仮説と対策と評価 [他ブログいっちょかみ]
今更なんだけど、メカAGさんの『多くの疑似科学批判はどこを間違えているか 』について、Chromeplated Ratの『やっぱり不思議』で、poohさんが言及していた。
それについて書こうと思うんだけど、まず順を追ってpoohさんが記事で触れた、菊池教授の『ニセ科学入門』の内容についてから書いてみる。
【菊池教授の『ニセ科学入門』8・9章】
今更いちいち引用する必要もないでしょうから、確認したい人は元ページに行ってくらはい。
この章は、菊池教授の「ニセ科学」に対するおそらくかなり大事なスタンスが記されていると思う。
~~ 私が菊池教授を好きな理由(ファンという意味で) ~~
まず最初に、私は菊池教授の「ちゃんとしているところ」が大好きだ。
「ちゃんとしているところ」とは何かと言うと、感情と思考を分ける術を持っている、というか結論を安易に急がない、というか、そんな感じ。
大学の先生だからそういうのを「ちゃんとしている」のが当然じゃないか、と言われそうだけど、私はそうは思えない(例えば、O槻教授とか、某女帝さんとか...)。
それは逆に言うと、「ニセ科学批判」の現場が、「ちゃんとしている」だけで稀有に感じるような状況になってしまっていると私が感じているからなのかもしれない。
まぁ、そのあたりの事は後日という事で。、
モチロン、菊池教授が常に「ちゃんとしている」かは知らないケド(ストーカーまではする気は無い)、少なくともこの第8・9章は、私が好ましく思う「ちゃんと」が現れている。
~~ ちゃんとちゃんとの菊池教授 ~~
前置きが長くなったケド、話を進める。
8章では「ニセ科学」が本家よりも「より科学的」に見えるのではないか、という可能性を論じると共に、ニセ科学が信じられる理由として「願望充足」を挙げている。
※ ここで覚えておいて欲しいのは、この「願望充足」という原因について、『「科学らしさ」に加えて』と断り書きをしている点だ。
その上で、第9章で『ニセ科学は決して「科学離れ」や「反科学」の結果として信じられているのではなく、むしろ「科学的」だからこそ信じられているのではないかというのが、本稿全体を通じての仮説だった。』と述べている。
さて、何が「ちゃんとしている」のか。
『科学っぽい』ものが信じられている、いやむしろ本家の科学より科学っぽく見える可能性も高い...等々と述べていくと、「だから、ニセ科学を信じる原因は『科学っぽい』からだ」と結論付けてしまう人が結構いるんじゃないかな。。
でも、それがよくある思考の落とし穴で、実際は「正解は現象を上手く説明できる」が成り立つからといって「現象を上手く説明できれば正解である(逆)」が成り立つとは言えないのね。
しかし、菊池教授は慎重に落とし穴を回避する。
それが「本稿全体を通じての仮説だった。」の一文に現れている。
つまり、自分が色々述べてきた原因や理由は、あくまで「『科学っぽい』から信じられる」という仮説が成立した場合に考えられる話なんだよ、と断っているのだ。
それは、「実際に『科学っぽい』から信じらているのか」に対し、菊池教授はその「判断できてない」という事を“ちゃんと”「判断している」事を示す。
~~ 菊池教授の「ニセ科学」に対するスタンス ~~
こっからは私の読み取り能力の上で言う事だけど...
菊池教授は「本来はまず仮説が正しいか検証しなくてはならない」とは思うものの、それは自分の専門の範疇ではないし、早い対処の必要性を感じているのに時間がかかりそうと捉える。
そこで、「科学者の自分」として出来る事として、「仮説が正しかった」場合を想定して先手を打ち、科学者として「ニセ科学は科学として間違っている」という事を示していこう、といったように考えているのではないだろうか。
別な見方をすれば、「科学者の責務として、少なくとも科学の誤解が原因でニセ科学が蔓延するような事が無いよう可能性を潰しておこうぜ」という考え方であるともいえる。
また、仮に仮説が違っていても全く無駄になるわけではなく、「科学の啓蒙」に使えるテキストとして価値あるものが確実に残るわけだから、“やって損はない”だろう。
...といった、非常に合理的な判断をしているのではないかと勝手に予想している。
>菊池教授、どうですかね?
【メカAGさんの『多くの疑似科学批判はどこを間違えているか 』】
さて、次にメカAGさんだ。
メカAGさんは、『思想的な部分』こそが「ニセ科学の蔓延の原因だ」と断ずる。
断じてしまうところは、正直菊池教授よりも慎重さが足りない気がするケド、「他の可能性もあるのではないだろうか」でお茶を濁して否定されるリスクから逃げるエセ相対主義者と比べたら月とスッポンだ。
(まぁ、どうしてもメカAGさんにネチネチ文句言いたい人は「断言できる証拠を示せ」とでも食い下がっていればいいと思うが、多分本質的な争点はそこではない。)
肝心なのは、この部分。
『疑似科学や宗教の問題点というのは非科学的な部分にあるのではなく思想的な部分にある。にもかかわらず多くの疑似科学批判は思想の部分に切り込むのを避ける。なぜなら彼らは科学を武器にしているからだ。科学は思想の土俵では戦えない。しかしそれが結果的に、疑似科学批判を的外れなものにし、疑似科学が引き起こす事件の防止になんら成果を上げないことにつながっている。全く的外れな対策を一生懸命しているのだから当然だ。』
自分のやっている事を「的外れ」と言われたら、怒りに打ち震えるだろう。
だからと言って、「何で的外れだ、説明せよ!」と詰め寄ろうとしてはいけない。
彼がこんな事を言う前提はなんだろう?それは既にここに書いてある。
『疑似科学が引き起こす事件の防止になんら成果を上げない』だ。
>メカAGさん、どうですかね?
【菊池教授 vs メカAGさん】
先ほど、私は菊池教授の考え方について『非常に合理的な判断だ』と評した。
では、それを否定するメカAGさんは非合理なのだろうか。
それとも、「科学っぽさ」に対抗したいがために「思想的な部分」を持ち出してきて、「こっちの可能性もあるじゃないか」と言いたいだけの相対主義者なのだろうか。
残念ながら、私にはそうは読めない。
むしろ、菊池教授の考え方にがっちり噛み合った正当な反論と読める。
なぜそうなるのか、それは「時間」というファクターをからめれば明らかになる。
菊池教授が「科学っぽさが蔓延の原因」という仮説の上で行動を開始したのは、“やってみる”には合理的な判断だ。
「色々原因が考えられるから手のつけようが無い」では何も始まらないし、「色々原因が考えられるから同時に全てを検討しよう」でも、「原因」を数え上げるだけで膨大な時間がかかりそうだ。
それよりも、とりあえず一つに決め打ちしてとにかくやってみる、というのが明晰な判断だろう。
そして、様々な人が参加し、盛り上げ、今に至るわけだ。
その時間経過があるからこそ、メカAGさんはこういう視点が持てるわけだ。
「で、やってみた結果どうだったの?」
その結果、メカAGさんは「成果が無かった」と結論付けている。
となると...
1 対策が正しければ、成果をあげるはずだ。
2 しかし、成果は上がっていない。
3 という事は対策は的外れだったという事だ。
4 となると、対策の前提としていた仮説が正しく無かったのでは。
5 だったらいいかげん、成果の上がらない「科学っぽさ」仮説にこだわるのを止めて
可能性の提示だけで終わっている「思想的な部分」仮説の方で考えるべきだ
...という流れになんら不自然は無い。
【メカAGさんへの対応と、問題意識】
どうだろう?メカAGさんが非合理な事を言っているわけでも、相対主義で惑わそうとしているわけでもなく、キチンと菊池教授の理念を把握した上で、それを踏まえた反論になっているように捉えられないだろうか。
そして、この討議でキーとなるもの、それは「実際、成果があったのか、無かったのか」である事が明らかだ(一応は先にあげた流れのうち、「4番」に反論する事は可能だろうが、その場合「仮説は正しいが、対策は間違っていた」と言わなくてはならない)。
だから、「見合った成果があった」事を明らかにするだけで、メカAGさんの主張なんて一発で覆す事ができるのだ。
モチロン、メカAGさんがその証拠を探してやる義理は全く無いし、なによりそれは「仮説の上でやってきた人」が一番分かる事であるはずだ(それとも、メカAGさんに「無い事を証明しろ」と要求したいのだろうか)。
だから、「メカAGさんに言わせておくものか」という人は、「成果」を胸を張ってつき付ければいい。
....このように、私には論点も噛み合っているし、争点もわかりやすくて、相互のすり合わせが難解な代物には全く見えない。
そもそも、メカAGさんの示す問題点は、「ニセ科学の蔓延防止対策」を目的とする人達が最も関心を持っていなければならない事のはずじゃないか?
最近の時流としては、「対策」の是非は証拠に基づいて評価されるのが常識となりつつある。
何より、特定の目標を持つ人こそ、対策の成果がその目標にホントに向かっているか気になるはずだ。
だから、メカAGさんの「成果が無かった」という評価には、もっと敏感に反応し、もっと迅速に対応できていてもいいような気がする。
>みなさん、どうですかね?
それとも、ホントは「ニセ科学の蔓延防止」が目的なのではなく、「ニセ科学やニセ科学批判批判を批判する事」が目的なの?
【poohさんの『やっぱり不思議』】
ちなみに、メカAGさんの「思想的な部分」と表現しているものは、菊池教授の「ニセ科学入門」における「願望充足」とリンクする(以後、“そういうもの”はまとめて「思想的な部分」と呼ぶ)。で、菊池教授は(少なくとも「ニセ科学入門」では)、『思想的な部分』についても触れているが、あくまで菊池教授自身は、それとは別の『科学らしさ』仮説を重視した対策をしていこうと言っている。
つまり、「触れはするけれど、そちらの追求はしない(あるいは後回しにする)」という立場を示しているわけで、それを『「思想的な部分」に切り込まない』と表現する事に、何の支障があるだろう?
少なくともわざわざそこだけを取り出して疑問の意を呈するほどの違いには思えない。
もちろん、今まで言ってきたのは、あくまで「Judgement個人の理解」での話だ。
また、菊池教授も「ニセ科学入門」以降でスタンスを変えているかもしれない。
それに伴って、彼も『「思想的な部分」に切り込んでいる』事があったかもしれないし、彼がやらなくても他の人が切り込んでいる、という事も十分ありうるだろう。
じゃぁ何で、何故今回私が「ニセ科学入門」での話のみに絞って考えたか?
それは、poohさんが記事の中で、メカAGさんに対し、「菊池教授のニセ科学入門は3年半近く前のテキストだし(ここの8章および9章でなにについて書かれているのか、を読み取るのは難しいこととは思えない)」と述べ、「どんなものを読むと、思想の部分に切り込むのを避けると云う印象が形成されるんだろう。」と疑問を呈しているからだ。
つまり、「そこをちゃんと読んでいれば、そんな印象は形成されないだろう」という事を遠まわしに示したわけですよね。
しかし、それをつき合わせる形で読んだ私にとって、メカAGさんの主張は、まさに「ニセ科学入門」で示される菊池教授のスタンスに対してキチンと噛み合っているし、少なくとも「ニセ科学入門」では確かに『「思想的な部分」に切り込まないでいた』ものであった(理由は延々説明したとおり)。
くどいようだけど、モチロンこれはあくまで「Judgement個人の理解」での話。
これが、唯一無二の正しい解釈であるかは自信は無い。
ただ、そう理解した私だからこそ疑問に思う事。
なぜ、poohさんはメカAGさんの主張に対し、「ニセ科学入門」を挙げたのだろう。
poohさんは、「ニセ科学入門」そして「多くの疑似科学批判はどこを間違えているか」をそれぞれどう理解した上で、「ニセ科学入門を読めばそんな印象は形成されない」という結論に達したのでしょう?
