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論理的に考えるコト・番外編~A面~ [他ブログいっちょかみ]

(一連の記事なので、最初にこちらから読んでください)
 こちらでは、『論理的に考えるコト ~「心の闇」編~』のコメント欄に寄せられた、あるいみ当事者の1人であられるspiklenci-slastiさんの異論について検討します。


■■■■■■■■■■■■■第1章 【今書ける所】への異論

【序】
まず、【今書ける所?】について。
引用されているublftboさんのコメントが「記事のublftboさんの説明」とは「別の話を投げかけて」いるものであるとは、わたしは考えません。このコメントが投下されたのは、ublftboさんのエントリを受けて、rosechildさんが『「全ての議員はバカ」は「議員の半分はバカ」を含意すると思う』とコメントなさったその直後においてです。ここで、『「全ての議員はバカ」は「議員の半分はバカ」を含意する』というのは、『全ての議員はバカ』は『議員の半分はバカ』を肯定する命題である、という意味です。とすれば、これは、『全ての議員はバカ』という言明が『議員の半分はバカ』の否定となる、という主張と真っ向から対立します。したがって、rosechildさんのこのコメントは、ublftboさんのエントリの内容を否定するものであるということになります。そして、rosechildさんのこのコメントへの応答としてublftboさんが投下なさったのが、問題のコメントです。

 正直なところを言っておくと、私は該当するコメントについて、最後まで「何が言いたいのかよーわからん」状態でした。
 どこそこが間違っているとか、どこが筋が通らないとか、そういう次元ではなくて、使う文字と単語は基本日本語なんだけど、それを使って何を示そうとしているのかが分からない。

 だから記事では、「まず、内容の詳細云々はさておき」と飛ばしちゃった感じ。


【引用】

 spiklenci-slastiさんは、その前のrosechildさんのコメントとの対応を述べているので、対象となる2つのコメントをまずは引用しておく(ブランク行は省略)。
< rosechildさん>
今晩は。また参りました。
うーむ。「全ての議員はバカ」は「議員の半分はバカ」を含意すると思うのですがいかがでしょう。
ここでおっしゃっているのは「議員の半分はバカ、そして条件により残りの半分はバカじゃない」という全体で一つの命題の否定ということですね。これについてならば、全バカもしくは全notバカで否定になるということですね。
しかし『バカさという属性に関して「バカ/バカではない」の二値のいずれか』だとしても、「半分はバカ」から「残り半分はバカじゃない」は導けないのではないでしょうか。
「半分は」の「は」が言語学でいうところの「対照」の「は」であり「主題」の「は」ではないと考えるならば、前提でバカだと言及されていない人についてはバカじゃないと、「バカもしくはバカじゃない」という議員さんの属性に基づいて判断できますが、通常論理を考えるときに「○○は」と言及したならば、それは対照ではなくて主題の「は」である、つまり○○についてのみ言っているのであって○○以外については言及しないというのがお約束ではないでしょうか。ということで、どうもこの例はもひとつしっくりこないように思われるのですが。
集合については論理よりも一層冷や汗ものです。ご紹介の本を読んで勉強したいと思います。

< ublftboさん>
で、今書ける所で言えば。
「全ての議員はバカ」も意味する言明は、「ある議員はバカだ」的な特称判断ですよね。ベン図で言うと、二つの集合(議員集合とバカ集合)が重なっていればよいので、議員集合がバカ集合の部分集合であってもいいと。
つまり、
1)議員集合⊂バカ集合
2)議員集合∩バカ集合≠φ
この両方を意味する。
そして、「議員の半分はバカ」という言明は、量的な判断であるので、多分別の話なのだと思います。で、そこの所をちゃんと説明出来ないのですorz大村さんの説明では、その言明は、上で示した2)を意味するので、否定は、ベン図で言うと、二つの集合が重ならない、もしくは片方が部分集合、のどちらかになると



【指摘】

 さて、こっからがspiklenci-slastiさんの指摘。
その、問題のコメントを、rosechildさんのコメントとの対応関係が明瞭となるように暗黙の前提を明示し、『別の話』ということばにフォーカスしたかたちで換言すると、以下のようになるでしょう(なお、ublftboさんご自身による解説がhttp://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20100731/1280506795#c1280790981にあります)。
▼以下パラフレーズ▼
かりに、rosechildさんのおっしゃるとおり、『「全ての議員はバカ」は「議員の半分はバカ」を含意する』としよう。すると、『議員の半分はバカ』は、『全ての議員はバカ』である可能性を排除しない。つまり、後者は前者の否定とはならない。したがって、たしかにこのエントリ『バカじゃない、薔薇だ』は間違っているということになる。←ここまで文脈上の前提。ここからコメント本文の要旨→しかし、『全ての議員はバカ』である可能性を排除しない(『「全ての議員はバカ」も意味する』)のは、『「ある議員はバカだ」的な特殊判断』であろう。『議員の半分はバカ』は『量的な判断』であるがゆえに、そのような『特殊判断』とは『別の話』であり、『全ての議員はバカ』の可能性を排除するのだと思う。たぶん。とりあえず大村さんの説明では、そういうことになっている。(そしてもしもそれが正しければ、このエントリは間違っていないことになる。)しかしそれをちゃんと説明することはできないorz。
▲以上パラフレーズ▲

 だとすれば、「今書ける所」なんて、何も無いんじゃないの、と私だったら考えるけどね(それをspiklenci-slastiさんに言ってもしょーがないんだけど)。
この応答が、rosechildさんが提示なさった反論の主旨をただしくふまえたうえでなされたものであると言えるかどうかはともかくとして(最初のrosechildさんのコメントは、あきらかに、『量的な判断』をもその射程におさめたものとなっています)。

 うむ。多分私もrosechildさんの話をそう捉えたからこそ、ublftboさんが『量的な判断』を、rosechildさんの主張の対極にあるものとして持ち出している、という読み方ができなかったんだろう(ublftboさんがrosechildさんの主張を読み違えているコトまで推測しなくてはならんとは...)。

 あと、そもそもublftboさんが言う『量的な判断』って、実際のところどういうコトを意味しようとしているんだろう?とも思った。それがおそらく『多分別の話』と述べる根拠なのだろうけど、その肝心な根拠が説明不足だから混乱させられる。


【なるほど!】
これはいちおう、rosechildさんによる反論をご自身のエントリ内容と対応づける、という体裁のものとなっています。『別の話』ということばはその対応づけのためにもちいられているのであり――ublftboさんがおっしゃっていたことは、ちょう乱暴に要約してしまえば、“rosechildさんのコメントの議論が、エントリが扱っている言明とは『別の話』にのみ適用され得るものなのではないか”ということです――コメントの前段あるいは後段においてublftboさんご自身が「記事のublftboさんの説明」と「別の話を投げかけて」いることを示すためにもちいられているのではありません。

 ああ、なるほど。これは腑に落ちた。

 つまり、「全ての議員はバカ~この両方を意味する。」の部分は、rosechildさんの主張をワザワザ“こめんどくさく言い換えたダケ”っつうコトだ。
 まさか、単に言い換えただけとは思わなかったので、盲点だった...

...だけどさぁ、結果として『「全ての議員はバカ」も意味する言明は、「ある議員はバカだ」的な特称判断ですよね。』ってわざわざ言い換えた事で、かえって分からなくなったよね。
 多分spiklenci-slastiさんも引っかかってたと思うケド、最初は『「全ての議員はバカ」も特称判断だ』という意味にしか読めなくって、「なんじゃこりゃ」と思った。
 ずっと後の方になって『「ある議員はバカだ」的な特称判断は、「全ての議員はバカ」も意味する言明ですよね』という言い直しが入ったけど、それでも意図がよーわからんし。

 まぁ、私がいまさら添削してもアレだけど『rosechildさんの言っている事は、「ある議員はバカだ」的な特称判断として捉えるもので、だから「全ての議員はバカ」も意味するんですよね。』と最初から書けよ、って感じ。

 まぁこれもあくまでspiklenci-slastiさんの解釈上では、となるんだろうけど、私もそうだったに違いないと思えるようになった。
 「今書ける所」と大上段に振りかぶって見せられたり、単なる「言い換え」で水増しされたりしたので、私は惑わされてしまったようです...反省。

 でもさぁ、言い換えでわざわざ『特称判断』という専門用語を新たに持ち出す必要はあるの?そういう余計な事が話を分かりにくくしていると思うのだけど(このあたりもABOFANチックだ...)。

 言い換えというおよそ主張ともいえぬ行為でここまでややこしくしてしまうなんて、ublftboさんもなんて罪なあんちくしょうなんでしょう。
 つうか、だったら次の段落の頭は
そして、「議員の半分はバカ」という言明は、量的な判断であるので、

