問題点を示してみる [嘘と社会規範]
え~Judgement@京都帰りです。数日後に高熱を発するかもしれません。
ので、今のうち言っておきたい事があります。
というのは、コメントを見ていると「都合良く捉えすぎてね?」と思うものがチラホラ。
(まぁ、私の含みを持たせたまわりくどい書き方が悪いとは分かっているけどね)
変な流れが出来上がる前に、簡単ではありますが、私の問題提起の一部を明確にしておきたいと思う。
まず、私はapjさんの「『人を騙してはいけない』は社会規範」という主張に対し「本当に社会規範と言えるのか」を検討している事は分かっているよね(分かっているのかなぁ)。
念のため経緯を述べておこう。
もちろん、私がまとめたものだから、都合いいことばかり書いているかもしれないが。
【経緯】
事の起こりはapjさんの『「人を騙すのはよくないことである」という、より一般的な倫理的価値基準』に対し
「だけど、じゃぁ“一般的”って何だ、っても思う。自分にとって一般的な事が、どこまで一般的か分からない。だから、”一般的”という事で何かを説明した気になるけれど実は何も説明していないようなものだ。むしろ、自分で上手く説明できない事を、無条件で正当化する時に使いがち。」と述べた事(RETURN)。
それについて 技術開発者さんが「社会規範」という言葉を持ち出した
(apjさんもそれに賛同され、後々自分のブログでもその表現を積極的に使った)。
それに対し、私はその考えの浅さを指摘した。
さらに「その看板は必要か?」では何故そんな規範を持ち出さないほうがいいのか、「代案を添えて」説明した。
そのうちapjさんが「RETURN」のコメント欄で「法的思考(とそこに到達する前の割と入り口での規範についての思考)がほぼ完全に抜け落ちているんじゃないかという気がしてきました。」と言った。
で、技術開発者さんが調子に乗って自分の社会規範に対する憶測をベラベラ述べた。
それに対し、「例えの前にする事は?」で技術開発者さんの社会規範の捉え方の足りなさを、「BERSERK」でapjさんが「『人を騙してはいけない』は社会規範」の根拠が説明できてない事を批判した。
すると...
『私は、「大人に近づこう」ともしないお子様相手に語る言葉を持ちませんので、以降は書き込まないことにします。』(by 技術開発者さん)
『社会規範について議論する場合であっても、実例を伴わない批判は無力です。具体的なケースへのあてはめができないような議論をしている限り、厨二病(お子様)の域を出ません。(中略)ということで、どうぞ以後はお好きなだけ稚拙な論をご提供ください。それでも、反面教師として誰かの役には立つでしょう。』(by apjさん)
という相次ぐ説明放棄。
でもめげずに「保身のために規範を決め付けるな」でさらに専門的な法と規範の解釈を述べた
(現在の状態はここまで)
どうだろう?
以前zororiさんに「リングに上がってこない」という感じの事を言ったけど、こうしてまとめてみると正確ではなかったようだ。
正確には「相手のリングに上がっているのに、上がると相手は別の所にリングを作り始める」といった感じではないだろうか。
【何を問題にしているのか】
『例えの前にする事は?』のコメント欄におけるzororiさんの長文に返事を書いていたのだけど、重要な事に触れる事になったので、そこだけこちらで書く。
Zororiさん自身がニセ科学批判に「社会規範」という理由付けをしないのであれば、私は特に何も言いませんよ。私が今問題にしているのはapjさんのような「社会規範」を理由付けにしようとしている人ですから。
で、この辺の事について、ちゃんと説明しておきます。
その前に、Zororiさんの「社会規範の成立という簡単には結論のでない世界に引き込む」における「社会規範の成立」という言葉は2つの解釈ができます。
1つは「何故その社会規範が成立したか」ですが、前者の世界に引き込もうとしているのは、私ではなく技術開発者さんであるので関係無いでしょう。
私は、「そんな社会規範は成立しているのか」という立場で話をしていますので、その意味で解釈して話を進めます。
「“その社会規範は成立しているのか”という簡単には結論のでない世界」
それは、私もそのように思っている事です。
例えば、「科学は絶対じゃない」という事を理由に批判する人も確かにいるかもしれません(実際には、ニセ科学批判は「科学が絶対である」事を根拠に批判しているのではなく、「科学ではない」事を問題にしているわけで、的外れ)。
しかし、私は「科学は絶対じゃない」批判と同じパターンで、「社会規範は絶対じゃない」と重箱の隅をつつこうとしているわけではありません(「ニセ科学批判の批判者」という括りで勝手に決め付けたステレオタイプを当て嵌めないでよね、と言っておきたい)。
私は、apjさんの「~は社会規範だ」という主張に対し、「それは社会規範として成り立ってない」と言っているのです。
いわば、「ニセ科学」に「科学じゃない」と批判するのと同じ事なんです。
もし、apjさんが『「ウソはいけない」という自分の信念が動機だ』と言っていれば、ここまで引っ張る話ではありませんでした。
だけど、apjさんは「“一般的な”倫理規定」とか「社会規範」とかを持ち出しましたので、それを持ち出して自分の正当化をしたいなら、まずそれが本当に「一般的な倫理」や「社会規範」なのか、それなりの根拠を言いなさいよ、と言いたいわけですね。
これは、そんなにおかしい指摘でしょうか?
私は、「絶対正しいのか」の検討以前の段階、「正しいという根拠を示していない」というのを指摘しているつもりです。
つまり、「絶対確実なことはない」ではなく、「ある程度確実という事すら示していない」と指摘しているわけです。
最初の方で述べたように、“その社会規範は成立しているのか”というのは簡単には結論のでない話と認識しています。
しかし、apjさんは、そのような事について、さしたる根拠も無く、安易に結論を出して前提にしてしまっているように見受けられました。
「そんなに簡単に決め付けているけど、その根拠はあるの?」
zororiさんは違うのかもしれませんが、apjさんは「不確かな事」を「不確かなまま」、ニセ科学の定義に含めようとしています。
それでいて「不確かな事を言いふらしてはならない」と主張するのは自己矛盾を生じさせているのではないでしょうか?
「不毛だ」、「雑音だ」と最初から決め付けて、自分を、あるいはapjさんを疑えないようでは、いつまでたっても本質的な問題を見落としてしまうでしょう。
zororiさんの例えに従えば、私が問題にしているのは
『当人は「法律の条文に照らしてある行為が違法であると摘発しているようなもの」と思っているかもしれないが、実際には「法律」を参照せず、自分達で考える「法律」に適用して摘発している』
という感じでしょうか。
モチロン、例えとして「法律」を使っただけですが、別な文脈でも「法律」の認識の問題をだしているので、混乱せぬよう言い直しますとこうなります。
当人は、「社会規範に照らして“いけない事”を摘発している」つもりかもしれないが、実際には「社会規範」についてよく考えず、自分達が考える「社会規範」に適用して摘発している。
【実験】
FSMさんが「実験」という表現を使ったのは、中々近い。
ただし、「ワザとひねくれた」事を言って見せたのではないんですね。
「『人を騙してはいけない』は社会規範ではない」というのは、私本気でそう捉えています。
それについては、様々な根拠を持っています。
じゃぁ、何が実験かと言えば
第一の実験は
apjさんが、「なるほどそれは確かに社会規範だね」と納得できる説明ができるほど、私以上の考察をもってそう言っているのか確かめたい、という事でした。
もしも、そのような説明がされれば、「さすがapjさん、納得しました。やっぱりちゃんとしてますね」で済んでいた話でした。
しかし、結果は...残念ながら、そんな大団円どころか、ろくに説明もせぬままキレられた...
