなら「脱原発」でもなんでもいいし、それが現実的に難しいから、「短期的な脱原発」にうだうだとイチャモンばかり並べ立てるんですよ。

---イチャモンって...でも、間違った事は言ってませんよね。

 彼が言っているのは「転換」つまり「3.11以前の電力供給量を保つ」のを原発以外の手段で実行するという話で、それは確かに相当の時間がかかるでしょう。

 でも、福島原発の事故を受けた今の状況においては「原発は大丈夫なのかという事を相当の時間をかけた上で判断しなくてはならない」と考える事も“自然”じゃぁないでしょうかねぇ。

---ここまで読んで気付いたんですけど、菊地先生は色々現状の問題点を挙げただけで、「だからこの手段ではダメなんだ」とか「だから、再起動しかだめなんだ」という明確な結論を言っていませんよね。

 これを考えろ、あれを考えろと、問題を投げっぱなしなんだよね。
 その一方で自分は真剣に考えずに「難しい」程度でお茶を濁すんだよね、この人。

 まぁ、単なる「問題提起」であるんならば、そのやり方でもいいんだろうけどさ。
 でも、この人は「再起動すべき」という結論までを、“反原発運動といえども認めなくてはならない”ほど正しいモノであるかのようにと強く主張するんだよね。
 そこまで言うんなら反証に対する検討を「問題提起」で留めるのはおかしいし、ずるい。

 まぁ、菊地さんの言う「考えろ」とは、「自分の答えに合うように考えろ」という意味なんだろうね。

---そして、それをしてくれない人を『無邪気』認定する、って事なんですね。



【菊地さんは何派?】

---ところで、菊地先生は「反原発運動」も否定、「脱原発」も難有り、なんて聞くと、自身は「原発推進」派なのかな、と思っちゃう人もいておかしくないと思いますが、それについても、こうやんわりと否定してますよね。実際何派なんでしょう?
しかし、この文章くらいでも「原発推進派」に見えちゃうんですかね。

 何度も言わせないでよ。
 彼は「とにかく早く電気をフルパワーで使わせてもらいたい」派でしかないの。

 もっと言えば、このご時世にもかかわらず、平然と「原発リスク」を無視して「節電するのもうざったいし、他の方法は間に合わないから、手っ取り早く既にある原発を動かせばいいんじゃねーの」ぐらいの考えしか無いのよ。

 「電力不足」の解消が目的の全てで、手段は問わない。原発かどうかは全く関係ないし、再起動した原発が爆発して付近住民が多大な被害を受けようが全く関係ない、って立場なのね。

---あの...最後の後半のくだりに関しては、そこまで言っていませんよね

 言ってはいないけど、気にもしない、って事は「関係ない」と言ってるのと同じよ。

---結果的には「原発動かせ」と言っているので、「原発推進派」に入るんじゃないでしょうか。

 あんたもくどいね。
 っていうか、それは本物の「原発推進派」に対して極めて失礼よ。

 さっきも言ったけど、彼は「電気が不足すると困る」と言う素朴な考え方を垂れ流し、かつそれを充足させる最も安易な方法として「再起動」に飛びついているだけなんだ。
 紛いなりにも「原発」にフォーカスを当てた上で賛成している彼らと一緒にしちゃいけないよ。

---なんだか、話を聞いていると菊池先生がどんどん低レベルの人に見えて来ちゃうんですが...でも、やっぱり大学の先生なんだから、何か深い考えがあったりするんじゃないでしょうか?

 「大学の先生だから深い考えがあるんだろう」って思える方が不思議よ。
 考えてもみなさいよ、高校卒業してからずっと大学という閉鎖的な社会に暮らし続けていて、しかも物理学とかいう浮世離れした分野の先生なんだよ。
 その人がまともに社会の事を語れるって事を期待する方がおかしいんじゃないカナ。

 昔だったら、「大学の先生は世間知らず」というステレオタイプがあったから、専門以外の事でたわごとを言っても、仕方がないと笑って聞き流したもんだけどね。

---それはJadgementさんの偏見ですよね。

 まぁ、それはそうね。それに、そうでない大学の先生も絶対いると思うよ。
 ただ、肝心の問題に目を向けず、安易に「人が死ぬ死ぬ」で押し切ろうとする菊地さんに関しては、「大学の先生だから深い考えがある」の良い反証事例だと思うよ。

 念のため言えば、あくまで専門外についての評価だから。彼の専門領域の業績まで否定しようってんじゃないからね。

---菊地先生については「御用学者」説も出ていますが

 実際のトコロは分からんけど、個人的にはそこまで大したタマじゃないと思う。
 どっかの御用学者に乗せられちゃってる、ぐらいはあるかもしれないけどね。

 だって、いくら物理学者だからといって、「原子力発電所設計」の専門家でもないし、ましてや「放射線の人体影響」の専門家でもないから、政府も抱き込もうとは思わないんじゃない?