じゃなくて
ですが、「議員の半分はバカ」という言明は、量的な判断であるので、

と書けよ!って感じ。


【的外れ?】

 んで、spiklenci-slastiさんに対し、負けを認めて反省するだけでもつまんないので、不平も言っておく。
したがって、ここにおいて、「別の話を投げかけてどーする」というJudgementさんのつっこみは、まとをはずしたものとなってしまっていると考えます

 「まとをはずす」にはまずちゃんと既に「まと」があった事が前提になると思うんだけど、素朴な疑問として、果たしてublftboさんのあの文章は「まと」に成りうるんでしょうかねぇ。
(なお、ublftboさんのこのコメントは、表現が曖昧なこともあり、わたしも当時はすこし誤読しているところがありました。しかし、そんな自分を棚にあげて言ってしまいますが。「別の話」ということばに反応して「ズルッとずっこける」ような読解は、この言及先エントリおよびコメント欄のながれにおいては、さすがに無理があるでしょう。部分に目がいきすぎだと思います)。

 おそらく、spiklenci-slastiさんがあの文章の数々の欠陥に目をつぶり、「対応があるはずだ」という信念の末この読解に辿りつけたんじゃない?
 一方で、私はその欠陥に目をつぶれなかったので全体を理解しようとすればするほどわけがわからなくなった(だからといって、部分だけに目を落としてはダメだよねとは反省するけどね)。

 実状は、ublftboさん自身の文章はちゃんと「まと」になってなくて、仕方なく私は私で、spiklenci-slastiさんはspiklenci-slastiさんで、それぞれ「どんなまとを示したかったのか」を予測しつつ、新たな「まと」を作ったんだよね。
 その結果として、spiklenci-slastiさんのまとの方が、私よりも綺麗にできていた、って話じゃないかな?

 それを「まとをはずした」と言われるのは、腑に落ちんなぁ。

 使い物にならん地図を渡した人がいて、そのせいで別な場所に行っちゃったのに、それでも先に到着できた人に「何やってんだ」と言われてる感じはする。


【【第1章まとめ】】

 とグチグチ言ってみたが、実際のところ私も「こりゃ読みきれてなさそうだ」という自覚が少しはあったんだ。だからこそ、ツッコミを『うっかりさん』程度に押さえ、「別の話を投げかけてどーする」と言うおちょくりで、わけのわからんものを軽く流そうとしたんだね(ま、押さえたとか軽いとかはあくまで当社比だけど)。

 ところで、spiklenci-slastiさんの解釈の方が、実はublftboさんを『より悪質に』捉える事になるんだよ。
 spiklenci-slastiさんはublftboさんのコメントの要約として、
rosechildさんのコメントの議論が、エントリが扱っている言明とは『別の話』にのみ適用され得るものなのではないか

なんて極めてソフトな口調で書いてるけど、それってこう言っているのと同じコト

「あんたの主張は、オレ様のエントリが扱っている話とは関係ねーんじゃね」

 しかも、そんな風にrosechildさんの主張を却下する意図だけは示しながら、肝心の理由はといえば「そこの所をちゃんと説明出来ないのです」なんだから、理不尽にもホドがあるよね。

 もし、私が最初からspiklenci-slastiさんパターンの読解に辿り付いていたら「こいつは理由もロクに言えないくせに、相手の話を理不尽に却下しようとする奴だ」と、もっと強く批判していたでしょう(残念)。

 も、もしかして、実はspiklenci-slastiさんは
「Judgementの解釈は生ぬるい、奴はもっとドス黒いんだぜ」
ってな事をいいたかったのかしらん、なんても思っちゃったりして....
(絶対違うと思うケド)。




■■■■■■■■■■■■■第2章 憶測に関する異論

【序】
また、このコメントが「分からないことを分からないまま憶測でモノを言」っているものであるとも、わたしは考えません。「分からないことを分からないまま憶測でモノを言う」という評価が適切であるのは――すくなくともそれを直截にネガティヴな意味あいでもちいることが正当化されるのは――ほんらい「憶測」にすぎないものを「憶測」以上のものとして提示した場合にかぎられると考えます。そして、ublftboさんは、このコメントにおいて、『多分』や『ちゃんと説明出来ないのですorz』といった表現をもちいることによって、その内容が「憶測」であることを明示しておられます。一般に、やりとりがかみあっていない場面において、自身の認識を、できるだけ正確なかたちで(『今書ける所で』)開陳することは、たとえそれが「憶測」であったとしても、建設的な方向へ作用し得る行為であり、それ自体で非難されるべきではないでしょう。

 「できるだけ正確なかたちで(『今書ける所で』)開陳」しているのならそうかもしれませんね。

 んでも、正確どころか、いきなり新規な言葉を挿入してみたり、文や“てにをは”をろくに吟味しないでコメントを垂れ流し、不要な混乱を巻き起こすようなものにもそれは当てはまるの?
 そんなコトこそ「分からないことを分からないまま憶測でモノを言う」事の弊害だと私は考えています。

 ところで、spiklenci-slastiさん自身は、あのublftboさんのコメントを「できるだけ正確なかたちで(『今書ける所で』)開陳」していると思えたのでしょうか?(私にはそうは思えなかったのですが)。

【例え?】
たとえば――以下、言及先と似たような状況をつくろうとしたら、へんな例ができあがってしまいました。でもたぶん雰囲気は感じとってもらえると思います――あるひと(Aさん)が“直観主義論理の体系において(P→¬P)→¬Pは定理である”という主張をしているという場面を考えてみます。ここで、その主張に対して、Bさんから“マジで?” というコメントがとどいたとします。さらに、それを受けて、Aさんは“マジで”と答えたうえで、直観主義論理に対する自然演繹の体系におけるその定理の証明をしてみせたが、全然理解してもらえなかった、とします。このとき、Bさんが、たとえば、“よくわからないけど、直観主義論理の体系では背理法が成立しないと聞いた。この定理はまさに背理法を表わしているから、間違いじゃないのか”などと言ってくれれば、“一般に背理法と呼ばれる推論規則には複数の種類が存在する。直観主義論理の体系において認められないのは、ある論理式の一重否定を仮定して矛盾が導かれることをもってその論理式の肯定を演繹するという、狭義の背理法である。ある論理式の肯定を仮定して矛盾が導かれることをもってその論理式の一重否定を演繹することは、直観主義論理の体系においても認められる。意味論てきに説明すると……”とかいうふうに、認識の齟齬の原因を明確にふまえた建設的なかたちで議論をすすめることができて、みんなハッピーです。

 ゴメン、よーわからん(じっくり読む気もナシ)。
 「たとえ」るのは、できれば“分かりやすくする”ためにやってくれ。
というわけで、本人が明瞭に理解できておらず、それゆえに「正しいか間違っているか」もわからないような事柄についての憶測的な情報であっても、それがやりとりといくらかでも関連し得るものであれば、それを即座に「余計な事」と断ずることはできないと考えます(むしろ、それは、基本的には歓迎されるべきものである、とも考えます)。

 問い返しばかりになってスマヌが、そもそもspiklenci-slastiさん自身は、あのublftboさんのコメントを「やりとりといくらかでも関連し得るもの」と素直に分かったでしょうか?

 多分違いますよね。
 おそらくは、「いくらかでも関連し得るもの」ではないかという前提を設けた上で、あれこれ試行錯誤し、ようやくうっすらと結びつきが読み取れた、というのが実状でないかしら。
 だとすれば、そんな程度の代物を「やりとりといくらかでも関連し得るもの」と評するのは本末転倒だと思うのだけど。

 そこまでしないと読み取れないもの、それをspiklenci-slastiさんは「歓迎」できるのカナ?


【切り分け?】
このublftboさんのコメントについて言えば、そこにふくまれる「憶測」は、『量的な判断』と『特殊判断』の切り分けという論点をあらたに提示するものとなっています(さらに、その切り分けの適切性を正当化する理路をublftboさんご自身が有しておられないことや、大村さんの本を読むことでublftboさんがそのような示唆を受けとられたことなどが、情報として提供されています)。

(※私注 『特殊判断』ではなくて『特称判断』だと思うので、そう捉えることにする)

 あ...あれを「あらたに提示するもの」と言うのもあまりにも良く言い過ぎじゃない?

 くどいようだけど、そもそも、あの文章が「何かしらを切り分けて」いる事を提示したものであるかといえば非常に疑問。
 そもそもspiklenci-slastiさんの解釈が無ければ何かを切り分けているようにすら読めないし、切り分けているコトにしたとしても、具体的に何をどう切り分けているかは分からない。

 単に、あれは『特称判断』と『量的な判断』という2つの単語を文中に挿入してあっただけよね。
 spiklenci-slastiさんは、そんな代物を『切り分けという論点をあらたに提示するもの』なんて言い切れるのかしら?
この論点提示は、残念ながら、みのりのある議論へと通じるものではありませんでした。しかし、それは、このコメントの内容が「憶測」であったからでは――すくなくとも直截的な意味においては――ありません。

 そう思うspiklenci-slastiさんの優しい思いに踏み込んでアレコレ言うつもりはないけれど...

