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やってない事に拘るよりも、やっている事を素直に言えば? [疑似科学批判批判批判批判]

 前記事『何故「科学を装ってる」事に拘るのだろう?』には、案の定というか、ある程度の反響がありましたが、色んなコメントをいただいて、説明不足と感じた事や、新たに思いついた事があったので、コメントへのレスの意味も含めて、またぐだぐだと「雑な」主張をしてみますよ。

【事実と価値観による評価】

 まずタカキさんは「ホメオパシーは科学的でないから、間違い」について、「間違いの指摘は単なる情報提供」とおっしゃりましたが、実はその時点で既に「価値感(観)」が含まれているんですね。

 何故なら、「科学的でない事を間違い」と言うには、「科学的である事が唯一正しい」事が前提となるケド、その前提が客観的に正しいかと言えばそうじゃない。だから、それが正しいという信念(主観)の上でなされている事になるよね。
 言うなれば、「ホメオパシーは科学的ではない」までが事実についての情報提供であり、「間違い」というのは価値観(主観的な基準)を元にした評価となるわけ。

>タカキさん
 そう捉えていただければ、「ホメオパシーは科学的でないから、間違い」を「科学教」的だと評した理由が分かっていただけるかと。

 で、『科学教』と呼ばれないためにワンクッション置けばこうなります。

 「ホメオパシーは、科学的ではないから“科学的である”と評価するのは間違い」

 つまり「ホメオパシーは科学的ではない」という事実により、「科学的である」という判断に対し「間違い」という客観的な評価(「科学教」的な信念があろうがなかろうが同じ判断)を下している事になるわけですね。

 多分、本来の「きくち教」が狙いたかったのは、この辺じゃないかな。
 つまり、“科学的である”と錯覚しているから広まるという仮説が正しいとすれば、それが錯覚だよ、という事を上手く示せれば蔓延が防げるし、「科学教」のそしりは避けれると。


【きくち教の欠点】

 ただ、「Judgement神」が「きくち神の教え」の穴を指摘したい。

 「科学を装っている」と判断する基準が明確でないと、『ニセ科学』との認定もできないはずだし、「“科学的である”と評価するのは間違い」と言う判断も空を切る。

 しかし、実情はといえば、「きくち神」自身捉えきれないはずの『普通程度の科学的知識を持つ「一般市民」』というものを判断基準にしてしまっている、これが第一の問題点。

 そして、そのような判断基準を持ち出しながら、その判断基準に当てはまるか否かを検討した形跡無く、幾つかの理論を『ニセ科学』と認定している、これが第二の問題点。

 上記の現状を見る限り、『科学を装っているか否か』に関係なく『科学を装っている』と言っているわけですから、「科学を装っている」から「ニセ科学」として批判しているのではなく、批判したいから「科学を装っている」ようにこじつけて「ニセ科学」と呼んでいるんじゃないの?というそしりは受けてしかるべき。
 また、そんなんであれば『科学を装っていない』という判断も適切に下せていないはずですから、「宗教は科学を装っていないから対象外」と口では言っても、実際は「科学を装っていない」から除外しているんではなく、何か他の「大人の事情」で除外してみせているだけでしょ、と勘ぐられても反論はできない。

...というのが先の二つの問題点の結果としての『教義の欠点』。

 で、信者達はそれを疑いもせず、教祖が『ニセ科学』と呼ぶものは「科学を装っている」としていいんだと盲信し、判断基準なんてものは形骸化し、「科学を装っているものを批判する」のではなく、教祖が示すものを批判し非難すれば良い、ってな具合になってしまっている感じ。

これが「きくち教」全体の欠点。

>トンデモブラウさん
どう?これでも経典の読み方が足りないかしらん
Judgement教は今なら特別入会金無料、年会費(120万円)は12回の分割支払い可能よん。


【素直に言えばいいのに】

 で、問題提起すると答えも要求する人がいるようなので、一応私なりの答えを書く。

 素直に「ニセ科学の認定は私の主観で判断」って言えばいいんじゃね?

 それこそbandicootさんが表現したように
 「(自分が)科学者として(科学で)切っておくべきだと考えたモノが『ニセ科学』だ」
 と言えばいい。

 なのに、『普通程度の科学的知識を持つ「一般市民」』なんて“自分で確かめてもいない”事を主語にして、風呂敷広げちゃっているからおかしな感じになるんだよね。
 勝手に風呂敷広げておいて、やれ「グレーゾーン問題」だ「優先順位問題」だと風呂敷広げた故の問題点を自ら指摘して見せ、さも「それは了解してますよ、問題視してますよ」と言う態度を取ってはいても、結局のところ「悩ましい」で判断が止まっちゃっているよね。
 『悩んでいるふりさえしていれば、言っている事と違う事をやっても良い』という訳ではないんだから、あれは問題だの、これも問題だの、酢だのコンニャクだの言ってないで、正直に「とりあえず私の主観で判断しています」と言えばいいし、その方が分かりやすいんじゃないのかな。

>bandicootさん。
 別に、私は「科学で切るな」とは言っていないわけで、「切る」のはむしろ大歓迎なのよ。
 ただ、「切る」理由の部分で、実際にやってもいない御託を並べるのが問題。
 「それって“ウソついている”事や、“そうで無いのにそうであるように装っている”事になるよね。で、皆さんは『ニセ科学』を何て批判しているんだっけ?」
 ...と、こんな遠回しの嫌味も言いたくはなるわけ。


【支障ない人、ある人】

 ニセ科学批判をしていた人にとって私のような批評は憎たらしいと感じると思うだろうけど、
「でも確かに、“科学を装っている”かどうかについて、実際自分は主観でしか判断してこなかったんだし、正直にそう言うのが本筋だろう。」
 とは思える人もいるかもしれない。

 そんな人のために言えば、別に「とりあえず私の主観で判断しています」と言ったところで何も問題はないんじゃない?