第二の実験としては
ニセ科学批判をしている人に対し、例え根拠があっても「間違っている」と何となく指摘できない雰囲気があるような気がしていましたが、まさかそんな事ない(皆、冷静に理解してくれるはず)という仮説を実証するための実験。
仮説は見事砕け散ったような気がするけど...。
そして、これは当初から意図したものではなかったのですが、この話題に対する反応を見る事で、
ある確信を得、反応が重なるたびに確信が強まりました。
それは、「権威主義化」です(それは後ほど説明します)。
【文脈ずらし】
FSMさんは、「文脈をズラされた批判」とおっしゃったけど、それはどうだろう。
「ニセ科学に対する批判」というのは、批判する側が様々な線引きをして行っています。
それを考えると、「ニセ科学に対する批判」の方が「枠組みを狭めている」のであり、皆さんの言う「批判批判」は(全てとは言いませんが)、「ズラしている」のではなく、「本来の広さに戻している」だけなのではないでしょうか。
また、批判する側に「同じ枠組み」を求めるのは勝手であり、むしろ「自分達の意識していない自分達の姿」を知るために、違う切り口で批判される事を歓迎すべきでしょう(自分達が思い描く自分の理想像を壊したくない、というのならで別だけど)。
もちろん、「枠組みを狭めている」のには、それなりの理由があるのは知っています。
そして「科学」の線引きについては私は大体納得しています。
だけど、皆さん特に意識していないようですが、「ウソをついてはいけない」を支持する人において、どうも「ウソ」自体の線引きも、ましてや「社会規範」を持ち出す人の「社会規範」の線引きも、自分自身上手くできていないのように捉えられました。
そのくせ、「それは正しい」という確信に満ちているように見受けられるのが不思議なのです。
【危険性】
こういう批判をすると、「でも、それの何が悪いんだ」と言い出す人がいそうなので、「自分の思い込みで社会規範を断ずる」事の危険性について、思い付くまま列挙します。
第一に
「社会規範」は社会のものであり、批判者グループが勝手に決められるものではないわけです。それを、安易に決め付けていれば、「自分達こそ、不確かな事を勝手に決め付けて言いふらしているだろ」と言われてしまいます。
第二に
そのような自由な解釈が許されるなら、それは勝手に伸び縮みさせられる物差しと同じに、好き勝手に変えてしまえます。つまり、「何でも100%当て嵌められる」不健全な構造を持ちます(例えばSFの例が出ましたが、誰かが「SFだって科学を誤解させるケースがあるから社会規範に反する」と言えば、そう認定される危険性があります。おそらく、SFが対象外になっているのは、たまたまに過ぎません)。
第三に
自分が勝手に決めたに等しいにも関わらず、「社会規範は、科学者が決めたのでもニセ科学を問題とする人達が決めたものでもなくて、我々の社会が決めたものである。」と言って、勝手に「社会」を楯に説明責任を放棄する、というウルトラCを展開し、呆れさせる人が出てくるかもしれません。
第四に
根拠希薄な自分の主張を他人に押し付けようとしても、受け入れられるのがむずかしいのが当然のはずです。しかし、「誤った社会正義感」により、自分達の主張を無条件で受け入れないまともな人を一方的に「社会の敵」と決めつけ、罵倒し、見下し、無視するといった暴挙に出るかもしれません。
第五に
第四のようなケースについては、自分の主張について「正しいかどうか疑うな」と他者に押し付ける態度を取っている事になります。それは、ニセ科学@菊池先生における「疑う事が大切」という理念に反します。
第六に
以上のような狭量かつ自己中心的な姿勢を見せた上では、「ニセ科学の害を、それを知らない他者に訴えたい」なんて口では言っても、他人には単なる身の程知らずにしか見えません。
【権威と権威主義】
私がこれらの問題をより一般化して説明するのに、最も適切だと思ったのが『権威主義』です。
Blupyさんは「権威の個人化」と言う言葉を使っており、大体同じ事のような気もするけれど、ニュアンスが違うとアレなので、同じとは限らないと把握しておいて欲しい。
権威主義については、「権威主義と属人主義」で簡単に紹介しましたが、ここでは同じ人の書いた『権威主義の正体(PHP新書)』を要約して示します
----要約----
著者は「権威」と「権威主義」を区別している。
「権威」については、『特定の分野で技能や知識の格段にすぐれた人が自然に発する光のこと』と呼ぶ。一方、「権威主義」については、『本来的な権威のない人が、権威あるふりをして無理に光を発しようとしたり、自分自身に権威がない人が、権威者の威を借りて光ではなく圧迫感を発しようとするときに発生する。』とする。
権威有る地位の人は、その権威に基づき他者に影響を与えられる(権威の行使)。
直接的影響:権威に与えられた権限の行使。
間接的影響:権威者の推奨が受け入れられる過程。
また、権威主義が、通常の権威行使と似ているようで異なる点で以下の三点を示している。
※ 表題はJudgementが付け加えた
1 権威の捏造
権威としての裏づけがないものを権威とみなし、その判断を押しつけることによつて権限や間接的影響を行使しようとする場合。権威の裏づけが客観的にチェツクしにくい領域のことが多く、占い、霊感予言、霊感商法などがこれにあたる。
2 間接的影響の権限化
間接的影響であるべき領域での同調を、あたかも直接的権限領域での服従であるかのような体裁や文脈をつくり、権威の行使領域を拡大しようという場合。上司が人生観の上で重視している書物を、部下も読まなければいけないなどというケースがこれに該当する。
3 間接的影響の拡大
本来権限とは関係ない領域にまで間接的影響を拡大する場合。たとえば、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者が、自分の健康法を他者に勧め、他者がそれにならうということが起こった場合、これに該当する。この種の影響領域の拡張は日常でもしばしば起こっている(ハロー効果)。
権威主義の問題点としては、批判が押さえられ、自己修正機能を失い、暴走を始めれば)行き着くところへ行くまで修止不能となる所だろう。 「行き着く先」の具体例として、「ホロコースト」が挙げられている(というか、ホロコーストの原因追求の中で生まれたのが「権威主義研究」らしい)。
その上で、「よい権威主義と悪い権威主義があります」という立場を社会科学ではとっていない、つまり「権威主義」は必ず『悪いもの』という位置付けを示す。
------------
【何が権威主義なのか】
他の人も「権威」を問題にしていたが、その人と「権威」の定義は微妙に違うので、ここで言う「権威」は『権威主義の正体』の定義に準じる事にします。
apjさんは自然科学の権威、と言ってもいいでしょう。
だから、自然科学の話についてapjさんが「○○は~なんだよ」と決め付ける言い方をしても、私たちも、それを受け入れた方が効率的であると言えるし、間違っている危険性は少ない。
しかし、apjさんは社会科学や人文科学の権威ではない。
だから、「○○は社会規範なんだよ」という決め付けだけしても何ら妥当性は示せない。
ましてやそれを押し付けようとするのは、「権威の捏造」に近い行為だ。
モチロン、Apjさんが社会規範を語ってダメ、という事ではなく、理由を述べずして決め付けても価値が無い、というだけである。
権威外の事を言うのであれば、それなりの根拠の説明が必要、つまり権威外だけどちゃんと勉強しましたよ、という事を示さなければ説得にもならないのである(そして、権威の後ろ盾が無いJudgementも皆さんも、それゆえに色々な知識や論理を駆使して説明しているのだから)。
また、これは実際どうかは分からないが「apjさんが言っているから正しいだろう」と思っている人がいれば、それは「間接的影響の拡大」だし、もしも万一apjさんが自分の社会規範観について、「皆も賛同しているのだから正しい(賛同しないのはおかしい)」と言い出せば、それは「間接的影響の権限化」だ。
私が「ウソと社会規範」関連で色々述べた際の反応を見て思ったのは、そういう「権威主義的」な問題点がニセ科学批判に(正確に言えば、ニセ科学批判の支柱であろうapjさんに)含まれるみたい、という事だ。
【人文系を軽く見るな】
私は「心理学」の分野にいるが、この分野は「素人心理学」が結構はびこる。
心理学は、一見「当たり前じゃん」と思うような理論が沢山有る。
だから、素人が自分で「当たり前じゃん」と思う事を心理学のように語ったりしがちなのかもしれない。
しかし、それは大間違いで、実は「当たり前」と思えることを立証するのは非常に難しいものなのである。
社会・人文科学系の自然科学系との大きな違いは、「自分自身の心もそこに含む」という事だ。