しかしそれを、poohさんは明確にしてない(少なくとも最初の記事では)。
だから何故「不思議」なのか、さらに言えば、何故「不思議」と言うだけで、その不思議の背景をキチンと説明しないのか、私にはわからないのデス。
※ 一応、最初にあの記事を書いた時点では、という事を想定して書いています。
コメント欄はざっと読みなので定かではないですが、そちらできちんと説明しているかもしれません。
ついでに言えば、コメント欄にも「ニセ科学入門を読んだかどうか」に拘る方がいたようですね。
その人がいったいどういう理解の上でそこを争点にしようとしたのかも、私にとっては謎。
【魔王降臨】
メカAGさんって、かなりの「見えている」論者だと私は思うよ。
私にとっては初見の人なので、他はどうかは関知しないけど少なくとも今回のやりとりを見る限りは。
言葉の裏側に一生懸命隠したはずの思惑や暗黒面を、やすやすと引き出してバッサリ切る。
だって、彼のテーマは「思想の問題」だもの。
それを言うだけあって、それを見抜く力は計り知れない。
しかも、私みたいに心やさしくないから(失礼!)、容赦なく切り捨てる無情さも持ち合わせている。
某A氏とかそのあたりのレベルを想定して、安易な揺さぶりをかけようとしても全て見透かされて、その返し技でかえって大きなダメージを受けると思った方がいい(本人は切られている自覚がないのかもしれないケド)。
まさに、彼の言う「思想の問題」を実証する生贄になるだけだ。
そういう点では、私と同類(って言っちゃメカAGさんに悪いか)。
おそらく、「ニセ科学が何故信じられるか」の考え方の方向性も多分同じ。
あ、言っとくけど、血液型の記事はメカAGさんに追従するつもりで書いたんじゃないからね。
むしろ、ちょうど血液型の記事をいくつか書き上げた後に見つけて、「ありゃりゃ、この人の方が説得力あるじゃん。記事にするタイミング間違った」と思ったし。
同じなのは方向性だけで、メカAGさんの方が完成度高いっす。
だから、この記事は別にメカAGさんに対する援護射撃でもなんでもない。
下手な援護射撃なんていらないもん、あの人には。
うっかり触れると、こっちが怪我しそう。
【さいごに】
それよりも、poohさんに援護射撃したい(まぁ、こっちはその気でも、poohさんにとっては「何こっちに銃口向けてんじゃい」って感じなのでしょうケド)。
私はpoohさんにも、菊池教授と同じような「ちゃんとした」というイメージを持っているという事は言っておく。だからこそ、今回のpoohさんの記事やコメント欄が、メカAGさんという、かなり強力な論者の登場になすすべもなく、「ちゃんとしない」方向になだれ込んでしまっているように感じて、不安なのよ。
(まぁ、私の不安なんて知ったこっちゃ無いだろうし、気にしてもらおうとは思ってないケド。)
「わからない」事に同意する人達に囲まれていると、「わからない」事に満足してしまう。
自分の意見に同意してくれる人達に囲まれていると、「わかってくれない」事がおかしいと思う。
でもそれって、引き返せない奈落の底への一本道になってしまうんじゃないかと。
こういう事を言っていると、また敵を作るんだろうなぁ...。
まぁ、いいけどね。味方ができるタイプじゃないし。
poohさんも大変なものを召還してしまったなぁと思うけど
できれば、潔く正面からぶつかって欲しい。
相手を見下して見せるのは、相手よりも力のある所を見せてからにして。
おしまいに、さっき覗いた時に見えたコメントにひと言物申す。
「最低限の誠実さがあれば、合意に至らなくても得るもののある「かみ合う」議論は可能です。ここでのメカさんとの対話は、その水準に達していません。」
...噛み合わないのが「誠実さ」のせいなら、それは相手だけに責任を突きつけるものではありませぬ。
それについて書こうと思うんだけど、まず順を追ってpoohさんが記事で触れた、菊池教授の『ニセ科学入門』の内容についてから書いてみる。
【菊池教授の『ニセ科学入門』8・9章】
今更いちいち引用する必要もないでしょうから、確認したい人は元ページに行ってくらはい。
この章は、菊池教授の「ニセ科学」に対するおそらくかなり大事なスタンスが記されていると思う。
~~ 私が菊池教授を好きな理由(ファンという意味で) ~~
まず最初に、私は菊池教授の「ちゃんとしているところ」が大好きだ。
「ちゃんとしているところ」とは何かと言うと、感情と思考を分ける術を持っている、というか結論を安易に急がない、というか、そんな感じ。
大学の先生だからそういうのを「ちゃんとしている」のが当然じゃないか、と言われそうだけど、私はそうは思えない(例えば、O槻教授とか、某女帝さんとか...)。
それは逆に言うと、「ニセ科学批判」の現場が、「ちゃんとしている」だけで稀有に感じるような状況になってしまっていると私が感じているからなのかもしれない。
まぁ、そのあたりの事は後日という事で。、
モチロン、菊池教授が常に「ちゃんとしている」かは知らないケド(ストーカーまではする気は無い)、少なくともこの第8・9章は、私が好ましく思う「ちゃんと」が現れている。
~~ ちゃんとちゃんとの菊池教授 ~~
前置きが長くなったケド、話を進める。
8章では「ニセ科学」が本家よりも「より科学的」に見えるのではないか、という可能性を論じると共に、ニセ科学が信じられる理由として「願望充足」を挙げている。
※ ここで覚えておいて欲しいのは、この「願望充足」という原因について、『「科学らしさ」に加えて』と断り書きをしている点だ。
その上で、第9章で『ニセ科学は決して「科学離れ」や「反科学」の結果として信じられているのではなく、むしろ「科学的」だからこそ信じられているのではないかというのが、本稿全体を通じての仮説だった。』と述べている。
さて、何が「ちゃんとしている」のか。
『科学っぽい』ものが信じられている、いやむしろ本家の科学より科学っぽく見える可能性も高い...等々と述べていくと、「だから、ニセ科学を信じる原因は『科学っぽい』からだ」と結論付けてしまう人が結構いるんじゃないかな。。
でも、それがよくある思考の落とし穴で、実際は「正解は現象を上手く説明できる」が成り立つからといって「現象を上手く説明できれば正解である(逆)」が成り立つとは言えないのね。
しかし、菊池教授は慎重に落とし穴を回避する。
それが「本稿全体を通じての仮説だった。」の一文に現れている。
つまり、自分が色々述べてきた原因や理由は、あくまで「『科学っぽい』から信じられる」という仮説が成立した場合に考えられる話なんだよ、と断っているのだ。
それは、「実際に『科学っぽい』から信じらているのか」に対し、菊池教授はその「判断できてない」という事を“ちゃんと”「判断している」事を示す。
~~ 菊池教授の「ニセ科学」に対するスタンス ~~
こっからは私の読み取り能力の上で言う事だけど...
菊池教授は「本来はまず仮説が正しいか検証しなくてはならない」とは思うものの、それは自分の専門の範疇ではないし、早い対処の必要性を感じているのに時間がかかりそうと捉える。
そこで、「科学者の自分」として出来る事として、「仮説が正しかった」場合を想定して先手を打ち、科学者として「ニセ科学は科学として間違っている」という事を示していこう、といったように考えているのではないだろうか。
別な見方をすれば、「科学者の責務として、少なくとも科学の誤解が原因でニセ科学が蔓延するような事が無いよう可能性を潰しておこうぜ」という考え方であるともいえる。
また、仮に仮説が違っていても全く無駄になるわけではなく、「科学の啓蒙」に使えるテキストとして価値あるものが確実に残るわけだから、“やって損はない”だろう。
...といった、非常に合理的な判断をしているのではないかと勝手に予想している。
>菊池教授、どうですかね?
【メカAGさんの『多くの疑似科学批判はどこを間違えているか 』】
さて、次にメカAGさんだ。
メカAGさんは、『思想的な部分』こそが「ニセ科学の蔓延の原因だ」と断ずる。
断じてしまうところは、正直菊池教授よりも慎重さが足りない気がするケド、「他の可能性もあるのではないだろうか」でお茶を濁して否定されるリスクから逃げるエセ相対主義者と比べたら月とスッポンだ。
(まぁ、どうしてもメカAGさんにネチネチ文句言いたい人は「断言できる証拠を示せ」とでも食い下がっていればいいと思うが、多分本質的な争点はそこではない。)
肝心なのは、この部分。
『疑似科学や宗教の問題点というのは非科学的な部分にあるのではなく思想的な部分にある。にもかかわらず多くの疑似科学批判は思想の部分に切り込むのを避ける。なぜなら彼らは科学を武器にしているからだ。科学は思想の土俵では戦えない。しかしそれが結果的に、疑似科学批判を的外れなものにし、疑似科学が引き起こす事件の防止になんら成果を上げないことにつながっている。全く的外れな対策を一生懸命しているのだから当然だ。』
自分のやっている事を「的外れ」と言われたら、怒りに打ち震えるだろう。
だからと言って、「何で的外れだ、説明せよ!」と詰め寄ろうとしてはいけない。
彼がこんな事を言う前提はなんだろう?それは既にここに書いてある。
『疑似科学が引き起こす事件の防止になんら成果を上げない』だ。
>メカAGさん、どうですかね?
【菊池教授 vs メカAGさん】
先ほど、私は菊池教授の考え方について『非常に合理的な判断だ』と評した。
では、それを否定するメカAGさんは非合理なのだろうか。
それとも、「科学っぽさ」に対抗したいがために「思想的な部分」を持ち出してきて、「こっちの可能性もあるじゃないか」と言いたいだけの相対主義者なのだろうか。
残念ながら、私にはそうは読めない。
むしろ、菊池教授の考え方にがっちり噛み合った正当な反論と読める。
なぜそうなるのか、それは「時間」というファクターをからめれば明らかになる。
菊池教授が「科学っぽさが蔓延の原因」という仮説の上で行動を開始したのは、“やってみる”には合理的な判断だ。
「色々原因が考えられるから手のつけようが無い」では何も始まらないし、「色々原因が考えられるから同時に全てを検討しよう」でも、「原因」を数え上げるだけで膨大な時間がかかりそうだ。
それよりも、とりあえず一つに決め打ちしてとにかくやってみる、というのが明晰な判断だろう。
そして、様々な人が参加し、盛り上げ、今に至るわけだ。
その時間経過があるからこそ、メカAGさんはこういう視点が持てるわけだ。
「で、やってみた結果どうだったの?」
その結果、メカAGさんは「成果が無かった」と結論付けている。
となると...
1 対策が正しければ、成果をあげるはずだ。
2 しかし、成果は上がっていない。
3 という事は対策は的外れだったという事だ。
4 となると、対策の前提としていた仮説が正しく無かったのでは。
5 だったらいいかげん、成果の上がらない「科学っぽさ」仮説にこだわるのを止めて
可能性の提示だけで終わっている「思想的な部分」仮説の方で考えるべきだ
...という流れになんら不自然は無い。
【メカAGさんへの対応と、問題意識】
どうだろう?メカAGさんが非合理な事を言っているわけでも、相対主義で惑わそうとしているわけでもなく、キチンと菊池教授の理念を把握した上で、それを踏まえた反論になっているように捉えられないだろうか。
そして、この討議でキーとなるもの、それは「実際、成果があったのか、無かったのか」である事が明らかだ(一応は先にあげた流れのうち、「4番」に反論する事は可能だろうが、その場合「仮説は正しいが、対策は間違っていた」と言わなくてはならない)。
だから、「見合った成果があった」事を明らかにするだけで、メカAGさんの主張なんて一発で覆す事ができるのだ。
モチロン、メカAGさんがその証拠を探してやる義理は全く無いし、なによりそれは「仮説の上でやってきた人」が一番分かる事であるはずだ(それとも、メカAGさんに「無い事を証明しろ」と要求したいのだろうか)。
だから、「メカAGさんに言わせておくものか」という人は、「成果」を胸を張ってつき付ければいい。
....このように、私には論点も噛み合っているし、争点もわかりやすくて、相互のすり合わせが難解な代物には全く見えない。
そもそも、メカAGさんの示す問題点は、「ニセ科学の蔓延防止対策」を目的とする人達が最も関心を持っていなければならない事のはずじゃないか?