 結局は、「科学的だ」と勘違いしている人がターゲットなわけでしょ。
 だとすれば、『科学を装っているとすれば間違いだ』というメッセージでも十分であり、「科学を装っているか否か」は別に拘る必要は無いと思う。
 『これがもしも科学的に見えているならそれは違いますよ』と言うのに、その「これ」の選択基準が主観か客観かは大して関係無いよね。
 実際に、そのようなスタンスでやっている人もいるかもしれない。


 ただ、それを受け入れる事は非常にマズい人達もいるだろうね。
 それが「インチキ商売絡みから流れてきたヤカラ(byトンデモブラウさん)」かな。

 先に「ホメオパシーは、科学的ではないから“科学的である”と評価するのは間違い」というのは“客観的な評価”と言ったけど、この『間違い』を「ウソ」と読み替え、『「ウソはいけない」は社会規範』という事が“正しい” といった価値観(主観的な基準)により、『ニセ科学』を悪と呼ぼうとしている人ね。
 それこそ、タカキさんの言うように『「ウソを吐いている」とか「悪い」を云った価値感を与えることで自分の意図する方向に導きや易くしてる』感じ。

 そんな人達の場合、今まで『科学を装っている』のが”事実”という前提の上で自己を正当化したり相手を罵倒たりしていたのだから、今更「実は『科学を装っている』という事は私の勝手な決め付けでした」とは言えんだろうなぁ。

 でも、そこまでやっちゃった人がどうすべきか、なんて答えは持ち合わせていない。

 というか、そもそも『「ウソをついてはいけない」は社会規範』等といった「価値基準」についても、その社会規範とやらの設定の妥当性について満足に説明できないくせに、「これを受け入れられない奴とは話にならん」とキレちゃったりしてさ。
 自分の信念が肯定される事を前提にした話しかできないくせに、偉そうに物事を評価してみせる点で、既に手の施しようが無い領域に行っちゃってたわけだけどね(そんなの某Aクンとなんら変わりない態度だよ…)。


【独りよがり】

 で、最後にnaokoさんのコメントから思いついたんだけど
 「独りよがり」かどうか、って自分を客観的に見れなきゃ分からないわけ。
 でも、それってできているかといえば、多分できていない。
 それは、ニセ科学批判批判への態度でそう感じる。
 メタだ現場だと、自分に都合の良い事を言って、逃げ道を探す事に終始している感じ
 
 評価するのは好きだけど、評価されるのは嫌いなんだろうね。
 もっと正確に言えば「自分の思い描く自分像」を基準にした評価でないと受け入れたくない。
 あるいは、自分が自分に下す評価のみが正しいと信じている。
 
 「周囲からどう見えるか」よりも「自分はどんなつもりでやっているか」の方が事実だと考えているんじゃないかなぁ、なんて思ってみたり。

 でも、『科学を装っている』という事については「自分にはどう見えるか」を基準に問答無用で判断しているんだからさ、自分達に対し「どう見えるか」という批判をされた時、「そんなつもりじゃない」的な言い訳はすべきでは無いよね。

 まぁ、「自分達が周囲にどう見えるか」なんてお構い無しに、信じるべき事を遂行する、ってのもアリよ。
 それは個人の自由。
 だけど、そんな人が「ホメオパシーが周囲にどう見えるか(科学を装って見えるか)」こそを問題にするのは、なんかダブルスタンダート。

>naokoさん
 活動が「独りよがり」である事よりも、自分の「独りよがり」は許しても、他人の「独りよがり」は許さん、というメタな「独りよがり」の方が問題かもしれませんね。
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トンデモブラウ

憎たらしいとは感じませんが、面倒臭い人だなぁ・・・と。
Judgementさんの指摘した欠点は、きくち先生の主張のものですね。
その欠点を補ったのが、私のきくち教ですがな。

きくち先生の社会的に波風を立てないようにオブラードで包んだ言い回しも、『普通程度の科学的知識を持つ「一般市民」』→『科学とオカルトの区別がつかない愚民ども』→『神以外の人間』、となります。

次に判断基準は明確。
つまり、『神の主観』が基準。
神の基準なので揺らぎゼロ。
当然ニセ科学の主張ですが、宗教なので科学の基準は次元が違うわけ。
素晴らしい、形而上的世界。

ホメオパシーなんかは、ほぼ完全なニセ科学なので、科学をもってたたっ斬れば入り口で逡巡してる人は入り込まないで済むかもしれないし。
その他のインチキ関連もニセ科学として引っ張り出して一刀両断。
そんな無茶な、という向きには外部の意見を一方的に無視するほど閉鎖的なきくち教ではないので、ファンダメンタリズムに突き進もうとすれば私が阻止しましょう。
きくち先生の神格的パーソナリティに100%依存ですが、まぁ宗教なんてそんなもんだしね。

宗教ってステキ。
なんでもアリ。(・・・あれれっ?)
Judgementさんもお気楽に門扉を叩くがよろし。
by トンデモブラウ (2009-12-03 08:44) 

