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今更「隠喩揶揄」に返事 [他ブログいっちょかみ]

 前回の記事に引き続きになりますが、今は(とりあえず)なき「不連続な茶飲み話」のkaqu11さんへの返答について、書きかけを仕上げましたので置いておきます。
 kaqu11さん、いつか読んでくだされ。 

 kaqu11さん以外の方でも、Judgementイズムを知りたい方がいれば読んでみてください(いるか、そんな奴)。あるいは、Judgementの傾向と対策にもなるかもね(なってどうする)。

 とはいえ、元のブログが消えているので皆さんはどんな事に対する返事かよく分からないですよね。
 でも、書き主が消した記事を長々と引用するのも気が引けるので、「私はこのような話だと受け取った」という伝聞の形で要約してみます。


【kaqu11さんはこんな事を言っていた(多分)】

 kaqu11さんは、最近のネット上でニセ科学対策活動の様子を見ていて、
 「ニセ科学を信じる人(「ニセ科学」そのものではなく)、あるいはニセ科学対策に対する批判的意見を持つ人を吊るし上げて仲間内で楽しんでいる」
ように思えることがあるもよう。

 彼は、誰かを揶揄するような言説は嫌いらしく、特に最悪に思えるのは集団で誰かを揶揄・非難(批評や批判ではなく)する類の言説だと言っていた。理由は
 「より気の利いた言葉で揶揄しようとするからか過激化することが多い」
からだって。

 「揶揄」や「集団化」については、(Judgementと田部勝也氏のコメントを元に)『ニセ科学蔓延防止策』として効果がある事が「理屈としては通る」と判断した上で、“もしそうだとしても”と断った上で、揶揄の嫌いな彼は、
 「苦渋の選択の上に取られる方法であるべき」
と思っているようだ。

 彼さんが危惧するのは、『ニセ科学蔓延防止策』を目的として「揶揄・集団化」を手段としていたのが、いつの間にか『ニセ科学蔓延防止策』という大義名分の元、「揶揄・集団化」自体を目的にした活動に陥ってしまう事。
だけど、「ネット上でのニセ科学批判の様子」は、実際に娯楽のようになってしまっているように見えて“見苦しい”らしい。
 じゃぁ、何故そう見えるのかとまで考えると、それはkaqu11さん自信も「楽しいだろうな」と思う部分があるから。だからこそ、(実際は苦渋の上であっても)苦渋の跡がかなり分かりやすく示されていないと、そんな自分を想像して“楽しんでいる”と読み取ってしまうんですよ、と述べている。

 ちなみに、彼は、私(Judgement)のABO FAN氏、SSFS氏、apj氏、技術開発者氏への揶揄、ニセ科学蔓延対策活動をされている方々が行う揶揄、ABO FAN氏やSSFS氏が行う揶揄について、分け隔て無く『いずれも不愉快』と述べています。
 加えて、私のエントリのコメント欄での議論の流れも、apj氏を集団で非難する会になってしまうのではないかと懸念しているようです。
その上で
 「ネット上の議論には(私にとって)不愉快なものが多く、ニセ科学に関する議論も残念ながらその例外ではない」
という話にまとめています。

 で、上記の話からしばらくして、「女帝は裸だ」コメント欄での私の回答に関して話をしていました。

 私は『まぁ、自分としては揶揄というよりかは「隠喩」のつもりですけどネ。(略)注意喚起と脱洗脳のタグとしてそのリスク以上に非常に有効であると考え、使ってます。』と述べていますが、それから、「隠喩」、つまり「似た部分がある」事を示す手法について、彼は
 「対象となる人、この場合はapjさんや技術開発者さんの弱点や欠点なりを取り上げ、拡大して分かりやすく見せる」
と受け取ったようです。
 その上で、その手法の危険性について、
 『デフォルメされればされるほど仲間内では「ウケ」は良くなるけども、外部はノリについていけず“ヒク”事による、他者への訴求力が低下』
と、
 『デフォルメされればされるほど元の人物にとっては感覚的にも現実的にも「自分ではないもの」になるためによる当人への訴求力が低下』
の2点を挙げました。

(なお、前回引用した「精神の平衡」の話は、それより後の話です。)


【不愉快さのベクトル】

 まず、実は私もニセ科学対策活動に対し、「揶揄」と「集団化」が関与する事について、不愉快に感じる事があります。

 ただ、おそらくkaqu11さんは「揶揄」自体に不愉快さを感じ、「集団化」でますますその不愉快さを募らせているような感じでしょうが、私としてはその両者の相互作用として生じる「集団の結束のための揶揄」とでも言えるようなものの稚拙さに不愉快さを感じていたりします。