最近の時流としては、「対策」の是非は証拠に基づいて評価されるのが常識となりつつある。
何より、特定の目標を持つ人こそ、対策の成果がその目標にホントに向かっているか気になるはずだ。
だから、メカAGさんの「成果が無かった」という評価には、もっと敏感に反応し、もっと迅速に対応できていてもいいような気がする。
>みなさん、どうですかね?
それとも、ホントは「ニセ科学の蔓延防止」が目的なのではなく、「ニセ科学やニセ科学批判批判を批判する事」が目的なの?
【poohさんの『やっぱり不思議』】
ちなみに、メカAGさんの「思想的な部分」と表現しているものは、菊池教授の「ニセ科学入門」における「願望充足」とリンクする(以後、“そういうもの”はまとめて「思想的な部分」と呼ぶ)。で、菊池教授は(少なくとも「ニセ科学入門」では)、『思想的な部分』についても触れているが、あくまで菊池教授自身は、それとは別の『科学らしさ』仮説を重視した対策をしていこうと言っている。
つまり、「触れはするけれど、そちらの追求はしない(あるいは後回しにする)」という立場を示しているわけで、それを『「思想的な部分」に切り込まない』と表現する事に、何の支障があるだろう?
少なくともわざわざそこだけを取り出して疑問の意を呈するほどの違いには思えない。
もちろん、今まで言ってきたのは、あくまで「Judgement個人の理解」での話だ。
また、菊池教授も「ニセ科学入門」以降でスタンスを変えているかもしれない。
それに伴って、彼も『「思想的な部分」に切り込んでいる』事があったかもしれないし、彼がやらなくても他の人が切り込んでいる、という事も十分ありうるだろう。
じゃぁ何で、何故今回私が「ニセ科学入門」での話のみに絞って考えたか?
それは、poohさんが記事の中で、メカAGさんに対し、「菊池教授のニセ科学入門は3年半近く前のテキストだし(ここの8章および9章でなにについて書かれているのか、を読み取るのは難しいこととは思えない)」と述べ、「どんなものを読むと、思想の部分に切り込むのを避けると云う印象が形成されるんだろう。」と疑問を呈しているからだ。
つまり、「そこをちゃんと読んでいれば、そんな印象は形成されないだろう」という事を遠まわしに示したわけですよね。
しかし、それをつき合わせる形で読んだ私にとって、メカAGさんの主張は、まさに「ニセ科学入門」で示される菊池教授のスタンスに対してキチンと噛み合っているし、少なくとも「ニセ科学入門」では確かに『「思想的な部分」に切り込まないでいた』ものであった(理由は延々説明したとおり)。
くどいようだけど、モチロンこれはあくまで「Judgement個人の理解」での話。
これが、唯一無二の正しい解釈であるかは自信は無い。
ただ、そう理解した私だからこそ疑問に思う事。
なぜ、poohさんはメカAGさんの主張に対し、「ニセ科学入門」を挙げたのだろう。
poohさんは、「ニセ科学入門」そして「多くの疑似科学批判はどこを間違えているか」をそれぞれどう理解した上で、「ニセ科学入門を読めばそんな印象は形成されない」という結論に達したのでしょう?
しかしそれを、poohさんは明確にしてない(少なくとも最初の記事では)。
だから何故「不思議」なのか、さらに言えば、何故「不思議」と言うだけで、その不思議の背景をキチンと説明しないのか、私にはわからないのデス。
※ 一応、最初にあの記事を書いた時点では、という事を想定して書いています。
コメント欄はざっと読みなので定かではないですが、そちらできちんと説明しているかもしれません。
ついでに言えば、コメント欄にも「ニセ科学入門を読んだかどうか」に拘る方がいたようですね。
その人がいったいどういう理解の上でそこを争点にしようとしたのかも、私にとっては謎。
【魔王降臨】
メカAGさんって、かなりの「見えている」論者だと私は思うよ。
私にとっては初見の人なので、他はどうかは関知しないけど少なくとも今回のやりとりを見る限りは。
言葉の裏側に一生懸命隠したはずの思惑や暗黒面を、やすやすと引き出してバッサリ切る。
だって、彼のテーマは「思想の問題」だもの。
それを言うだけあって、それを見抜く力は計り知れない。
しかも、私みたいに心やさしくないから(失礼!)、容赦なく切り捨てる無情さも持ち合わせている。
某A氏とかそのあたりのレベルを想定して、安易な揺さぶりをかけようとしても全て見透かされて、その返し技でかえって大きなダメージを受けると思った方がいい(本人は切られている自覚がないのかもしれないケド)。
まさに、彼の言う「思想の問題」を実証する生贄になるだけだ。
そういう点では、私と同類(って言っちゃメカAGさんに悪いか)。
おそらく、「ニセ科学が何故信じられるか」の考え方の方向性も多分同じ。
あ、言っとくけど、血液型の記事はメカAGさんに追従するつもりで書いたんじゃないからね。
むしろ、ちょうど血液型の記事をいくつか書き上げた後に見つけて、「ありゃりゃ、この人の方が説得力あるじゃん。記事にするタイミング間違った」と思ったし。
同じなのは方向性だけで、メカAGさんの方が完成度高いっす。
だから、この記事は別にメカAGさんに対する援護射撃でもなんでもない。
下手な援護射撃なんていらないもん、あの人には。
うっかり触れると、こっちが怪我しそう。
【さいごに】
それよりも、poohさんに援護射撃したい(まぁ、こっちはその気でも、poohさんにとっては「何こっちに銃口向けてんじゃい」って感じなのでしょうケド)。
私はpoohさんにも、菊池教授と同じような「ちゃんとした」というイメージを持っているという事は言っておく。だからこそ、今回のpoohさんの記事やコメント欄が、メカAGさんという、かなり強力な論者の登場になすすべもなく、「ちゃんとしない」方向になだれ込んでしまっているように感じて、不安なのよ。
(まぁ、私の不安なんて知ったこっちゃ無いだろうし、気にしてもらおうとは思ってないケド。)
「わからない」事に同意する人達に囲まれていると、「わからない」事に満足してしまう。
自分の意見に同意してくれる人達に囲まれていると、「わかってくれない」事がおかしいと思う。
でもそれって、引き返せない奈落の底への一本道になってしまうんじゃないかと。
こういう事を言っていると、また敵を作るんだろうなぁ...。
まぁ、いいけどね。味方ができるタイプじゃないし。
poohさんも大変なものを召還してしまったなぁと思うけど
できれば、潔く正面からぶつかって欲しい。
相手を見下して見せるのは、相手よりも力のある所を見せてからにして。
おしまいに、さっき覗いた時に見えたコメントにひと言物申す。
「最低限の誠実さがあれば、合意に至らなくても得るもののある「かみ合う」議論は可能です。ここでのメカさんとの対話は、その水準に達していません。」
...噛み合わないのが「誠実さ」のせいなら、それは相手だけに責任を突きつけるものではありませぬ。
きくち先生は、批判的な意見にも真摯に答えるので素晴らしい。
まさに紳士。
他の人は、若干ヒートアップしやすいように見えて、ちょっと距離を置いて眺めてみると非常に残念。
何故か定常時のコメントと違う感じ。
これが「上から目線」という代物なのか。
感想を一言加えると、Judgementさんには悪いけど、メカAGさんの『キリスト教を信じる人が聖書に書かれた奇跡が本当に起きたことなのかさほど重要視していない』を見て、この人が本当に「思想的な部分」に切り込んでいける能力が潤沢だとは思えない。
ので、きくち先生の活動に代わる有効な代替案を示せるとも思えない。
だから、彼等を「上から目線」にさせているんだね、きっと。
きくち先生の活動は有効ですよ。
効果は実感できないけど。
だって科学者は人間じゃないと思われてるんだもの。(←ここを変えるのは科学者じゃないね、きっと。)
もう少しだ。
明るい明日に向かって、がんがれ科学者たちよ!
by トンデモブラウ (2009-09-04 09:02)
ブログ主を無視してコメント者にコメントするのもどうかとおもうけど許してもらって。
トンデモブラウさんへ
個人崇拝(きくちさん)してるようじゃ、少なくともあなたに健全な判断能力がないことだけは分かった(笑
なぜ疑似科学批判者が思想の領域に切り込めないか教えてあげよう。それは自分自身に切り込むのと同じだからだよ。疑似科学論者が疑似科学に求めているものと同じものを、疑似科学批判者は疑似科学批判に求めている。
それは人間のドロドロした部分だ。もちろんそういう部分は俺にもある。誰もが持っている。自分がもつ闇の部分を直視できる人は少ない。だから多くの疑似科学批判者はその部分を見たがらないんだよ。
by メカ (2009-09-04 10:52)
科学者が科学的に誤りがある社会問題を論じているのをみて、思想的に、といわれてもなんだかなあ、とは思います。
これはpoohさんご指摘の不思議とは違いますけど。
これが「擬似科学」ではなくて「水伝を批判するのならば」とか「フリーエネルギーを論じるのに」とか、具体的なものについての批判ならば、いくつものアプローチがそりゃあるだろう、とは思うんですが。
by bandicoot (2009-09-04 16:55)
>メカさん
私の健全な判断力とやらを心配するよりも、御自分のメタな空論で本当に「思想の部分に切り込む」ことができるかどうか冷静に考えたほうがいいよ。
ニセ科学の皮膚一枚も切れないんじゃないかな。
ニセ科学批判をしている有識者の人達で、ニセ科学が「科学」を装っているからこんなに蔓延している(科学的だから思って信じている)、なんて考えている人はきっといないでしょう。
そいう意味では宗教と同一視しているメカさんは、ニセ科学批判者と同じ立ち位置なんだろうね。
惜しむらくは宗教(特にキリスト教)の知識がなさすぎる。
こっちから「思想の部分に切り込む」のはやめたほうがいいかも。(老婆心ながら)
自然科学者が自然科学から切り込むのが全く無意味でなんの効果もない、と思い込むのはかまわないけど、「思想の部分に切り込む」ことで撲滅できるなら誰も止めないよ、きっと。
みんなニセ科学と戦いたいわけじゃなくて、撲滅すればもう他の研究や趣味に没頭できるからね。
その方法を知っているなら、こんなところでグダグダ言ってないで、頼むからさっさと終わらせてくれ、というのが皆思っていることじゃないのかな。
by トンデモブラウ (2009-09-04 22:10)
【トンデモブラウさん】
私としてはむしろ、「科学っぽいから」仮説でやってきて「効果はあったのか」を評価せぬまま「対策をしている」と言い張っている人が出てきている事の方を先に問題にすべきだと思うよ。
自分達がそもそも自分の案の適切さを評価していないわけだから、「代替え案」云々で相手を評価しようとするなんて100年早い、って話。
聖書の件に関しては、トンデモブラウさんが何をどう疑問視しているかちょっと分からない。
キリスト教では弘法大師様の奇跡なんかとはまた違った受け取られ方なのかな。キリスト教等の積極的な信仰者でもない私には迂闊に触れられない領域なのカモ
も、もしかして、トンデモブラウさんって敬虔なクリスチャン?
シンジラレナイ(←失礼な)。
うーん、2個目のトンデモブラウさんの主張は、いつになく真面目なので真面目に返す
私の状況把握とはまるで違う。
彼らは『ニセ科学が「科学」を装っているからこんなに蔓延している』
という仮説の上でやっているのでは?