そして、それを含むからこそ、「自分の思い込み」のバイアスが強力に邪魔をする。
だからこそ、その「思い込み」を排除して、どれだけ現象を客観的に捉えて推測するか、というのが第一歩となるわけだ。
これは邪推なのかもしれないが、自然科学系の人は社会・人文科学系の学問をバカにしているのではないだろうか。
いや、バカにするのは勝手かもしれない。
きっとその人は自然科学系で、社会・人文科学系より何百倍もすごい事をしているのだろう。
ただ、バカにするなら自分の正当化に使うな、と言いたい。
しかも、「思い込み」という最も社会・人文科学系にそぐわないバイアスを効かせまくりで。
「保身のために規範を決め付けるな」のコメント欄でMKさんが非常に上手い事を言ったので使わせてもらう。
安易な解釈で人文系の概念を操ろうとするのは「ニセ人文」あるいは「人文系トンデモ」だ。
「ニセ科学」を批判している自分の中に「ニセ人文」的な所があるにもかかわらず、それにちっとも気付かない。
で、「ニセ人文」のところを批判されると、話題をずらしたり、解釈を広げたり狭めたりして、なんとか間違いを認めないようにし、「あいつは何も分かってない」というような認知的不協和の解消に努めるならば、それは「ニセ科学」の信者と『同じ穴の狢』じゃぁないか。
だれがそんな人の「ニセ科学批判」を受け入れるだろう。
「ニセ人文」になるくらいなら、お得意の「自然科学」だけを柱にすればいいし、どうしても人文系の事でも根拠付けしたいなら、もっとちゃんと考えてくれ、ってな感じ。
【終わりに】
なんか、ちょっと荒い説明かもしれないなぁ。
もう少し説明すべき所や、もっと補足したいところもあるような...(先言い訳)
まぁ、明日には38度の熱が出ているかもしれんので、この辺でUPしておきましょう。
ので、今のうち言っておきたい事があります。
というのは、コメントを見ていると「都合良く捉えすぎてね?」と思うものがチラホラ。
(まぁ、私の含みを持たせたまわりくどい書き方が悪いとは分かっているけどね)
変な流れが出来上がる前に、簡単ではありますが、私の問題提起の一部を明確にしておきたいと思う。
まず、私はapjさんの「『人を騙してはいけない』は社会規範」という主張に対し「本当に社会規範と言えるのか」を検討している事は分かっているよね(分かっているのかなぁ)。
念のため経緯を述べておこう。
もちろん、私がまとめたものだから、都合いいことばかり書いているかもしれないが。
【経緯】
事の起こりはapjさんの『「人を騙すのはよくないことである」という、より一般的な倫理的価値基準』に対し
「だけど、じゃぁ“一般的”って何だ、っても思う。自分にとって一般的な事が、どこまで一般的か分からない。だから、”一般的”という事で何かを説明した気になるけれど実は何も説明していないようなものだ。むしろ、自分で上手く説明できない事を、無条件で正当化する時に使いがち。」と述べた事(RETURN)。
それについて 技術開発者さんが「社会規範」という言葉を持ち出した
(apjさんもそれに賛同され、後々自分のブログでもその表現を積極的に使った)。
それに対し、私はその考えの浅さを指摘した。
さらに「その看板は必要か?」では何故そんな規範を持ち出さないほうがいいのか、「代案を添えて」説明した。
そのうちapjさんが「RETURN」のコメント欄で「法的思考(とそこに到達する前の割と入り口での規範についての思考)がほぼ完全に抜け落ちているんじゃないかという気がしてきました。」と言った。
で、技術開発者さんが調子に乗って自分の社会規範に対する憶測をベラベラ述べた。
それに対し、「例えの前にする事は?」で技術開発者さんの社会規範の捉え方の足りなさを、「BERSERK」でapjさんが「『人を騙してはいけない』は社会規範」の根拠が説明できてない事を批判した。
すると...
『私は、「大人に近づこう」ともしないお子様相手に語る言葉を持ちませんので、以降は書き込まないことにします。』(by 技術開発者さん)
『社会規範について議論する場合であっても、実例を伴わない批判は無力です。具体的なケースへのあてはめができないような議論をしている限り、厨二病(お子様)の域を出ません。(中略)ということで、どうぞ以後はお好きなだけ稚拙な論をご提供ください。それでも、反面教師として誰かの役には立つでしょう。』(by apjさん)
という相次ぐ説明放棄。
でもめげずに「保身のために規範を決め付けるな」でさらに専門的な法と規範の解釈を述べた
(現在の状態はここまで)
どうだろう?
以前zororiさんに「リングに上がってこない」という感じの事を言ったけど、こうしてまとめてみると正確ではなかったようだ。
正確には「相手のリングに上がっているのに、上がると相手は別の所にリングを作り始める」といった感じではないだろうか。
【何を問題にしているのか】
『例えの前にする事は?』のコメント欄におけるzororiさんの長文に返事を書いていたのだけど、重要な事に触れる事になったので、そこだけこちらで書く。
また、ニセ科学批判の批判者はニセ科学を擁護しているわけでもありません。彼らの狙いは社会規範の成立という簡単には結論のでない世界に引き込んで議論をうやむやにすることじゃないでしょうか。
Zororiさん自身がニセ科学批判に「社会規範」という理由付けをしないのであれば、私は特に何も言いませんよ。私が今問題にしているのはapjさんのような「社会規範」を理由付けにしようとしている人ですから。
で、この辺の事について、ちゃんと説明しておきます。
その前に、Zororiさんの「社会規範の成立という簡単には結論のでない世界に引き込む」における「社会規範の成立」という言葉は2つの解釈ができます。
1つは「何故その社会規範が成立したか」ですが、前者の世界に引き込もうとしているのは、私ではなく技術開発者さんであるので関係無いでしょう。
私は、「そんな社会規範は成立しているのか」という立場で話をしていますので、その意味で解釈して話を進めます。
「“その社会規範は成立しているのか”という簡単には結論のでない世界」
それは、私もそのように思っている事です。
例えば、「科学は絶対じゃない」という事を理由に批判する人も確かにいるかもしれません(実際には、ニセ科学批判は「科学が絶対である」事を根拠に批判しているのではなく、「科学ではない」事を問題にしているわけで、的外れ)。
しかし、私は「科学は絶対じゃない」批判と同じパターンで、「社会規範は絶対じゃない」と重箱の隅をつつこうとしているわけではありません(「ニセ科学批判の批判者」という括りで勝手に決め付けたステレオタイプを当て嵌めないでよね、と言っておきたい)。
私は、apjさんの「~は社会規範だ」という主張に対し、「それは社会規範として成り立ってない」と言っているのです。
いわば、「ニセ科学」に「科学じゃない」と批判するのと同じ事なんです。
もし、apjさんが『「ウソはいけない」という自分の信念が動機だ』と言っていれば、ここまで引っ張る話ではありませんでした。
だけど、apjさんは「“一般的な”倫理規定」とか「社会規範」とかを持ち出しましたので、それを持ち出して自分の正当化をしたいなら、まずそれが本当に「一般的な倫理」や「社会規範」なのか、それなりの根拠を言いなさいよ、と言いたいわけですね。
これは、そんなにおかしい指摘でしょうか?
つまり、ニセ科学批判者の言っている事は絶対正しいとは限らないという当たり前のことを言っているに過ぎないと。彼らは何か自分の主張があるのではなく、ただ絶対確実なことはないといって他者の否定をしているだけだと思います。
私は、「絶対正しいのか」の検討以前の段階、「正しいという根拠を示していない」というのを指摘しているつもりです。
つまり、「絶対確実なことはない」ではなく、「ある程度確実という事すら示していない」と指摘しているわけです。
最初の方で述べたように、“その社会規範は成立しているのか”というのは簡単には結論のでない話と認識しています。
しかし、apjさんは、そのような事について、さしたる根拠も無く、安易に結論を出して前提にしてしまっているように見受けられました。
「そんなに簡単に決め付けているけど、その根拠はあるの?」
こういう事情を考えれば、ウソの是非という議論はニセ科学批判にとって不毛だという気がします。批判批判者は引っかき回してくる雑音みたいなもので、ニセ科学批判はやむを得ず雑音を消さざるを得ないだけであり、
zororiさんは違うのかもしれませんが、apjさんは「不確かな事」を「不確かなまま」、ニセ科学の定義に含めようとしています。
それでいて「不確かな事を言いふらしてはならない」と主張するのは自己矛盾を生じさせているのではないでしょうか?