 私が見ている分には、「分からないことをよく分からない」のに、憶測でモノを言ってしまうぐらい、その「憶測」が「正しい結論」であるとublftboさんが信じ切ってしまっていたのが「原因」と考えるよ。
 そのせいで、その「憶測(正しい結論)」を正当化させるハナシしかできず、支持しないハナシは理解しようともしなかったから、おのずと“みのりのある議論”にならなかったのだと捉えています(多分それらしい話は記事に書いていたと思うケド)。


【非難されるべきものではないはず?】
なお、わたしは、ublftboさんがもしもこのコメントに書いてあると同様の認識のもとでエントリ本文も書かれたのだとすれば、それは、「分からないことを分からないまま憶測でモノを言」ってしまっているという点において非難されても仕方のない行為であると考えます。

 まぁ、そりゃそうだ。
(そして、ublftboさんはご自分でそのことに気づかれたがゆえに、Judgementさんも引用していらっしゃる『知識が足りていないと痛感した次第。ちょっとこれは宿題にしなくてはなりません』というコメントをなさったのでしょう)

 「今書けるところ」なんて代物を、上手く説明できないほど問題を理解していない段階で書いてしまうのを見ると、『知識が足りていないと痛感した次第。』の痛感のほどが分かる、って私は思うなぁ。
しかし、上述したように、わたしは、ublftboさんのこのコメントについては、「分からないことを分からないまま憶測でモノを言」っているものであるとは考えません。そのため、わたしは、ublftboさんがここで「結局同じ事の繰り返し」におちいっているとも言えない、と考えます。

 ublftboさんの該当するコメントが自身の認識について「できるだけ正確なかたちで」かつ「やりとりといくらかでも関連し得るものと分かるかたちで」示されていた、というのであれば、spiklenci-slastiさんのこの主張もいくらか説得力はあると思うのですが...。
(もしそうならば、私も「分からないことを分からないまま」とは言ってないだろう)。
すくなくとも、このコメントは、そこに書かれていることが「憶測」であるという点において非難されるべきものではないはずです(「内容の詳細」にまでふみこめば、いろいろとつっこみどころもあるかとは思いますが)。

 spiklenci-slastiさんが広い心でublftboさんのコメントを許容しようとする心意気は十分分かった。
 でも「非難されるべきものではないはず」と、それが自分以外の人もそう捉えるのが正しいかのような主張として成立する根拠はどこにあったのだろう。

 spiklenci-slastiさんの「憶測でもこれこれこういう利点があるからいいんだ」という観点については「そうだよね」と同意できるところもある。
 だけど、それでは実際のublftboさんのコメントが、そういう利点を期待できるものだったのか、という考証がぜんぜんなされていない。

 spiklenci-slastiさん基準はおかしくないと思うけど、それにublftboさんのコメントが該当すると判断するのはおかしい、というのが私の正直な感想。


【【第2章まとめ】】

 ドアを開たら、部屋全体がゴチャゴチャでわけわからん状況であった場合、「なんじゃこりゃ!」と非難するのが必要かつ十分なつっこみなんだと思うのね(そこで、あえて部屋に踏み込んでそのゴチャゴチャなものを1つ1つ検討してつっこむ必要も感じない)。

 でもspiklenci-slastiさんはやさしいから、そのわけの分からん部屋を整頓し、不要なものは捨て、必要なものは外から持ち込んで、何とか体裁は整えてあげた、そんな状態だと思うんだよ。

 だけど、spiklenci-slastiさんが勝手に整頓した部屋に私を再び招き入れて、「ね、あなたの非難にはあたらないでしょ」と言われても、困る。

 途中途中挟んだ私のspiklenci-slastiさんへの問いの答えを正直に考えた上で、ご自分の観点の説得力がどの程度ありそうなのか、という事についてご再考願いたいところである。

 なお、私は、「憶測」であることのみを問題として非難しているわけじゃぁないからね。
 「論理的に考えよう」と他人には言っているという『状況』のうえで、いざ自分で説明するとなると論理的に考えないで「憶測」を持ち出しちゃうのはおかしいでしょ、というのがひとつ。
 もうひとつは、「憶測」そのものよりも、話を理解せぬまま「憶測」を前提に語ろうとするせいで、意味が伝わらないヘンテコな主張(のようなもの)が垂れ流される、という問題。

 つうか、「憶測でものを言うな」はublftboさんもおそらくそうであろう「ニセ科学批判者」の大義名分のハズなんだけどね。




■■■■■■■■■■■■■第3章 【答え甲斐が無い】に関する異論

【序】
つづいて、【答え甲斐が無い】における、わたしの「推理」にかんする箇所について。 Judgement さんによる、「てか、「単にA∩B≠φといった場合には、A⊂Bではない」のどこが「A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提」なんだろうか。辻褄を合わせようとする気すら無いようだ」というご指摘は、もしも文章のコピペミスなどでないのならば、不誠実な引用にもとづいた不当な批判であると考えます。ublftboさんのコメントにおける『A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提を書いたもの』という表現は、(上記の引用においては省略されている)文末の『(A≠φかつB≠φ)』にかかっていると読むべきでしょう。さすがに、『単にA∩B≠φといった場合には、A⊂Bではないという説明』を『A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提』と対応づけるようなかたではないと思います。ぶっとびすぎています。

 そう言われるとそうかもしれないねとちらっと思ってしまった私だけど、よく考えると「本文の問いに答えず、文末のしかもカッコ書きされた部分のみに反応する」という対応の方が「ぶっとびすぎ」じゃない?

 もし、spiklenci-slastiさんの解釈の通りだとしても、やりとり自体は結局問いと答えが整合しないわけだから、「辻褄が合わない」と判断してもかまわないと思うんだケド、なんで私の方が「ぶっとびすぎ」と言われなければならんのだ。


【引用】

 とりあえず、「コピペミス」とか「不誠実な引用」とかケチ付けられないよう、言及の対象箇所の実際のやりとりを引用しておく。
spiklenci-slasti 2010/08/05 07:20
『SとPの共通部分が空集合でない』という命題ではなく、『SのうちにPと非Pが混在している状態』を表現するために『S∩P≠φ』が用いられていた、ということがわかって以来、いろいろとほぐれてきたように感じています。
ところで、ひとつだけ質問させてください。
http://d.hatena.ne.jp/ublftbo/20100731/1280506795#c1280632590 より
▼以下引用▼
ちなみに、上の1)と2)などは、大村さんの説明をそのまま書いてあります。つまり、単にA∩B≠φといった場合には、A⊂Bではないという説明(A≠φかつB≠φ)。つまり、ベン図で言うと、ダルマ型の状態のみを指すと。
▲以上引用▲
ここで、『単にA∩B≠φといった場合には、A⊂Bではないという説明(A≠φかつB≠φ)。』というのは、YJSZKさんによる
『A≠φかつB≠φかつA∩B=φだとA⊄Bです。』というリプライを、
『A≠φかつB≠φかつA∩B≠φだとA⊄Bです。』と読み違えたことにより生じた記述でしょうか?
(なお、ここでYJSZKさんが提示されている条件『B≠φ』は不要です。実際は『B=φ』であっても『A≠φかつA∩B=φ』ならば『A⊄B』は常に成立します。)

それに対してublftboさんの答え
>(spiklenci-slasti 2010/08/05 07:20)
A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提を書いたものだったと思います。つまり、議員集合とバカ集合はともに一人以上いる。



【迷走する言い訳】
なお、あのときわたしがした質問は、『A∩B=φ』を『A∩B≠φ』と読み違えたのか?というものでしたが、そもそも、なぜそのような発想にいたったかといえば。それは、『(A≠φかつB≠φ)』という、あまりにも自明なセンテンスの、あの文脈における存在意義を疑問に思ったからです。ですから、とうぜん、質問自体も『(A≠φかつB≠φ)』というセンテンスの存在を前提としたものとなっています。そのため、ublftboさんによる『A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提を書いたものだったと思います』という回答も、納得がいくかどうかはともかくとして、とくにズレたものであるとは感じませんでした。

え~

 ご自分で書かれたように、spiklenci-slastiさんは「A∩B=φ」と「A∩B≠φ」の違いを問題にしているわけですよね。なのに、spiklenci-slastiさんの問いに該当する部分ではなく、しかも自分の主張の「前提」の事だけを述べたわけだ。

 これを「とくにズレたものであるとは感じませんでした。」と言い切るspiklenci-slastiさんに不信感を抱きます。ハッキリ言えば、ublftboさんを擁護(Judgementを批判)するために、“自ら発した問いの意味”すら歪めてしまっているんじゃないの?

