女帝も裸だ! [疑似科学批判批判批判批判]
前回の記事のコメント欄にて、トンデモブラウさんが何を”ブランド”として崇め、そして見限ったかは問わずにおくケド、私は同様の感覚を某女帝について抱いていますねぇ。
最初は、「素性がハッキリしたプロの科学者」、「悪徳業者と積極的に戦っているらしい」、ついでにいえば(全く個人的な話だけど)「現在私の母校にいる」。
そんな属性により、私は勝手に「頼りになる知識と理性と合理性を持った方」と思い込んでイタ。
(少なくとも、「UNDERSTAND」のあたりまでは)。
その幻想が崩されたのは、自分に攻撃の矛先が向けられたから...
...ではない。
いや、むしろ、まだ幻想を抱いていたからこそ、「某女帝のような”すごい人”に蹂躙されたら、どこまでボロボロにされてしまうのだろうか、ドキドキ」というM的な期待すら持っていたよ。
【え?そこで「ウソ」を使うの】
最初、自論の根幹に「ウソ」という現象を組み込む、というのはなんとも勇気があるなぁと、”文系畑”の私は思った。
私に言わせれば、「ウソ」なんて物事の表層。
ウソで何かを評価するのは、「包装紙でプレゼントを評価する」ようなもんだ。
あるいは、「神」という絶対真理を後ろ盾に持つ、「宗教的な話」なら別だけど...
おそらく、社会学・心理学を有る程度知っている人、あるいは世間に身を置きながら対人関係という現象を肌で学習してる人は、その単語が登場した時点で、意地悪な質問をいくつも考える事ができると思うよ。
しかし、他ならぬ某女帝。
名のある哲学者が長年かけても手に余る問題を、理系の中でも特に高位に位置するその頭脳で、どれだけロジカルにウソを解剖してくれるのだろうかと、ひっじょぉぉぉぉぉに期待していたのね。
でも蓋を開けると、もう唖然とするほど素朴に「ウソ」という言葉を使っていたみたい。
意味が素朴というよりも、思考の素朴さ。
「自分の思っているそれが、みんなの思っているそれだ。
で、自分がそれについておもっているあれは、みんなも思っているあれだ」
うんと、「”わたし”って言えば誰だか分かるでしょ」的な感じ。
非常に難しいはずの「ウソ」という概念を使ったのは
「勇気」ではなく「蛮勇」だったわけだ。
まぁ、それはそれ。
「理系さんは、こういう曖昧模糊とした話題は苦手でもしょうがないね」
で済む話で、逆に、そこまでを某女帝に求める必要性も妥当性もないかなと思ってた。
【BERSERK】
でも、どっか逆鱗に触れちゃったのか、暴走を始めてしまった。
自分が有る程度法律の分野にも首を突っ込んでいる自負があるからか知らんけど、「社会規範」なんて最も慎重に扱わないと思想犯扱いされても仕方ないような非常に危険なコトバを無造作に振り回しはじめる。
もはや言論の体をなさない
「とにかく私の意見が無条件で正しい。それを否定するお前は無条件でバカだ」
というポリシーの元で成される恫喝にしか見えなかった。
そして、最後のコメントは、まさに「ザ・捨て台詞」。
悪いけど、私だったらこれほど手垢が付いた揶揄は使えない。
恥ずかしすぎて。
理性の片鱗でも残っていれば、ここまで陳腐な言い回しを「自分の最後のコトバ」として刻んではいかなかったんじゃないかなぁ。
でも、一つだけ感謝している事がある。
これがもし、少しでも理性的であったなら、私は自分でかけてしまった「某女帝幻想」の自己暗示を解くことができなかったかもしれない。
【Judgement的ニセ科学の問題】
というわけで、自己マインドコントロールが解けた私ではあるけど、今やっている批判や「悪いモデルケース」扱いは、「期待を裏切った」事による逆恨み的嫌がらせ...
...ではない(持ち上げたのは私の勝手でしたことですからね)。
モチロン、「ニセ科学」の蔓延に加担したいわけではない。
個人的にではあるけど、彼女の特定テーマに対する問題属性とは別の話として、某女帝が「ニセ科学」と認定したものは「ニセ科学」と呼ばれるに相応しいものだと思っているし、社会から消えてしまった方が良い、という事に積極的に賛同する。
ただね...