「不毛だ」、「雑音だ」と最初から決め付けて、自分を、あるいはapjさんを疑えないようでは、いつまでたっても本質的な問題を見落としてしまうでしょう。
ニセ科学批判というのは、法律には問題が無いという前提で法律の条文に照らしてある行為が違法であると摘発しているようなものだと思います。しかし、うまくいかない事例が出てくれば、法改正が必要となるでしょう。では、ニセ科学批判でそのような具体的事例があるのかというと、そう言う指摘は無いと思います。批判批判者の言い分は「どんな事例にも問題無く適用できるという保証はない。」であって、具体的な問題事例の予想すらないのです。SFのウソのような害のないウソはありますけど、それに対応するニセ科学の事例はないのではないでしょうか。
zororiさんの例えに従えば、私が問題にしているのは
『当人は「法律の条文に照らしてある行為が違法であると摘発しているようなもの」と思っているかもしれないが、実際には「法律」を参照せず、自分達で考える「法律」に適用して摘発している』
という感じでしょうか。
モチロン、例えとして「法律」を使っただけですが、別な文脈でも「法律」の認識の問題をだしているので、混乱せぬよう言い直しますとこうなります。
当人は、「社会規範に照らして“いけない事”を摘発している」つもりかもしれないが、実際には「社会規範」についてよく考えず、自分達が考える「社会規範」に適用して摘発している。
【実験】
FSMさんが「実験」という表現を使ったのは、中々近い。
ただし、「ワザとひねくれた」事を言って見せたのではないんですね。
「『人を騙してはいけない』は社会規範ではない」というのは、私本気でそう捉えています。
それについては、様々な根拠を持っています。
じゃぁ、何が実験かと言えば
第一の実験は
apjさんが、「なるほどそれは確かに社会規範だね」と納得できる説明ができるほど、私以上の考察をもってそう言っているのか確かめたい、という事でした。
もしも、そのような説明がされれば、「さすがapjさん、納得しました。やっぱりちゃんとしてますね」で済んでいた話でした。
しかし、結果は...残念ながら、そんな大団円どころか、ろくに説明もせぬままキレられた...
第二の実験としては
ニセ科学批判をしている人に対し、例え根拠があっても「間違っている」と何となく指摘できない雰囲気があるような気がしていましたが、まさかそんな事ない(皆、冷静に理解してくれるはず)という仮説を実証するための実験。
仮説は見事砕け散ったような気がするけど...。
そして、これは当初から意図したものではなかったのですが、この話題に対する反応を見る事で、
ある確信を得、反応が重なるたびに確信が強まりました。
それは、「権威主義化」です(それは後ほど説明します)。
【文脈ずらし】
FSMさんは、「文脈をズラされた批判」とおっしゃったけど、それはどうだろう。
「ニセ科学に対する批判」というのは、批判する側が様々な線引きをして行っています。
それを考えると、「ニセ科学に対する批判」の方が「枠組みを狭めている」のであり、皆さんの言う「批判批判」は(全てとは言いませんが)、「ズラしている」のではなく、「本来の広さに戻している」だけなのではないでしょうか。
また、批判する側に「同じ枠組み」を求めるのは勝手であり、むしろ「自分達の意識していない自分達の姿」を知るために、違う切り口で批判される事を歓迎すべきでしょう(自分達が思い描く自分の理想像を壊したくない、というのならで別だけど)。
もちろん、「枠組みを狭めている」のには、それなりの理由があるのは知っています。
そして「科学」の線引きについては私は大体納得しています。
だけど、皆さん特に意識していないようですが、「ウソをついてはいけない」を支持する人において、どうも「ウソ」自体の線引きも、ましてや「社会規範」を持ち出す人の「社会規範」の線引きも、自分自身上手くできていないのように捉えられました。
そのくせ、「それは正しい」という確信に満ちているように見受けられるのが不思議なのです。
【危険性】
こういう批判をすると、「でも、それの何が悪いんだ」と言い出す人がいそうなので、「自分の思い込みで社会規範を断ずる」事の危険性について、思い付くまま列挙します。
第一に
「社会規範」は社会のものであり、批判者グループが勝手に決められるものではないわけです。それを、安易に決め付けていれば、「自分達こそ、不確かな事を勝手に決め付けて言いふらしているだろ」と言われてしまいます。
第二に
そのような自由な解釈が許されるなら、それは勝手に伸び縮みさせられる物差しと同じに、好き勝手に変えてしまえます。つまり、「何でも100%当て嵌められる」不健全な構造を持ちます(例えばSFの例が出ましたが、誰かが「SFだって科学を誤解させるケースがあるから社会規範に反する」と言えば、そう認定される危険性があります。おそらく、SFが対象外になっているのは、たまたまに過ぎません)。
第三に
自分が勝手に決めたに等しいにも関わらず、「社会規範は、科学者が決めたのでもニセ科学を問題とする人達が決めたものでもなくて、我々の社会が決めたものである。」と言って、勝手に「社会」を楯に説明責任を放棄する、というウルトラCを展開し、呆れさせる人が出てくるかもしれません。
第四に
根拠希薄な自分の主張を他人に押し付けようとしても、受け入れられるのがむずかしいのが当然のはずです。しかし、「誤った社会正義感」により、自分達の主張を無条件で受け入れないまともな人を一方的に「社会の敵」と決めつけ、罵倒し、見下し、無視するといった暴挙に出るかもしれません。
第五に
第四のようなケースについては、自分の主張について「正しいかどうか疑うな」と他者に押し付ける態度を取っている事になります。それは、ニセ科学@菊池先生における「疑う事が大切」という理念に反します。
第六に
以上のような狭量かつ自己中心的な姿勢を見せた上では、「ニセ科学の害を、それを知らない他者に訴えたい」なんて口では言っても、他人には単なる身の程知らずにしか見えません。
【権威と権威主義】
私がこれらの問題をより一般化して説明するのに、最も適切だと思ったのが『権威主義』です。
Blupyさんは「権威の個人化」と言う言葉を使っており、大体同じ事のような気もするけれど、ニュアンスが違うとアレなので、同じとは限らないと把握しておいて欲しい。
権威主義については、「権威主義と属人主義」で簡単に紹介しましたが、ここでは同じ人の書いた『権威主義の正体(PHP新書)』を要約して示します
----要約----
著者は「権威」と「権威主義」を区別している。
「権威」については、『特定の分野で技能や知識の格段にすぐれた人が自然に発する光のこと』と呼ぶ。一方、「権威主義」については、『本来的な権威のない人が、権威あるふりをして無理に光を発しようとしたり、自分自身に権威がない人が、権威者の威を借りて光ではなく圧迫感を発しようとするときに発生する。』とする。
権威有る地位の人は、その権威に基づき他者に影響を与えられる(権威の行使)。
直接的影響:権威に与えられた権限の行使。
間接的影響:権威者の推奨が受け入れられる過程。
また、権威主義が、通常の権威行使と似ているようで異なる点で以下の三点を示している。
※ 表題はJudgementが付け加えた
1 権威の捏造
権威としての裏づけがないものを権威とみなし、その判断を押しつけることによつて権限や間接的影響を行使しようとする場合。権威の裏づけが客観的にチェツクしにくい領域のことが多く、占い、霊感予言、霊感商法などがこれにあたる。
2 間接的影響の権限化
間接的影響であるべき領域での同調を、あたかも直接的権限領域での服従であるかのような体裁や文脈をつくり、権威の行使領域を拡大しようという場合。上司が人生観の上で重視している書物を、部下も読まなければいけないなどというケースがこれに該当する。
3 間接的影響の拡大
本来権限とは関係ない領域にまで間接的影響を拡大する場合。たとえば、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者が、自分の健康法を他者に勧め、他者がそれにならうということが起こった場合、これに該当する。この種の影響領域の拡張は日常でもしばしば起こっている(ハロー効果)。
権威主義の問題点としては、批判が押さえられ、自己修正機能を失い、暴走を始めれば)行き着くところへ行くまで修止不能となる所だろう。 「行き着く先」の具体例として、「ホロコースト」が挙げられている(というか、ホロコーストの原因追求の中で生まれたのが「権威主義研究」らしい)。