 『(A≠φかつB≠φ)』という、あまりにも自明なセンテンスの、あの文脈における存在意義を疑問に思ったのなら、なんでそれを先に聞かなかったの?
 ホントは当時はそうは思っていなかったのに、今になってublftboさんの回答を「ズレたもの」ではないと言いたいがために、記憶の方を歪めているんじゃないの?

 まぁ、本当のトコロはspiklenci-slastiさんしか知らないだろうけど、私にはそうにしか見えない。このspiklenci-slastiさんの文章からは、「そのような意図」は見えても「筋」が読み取れないんだもの。
 再度引用しておきましょう。ublftboさんへの慕情やら、Judgementへの嫌悪やらを脇に置いて、他人が書いたものと思ってもう一度客観的に読んでみてよ。
あのときわたしがした質問は、『A∩B=φ』を『A∩B≠φ』と読み違えたのか?というものでしたが、そもそも、なぜそのような発想にいたったかといえば。それは、『(A≠φかつB≠φ)』という、あまりにも自明なセンテンスの、あの文脈における存在意義を疑問に思ったからです。ですから、とうぜん、質問自体も『(A≠φかつB≠φ)』というセンテンスの存在を前提としたものとなっています。

 「『(A≠φかつB≠φ)』の存在意義を疑問に思ったから、『A∩B=φ』を『A∩B≠φ』と読み違えたのか聞いた。」という、まるで筋の通らない話が、本当にあなたが質問する時に考えた事なの?
 だとすれば、ぶっとんでいるのはあなたの方だ。

 私には、この文章は「A≠φかつB≠φ」というセンテンスを印象づけるためだけに作ったものに見える。「それは」とか、「ですから」で、“それらしく”繋げてあるけど、全体として意味が通らないし、補完する情報もない。

 「とうぜん」なんて言い回しは十分筋を通した説明をした上で使うべきもの。
 だけど、ここでのそれは「十分筋を通した説明をしたかのように“錯覚”させるため」に脈絡無く置かれたコトバにすぎない。

 筋が通らないのが、単なるあなたの説明不足によるものなのか、それとも元々筋が通らないコトを無理矢理述べようとしているのか、それはあなたしか知らないコトなので自分で検討し直してクレ。


【ズレてない!?】

 だいたい、「『(A≠φかつB≠φ)』というセンテンスの存在を前提とした質問」だったとして、それに対して「それを前提にした質問への答え」ではなく、「質問の前提を再認しただけのもの」が返ってきているのに「ズレたものであるとは感じない」とは、本気で言っているのだろうか?

 「これはあんこが入っているパンですか」に対し「パンは小麦粉でつくったはずです」という返答が返ってくるようなやりとりが「ズレたものであるとは感じない」!?

 spiklenci-slastiさんのublftboさんの返答に対する度量は極めてでかいようだ。
 両者のやり取りの歪みを解消するために、自分の問いの構造すら犠牲にし、筋の通らない理屈をこねるという危険を冒す。
 まぁ、それでspiklenci-slastiさんの気が済むならそれはそれでいい。

 だけど、それを私にも飲むコトを強要しないでくれ。
 どうしても飲ませたいなら、ウソでもいいからもう少しましな理由付けをしてくれ。

 つうか、私に対して「コピペミス」やら「不誠実な引用にもとづいた不当な批判」やら、「ぶっとびすぎています。」やらとつっかかる前に、同じくらいの批判的精神をublftboさんにも向けてはいただけないだろうか。

 それと、コメントの最後の方でこうおっしゃっていますが、
当事者であるがゆえに見方の健全性をつよく保証できないという立場においても言及可能であると判断した箇所についてのみ指摘するにとどめましたので。

 自分の問いの説明も満足にできない上、その不十分な説明を根拠に正当化し、病的にまでublftboさんの肩を持つような話まで「当事者であるがゆえに見方の健全性をつよく保証できないという立場においても言及可能」と判断されてしまうのでしょうか。


【【第3章まとめ】】

 やたらと攻撃的になっていてスマヌが、個人的な心情を述べれば、ホントに残念に思ったんだ。
 当時のspiklenci-slastiさんのコメントである
『A≠φかつB≠φかつA∩B=φだとA⊄Bです。』というリプライを、 『A≠φかつB≠φかつA∩B≠φだとA⊄Bです。』と読み違えたことにより生じた記述

 を読んだ時、私はまさに「あっ!そうかっ!!」と衝撃を受けた。

 ublftboさんはウヤムヤにしたけど、おそらくこの指摘は「図星」だったんだと思うんだよね。さらに色々な発言を検討して、考察したりもしたんだけど、結局それは記事にはしなかった。
 何故かというと、それに気付いたspiklenci-slastiさんへ敬意を払う、というのもあったし、spiklenci-slastiさんのスルドイつっこみで十分だろう、と判断したから。

 それぐらい感心してた人が、ublftboさんの返答を正当化するためかなんか知らないけど、今になってあのクリティカルな問いの意義を台無しにしてしまうような、「『A≠φかつB≠φ』が実は問題の焦点だった」みたいなコトを言いだしたから非常に幻滅したんだよ。

 まぁ、私が幻滅しようが何しようがspiklenci-slastiさんには毛ほども影響はないんだろうけどサ。




■■■■■■■■■■■■■第4章 【「自分は悪くない」という心の闇】に関する異論

【序】
さいごに、『読んでること前提なんて言っておりません。そう思っていたら引用などしないので。』というublftboさんのコメントに対する、【「自分は悪くない」という心の闇】におけるつっこみについて。
ublftboさんのこのコメントに対して、Judgementさんは、「てか、“そう思っていないのなら”、「あれほど言ったのに」とか「ここ最近のやり取りの中では一番疲れました」とかワザワザ言わないんじゃない?」とつっこんでいらっしゃいます。しかし、このつっこみがクリティカルなものとなるのは、直前のrosechildさんのコメントに“わたしたちが参考文献を読むことがそこまでつよく要請されているとは思っていなかった”とかいうような意味の記述がふくまれており、かつ、ublftboさんが、その部分に対して“そんなこと言っていないし思ってもいない”と応答なさった場合でしょう。

 まぁ簡潔に言えば、『読んでること前提』ではなく『読むことを要請』ならばOKってコトね。


【言っていないからセーフ?】
『あれほど言ったのに』などのコメントからは、そのような要請がある程度以上の強度で存在していたことが示唆されますし、その点についてはわたしも当時すこしおどろきました(rosechildさんのコメントも、全体としては、そのようなおどろきを表現したものとなっていると思います)。しかし、『読んでること前提なんて言っておりません。そう思っていたら引用などしないので。』という、この突き放すような短文コメントそれ自体は、あの文脈においてもとくに矛盾をはらんだものではなく、したがって、セーフと言わざるを得ないと考えます。

 spiklenci-slastiさんが「セーフ」という事にしたくなっている気持ちは分かった。

 しかし、当時衝撃を受けた自分にウソをついていませんか。
 そりゃおっしゃるように「言ってはいない」。でも「じゃぁ引用後に何であんな事を言ったのか」という疑問はそれで晴れたの?

 『読んでること前提なんて言っておりません。そう思っていたら引用などしないので。』だったら、『読んでること前提なんて思っていないなら、「疲れました」なんてグチ言いません。』じゃないの?