 「集団の結束のための揶揄」とは、いわば「仲間内へのウケを狙ったモノ」。
 なんというか、言葉の先は形だけ対立者に向けられていても、反応を待つ眼差しは仲間に向けられている、そんな感じのもの(あるいは、言葉の先すら仲間との対話に向けられているものも...)。
 ”既に賛同者を確保している”という意識のせいか、非常に手抜きである事が多く、肝心の相手、あるいは第三者的なギャラリーに対する訴求力は低い。
 「私もあなた方の側の人間である事を示すために、奴をけなして見せますから」
 という感じが透けて見える気がする。

 酷いものになると、『自分はこんなに物知りですよ』とアピールしたいのは分かるのだけど、冗長なだけで結局何が言いたいのか分からないような本末転倒のものも出てくる。
 kikulogにちょくちょく出現する某T氏に至っては(私のブログも何か参照しているようだけど)、何だかわけわかんないけどもしかして揶揄されてんのかな?としか分からない代物で、正直電波。
 「難解な事を言えば頭が良く見えそう」とかでも思っているのか(本当に頭の良い人は、難しい事柄を易しく説明できるはずなのに)、「揶揄」が目的を失い、自分をアピールする手法(見当違いであるが)になってしまっているものは本当に目障りだ。

 どうせやるなら相手を身悶えさせるような事をズバッと言えよ...
 と思うんだけど、身内からマイナス評価を受ける事を気にしているのか、変に善人ぶって中途半端。
 なのに、そんな大した事無い揶揄について、心の中では「自分のコメントで顔を真っ赤にしながらも口ごもる相手」を勝手に夢想したり、仲間内で「ナイスショット!」、「キラーバスだ」的な事を言い合って相互の満足感を高めたりする。
 ...ああ、いやだいやだ。ブルブル

 モチロン、全ての人の全ての発言がそう、とは言わないよ。
 でも、批判者を相手取る議論において、必ずどこかに出ると言っていいと思う。
 それは、「1対1」ではあまり出ないんだけど、「多対1」になってくると誰かしら言い出す。
 そして、これも一つの特徴だけど、大抵の議論は「多対1」に膨れ上がる。
 有る意味、ニセ科学対策活動における”業(ごう)”なのかしら、とすら思える。

 いや、どんな議論も大抵そうだよ、と言われればそうなんだけど、「ニセ科学対策論者」の殆どは、普段は他の人達よりも理性的に見える人だったりするから、それが裏切られる所に、特別不快感を感じるのかもしれない。

 それはそれとして、別に「揶揄が悪い」と言いたいわけじゃない。
 私はkaqu11さんとは正反対で、「揶揄」は聞くのもスキ。
 ただし、私にとっての「揶揄」とは、人間洞察と想像力とボキャブラリーの結晶であり、聞く人の心に突き刺さってこそ価値が有ると考えている。
 だからこそ、人真似、あるいはポーズに過ぎない浅はかな「揶揄」を自慢げにしている奴を見ると、イラッときてしまうのである。
 
 私だったら、他人が眉を潜めてもおかまいなしで(「集団化」の拒絶)自分で提供できる最高品質の「揶揄」を吐きまくるけどね。
 やった事はないケド(←ウソ)。


【「集団化」について】

 私は嫌いですねぇ。
 どちらかといえば、自分と同じ道を歩く人が多くなればなるほど、どっか脇道は無いかと探すタイプ。大勢と同じである所にアイデンティティを求める人もいるでしょうが、私は違う所にアイデンティティを求める。
 同様に、他者の発言についても「だれそれさんと同じ」所よりも「だれそれさんと違う」所に興味を持つ。

 「私のエントリのコメント欄がもしapj氏を集団で非難する会になったら」、という話が出たけど、例えば「大御所に対しても批判すべきは批判すべき」という気風の現れで『個々人の意見の表明』が多数あるうちは面白いと思うし、意見の独立性を検討せずに一絡げにして「集団で非難する会」というレッテルを貼ろうとする人の方に攻撃の矛先を向けるでしょう。
 でも、「apj氏を批判するJudgementを応援する会」的な色合いが強くなるのであれば(人望が無いのでそうはならないとおもいますが)、私は辟易し、攻撃の矛先はそのような安易な賛同に向けられる気がします。