その上で、「よい権威主義と悪い権威主義があります」という立場を社会科学ではとっていない、つまり「権威主義」は必ず『悪いもの』という位置付けを示す。
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【何が権威主義なのか】
他の人も「権威」を問題にしていたが、その人と「権威」の定義は微妙に違うので、ここで言う「権威」は『権威主義の正体』の定義に準じる事にします。
apjさんは自然科学の権威、と言ってもいいでしょう。
だから、自然科学の話についてapjさんが「○○は~なんだよ」と決め付ける言い方をしても、私たちも、それを受け入れた方が効率的であると言えるし、間違っている危険性は少ない。
しかし、apjさんは社会科学や人文科学の権威ではない。
だから、「○○は社会規範なんだよ」という決め付けだけしても何ら妥当性は示せない。
ましてやそれを押し付けようとするのは、「権威の捏造」に近い行為だ。
モチロン、Apjさんが社会規範を語ってダメ、という事ではなく、理由を述べずして決め付けても価値が無い、というだけである。
権威外の事を言うのであれば、それなりの根拠の説明が必要、つまり権威外だけどちゃんと勉強しましたよ、という事を示さなければ説得にもならないのである(そして、権威の後ろ盾が無いJudgementも皆さんも、それゆえに色々な知識や論理を駆使して説明しているのだから)。
また、これは実際どうかは分からないが「apjさんが言っているから正しいだろう」と思っている人がいれば、それは「間接的影響の拡大」だし、もしも万一apjさんが自分の社会規範観について、「皆も賛同しているのだから正しい(賛同しないのはおかしい)」と言い出せば、それは「間接的影響の権限化」だ。
私が「ウソと社会規範」関連で色々述べた際の反応を見て思ったのは、そういう「権威主義的」な問題点がニセ科学批判に(正確に言えば、ニセ科学批判の支柱であろうapjさんに)含まれるみたい、という事だ。
【人文系を軽く見るな】
私は「心理学」の分野にいるが、この分野は「素人心理学」が結構はびこる。
心理学は、一見「当たり前じゃん」と思うような理論が沢山有る。
だから、素人が自分で「当たり前じゃん」と思う事を心理学のように語ったりしがちなのかもしれない。
しかし、それは大間違いで、実は「当たり前」と思えることを立証するのは非常に難しいものなのである。
社会・人文科学系の自然科学系との大きな違いは、「自分自身の心もそこに含む」という事だ。
そして、それを含むからこそ、「自分の思い込み」のバイアスが強力に邪魔をする。
だからこそ、その「思い込み」を排除して、どれだけ現象を客観的に捉えて推測するか、というのが第一歩となるわけだ。
これは邪推なのかもしれないが、自然科学系の人は社会・人文科学系の学問をバカにしているのではないだろうか。
いや、バカにするのは勝手かもしれない。
きっとその人は自然科学系で、社会・人文科学系より何百倍もすごい事をしているのだろう。
ただ、バカにするなら自分の正当化に使うな、と言いたい。
しかも、「思い込み」という最も社会・人文科学系にそぐわないバイアスを効かせまくりで。
「保身のために規範を決め付けるな」のコメント欄でMKさんが非常に上手い事を言ったので使わせてもらう。
安易な解釈で人文系の概念を操ろうとするのは「ニセ人文」あるいは「人文系トンデモ」だ。
「ニセ科学」を批判している自分の中に「ニセ人文」的な所があるにもかかわらず、それにちっとも気付かない。
で、「ニセ人文」のところを批判されると、話題をずらしたり、解釈を広げたり狭めたりして、なんとか間違いを認めないようにし、「あいつは何も分かってない」というような認知的不協和の解消に努めるならば、それは「ニセ科学」の信者と『同じ穴の狢』じゃぁないか。
だれがそんな人の「ニセ科学批判」を受け入れるだろう。
「ニセ人文」になるくらいなら、お得意の「自然科学」だけを柱にすればいいし、どうしても人文系の事でも根拠付けしたいなら、もっとちゃんと考えてくれ、ってな感じ。
【終わりに】
なんか、ちょっと荒い説明かもしれないなぁ。
もう少し説明すべき所や、もっと補足したいところもあるような...(先言い訳)
まぁ、明日には38度の熱が出ているかもしれんので、この辺でUPしておきましょう。
ニセ科学批判という名の「ニセ批判」「ウソ批判」
科学の進歩や啓蒙に害を与える可能性が高い「科学を装った主張」に対して、ニセだのウソだのという観点からの批判では科学の進歩や啓蒙に何の役にも立たないことを知るべきではないのか。
ニセ科学批判批判者(私もかw)が問題とし反発や批判をすることへの対応が、あまりに幼稚なニセ科学批判者たちの言動を見ていると、もうそろそろニセ科学批判を「害こそあれ無価値な活動」と結論付けてもいいように思う。
ニセだのウソだのということを批判したいなら「ニセ科学批判」などといわず“科学”の言葉を省いて「ニセ批判」、あるいは「ウソ批判」とするべきでしょう。
最近、ホメオパシーの記事を書かれた人のコメント欄を読んでいて、「疑似科学(ニセ科学)という言葉を使わなかったことホメてつかわす。あちらもあちらで危険なカルトに同じ。」とのコメントに思わず同意。
カルトと思われるようにまでなってしまったことをニセ科学批判者は今一度自らを見つめなおす必要があるのではないかと思う次第です。
(これは書き逃げであり質問があっても応答しません。by卑怯者w)
by YOSHIYUKI (2009-05-21 09:53)
「幼稚なニセ科学批判者」がいたとしてもそれが全てとは限るまい。
とりあえず、私はまだご本尊である菊池氏には失望してないよ。
(まぁ、何かを判断できるほど深い分析はしてないが)
あと、疑似科学とニセ科学を一緒くたにして欲しくないなぁ
いや、共感する部分もあるけどさぁ
いったいあなたは誰に向かって発言しているのだ?
(あ、質問しても応答はしないのか)
なんか、「技術開発者さん ニセ科学批判批判バージョン」みたいよ...
by Judgement (2009-05-21 23:19)
すみません、書きたい事は山の様にあるのですが、本当に時間が無いので事実の指摘のみ。
>apjさんは「不確かな事」を「不確かなまま」、ニセ科学の定義に含めようとしています。
してません。少なくとも今は、もう。
「その看板は必要か?」
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-04-28
のコメント欄における2009-05-02 13:48の発言でapjさんは
>ニセ科学を問題にする理由には、社会規範が背景にあるけど、定義の方は確かにそこまでは含んでませんね。
と書かれています。
そして、その後にapjさん自身が書かれた「ニセ科学まとめ」
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/nisekagaku-contents
の中の「ニセ科学とは何か」
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/lab/pseudoscience/ps-comments/nisekagaku-teigi
の下の方に
>ニセ科学の定義そのものに社会規範を含める必要はない
と、はっきりと書いてあります。
以上の点を念頭に置いて、このエントリ本文を読み直すと、また印象が違う様に思いますが、如何でしょうか。
それと(時間が無いのに)我慢できずに一言だけ書きますが、
YOSHIYUKIさんの様な書き込みはPseuDoctor的にはとてもとても有難いです。何故有難いのかをきちんと説明する時間が無いのが残念ですが、とりあえず御礼を申し上げておきます。
by PseuDoctor (2009-05-22 00:08)
う~ん、PseuDoctorさんに言ってもしょうがないんだけど。
いや、『apjさんは「不確かな事」を「不確かなまま」、ニセ科学の定義に含めようとして”いた”。』でもいいんですけどね(あれだけ騒いだにもかかわらず、相手である私宛の撤回のコメントはついぞ無かったけどネ)。
だけど、引っ込めたのは「社会規範」に対する自分の安易な(人文をなめた)考え方に気付いたからではなく、PseuDoctorさんが「私は入れていないよ」と言った事だけが理由に見えますが...