PseuDoctor

こんばんは。

今回も遠慮しないで書きますから、先に謝っときます。
ごめんね。
文体も変えちゃいます。

>素直に「ニセ科学の認定は私の主観で判断」って言えばいいんじゃね?
うん、私も昔はそうやってましたよ。20年近く前だったかな。今は亡きNIFTY-Serveの片隅でね。
でもさ、何人かの人がそうやりだしたら、一体何が起きると思う?
「これは私の判断ではニセ科学だ」「いや、私の判断ではニセ科学ではない」なんていう議論が起きるのは必定よね。起きなかったらおかしい。
で、そういう議論が重ねられてくうちに、議論している人達(私は参加してないけど)の間で「このくらいならニセ科学と判定していいだろう」っていう共通認識が得られてきたんでしょ?それが現在の状態。

Judgementさんの言い分だと、それを全部巻き戻せって事になっちゃうのよ。
それだとまるで、周回遅れの人が先頭集団に向かって「お前らもこっちに来い」って言ってるみたいに見えちゃう。

いや、何となく気持ちは解るような気もするんですよ。
ニセ科学を定義する事自体に権威主義的な匂いを嗅ぎ取って嫌悪感を感じてるのかもしれないし、それに盲従してる(ように見える)人達にもイラつくんでしょう。
そういう気持ちだったら、理解出来ない事も無い。
要するに「てめえのケツはてめえで拭け」「自分の頭で考えろ」って事かな?

でも、いかにも議論の筋が悪い。そんなんじゃあ、密かにJudgementさんに好意を寄せている(笑)私ですら納得できないよ。
もっと頑張りなさいよねっ!(ツン)
一応、期待してるんだからぁ(デレ)
by PseuDoctor (2009-12-03 23:42) 

naoko

>科学的であることが唯一正しいという主観を持つ

という点で、一致点を見出せる人たちが、ニセ科学批判に違和感を感じないでいられるというのは的を得た指摘だと思います。
‘科学的でなくても正しい’という主観を容易に排斥できますから。
たとえ、その危険性をニセ科学批判者同士で話し合っても、基本的な立場が同じでは、あまり実り有る対策は生まれないでしょう。

それが、「自分の独りよがりを許せても、他人の独りよがりを許せない」とjudgementさんが表現した状況を生み出す危険性は大ですね。

一方では、‘科学的でなくとも正しい’という主観の最たるものは宗教・信仰な訳ですが、そこに殴りこまないのは、やはり当人達の関心が薄いのでしょうか。
「科学が好き」という志向はぜんぜん悪いことじゃないけど、自分の趣向と価値観とを混同してしまうとしたら、それは少々‘子どもっぽい’と。少なくとも、傍からは、そんなふうに見えてしまう危惧はあるでしょうね。
by naoko (2009-12-04 01:46) 

ウォトカで動くロボ

>科学的であることが唯一正しいという主観を持つ

ニセ科学を批判すると言う事は
「科学的ではないものを科学的だと偽る」ものや
「科学的に間違っていることを科学的に正しいことだと偽る」ものを批判するということです。

ニセ科学を批判する人たちが『「科学的だから正しい」「科学的でないから間違い」と考えている』というのは科学とニセ科学の概念を誤解しているとしか思えません。

例えば、私はニセ科学を常日頃から批判しておりますが同時にキリスト教徒でもあります。
「科学的でなくとも正しい」という概念は尊重されるべきだと考えているし、その概念の是非は科学以外の物差しで計るべきだと思っています。
私は統一教会やエホバの証人などのカルトに対する批判も行ってきましたが、それはこれらのカルトが「科学的ではない」から批判しているわけではありません。
教義が危険であったり、悪徳商法などの反社会的な活動を行っているから批判しているのです。
by ウォトカで動くロボ (2009-12-04 12:09) 

naoko

キリスト教原理主義国家が、やられたらやり返せ!を標榜するように、世の中は矛盾に満ちたものですから。
by naoko (2009-12-04 13:28) 

MORIX

はじめまして。
こういうところにコメントするのもほとんど初めてなのですが、大変有意義な議論だと思い、拝読させていただきました。そしてみなさんのご意見にひとこと(長文となりますが)言いたくなってしまったので、慣れない場に、投稿させていただきます。

私は皆さんのおっしゃるところの「ニセ科学批判」、つまりホメオパシーにも水伝にもアンチの考えを持つ者ですが、judgementさんとも、「きくち教」という方たちとの考えとも、微妙に違うスタンスにいるようです。翻って、「judgement教」とも「きくち教」とも意見を共にする点もあると思うのですが……。

1.ニセ科学批判に求められる姿勢
まずjudgementさんのおっしゃる
>「ホメオパシーは、科学的ではないから“科学的である”と評価するのは間違い」
という言葉には全面的に賛同します。「ニセ科学批判」はそれだけを言っていれば良いのです。科学的ではないことだけを批判していれば良いのです。ところがどんな議論の場でも、相手の人格を否定するような感情論が噴出しているのが現状ですね。そしていつも泥沼戦に縺れ込む。これは、本来「教」とは一番遠くにいるはずの科学を「科学教」に貶めてしまっている要因です。科学的態度とはskepticが身上なのですから、「きくち教」という言葉自体、間違いです(皆さんはお遊びで使っている言葉のようですが、慎重な議論の場では誤解の元となります)。

同時に、judgementさんが問題とされている「本音を言えばいいのに」「素直に言えば良いのに」「独りよがり」などという言葉も、科学からすればどうでも良いことです。いかなる科学論文においても、その科学者の「主観」は問題視されませんし、たとえそれが反証実験だとしても、その人の「本心」などは議論の俎上にもあがりません。私がここで言うまでもなく皆さんご存知のように、「主観」を徹底的に排除するのが科学だからです。