【自意識だらけの撤退宣言】

---最後の方ではこんな風に言っています。どうも尻すぼみ感がありますが....
この話にオチも結論もありませんし、特に提案もありません。
反論されても、僕はそれに対して有効な反論はできないと思います。
敵味方とかall or nothing的な二分法で語れた時代は終わったと言いたいだけですが、単に乱暴な話を書いているだけと思っていただいてもかまいません。

 原発論者に対して、無邪気だなんだとさんざん好き放題に揶揄しておいて、今更何なんだ、って感じだよね。

 これから分かるのは、菊地さんって人は、「結論も提案も無く、反論に対する有効な反論はできない」状況であるにも関わらず、「再起動しかない」事を確信しちゃうし、さらにはそれに従わない他者を「無邪気」呼ばわりして印象操作しようとする方だ、って事よね。

 ま、言われなくても、私には読んでて分かったけど、ワザワザ最後に自分でタネアカシして念を押す、ってのはさすがにビックリ。

---何故わざわさ自分のダメな所を明らかにするような事言うんでしょうか?

 本人はそれが本当にダメだとは思ってないからじゃない?
 この発言は「言いっぱなしで終わりたい」という欲求による、「反論を受け付けない、あるいは反論があっても対応しないための作戦」のつもりなんだと思う。

 んで、そういう事を安心して言えるのは、わざわざ反論しなくても、“自分を分かってくれて”支持してくれる人がいるからだと思うし、そういう人達は「バカを相手にしない方便なんだ」と良い方に解釈してくれるだろうしね。

---なんか...ますます、ダメですね。

 まぁ、あくまで菊地さんのブログなんだから、言いたいこと言えばいいと思うよ。
 反論が聞きたくなければ、聞かなきゃ良い。
 ...それをわざわざ変な理屈くっつけて宣言する必要もないと思うけどね。

 ただ、「反論に対する有効な反論はできない」という自覚があるくせに、その程度の話で他者を「無邪気」と決めつけたり、さらには「人の死」を軽々しく語る、という事をおおっぴらにやるところは人間性を疑うけどね。

---最後の敵味方云々のフレーズが意味不明なんですが。

 その「意味不明」が正解だと思うよ。
 彼が言うように、それっぽくてかっこよさげなフレーズを「口に出してみたかっただけ」。そこに意味を求めちゃいかん。

 ま、私が思ったのは、「二分法で語れた時代はいつから始まってたの?」って事だけどね。そんな時代が過去から続いていたとは、私も不勉強で知らなかったよ。

 むしろ、私個人の感覚としては、ブログやツイッターによって「ネット右翼」だの「ネット○○派」なんだのが跳梁しはじめた今こそ、「二分法で語る人が多い時代」じゃないかと思うんだよね。

 てか、菊地さん自身、「気づいている人と気づいていない人がいるのだと思います。後者は無邪気にすぎる」なんて、しっかり二分法で語っちゃったりしてるしさ...。

---「単に乱暴な話」ってどういう事なんでしょう?

素直に「よく考えないで言ってます」って事なんでしょ。
他人には「考えろ、考えろ」って言うクセにね。



---最後の最後にまたこんな事言ってますよ
キャッチフレーズだけ繰り返しておきます
........................
最短二年程度ですべての原発を止めうるというのが現実味を帯びてきた状況下では、原発推進も反原発も脱原発も無邪気ではいられない。
.......................
もうひとつ考えついてしまったキャッチフレーズは
.......................
原発推進と反原発の蜜月時代は終わった
.......................
ですが、これはレトリック嫌いのかたにはさらに怒られるでしょうね。でも、思いついて、気にいったので書かずにはいられませんでした

 同じよ、同じ。
「そのフレーズを口に出してみたかっただけ」。

 “思いつき“の”お気に入り“なだけで、中身が無い。
 「レトリック」なんて偉そうにカタカナ使っておりますが、中身がないものを修辞しても仕方ないんだけどねぇ。
 レトリック嫌いだろうが好きだろうが、怒るというより呆れる代物。

---一通り見ていきましたが、「良いとこ無し」って感じになっちゃいましたね。

 結局、彼は他人が「自分の見るように見てくれない」事が気に入らないだけなんだ。だから「反論に対する有効な反論はできない」と自覚しているのに、気に入らない奴を揶揄せずにはいられないんだね。
 でもそれだけだと見透かされちゃうから、「もっともらしく」装うため、自分でも良く考えていない問題を思い付くがままに並べ立ててみせてるだけよ。

 その程度のお話に「良いトコ」を求めちゃいけないわ。

---散々ですね...。

 kikulogの過去の記事『想像力』には何て書いてあったか知ってる?
必要なのは想像力だ
「他人は相当に素朴にしか物ごとを考えないのに対し、自分は素朴には考えない」と思いこめるというのはかなり問題で、そういう立場から書かれた「ニセ科学批判批判」に見るべきところは何もない。しかし、それが「科学に携わるもの」の立場で書かれると、非常に迷惑だったりする。

 まぁ、内容としてはなかなかいいんだけどさ。

 「電気無いと困る事」をまるでみんなが知らない事のように語ってみせたり、「自分のように考えない奴は無邪気だ」的な事を平気で言う人が、偉そうにこれを書いてたと思うと、ギャグかブラックジョークとしか思えないよね。

---『再起動』については、自分は「科学に携わるもの」の立場で書いたわけではないからいいんだ、って言い訳するんじゃないですか?