おそらく、ニセ科学を問題にしている人は、個別のニセ科学の理論そのものの問題に主眼を置いて、「間違っている」と示す事で蔓延を防ごうと考えている方が多いと思うが、私はちょっと違う。
私はニセ科学(疑似科学)の蔓延の元凶は『一度信じたら自分を疑わない構造』だと考えている(このあたりは、直接ニセ科学支持者と対決した事がある人ならば、そのやっかいさが分かっているだろう)。
だから、私の興味の対象は「ニセ科学」そのものではなく「ニセ科学支持者」だ。
そしてそれを、解剖し、いじくり、操作しようとするのは、全くの個人的趣味だ。
なお、ニセ科学支持者にとっては「ニセ科学」こそが真実であり、最も確かな事。
むしろ、それを批判する皆さんこそ、嘘つきで不確かな言説を刳る不届きものに写っている。
だから、少なくとも彼らを相手にする際は、某女帝の言うような「ウソはいけない」とか「不確かな事を言ってはいけない」なんて(陳腐な)旗印を掲げて正当化を計ろうとはしてはいけない。
理由はお分かりでしょうか?
そこから展開されるのは、自分が正解と信じる者同士の旗の奪い合いであり
ギャラリーには、「どっちもどっち」的な低次元な争いにしか見えないから。
【共通点】
なんて、動機の話をした上で、言うけど。
「この人にも、見つけちゃったんだもん。」
某女帝から見出してしまったモノとは、私が「ニセ科学支持者」批判の軸となる『一度信じたら自分を疑わない構造』の一つともいえる
「自分でも根拠が明確にできないけど、正しいと言い続けるための弁法」
・ 自己正当化のための前提の一方的押し付け
・ 底が浅い言い返し
・ 安易な印象操作の試み
これらは、某A氏と同レベル。
(感情的である面については、むしろ某A氏の方が”良い意味で”面の皮が厚かった)
某A氏は批判して、某女帝は見逃すなんて、お天道様は許しても、自分自身は許せない。
(同様の理屈て既にTAKESANさんとかも批判しちゃったし)
というか、むしろどこの馬のホネとも知らん奴(某Aクン)より、”高学歴である事が判明している人すら陥る”んだからね、という事を示す方が、「自分は大丈夫」とタカを括っている人(実はそういう人ほど騙されやすい)に対する強い注意喚起が見込めるだろうしね。
【さいごに】
正直な所、今の某女帝って、皆さんどう思います?
...って言っても、あまりにもナイーブな問題でしょうから、返答は期待しないけど。
私はハッキリ言えば、某女帝個人については、呆れ、蔑み、嫌悪しています
(それはあえて隠したり、ウソをついたりする所でもキャラでも無いでしょう)。
でも、それ以外の「ニセ科学に言及する方々」については、以前一部の方々を対象に批判をしましたが、それは嫌悪しているためではなく、むしろ、基本的には好きだからこそ、もっと好ましくなって欲しいと考えている。
そして、それ以外の方は、私がそれ以上を望まない程好ましく思っている、のが現状。
※ モチロン、この「好ましさ」は、あくまで私個人の嗜好。
つまり、「ニセ科学批判-好き 某女帝-嫌い」って感じ。
それは、「オカルト批判-好き 大槻教授-嫌い」のような構造と同じ。
別にJudgementに好かれなくてもいーよ、って感じだろうケドさ。
それはそれとして、例えば私が
「ニセ科学を批判しているやつなんて、所詮社会については某女帝と同レベルかそれ以下の考えなんだろうね」
と言ったとすれば、皆さんどう反応します?
「それで結構。あの方の主張で十分だし、同一視してもらう事がむしろ嬉しい」
と胸を張って答えます?
「人は人だから、自分はノーコメント。」
とさらりとかわそうとします?
それとも...
最初は、「素性がハッキリしたプロの科学者」、「悪徳業者と積極的に戦っているらしい」、ついでにいえば(全く個人的な話だけど)「現在私の母校にいる」。
そんな属性により、私は勝手に「頼りになる知識と理性と合理性を持った方」と思い込んでイタ。
(少なくとも、「UNDERSTAND」のあたりまでは)。
その幻想が崩されたのは、自分に攻撃の矛先が向けられたから...
