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興味深い試み~専門家、そして対話~ [他ブログいっちょかみ]

  『思索の海』のdlitさんが、筑波大学で「専門家と素人の対話」というセミナーを立ち上げたとのこと。この記事がアップされる頃には第1回のセミナーは終わっているわけだけど、継続的にやっていく、という事らしい。
 非常に(好意的な意味で)興味を持ったので、久々に筆を取ってミタ。

 dlitさんのブログによれば、「専門家と素人(非専門家)間における情報伝達およびコミュニケーションの問題について、主に人文社会学的な始点から考えていく、という事を目的にしています。」との事。

 雰囲気的には「ニセ科学批判」の延長にある活動かもしれませんが(これは勝手な憶測)、「ニセ科学批判」に懐疑的な私も、”人文社会学的な視点から考えていく”というトコロに興味津々。

 今年は『対話』をテーマにした記事を比較的多く書いたつもりの私としては、やはり「専門家と素人の対話」というタイトルを見ると、『対話』というキーワードに目が行くし、そこに期待を感じてしまう。

 できれば、今のオタク化した閉鎖的なニセ科学批判(...と言っちゃうとまた反感買うんだろうけど、私的にはそうとしか見えなくなってる)から脱却し、外部との対話を構築可能なものに改良するきっかけになって欲しい、などと考える私であった。

 まぁ、dlitさんがどういう意味合いで『対話』という言葉を選んだのかは実はまだ分からないけれど、「専門家と素人の対話」というタイトルに触発されて考えを書いてみる。


【難しさの原因】

 dlitさんは「専門家と素人の対話の難しさ(重要性)」とおっしゃっているけれど、実際の所「難しい」と考えておられるのは「情報伝達」、それも主に専門家から素人へのベクトルのものではないのかな。

 その問題は、「素人の知識不足」が原因だと言い出す方も出てくるかもしれないけれど、それは違う。
 だって、「素人」は「専門家」より知識が無いのはアタリマエなんだからね。
 それを言うならむしろ、「素人」よりも知識があるくせに、それを上手く示せない「専門家」の方の問題の方が大きいんじゃないかな。

 素人は「専門家が何を知っている」のか知らないケド、専門家も「素人が何を知らない」のか知らない。そんな状況で、「情報伝達」をしようとしても、上手く伝えられるわけないんだよね。

 じゃぁ、上手く「情報伝達」をするには何が必要か?
 それは相手がどこにいるか知る、と同時に、自分が相手にとってどこにいるか知る事。
 そして、それを把握しながら話を進めるのが『対話』だと思うんだ。


【対話は難しいのか】

 『対話』は難しいか、というと、私は難しくないと思う。
 というか、『対話』抜きで話を進めようとする方が、かえって難しいんじゃないかと。

 『対話』とは、自分の枠組みと相手の枠組みを合わせて、新たな枠組みを生み出そうとするようなもの、と私は把握している。

 おそらく、「『対話』は難しい」と思っている人のほとんどは、「自分の枠組み」をそのまま相手に押し付けようとして(つまり実は『対話』になっていない)かつ失敗してばかりいるからそう思っているんじゃないかな。
 んで、「自分の思い通り」にいかないから、「難しい」なんて判断しちゃう、みたいな。

 「自分は一生懸命やっているのに、相手は理解してくれない」ってボヤく人もいるけど、自分は相手を理解しないまま、勝手に一生懸命カラまわりしておいて、被害者ズラしてみせるような態度とるんだったら、確かに能力的な面で『対話』は難しいだろうな、と思う。


【対話能力は別腹】

 んで、「専門家と素人の対話」というテーマで一番見落としていけないと私が思う事

 『何かの「専門家」だからといって、「対話」の専門家では無い』

 対話能力というのは、個人の「対人スキル」に属するもので、その「対人スキル」は多種多様の人間や価値観に揉まれて磨かれるんだと思う。

 それについて、1つの領域に打ち込んできた「専門家」にとっては、ある意味不利な要因が多いんじゃないかなぁ。
 まぁ、「専門バカ」という言葉を一般化するつもりはないけれど、少なくとも「専門家は対話が上手い」と積極的に言える根拠は私は思いつかない。

 いや、別に「専門家」は対話ができない、と決め付けたいわけではなく、「専門家と素人の対話」を考えるなら、「専門家」も「専門知識の研鑽」とは別の事として「対話能力の研鑽」をしなくてはならない、と言いたいのだ。