 【Judgementの意見】

---ところで、Judgementさん自身は『再起動』についての考えはどうなんですか。冒頭でも少し触れましたが、もう少し詳しくお願いします。

 まぁ、散々菊地さんには文句言ったけど、正直なところ、私だって今まで原発設置県に住みながら「原発」について明確な立場というものは持ってなかったし、今もどう捉えるべきか迷ってるよ。

 ただ、最初に言ったように、「原発是か非か」という問題は、事故が起こってしまった今だからこそ、今回の原発事故の被害が全て明らかになり、そしてその被害がどこまで回復されるのかが見定められるまでは評価できないはずだと思ってる。

---ということは、保留って事ですか?

 ちゃんと言えば「適切な判断ができないから保留」ではなく、現状では「保留するのが適切な判断」だと思ってる。
 「電力不足だ、さぁ困った、だから原発を動かそう」なんてのは、ものすごく目先の事しか見て無くて、実際にリスクを負う原発設置地域の人の事なんて全く考えてない発言だと思うんだね。

---とりあえずは「再起動」はするな、って感じですか?

 それも最初の方で言ったように、私如きが「するな」と言ったって、何の影響力も説得力も無いわけだから、そこまで偉そうな事は言えないけれど、あくまで個人的な話として言えば「望まない」し「望んではいけない」という感じかな。

---「望まない」というのは?

 今の福島の事故の対処状況を見る限り、未だ「いっぱいいっぱい」なんだよね。
 その状況で別の原発動かしてトラブルになったら、どちらかを見捨てるか、どちらも手薄になると思うのね。それを考えると、事故が起きる危険は低いとしても、万一起きた場合、さらに深刻な事態を引き起こすんじゃないかと思うのよ。

 未だ結構大きな地震がちょいちょいある状況は、そうなる確率を引き上げているように思えるし、今この状況だからこそ、原発関係者はかなり疲弊しているように見えるから、人的ミスも怖い。

 だから、せめて福島原発が落ち着くまでは、再起動検討どころか、積極的に全ての原発を止めておいた方がいいのではないか、と考えちゃうね。

---では、「望んではいけない」というのは?

 福島では第二原発は無事だったんだけど、それを再起動していいかと言われれば...ま、今そんな事言うバカはいないと思うけど...断固として「NO」って言う。
 万が一にも、再び同じ目にはあいたくないからね。
 でもそれは、他の原発設置県だって同じ気持ちだと思うんだ。
 誰だって「福島と同じ目」にあいたくないし、私だってもう誰にもあわせたくない。

 それによって、電気不足になって福島の復興が遅れるかもしれないよ。
 だけど、福島県民だからこそ、他県に「私達の電気のために原発を動かせ」とは言えないし、言ってはいけないと思うのよ。

---逆に「望む人」についてはどう思いますか?

 原発のリスクを請け負う人がそれでも「望む」ならいいんじゃないの。
 例えば、原発が動かすことで給料をもらえる人もいるだろうし、そういった諸々のメリットデメリットを含めて、設置自治体が「望む」なら、それを止める理由は無い。
 私が「望まない」のは、福島のリスクを少しでも下げたいってエゴに基づくものだしね。

 だけど、また菊地さんの話に戻るけど、原発のリスクを請け負わない立場の人間が公然と「望む」のは、ちょっと待てコラって感じなんだよね。

---でも、発言できる人が限定される、ってのも不健全じゃないでしょうか。

 うーん、たしかに、冷静に考えるとそうだね。
 ま、部外者でも提案するのは良いって事にして、だけどその場合実際にリスクを負うのは「自分」ではなく「自分以外の誰か」であるという事はちゃんと配慮して欲しいね。

---菊地先生は、そこが欠けていると。

 何というか、この人は「再起動」を軽く見ているよね。
 『節電』に関しては問題を列挙するだけして、『再起動』に関する問題には触れない。
 まるで『節電』には問題があるけど『再起動』には何も問題が無い、みたいな印象を与えようとしているよね。

 いや、確かに施設があって、燃料もあれば、あとはスイッチ入れればOK、っていう点では簡単なんだろうけどさ。

---問題は、「スイッチを入れる」事でリスクや不安を抱える人がいるって事ですよね

 ま、「社会的に可能か」を考えるのは苦手な人だから、「物理的に可能か」どうかだけで判断してしまっているのかもしれないね。

---ところで、菊地先生はどこに向かって『再起動』を求めているんでしょう。

 当人としては、国や電力会社や既存の原発論者を相手にしているつもりじゃないの?

 でもさ、例えば、国や電力会社が積極的に動いても、もし現地の人達が再起動に反対して、その結果電力不足が生じて人が死んだら、いま安易に振り上げている「弱者の死」という伝家の宝刀はどこに振り下ろすつもりなんだろうね。

 その反対運動をした現地の人に向かって「お前らが安全を求めたせいだ」とでも言うのかしら。

---言えないでしょうね。

 ま、それぐらいは分別つくだろうから、そん時は政府相手に「あんたらが、再起動の説得をしきれなかったから、人が死んだぞ」と言うんじゃないかな。
 あるいは、身内だけの場で「だからオレが言ったじゃないか」とブツクサ愚痴るとか。

---ちなみに、説得は可能だと思いますか?