少なくとも「ニセ科学入門」に従っているのであれば、だけど。
あと「どうすればいいか結論だけ言え。言えなきゃ去れ」はダメよ。
だって、「ニセ科学批判」側だって多分結論は出してないんだし。
【メカさん】
うひょう、魔王降臨しちゃったよ。
は、は、は、はじめまして。ドキドキ
ブログ主無視は全然OKですのでお気使いなく。
でもさぁ、
トンデモブラウさんのあの言い方で、「崇拝」とまでは言えんだろ(←いきなり偉そう)
せいぜい私と同じ”ファン”レベルだ。
ところでさ、何故「自分自身に切り込むのと同じ」だとできないの?
例えば、メカAGさんは、自分自身に切り込んでるよね(たぶん)。
私も「ひとり五目並べ」で、自分自身への切り込み方を覚えた。
自分がもつ闇の部分を直視できる人は少ないのはなんとなく分かる。
でも、それだけで「疑似科学批判者だから」できないと言えるのだろうか。
う~ん、最近ちょっと手抜きはじめてない?
論述がかなり荒くなってきてる印象があるんだけど(←ますます偉そう)
...ていうかさ、私が言おうとしている事が、あなたが言っちゃう事とかぶるのが多いんだ。
私のネタを潰さないよう空気読め(←やっぱり偉そう)。
【bandicootさん】
社会問題を論じる事と、対策して成立しているか、という話は別と考えてみてください。
(そのあたりに関して次の記事あたりに書いておいたかもしれなせん)
論じているうちはいいのですが、何時からか、自分達のやっている事を蔓延防止だの対策だの言い出す人が出てきたあたりから、だんだん不穏になってきた気がするのよね。
「思想」っていうのは、「①考え②判断推理を経て生じた意識内容③統一ある判断体系④人生・社会に対する見解」とか色んな意味があるので、私は広~く解釈して扱う事にしています(メカAGさんの思惑を正確に知る事はできないので)。
トンデモブラウさんもbandicootさんも、特定の意味の印象が強いから違和感を感じてるんじゃないでしょうかね。
なんかもっと分かりやすい表現が無いかなぁ...。
by Judgement (2009-09-05 00:15)
poohさんところはどうも思想が単一で科学的見方以外は認めない的な人が多いので敬遠してましたが、コメント欄みると見事その点でぶち当たってます。
イデオロギーの問題なのになぁ。
彼らは彼らの考え方(思考パターン??)にカスらない考え方は理解し難いようです。
疑似科学の問題はきくちさんも仰ってる通り社会問題なのでしょう。
しかしそれに対する活動は『社会問題を自分の庭(科学)に持ち込むな。』的な自分の利益を守るための活動以上ではないと思います。
別にそれは悪いことでは無いのですけどね。
私は疑似科学問題を情報リテラシーの問題と見ており、科学的か否かはそのリテラシーの一部で、科学か否かの判別が出来るようになったからといって全ての情報を判別出来るようにるというのは奢り。
その奢りの部分が批判活動家に見えるようになったので、私は今の批判活動をあまり好意的には見ていません。(というかそれがノイズに見えて観察し難いというか。)
似通った思想のヤツがここで屯ってても仕方ないんですがね。
by タカキ (2009-09-05 00:43)
> うーん、2個目のトンデモブラウさんの主張は、いつになく真面目なので
これが彼の「いつになく真面目」の文章なのか…。「いつも」の文章はきっと想像を絶するものなのだろうな。内容が「ゼロよりも更にゼロに近い」んだから、きっと新たな数学的概念の導入が必要なのだろう。
あえて一つ言えば、俺は既に思想の部分について切り込んでるはずなんだけどな。無効のブログでそれを実践したはず。なぜ疑似科学論者が疑似科学に固執し批判を受け入れないかは、疑似科学批判者が疑似科学批判に固執し批判を受け入れないことと同じ。
疑似科学批判者が疑似科学批判批判者の意見に耳を傾けない理由や、どうやって批判を拒絶しているかはあのブログのコメント欄のやりとりで分かるはず。そしてそれは疑似科学論者のそれと全く同じだ。
自分たちは社会のために活動している。自分たちの活動は意義のあることなのだ。それを否定する人間は許し難い。あらゆる強引な論法を使ってでも頑なに拒絶しよう、と。
誰もが自己の存在理由を求めている。そしてそれ"らしき"ものを手にすると、今度はそれを守ることが目的となる。中身はなんでもいいんだよ。神への信仰でも、人類を救う高次元からの啓示でも、エネルギー問題を解決する夢のエンジンでも、そして社会を蝕む疑似科学と戦い続ける聖戦でも。
自分の見つけた「生き甲斐」を守り、それを広めようとする使命感。宗教だろうが疑似科学だろうが疑似科学批判だろうが、底流にあるものは同じだ。そしてそれは闇雲に社会から排除すればいいというものではない。一つ排除すればまた新たなものが一つ生まれる。
問題は社会に致命的なダメージを与えるものだけを最小限法律によって取り締まればいい。それはあくまで思想ではなく行動を取り締まることに徹することだ。オウム真理教ならオウム真理教の思想がどんなに恐ろしいものであってもそれは取り締まるべきではない。社会に対して破壊活動をした行動のみを取り締まることに徹するべき。
疑似科学も同様に「有害な思想」だからといって社会から排除すべきではない。詐欺などの被害がでているなら、それを取り締まるだけだ。人類は長い歳月の試行錯誤の末にそうやって宗教と付き合う術を見つけた。疑似科学に対しても同じように接するのが正解。
なぜ疑似科学批判は疑似科学に勝てないか?そもそも勝てないような目標を設定しているからだ。疑似科学や宗教の思想を好ましくないものとして社会から排除しようとするのは、人間から性欲などの本能を好ましくないものとして取り除こうとするのに等しい。それは人間の根本に深く根ざしており取り除けるようなものではない。
性欲を忌むべきものだとして社会から排除しようとしても成功しない。それは人間が生きるために必要なものだ。同様に疑似科学に惹かれる人の頃を否定しても成功しない。それは人間の(健全な)思考を支えているものと同じだからだ。
むろん性欲を否定しないと言っても性犯罪を野放しにすることはできないだろう。同じように疑似科学を否定できないとしてもそれが引き起こす社会問題については取り締まらなければならないものもある。しかし疑似科学が社会問題を引き起こすからといってそれを排除しようとするのは、性欲が性犯罪を引き起こすからといってそれを人間から排除しようとするのに等しいほど虚しい作業だ。だから疑似科学も宗教も永久に人間社会からは取り除けないし、むしろ取り除いてはいけない。
by メカ (2009-09-05 03:26)
> 「思想の部分に切り込む」ことで撲滅できるなら誰も止めないよ、きっと。
要するにその「撲滅しなければならない」という考えがそもそも間違っているということ。少なくともそれを疑うべき。疑似科学批判者は懐疑主義者のはずなのにそこだけは疑わないんだよね、不思議なことに。やっぱりどんな思想体系でもその中で思考する限り、絶対不可侵の領域というのがあるのだろう。
宗教なら神の存在を疑うことは許されない。常に「神が存在するのだから、世界は○○のはずである」から始まる。神が存在するかどうかは決して議論のテーマにならない。疑似科学批判者も同じで「疑似科学は排除されるべきものなのか」についてはまともに考察しようとしない。宗教が「神が存在する理由」ばかり探しているように、疑似科学批判者も「疑似科学を排除すべき理由」ばかり探している。
ある思想体系の中で考察できることが限られているならば、必要に応じて別の思想体系に乗り換えてそこから眺めることが必要。それが俺が「土俵」と表現したものであり、自分が今いる土俵の上だけで思考する限り、その思考できる範囲には限界がある。時には別の土俵に乗ってみるべきだ。
しかしその土俵の乗り換えができる人間とできない人間がいる。一つの土俵だけにいた方が楽だし安心感がある。別な土俵に移ると今までとは物事が違って見えるからどうしても不安になる。もちろん面白いという人もいるだろう。一つの土俵に固執する人々とむしろ自ら進んで複数の土俵を渡り歩く人々。
疑似科学と科学の戦いがあるとすれば、それはこの両者(土俵が一つか複数か)の戦いの一部がたまたま疑似科学と科学の戦いに見えているだけだ。この視点で眺めれば誰が誰と戦っているのか、という戦いの様相が今までとは全く違って見えるはず。疑似科学を批判している人間にも2つのタイプがいる。疑似科学を支持している人間にも2つのタイプがいる。宗教を信仰している人間にも2つのタイプがいる。
科学、疑似科学、疑似科学批判、宗教、それぞれに2つのタイプの人間が存在し、問題を起こすのは一方のタイプの人間なんだよ。他方のタイプは科学、宗教など立場が違っても社会問題を引き起こすことはない。
誰と誰の戦いなのか、何と何との戦いなのか、それは視点を変えると全く異なる様相を呈してくる。
by メカ (2009-09-05 03:42)
> う~ん、最近ちょっと手抜きはじめてない?
それはとんでもない誤解だね。もともと俺は緻密で慎重な主張の仕方に重きを置いていない。
そういうのはある程度完成に近づいた理論に求められることで、逆にその段階になったら、今回の疑似科学批判批判に限らずなんでもそうだけれど、俺自身はあまり興味を抱かないだろうね。
まずは全体をおおざっぱに形作ること。それには大胆な方がいい。それなら間違った時も分かりやすいだろうからね。
by メカ (2009-09-05 03:49)
>メカさん
なんだ分かってるのか、つまらん。
「思想の部分に切り込」んだら、根本的に解決できない問題だと分かったので、対症療法で臨機応変に対応しましょう、ってことね。
これなら、あなたに言われなくても皆知ってると思うよ。
大上段に振りかぶって「思想の部分に切り込む」ことができなきゃダメだ、とぶちあげた拳の下ろすとこはソコですか、そうですか。
ただ、きくち先生の活動は、そんな泥縄式なものよりも、もうちょっと計画的な啓蒙活動だと思えるけど。
>疑似科学も宗教も永久に人間社会からは取り除けないし、むしろ取り除いてはいけない。
これはダメですな。
ニセ科学は宗教と違うよ。(分かって書いてます?)