【まったくの別物?】
“読むべきであること”や“読まねばならないということ”と、『読んでること』とは、まったくの別物です。わたしやrosechildさんが大村さんの本を“すでに”『読んでること前提』であるとは、ublftboさんはたしかに『言って』おられないし、また、そのような前提がなければでてこないような表現も、あのエントリおよびコメント欄のなかには、見あたりません。『私があれほど言ったのに、参考文献を読まれていなかったのですね[中略](愚痴です)。』という表現が示唆するのは、“あれだけ言ったのだから『参考文献』を読んでいてほしい”という希望や“あれだけ言ったのだから『参考文献』を読んでいるのでは”という期待がそれまでのublftboさんのなかに存在した、という程度のことであり、“読んでいるはずだ”という思い込み(『読んでること前提』)まではいきません。ということで、セーフです。

 spiklenci-slastiさんが何をして“まったくの別物”と言い切ってしまうのか、その根拠は私には分かりませんが、要求している事は同じじゃないかな。
 「読むべきである」→「読まねばならない」→「読んでいなくてはならない」で、要求の度合いは違うかな、とは思うけど。

 また、以前から“読むべきであること”や“読まねばならないということ”を要請していたという状況の上での(例えば、該当する発言よりずっと前に『参考文献を読んで頂かないと埒が明かない』という発言をなさっています)『私があれほど言ったのに、参考文献を読まれていなかったのですね』という発言は、「当然読んでいると思っていたのに、読んでいなかったとは何事だ」という非難として捉えられるものではないのかな。
 
 むしろ、「読んでいてほしい」という希望や、「読んでいるのでは」という期待程度のものであったのなら、わざわざ「読まれていなかったのですね」との確認するコトはないだろうし、ましてや「あれほど言ったのに」という表現はくっつけないんじゃない?
まあ、こまかいことを言えば、『そう思っていたら引用などしない』という文が、rosechildさんのコメントにおける『進んでいるとは全然思っておりませんでした』という表現の時間的含意を無視したものとなっている点は若干気になりますが(かつて『読んでること前提』で議論が進んでいたが、その前提に決定的な疑念が生じたため引用を決行した、という状況を想定することがじゅうぶん可能です)。

 いやさ、「若干気になる」なら、そこを掘り下げてもっと疑おうよ。
 素質は多分あるんだからさ。

 あからさまなもの以外は全て「疑わしきは罰せず」ならば、「疑う」意味なんてどこにも無くなってしまうと私は思うケドなぁ。


【【第4章まとめ】】

 感想を言えば「セーフ」という結論が先走って、説明が追いつかず、そのせいで安易なところに落ち着いてしまっている、という感じ。

 まぁ、私のつっこみは「推測じゃないか」と言われれば、「そうですよ」と答えるよ。
 でも「極めて可能性が高そうでしょ」と付け加えるでしょう。そのために見ているのが「言うべきところが欠けている」、「言わんでいい事をあえて言う」ところ。
 それが私の芸風(?)。

 それが気に食わん、と言われたら仕方がないけれど、spiklenci-slastiさんの「アウト」でないから「セーフ」、なんて安易な判断よりかは頭をつかっているつもりだ。

 というか、spiklenci-slastiさんの判断基準もどうかな、と思うのは、上の【今書ける所?】とか【答え甲斐が無い】については、さんざん「言ってはいない」コトを推測で補完するコトで評価する一方で、こちらではうってかわって「言ってはいない」コトをだけを評価する。
 それは、あまりにもなダブルスタンダードじゃないかしら?




■■■■■■■■■■■■■ 総評

 spiklenci-slastiさんはコメントの冒頭の方でこうおっしゃいました。
そこで、僭越ながら、以下に、それらについての指摘をします。なお、わたしは言及先のやりとりの当事者のひとりです。したがって、そのやりとりを、完全に俯瞰的に、第三者視点で見ることは不可能です。そのへんの事情がわたしの読解の健全性を毀損していないとよいな、と思うのですが、しかし実際のところどうなっているかはわかりません。

 私なりの答えを述べれば、一部を除き「読解の健全性を毀損している」と私は判断しました。
 その最も大きな原因は、spiklenci-slastiさんの思考スキルとか当時者性とかの問題ではなく、「ublftboさんに対する病的とも言える気遣い」。それが、論調のほとんどを崩壊させてしまっていると私は捉えています。

 別に私がublftboさんを嫌いだから、その人の肩を持つことを批判してる、ってわけじゃないからね。
 spiklenci-slastiさんが客観的な判断の末に「ublftboさんの肩を持つ」のであれば私は納得するんだけど、spiklenci-slastiさんは「ublftboさんの肩を持ちながら」判断をくだそうとしているので、同じ立ち位置に無い私にとって説得力に欠けるものになってしまっているんだね。

 spiklenci-slastiさんの文章にはところどころに「ublftboさん批判」的なものをちりばめておりますね。
 それが「私はublftboさんの肩を持つつもりはないよ」という客観性を装うためのものであれば、そんな装いは「実質的な論調の歪み」によって吹っ飛ばされています。
 そこまで悪意的でなく、本音は違うのに何らかの事情で「ublftboさんの肩を持たざるをえない」ための葛藤の現れだとすれば、もっと自分を信じ、もっと自分で考えましょう、と言いたい。

 上の方でも触れておりますが、コメントの最後の方で
当事者であるがゆえに見方の健全性をつよく保証できないという立場においても言及可能であると判断した箇所についてのみ指摘するにとどめましたので。

 とあるんですが、何をして、『健全性をつよく保証できないという立場においても言及可能であると判断した』のかすら疑問。
 十分な説明できないような前提をどんどん持ち込んでみたり、かと思えばublftboさんに不利な解釈が十分成り立つ状況であってもそれを全て「セーフ」に入れてしまったり...そういうコトをしないと話が勧められない、といった箇所を、『当事者であるがゆえに』かどうかは知りませんが、『見方の健全性をつよく保証できないという立場においても言及可能である』と判断する、というのはどうなんでしょうね。

 こういう判断すらも健全性が保てていなかったのではないでしょうか。


 なお、「そんなコトはないと思うけど...」と期待しつつ、念のため書くけど
 spiklenci-slastiさんに対する辛口の評価について、「自分が批判されたから、わざと否定的な評価を下しやがった」なんて邪推する気ならやめてよね。
 時間と手間かけていちいち検討し、評価を下すのに頭をまわす、なんてめんどくさいコトを、見ず知らずの人間相手に報復する目的のためにやる程私は暇じゃない。
 つうか、自分が批判した相手に「指摘の健全性について検討しろ」とお願いしたのはそっちなんだから、ここにきて“評価した人間の立場”を根拠に否定的に捉えようとするのは道理に合わないからね。
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コメント 5

spiklenci-slasti

おいそがしいなか、時間をさいて返信を書いてくださって、ありがとうございます。

まず、
▼以下引用▼
なお、「そんなコトはないと思うけど...」と期待しつつ、念のため書くけど
spiklenci-slastiさんに対する辛口の評価について、「自分が批判されたから、わざと否定的な評価を下しやがった」なんて邪推する気ならやめてよね。
時間と手間かけていちいち検討し、評価を下すのに頭をまわす、なんてめんどくさいコトを、見ず知らずの人間相手に報復する目的のためにやる程私は暇じゃない。
つうか、自分が批判した相手に「指摘の健全性について検討しろ」とお願いしたのはそっちなんだから、ここにきて“評価した人間の立場”を根拠に否定的に捉えようとするのは道理に合わないからね。
▲以上引用▲
だいじょうぶです。むしろ、Jugdementさんならば、「検討」を――もしも、してくださるとすれば――「報復」とかのしょうもない動機からではなく、しかし同時にズバズバッとおこなってくださるだろう、という安心感があったのでコメントしました。
また、これは別エントリの話ですが、わたしのあのコメント冒頭の文章が「非常に狂ったお願いの仕方」であり、「どっちに転んでも傷つかないためのイヤらしい布石」としての機能をになっていたというのは、そのとおりだと思います。書いていたときは、無礼な口調もふくめ、軽口、冗談のつもりでふふふんふんと書いていたのですが、きっと、そのへんもふくめて「セクハラ宣言」と通底するところがあるのでしょう。指摘してくださってありがとうございました。

以下のコメントは、前回のコメントで言おうとしたけどつたわらなかったと思われる点について、補足説明することを目的としたものです。それらは決してJudgementさんの読解や評価を不当なものとして批判するものではありません。Judgementさんがくださった返信については(「B面」もふくめ)わたしの前回のコメントに書かれてあったことを正当に読解、評価したものであると考えます。わたしの不躾な「お願い」にこんなにもきっちりとこたえてくださったことに、ほんとうに感謝しています。
by spiklenci-slasti (2011-02-10 09:04) 

spiklenci-slasti

「■■■■■■■■■■■■■第2章 憶測に関する異論」について

▼以下引用▼
「たとえ」るのは、できれば“分かりやすくする”ためにやってくれ。
▲以上引用▲
あそこで「たとえ」をだしたのは、「分かりやすくする」ためというよりは、論拠となるような具体例をひとつ以上しめしておくためでした。しかし、そうであっても、なにを言っているかがつたわらないような「たとえ」は、なんの役にもたちませんね。失敗でした。