総じると、judgementさんに「本心は違うでしょ?」という反感を抱かせてしまったとすれば、それは「きくち教」の人たちの言動が感情論に走ってしまった所為です。しかしそれを「裸の王様だ!」と人格を否定するようなかたちで批判しているjudgementさんも、同じ陥穽におちているようです。


2.「ニセ科学」の判定
わたしは「きくち教」の教典とされる「ニセ科学入門」も未読なのですが、judgementさんのおっしゃるとおり、
>『普通程度の科学的知識を持つ「一般市民」』というものを判断基準にしてしまっている、これが第一の問題点。
だとするならば、それは確かに問題ですね。またjudgementさんに全面的に賛成です。高度な教育課程を修了したはずの科学者や医師も、多くニセ科学に嵌っているのが現状ですから、「科学とオカルトの区別がつかない愚民ども」というトンデモブラウさんの判定基準も不適当です。ましてや「主観による判定」もjudgementさんのおっしゃる通り間違い。さらにPseuDoctorさんの「20年来の議論」や「共通認識」で判定しても、PseuDoctorさん自身がおっしゃっているとおり「権威主義」となってしまいますから、科学にふさわしくありません。

私から提案させていただければ、純粋に「科学的事実に反する科学用語を弄する」団体を「ニセ科学」団体と判定するだけで良いのではありませんか? 主観を排除した「客観的指標」に耐えうる判定こそが、真に「科学的態度」と成り得るのです。

例えばで言うと、「キリスト教」は「ニセ科学」ではありません。「宗教」です。ですが、キリスト教が科学用語を用いてID論などを説き始めれば、それは「ニセ科学批判」の対象となるのです。


3. 「科学」と「宗教」と「カルト(セクト)」を混同しない。
まずホメオパシーも水伝もしばしば「新興宗教」であるように扱われますが、はっきりさせなければならないのは両者とも「宗教」ではないことです。「ニセ科学」です。両者とも神や教祖を設定しておらず(教祖のような人はいますが)、「波動」のようなニセ科学用語でその機序を説明しているからです。さらに発展して、では「カルト」であるかと問われれば、その答はYesでしょう。アラン・ジュスト報告書の定めたカルト(セクト)の条件「全体主義的性格」「反社会的言説」「公的秩序の攪乱」「訴訟の多さ」「従来の経済回路からの逸脱」「子どもの囲い込み」「法外な金銭要求」などに複数あてはまるからです。

次に、オウムのようなカルトはどうかというと、逆に「ニセ科学」ではありません。反社会的で実害のある「宗教」ではあっても、「ニセ科学」ではありません。空中浮遊などの科学的事実に反することを利用していても、それを「神」とか「教祖の神通力」などで説明しているかぎり「宗教」です。同様にキリスト教、仏教、イスラム教も「ニセ科学批判」の対象とはなりません。上記でウォトカで動くロボさんがおっしゃっている通り、もしそれらが何か反社会的活動を行っても、それを批判、弾劾、制裁するのは法律、政治、倫理などの分野であるべきです。もちろん「神」そのものの概念も、科学的事実とは多く反します。が、それはコペルニクスの古くから存在する議論です。いくら天動説を批判しても、それは「ニセ科学批判」とは呼ばれません。「宗教裁判」とか「宗教論争」と呼ばれるものです。ですからjudgementさんが「宗教は大人の事情で叩けないだけじゃないのかな」とおっしゃるのは不当な批評です。「大人の事情」からではなく「ニセ科学ではないから」叩かないのです。単なるカテゴリーの違いです。そしてその別のカテゴリーの方では、科学vs宗教の論争もしっかりと連綿として続けられています。

最後に科学はと云えば、「科学」は信仰すべき対象ではありません。常に疑うべき対象です。過去にすでに証明された個々の「事実」や「公理」や「定理」であっても、skepticismの批判に曝され続けなくてはなくてはなりません。そして新たな事実が証明されれば、そちらに場をゆずる。頑に信じたりしないのが科学的態度なのです。皆さんが「きくち教」「judgement教」と分派するのはナンセンスです。みなさん素晴らしい論客であり、知識をお持ちなのですから、非常にもったいなく感じます。内部分裂するのではなく、その才能をより有意義な方向に生かして頂きたい。


4.「ニセ科学批判」の有効度について。
では「ニセ科学批判」は効果があるのかと問われると、私は十分に有意義だと考えています。もちろん以前メカさんが懸念されていたように「いくらやってもニセ科学を根絶できないではないか」と言われると、まったくその通りです。メカさんは正しい。根絶するどころか一人のホメオパスを説得することさえ、ほぼ不可能でしょう。メカさんの指摘の通り、彼らがニセ科学に陥る動機は、科学的整合性よりも、心理的、社会的要因が強いからです。カルトを改心させるためには、理論ではなく、彼らの孤独感や虚無感や逆に優越感に訴えなくてはなりません。ネット上の理論ではなく、献身的で直裁的な働きかけが必要となります。

しかし、我々がここで「ニセ科学批判」を声高に訴えることでも、まだカルトの浅い段階にいる人を説得したり、蔓延を防ぐことは可能です。皆さんがすでにご指摘されていることですが、新たに嵌る人の予防線には成り得ます。皆さん家庭も仕事もおありでしょうし、時間や金銭を犠牲にしてまでホメオパシー団体と対峙することは不可能でしょう。しかしネット上のやりとりだけで、一人でも躊躇させられれば、それは対費用効果としては大きい。十分に有意義な行為です。