あなた形而上的なものを実際の現象を一緒くたに語るクチですか。(だともう議論は無駄ですけど。)
だから、宗教(や聖書)がきちんと理解できないのだね、きっと。
ちなみに、Judgementさんには悪いけど、私は敬虔な(←ここ重要)クリスチャンなのだ。(自称)
悪魔にマゾよばわりしている時点で、かなり聖者よりかもよ。
by トンデモブラウ (2009-09-05 10:49)
Judgementさん
> 社会問題を論じる事と、対策して成立しているか、という話は別と考えてみてください。by Judgement (2009-09-05 00:15)
きくちさんは、論じること自体を対策のひとつとしているのではないでしょうか。対策をどうするか論じるとかでもなく。問題提起というのかな。それとは別に論じるために論じているというのはメタというやつですよね。
社会問題ってたくさんありますよね。いじめ、覚せい剤の蔓延とかもそうでしょうか。その中で「科学的誤り」がとっかかりになっているものだけをピックアップして、そういう社会問題を「ニセ科学」と呼んだわけですよね。それは科学者自身が科学者からの批判が重要であると考えたからです。
「科学者が、科学者からの批判が重要であるとして、科学的誤りのある社会問題について科学的誤りをとっかかりにして批判する行為」
が、そもそもの「ニセ科学批判」ですよね。
そしてそれは成果のひとつとして、科学者以外にも認知され活動は広がっていったわけです。微々たるもんのようですが。
ニセ科学は社会問題ですから、もちろん科学的誤りだけが構成要素となっているわけではありません。論ずべき点はたくさんあります。ただ、「ニセ科学」と銘打った以上は、どう科学ではないのかは、とっかかりとして説明する必要はあるでしょう。
そのうえでちゃんとしたニセ科学批判者はそれ以外のことまで言及していますよね。きくちさんもコメントでそれ以外に時間をたくさん使うとコメントされてますし、自ら文書を作成、ネット上で公開してきちんと科学的誤り以外について説明されてる方もいます。
もちろん「それ、ニセ科学やん」で済ましてしまう問題児もいるでしょうが。
というのが、ぼくの「ニセ科学」「ニセ科学批判」に対する最新の理解です。
で、話を戻しますと、
「ニセ科学批判は科学的誤りを指摘するのをやめて、思想的な部分から切り込むべきだ」、と言われても、それは「科学者が科学者の批判が重要だとしてピックアップした科学的誤りがとっかかりにある社会問題群を、あえて科学的誤りの部分ではなく思想的な部分から切り込め」ということで、じゃあなんで科学的誤りでソートしたピックアップが必要だったのか意味不明だと思うわけです。
思想的な部分が問題で最重要、そういう切り口で社会問題と対決したいというのなら、いろいろな社会問題からそういうピックアップの仕方をしてどうにかすればいいんであって、あえてきくちさんの、「ニセ科学」って書いてある手のひらの上で騒がなくてもいいのに。という意味の不思議だな。です。
> トンデモブラウさんもbandicootさんも、特定の意味の印象が強いから違和感を感じてるんじゃないでしょうかね。
なんかもっと分かりやすい表現が無いかなぁ...。 by Judgement (2009-09-05 00:15)
これが「思想」でなく「人の気持ち」とか「人の弱さ」とかならすんなりはいってきたかもしれません。「言論の世界」「人の気持ち」「揶揄」「感情」あたりは気になるキーワードですので。
ただ、議論の訓練をつんだ方々は、議論に感情が入り込むのはどうなんでしょうね。良しとしない方も多いきがします。
by bandicoot (2009-09-05 15:40)
bandicootさん
たとえば携帯によるイジメとかが問題になってるよね。だから裏サイトを取り締まれとか生徒に携帯を持たせるなという議論になっている。でも携帯がイジメの原因なのではなく、イジメは人間の間に存在するものだ。携帯はそれを可視化しているに過ぎない。
生徒同士の口頭でのイジメは証拠がなかったから問題視されなかった。先生たちはイジメは存在しないと言い張っていれば済んだ。せいぜい自殺した生徒が残した遺書とかだけに対応していればよかったわけだ。
それが携帯電話によって動かぬ証拠が残るようになってしまった。で、携帯電話が元凶だといってそれを制限しようとする。本気でそう考えて子供たちを守るには携帯電話を子供から取り上げればいいんだと信じる人も少なくないだろう。
でもそれって違うんじゃないの?せっかくイジメを可視化しているものを可視化の部分だけを取り除けばイジメは解決だ、というのは事態を好転させるところか逆の結果になるんじゃないの?と。
物事を一部だけ見て、それに対して対策するというのは決して「やらないよりはマシ」ではない。むしろ「やらない方がマシ」な事も多い。きくちさんのやってることはそういう部分で慎重さが足りないと思うよ。
by メカ (2009-09-05 16:23)
トンデモブラウさんとメカさんのコメントについては、込み入ってきているので後回しでーす。
まぁ、しばらく好きにやっとくれ(とか言っていると『イノセント』みたいになっちゃうかもしれんけど)
【タカキさん】
>その奢りの部分が批判活動家に見えるようになったので
決して「自分が偉い」とは思ってないんだろうケドね
「自分はタメになる事を誠実に、一生懸命やっている」
という気持ちが強すぎて、自分に同調してくれない人を相対的に
「タメにならない」、「誠実ではない」、「一生懸命ではない」
と評価してしまう傾向があるように思います。
>(というかそれがノイズに見えて観察し難いというか。)
多分そのノイズは批判している人のほんの一部であり
あるいはその人の発言のほんの一部でしかないのでしょうが
そのノイズが思いのほか不快なため、目立つのでしょう
>似通った思想のヤツがここで屯ってても仕方ないんですがね。
そうですよ。
私もここを、彼らに不平を持つ人の溜まり場にするつもりはありませんのでね。
それはそれでうっとうしいので。
【bandicoot さん】
>きくちさんは、論じること自体を対策のひとつとしているのではないでしょうか。
「問題提起」と「対策」は別物で(私としては)、「問題提起」があって、「対策の必要性」が求められれば、「対策」を考え、実施する、という流れを考えています。
で、「論じる事」と「論じる事自体を対策とみなす事」は別物で、後者であればやはり「対策して効果あったのか」というのは尋ねられてしかるべきでしょう。
うーん、あと、何を指してメタと言っているのかちょっと分かりません...
で、一応整理しておく必要があると思いますが
今回菊池教授の「ニセ科学入門」とメカAGさんの主張を比較したのは、あくまで、poohさんがメカAGさんに疑問の根拠として「ニセ科学入門」を出したから(メカAGさんの元の記事では、菊池教授を直接的に批判していたわけではなく「疑似科学批判」という現象について述べている)。
上の記事も、実質的には『poohさんがメカAGさんの主張に「ニセ科学入門」を持ち出した事』に関する検証であり、メカAGvs菊池教授もその延長上で比較してみただけにすぎません。
で、一応、菊池教授を始祖と考えて、彼の考える「ニセ科学」に対するポリシーに対する私の理解というのは、おそらくbandicoot さんのコメントの中盤~『ぼくの「ニセ科学」「ニセ科学批判」に対する最新の理解です。』あたりと、そうは違いませんよ。
ただ、実際の「ニセ科学批判」はそのポリシーを継承してやっているのかが、今回の記事で考えて欲しかったテーマ。
私としては、ニセ科学批判をしている人達のポリシーは、菊池教授のそれと離れてきているのではないかと考えています。例えば、菊池教授の文章を読む限りは「問題提起のつもり」と理解できますが、いつのまにかそれを『効果的対策』と解釈する、あるいはそう結論付けた上で、自分の活動の正当化をしようとする人が出てきているように見えます。
で、メカAGさんの批判は、菊池教授も入っているとは思うケド、メインはそういう人達の言動ではないのかなぁと私は解釈しているんですよ。
で、「そういう人達が」とフォーカスを変えて考えると、その人達は別に菊池教授のポリシーを尊重しなければならないわけではないし、今の菊池教授も「ニセ科学入門」からポリシーが変化しているかもしれません。
それはいいんだけど、そういったそもそものポリシーから外れてあるであろう部分を批判された時に、それに対し『ニセ科学入門』を持ち出すのはなんなんだろうね、という事が言いたい。
>「人の気持ち」とか「人の弱さ」とかならすんなりはいってきたかもしれません。
あ、「すんなりはいってこなかった」という事に引っかかっていると、人の文章は理解できませんよ。
書く人はそれなりに言葉を選びますが、「bandicoot さんがすんなり理解できるか」までは考慮する事はできないんですから。
「この人は何を言いたいのか」を考えれば、不明な用語の意味も有る程度絞れるでしょ。
分かりたければ分かる理由が見つかるし、分かりたくなければ分からない理由しか見つからないんです(←これ金言)
by Judgement (2009-09-05 22:29)
> メカさん
物事の対策方法はその影響を考えて慎重に選定・実行すべきだとう考えは理解できます。
ですが、きくちさんにその慎重さが足りていないと確信しているように見受けられますが、
その判断根拠はあるのでしょうか?
個人の判断基準は色々ですが、メカさんがそう判断した根拠を提示いただけないでしょうか?
提示頂けないと『きくちさんのやってることはそういう部分で慎重さが足りないと思うよ。』の部分に同意できる人は少ないのではないでしょうか?(少なくとも私は論が飛んでると見えます。)
by タカキ (2009-09-05 22:35)
>メカさん
ひとつたとえ話をさせてください。
何人かで、インスタントラーメンをたべています。
まあ、普通にお湯沸かせてインスタントラーメンぶちこんで作ったわけです。
袋入りのインスタントラーメンで5袋セットくらいでしょうか。
そこにある人が来ていいました。
「インスタントラーメンをそのままラーメンとして食べるなんて単調すぎる。飽きる!自分ならゆがいた後でお湯を切りフライパンでやいてお好み焼き風にする。バリエーションを増やすとはこういうことだ。インスタントラーメンをラーメンとして食べないといけないなんて誰がいった!」
ラーメンを食べてた一人が言いました。
「卵いれたり白菜いれたりしてるし、だれもバリエーションが少ないとも飽きたともいってないんだけど、不思議なこと言い出す人だね」
その人のお友達もいいました。
「俺らのラーメンが単調だっていうんならさ。とりあえずその手にもったインスタントラーメン、せめて袋からだして調理くらいしたらどうなの?」
もしかしたら、難癖つけにきただけか、と思ってるかもしれませんね。
で、僕がセリフとしては
「別に他の食材もあんねやし、好きな料理つくればよろしいやん。なんでそこまでインスタントラーメンに拘るのかわからへん」
たとえ話ここまで。
ニセ科学批判者はいじめ問題をニセ科学として論じることはないでしょう、たぶん。科学的誤りとは関係なさそうなので。
でもメカさんの思想体系ならば充分にフォロー可能ですよね。ぜひとも頑張ってください。
ほんとに不思議なのは、ニセ科学以外の社会問題をフォローするに充分な思想体系を持ちながら、何故「ニセ科学批判という土俵」にあがろうとするのか。ニセ科学批判と別の視点から切り込もうという人がなぜ別の土俵を自分でつくらず乗り換えることができないのか、なぜきくちさんのつくった「ニセ科学批判という土俵」にあがろうとするのか。という点です。
これが
『ニセ科学批判卒業宣言 社会問題により深く斬り込むだめに』
とかいうエントリーで、「もうニセ科学批判だけでは日本はだめだ。俺たちにはニセ科学批判で学習した教訓、ノウハウがある。ニセ科学以外の社会問題もどうにかしていこう。俺たちにはできるはず!その手法として――」
というような主張がなされたのであれば別の感想をもったと思います。
by bandicoot (2009-09-05 23:35)
タカキさん
> ですが、きくちさんにその慎重さが足りていないと確信しているように見受けられますが、その判断根拠はあるのでしょうか?
比較的いい質問だね。この点については俺はまだ述べていなかったからね。俺の疑似科学批判に対する根底の考え方として、1995年前後のオウム真理教事件を中心とする疑似科学批判がなぜ成果を上げずにいつの間にか衰退してしまったのか?という問題がある。オウム事件はかつてないほど強烈な「反疑似科学」世論を巻き起こした。にもかかわらず15年たった今、疑似科学に惹かれる人はまるで当時を思い起こさせるほど多い。
そしてきくちさんが今やっていることが当時の疑似科学批判と大きく変わっているようには俺には見えない。まあ当時先頭に立っていたのは大槻教授などで、承知の通り彼のやり方は疑似科学批判側からもいろいろ問題が指摘されている。しかしそれは表面的なもので、基本は今きくちさんがやっていることと同じだと思うんだよね。
で、同じやり方をする以上は同じ結果になるであろう、と。それが俺の考えの中心にある。さらにいえば、当時大槻教授などをもてはやして疑似科学批判の急先鋒に立っていたタイプの人間と、現在きくちさんを教祖としてあがめ奉って疑似科学批判をしている人々のタイプも驚くほどそっくりだ。だから俺には同じ結果になるようにしか思えない。
ところで当のきくちさんは15年前の状況について、何を考えているのかよく分からない。当時の状況を全然知らないはずはないだろう。かといって同じ轍を踏むまいと何か工夫や努力をしているような形跡が見られない。少なくとも俺からは、ね。漠然と自分の思いつくままに行動し、15年前の状況は念頭にはあるものの、特にどうこうしようとは考えてないんだろう。その意味できくちさんの考えは浅いし甘いと感じている。
ま、これについてはまだ語り足りないが、簡単にいえばミイラとミイラ取りが同じタイプの人間だったってことが15年前の敗因だと、俺は思っているということだよ。
> 提示頂けないと『きくちさんのやってることはそういう部分で慎重さが足りないと思うよ。』の部分に同意できる人は少ないのではないでしょうか?(少なくとも私は論が飛んでると見えます。)
1から10まで説明してもらわないと納得できない(というか納得するつもりがない)人間に対してそれほど説明の手間をかける意義を俺は感じない。1をいったら10まで自力で考えられる人から支持される方が重要だと思うのでね。もちろん気が向けば上述のようにそれなりの文章量で説明することもあるけれど、必須だとは考えていない。全員に理解させる必要はないと思う。
by メカ (2009-09-06 00:14)
bandicootさん
なんというか…いっちゃ悪いけど"幼稚"だね、考えのレベルが(苦笑)。そういうレベルの人が「社会のため」にがむしゃらに何かをすることに危険を感じる。間違っていたらどうしよう?とか考えないの?