 説得できるかどうかは別として、今原発の周辺地域...っていっても今回の事故で「周辺」の範囲は広くなったけどね...の人が少しは「動かしてもいいかな」と思えるような事故時の保証について私が考えた事を並べてみるよ。

・ ばらまいた放射性物質をすぐさま除染し、全地域の放射線量を事故前の値に戻す
・ 除染により集まった放射性物質を責任持って県外で処分する。
・ 緊急避難の場所と手段の確保
・ 被ばくの影響に対する補償とフォローの完備
・ 売れなくなった生産品は全て買い取る
・ 以後、支障無く出荷・流通できるよう、風評対策もしっかり取る

...これが、彼らがして欲しい「最低限の保証」だと思う。

---これで「最低限」ですか?

 そうよ。
 事故時の付近住民の行動制限とか、子供の将来の不安とか、そういうストレス的な事に対する賠償は入ってないからね。

---これは果たして保証できるものなんでしょうか

 ま、ほぼ不可能って事ぐらいは分りますよ。
 現に、福島ではいくら渇望してもやってもらえてないしね。

 でも、だったらどこまではできて、どこからはできないのか、できない代わりにどういうメリットを与えてリスクと相殺するか、という事を考える叩き台になるんじゃない?

 それと、このような保証が不可能だと言うのならば、そこで一歩下がって「一部の国民にだけそういうリスクを架す、というのは平等を保証していると言えるのか」という事も考える必要があるんじゃないかな。

---現実的には「再起動」はされると思いますか。

 これを書いているうちに、どんどんそっちに向かっている感触はあるよね。
 まぁ、今年はギリギリ乗り切れても、どんどん点検で停止して再起動しなかったら、かなりヤバイと私も思うしね。
 だから、なんだかんだ言っても「再起動」はされると思う。

 だけどそこで、「電気が無いと困る」という世論に流されて、暫定的、なし崩し的に「今まで通りのまま再起動」なら、非常に無責任な話。

 『「再起動」が必要だからこそ、「事故の影響」をしっかり把握して、二度と事故を起こさない、万一起きても今の福島のような状況を繰り返さないという事をしっかり考えなくてはいけない』というのが私の提言なんだけどね。




【なぜ菊池先生はおかしな事を言ってしまうのか】

---今までのJudgementさんの批判を真に受けるとして、ですけど、そういった菊池先生の問題の本質はなんだと思いますか?

 少なくとも意図的にそういう事をしているわけじゃないと思うよ。
 随分昔に取り上げたコトバだけど『イノセント』なだけ。
 菊地さんは、心の底から「良かれと思って」、そして「正しいと思って」言っているんだと思う。
 多分、この記事を読んだとしても「弱者を気遣う“正しい”自分の事を否定するのだから、Jadgementという奴はやっぱりおかしい人間なんだ」ぐらにしか思わなくてもおかしくないね。

---万一読んだとしても、既に「反論されても、僕はそれに対して有効な反論はできないと思います」と言っているからリアクションは望み薄ですしね。

 まぁ、「再起動」以外の発言を見ると、菊池さんも原発事故被害者の事をまったく心配していないわけじゃない事は十分わかるんだよ。
 なのに何故『再起動』に関しては、その問題を切り離してしまったのか、それは当人に聞かないと実際のところ分からない事ではあるけれど、少なくとも「その人達を見捨てる」とかそういう悪意的な意識までは無いと思うんだよね。
ただ、そちらを切り離したくせに、「弱者」だのなんだの自論に都合のいい事ばかり持ち出してくるから、やんなっちゃうのよ。

---重要な問題の切り離し、は置いておいても論調がなんかおかしくなってしまっているのは何故なんでしょう?

 単純に「様々な不確定な要因が絡み合う状況をそのままにして考えるのが上手くない」からだと思う。
 数式で表せられる問題じゃないし、無理に要因を切り離せば今度は「現実」から乖離しちゃうから、誰にとっても難しいといえば難しいんだけどね。

 にもかかわらず、どうも菊池さんの根底には「根拠の無い万能感」があるみたい。
 例えば、『再起動』という自分の結論に身の丈以上の「確信」を持っているから、『反論されても、僕はそれに対して有効な反論はできない』くせに、「原発推進・反原発・脱原発」を見下す事で自分が高みにいる事を示したいと思っちゃうし、「自慰」的な言い訳でも言わずにいられない。

 何というか、専門外の話をする時も、専門の話をしている時と同じように、上から見下ろすスタンスを保ちたい、って感じがするんだよね。

 そのあたり、私にはどうしても「ニセ科学信者」的な危うさを感じちゃう。

---専門外の話が怪しいって感じですか?

 念のため言うけど「専門外の事は言うな」と頭ごなしに言いたいわけじゃないからね。
 そんな事言ったら、専門外の事ばかりの私は何も言えなくなっちゃうしね。

 そうじゃなくて、専門外なんだからもっと慎重に考えるべきなのに、そこをおろそかにしちゃって、かつ口調は「わかっているつもり」になっている、って彼の傾向が問題なのよ。

---専門の話の方は大丈夫なんですか?