ただしその際には、感情的な言説も、煽動的な議論も不要です。そして皆さんがどのような「本心」や背景を持って「ニセ科学批判」をしているのかも問題ではありません。問題になるのは、科学的知見から「正」なのか「誤」なのかだけです。客観的に「真」なのか「偽」なのかだけです。居丈高な態度や人格攻撃などは、科学から最も遠くに位置するものです。第三者には、ネガティブな印象しか与えず、逆効果となるだけです。皆さん、もう少し歩み寄られたらいかがでしょうか。
by MORIX (2009-12-04 18:24) 

PseuDoctor

>MORIXさん

はじめまして。
仰る事には、概ね同意します。ただ、
>私から提案させていただければ、純粋に「科学的事実に反する科学用語を弄する」団体を「ニセ科学」団体と判定するだけで良いのではありませんか?
まさしく、そうした立ち位置からニセ科学批判はスタートしたのだと理解しています。
でも、それだけでは済まない状態になっている、というのが現在の私の認識です。
とは言え、MORIXさんの言葉を「原点に帰れ」という意味に解釈するならば、傾聴に値するご意見だとも思います。

>内部分裂するのではなく、その才能をより有意義な方向に生かして頂きたい。
>皆さん、もう少し歩み寄られたらいかがでしょうか。
申し訳ありません、喧嘩している様に見えてしまったでしょうか。少なくとも私は、分裂したり対立したりしているつもりはありません。MORIXさんはメカさんを引き合いに出されたくらいですから、
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-09-04-1
もお読みになっているでしょうか。そこのコメント欄でも私は「分裂とも対立とも思わない」と述べています。
これは推測ですが、おそらくJudgementさんも、感情的な対立は起こしたくないと思っておられるのではないかと想像します。
ただ、MORIXさんの目にはそのように見えてしまった、という点は心しておくべきでしょうね。
by PseuDoctor (2009-12-05 00:56) 

タカキ

なんかえらく話が進んでる><

スミマセン。
> 「ホメオパシーは科学的でないから、間違い」

> 「ホメオパシーは、科学的ではないから“科学的である”と評価するのは間違い」
こういう意味で読んでました。
Judgementさんの意図通り正しく読むと、「ホメオパシーは科学的でないから、間違い」も「ホメオパシーは、科学で無いのに科学を装っているから嘘つきだ」も私にとっちゃ同じ。価値観の誘導(極論押し付け)。

# だからああいう風に読んじゃったんだ、と言い訳してみる。

by タカキ (2009-12-05 01:28) 

Judgement

さて、こちらも返事書いておこう。

【トンデモブラウさん】
>憎たらしいとは感じませんが、面倒臭い人だなぁ・・・と。
ニセ科学批判の皆さんもそんな感じなんだろうなぁ。
ゴタゴタ考えるのが面倒くさいから、「メタはダメ(←あ、回文)」とか「現場の話」とか「文脈が違う」とか言って心の窓を閉じてる気がする(科学哲学もお嫌いみたいだしね)。
というか、知識をひけらかすのは得意だけど、そういう面倒くさい事を考えるのは苦手なのカモ。でも、言われっぱなしは腹に据えかねるからといって、ろれつの回らない正当化を押し付けようとする所が始末に負えないわん、なんて思ってみたり。
トンデモブラウさんぐらいあっけらかんと率直に言えれば、まだ対話しようがあるんだけどね。

あ、きくち教とは、きくち神を崇めるトンデモブラウさんが教祖の宗教なんですね。
確かに宗教はいいですねぇ。
何故それをするか、なんてややこしい事考えなくていいし、優越感も与えてくれるし。
けど、うさんくさい教祖がやってる宗教の門扉を叩く気はありません(きっぱり)。

【naokoさん】
>>科学的であることが唯一正しいという主観を持つ
>という点で、一致点を見出せる人たちが、ニセ科学批判に違和感を感じないでいられる
>というのは的を得た指摘だと思います。
ありゃ、そんな事までいってないよ~。これは「科学教」のお話。

>‘科学的でなくても正しい’という主観を容易に排斥できますから。
これが排斥できないのが「科学教」のアキレス腱である事は分かっているみたいで
だから一応、「ニセ科学批判者」は「科学教」に対し眉を潜めるフリはするみたい。

宗教・信仰に関しては「当人達の関心が薄い」というか、
自分が深く信じているから、ジレンマに陥らないために、
あるいは、敵を多くしすぎないため、
って私は邪推してますけどね。

>自分の趣向と価値観とを混同してしまうとしたら
私としては、価値観と事実の混同、あるいは価値観による事実の拡大解釈
あたりが問題かなぁ、と。
まぁ、所詮「傍からは」的な話で、実際当人はどう考えているかは分かりませんが
ただ、ニセ科学批判が社会的な働きかけを想定するならば
「傍から」視線を意識しないとダメですよねぇ。

【ウォトカで動くロボさん】
おや、kikulogでお見かけするお名前。ここは初めまして?