【「揶揄」について】

 既に言ったように私は「比喩」のつもりですが、他の人が「揶揄」と受け取ってしまうのは仕方がないでしょう(「仕方がない」というのは、遠回しな受入れの否定ではなく、そうあってしかるべき現象と受け取っています、という意味で)。
 それに「比喩と揶揄の違いを明らかにせよ」と言われても、正直感覚的に分けているだけであり、細かく定義化して区別しているわけじゃない。
 また、私の「比喩」を読者が「揶揄」と受け取ったとしても、さほど戦略的には支障がないつもりだし、あるいは「揶揄」と受け取られる事も想定して“それ”を使う事もある。

 結論としては、「どちらでもいい」って事か。
 ...と、気持ちの整理を付け、私がやっている事を「揶揄」と呼ぶ事にします。
 (まどろっこしいな、オイ)

 で、ハッキリ言えば、私は「楽しんで」、揶揄を考えています。

 「そりゃお前は人を虐めるのが好きそうだもんな」ですって?
 ちがうちがう(実は違わないケド)。
 私は「揶揄をぶつけて相手を厭な気分にさせる」とか「揶揄をぶつけることで溜飲をさげる」とか、そんなくだらない効果を楽しんでいるわけじゃないのよ。

 さっきも言ったように私にとっての「揶揄」とは、人間洞察と想像力とボキャブラリーの結晶。
 モチロンどれも、私には足りないけども、なけなしの能力を駆使して考えるのが楽しい。

 ・ ある理屈の上に載っける揶揄として、どのような言葉が相応しいか
 ・ 将来的に使えるネタとして、どのような揶揄が効果的か。
 ・ リズミカルにテンポよく、どのように畳み掛けられるか。

 モチロン、「剣とは飾るものではなく人を切るもの」同様、幾ら磨いても自己満足ではそれこそ某技術幇間氏や某T氏と同じだ。 

 ・ どうすれば、揶揄する理由が分かりやすいか
 ・ どのような揶揄がインパクトがあるか
 ・ その揶揄により、相手にどのような言動を躊躇させる効果を生むか

 これだけ課題があれば、考えるのも楽しいってものだ。


【「揶揄」は苦渋の選択であるべきか】

 そんな私は「苦渋の選択」の上で「揶揄」って、何血迷ってんの?とすら思う。

 「苦渋の選択」に思い悩むような善人が、「揶揄」という暗黒の手法を最終的に選択する、なんてあり得ないんじゃないのかな。
 「苦渋の選択の上の揶揄」って極端に言えばこういう事でしょ

 「俺もホントは言いたくないんだけど、お前はドジでノロマなんだよ」

 ...苦渋の選択のフリをしたって、どうみても言わんでもいいものをワザと言っているようにしか見えない見えない。むしろ、苦渋の選択のフリをするだけ、「イヤな感じ」が倍増。

 むしろ
 「オーッホッホッホッ。このドジでノロマな糞豚奴隷野郎が」
 と言う態度の方が、ある意味(どの意味?)潔いと私は思う。
 
 kaqu11さんに色々応答していた方々の意見の中には、「仕方なく揶揄する」、「どうしようもないから揶揄する」といった理由を挙げた方が幾人かおられたもよう。
 でも、私はそんなせっぱ詰まった状況で発せられる「揶揄」なんてものは、「結論の一方的な先取り」でしかないんじゃないかなぁと思う。

 「自分の説明できる範囲と能力」とは離れたところに「自分が結論づけたい事」を設定しちゃって、そこに結論を急いじゃっている。で、相手を御せないから、「揶揄」という手段で“自分の感情”だけをポーンと結論に着地させようとしているだけじゃないの?

 私に言わせればね、「揶揄」なんて“余興”よ”余興”。

 手応え無くて余力がありあまりすぎるから、「揶揄」でもするか、って感じ。
 どうしてもしなくてはならないものでもないし、ましてや「仕方ない時」や「どうしようもない時」ほど使うべきではないものではないのカナ。


【私の揶揄はデフォルメか】

 私としては、「デフォルメ」ではなく「要約」のつもり。

 例えば、1点かそこらの表面的な瑕疵をクローズアップしてそれに「女帝」と命名してみても、その瑕疵が見つけられない人には通じないし、何より一回キリの使い捨てだ。

 「要約」で目指すのは、表面化している様々な瑕疵を包括し、その根本を捉えて見せる事だ。
 とはいえ、人間は複雑で、根本と言っても「自己中心的」とか「権威主義」とか様々なものが混ぜ合わさっている。それらをいちいち説明するのもかったるいし、何より分かりにくいから、そのアウトラインを感覚的に理解できるよう、最適な「比喩」を考えるわけ。