というか、そこはむしろPseuDoctorさんに対しても
「いや、私は定義に含める事こそが正しいと思っているから違ってもいい」
って突っ張って欲しかった(私にはあんなにつっかかってたのにね)
「一派」を否定したapjさんなのに、ねぇ。
>ニセ科学というものを何故問題にするのか、どのように問題にするのか、
>何故ニセ科学が蔓延するのか、という議論になって初めて、
>「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」
>といった社会規範の存在まで含めて考えることになる。
でさ、社会規範に「嘘をついてはいけない」「不確かなことを言いふらしてはいけない」が含まれるか確かめもせぬまま、「不確かな事」を「不確かなまま」言い続けているのは相変わらずですよ。
で、apjさんとこの「ニセ科学と社会規範」や「ちょっとした印象なのだけれど……」を見る限り、相変わらずそんな「個人的な社会規範に対する信念」を「正しい」前提で、それを否定する人を「モノを知らない扱い」で揶揄しようとしてますよね。
上の記事は、そういう考え方を批判しているのですが...
by Judgement (2009-05-22 00:40)
こんばんは。
うーん、だから「事実の指摘のみ」と書いたのですが。
>上の記事は、そういう考え方を批判しているのですが...
それは解りますよ。エントリ本文を読めば「今の時点で」Judgementさんがそう考えているというのは読み取れます。
でも「最初からそうだった訳ではない」ですよね。
もう一度「その看板は必要か?」
http://naked-kings.blog.so-net.ne.jp/2009-04-28
のコメント欄から引用します。
>別に、「メタな話をしたい」わけではなく、apjさんの、
>『他人を騙してはいけないという規範』における
>http://www.cml-office.org/archive/?logid=345
>「ニセ科学の定義の中に、人を騙してはいけない、という規範が含まれている」
>について、自分の考えを素直に述べただけで、あとはその反応に対応しているだけです。
この段階では「定義に規範が含まれているか」こそが問題であると読み取れます。全てではないにせよ、少なくとも発端であり、かつ重要な要素であると。
その後「問題のありかに対する認識に変化が生じた」というのであれば、それはそれで別に責められるべき事ではありません。しかし、今回のエントリ本文を読むと、これまでの経緯を述べようとしているにも関わらず、そうした流れがまるで感じられません。私はその点も不満だったのです。
その上で、発端であり重要な要素であった「定義に社会規範が含まれるかどうか」についてJudgementさんに事実誤認があると判断したからソースを示して指摘したのです。
でも、それに対するJudgementさんの反応は
>いや、『(中略)』でもいいんですけどね
という「そんな事は本質的な問題ではない」と言わんばかりのものでした(実際、そう感じておられるのでしょうね、今では)。
でも、いつからそうなったのですか?
本質に関係無いのなら、エントリ本文に取り上げる必要も無いのでは?
本質に関係無いのなら、あっさり事実誤認を認めればそれで済むのでは?
これじゃまるで、いつの間にか考えを変えたのを曖昧にしておいて、それを指摘されたら「そんな事は大した問題じゃない」と強弁している様に見えますよ。少なくとも私にはそう見えます。
そういう議論の仕方って、他ならぬJudgementさんこそが、最も苛烈に批判するところじゃないんですか。私はそう思ってました。だからこそ、こんなにこだわってるんですよ。
という訳で、ここまでが今回一番コメントしたかった事ですから、以下は半分余談の様なものですが。
>(あれだけ騒いだにもかかわらず、相手である私宛の撤回のコメントはついぞ無かったけどネ)。
これも厳し過ぎる様に私には思えます。私はこれまで、少なくともブログに書いたコメント内容はブログ主に伝わっているものとみなして行動してきました。しかしどうやら、Judgementさんに対してはそれでは足りない様ですね。
つまり「ブログのコメント欄に明記した内容であっても、ブログ主ではない相手に対して書かれたものであれば、ブログ主はその内容を認識しない事も在り得る」という事ですよね。
Judgementさんは、それでいいのですか?
もしそうなら、今後はコメントの書き方を全面的に考え直さなければいけません。
それとも、単に「自分を軽視した」という面子の問題ですか?それならそれで構わないし御気持ちも解る気がしますが、もしそうだとすれば、今度は「事実誤認の指摘」に対して返す言葉ではないと思います。「面子を潰されて腹が立った」からといって、事実関係に変化が生じる訳ではありませんから。
>だけど、引っ込めたのは「社会規範」に対する自分の安易な(人文をなめた)考え方に気付いたからではなく、PseuDoctorさんが「私は入れていないよ」と言った事だけが理由に見えますが...
そんなに過大評価されては困ります。それじゃまるで、apjさんが私の言う事なら何でも聞き入れるみたいじゃないですか。
私は自分がそこまでapjさんに影響力があるなんて露ほども思ってません。だってそうでしょう。apjさんは相手が大学であれ同僚であれ、自分が納得していない事に関しては法的手段に訴えても正当性を主張する程の人だし、きくちさんに対してだって「違うところは違う」とみなされる事を恐れていない訳です。
何で私にだけ、一言でapjさんを翻意させる程の力があるんですか。アリエナイですよ。
by PseuDoctor (2009-05-30 23:40)
PseuDoctorさん
>>だけど、引っ込めたのは「社会規範」に対する自分の安易な(人文をなめた)考え方に気付いたからではなく、PseuDoctorさんが「私は入れていないよ」と言った事だけが理由に見えますが...
(中略)
>何で私にだけ、一言でapjさんを翻意させる程の力があるんですか。アリエナイですよ。
この件は私も「定義に含めたのは自分の勇み足!?」としてやんわり意見を引っ込めた様に"も"読めます。
PseuDoctorさんが「ありえない」という結論を出したのは、引用部(中略部)で書かれているapjさんの人物像等のコメント以外の情報を使って判断しているからではないですか?
PseuDoctorさんが指摘した部分のコメントだけでは「元から含めていない」「意見を撤回した」の判断はつかないはずです。
そのエントリ内でapjさんの最初のコメントでは、否定せず定義として含んでいるかのような回答(法の外の事柄に対応する為)をしています。
PseuDoctorさんは第一声で「含んでいない」とコメントして居られますよね?
元から含んでいないならば、PseuDoctorさんの様に否定するのが余計な誤解を与えない回答ではないでしょうか?
最初のコメント時点では、定義に含む含まないが整理されていない状態でドチラかというと含む側に(即座に否定しないほどに)偏っていたのではないでしょうか?
コチラでのapjさんのコメントを見る限り、「事実誤認」と云う程でなく「あながち間違ってはいなかった理解」という位だと考えますが。
それに撤回(?)後ですら「定義の方は確かにそこまでは含んでませんね。」という回答から見ても定義に完全に含んでいないとは云ってませんよね?
by タカキ (2009-05-31 00:57)
【PseuDoctorさん】
最初は「ウソはホントにいけないの?」だったつもりですが(RETURN参照)。
「ニセ科学の定義の中に、人を騙してはいけない、という規範が含まれている」
には、3つの要素が含まれます。
1 「人を騙してはいけない」と言えるのか
2 「人を騙してはいけない、という規範」が成立しているのか
3 「人を騙してはいけない、という規範」を定義として含めて良いか
3については 「その看板は必要か?」のなかの”一つの話題”として、「定義の中身としての問題」を取り上げてはいますが「これが一番本質的な問題だ」と言った記憶はありませんし、事の初めは、このコメントの冒頭のテーマです。
『「定義に社会規範が含まれるかどうか」が発端であり重要な要素であった』
というPseuDoctorさんに『事実誤認』を突きつけようとは思いませんが
どっから”発端であり重要な要素”という解釈が生まれたのかは問い詰めたいところだ。
>本質に関係無いのなら、あっさり事実誤認を認めればそれで済むのでは?
うんとさぁ
「敵」にはさんざん噛み付いたくせにPseuDoctorさんとの対話では
「あっ、定義に含まれませんでしたね、うっかりうっかり」
とさらっと述べるけど、さんさん引張り回し、愚弄もした私には何も無し
(その時の、”私の”apjさんのコメントに対する印象は、タカキさんへの返信に書いておきます)
...それどころか
「どうぞ以後はお好きなだけ稚拙な論をご提供ください。」
呼ばわりで、後ろ足で砂かけて去ってったのよね、あの人。
私はただ唖然とするしかないじゃない。
「『~』でもいいんですけどね」と呆れるしかないよね。
まぁ、PseuDoctorさんは、この発言をして「事実誤認」と決め付けて責めまくるわけですが、「やらかされた方」と「apjさんと円満な対話をした方」での言い方と聞こえ方の違いと受け取ってくれればいいかなぁ...