>ニセ科学を批判する人たちが『「科学的だから正しい」「科学的でないから間違い」と考えている』というのは科学とニセ科学の概念を誤解しているとしか思えません。

あ、私はそうは言ってないからね。
ただ、じゃぁ実際の批判が、その「ニセ科学の概念」とやらをキチンと尊重しているのか、あるいは概念そのものが尊重可能な形になっているのか、というのがここ最近のテーマ。
もしかしたら、概念としては誤解かもしれませんが、実態としては正解かもしれませんよ。

>「科学的でなくとも正しい」という概念は尊重されるべきだと考えているし、
>その概念の是非は科学以外の物差しで計るべきだと思っています。

うん、だけどどんな場合に「科学の物差しで計るべきか」ってところがハッキリ決められてないから、「尊重すべき」がどこからなのか不明確。それじゃ、そんなの口だけでそれこそ「自分が信じているものだから批判しないだけじゃないのか」と捉えられてしまう。
例えば、「私はキリスト教にも科学を装っていると思う」という人が出た時、「科学を装っている」と判断された以上は批判するのか、それとも「宗教はダメって言ったじゃん」という自分達のルールであるというだけの根拠で批判しないのか、どっちなんでしょう。
前者だとすると「宗教を除外する」ルールは形だけって事だし、後者だとすると結局批判者は自分の都合で主張を変えるんだ、って事になる。ジレンマよね。

あと、まぁ正直なんだろうけど、最後の一文はどうなんだろ。
『「科学的でなくとも正しい」という概念は尊重される』とかいっちゃって、所詮自分の宗教を守るための方便で、他の宗教には認めないのね、って見られるよ。
まぁ、チョイスを見れば気持ちは分かるけどさ、相手がどうあれ「宗教」に踏み込んでいる以上、『「科学的でなくとも正しい」という概念は尊重される』なんて奇麗事を言ってはイケマセン(批判をやるな、と言っているわけではありませんからね)。
naokoさんが突っ込んだように、「キリスト教」だって危険とは言えないわけだし、線引きがかなりナイーブな話題であり、正直「信仰者」の方は特に慎重な言及が必要だと私は思いますよ。

【MORIX さん】
初めまして、なのに気合入ってますね。
まぁ、一つ一つ返事を書くのはさすがに手間なので、申し訳ないけどかいつまんで。
あ、でも長文投稿は大歓迎ですからね。

まず、思ったのは「ニセ科学批判」と私judgementを同列に扱うのはいかがなものかと。
あちらは、なんだか社会を背負っているかのような物言いをする「集団」、こちらは自分のできる範囲しかしないし、したくない「個人」ですよ。
スケールが違うんです、スケールが(身の丈に合っているかは別として)。
で、私は個人経営なんで、まぁ色々と自覚するのは簡単なんですね。
「同じ陥穽におちている」と言いますが、私はその責任を私が取ればよいし、取っても良いと思っているからあえてやっている節がある。
でも、あちらさんは社会なんてものを背負っちゃっているから、責任の大きさなんて、私の比じゃないんですよ。すごいですね。
それぐらい違うんだから「歩み寄る」なんて有り得ない。特に向う側にとってね。

あと、私とMORIX さんの認識の違いについて。
MORIX さんは「ニセ科学批判」を「純粋に科学の範疇」で行うべきだとお考えのようですが、私は違うと思っている。
まぁ、「ニセ科学の否定(科学と言っているがそうではない)」は、確かに『科学』により行うべきだ、そこは同じ。
でも、じゃぁそれが目的かというと「ニセ科学の蔓延防止」が本来の目的(とは言っている)のだから、そのためには「主観」渦巻く『社会』と接点を持たなくてはいけない。
となると、単なる『科学バカ』ではダメで、『社会を認識』する能力も必要となる。

ただし、その際も「科学」でなくても、「客観」は必要。
社会を客観的に見る力、そして自分達の活動を客観的に見る力とかね。
その辺が粗雑な部分が不満。
というか、そこらへんこそが私は面白い所なんだけどね。

別の記事で書きましたが
>新たに嵌る人の予防線には成り得ます。
>しかしネット上のやりとりだけ で、一人でも躊躇させられれば、
こんな効果が期待できるのは、上記の視点を持ってこそだと思いますし。

まぁ、もう少し熟読して、自分の糧としたいと思います。
でも、MORIX さんの期待と私の思惑は違うようなので、このキャラは続けますが。


...おっと、投稿しようと思ったらコメント増えてる。
でももう寝ます。また来週(以降)~
by Judgement (2009-12-05 01:33) 

Judgement

【PseuDoctorさん】
>これは推測ですが、おそらくJudgementさんも、感情的な対立は起こしたくない
>と思っておられるのではないかと想像します。
まぁ、私自身は自分の感情を対立させようとは思ってませぬ。それは御明察。
ただ、相手が「感情的な対立」感を起こさない事を望んでいるかというと、どうみてもそうでは無かったりするわけですよね。
何ででしょうねぇ、まったく。
まぁ、「性格悪い」から、って思っていただいて結構。大歓迎。


【タカキ さん】
指摘したあたりは、ややこしいっちゃ、ややこしくて、一応当人としては区別つくように説明しているつもりなんだけど、どうも混同している感の発言をしている人が多いみたいだから、まだまだだなぁと反省してみたり。
まぁ、そのうち補足する為の記事でも書きます。

でもね、言わせてもらえば、普段意図的にそれを区別して考えている人なら分かるんじゃないの?もしかして、皆さん区別していないとか...と責任押し付けてみたり...。
by Judgement (2009-12-07 23:47) 

PseuDoctor

こんばんは。

>ただ、相手が「感情的な対立」感を起こさない事を望んでいるかというと、どうみてもそうでは無かったりするわけですよね。
>何ででしょうねぇ、まったく。
>まぁ、「性格悪い」から、って思っていただいて結構。大歓迎。
別コメントでは「性格悪いは褒め言葉」なんて書いたけど、むしろ私はトンデモブラウさんの仰る様に「面倒くさい性格」で「ややこしい性格」だと思ってますよ。