問題はそういうタイプがあなた一人ぐらいだったら俺も憂慮しないんだけど、むしろあなたのようなタイプが大部分なんじゃないかと思うんだよね。なので俺は末恐ろしさを感じている。オウム真理教も「なんか変な人たちがいるけど、まあいいや」と放って置いたら、とんでもないことになってしまった。
> なぜきくちさんのつくった「ニセ科学批判という土俵」にあがろうとするのか。という点です。
土俵に上がるという意味をあなたは取り違えている。土俵に上がるというのはその価値観を前提に思考するということ。たとえばきくちさんの土俵なら「科学をエサにして思想を広めるべきではない」というところだろう。俺はそれを否定している。
「科学をエサに思想を広めてもいい。問題は手段はどうであれ、広めていい思想といけない思想があるのだ」というものだ。その土俵からきくちさんやその取り巻きの活動を評価し直しているのが、俺がやっていること。別な土俵から見ているから、違う風景が見える。
まあ、あなたには難しすぎる話ではあるだろうね。人の理解力には限界があるものだ。特に抽象的な事柄を思考する能力は個人差が激しい。
by メカ (2009-09-06 00:26)
Judgement さん
メカさん、poohさんのご意見を比較するまえに、メカさんのエントリが、ニセ科学批判を否定しているにも関わらずニセ科学批判の枠組み・ツールを使っていこうっていうのかな、不思議。というところでモタモタしているのが正直なところです。
>ただ、実際の「ニセ科学批判」はそのポリシーを継承してやっているのかが、今回の記事で考えて欲しかったテーマ。
メカさんのエントリで最初にあがってくる2個集団がASIOSさんとと学会さんなわけですが、両方ともニセ科学批判集団と言われると、周りも本人さんたちも、「え?」って思いませんかね。
個々のニセ科学について批判的な見解という決着のしかたは同じに見えるかもしれませんが、その姿勢はぜんぜん異なると思います。
「ニセ科学批判はそのポリシーを継承してやっているのか」の例に使ってしまうのは危険だと思います。
懐疑論者集団のASIOSさんなら証言や資料が本物かどうかが問題でしょうし、それを調べたりするのを楽しんでたりして。たぶん。
楽しむということにおいてはと学会もそうでしょう。
メカさんが「不思議を楽しみたいのだから」と書かれている通り、その言論に社会問題を取り扱っているという要素はあまりないと思うのです。
で、この2個集団が引き合いにだされて、ニセ科学批判は科学的な指摘ばっかりだ、種明かしをしてるだけだ。と結論づけられてしまうようだと、
「もうちょっと本家っぽいとこから話すすめません?たとえば『ニセ科学入門』とか」
ニセ科学批判批判者よりさきに「ニセ科学入門」を読むのは、ポリシーから外れたニセ科学批判者だとは思います。
by bandicoot (2009-09-06 00:32)
bandicootさん
別に俺はASIOSとと学会を一括りにしてなどいないのだが。それは本文をちゃんと読めば分かること。そういう「議論以前の問題」にして手っ取り早く片付けようとするのが最近の"なんちゃって疑似科学批判"者の悪い癖だ。
by メカ (2009-09-06 00:44)
いつの間にか色々コメントついててびっくりだけど、とりあえず保留してたお返事から。あとは後日。
【メカさん】
わぁ、度重なるコメント、ありがとうございまぁぁぁす。
一応、私のコメントにひっついたものに関してお返事させていただきまぁぁぁす。
でさ、まぁ、言っていることの多くは同意するよ(豹変)。
つうか、私がこのブログで既に言っている事とかぶっているからね。
あのさ、ぜんぶ読んどけ、なんて強要はしないし、できないけどさぁ(要求できるほどのクオリティでもないけどネ)、芝居がかった能書き垂れてかっこつけるなら、かっこつけて見せる相手がどういう考え方の人だかぐらいは、把握しておいた方が良かったんじゃないの?
なんていうのかなぁ...昨日自分が見たドラマの筋を、友人が嬉々として話すのを聞かされるような感が...(ホント空気読めよ)。
っていうか、くどい!!(そこはかとなく、技術開発者さん的なかほりが...)。
自分の記事ならともかく、人のコメント欄にくどくど迂遠な例え話とか列挙とかすんなよ。
...あわわ、失礼な事言って申し訳ありませんっ!
えっと、まず(2009-09-05 03:26)の記事のご高説の数々、誠にもって同感です。
ただ、残念ながら、この回のコメントは、私が常々思うことの範を出ないもので、それを研ぎ澄ましてくれるようなものはございませんでしたが。
でも、貴重ないちご意見として、参考にさせていただきますっ!!
次に、(2009-09-05 03:49)のコメント
>> う~ん、最近ちょっと手抜きはじめてない?
>それはとんでもない誤解だね。もともと俺は緻密で慎重な主張の仕方に重きを置いていない。
なるほど、元々の水準がこのくらいという事ね。
なんつうか、「遠目でかっこよく見えた人を、近くで見たらそうでもなかった」感が...
いや、ナンデモアリマセン...。
つまり、自分の主張の妥当性を示すのではなく、自分の「こいつはこんな奴なんだぞー」、「この世界はこうなっているんだぞー」という事をアピールすればそれでいい、って感じなのカナ。
大胆さと粗雑さは別物と思うケド、まあいいか。
キャラクターを決めるのはその人自身ですからネっ!
うーん、多分、メカさんは返し技が得意なんでしょうね。
apj氏やきくち氏へのコメントの鮮やかさと比べて、ご自分のご意見を述べるときは精彩が無くなるような...いやいや、言っている事は分かるんですよ。つうか、私も分かっている事なんです。
だからこそ、斬新な切り口とか、緻密さとか期待していたんですが....
...あ、私如きがそんなの期待する方がお門違いですよね。スイマセン。
まぁ、色々な方と盛り上がっているようなので、どうぞ遠慮なくお続けください。
【トンデモブラウさん】
メカさんとのやり取りに、とりあえず茶々は入れないでおくけど
ひと言だけ謝っておきます。
敬虔なクリスチャンに対し、それをはなから疑うような発言してスイマセン。
ただ、謝る代わりにひとつ要求しておきます。
少なくともここでは自分の宗教、あるいは自分が信教者である上での事を語らないでください。
私は、宗教が大キライです。
信教を尊重する話が出るなら、私はその信教を否定してしまうでしょう。
悪魔と呼ばれる事は慣れていますが、
私はあなたをキライではないので、魂の根底を否定する話はしたくない。
OK?
by Judgement (2009-09-06 01:32)
先のコメントで"同意"と表現したのは失敗だったなぁと考えています。(だれもが同意するわけないので。)
メカさんはこのコメント欄で"幼稚"と表現したような人には理解してもらわなくて良いのでしょうが、それ以外の能力のある人に理解して貰おうと考えるなら、理論が飛んでいれば理解出来ないのではというのが本意です。
理解出来なきゃ反論も同意も出来ないのではないですか?(へんな反論の相手をしなくて済むかも。)
質問と云うより確認ですが、メカさんの考えでは、15年前の大槻教授などの活動の問題点は「科学者が科学的な視点から批判する」という事そのものにあり、その視点から見るときくちさんの活動は15年前の活動からは変わらない。
メカさんの評価では15年前の大槻教授などの活動は、いじめの例で可視化を阻害するようなモノか、絵画の修復の例(poohさんところのコメント)の様ににあとから評価するといらぬ修復だった可能性があるという理解ででよろしいでしょうか?
上記理解で問題ないなら、これに反論するには15年前の活動の評価をする必要が出てくるのですが、私には十分な情報がないので反論することが出来ませんしありません。
(この点でメカさんに反論ある方がいるならばどうぞご自由に。)
by タカキ (2009-09-06 01:46)
Judgementさん
> かっこつけて見せる相手がどういう考え方の人だかぐらいは、把握しておいた方が良かったんじゃないの?
俺はまだあなたに何も言ってないのだが?最初にブログ主を無視して第3者どうしでやりとりすることについて許可をもらったはずだけどね?
で、あなたが過去に俺が書いたような文章を書いたなら、なぜ俺が同じことをまた書かなければならないのか?を考えるべきだろうね。つまりあなたの文章には意味がなかった、と。
> ...あわわ、失礼な事言って申し訳ありませんっ!
そういう二重人格を気取る人って時々ネットにいるよね。概して他人からあまり高い評価をされていない人が多い。当然だね。妙な小細工に頼らないと自己主張出来ないような人間なんだから、自ずと評価は低くなる。
> えっと、まず(2009-09-05 03:26)の記事のご高説の数々、誠にもって同感です。
そのコメントはあなたのコメントを話の枕に使っているだけで、本文の内容はトンデモブラウさんに対するものだ。そんなことは文章全体を読めば容易にわかるはず。
> つまり、自分の主張の妥当性を示すのではなく、
妥当性を示しているつもりだけどね。しかし完成された説だけを示すつもりではないということ。思考途中の未完成な段階でも他者に披露し、意見交換できることがネットの利点だと思っているのでね。
従来は発表の場が限られていたからどうしても個人や少人数のグループの中である程度研究を完成させ、一定の完成度に達したものだけを発表するしかなかった。ネットでは自分の考えを発表のコストが非常に低くなったのだから、従来自分一人の頭の中だけでやっていた思考や少人数のグループ内でやっていた未完成の説の完成度を高めていく作業も、ネット上で不特定多数の人間の参加の下に可能になる。
という意味で、完成度の高さや緻密さを重視しないということ。
> 自分の「こいつはこんな奴なんだぞー」、「この世界はこうなっているんだぞー」という事をアピールすればそれでいい、って感じなのカナ。
そう思うのは、実はあなた自身が内心そういうものの考え方をしているからだろうね。自分を恥じるべきだと思うよ。
> だからこそ、斬新な切り口とか、緻密さとか期待していたんですが....
正攻法の考え(正論)というのはあなたが期待するような派手なものではない。そういうものを求める時点であなたの考えの底がしれてしまうね。ま、俺がトンデモブラウ宛に書いた文章を自分宛だと思い込むあたり自意識過剰だし、まあおかげであなたという人間の人間像がほぼ見えてきたといえよう。
余談だけれど、今回あなたのブログを始めて訪れたつもりでいたのだけれど、自分のRSSリーダをみるとあなたのサイトも登録されてるんだよね。ただ登録しただけで放置してたので全部未読になっていたけれど(笑)。
今回疑似科学関連のエントリを中心に幾つか(4、5個かな)読ませてもらったけど、まあ、これはあなたのスタイルなんだろうけど、他人の意見のまとめばかりで、あなたの分析部分が貧弱という印象を受けた。結局「どっちが正しそうだ」という結果しかいってなくて、その判断の根拠があまり書かれていない。「思った」の域を出ていない、とね。
まあ、そういうブログみたいだから、それについて良いとか悪いとかいうつもりはないけど。
by メカ (2009-09-06 12:05)
タカキ さん
> 理論が飛んでいれば理解出来ないのではというのが本意です。
十分に能力のある人間なら、その欠落部分を自力で補えるはずだ、といってるんだけどね。
? 理解出来なきゃ反論も同意も出来ないのではないですか?