 私は物理の専門家じゃないから、大丈夫かどうかなんか判定できないけど、例えば、「ガイガーカウンターミーティング」なんて彼の専門を生かした素晴らしい仕事だと思うよ。
 正直、私もあの情報は非常に役に立った。

---ちなみに現状で「正しく測る」意味はあるんですか?
 
 十分あるわよ。
 さっき分からないと言った「被ばくリスク」を判明させるため、現在私達は人体実験を架せられた状態なんだな。
 体を張ってんだから、ちゃんとした測定を元に、ちゃんとした結果を出して欲しいよね。

---なんともブラックな解釈ですが...




【終わりに】

---最後になりますが、何かありますか?

 まぁ、散々色々文句言ったけど、正直なところ現状のストレスが溜まって、誰かに当たりたい、ってところもあったと思うんだよね。
 勢いに任せて青臭い事も言ったような気もするけど、まぁいいか。

---巷では同じような事を言う人もいるようですが、その中で『再起動』が選ばれたのはたまたまですか?

 いや、何回か言ったけど、そこに「ニセ科学」レベルの底の浅さと「ニセ科学信者」レベルの自尊心の強さが見える上に、それを書いているのが「ニセ科学批判」の旗手である菊地さんなんだ、という「残念感」が大きいね。

---「ニセ科学批判」する人がそれじゃいかんだろう、って感じですか。

 念のためいっとくけど、「ニセ科学批判」の権威を失墜させて、「ニセ科学」を擁護しようとは全く考えてないよ。
 「ニセ科学」と同レベルのものだから、批判しているわけだしね。

---動機はそれだけ?

 実はそれ以上の動機付けがあるんだ。
 それは実は菊地さん自身の発言ではなく、その発言を受けてやり取りがされていたコメント欄の方の話なんだけどね。

---管理者責任として断罪したい、って話ですか?

 いや、オープンな掲示板という性質上、発言の責任をいちいち菊地さんが取る義務は無いと思うよ。

 ただ、その問題の発言は、菊地さんの「死ぬ死ぬ論」を真に受けた人が、それをさらに正当化するために言っているような代物だったから、そんな人達をたしなめるためにも、その拠り所としているだろう『再起動』での菊地さんの発言を批判したかったの。

---それで目的は果たせましたか?

 いや、長々と書いたけど、まだ気が済まないね。
 それぐらい私にとっては酷い発言だったのよ。
 だから、それについては、番外編として...ま、心情的にはそっちが本編なんだけど...もう一本この形式で記事を書きたいと思う。

---その「酷い発言」って何ですか?

 「原発事故での死者はいない」よ。

 ホント、これは震えるほど腹が立つし、悔しい。
 そういう認識だから、平気で「電気不足で人が死ぬから再起動」なんて言えるんだろうけどさ。
 まぁ、詳しくは番外編で書くので...

---では、ひとまずこの記事は終了という事で

興味がある方は「原発事故での死者はいないのか」も読んでね。
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トンデモブラウ

私は、無邪気な子供の頃から『原発危険視派』ですが、知識が少し増えた今でもそのままかな。
まあ小さい頃は、送電ロスがあるに違いないのに多量に使用する都会にないのは怪しいじゃないか、という単純な発想からですが。(子供だからね。)
で、大人になって原発建設の中の人とか原発関連の政府系研究機関の人とかと仕事したりすると、やっぱりそうかというのを実感。
原発に対して一般的に感じる感覚は、実はその通りだったんですね。
ネタのような実話もたくさん聞いたけど、今では笑えない。

そういう前フリで、私の個人的な立ち位置は、条件付き再起動容認派でしょうか。
付帯条件としては、福島の事例を考慮して同規模の災害には耐えられる構造を確保ということで、再起動容認理由は、燃料棒がもったいないから。
結局使用済み燃料棒も使用前燃料棒も、津波被害のがれき同様行き先がないのですよ。(近くにある一般ごみ焼却場でも、コンテナ・バッグに詰め込まれた燃え殻でいっぱいですね。)
福島の事故で使用済みの燃料棒が水に浸かって溜めてあったなんてのは、初めて知りました。
福島でも地震と津波で直接、反応炉が破損したのではないと思ってるけど、違うのかな。

事故被害拡大の要因の一つ(で最大と思っている)としては、こういったプロ市民に攻撃される「自分ちから遠くにあったら便利だけど、身近ではイヤん」なものは、「絶対100%安全」と言い切らないと建設できないということがあるんじゃないかな。
ちょっと不具合が発生して、早く直さなくっちゃて時に、「絶対安全といってたのに違うんかいっ!」ってことで簡単に直せないんですよね。
行政関連の設備許可申請とか、それに伴う利権絡みの反対勢力。
今回の事故でも当の原発作業員が「絶対安全だと思ってたのに・・・」なんて言ってちゃ、ダメでしょう。
人為的ミスだって、設備・基材の不良だって当然ゼロにならないし。

青森にも大間原発や例の六ヶ所村があるので、きくち先生も全く他人事だとは思ってないんじゃないかと思うけど・・・
by トンデモブラウ (2011-08-26 09:44) 

Judgement

おお、福島県民!