本当に「性格悪い」っていうのは、それこそ某Aクンみたいな人の事でしょう。
彼は「議論っぽい何か」が継続している事を偽装する為に相手の反応を引き出す目的で、敢えて相手の感情を逆撫でしたりする場合があります。そういうのは「性格悪い」と思う。
でも、Judgementさんは違うと思うのよね。相手に「感情的な対立」感を起こす事で、自省的になって欲しいと言うか、そういう意図が隠れてる様に感じるのね、半分は。
で、残り半分は、自分が気持ち良くなる為。て言うか、言い換えれば「自分の心を守る為」かな。

まあ、そんな事はどうでもいいや。
「どうでもいい」っていうのは、わざわざJudgementさんがコメントする必要は無い、という意味ですよ。大体どういうコメントを返してくるか予想出来るので。
もし、私の予想を裏切るコメントなら、個人的には読んでみたいですが、Judgementさんの目的の為には書かない方が良いと思います。

あと、MORIXさん宛てのコメントに横入りするけれど
>あちらは、なんだか社会を背負っているかのような物言いをする「集団」、こちらは自分のできる範囲しかしないし、したくない「個人」ですよ。
だからぁ、そういう言い方で対立を煽るのは止めなさいって。
みんな「個人」なんですよ。
前にも「ニセ科学批判『軍団』にすれば?」なんていう滅茶苦茶な提案をしてたけど、何とかして無理やり批判者側を一括りにしようとしてない?

まあ、本当は「個人が個人的な動機でやってるって言うのなら、社会を背負ってる様な物言いをするな」的な事を言いたいんでしょうケド。
by PseuDoctor (2009-12-08 23:07) 

Judgement

【PseuDoctorさん】

>本当に「性格悪い」っていうのは、それこそ某Aクンみたいな人の事でしょう。
ブブッー!!彼は「性格悪い」んじゃなくて、「頭悪い」だけよ。
うふん

>彼は「議論っぽい何か」が継続している事を偽装する為に相手の反応を引き出す目的で、
>敢えて相手の感情を逆撫でしたりする場合があります。そういうのは「性格悪い」と思う。

甘いなぁ。
彼の行為を「わざと」と感じる原因は、彼の行為にあるんじゃなくて「彼がわざとやっている」と思いたいPseuDoctorさんの心の中にあるんだと思うよ。うふん

意地悪い見方をすれば、同じ事を「わざと」やろうとしてしまう自分の姿の投影かもよ。 ほら、PseuDoctorさんも最近同じような事を「あえて」やらかしちゃってるでしょ。あはん

私が今まで見た上での結論として、彼の行為の殆どは「人間が知らず知らずのうちに陥る普遍的な思考のショート」で説明可能。普遍的だから、あえて「わざと」という仮定を用いる必要は感じないんだよね。

>大体どういうコメントを返してくるか予想出来るので。
おやおや、私は予想できて、かつそれをして欲しくない時は色々伏線張ったりして「予想どおりの反応」を封じようとしたりするけど、PseuDoctorさんは、特に伏線無しで「予想出来る」とだけ言ってはおくのね。
確かにそれは、何言われても「予想どおり」と言える、最強の「先言い訳」だわん。うふん

で、半分は当たりね。自分が気持ち良くなる為の方
でも、言い換えの「自分の心を守る為」は、意味的には似たようだけどちょっとだけ違う。
「自分の心をイラつかせるアホな言動を排除するため」、これ答え。あはん
「自省的になって欲しい」かぁ...「そろそろ自省的にならんとダメだろ」だったら1/4。
耳を傾けるか否かは当人次第だし、別に「なって欲しい」とお願いする立場には無いし、する気も無い。
まぁ自省的にならんなら最初の半分のタメのエサになってもらうだけ。うふん
ダメな奴が消えて、良い奴が残ればいいって感じかな。あはん
あと1/4は、う~ん、なんだろうね。

>みんな「個人」なんですよ。
ほう、すごい。個人で社会を背負って見せているのね。うふん

ついでに...
だったら批判に対する対応も、自分と言う個人の範疇でするのね。
例えばニセ科学批判批判があった際、
「自分はこういう考えに至り、こうしているから適切だ」
と、自分の考えと行為のみを反論に用いるって事ね。

「(自分以外に)こういう事をやっている人がいる」とか
「ニセ科学入門では」とか、「みんなで作り上げたニセ科学まとめでは」とか
他人をダシにした抗弁は使わないって事よね。個人なんだから。あはん

あと、「他人の弁護」も無しよね。
「個人」ならば、その「個人」が語らないと、その真意は分からんわけだから。
どうなのどうなの?うふん

>まあ、本当は「個人が個人的な動機でやってるって言うのなら、
>社会を背負ってる様な物言いをするな」的な事を言いたいんでしょうケド。
うん、その通り。
分かっているなら、この文章の先を続けなさいよ。うふん
何を言われるか分かっていても、どう答えるべきか分からないなら、それは分かっていないのと同じよ。あはん

※ MORIXさんにたしなめられないように、口調がソフトに見える工夫をしてみました。
by Judgement (2009-12-09 01:28) 

トンデモブラウ

「個人の背負っている社会」ってそんなに凄い?
みんな社会全体を背負っているわけじゃないでしょう。
とりあえず自分の周りは住みやすくしたい(自分の主観だけで)わけで、目に付くところに目障りなヤカラ(ニセ科学とかインチキ商売とか・・・)があれば排除したいと思うのは、若干利己主義的(個人的社会規範?)ではあるけどしょうがないんじゃないかと。
できれば安全かつ平和的に理想の社会に住みたいのよぉ~。

最後に、
Judgementさんの工夫した(らしい)ソフト口調って・・鬱陶しい。
by トンデモブラウ (2009-12-09 09:01) 