これも同じような話になるが、十分な能力がある人間ならば、欠落している箇所ではなく、欠落していない箇所だけつなぎ合わせて矛盾点を見いだし反駁できるはず。
全体的に感じるのは何でもかんでも相手に求めすぎだと思うよ。得られた情報の中で最大限の思考活動(同意なり反論なり)をすることを重視すべき。「説明が足りないから分からない」なんてことは子供でも言えることだ。
逆に情報が不足しているにもかかわらず卓越した分析力を発揮し、相手に鋭い意見を述べることができれば、相手はあなたを「こいつにはもっと手間暇を惜しまずに説明し意見を聞きたい」となるはず。議論の上でそういうアピールは結構大事なことだ。
> 15年前の大槻教授などの活動の問題点は「科学者が科学的な視点から批判する」という事そのものにあり、
そうではない。まあこれもきちんと説明しなかったからあなたが誤解するのも無理もないけどね。既に述べたように現在疑似科学叩きをやっている人々の多くはカルトと同じ動機でそれをやっていると俺は考えている。積極的というか先鋭的というか、一生懸命やっている人ほどその傾向が強い。
そして大槻教授にしろきくちさんにしろ、そういう人を利用して扇動して疑似科学批判の活動を盛り上げようとしている。少なくともそういう方向を否定していないように見える。
つまりカルト(疑似科学批判者)をつかって、カルト(疑似科学支持者)を撲滅しようとしているわけ。と学会の山本弘も疑似科学論者の著書をトンデモ本として嘲笑という武器を使って疑似科学叩きを試みた。最初の方は海外の疑似科学批判の文献などを参考にして、感情や攻撃性を押える形でやっていたけれど、そのうちネタが尽きたのか、自力でやりはじめた。
すると山本の性格もあり、ほとんど揚げ足をとって著者の人格を嘲笑するというスタイルになってしまった。批判の内容も雑になっていった。ただ嘲笑えばいい、みたいにね。
大槻教授の場合も先陣を切ってかなりえげつない疑似科学叩きをしたので、今は疑似科学批判者からも評判がイマイチだ。その点きくちさんは自分は奥に控えていて兵隊にそれをさせているので、ある意味賢くはあるのだけど、結局兵隊を頼りにしている以上は同じことだ。その兵隊のやっていることがエゲツナイんだからね。
で、結局そういうえげつなさが世論の離反を招き、しっかりとした疑似科学やカルトの社会的な危険性について対峙していきましょう、という方向になrなかったのではないかと俺は思う。派手さや面白さ、相手(疑似科学支持者)を嘲笑する快感、攻撃性を前面に押し出してそれに頼ってしまったがために地味でも堅実で長続きする活動にならず飽きられた。
つまり疑似科学批判をあたかも芸能人の「芸」のように行ったことが一過性のブームで終わってしまった理由だと思う。「楽しければいいじゃないか」みたいにね。それは疑似科学批判を娯楽としてやるならそれでいいと思う。しかし社会正義を掲げて持続的にやる活動ならば、その方向は違うだろう、俺はそう思うわけ。
> 私には十分な情報がないので反論することが出来ませんしありません。
だからそういう視点での研究が必要だと言っているわけだよ。それがなぜ疑似科学批判が成果を上げなかったのか、という問いかけ。多くの人間がきっちり分析した上で、結論が俺の意見とは逆になって「いや、成果は上がったんだ」とか「いや、あの時と今のやり方は違うから大丈夫なんだ」となるなら、それはそれでいいと思うよ。
しかしあなたが図らずも言ったように誰もそういう点について検討しないから情報がないわけだよ。それって健全な状態なの?過去の失敗を省みて分析することなしに、猪突猛進でまた突き進んでいるように俺には見えるね。
by メカ (2009-09-06 12:37)
>Judgementさん
ご心配なく。
私は心の狭いクリスチャンなので、プロパガンダまでして他人の魂を救おうって魂胆はありません。
宗教の自由は憲法でも認められているんで、あえてその自由を強奪する神経がわからん。
自分だけ助かって美味しい思いをしたいなんて狭い了見とか、他人にプロパガンダする時間や暇があったらもっと楽しいことは世の中いっぱいあるのに、何が悲しゅうて他人のために貴重な生きている時間を使わんといかんのじゃ、という悋気でもない、きっと・・・たぶん・・・そう思いたい。
まぁ、メカさんの言われる『宗教』が、どうやらインチキ・カルト限定のようなので、自分の信教を吐露する必要もないようですし。
「あわわ・・・」のノリツッコミも私は好きですね、おもろい。
メカさんには受けないようですけど。
で、>メカさん
ニセ科学批判者が、その撲滅を目指すのは当然でしょ。
趣味でやっているとでも?
ただなくせると思ってやってる人なんていないと思うよ。(あっと、一人いた。メカさんだ。)
あと、いろんな発言からメカさんの想定する『宗教』はどうやらインチキ・カルトのようなので、ここにツッコむのはどうかとも思ったけど、
>宗教なら神の存在を疑うことは許されない。・・・(以下省略)
この部分。
「ある宗教を信じる=(その宗教に存在するなら)神の存在を信じる」というのはなんの矛盾もないじゃない。
矛盾を感じるのは信じてないからだよね。
そんなこと議論している宗教団体は、はっきりいって頭がおかしい。
で、>「疑似科学を排除すべき理由」ばかり探している。
って誰が?
皆ニセ科学をなくせるベストな方法を模索しているように感じますけど。
だって、「排除すべき理由」ははっきりしてし。
「科学」を騙るということは、「科学」にとって迷惑だし、インチキ業者の存在はまじめな業者を圧迫するでしょう。
その活動が社会的害悪になっている、とするメカさんの理論飛躍の方がよっぽど不透明。(ただの妄想?自分のいないところでこういう活動が盛り上がるのが面白くない?)
「世論の離反を招」いた事実も確認できなかったので、できれば教えていだたきたいものだ。
まぁ、大槻教授の活動ときくち先生の活動が一緒に見えて、ニセ科学と宗教が一緒に見えるようでは・・・大丈夫?
「成果がない!」と騒ぐのは勝手だが、現場にいなくてそれが解るのかね。
正確に言うと「自分には成果がないように感じる。」だけでしょ。
本来共感されるだろうそのことでも誰も共感してくれてないよね。
言うだけなら誰でもできるって皆知ってるからじゃない。
大槻教授を過去の失敗例とするなら、これは十分反面教師になってるし。
ニセ科学撲滅への自然科学からの切り口は、当然「科学的じゃない」となるので、ここから「科学的ってどういうこと?」と発展すれば十分啓蒙活動ができてると思いますけど。
メカさんは、リスク評価とリスク・マネージメントもごっちゃになっているんじゃないかな。
今の道路の速度規制は、標識のない一般道だと60km/h以下とかですが、安全だと思いますか?
約1tの普通車がこの速度のエネルギーはかなり危険でしょう。
15km/hにすべきでしょうか?
ダンプは5km/hくらいかな?
by トンデモブラウ (2009-09-06 14:58)
トンデモブラウさん
> まぁ、メカさんの言われる『宗教』が、どうやらインチキ・カルト限定のようなので、
そこまでいうなら、あなたの信じるキリスト教がインチキカルトと明らかに違うことを、誰にでも分かりやすく簡潔に説明できるんだろうね?悪いけど俺にはとてもあなたがそれをできそうには見えないんだけど。
> ただなくせると思ってやってる人なんていないと思うよ。(あっと、一人いた。メカさんだ。)
俺はなくそうとなど思っていないし、そう書いているはずなんだけどね。まああなたのレスを読むと、どうやらほとんどろくに相手の文章を読まずに反論を書いているようだから、そういう勘違いするのも無理ないだろうけどね。まさかバレてないとでも思っているのだろうか。
> 「ある宗教を信じる=(その宗教に存在するなら)神の存在を信じる」というのはなんの矛盾もないじゃない。
> 矛盾を感じるのは信じてないからだよね。
俺はそうは思わないけどね。宗教の実態とは人間のその時代の価値観やあるべき生活規範の集合体だ。こうあるべき、こう生きるべき、こう考えるべき、という経験則の集大成が宗教の教義なわけだよ。長い歴史をもつ宗教もカルトも基本的にそれは変わらない。もちろん新興宗教は歴史が浅い分、その経験則の集合体がいささか短絡的で、そのために暴走しやすいけどね。
で、神の存在というのはその経験則を人々に広めるにあたって、それを体現するものが必要だから、それを便宜上想定しているに過ぎない。別に神なんていなくても(わかりやすさは減じるかもしれないが)その宗教たとえばキリスト教が説く人の生き方やあるべき姿の教えの部分の価値はなんら揺るがない。キリスト教を信仰している人々は「神」ではなく、そこに書かれている価値観や経験則を支持している。神自身は必須ではない。
それは水伝も同じこと。別に水の結晶に善悪の判断能力があるかなど、水伝信者にとっては重要なことではない。水伝が提供している価値観や経験則(キリスト教に比べればママゴトのように初歩的なものだろうけど)を支持しているわけ。
> 「科学」を騙るということは、「科学」にとって迷惑だし、
それなら「神が作った人間」について妙な理屈を持ち出して神の行いを否定する進化論も、宗教からみれば迷惑な話だろうね。要するにそんなのはお互い自分の都合のいい理屈を主張しているだけのことだ。
> インチキ業者の存在はまじめな業者を圧迫するでしょう。
それは法律で取り締まればいいだけのことだと、最初からいっているんだけどねぇ。それを「元から絶たなきゃダメ」みたいに、思想にまで踏み込むのは、9.11テロを起こしたのはイスラム教徒だ、だから根本的な原因を取り除くためにイスラム教を消滅させよう、みたいな乱暴な話。
> 「成果がない!」と騒ぐのは勝手だが、現場にいなくてそれが解るのかね。
現場って…あなた自分は何様のつもりなの?(苦笑
> ここから「科学的ってどういうこと?」と発展すれば十分啓蒙活動ができてると思いますけど。
だからそれは否定してないと最初に書いているだろうに。たぶんあなたは俺の元の文章(asksに書いた)を読んでないよね。単に俺に反論している誰かのコメントを読んで「たぶんメカってやつはこんなことを言ってるんだろう」と想像で書いてるよね。
by メカ (2009-09-06 15:20)
>メカさん
>だからそれは否定してないと最初に書いているだろうに
それは失敬、もう一度確認して・・・ふむふむ。
>頭の体操になるし科学的な考え方を育てる材料になる。
最後の方じゃん!(まぁ書いてましたね。申し訳ない。)
あぁインチキ・カルトの定義ね。
個人的な基準で申し訳ないけど、現世御利益を説く宗教は全てダメだね。
残念ながら、それ(インチキ・カルト)以外の宗教家(僧侶、牧師、神父・・・)に出会ったことはない。
つまり全てのキリスト教がお勧めで健全な宗教だとは思っていないので、キリスト教として援護するわけにもいかないんだなぁ。
まぁ宗教に価値観や経験則を教わるわけじゃないしね。
ぶっちゃけ、宗教=生活環境ですよ。
>ただなくせると思ってやってる人なんていないと思うよ。(あっと、一人いた。メカさんだ。)by トンデモブラウ (2009-09-06 14:58)
あっと、これは滑っちゃいましたね。(何か勘違いしたかも。)
私のミスです。
申し訳ない。
>現場って…あなた自分は何様のつもりなの?
だから、現場にいない傍観者でしょうが。
だから、失敗が目に余るとかでもない限り何も言わない(というわけでもないけどね。)のが基本姿勢。
だって、現場にいないと分からないでしょ。
>それは法律で取り締まればいい
また無茶なことを。
基本、他力本願なのね。
一歩でも根本に踏み込むことはより有効だと思うけど。
ちなみに、交通事故をなくすために制限時速を5km/hにしたいクチですか?