>多量に使用する都会にないのは怪しいじゃないか

福島県民の多くがそう思っているはずですよ。私も同じだもん。
そういえば、富岡に「アトム」って回転寿司屋があったなぁ。
『どこで取れたどんな魚使ってんだろう』という話で何度か盛り上がった。
結局行かないまま、行けなくなっちゃったけどね。

「安全神話」なんて言葉は、多分原発が無い地域の人が勝手に信じてただけ。
...そうか、結局福島原発の事故があっても「東京は安全」だったから
安全神話は今後も語り継がれるのか...。

>私の個人的な立ち位置は、条件付き再起動容認派でしょうか。

私もどっちかと言えば条件付き再起動容認派。条件は違うけどね。
でも、燃料がもったいないとは考えなかったなぁ。
だけど、あれって消費期限とかあんまりなさそうだから、急いで使う必要も無いんじゃない?

>福島でも地震と津波で直接、反応炉が破損したのではないと思ってるけど、違うのかな。

それで良いんじゃない?
地震と津波で冷却装置が動かなくなったため
(電源喪失や、水かぶったせい)
反応炉が冷やせなくなって自家中毒起こしたんでしょ。
今となってはだけど、海水注入の遅れが最大の敗因だと思う。

耐震性はおそらく今のままでもクリアじゃない。
直下型がきたら、いずれにせよダメだと思うケド。
いじるとしたら、非常用電源の増強かな。
あとは、あるレベルに達したら、強制的に原子炉をマントルにダストシュートする仕組みとか。

>「絶対100%安全」と言い切らないと建設できない

で、それ自体が嘘だから、隠蔽主義になっちゃう、という感じ。
やっぱもう「危険だけど責任持ちますから、動かさせてください」に転換すべきだよ。

んで、既設置県がいやだとなったら
とりあえず「再起動」を唱える人達に手を挙げさせて
一番多い都道府県に原発作る事にしたらどうだろう。
そういう前提になったら手を降ろす人、降ろさせられる人が続出するかもね。

>きくち先生も全く他人事だとは思ってないんじゃないかと思うけど・・・

まぁ、青森はあくまで出身だからね。
とはいえ、むしろ大阪の方が近辺に原発ゴロゴロあるんだけどね。
もんじゅも近いし。

「今回大丈夫だったから、今後も大丈夫」ぐらいの話なんじゃないかしら。
by Judgement (2011-08-26 21:39) 

cosi

インタヴュー形式のおかげで、とても読みやすかったです。
Judgementさんの意見に、ほとんど異論はありません。
再起動に関しても。
読んで、もっと節電しなくては、原発や福島のことから目をそらさずにいなくてはと思いました。
日々の生活に疲れて、楽な方に流れがちなもので・・。

きくちセンセイへの評価は、私はもっと低いです。
Judgementさんの秀逸な表現を引用しながら、私の意見を追加させてもらいます。「人のふんどしで相撲を取る」みたいな感じですが。


>『人は話を聞く時、まずはその話をしている人の方を見る』という事も考えてないかもね。

そのあたりのことが本当にわかってないですよね。きくちセンセイも、周囲の取り巻きも。
最近のkikulogでは、野呂美加さんの活動が、EMだのホメオパシーだの言っているので有害だ、みたいなことを書いてます。
でも、枝葉末節のことが少々科学的におかしかろうと、20年以上チェルノブイリに関わってきた人と、原発事故に関して何の行動も取ったことのない大学の先生とじゃ、どちらが信用されるかということですよ。
特に今、『原子力ムラ』とか揶揄されてます。一般人の目にも、科学知識や能力の高い科学者さん達が、結局のところ、国策の下に自己保身に走っていたという腰抜けぶりが、さらされちゃっているのだから。
「科学者です」という肩書きはなんの説得力も持たない。
やはり、左遷されようと批判にさらされようと、自論を貫き行動するような、肝の据わった人間を、皆求めている。
野呂美加さんは、活動を始めてから、いろんな批判にさらされたようですが、チェルノブイリの子供たちを北海道に一時的に連れてくる活動をやめなかった方です。
腰抜け科学者とは説得力が違います。


>ただ、肝心の問題に目を向けず、安易に「人が死ぬ死ぬ」で押し切ろうとする菊地さんに関しては、「大学の先生だから深い考えがある」の良い反証事例だと思うよ。

全くです。『死ぬ死ぬ論法』笑えました。
こういう素晴らしいネーミングの才能が、Judgementさんにはありますよね。
『死ぬ死ぬ論法』には、ホメオパシー批判のときに、うんざりしてました。
ホメオパシーで人が死ぬ死ぬって、普通の医療じゃ桁外れにもっとたくさんの人が死んでいるんですが・・。不思議なことに、そっちの問題には目もくれず。医療問題に関心があるなら、まんべんなく見てくれないと。御自分の感性にあった見方しか出来ない人のようです。