 それが上手く行っているかどうかは、皆さんの判断に任せるしかないけれどね。
 ただ、(文脈の力はおおいにあるとしても)特に名指しせずに「某女帝」と言った時から、多くの方が私と共通した方を想定したようなので、そういう意味ではまぁまぁ上手い表現だったのかなと。

 あと、kaqu11さんは“仲間内での「ウケ」”という事をおっしゃっていますが、少なくとも「某女帝」に関する事については私はほぼ四面楚歌。賛同者が皆無だったわけでもないですが“仲間内で楽しむ”なんて言えるような環境ではとてもありゃしない。
 むしろベクトルは、対立者、あるいは傍観者に“自分の視点”を植え付ける方向にありましたね。

 針小棒大的な「デフォルメ」はkaqu11さんの言うような理由で効果があまり期待できないってのはあると思います。
 しかし、要約としての「比喩」の提示は、そこに包括する多くの要因から、「元の人物」を亀甲縛り...もといがんじがらめにするものに成りうると思いますよ(具体的な種明かしはここではしませんが、デフォルメなんかよりも、数倍悪辣です)。

 また、どんな「揶揄(比喩)」でも“ヒク”、という事は確かにあるでしょう。
 でも別に合コンやお見合いではないわけですからね。
 むしろ“ヒク”ぐらいのインパクトがあった方が、そのキーワードはその人の頭にこびり付く。

 ただ、気を付けなくてはならんのは、揶揄にばかり力を入れて、説明を怠る事。
 ちゃんと揶揄に至る理由説明を分かりやすくする事で
 『確かにそうだろうけど、その言い方はないんじゃない』
 ぐらいの感想を持たせる事ができれば、ある程度成功。
 『その言い方はないんじゃない』と言う敵意が私に向けられるデメリットはあるけど、その代償として『確かにそうだ』という意識も敵意と同じぐらいの強さで植え込む事ができるわけです。

 そういう事をちゃんと踏まえれば「他者への訴求力が低下する」なんて事はないと思いますよ。

 あと、実は「比喩」って「元の人物」が「精神の平衡」を保つのにちょっとは役に立つのかもしれないんですヨ。名指しじゃないから、『私の事じゃないかもしれないしぃ』と思う事で、無視する理由ができる。別に「たかがネット」で見知らぬ人を精神的に追い詰めても仕方ないしネ。
 まぁ、比喩された当人が「あなたが某○○と呼ぶ人は誰かしりませんが~」と言いつつ反論してくるほどタフならば、私としては一気に大ファンになっちゃうんだけど。
(なお、私は「元の人物」がクレームを付けて来た時『別にあなたの事って言ってないしぃ』と言い逃れのために「比喩」を使うつもりは無い。念のため)


【まとめ】

 ダラダラと、あたかも露悪的な事を書いたけど、まぁ本音だし。
 それにすごく道に外れた事を言っているつもりはない。
 少なくとも、ウソを付いたり自分をごまかしたりして善人ぶるよりかは数倍ましだと自分では思ってる。

 あ、「どんな揶揄であろうと不愉快」というkaqu11さんを偽善者と呼ぶつもりはないですよ。
 揶揄を聞くと第三者であっても不愉快になる人が出るのは分かり切った事デス。


 ただ、kaqu11さんに要望があるとすれば...

 何の策もないからこそ「揶揄する事」を目的としちゃったくせに、それを批判されると“はじめてそれに気付いた”ような顔をするだけではなく、「言い方が悪かった“かもしれないが”、悪意はなかった」とか、「自分では当然の事をいったつもりだ」とか言い繕おうとする奴

 ...とは一緒にしないでほすぃ。それだけ。

 一緒にしないでさえいただければ、「お前の方がタチわるいよ」と判断されてもかまいませーん。

 あ、既にそう判断していますか、そうですか。
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トンデモブラウ

>kikulogにちょくちょく出現する某T氏に至っては、正直電波。
こっこれは・・・ワシか、ワシなのか、やっぱ。
私のネタが面白くないという貴重な(←ここ重要と自分を信じる。)意見ですね。
面白くないと感じる人は読み飛ばせばいいじゃん。
HNも表示されるし、固定なんだから。
もうイケズ。