>これじゃまるで、いつの間にか考えを変えたのを曖昧にしておいて、
>それを指摘されたら「そんな事は大した問題じゃない」と強弁している様に見えますよ。
いやいや
言い負かされてから、そう言うなら確かにそうだけど
apjさん本人が「問題」から外してしまったのだから、強弁にもなにもならんでしょう。
相手が勝手に外した梯子について、あれこれ言ってもしょうがない。
>そういう議論の仕方って、他ならぬJudgementさんこそが、
>最も苛烈に批判するところじゃないんですか。
「そういう議論」になっているならば、そうですね。
でも、『私が「そういう議論」をしている』というのは、PseuDoctorさんの仮説の上の推測の上の憶測の上でのお話ですよね。
で、「余談」についてですが
今回のコメントでPseuDoctorさんは、私の「『~』でもいいんですけどね」というひと言についての、自分が感じた解釈と、今まで私の記事やコメントを読んで、「定義に含まれるか否かが本質」という解釈を組み合わせて、私を『事実誤認』と糾弾し、「本質に関係無いのなら、エントリ本文に取り上げる必要も無いのでは?」とか、「強弁だ」とかおっしゃるわけですよね。
つまり、私の発現については、「悪い方に悪い方に」解釈を進める事をよしとしているのでしょう。
まぁ、一貫してそういうキャラクターだったら別にいいんだけど
>>(あれだけ騒いだにもかかわらず、相手である私宛の撤回のコメントはついぞ無かったけどネ)。
>これも厳し過ぎる様に私には思えます。
おいおい、事実を書いてただけなのに、apjさんに関してはそれかい、って感じ。
その不公平さは、ちょっとたまげる。
しかもさぁ、さらにこのコメントを端緒として、滔々と『「ブログのコメント欄に明記した内容であっても、ブログ主ではない相手に対して書かれたものであれば、ブログ主はその内容を認識しない事も在り得る」という事ですよね。』とか『単に「自分を軽視した」という面子の問題ですか』とか『「事実誤認の指摘」に対して返す言葉ではないと思う』とか...
私に対しては憶測でここまで散々な言いようをするPseuDoctorさんに、厳しいだのとは言われたくはないなぁ...
>何で私にだけ、一言でapjさんを翻意させる程の力があるんですか。アリエナイですよ。
当人が「アリエナイ」と思っていても、「アリエル」事はあり得るのですよ。
というか、あったじゃない、としか言えないよ...。
最後に
>本質に関係無いのなら、エントリ本文に取り上げる必要も無いのでは?
おいおい、必要性を人に判断されたくは無いなぁ
というか、取り上げた内容を批判されるのは仕方ないけど
まさか、「何を取り上げるか」まで干渉されるとは思わなかった。
本質でない事であるなら、「問題点のひとつ」として取り挙げる事すら
”誰かが「本質」と勘違いするかもしれないから書くのをやめろ”
という事を「他人のブログ」にご注進するような人だったっけ?
【タカキさん】
うん。私としても正直な所、あのコメントを読んでも「撤回」を確信できなかった。
「定義に含める事が妥当か」という話をしていたはずなのに、「定義に含めるのは妥当ではない」ってな話はしてないよね。
妥当性についてはほっぽり出して
(自分の定義に含めていたくせに)他の人の定義を参照して
「含まれませんでしたね」とは、なんのこっちゃ、って感じ。
まぁ、「以降定義の話はや~めた」感は出てたけど。
というか、「定義に含む」と自信たっぷりに言ってた人が
何か思い出したように「定義には含まないですね」と言い始めるのがよう分からん
(だったら、またコロッと「でも定義に含んでもいい」とか言いそうだし)
で
>そのうち、ニセ科学批判まとめ、の自分用バージョンでも書こうかと思っているので、
>その時に参考にさせていただきます。
と言っていたので
『ああ、一番パブリックな「まとめwiki」には含まれてなかった事を再認したという態度を示しただけで、「自分用の」には定義として含めようとしているのかな』
という可能性も考えていました。
(というか、あそこまで言ったapjさんには、そこまで拘って欲しかった)
でも、PseuDoctorさんの紹介された所では
「ニセ科学の定義そのものに社会規範を含める必要はない」
だもんねぇ
「必要は無い」という言い回しがモヤっとポイント。
私は「支障が有る」と言ってたはずだけど
「必要は無い(けど、支障も無い)」ってニュアンスなのかなとかも思う。
by Judgement (2009-05-31 02:14)
はじめまして.
先に誤解のないように書かせてもらいますが,私自身はニセ科学は大嫌いです.
さて,apj さんが定義からは例の社会規範を抜いたという件についてですが,どうでしょうね.
apj さんのこの Judgement の blog のコメント欄でのぐたぐたぶりを一切忘れて,先入観なしで PseuDoctor さんが紹介された apj さんのサイトを読めば,ニセ科学の定義には例の社会規範を含め\
ていない,と読むのが自然でしょうね.というか,私はそう読みました.
ただし,ニセ科学を問題として取り上げることについてはその社会規範を必要とされているようですね.「取り上げる」とはどういうことなのかですが,ニセという言葉には攻撃的なニュアンスが含\
まれていますから,単に「あれはニセ科学だ」と言及するだけでも十分に相手を批判してることになり,取り上げたことになると思います.その攻撃性故に言及するのに何らかの理由付けを必要とす\
ることはもっともことだとは思いますが,そこに例の社会規範を持ってきてるようです.
単に言及するのにすら例の社会規範が必要ということになるんだったら,構造としては何ら変わるところはないですよね.つまり Judgement さんの主張はそのまま適用されると思います.また,Pse\
uDoctor さんの「事実の指摘」は文字通りの意味ではその通りかも知れませんが,少し物の見かたが局所的過ぎないかと思えます.
「ニセ科学」と「その批判」とに分けて考え,前者のみにメタな議論をし,後者は具体例に即した議論,あるいは,個人の意見や意思の表明という形にするならまだわかるのですけどね.apj さんみ\
たいに分けたって結局両者一緒にメタな議論をしちゃうと分けた意味がまるでなくなるように思います.
最後になりましたが,Judgement さん,どうもありがとうございました.
今回の一連のエントリは (まだ続くのかも知れませんが) はとても興味深かったです.
一連のエントリやそのコメント欄での様々な書き込みを読み,ぼんやりと,本当に言葉にもならないくらいにぼんやりとですが,感じていた違和感が解消された気分になりました.