>何というか、専門外の話をする時も、専門の話をしている時と同じように、上から見下ろすスタンスを保ちたい、って感じがするんだよね。

そうそう。一番の腹立ちポイントはそこですよ。
医療問題にしろ、原発にしろ、門外漢なのに「教授の姿勢」のまま語るんですよね。

前にも書いたことがあると思いますが、次に腹立つのは、kikulogのあり方。
だいたい、あんなにコメント欄を大きくして掲示板のようにしている個人ブログ、他にみたことがない。
しかも、自分の賛同者とかファンはかなり野放しにしておきながら、反対派に対しては、ハンドルネームから言葉遣いからケチを付けて、皆で袋叩き。
なんのためのコメント欄かというと、自分の賛同者を募って、勇気づけられたいんじゃないんですかね?
徒党を組みたいんでしょう。
一人で意見を発信する勇気すらないのでしょう。
「僕はこう考えています。そしてコメント欄では、こんなにたくさんの人が僕に賛同してくれています。」という感じ。

科学的知識の正確さより、肝が据わっているかどうかを、人はみている。
自分を捨てて、他人のために行動できるか。
野呂美加さんが科学的知識に問題があろうと、自分を捨てて他人のために行動できる人だから支持されるし、影響力も大きいんです。
チェルノブイリに何度も行かれているそうですし。
普通の人に出来ることじゃない。

>だけど、菊地さんを見ていて感じるのは、「この人はつったって眺めながら話すタイプ」なんだな、って事。

同感です。

>ま、狂犬に噛まれた、と思うしかないんだろうけどさ。

次から次へと、噛み付く対象を探してる印象ですよね。
というか、その時その時の話題性のある人物や事柄に噛み付くというか。
世間の注目が欲しいのでしょう。
しかも、一人で噛み付く勇気がないから、ブログの掲示板を大きくして、皆で噛み付くんだな。

>でも、その程度の行為を正当化するのに、わざわざ「弱者のために」とか「人が死ぬから」と、ヒューマニスト気取りな態度を取ったりするところが鼻につくんだよね。

そう。自分らは正義の味方のつもりだから。どこまでお子ちゃまなんだか。イノセントなんだか。
by cosi (2011-08-27 15:28) 

SSFS

こんにちは。

kikulogは大阪大学の管理下にあるサイトであり、菊池氏の個人ブログではありません。われわれの税金でまかなわれている国有資産です。菊池氏がそれをわきまえず、アカデミズムとは程遠い自己中心的なサイト運営をしていることが最大の欠点です。大学側がその自堕落を野放しにしているのは解せません。ブログ閉鎖を勧告すべきと考えます。

2年前に「ニセ科学批判のあり方を本格的に議論したければ、残念ながら彼らの個人的資質に関する部分を抜きにはできません」と書きましたが、結局はそういうことです。
by SSFS (2011-08-27 23:53) 

cosi

SSFSさん、kikulogは大学のブログだったんですか。知りませんでした。
でもまあ、私はブログ閉鎖が必要とまでは思いません。
個人的には、コメント欄閉鎖ぐらいはして欲しいですが。それができたら、きくちセンセイを見直します。
コメント欄のファンに助けられて発言しているような、今のままの姿勢では、説得力がちょっとね。
今は、取り巻きに対して、愚痴って同意してもらったり、「どうすればいいだろうね」と投げかけたりして内輪で和んでいるようにしか見えない。

私は、最近では野呂さんへの物言いが、感情的にひっかかる。
あんなに素晴らしい活動を実際にしてきた人に対して、「私はEMを使ってます」と言っただけで、社会の害虫みたいな言い方しますか?
のっけから、「とんでもない」とか「そろそろみていられない」とか。

>そろそろさすがに見ていられなくなりつつあるようですので、「チェルノブイリへのかけはし」代表の野呂美加さんのとんでもない発言とその他について、書きます。

なんだか、一つでも科学的に間違ったことを言ったら、その人の価値は無くなるみたいな。
EMとかホメオパシーとかNGワードがあって、それを言った途端、人間扱いされなくなるみたいな。

それって、特定の宗教とか人種に属するというだけで、その人の言うことを全て拒絶する偏見や差別と、あまり変わらない。

自分の専門外において発言する時に、その分野の先達に対する、一定の敬意をみせてもらいたい。
野呂さんに対して、あまりそれが見受けられない。
「EMやホメオパシーに言及したからアウト」という感覚が透けてみえる。
その感覚が私には受け入れられない。

最近は「放射能不安と対話」というエントリーをあげています。
「対話」について話すなら、Judgementさんの「対話」に関する記事を読みこんでからでないとねぇ(笑)。

>野呂さんのように「理屈はともかく不安を重視」のようなスタンスのかたには、ある意味、初めから勝ち目はないわけです。

どうして勝ち負けの問題になるの?と突っ込みたくなる。

首から上でしか問題に取り組んでないのに、体使って取り組んでいないのに、よくまあ、そこまで上から目線で物が言えるなと思います。
体使って取り組んでいれば、あんなにたくさんの分野に(医療から原発から)首突っ込めないです。
口だけはさむ文化人のスタンスでも、コメント欄で取り巻きに相談するのはどうかと思う。
そういうわけで私は、きくちセンセイの話は、まともに読む気が失せてます。
by cosi (2011-08-29 18:49) 