> 「難解な事を言えば頭が良く見えそう」とかでも思っているのか
何故バレた?(擬態ですよ。ルサンチマンとも呼ぶ?)
というのは、ネタは詳しく解説すると面白さ半減ですので、極力詳細な説明は省く方向でやってます。(やればできるコなんです。時代が・・・)
ある意味内輪受けというか、狭い範囲のフリーク向け限定ネタなんです。
難解に感じるのは、感じる方の普通度に線形的に相関してます。
その手のマニアには、爆笑ネタ・・・なハズ、たぶん。

ちなみに個人的にはキラーパスのつもりはなく、シュート(枠内)の気分なんですけど。
揶揄するのが目的でなくて、受けることが目的なのよ。
妙に善人ぶるのもそういうキャラ設定ということで。(根が善人志向なものでして。)

しかし、知らないうちに批判されてたなんて、納得いかんなぁ。
まぁそういうもんか。(トゲのあるネタが面白いからね。)
by トンデモブラウ (2009-09-01 12:03) 

NO NAME

直接kaqu11さんのブログを読めなかったのが残念です。


苦渋の選択系「揶揄」って難しい話ですね
「お前の苦しみもわかるよ、おれも苦しいんだ、でも、からかわないわけにはいかなかったんだ!」
ってことでしょうか。

なんだか中高生のいじめで、いじめられるのが恐くていじめグループに入ったその他大勢の感想と言われたら、ああなるほど。と思うかもしれません。
もしくは、いじめるのを楽しんでいた連中の言い逃れ、なんかにもありそう。


揶揄についてはニセ科学の定義とかより、関わりあいたかったテーマでした。

by NO NAME (2009-09-01 12:16) 

bandicoot

す、すいません。
うえの 「NO NAME」はbandicootです。
失礼しました!!
by bandicoot (2009-09-01 12:17) 

Judgement

【トンデモブラウさん】
な、なるほど、確かにT氏だ。
でも違いますからね。アルファベット4文字のヒトです。
せっかくだから、あなたにもちゃんとあだ名をつけてあげましょう。

う~んと...「おちゃらけ糞野郎」!
あわわ、ウソウソ、あたしゃ有吉か。

ちゃんと、いい方に例えます。
えっと...「ボール褒め夫」!
その心は、『たまにはいいことをいいます』
...って、あたしゃ歌丸か!


【NO NAMEさん改めbandicootさん】

なるほど、「いじめグループ」ね。
確かにいい意味でも悪い意味でも積極的な方が多いから、いじめる側についておかないと、自分がいじめられるという危機感もあったりして
...なんてね。

>揶揄についてはニセ科学の定義とかより、関わりあいたかったテーマでした。

私もタイミング外しちゃって、残念でしたよ。
by Judgement (2009-09-01 21:06) 

Judgement

(追記)
某T氏の文章を読むと、
「この人はどんな風に認知的不協和を解消するのだろう」
という事ぐらいは読める気がする。

その結構ねじれた解消の仕方が、自分以外の人もみなそうだ、と根拠も無く思ってやっている所が電波なわけだが。
by Judgement (2009-09-02 00:14) 

トンデモブラウ@毒電波発信中

おはようございます、ノーコン糞野郎です。
歌丸師匠がいたくご立腹だそうです。

私のネタ・コメントをブログから締め出そうったってそうはいきませんよ。
涙目で真っ赤な顔して書き込む所存であります。
by トンデモブラウ@毒電波発信中 (2009-09-02 11:03) 

Judgement

トンデモブラウさんっ!
自分の事とはいえ「ノーコン糞袋豚奴隷野郎」なんて発言は、
ここの品位が疑われるのでやめてください!!


...もしかして、あなたは真性Mなの?
とすれば、料金が発生シマスヨ
by Judgement (2009-09-02 21:48) 

トンデモブラウ

この流れにのっかっていると、どんどんマイナス面ばかり強調されるんですけど。
う~ん、悪魔恐るべし。
有吉で噴き出したのはナイショ。
というわけで、ワンクリック詐欺に引っ掛からないうちにおります。
(騙されるほどの知的レベルではないですけどね。)
あでぃおす。
by トンデモブラウ (2009-09-02 22:40) 

Judgement

しまった、獲物を逃した...
by Judgement (2009-09-02 23:20) 

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