 その意味で、私は「人文社会学的な視点」を取り入れようとするdlitさんの試みに期待を寄せているんだよね。


【専門家として...】

 専門家に対する要求ばかりだけど、別に「素人」の側に立った言い分じゃないからね。

 実は 私も(一応)専門家の看板かがげて生活の糧を得ている身(信じるも信じないも勝手だけど)。そんな中で、「専門家と素人の対話」みたいな事を日々考えている、つうか考えざるをえない状況にあったりするのだ。

 何せ、素人は大切なクライアント様。専門知識を振り回してふんぞりかえっていたら客はつかんので。

 んで、考えているのは、「専門家」というのが仕事である以上、その自分の専門領域に関して、「素人」の助けを得たり、手を煩わせたりするのは、自分の専門性を否定するようなあるまじきことなんじゃないかという事。
 
 モチロン、自分の「専門家」の地位を守るため、「素人」には無知でいて欲しい、なんては思ってはいない。むしろ、自分の専門分野の事を少しでも分かってもらった方がこっちの仕事はやりやすかったりする。

 で、どうやったら分かってもらえるか?
 それを考えると、専門的な枠組みの中で専門的な用語を使って自分の知識を披露するだけの「専門バカ」ではいけないと思うわけ。
 それと、先生が生徒にするように、一方的に一から教え込もうとするのも、相手がよほどのモチベーションを持っていない限り上手く行かない。

 そこで『対話』なわけですよ。
 「自分の枠組み」を押し付けるのではなく、「相手の枠組み」に「自分の枠組み」を溶け込ませる。
 そうすると、相手もスッと理解しやすい...んじゃないかな、と思っている。

 と、偉そうに言っているけど、自分はそれが上手くできてるなんては口が裂けても言えないけどね。
 でも、そのあたりはやっていく中で、経験を積んでクリアしていくべき事なんだろうと思ってる。

 何より、それをやろうとすると、嫌でも「自分の枠組み」って何なんだろう、って再考しなくちゃならないんだよね。すると、「なんでそうなのか」だけでなく、「なんでそうでなくてはいけないのか」を意識するようになって、そのおかげで自分の枠組みの中で、不足している所や矛盾している所が見つかったりもする。

 自分の枠組みの中であれこれ考えを巡らすよりも、『対話』を通して他人の枠組みと比較する方が、自分の考えというのがよく分かるんだよ、これが。

 だからこそ、素人との『対話』は専門家自身のためにもなると思う。


【最後に】

 これを言っちゃうとまた嫌われるんだろうけど...やっぱ言いたい。
 そして、『対話』という表現をあえて使ったdlitさんに考えて欲しい(強要はしないけど)

 現状の「ニセ科学批判」の大部分は、およそ『対話』とはかけ離れた状態だよね。
 まぁ、相手も『対話』する気が無さそうなのも悪いっちゃ悪いけど、同じぐらい批判側も『対話』する気が無いように見えるんだ。

 相手を見るんでなく、同じ側の人間やあるいは参考文献みたいなものにばかり目を向けている、「自分(達)の枠組み」だけが全て、そんな感じ。

 相手に対しては「あれを知らない、これを知らない」と自分の枠組みの中の知識を知らない事に不満を述べる一方で、自分の枠組みから外れる話をされると「文脈が違う」と拒絶する...そんな人も結構いません?

 「自分(達)の枠組み」の素晴らしさを仲間内で確認しあう事に執心し、「相手の枠組み」は鼻で笑うか、欠点をあげつらっておしまい...そんなじゃ『対話』は絶対ムリ。

 その挙句どうなっているでしょう。

 「ビリーバーの説得は諦め、予備軍がそっちいくのを阻止するのが目的」
 なんて言い出す人がちらほら出てきたよね。

 これって、「自分(達)の枠組み」をそのまま刷り込み易い人だけ対象にするって事だよ。
 まぁ、そうしたい人はそうすればいいだけの話ではあるけれど、そのような考えに落ち着いてしまおうとする人は『対話』は無理だと思うね。


 そう思うので、できればdlitさんには、「素人」という言葉が指す対象について、そういった都合のいい"中間層”だけでなく、真に『対話』が必要だと思われる『ビリーバーという形態の科学の素人』も含めて検討して欲しい。
 また、せっかく”人文社会学的な視点から考えていく”場なのだから、『対話』の必要性を考える中でこういったニセ科学批判内部の問題にも切り込んでも面白いと思う。


 ...というのは、あくまで私の欲求でしかなくて、私がやっていけばいい話だけどね。
 だから無視しても全然OK。

 でも、「ニセ科学」を批判しておきながら、自分の正当化のために規範だの何だと「ニセ社会学」や「ニセ倫理学」を振り回す門外漢の人に関しては、”人文社会学的な視点”を尊守するためにも、あえてバッサリやっちゃっておいた方がいいと思う...
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