...ではない。
いや、むしろ、まだ幻想を抱いていたからこそ、「某女帝のような”すごい人”に蹂躙されたら、どこまでボロボロにされてしまうのだろうか、ドキドキ」というM的な期待すら持っていたよ。
【え?そこで「ウソ」を使うの】
最初、自論の根幹に「ウソ」という現象を組み込む、というのはなんとも勇気があるなぁと、”文系畑”の私は思った。
私に言わせれば、「ウソ」なんて物事の表層。
ウソで何かを評価するのは、「包装紙でプレゼントを評価する」ようなもんだ。
あるいは、「神」という絶対真理を後ろ盾に持つ、「宗教的な話」なら別だけど...
おそらく、社会学・心理学を有る程度知っている人、あるいは世間に身を置きながら対人関係という現象を肌で学習してる人は、その単語が登場した時点で、意地悪な質問をいくつも考える事ができると思うよ。
しかし、他ならぬ某女帝。
名のある哲学者が長年かけても手に余る問題を、理系の中でも特に高位に位置するその頭脳で、どれだけロジカルにウソを解剖してくれるのだろうかと、ひっじょぉぉぉぉぉに期待していたのね。
でも蓋を開けると、もう唖然とするほど素朴に「ウソ」という言葉を使っていたみたい。
意味が素朴というよりも、思考の素朴さ。
「自分の思っているそれが、みんなの思っているそれだ。
で、自分がそれについておもっているあれは、みんなも思っているあれだ」
うんと、「”わたし”って言えば誰だか分かるでしょ」的な感じ。
非常に難しいはずの「ウソ」という概念を使ったのは
「勇気」ではなく「蛮勇」だったわけだ。
まぁ、それはそれ。
「理系さんは、こういう曖昧模糊とした話題は苦手でもしょうがないね」
で済む話で、逆に、そこまでを某女帝に求める必要性も妥当性もないかなと思ってた。
【BERSERK】
でも、どっか逆鱗に触れちゃったのか、暴走を始めてしまった。
自分が有る程度法律の分野にも首を突っ込んでいる自負があるからか知らんけど、「社会規範」なんて最も慎重に扱わないと思想犯扱いされても仕方ないような非常に危険なコトバを無造作に振り回しはじめる。
もはや言論の体をなさない
「とにかく私の意見が無条件で正しい。それを否定するお前は無条件でバカだ」
というポリシーの元で成される恫喝にしか見えなかった。
そして、最後のコメントは、まさに「ザ・捨て台詞」。
悪いけど、私だったらこれほど手垢が付いた揶揄は使えない。
恥ずかしすぎて。
理性の片鱗でも残っていれば、ここまで陳腐な言い回しを「自分の最後のコトバ」として刻んではいかなかったんじゃないかなぁ。
でも、一つだけ感謝している事がある。
これがもし、少しでも理性的であったなら、私は自分でかけてしまった「某女帝幻想」の自己暗示を解くことができなかったかもしれない。
【Judgement的ニセ科学の問題】
というわけで、自己マインドコントロールが解けた私ではあるけど、今やっている批判や「悪いモデルケース」扱いは、「期待を裏切った」事による逆恨み的嫌がらせ...
...ではない(持ち上げたのは私の勝手でしたことですからね)。
モチロン、「ニセ科学」の蔓延に加担したいわけではない。
個人的にではあるけど、彼女の特定テーマに対する問題属性とは別の話として、某女帝が「ニセ科学」と認定したものは「ニセ科学」と呼ばれるに相応しいものだと思っているし、社会から消えてしまった方が良い、という事に積極的に賛同する。
ただね...