▼以下引用▼
spiklenci-slastiさんが広い心でublftboさんのコメントを許容しようとする心意気は十分分かった。
でも「非難されるべきものではないはず」と、それが自分以外の人もそう捉えるのが正しいかのような主張として成立する根拠はどこにあったのだろう。

spiklenci-slastiさんの「憶測でもこれこれこういう利点があるからいいんだ」という観点については「そうだよね」と同意できるところもある。
だけど、それでは実際のublftboさんのコメントが、そういう利点を期待できるものだったのか、という考証がぜんぜんなされていない。

spiklenci-slastiさん基準はおかしくないと思うけど、それにublftboさんのコメントが該当すると判断するのはおかしい、というのが私の正直な感想。
▲以上引用▲
まず、『非難されるべきものではないはず』というのは、『そこに書かれていることが「憶測」であるという点において』という条件つきの表現でした。そして、その「根拠」としては、「憶測」にも“よい「憶測」”があり得るから、というものを――わかりにくい具体例などをつうじて――しめしたつもりになっていました。しかし、文の挿入位置がわるいこともあり、対応関係や意図がわかりにくくなってしまっていました。すみませんでした。
Judgementさんは、「「憶測でもこれこれこういう利点があるからいいんだ」という観点については「そうだよね」と同意できるところもある」とおっしゃってくださっています。ですので、おそらく、直前に引用されたわたしの文章が言わんとしていたところについて、そんなに意見の相違があるわけではないと思います。また、Judgementさんはその後、「私は、「憶測」であることのみを問題として非難しているわけじゃぁないからね」ともおっしゃっています。とすれば、直前に引用されているわたしの文章は、あのエントリに対する指摘としては、まとはずれなものとなってしまっていたようです(わたしには、Judgementさんのエントリが、ublftboさんのあのコメントについて「「憶測」であることのみを問題として非難している」ように読めたので、それはすくなくとも『「憶測」であるという点において非難されるべきものではないはず』という文章を書きました)。

そのように、「憶測」一般の是非がポイントになっていると勘違いしていたため、ublftboさんのコメントが実際に“よい「憶測」”と言えるか、という点についてはあまりふれませんでした。そのなかにあって、そこにちょっとだけふれた『あらたな論点を提示するものとなっています』うんぬんという文章を、Judgementさんは積極的な擁護として解釈なさったように思います。しかし、これは、そのあとの『この論点提示は、残念ながら~』という文とセットで、譲歩表現を構成するものとして書いたつもりでした。
もうすこしちゃんと説明すると、以下のようになります。まず、『いくらかでも関連し得るものであれば~』という表現で言いたかったのは、つぎのようなことです。“関連する可能性があるならば(結果として関連していなかったことがわかるかもしれないけど)、「憶測」だからと言って即却下せず、とりあえずそのなかみ(「内容の詳細」)まで検討してあげるべきなんじゃないか”。そして、それにつづくふたつの文によって、“たしかに、ublftboさんのコメントは「内容の詳細」にまでふみこんでみると、つかえないものだったけど……”というようなことを書いた、つもりでした。『論点をあらたに提示』とかの、肯定的な表現をもちいたのが失敗だったようです(その『論点』がrosechildさんの疑義に対しては無力だということをすでに書いていたので、“『あらた』だろうがなんだろうが、結局駄目だったけどね”とつなげたつもりでした)。“具体例は『建設的』だったけどこのコメントは『みのりのある』ものじゃなかった”という対比も、ちがうことばをもちいたことでわかりづらくなってしまっていました。

わたしは、ublftboさんのあのコメントは、表現が曖昧であったこと、まとはずれであったこと、ごく簡単なところで間違っていたこと、において、文句をつけられてもしょうがないものだった、と考えています。“もうすこし推敲したらどうか、ひとのコメントはもうすこしちゃんと読んだらどうか、せめてWikipediaやac.jpで検索するぐらいのことはしたらどうか”などと言いたくなります(こういうことを書くと、自分にもはねかえってきて、ウッとなりますが)。また、それらの欠点は、あのコメントが「よく分からない」まま書かれたものであったことと無関係ではない(「憶測」の「弊害」であった)とも思います。
ただ、同時に、それらは「内容の詳細」にまでふみこまないと見えてこない欠点であるとも考えました。そこで、“「憶測」だからダメというわけでは『すくなくとも直截的な意味においては』ない”という、まわりくどい表現を採用しました。くりかえしになりますが、わたしには、Judgementさんが、ublftboさんのあのコメントについて、「「憶測」であることのみを問題として非難している」――『多分』の話などをしている時点でアウトと言っている――ように読めたので、そういう書きかたをしました。『多分』や『ちゃんと説明できないのですorz』を見た段階で拒絶するのではなく“『今書ける所』を開陳しようとするその心意気やよし”と検討し、そのうえでいろいろつっこみをすればよいよね、というあたりで合意できるんじゃないかと(勝手に)考えていました。

順番が前後しますが、
▼以下引用▼
問い返しばかりになってスマヌが、そもそもspiklenci-slastiさん自身は、あのublftboさんのコメントを「やりとりといくらかでも関連し得るもの」と素直に分かったでしょうか?
▲以上引用▲
これに対する答えは、「内容の詳細」を検討し、よくわからないところについては質問する程度の余地があるとは判断できた、というものです(たいていのコメントはこの基準をクリアできます)。実際、rosechildさんがいくらか質問なさいました。そして、その結果、かなり早い段階でublftboさんは説明をあきらめてしまわれ、のこされた謎が、混乱をまねきました。これも「憶測」の「弊害」のひとつかな、と思います。ちなみに、ublftboさんが実際にあのコメントでなにをおっしゃりたかったのか、ということについては。しばらくあとの補足説明でだいたいの輪郭はつかめましたが、こまかい部分まで確信が持てたのは、コメント欄のほんとうに最後のほうになってからです。あのコメント単体では、さっぱりわかりませんでしたし、いろいろ勘違いもしました。
by spiklenci-slasti (2011-02-10 09:06) 

spiklenci-slasti

「■■■■■■■■■■■■■第3章 【答え甲斐が無い】に関する異論」について

▼以下引用▼
そう言われるとそうかもしれないねとちらっと思ってしまった私だけど、よく考えると「本文の問いに答えず、文末のしかもカッコ書きされた部分のみに反応する」という対応の方が「ぶっとびすぎ」じゃない?

もし、spiklenci-slastiさんの解釈の通りだとしても、やりとり自体は結局問いと答えが整合しないわけだから、「辻褄が合わない」と判断してもかまわないと思うんだケド、なんで私の方が「ぶっとびすぎ」と言われなければならんのだ。
▲以上引用▲
『ぶっとびすぎ』は、Judgementさんの解釈を採用した場合の、ublftboさん(の思考回路)について言ったつもりでした(ですので、Judgementさんの解釈について言うならば、“ぶっとびさせすぎ”とかいうかんじになります)。しかし、それがJudgementさんについて言っているように読めるというのはあきらかですので、主語を省略すべきではありませんでした。すみませんでした。

▼以下引用▼
「『(A≠φかつB≠φ)』の存在意義を疑問に思ったから、『A∩B=φ』を『A∩B≠φ』と読み違えたのか聞いた。」という、まるで筋の通らない話が、本当にあなたが質問する時に考えた事なの?
だとすれば、ぶっとんでいるのはあなたの方だ。

私には、この文章は「A≠φかつB≠φ」というセンテンスを印象づけるためだけに作ったものに見える。「それは」とか、「ですから」で、“それらしく”繋げてあるけど、全体として意味が通らないし、補完する情報もない。

「とうぜん」なんて言い回しは十分筋を通した説明をした上で使うべきもの。
だけど、ここでのそれは「十分筋を通した説明をしたかのように“錯覚”させるため」に脈絡無く置かれたコトバにすぎない。

筋が通らないのが、単なるあなたの説明不足によるものなのか、それとも元々筋が通らないコトを無理矢理述べようとしているのか、それはあなたしか知らないコトなので自分で検討し直してクレ。
▲以上引用▲
まず、わたしが『読み違えにより生じた記述でしょうか?』という質問をしたのは、その『記述』の不自然さが『読み違え』を仮定すると解消されることに気づいたからです。かりに、もともとの『記述』が自然であったり、『読み違え』を仮定しても不自然なままであったならば、そのような質問はしなかったでしょう。あの『記述』はもともと『大村さんの説明』について書かれたものなので、よほどの理由がないかぎり、それをYJSZKさんのリプライとむすびつけてとらえ、質問するようなことはしません。
そして、その『読み違え』を仮定することで解消された不自然さというのは、あの『記述』における『(A≠φかつB≠φ)』の存在意義にまつわる不自然さです。このセンテンスについてはもともと、“まあ間違っているわけではないけど、なんでこんなことをこんなところに書くのかねえ”という程度の、質問するほどでもない疑問をいだいていました。しかし、『読み違え』を仮定するとそれがきれいに説明できると気づいたため、“これはもしや読み違えたのでは”と考え、質問をおこないました。つまり、「『(A≠φかつB≠φ)』の存在意義を疑問に思った」から、『読み違え』の有無について質問するという『発想にいた』ったわけです(なお、その質問で「焦点」となっていたのは『読み違え』の有無であり、『(A≠φかつB≠φ)』の存在意義ではありません)。
そのような経緯を念頭においていたため、わたしの『質問自体』が(あの『記述』における)『(A≠φかつB≠φ)』の『存在を前提したものなってい』るのは『とうぜん』だ、ということを書きました。ただ、この『存在を前提』という表現は(ublftboさんの返答における『前提を書いたもの』とかぶってしまったことをふくめ)よくなかったかもしれません。ここで言いたかったことは、『(A≠φかつB≠φ)』が、『単にA∩B≠φといった場合には、A⊂Bではない』とおなじく、あの『記述』の不可欠な一部分であった、ということです。

