議論好きの議論下手 [気になる人達]
前から思っているのだけど、議論、議論と口にする奴ほど、実は「議論が下手」な事が多い気がする。
(少なくとも「議論」に慣れ親しんでない日本では)
「議論をしようじゃないか」なんて恥ずかしいセリフを平気で言う奴は
大抵、「自分は正しいから議論しても勝つ」なんて思い込みがまずある。
それを確かめたい、ハクを付けたい、と思うから「議論」にこだわるんだよね。
じゃぁ、そんな人の「議論」とやらはどうなるか。
まず、前提から何から、自分で勝手に決めようとする。
それに異議を唱えられると、「常識」とか「普通」とか”何とでも言える事”を理由に
自分に都合の良い線引きを譲らない。
自分はバリバリ主観で語るのに
他人が意に沿わない事を言えば「それは主観だ」と言う。
自分が知っていて、相手が知らない事は「君はそんな事も知らないのか」。
自分が知らないで、相手が知っている事は「そんな事知らないで当然」。
相手の主張には微塵のデメリットも許さないのに
自分の主張のデメリットについては、これ位は仕方が無い、で済ます。
そんな風に相手だけに恣意的なハードルを課す。
しかし、残念な事に、上記のような事を平気で言えるほど考えが浅い人だから
そこまで足枷付けておいても、それでも不利になる事が多い。
すると、相手の主張には「詭弁だ」、「矛盾だ」と喚き、
その理由について、自分の方が詭弁的な理屈を弄する。
それを指摘されれば
「君がそうしたから私も真似したんだ」とわけのわからん事を言う。
あるいは何を言われても、その意見を否定するのではなく
「でも」、「だって」、「だけど」と話を戻し
自分の主張を正当化する都合の良い根拠だけを提示し続ける。
んで、結局は相手が呆れたところで勝利宣言を出すか
「私の意見の正しさが分からないような奴とは、そもそも議論なんて無駄だ」
と勝手な事を言い”相手のせいにして”打ち切る。
(もしくは「主観の相違」というフレーズを打ち切りの合図にする)
そんなもんだよ『議論好き』なんて。
その人と「議論」するつもりで付き合った人にはまずメリットが無いだろうね。
...それなりに「対話」ができる人同士が、相対的な意見の差異を埋めるためのプロセスが「議論」であり、『する』ものではなく『なる』ものじゃないかなぁ、と私は思う。
そういうプロセスが好き、という『議論好き』については、今回の話の対象外ね。
(少なくとも「議論」に慣れ親しんでない日本では)
「議論をしようじゃないか」なんて恥ずかしいセリフを平気で言う奴は
大抵、「自分は正しいから議論しても勝つ」なんて思い込みがまずある。
それを確かめたい、ハクを付けたい、と思うから「議論」にこだわるんだよね。
じゃぁ、そんな人の「議論」とやらはどうなるか。
まず、前提から何から、自分で勝手に決めようとする。
それに異議を唱えられると、「常識」とか「普通」とか”何とでも言える事”を理由に
自分に都合の良い線引きを譲らない。
自分はバリバリ主観で語るのに
他人が意に沿わない事を言えば「それは主観だ」と言う。
自分が知っていて、相手が知らない事は「君はそんな事も知らないのか」。
自分が知らないで、相手が知っている事は「そんな事知らないで当然」。
相手の主張には微塵のデメリットも許さないのに
自分の主張のデメリットについては、これ位は仕方が無い、で済ます。
そんな風に相手だけに恣意的なハードルを課す。
しかし、残念な事に、上記のような事を平気で言えるほど考えが浅い人だから
そこまで足枷付けておいても、それでも不利になる事が多い。
すると、相手の主張には「詭弁だ」、「矛盾だ」と喚き、
その理由について、自分の方が詭弁的な理屈を弄する。
それを指摘されれば
「君がそうしたから私も真似したんだ」とわけのわからん事を言う。
あるいは何を言われても、その意見を否定するのではなく
「でも」、「だって」、「だけど」と話を戻し
自分の主張を正当化する都合の良い根拠だけを提示し続ける。
んで、結局は相手が呆れたところで勝利宣言を出すか
「私の意見の正しさが分からないような奴とは、そもそも議論なんて無駄だ」
と勝手な事を言い”相手のせいにして”打ち切る。
(もしくは「主観の相違」というフレーズを打ち切りの合図にする)
そんなもんだよ『議論好き』なんて。
その人と「議論」するつもりで付き合った人にはまずメリットが無いだろうね。
...それなりに「対話」ができる人同士が、相対的な意見の差異を埋めるためのプロセスが「議論」であり、『する』ものではなく『なる』ものじゃないかなぁ、と私は思う。
そういうプロセスが好き、という『議論好き』については、今回の話の対象外ね。
ほら、「対話の社会」って窮屈でしょ。
by トンデモブラウ (2010-05-21 10:15)
対話をする人間性に達していない人達の話ですね。
または、相手を支配するためのやり方、ですよね。
実を言うと、私も家族と口げんかをする時には、上のような卑怯な戦法をとることあり。
「これって、口ゲンカのときの私のやり方じゃん」って笑っちゃった。
長年やっているので、いい加減、相手にもバレバレなんですが。
一応、家族とケンカしている最中、「私も相当こずるいなぁ」と自覚はしている。でも、歯止めが効かない。そのときは冷静さを失っていて、優位に立ちたい一心だから。
前のエントリーにもあったけど、対話をするには、感情的にならず、常にフラットな気持ちで、精神的にゼロの状態にいられることが必要ですよね。瞑想でもしているくらいの、ゼロの状態。
科学的思考を標榜しながら、感情的になって、興奮状態で、相手を(一見理路整然と)罵倒する。kikulogにはそういう例が、掃いて捨てるほどありますよね~。
で、そこまで興奮しているのを、相手の意見のせい、とのたまう。
自分と違う意見言われて、いちいち興奮していたら、対話は成り立たない。どちらが優位に立つかのケンカ、あるいは闘争になってしまう。数の多い方、声のでかい方に軍配が上がる。
もはや科学的でも懐疑主義でもなんでもない。
by cosi (2010-05-21 18:54)
【ト...トンデモブラウさん】
>ほら、「対話の社会」って窮屈でしょ。
「ほら」って言われても....