おそらく、ニセ科学を問題にしている人は、個別のニセ科学の理論そのものの問題に主眼を置いて、「間違っている」と示す事で蔓延を防ごうと考えている方が多いと思うが、私はちょっと違う。
別に皆さんのやっている事が違うと言うわけではない。
皆さんのような問題の提起の仕方は「特定のニセ科学に対しり新たな被害者を減らす」という事に効果が期待できるだろう。
私はニセ科学(疑似科学)の蔓延の元凶は『一度信じたら自分を疑わない構造』だと考えている(このあたりは、直接ニセ科学支持者と対決した事がある人ならば、そのやっかいさが分かっているだろう)。
だから、私の興味の対象は「ニセ科学」そのものではなく「ニセ科学支持者」だ。
そしてそれを、解剖し、いじくり、操作しようとするのは、全くの個人的趣味だ。
とはいえ(誰かさんみたいに「社会」を自己正当化の材料にしようとは思わないけれど)、スケープゴート(例えば某A氏)を、徹底的に揶揄し、貶めてみせる事で、「彼みたいな考え方をするのは、こんなにもダメなんだ」と思わせる事ができれば(そのためには単なる揶揄や中傷ではだめで、論理と客観性を持つような説明が不可欠になるが)、他のニセ科学支持者の信仰放棄、あるいは未知のニセ科学に対する免疫である「懐疑力」の普及に一役買えるかな、なんて(二次的な)欲求は持っている。
なお、ニセ科学支持者にとっては「ニセ科学」こそが真実であり、最も確かな事。
むしろ、それを批判する皆さんこそ、嘘つきで不確かな言説を刳る不届きものに写っている。
だから、少なくとも彼らを相手にする際は、某女帝の言うような「ウソはいけない」とか「不確かな事を言ってはいけない」なんて(陳腐な)旗印を掲げて正当化を計ろうとはしてはいけない。
理由はお分かりでしょうか?
そこから展開されるのは、自分が正解と信じる者同士の旗の奪い合いであり
ギャラリーには、「どっちもどっち」的な低次元な争いにしか見えないから。
【共通点】
なんて、動機の話をした上で、言うけど。
「この人にも、見つけちゃったんだもん。」
某女帝から見出してしまったモノとは、私が「ニセ科学支持者」批判の軸となる『一度信じたら自分を疑わない構造』の一つともいえる
「自分でも根拠が明確にできないけど、正しいと言い続けるための弁法」
・ 自己正当化のための前提の一方的押し付け
・ 底が浅い言い返し
・ 安易な印象操作の試み
これらは、某A氏と同レベル。
(感情的である面については、むしろ某A氏の方が”良い意味で”面の皮が厚かった)
某A氏は批判して、某女帝は見逃すなんて、お天道様は許しても、自分自身は許せない。
(同様の理屈て既にTAKESANさんとかも批判しちゃったし)
というか、むしろどこの馬のホネとも知らん奴(某Aクン)より、”高学歴である事が判明している人すら陥る”んだからね、という事を示す方が、「自分は大丈夫」とタカを括っている人(実はそういう人ほど騙されやすい)に対する強い注意喚起が見込めるだろうしね。
【さいごに】
正直な所、今の某女帝って、皆さんどう思います?
...って言っても、あまりにもナイーブな問題でしょうから、返答は期待しないけど。
私はハッキリ言えば、某女帝個人については、呆れ、蔑み、嫌悪しています
(それはあえて隠したり、ウソをついたりする所でもキャラでも無いでしょう)。
たださ、これは単なる憶測なんだけど
私如きにそこまで言われるほどの有様になったのは、某女帝単体の仕業、というよりかは、そこに某技術幇間クンが首を突っ込んでいるからじゃないかな、という気がしている。
某技術幇間は訳の分からないながらも、ニュアンス的に某女帝を支持する
一方某女帝は、某技術幇間をことのほか庇う。
議論を進める事よりも、相互の認め合いを優先させているが故に、肝心な事を飛ばしてどんどん先走っちゃうから、他の人から見れば「ナニこの2人の世界」って感じになっちゃってるんじゃないかなぁ。
イマイチどういう状態か分からんという人は、某女帝のまとめページにおける「コメント用」でも見てみてくだされ。
でも、それ以外の「ニセ科学に言及する方々」については、以前一部の方々を対象に批判をしましたが、それは嫌悪しているためではなく、むしろ、基本的には好きだからこそ、もっと好ましくなって欲しいと考えている。
そして、それ以外の方は、私がそれ以上を望まない程好ましく思っている、のが現状。
※ モチロン、この「好ましさ」は、あくまで私個人の嗜好。
つまり、「ニセ科学批判-好き 某女帝-嫌い」って感じ。
それは、「オカルト批判-好き 大槻教授-嫌い」のような構造と同じ。
別にJudgementに好かれなくてもいーよ、って感じだろうケドさ。
それはそれとして、例えば私が
「ニセ科学を批判しているやつなんて、所詮社会については某女帝と同レベルかそれ以下の考えなんだろうね」
と言ったとすれば、皆さんどう反応します?
「それで結構。あの方の主張で十分だし、同一視してもらう事がむしろ嬉しい」
と胸を張って答えます?