以上がわたしの「説明」の「筋」です。言葉たらずではありましたが、たぶんそんなにぶっとんではいないと思います(というか、この結論部分は、「説明」するまでもなく『とうぜん』のことなので、余計なことを書いたなあ、と思います)。
ただ、この結論部分は、そのあとにつづけた『とくにズレたものであるとはかんじなかった』という事実を直接サポートするものとはなっていません。それはただ単に、Judgementさんの引用では省略されていた『(A≠φかつB≠φ)』も『記述』の一部だった、と言っているだけのものです。そこから後段を導出するためには、ublftboさんの返答の読解についての仮定が必要となります。したがって、接続詞『そのため』をもちいて直接つなげてしまったのは、不適切でした。

そこで、以下に、あらためて、わたしがなぜublftboさんの返答を『とくにズレたものであるとはかんじなかった』かについての説明を書きます。

まず、ublftboさんのコメントの全文を引用します(こちらのエントリで引用されているのは一部だけですので)。
▼以下引用▼
>(spiklenci-slasti 2010/08/05 07:20)
A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提を書いたものだったと思います。つまり、議員集合とバカ集合はともに一人以上いる。
確か、~の時、という意味ではなく、本書の記述では~、という感じで書いたはずです。
「大村さんの説明をそのまま書いて」として続けているので、そういう感じです。

ここはどういう意味か、と端的に訊かれた方が答えやすいです。説明に不備があれば補足するに吝かではないですし。誤りは訂正するし、後で考えが変わった場合にもそうします。
「読み違えたことにより生じた記述でしょうか?」とまず言われても困るというかなんというか。
▲以上引用▲

わたしの質問の「焦点」は『読み違え』の有無でした。しかし、まず、そこに対する直接の応答が見あたりません。でもまあ、『「読み違えたことにより生じた記述でしょうか?」とまず言われても困る』と書いてあるので、“読み違えはなかった/すくなくとも記憶にない”とおっしゃりたいのだろうな、と考えました。また、『本書の記述では~、という感じで書いた』ということを強調しておいでなので、“『記述』はYJSZKさんのリプライとは無関係なものとして書いた”とおっしゃりたいのだろうな、とも考えました(なお、ここでublftboさんが本心をあきらかになさっていたと考えるかどうかは、この箇所の読解とは別問題です)。
また、『ここはどういう意味か、と端的に訊かれた方が答えやすい』とも書いてあるので、『A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提を書いたものだったと思います』うんぬん、というのは、わたしが『読み違えたことにより生じた記述でしょうか?』とたずねた『記述』の『意味』について説明しようとしたものなのだろうな、と考えました。
とすれば、『記述』のなかで『A集合とB集合共に要素が一つ以上存在する、という前提』に対応し得るのは、『(A≠φかつB≠φ)』のみです(ほかと対応させるともれなくぶっとびます)。“なんで『記述』の一部分だけについて説明するの?”という疑問もうかびますが、まあ、そこ以外については補足説明する必要性をかんじなかったのだろう、ということにしてすませました。
わたしの質問に対して、“読み違えはなかった/すくなくとも記憶にない”と答えたうえで、『記述』の意味/意図について補足的な説明をする、というのは、あり得ない反応ではありません(“「読み違え」なんてしてません/記憶にございません”とだけ言うと、なぜそのような質問をされたかについての反省がないようなかんじになります)。また、『A集合とB集合共に要素が一つ以上存在するという前提を書いたもの』というのは、『(A≠φかつB≠φ)』の意味を説明したものとして読めます。ここで『(A≠φかつB≠φ)』は『記述』の不可欠な一部分です。したがって、まあ、わたしの質問に対してあり得ない反応ではないな、と判断しました。つまり、「とくにズレたものであるとは感じなかった」ということです。
かりに、ublftboさんが補足説明をおこなったのが、『読み違え』を仮定してもYJSZKさんのリプライとなんら関連しないような、『質問自体』に非本質的な要素であったならば、質問の本旨がつたわっていない(返答が「ズレ」ている)と判断し、もうすこし追求したかもしれません。しかし、どうやら質問の本旨も理解したうえで、『読み違え』の自覚はない、と言っているようだ、とわたしには読めました。
そこで――ublftboさんの補足説明は言葉たらずで、結局意味はよくわかりませんでしたが――これ以上『読み違え』を追求しても得るものはないと判断しました。そして――“読み違えました”という答えをもらい、“ほんとうに、記号の意味をまったく理解しないまま使っていたんですね……”とまとめるという都合のよい青写真がご破算になったので――当時まだ確信が持てずにいた『A⊂Bではない』における“ではない”の意味へと質問の「焦点」をシフトし、まとめにかかりました。

以上は、当時のわたしの読解そのままとなっているはずです。

わたしが前回のコメントのこの部分で言いたかったことを、あらためて書きなおすと、つぎのようになります。“Judgementさんの読解だとublftboさんがぶっとびすぎとなる。そして、ublftboさんが――言葉たらずではあるが――ぶっとばず、また「ズレ」ない読解はあり得る。その読解においてublftboさんがぶっとばず、「ズレ」ないのは、『(A≠φかつB≠φ)』が『記述』に不可欠な一部分としてふくまれていたから。だから、そこも引用してあげないとublftboさんがかわいそうだ”。
わたしは、自分のこの読解以外は(Judgementさんのものもふくめ)やはり無理があるとかんじます。なので、『~と読むべきでしょう』という表現については撤回しません。ただ、この感覚が視野狭窄やublftboさんへの好意にもとづくものである可能性もあると思います。ですので、“おいおい”と思われた場合には指摘をしてもらえますと、うれしいです。
by spiklenci-slasti (2011-02-10 09:08) 

spiklenci-slasti

「■■■■■■■■■■■■■第4章 【「自分は悪くない」という心の闇】に関する異論」について

▼以下引用▼
spiklenci-slastiさんが「セーフ」という事にしたくなっている気持ちは分かった。

しかし、当時衝撃を受けた自分にウソをついていませんか。
そりゃおっしゃるように「言ってはいない」。でも「じゃぁ引用後に何であんな事を言ったのか」という疑問はそれで晴れたの?
▲以上引用▲
ここらへんはわたしの溜飲に直結するところなので、ちょっとアレなのですが――つまり、わたしが前回のコメントで書かないようにしていた方向の読解をふくむのですが――肩を持ちすぎている、と批判されてしまったので、すこしくわしく書いておきます。
まず、わたしは、文献引用後のrosechildさんとublftboさんのやりとりについては、まとめて読んだと記憶しています。そのうえで、ublftboさんの『愚痴』にかんしては、前回のコメントでも似たようなことを書きましたが、“読んでほしい、という程度だと思っていたけど、読まないといけなかったのか”というおどろきをかんじました(いま読みかえすと、それ以前のublftboさんのいくつかのコメントからは、たしかにそういう主旨のことが読みとれるので、もっと早く気づいとけよ自分、とも思いますが)。
また、ublftboさんが突如として引用を決行なさったのは、その直前までのわたしとのやりとりで、“spiklenci-slastiは文献を読んでるっぽいぞ”という感触をつかんでいたのに、それが間違っていたとわかったことに失望してのことだったのかな、と考えました。つまり、“わたしが文献を『読んでること前提』だと思っていたのかな”と。また、それだったら引用するまえに“文献を読んでいない者と議論するつもりはないんですよ。読んでからでなおしてきてくださいね”とか言ってくれればよかったのに、というか、意志疎通がうまくいかなかっただけのことなのに、なんでそんな一方的に被害者ぶるかね、ともちょっと思いました。