科学(含む進化論)は、私(敬虔なクリスチャン^^;)にとっては全く迷惑じゃないなぁ。
でも、神は必須ですよ。
経験則を広めるって、いつの時代の宗教だよ・・・
by トンデモブラウ (2009-09-06 22:46)
> 最後の方じゃん!(まぁ書いてましたね。申し訳ない。)
ぜんぜん読んでなかったのを告白してしまったね。そんな姿勢で恥ずかしげもなく語れるのがクリスチャンなんだ。勉強になるな。そういうのもあなたの神はお許しになるらしい。自分からクリスチャン云々の話を出したんだから、こうしてネタにされることも覚悟の上なんだよね。よもや自分の都合のいいときだけ"クリスチャン"を利用できるなんて思ってないだろうね。
> 個人的な基準で申し訳ないけど、
なんだ、さんざん俺の話を俺の個人的な見解に過ぎないとか言ってて、自分自身は許されるということなんだ。脇が甘いよね、あなたの反論は。自分が同じ武器で攻撃されることを想定せずに刃物を振り回しているだけだ。まさに、なんとかに刃物状態。
> 現世御利益を説く宗教は全てダメだね。
それがなぜ「ダメ」なのか、あなたなりの理由でいいからきちんと俺に説明できる?できればそれと水伝の共通部分や違う部分も論じてくれると嬉しいな。まあちょっと要求が大きすぎるかもしれないけれど(だからこの件については拒否してくれても特に文句は言わないが)、俺が語りたいのはそういう部分だよ。で、そういう部分を分析していけばなぜ水伝がダメ(だと思う)のかもはっきりしてくるんじゃない?
> つまり全てのキリスト教がお勧めで健全な宗教だとは思っていないので、キリスト教として援護するわけにもいかないんだなぁ。
じゃあ、あなたが「健全」だと思う宗教でいいから、あなたが健全だと思う宗教とそうでないと思う宗教の違いの本質とはどこにあると思う?
> ぶっちゃけ、宗教=生活環境ですよ。
ん?これはよく分からない。宗教が生活環境を金銭的に支えているということ?そうでなくて思想面(精神面)で支えているのなら、俺がいうところの宗教が生きるための経験則を提供しているという話と同じだよね。どちらなのかな?
> あっと、これは滑っちゃいましたね。(何か勘違いしたかも。)私のミスです。申し訳ない。
ミスじゃなくて俺の文章をろくに読んでないからだろう。そうやってとりつくろう方が見苦しい…
> だから、現場にいない傍観者でしょうが。
よくわからんな…現場にいる人間がいない人間に向かって「現場を分かってない」というならわかるが、いない人間が言うのはシチュエーション的におかしいんじゃないの?変な人だ。まあ、あなたは変なところは他にも沢山あるが…
> だから、失敗が目に余るとかでもない限り何も言わない(というわけでもないけどね。)のが基本姿勢。
だから目に余るから言ってるのだけれど、俺の文章をろくに読んでいないあなたは、どういう部分が目に余ると俺が感じているのかも分かってないんだよね、きっと。
> だって、現場にいないと分からないでしょ。
そんな理屈を持ち出せば何に対するどんな批判も否定できるよね。そういう無敵の論法を振り回してはいけない。キ○ガイに刃物。
> >それは法律で取り締まればいい
> また無茶なことを。
> > 基本、他力本願なのね。
どこが無茶なのか。そんな私刑(リンチ)まがいのことをやってる方がよっぽど無茶だと思うね。
> でも、神は必須ですよ。
ならばなんのために必要なの?どういう場合に人はどう考えどう行動するかを示唆してくれるのがあなたの神ではないの?まさか来世で救済されるから現世ではひたすら耐えろ、とかいうのがあなたの神なのかな?それこそ時代錯誤じゃないの?(笑
by メカ (2009-09-07 07:54)
>メカさん
なんだかなぁ・・・
クリスチャンはくだらない文章もきちんと読まないといけない、とか思ってるわけ?
正直斜め読みだったのは認めましょう。
その程度の主張にしか見えないのでね。
でも、これってクリスチャンと全く関係ないよ。(まぁ私は異端だが。)
藁人形・・・
で、カルトの定義が何であんたの反論になるのやら。
もぅ。(脇が甘いのは認めてもいいけどね。)
じゃあ、何を教えて欲しいの?
メカさんの意見は、アレですよ・・・偉そうなコンサルタント。
いったい何が分かっててニセ科学批判者を批判してんだか、ってことよ。
普通は忸怩たるものがあれば、知らないことを偉そうに批判はできないんだけどね。
恥ずかしいと思える気持が残っているだけ、私の方が自分を分ってるかもよ。
>どういう場合に人はどう考えどう行動するかを示唆してくれるのがあなたの神ではないの?
私の神様はそんなこと示唆しないよ。
しかも、わたしゃ神なんぞに示唆されて行動するほどマヌケじゃないのだよ。
形而上的な示唆を現実にあてはめるなんて、馬鹿なの?
by トンデモブラウ (2009-09-07 08:58)
> クリスチャンはくだらない文章もきちんと読まないといけない、とか思ってるわけ?
つまりあなたの神様は「くだらない文章はいい加減に読め」と教えているわけだね?なかなかいい性格の神様だね。それとも神様は「常に他人に誠意を持って振る舞え」と教えているけど、あなたが教えを守れないだけなのかな?
> その程度の主張にしか見えないのでね。
そういう先入観で読めば、そうとしか読めないだろうね。先入観を人間の理性の限界まで排除しようとするのが科学的なものの考え方のはず。それを否定するかのような言動をするあなたに科学を擁護し疑似科学を否定する資格があるのかねぇ。
水伝信者が「水伝批判なんてくだらない主張にしかみえない」とか言っているのをあなたはどう感じるね?それが俺があなたに今感じていることだ(笑)。
> 藁人形・・・
疑似科学批判者ってのは思考パターンが単純化されてるね。ホントカルトそのものだと思うよ。一定の範囲のことしか考えられない脳になっているのだろう。その範囲を超えることも、なんとかこじつけてその範囲に収めようとするので思考の柔軟性がない。
> で、カルトの定義が何であんたの反論になるのやら。
ん?意味が分からない。俺からあなたへの反論?それともあなたから俺への反論?
> もぅ。(脇が甘いのは認めてもいいけどね。)
そんなんで、どうして自分の主張が正しいと自身を持てるのさ?教祖様がそう仰っているから?自分は思考能力はイマイチだけど、教祖様は自分よりも遙かに賢いので、教祖様の判断に従っていれば間違いない、みたいな感じ?この場合教祖様というのはローマ法王でもきくちさんでもいいけどさ。
疑似科学批判をしてる人の中で本当に自分の考えとして主体的にそれを行っている人が何人いるのかな。教祖様がそう仰っているから自分もそれに従おう、という便乗者というか信者が大半だと思うんだよね、俺は。
> じゃあ、何を教えて欲しいの?
だから一つ前のコメントでいくつか質問してるじゃん。あなたにとってよい宗教と悪い宗教の区別は何か(これは一応答えてくれたけど)?悪い宗教とは何が悪いのか?そして水伝をそれに当てはめると、水伝のどういう部分に害があると思うのか。あと、宗教には神がなぜ必要なのか?
> いったい何が分かっててニセ科学批判者を批判してんだか、ってことよ。
んなこといったら、あなたは何が分かって疑似科学を批判しているのかと問われてちゃんと答えられるの?あなたの答えで相手が満足する自身があるわけ?少なくともあなたは俺の話に満足しないわけだよね。
> 知らないことを偉そうに批判はできないんだけどね。
お互い「おまえの方が無知だ」といいあって楽しいわけ?疑似科学批判者ってみんなこのパターンだよね。poohさんも開口一番言ったことは「なぜこの人(メカ)は~を知らないのか」だ。なんかさぁ、「自分たちは世界の真理を知っている」みたいな気になっているカルトと同じだと思わない?
自分たちは知っている。相手はきっと知らないのだろう。自分たちの方が偉いんだ。そういう妙なエリート意識というか選民思想プンプンなんだよね、疑似科学批判者は。たぶんそういうのが快感で疑似科学批判をしてる人が大半だと思うよ。少なくともあなたやpoohさんのところにいた人はそんな感じだ。
> 私の神様はそんなこと示唆しないよ。
じゃああなたの神様は何をしてくれるのさ?
> 形而上的な示唆を現実にあてはめるなんて、馬鹿なの?
なんで俺が言ってるのが「現実に」だと思うのだろうか?勝手に間違った決めつけをして、それを間違いだと一人芝居しないでほしいなぁ。失礼だけどあなたあまり賢くないよね?
by トンデモブラウ (2009-09-07 08:58)
by メカ (2009-09-08 04:46)
あぁなんかもうメンド臭い。
もっとこう、真っ赤になって反論させるような煽りとか、真剣に答えてあげないと思わせるような真摯なコメントはできないもんか・・・
宗教論は悪魔からNGというお達しがあるので、具体的にはしません。
あしからず。
>> で、カルトの定義が何であんたの反論になるのやら。
>ん?意味が分からない。
>あなたの信じるキリスト教がインチキカルトと明らかに違うことを、誰にでも分かりやすく簡潔に説明できるんだろうね?by メカ (2009-09-06 15:20)
>現世御利益を説く宗教は全てダメだね。by トンデモブラウ (2009-09-06 22:46)
>脇が甘いよね、あなたの反論は。by メカ (2009-09-07 07:54)
>で、カルトの定義が何であんたの反論になるのやら。by トンデモブラウ (2009-09-07 08:58)
わかったぁ?
>なんで俺が言ってるのが「現実に」だと思うのだろうか?by メカ (2009-09-08 04:46)
に対するコメントは↓を受けたもの。
>どういう場合に人はどう考えどう行動するかを示唆してくれるのがあなたの神ではないの?by メカ (2009-09-07 07:54)
『どう行動するか』←これは夢の話?
そりゃ、失敬。
ちなみにコレはづおやら私の神さまじゃないね、よかった。(・・・ホッ)
by トンデモブラウ (2009-09-08 09:29)
> もっとこう、真っ赤になって反論させるような煽りとか、真剣に答えてあげないと思わせるような真摯なコメントはできないもんか・・・
俺は真面目だがね。あなたの考える真面目というのがどういうものか分からんが。
> 宗教論は悪魔からNGというお達しがあるので、具体的にはしません。
別に具体的でなくても構わないのだが?できる範囲ですればいい。それぐらい頭を使って工夫すべき。それができないなら能がないんだろうね。
> わかったぁ?
何が何だかさっぱり分からないな。多分俺の文章の意味をあなたは勘違いしてるんじゃないかい?あなたが俺の文章のどこをどう勘違いしているかは俺には分からないので、結果としてあなたの話がさっぱり分からない。
だいたい「意味が分からない」といってるのに、引用だけ列挙して「わかれ」というのも無茶な話。そういう独りよがりのことはやめようね。
> 『どう行動するか』←これは夢の話?
変なことを言うなぁ。神が手取り足取りたとえば家のドアを右手で開けるか左手で開けるかまで示唆してくれるわけ?アホかと。
何を重視しどういう価値観で行動するべきかを示唆するというのが、神であろう、という話をしているのに。人を疑うよりも信じることを大切にして行動しなさい、というレベルの話を、現実に今日の昼飯に何を喰うかみたいな行動と混同するとは。
あなたそれでよくクリスチャンを名乗れるねぇ。あなたは全然神の教えが頭に入ってないようだね。まああなたの一連の言動を見れば明らかだが。人を嘲笑し見下すだけが楽しみで生きているのだろう。そのための疑似科学批判なわけだ。まったくあなたの生き方にぴったりだね。相手を馬鹿にしていればいいんだから、楽しいはずだ(笑
by メカ (2009-09-08 09:55)