「人は人だから、自分はノーコメント。」
とさらりとかわそうとします?
それとも...
こんにちは。
ちょっと言葉を借りて改変してしまいますが、私は「ニセ科学(疑似科学)の蔓延の元凶は『一度信じたら退くに退けなくなる構造』だ」と考えています。
案外、自説への疑いの芽は絶えず芽生えていて、逆にそのことが自説を強化する方向へ突っ走らせてしまう、ということなんじゃないかと疑っています。
まあ、相手の心の中を覗けるわけでもないので、憶測ですけどね。
しかし、女帝なんてすごい出世ですね。
彼女は前線に立って矛を振るう武将のような人だと思います。
立ち向かってくる敵が目前迫るほど力強い。
一旦下がって部隊を指揮するのはそこそここなせる。
後方で内政に手を出すのは向いていない。
彼女については、向いていないことに手を出してるな、というのが最近感じる印象ですね。
なんか言い尽くせないのでこのへんで。
by ONOTKO (2009-07-01 07:15)
こばわ。
ぼくは、お二人とも「負けてはならぬ人」だと考えています。
それは、ニセ科学批判界隈で法廷にいちばん近いひとたちだから。
負けるわけにはいかないですよね。本来相手にしてる連中や、連中に被害を受けてる人、周囲のひとたちの今後のことも考えたらば。
法廷(もしくは裁判官?)を身近に意識するかただけに「印象操作」にこだわる(相手への指摘も、自分がすることも)というのも理解できる気がします。
で、それはその指摘だけであって、非難のいろはない気もしてきました。
「それは印象操作」という単なる指摘(もしくはけん制)であるはずが「それは印象操作、悪意を感じる」と言っているふうに周りにとられる、もしくはとられていると気づいてらっしゃらないのかもしれません。毎度のことで勝手な解釈ですが。
今回ぼくがしゃしゃりでたエントリーでもそんな感じであったかと。
by bandicoot (2009-07-01 22:29)
始めまして。
Jさんのことは数年前からkikulogで見て、なんでこんなに粘り強いの?
って勝手に見て思ってました。
Jさんの言う某女帝の人も実は同タイミングで知り、ほんでおんなじくらい
ウォッチングしてました。
実は、こんなところで言うのもアレなんですけど、
自分の親父様なんか、田舎の純朴で信心深い性格が影響してるのか
もともとナイーブなんだかわからんのですけど、普通に考えたら、
多分人生に成功してる範疇なんですけど(高卒で役員)、コンプレックスは
有ったみたいで、ノストラダムスの大予言に始まり、守護霊、ほんで、
今話題?のK福実G党の母体の宗教にはまってしました。
そりゃぁいろいろと修羅場が有りましたが、何とかK党(略)とは
距離を置いたものの、実家に帰るたびに頭が痛くなることを言うわけで、
(まぁニセ科学に弱い。つうか生来のお人よしで人を疑ってない)
今年の正月なんか、ピラミッドパワー(男のロマン?)が実在するか否かで
アホみたいな話ですが親子の仲が険悪になる始末です。
で、自分みたいに、ごく身内にそんな実害(善意で広める)予備軍が
確実に存在している立場からすると、Jさんのような活動も、それから
その他の立場からの全ての活動も非常にありがたいんですよね。
でも、Jさんなり、某女帝の人やたくさんの人が言われている言説を
直接自分の近親関係で確実に存在する人々に直接ぶつける事なんか
出来ないです。
まぁ、自分の能力限界(笑)というか、自分で消化出来ていない言説を
他人にぶつけるなんて出来ないだけなんですけど。
それでも、とりあえず肉親の暴走を掣肘しつつ、時間を稼ぎながら、
暴走を止めることは現実に出来ているわけで、自分の考えを磨く観点から、
それこそ皆様に大感謝だったりします。
と、書いてしまう私は、親父様に似て、人を疑うことを知らない、
Jさんから見たらカモな人種なのだろうか・・・
by UKA (2009-07-02 00:03)
某女帝さんについてですが、同様な感じのブログ主をつい想像してしまいまして、
それに関して言えば。
「とにかく私の意見が無条件で正しい。それを否定するお前は無条件でバカだ」