そして、その後のrosechildさんのコメントへの応答にかんしては、“rosechildさんのコメントのなかに非論理的な断定を見つけたので、そこを攻撃したのだろう”と読んでいます(当時はもうすこし素朴に、“まあたしかにそうだったのかもしれないけど、なんでそんなに攻撃的なのかなあ”という程度の感想だったと思いますが)。
necromancerさんがコメント欄にて『高度なディベートのテクニックでも介在しているのかと思っていた』とおっしゃっていましたが、『高度』であるかどうかはともかくとして、まあそれにちかいものだと言えるんじゃないかと思います。つまり、「言ってはいない」という事実を利用した、ルール範囲内のラフプレーです。
うえにも書いたように、わたしも“『読んでること前提』だったのかな”と思いました。しかし、『読んでること前提』なんて“言っていないし思ってもいなかった”と言われてしまうと、たしかにそのように捉えることもできます(直前のわたしとのやりとりについて言えば、“spiklenci-slastiが読んでるのか、読んでないのか”について確信が持てない手さぐりの状態でつづいていたと考えればよいです。rosechildさんまでふくめるならば(というか文脈上当然ふくまれますが)、“まだ文献を入手していない/入手はしたけど読んでいないから発言を控えているのかも”という想像力がublftboさんのなかにすこしでもあったと考えればよいです)。
なので、過剰に攻撃的なので心証はだいぶわるい(というか「図星」の疑いがたかまる)けど、まあ否定はできないわな、と考えました。「疑問は晴れたの?」という問いへの答えは、「読み違え」の部分とおなじく、仮説はあるし、自分のなかではそれで解決した気になってるけど、真相は闇のなか、ってかんじです。

いずれにせよ、この部分の「異論」でわたしがJudgementさんに言いたかったことは、“はっきり「アウト」と言うことはできない”ということのみでした。なので、「セーフ」に“ぎりぎり”とつけたほうがよかったのかな、と、いまさらながら思います。しかし、
▼以下引用▼
まぁ、私のつっこみは「推測じゃないか」と言われれば、「そうですよ」と答えるよ。
でも「極めて可能性が高そうでしょ」と付け加えるでしょう。そのために見ているのが「言うべきところが欠けている」、「言わんでいい事をあえて言う」ところ。
それが私の芸風(?)。
▲以上引用▲
ということなので、わたしは“言わずもがな”のことを言ってしまっていたようですね。すみません。
ただ、言いわけになりますが、わたしからは、Judgementさんの『つっこみ』が、rosechildさんが返り討ちにあった場所に、わざわざまったくおなじ装備で出むいているものとして見えてしまっていました。rosechildさんは、ublftboさんの『愚痴』をうけて、『この議論が私(たち)が読んでること前提で進んでいるとは全然思っておりませんでした』とおっしゃっています。つまり、“『愚痴』→『読んでること前提』”と推論しているわけです。そして、Judgementさんのつっこみは“¬『読んでること前提』→¬『愚痴』じゃない?”というものなので、推論としては同等です。これはJudgementさんにしては芸がない、というか、ublftboさんの攻撃のうらにあるロジックが見えていないのかな、とかんじました。

▼以下引用▼
spiklenci-slastiさんが何をして“まったくの別物”と言い切ってしまうのか、その根拠は私には分かりませんが、要求している事は同じじゃないかな。
「読むべきである」→「読まねばならない」→「読んでいなくてはならない」で、要求の度合いは違うかな、とは思うけど。
▲以上引用▲
わたしが『まったくの別物』と言ったのは、『“読むべきであること”や“読まねばならないということ”と、『読んでること』』です。それらがなんで『まったくの別物』であるかと言うと、そもそも属するレイヤがちがうからです。「読むべきである」や「読まねばならない」は、規範命題を構成する述語です。対して、“読んでいる”は、事実命題を構成する述語です。事実と規範はまったくの無関係ではありませんが、しかし別のレイヤに属します。「読むべきである」や「読まねばならない」は、“読んでいなかった”場合の非難が正当化される、ということを表現します(正当化の度合いは異なります)。そして、“読んでいなかった”ことへの『愚痴』から、そのような規範命題のいずれかが前提されていたということが断定できます。

以上が、『~まったくの別物です。』という文を書いたときに念頭においていたことです。いま読みなおすと、これは、ひとつまえの段落にふくめたほうが意味がとおりやすかったな、と思います。
つづいて、以下が、それ以降の文で言いたかったことです。

しかし、わたしたちが文献をすでに“読んでいる”とublftboさんが判断していた、とは断定できません。事実命題については、確かさの度合いについて異なった判断をいろいろと想定し得ます。そして、ublftboさんのなかで、わたしやrosechildさんが『読んでる』ことの確かさが、『あれほど言った』という事実によってかなり高まっていたのだろうということが、あの『愚痴』からは断定できます。また、rosechildさんやJudgementさんがなさったように、そしてわたしもしたように、それが“すでに読んでいるはずだ”という思い込み(『読んでること前提』)にまで達していたと「推測」することもできます。しかし、うえのほうにも書いたように、ある程度の抑制がublftboさんのなかにあったと想定することも可能です。したがって、断定できるのは、“読んでいるのではという期待”があったんだろう、という程度のことまでです。

そして、わたしには、そこを不用意に断定的に表現したことによりrosechildさんがすでに撃沈しているのに、おなじことをおなじ論拠をもってくりかえしているJudgementさんには、ublftboさんの攻撃のロジックが見えていないのかなあ、と思えたので、その解題をしようとした、ということでした。
また、ついでに、“ロジカルな攻撃”ではあるけど詰めが甘いよね、という点にもやんわりとふれておきました(“「言ってはいない」のだから断定できないはずだろう”という攻撃でとどめておけばよいのに、“「思っていなかった」と断定できるはずだろう”とまで言ってしまっています。これは非論理的です)。

すでに言いましたが、あのコメント欄のながれから『読んでること前提』を「推測」できるという点に異論はありません。
by spiklenci-slasti (2011-02-10 09:11) 

Judgement

 あれだけグチグチと注文つけたのに、返事を書いてくれてありがとう。
 いろいろ言った手前、「とりあえず」の返事を書くのもどーかと思って色々考えているうちに時がたってしまった。
 スマヌ。

 spiklenci-slasti さん返事を読んで「書いた甲斐があった」というのが素直な感想。
 それは「私の指摘に異論が無い態度をとっているから」がその理由ではない。
 私の指摘を理解した上で、ご自分でもう一度表現を考えている。それが嬉しい。

 偉そうに言うケド、今回のspiklenci-slasti さんのコメントは、前回の数十倍読みやすくなっていると思う(分量の多さ、改行の少なさは相変わらずだけど)。

 前回のspiklenci-slastiさんは、どことなく奥歯に物が挟まった物言いで、それを紛らわそうとしてか文章も冗長になっていた感じ。spiklenci-slastiさんが何を言いたいのか、それに対し私が何を言えばいいのか、ハッキリ言えば良く分からない代物だったんだ。
 多分それは、「自分(spiklenci-slastiさん)がどこにいるのか」を捉えられないまま(というか捉えるコトを放棄して)、書いてしまったせいじゃないかな。

 だけど、今回のコメントではspiklenci-slastiさんは、自分の立ち位置をもう少し明確にしつつ、私(Judgement)との相対化をちゃんとなさった上で“伝える書き方”を考えてくれたと思う。

>前回のコメントで言おうとしたけどつたわらなかったと思われる点

 とありますが、「伝わるように言わないと伝わらない」んですよ。
 私がspiklenci-slasti さんに一番分かって欲しかったのは、そのあたりかも。

 まぁ、今回の返事はspiklenci-slastiさんの考えを大分理解する事ができた(つもり)。
 んで、再度なされたspiklenci-slastiさんの主張について、否定や批判や反論は特にありませぬ。
 「意見」は出すことは可能だけど、それはublftboさん批判の先鋭化(さらなる吊し上げ)の形になっちゃうので、とりあえずはやめておきましょう。

 あと、強いて言い訳するなら、spiklenci-slasti さん感じた私の指摘における説明の足りなさは、「色々と内容を削っていたせい」と考えてくだされば幸い、ってとこかな(細かいところはublftboさんの反論があってからでいいや、と思っていたので)。

 なお、spiklenci-slastiさんのublftboさんに対する“本音”っぽいものが聞けた所がとても良かった。
 「当事者としての感想」はspiklenci-slastiさん(とrosechildさん)しか言えないんだよね。
 そういう情報こそ出していく方が“理解が深まる”のに、「ublftboさん評に対して第三者的な立ち位置で物申す」なんて、他の誰でもできるような範疇の事ばかりしようとしてたところが前回とても残念だったからさ。

 あとは
>Judgementさんがくださった返信については(「B面」もふくめ)わたしの
>前回のコメントに書かれてあったことを正当に読解、評価したものであると考えます。
 なんて言ってくれておりますが、読解・評価は、あくまで“私なりのもの”。
 一般化できるものではないし、するつもりもありませぬ。
 (とはいえ、自分として"不当”なコトを言っているつもりは無いけどね)


 spiklenci-slastiさん個人に対するコメントはこんなとこかな。

 今回のやりとりで考えた事も色々あるけど
 それはspiklenci-slastiさんに特定せずにそのうち書きたいデス。
by Judgement (2011-02-21 22:54) 

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