PseuDoctor

こんばんは。

ううむ、確かにちょっと「あはん」「うふん」は気色悪い。せめて「うふん」を「ウフ」くらいにして「あはん」を削除するくらいで丁度いいと思う。
とだけ言うのも何だから、私が見本を見せてあげましょう(但し「それはそれでキモチワルイ」と言われる可能性大)。

>ブブッー!!彼は「性格悪い」んじゃなくて、「頭悪い」だけよ。
そうかなぁ。頭悪い「だけ」?
まあ「Aクン研究家」の第一人者であるJudgementさんの御高説だから、とりあえず承っておきましょう。でも、と言う事は、頭さえ悪くなければAクンの様にはならないって事ですよね(この点についてはまたあ・と・で)。

>意地悪い見方をすれば、同じ事を「わざと」やろうとしてしまう自分の姿の投影かもよ。
うん、本当に意地悪ですな。でも「かもよ」って書いてあるんだから、許してあ・げ・る。ウフ

>彼の行為の殆どは「人間が知らず知らずのうちに陥る普遍的な思考のショート」で説明可能。
いいのぉ?「普遍的」なんて言っちゃって。
ま、これも「説明可能」としか書いてないので、言うなれば「Judgement説」って事よね。JudgementさんのAクン評には敬意を表するけどさ、だからと言って俄に「御説ごもっとも」なんて言うほどナイーブでもないよ。エヘ

でも、敬意を表してるのはホント。
そこでさっきの話。ひとつ教えて欲しいんですけれど、Judgementさんの説に従えば「頭さえ良ければ普遍的な思考のショートは回避可能」って読み取れますよね(もし違ってたら指摘してください)。
で、どうして「頭が良ければ回避出来る」のかを知りたいんです。私はもうちょっと厄介なんじゃないかと思ってるんですけど、心理学の専門家としてのJudgementさんの意見を伺いたいのです(お願いする立場なので、文体も変えてみました)。

>先言い訳
「先言い訳」ときましたか。
「伏線が無い」というのは、まあその通り。普段の私は「相手の反応を予想して伏線を張る」なんてしち面倒臭い事なんかやってないから、伏線張るのは慣れてないの。テヘ
でも、だからと言って
>何言われても「予想どおり」と言える
なんて事は考えてないよ。だって私は
>もし、私の予想を裏切るコメントなら、個人的には読んでみたいですが、Judgementさんの目的の為には書かない方が良いと思います。
って書いてるから。これは「Judgementさんの目的の為には書かない方が良い(と私が思ってる種類の)コメント」イコール「私の予想を裏切るコメント」っていう意味なの。さっき書いた通り伏線張るのは得意じゃないけど「どういうコメントなら私の予想を裏切るのか」っていうのは一応匂わせたつもりよ。クス

折角だからもうちょっと書きましょう。
私がそこで話題にしてたのは「Judgementさんの内面」ですよね。Aクンの評価は、単なる付け足し。
で、もしJudgementさんがこの話題に乗ってくるのなら、私としてはどうしても「Judgementさんのキャラ作り」にまで言及したくなっちゃうのよ。あんまりそういう話ばっかりしてると、折角キャラ作ってる意味が薄れちゃうんじゃないかな、って心配したの。だからわざわざ「コメントは必要ない」って書いたのよ。ウフフ
まとめると、
私の予想したコメントってのは、いつもの偽悪的な奴。
私の予想を裏切るってのは、Judgementさんが正直に内面を吐露したコメント。
でも実際には、両者の中間みたいだったけどね。

て言うか、このくらいの事、書いてなくたって読み取ってよぉ。

・・・なんちゃって。
Judgementさんが「察して君」が嫌いなのを知ってるから、ワザと意地悪してみたよ。エヘ
ただ、この「Judgementさんは察して君が嫌い」っていうのは「Judgementさんは他人から気を使われるのが苦手」っていうのと合わせて、PseuDoctor的にはかなり重要なポイントなので、いずれ機会があったらちゃんと書きたいと思います。気が向いたらね。

>ほう、すごい。個人で社会を背負って見せているのね。
うん、そうだよ。凄いでしょ。
但し「背負う」の意味が違うけどね。ウフ

>分かっているなら、この文章の先を続けなさいよ。
ああ、ごめんごめん。元の文章には「それはまた別の話」って入れてたんだけど、それも言い訳っぽいと思って投稿する時に削っちゃった。テヘ

まあ、折角だから反応しとくと・・・
私のロジックは、トンデモブラウさんと同じです。
よろしいでしょうか?
・・・え?
よろしくない?
そりゃそうだよね。こりゃまた失礼。
先日からの事があるんで、ちょっとやってみたかっただけよ。ウフフ

でも、半分は本気。私の気分はトンデモブラウさんに近い。
どんな個人でも、社会の構成員である以上、応分に社会を背負っているの。それは「背負うべき」なんていう話じゃなくて、必然的に背負ってるのね。少なくとも日本に於いては、どれほど社会と隔絶した生活を送ろうとしたって限界がある。例えば、自分の所有する山林に住んで完全自給自足の生活を送ってたって、社会と全く無関係ではいられない。
勿論「応分」ってくらいだから、背負ってる量はみんな違うと思うよ。でも、全く背負ってない人なんて居ない。そこは譲れないな。

そのうえでJudgementさんの反論を予想するなら「アンタ達のは、応分の範囲を越えてるのよ。もっと分をわきまえなさいよ」ってとこかな。
もしこの予想が当たってるなら「どうして応分の範囲を越えてると思うのか」を説明して貰えると有り難いデスね。クス
by PseuDoctor (2009-12-10 23:49) 

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