というようなことを、しばしばおっしゃる方のようです。
たまたまその女帝さんが対応した事例の中では、女帝さんの知識の範囲でうまく対応できたものもあるけれど、それを心理的よりどころにして、そうではないのに無謀な主張をしたものもいくつもあると私は感じましたね。
その女帝さんはおいといて…。
「社会的正義」を後ろ盾とするあらゆる批判は、無駄な言論を生むだけのように思います。
ニセ科学批判も例外ではなく、一般論がどうこう言うより、個別に社会にどういう害があるかを言えばいい。
いやまぁ、ニセ科学という概念には、それなりに意義があります。趣味的なもので「これは科学的にありえねー」というノリにおいて、知識の集積はかなりいい線いっています。これは続けてほしい。
だけど「これこそ社会正義だぜーおれたちみたいな思考方法が社会を向上するのだぜー」といって集団であちこちに出向くのはどうなのか。
違和感はそこにあります。
by alice (2009-07-02 00:34)
お邪魔します。
私もbandicootさんの説に一部賛成です。
法廷で自己の正しさを主張し続ける以上は、過ちを認めることは敗訴に直結しかねません。そういう考え方に立てば、裁判で争っている人は、途中で過ちに気づいたとしても、軌道修正は難しいと思います。
ただし、ここで話題になっている女性に関して言うと、そもそも自然科学以外の、論理的整合性だけでは語れない分野について、自己の正しさを疑うという回路がそもそも機能していないのではないかと感じています。
最近では、在日外国人の通名使用に関するコメントなどで、歴史的な知識に関する不勉強を恥じるところも感じられませんでした。同意見の人と共感して終わり、というあたり、自己のバイアスに関する自覚も感じられません。
どうも、意見が同じ人に対する(または迎合してくる人に対する)ガードが甘すぎる気がします。
この辺については、私はJさんの見解が正しいように思います。
「ニセ科学批判」の法廷での戦いについては、現在その女性は有益な行動をしていると思うのです。が、『「ニセ科学批判」全般』の今後を考えると、その女性の姿勢は、あまり有益だとは思えません。
勿論その女性は『「ニセ科学批判」全般』という設定そのものを否定しているので、気にしないでいることにするのでしょう。
その女性に対して、呆れたり蔑んだりする感情は、私には起きませんでした。ただ、相互理解不能という現実に、絶望しています。
by shunsoku (2009-07-02 01:27)
私は未だにどちらとも決めかねておりますが…。
ただ、「某女帝」「某技術幇間」は行き過ぎた揶揄のように思えます。
Jさんの文章をお借りすれば、「Jさんの文章-好き 某女帝・某技術幇間という表現-嫌い」てな感じですか。
by 山形ミクラス (2009-07-02 21:34)
【ONOTKOさん】
まぁ、「女帝」ってのも勝手につけた渾名ですから。
>彼女は前線に立って矛を振るう武将のような人だと思います。
同意です。
>一旦下がって部隊を指揮するのはそこそここなせる。
この辺は不同意。
指揮力というよりかは、その勇名を慕って人が集まっている、って感じかな。
>後方で内政に手を出すのは向いていない。
この辺は、内政といっても得意不得意があるって感じかな。
「科学」の方の理論的整備はお手のものでしょうが
「向いていないことに手を出してるな」は同意。
【bandicootさん】
確かに裁判とかを考えると、「事実」よりも「勝利」が大切になる場合もありますからね。
ただ、勝つために確固たる証拠を積み重ねようとする「検事」というよりかは人の証拠を無効と言い張る事で自らの優位さを押し通そうという「弁護士」のような様相であると感じます(この「検事」と「弁護士」のイメージは私の独断と偏見です)。
>本来相手にしてる連中や、連中に被害を受けてる人、周囲のひとたちの今後のことも考えたらば。
それを考えるならば、強弁するはめになる前に、慎重になるべきでしょうけどもね。
【UKAさん】
何ぃ、私の事を「粘着質」だとぉ!
(言ってない、言ってない。多分...)