上の記事は「対話もできん奴が、『議論』する、なんて思うとこの始末だ」って話。
だからそれを言うなら「対話のできん奴」が窮屈にしているんだケド...
わざわざ”ちゃんとした対話の延長上で『議論』になる”のが好きなのは「今回の話の対象外」と断っているんだけどなぁ...。
ああ、ハイハイ、私の書き方が悪かったんだろうね(どこが悪いか聞く気もおこらんが)。
ねぇ、もうレッドゾーン振り切っていない?どうしたもんだか...。
自己正当化という欲求を無くせ、とは言わんけど、その強力な引力で生じている認識の歪みが、冗談や揶揄じゃなく、マジでABOFANクラスになりつつあるぜぃ。
by Judgement (2010-05-22 01:21)
【cosiさん】
>対話をする人間性に達していない人達の話ですね。
思わず「普通そう読みますよねぇ!」と言いたくなった。
馴れ合いはしたくないけどさ、さすがに上のトンデモブラウさんのコメントはそんな自制も吹っ飛ぶほど衝撃的すぎた。
>または、相手を支配するためのやり方、ですよね。
うむ、それはちょい違うかも。
だって、こんな人に付いて行こうとは思わんもん。
まぁ、「言いたいことだけ言って、聞きたくない事は聞かない」自分勝手を押し通すやり方。
>実を言うと、私も家族と口げんかをする時には、上のような卑怯な戦法をとることあり。
もそうでしょ?
こういうのは基本的に心の底に「相手に甘える気持ち」があってこそと思う。
「ずるい」と分かってても、家族相手だから、ある意味安心してできるんだね。
逆にそれは家族相手だから許されるんであって
いい年した大人に甘える気持ちを持たれても、気色悪いだけなんだな。
>自分と違う意見言われて、いちいち興奮していたら、対話は成り立たない。
てか、「違う意見」に対する免疫が無さすぎなんだよね。
実際は「違う意見」なんてゴロゴロあって当然なのにさ。
どこまで「自分絶対主義者」なんだよと、怖くすら思える。
>科学的でも懐疑主義でもなんでもない。
最近考えたんだけど
昔は「疑似科学を批判する人」って基本懐疑主義だったんだよね。
「疑似科学」だけでなく、「科学」にもちゃんと懐疑の目を向けていた(と思う)
でも、今の「ニセ科学批判」が懐疑主義かというとどうだろう。
本当の懐疑主義な人は、「ニセ科学」と「ニセ科学批判」の間で「ニセ科学」を懐疑しつつ、「ニセ科学批判」も懐疑する「ニセ科学批判批判」 に移行したんじゃなかろうか、と思う。
まぁ、「ニセ科学批判」側は自分らが批判されることがまず気に食わないから、「ニセ科学の片棒担ぎ」なんて短絡的な事しか考えられないようですがね。
by Judgement (2010-05-22 01:26)
そうか、「対話の社会」・・・ここの社会ってのは、社会の一部分なんだ。
「対話」できる能力のない人間は、ハブりますよという社会ね。(そういえばそんなこと言ってましたなぁ。)
なら納得だけど、それなら社会って言わずに、共同体とかコミューンとか言ってもらった方がよかった気がしますが。
本用に「対話の社会」を目指すなら、そういう人達の対策も必要なはずですが、議論に入れてもらえないんじゃその社会の構成員にはなれませんね。
やっぱ「空気を読む社会」が住みやすそうです。
by トンデモブラウ (2010-05-22 13:39)
『空気』を支配するには恫喝が最も効果的で手っ取り早い
by ssm (2010-05-25 21:49)
【トンデモブラウさん】
>「対話」できる能力のない人間は、ハブりますよという社会ね。
いや、そうじゃないです。現実には逆の現象が起きている。
実際は、「対話」できる能力のない人間が、言い換えると「対話」できるレベルにない精神的に未熟な人間の方が、でかい声でのさばるから、うるさくて仕方がない。
うるさいくらいで済めば、いい方なんだろうけれど。
現実にハブられてるのは、どちらかと言えば「対話」をしようとする人間の方。
いつの時代だってそうじゃないだろうか。だから、ソクラテスも殺されたんでしょう?
「空気を読む社会」が住みやすそう、なんて言ってるけど、ssmさんの言うとおり、それは「恫喝がまかりとおる社会」ってことじゃないだろうか。
by cosi (2010-05-26 22:02)