トンデモブラウ

消費期限は7億年で半減だそうですから、まあ気にしなくてもいいいのでしょうけど、結局「燃料棒」はそこにあるわけですからね。
結局、使ってても止めてても危険度はあまり変わらない気がするんですけど。
なら、使わないともったいないじゃん。

廃炉も何十年単位の時間と数兆円の費用がかかるからなぁ・・・
佐藤栄佐久のクソボケがもっとましな判断しとけば、被害は減ったかもしれない。(廃炉→新型炉建設あるいはMOX燃料の選択とか。)
なんたって古い上に、発電量も低いし、GEのいいなりというか何も分からずに引き渡された東電のアホさ加減に、原発関係者の言い訳を差し引いても、危うさ300%当社比みたいなネタのような設備でしたから。

中国が2020年までに100基作るらしいので、日本で再起動する危険性は、「ただちにえいきょうのないれべる」なのかもしれませんね。
by トンデモブラウ (2011-08-29 22:11) 

cosi

Judgementさんが『イノセント』などで、さんざん、ニセ科学批判の人たちに警告してきたことが、現実となってきているようです。
もう御存知かもしれませんが、きくちセンセイと、彼に追随してネット上で活動する人達への批判が、見受けられています。

例えば最近、こんなツイッターの「まとめ」が作られてます。

『菊池誠 @kikumaco さんから「菊池詭弁論法まとめ」への反論が来たが反論になっていない。このことも含め彼は科学者として信頼に値しない。 』

『自由で楽しい匿名アカウント ≠ 陰湿で卑劣な集団リンチを愉しむ覆面アカウント 』

(他にもいろいろあるけれど、これらのまとめをしているkenokabe(岡部健)さんという人の、舌鋒の鋭さが気に入ったので、とりあげさせてもらいました。)

上の方の「まとめ」を読むと、確かにきくちセンセイ、低線量被爆で鼻血や下痢が起きる可能性があるかどうかという話で、「医者に行け」を繰り返すばかり。

少し話がずれますが、きくちセンセイはどうしてこんなに、医者を信頼しきっちゃっているのだろうか?
一応「医療業界人」の私からすると、こんなに信頼しすぎると、期待を裏切られた時に失望が大きいだろうなと、心配になります。
私も昔は、高校生の頃までは、「何かあったら病院に行けば医者がなんとかしてくれるはず」と信じていましたよ。
(もちろん、なんとかしてくれることも多々ありますが。)

上のまとめでのきくちセンセイのツイートを読むと、論理の破綻に唖然とします。

そして下の「まとめ」では、きくちセンセイに影響されたニセ科学批判派(本人達は影響を否定していますが)の、ネット上での振る舞いの横暴さが指摘されています。

彼らは、少しでもきくちセンセイのブログ内容を批判するようなツイートを発見すると、寄ってたかって追い詰めているようです。
「チェルノブイリへのかけはし」や「低線量被爆の影響」に対するきくちセンセイの物言いに、反論のツイートをした方がいたのですが、その方のツイッターが、きくちセンセイの支持者によって炎上する騒ぎとなったのです。

私は随分前に、ニセ科学批判の一部のタイプは、ニセ科学のコアビリーバーとそっくりだと、コメントしたことがあります。
ホメオパシーを狂信的に批判する人の態度は、ホメオパシーの狂信的ビリーバーのそれと、そっくりなんです。
自分と意見の合わない人の話を、はなから拒絶して聞こうとしない点が似ています。
両者とも「あいつらバカだから」と、聞く前に一蹴する。

ただ、ホメオパシーなどのコアビリーバーの方は、聞く耳を持たないだけです。
集団で、反対意見を持つ個人のところに、押しかけて行って攻撃するのは、今のところ見たことがありません。
一方、ニセ科学批判の方は、頼まれもしないのに出かけて行って、集団で個人に攻撃をしかけるので、印象が悪い。
その様子をkenokabe(岡部健)さんは、「まとめ」で、あのKKK(クー・クラックス・クラン)に例えています。

特に議論を求めていない人のところへ押しかけていって、集団でやり込めるような行動は、「リンチ」とみなされるでしょうね。
そういう小学生でもわかるようなことを、やっちゃうから・・・。

『イノセント』からの引用です。

>科学の世界なら「合理的・論理的」であれば、それだけで勝利をつかめます。
>でも、言論の世界なら「言論の自由の侵害、言論統制」はかなり強力なネガティブカードです。
>それを押し付けられ、上手く対処できなければ「負け」。
>『ニセ科学批判』は“独裁的な恐るべき思想形態”のレッテルを貼られ、捨てられるハメになります。

現実にこうなりつつあります。
Judgementさんの先見の明は、恐るべし。
by cosi (2011-09-04 19:14) 

SSFS

http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_79e7.html

上記ブログのニセ科学関連のエントリについている一連のコメントを読めば、菊池氏らニセ科学批判一派が、自分たちの偏狭な意見を組織的・高圧的に押し付けていることがよく分かります。もう4年も前からニセ科学批判者のあさましい言動をつぶさに見ている私からすると、今回のニセ科学批判者の言動は驚くほどのことはありません。
by SSFS (2011-09-05 01:15) 

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