コメントに関する事は、私の動機にもつながるので、別の記事に書いちゃいますね。
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-07-04
【aliceさん】
>女帝さんの知識の範囲でうまく対応できたものもあるけれど
>それを心理的よりどころにして、そうではないのに無謀な主張をしたものも
>いくつもあると私は感じましたね。
そのブログ主さんが誰かはおいておいて、私がそのうち言おうと思っていたことを先に言われちゃった気分です。
同じ人にもかかわらず、一方の分野では適切な事を言うのに、もう一方の分野では不適切な事を言う、なんてケースの話。
実は分野毎に「思考パターン」が変わっているわけではなく、根本の思考パターンは共通して“おかしい”んだけども、たまたま「知識量が十分にある」分野では、その知識量がサポートするからそうは間違わない。だけど知識が足りない分野では、狭い知識で判断を下すから、あからさまに「無謀」に見えるような事になる、なんて感じではないのかな、と考えています。
>「社会的正義」を後ろ盾とするあらゆる批判は、無駄な言論を生むだけのように思います。
私は無駄というよりも、害悪と感じています。
自分が「正義」として「守るべき人」を背負っちゃうと
”それを守らなければならない”故に、間違いに気付かない、認めない。
自分でない者の存在のおかげで、自分の判断を歪めなくてはならなくなるんですね。
>集団であちこちに出向くのはどうなのか。
多分、当事者は「集団」とは捉えて欲しくないんでしょうけどね。
そのあたりも、別の記事にしようかな(そのうち)。
【shunsokuさん】
>そもそも自然科学以外の、論理的整合性だけでは語れない分野について
>自己の正しさを疑うという回路がそもそも機能していないのではないかと感じています。
後段は異議なしですけど、私としては前段は異議ありですね。
まぁ、shunsokuさんの言わんとするところは「論理的整合性のみで構成されたわけではない世界」という事だと思いますけれど、そういう世界についてだからこそ、“語る”場合は論理的整合性が大切になると思います(でなければ、主観で言いたい放題になっちゃう)。
>最近では、在日外国人の通名使用に関するコメントなどで
はい。あれはかなり酷い部類に入ると私も感じます。
そういう意見が出てもキチンと対応する事を前提に「ウソはいけない」と言うならともかく
「反論が出ても自分たちにとって無意味であれば、例外としてあしらう」
というアルゴリムが折り込み済みなだけな気がします。
>どうも、意見が同じ人に対する(または迎合してくる人に対する)
>ガードが甘すぎる気がします。
私もそんな気がします。
でも、そんな事ばかりしか見ないのはもったいなすぎと思う(人の意見は骨までしゃぶれ)。
私はむしろ「一見自分と同意見」の時こそ、なんとか自分との相違を見出したいと考えますけどね。違う視点を知る事が面白いんだし、それは他人の個性の尊重となると同時に、自分の個性の尊重にもなるんじゃないかな。
まぁ、意見が重なり合う所について「そうそう、そうだよね」という反応もしますが、それは「似たもの同士である事を確認し合う」だけのもので、それ以上の意味を持たせるつもりはありません。
例えば、私のブログにおいて「私に近い意見」の人はコメントを書きやすく、「異なる意見」の人は書きにくい、という事は十分推測できます。だからこそ、同意の意見ばかりだからといって「一般的意見」と捉えようとはしませんし、たかだか数個の意見で「多くの方も同意している」なんて自己正当化には使えないでしょう。
【山形ミクラスさん】
権威で効率化が図れないので、イノセントではない私は「技巧」を駆使して対抗してます。
まぁ、自分としては揶揄というよりかは「隠喩」のつもりですけどネ。
モチロン、それについて『行き過ぎた揶揄』と捉える方もいて当然、というのは分かっていて、それを“自分の責任とすべきリスク”と捉えた上で(だから貴方の不快感を否定する気はありません)、注意喚起と脱洗脳のタグとしてそのリスク以上に非常に有効であると考え、使ってます。
というか、 Judgementのキャラクターではそもそも「好かれる」事は想定してませんので、不快感を与える危険性というのはリスクと言うより基本仕様。
でも、だからこそ、「Jさんの文章」に限定した状態でも「好き」と言ってくれるのは、非常にウレシイ。
by Judgement (2009-07-04 01:56)
はじめまして
例のブログにて外国人の通称名使用に関してコメントしたものです。
あちらでは同じ質問を内容を替えて3回繰り返したのですが、いずれも明確な答えをいただけませんでした。意図的にはぐらかされているのではと疑いつつも、あれ以上繰り替えす気になれず、また暴君ハバネロ扱いされるのもアレなので撤退しました。
暴君ハバネロ扱いに関しては多少ギスギスした気持ちになりました。
by korean (2009-07-05 17:54)