by こたつ (2009-05-31 11:45)
はじめまして。
社会規範がニセ科学の定義に入っているかどうかということが議論になっているようですが、apjさんが「定義」から「社会規範」を取り除いたとしても、「ニセ科学を批判する理由は、それがウソであり、そしてウソは社会規範上許されないからだ。」という主張に関してはapjさんは一貫しておられると思います。
by やす (2009-05-31 16:25)
理系や文系じゃなくて、体育会系の血液型問題B型専門店のB研です。
昨年、一年間は「嘘・社会・規範」を考え続けました。現時点で私がたどり着いた解釈は、個人の内部における「社会多元論」です。
1.社会は多面的で多様な規範を有す単位に細分化され、階層的なピラミッド構造を成す。
2.個人は選択的に複数の社会に帰属し、複数の規範を使い分ける。
3.上位の規範・並立する規範・下位の規範を、意識して便利に使い分けるのが人間。
この一貫性のない行動を嘘と言えば、嘘になるでしょう。嘘の完全排除には、一つの論理演算しかできないプログラムを稼働するしかありません。ファシズムを導入する以外に社会的解決の道はありません。
不思議の国・ジパングで、「社会は一つで規範も一つ」とする設定には無理があります。「嘘が規範に反する社会」単位が存在すると同時に、「嘘を行動規範とする社会」単位も存在するからです。信念や願望、つまり理想としての「嘘は社会規範に反する」を規範の頂点に据え、「でも人間は嘘をつく」という現実に則した下位の規範があるのが、規範の鳥瞰図だとおもいます。
主張としての社会規範はそうですが、実際の規範の運用はいかがでしょうか?私の kikulog 観察日誌から確認します。
最下位の規範を運用し嘘をつく連中も、常に上位の規範を意識し脅えているのが現実です。それは kikulog で証明されます。「kikulog に脅える者は、kikulog に集う」の法則です。そこから考察するに、嘘つき連中の意識の中には、運用されない上位の規範が存在するのです。認識する規範と、運用する規範は別のものです。
「嘘は社会規範に反する」とする設定は、認識としてどちらの側にも存在するが、運用しない側には体現されない(存在しないように見える)。共通の認識という観点から、「嘘はいけない」が社会規範として機能しているように思えます。
「じゃー嘘って何よ?」の文系の問いに対し、「泥棒の始まりでしょうが!」が体育会系の回答です。嘘には良い嘘と悪い嘘があり、その間にグレーゾーンがあり、オレの嘘は良い嘘で、オマエの嘘は悪い嘘で、という話じゃなくて、嘘をついて泥棒をするか否かが規範の分かれ目です。
こないだ車を見に行って燃費が10モード・8kmとあったので、「実際は5~6kmだな」と言ってみたら、否定されませんでした。私に言わせれば、ユーザーレベルで再現できない性能表示は規範に反する嘘ですが、嘘を業界規範とする側は、「ユーザーは察して知るべし」らしく、もはや社会の常識らしいです。経済活動から嘘(泥棒行為)を排除したら、世界経済の規模は半減するでしょうね。
私の主張は、「『嘘は社会規範に反する』を絶対の規範とはできないが、現実に機能している」でした。もう少し考えを深めたら、有意義な解を得そうな気がしますが、あと1年掛かるでしょうね。では、Jさんの毒々しいレスポンスを期待しつつ、今日はこの辺で。
by B研 (2009-05-31 19:16)
こんばんは。
>タカキさん
うーむ、上手く私の言いたい事が伝わっていない様です。
私も「apjさんが私に指摘されてから定義を変えた」という風に認識しています。その点に関して異論がある訳ではないのです。
私が反論しているのは、Judgementさんの
>PseuDoctorさんが「私は入れていないよ」と言った事だけが理由に見えます
の部分です。私が言った事「だけ」が理由に見える、とJudgementさんは仰っているので「それは違うと思います」と申し上げているのです。
>Judgementさん
>どっから”発端であり重要な要素”という解釈が生まれたのかは問い詰めたいところだ。
だからあなた自身の発言を引用しているじゃないですか。
>別に、「メタな話をしたい」わけではなく、apjさんの、
>『他人を騙してはいけないという規範』における
>http://www.cml-office.org/archive/?logid=345
>「ニセ科学の定義の中に、人を騙してはいけない、という規範が含まれている」
>について、自分の考えを素直に述べただけで、あとはその反応に対応しているだけです。
これは、私の「Judgementさんは何の話がしたいのか」という問い掛けに対する答えです。つまり「apjさんの『ニセ科学の定義の中に、人を騙してはいけない、という規範が含まれている』について、自分の考えを素直に述べた『だけ』で、あとはその反応に対応している『だけ』」という事ですよね?
この文を読んで「定義に規範が含まれているかどうかの問題」が発端であり重要な要素であると解釈するのはそんなに変ですか?
私はJudgementさんに問い詰められる様な読解をしていますか?
>>本質に関係無いのなら、あっさり事実誤認を認めればそれで済むのでは?
>
>うんとさぁ
>「敵」にはさんざん噛み付いたくせにPseuDoctorさんとの対話では
>「あっ、定義に含まれませんでしたね、うっかりうっかり」
>とさらっと述べるけど、さんさん引張り回し、愚弄もした私には何も無し
>(その時の、”私の”apjさんのコメントに対する印象は、タカキさんへの返>信に書いておきます)
>...それどころか
>「どうぞ以後はお好きなだけ稚拙な論をご提供ください。」
>呼ばわりで、後ろ足で砂かけて去ってったのよね、あの人。
うん、Judgementさんがそう思ってるのは解りました。
で、その事が「事実関係」に何か影響を与えるのですか?
「apjは自分に酷い事をしたから、アイツの言ってる事もおかしいんだ」という理屈でしょうか?そんなの変ですよね。
だから私は最初から何回も書いてるじゃないですか。「事実の指摘のみ」って。
>まぁ、PseuDoctorさんは、この発言をして「事実誤認」と決め付けて責めまくるわけです
なるほど。つまりJudgementさんにとっては
「事実誤認を指摘する事」=「責めまくる事」なのですね。
私には全然そんなつもりは無かったです。繰り返しますが、このエントリで私は最初「事実の指摘のみ」をしていたのですよ。責めるつもりなど無かった。でも、それに対してJudgementさんが事実関係と直接に関連している訳では無いapjさんの所業などを引き合いに出してくるから、仕方なくそれに対応しているのです。
しかしどうやら、上の反応を見ると、Judgementさんは議論と論争との区別がつけられなくなっている様ですね。
残念です。
> おいおい、事実を書いてただけなのに、apjさんに関してはそれかい、って感じ。
違います。「apjさんに関して」ではありません。「私に関して」です。もう一度私のコメントを読んで欲しいですね。私は私のコメントがJudgementさんにどう扱われるかを気にしているし、問題にしている。少なくともこの部分に関しては、apjさんの事は例示に過ぎず、あくまで私は私とJudgementさんとの関係を問題にしている。
つまり、apjさんのコメントに対して行った様な扱いを私のコメントも受けるのであれば、今後は書き方を考えなくてはいけないと、そう書いた筈です。
それも読み取れませんか?
>当人が「アリエナイ」と思っていても、「アリエル」事はあり得るのですよ。
>というか、あったじゃない、としか言えないよ...。
私は「アリエナイ」と思う根拠を述べています。
しかしJudgementさんはなんら根拠を付さずに「自分はそう思う」と仰っているだけですね。「根拠を述べずに印象だけで語るの禁止」ではなかったのですか?それともブログ主のマイルールだから、本人だけは例外なの?
もう一回引用しましょうか?
>だけど、引っ込めたのは「社会規範」に対する自分の安易な(人文をなめた)考え方に気付いたからではなく、PseuDoctorさんが「私は入れていないよ」と言った事だけが理由に見えますが...
Judgementさんが「~に見えます」だけを理由にして、どうして「~としか言えない」とまで強く言えるのか不思議でなりません。
>おいおい、必要性を人に判断されたくは無いなぁ
>というか、取り上げた内容を批判されるのは仕方ないけど
>まさか、「何を取り上げるか」まで干渉されるとは思わなかった。
屁理屈です。
もし「取り上げた内容を批判されるのは仕方ない」のなら「そんな内容をわざわざ取り上げるのはおかしい」というのも「内容に対する批判」になるのではないですか?
>本質でない事であるなら、「問題点のひとつ」として取り挙げる事すら
>”誰かが「本質」と勘違いするかもしれないから書くのをやめろ”
>という事を「他人のブログ」にご注進するような人だったっけ?
だからね、悪い方に悪い方に解釈しようとしているのは、Judgementさん、あなたの方ですよ。今更言っても信じて貰えないかもしれないけど、私はねぇ、事実誤認の疑いを掛けられてケチをつけられるくらいなら(勿論ケチをつけてるのは私ですよ。他の人に指摘されるよりはマシだと思ったから)、いっそその点を外してしまった方が、Judgementさんの論から瑕疵を減らせると思ってた部分もあったんですよ。
それを、私の人格に言及してまで止めさせようとするのですか。
どうしてここまでこじれるかなぁ。
ちょっと感情的になり過ぎてない?
何だか、結構、悲しいですよ、私は。
あと、私宛のコメントではないですが、タカキさん宛のコメントの中の
>「定義に含める事が妥当か」という話をしていたはずなのに、「定義に含めるのは妥当ではない」ってな話はしてないよね。
ここはマジで日本語の意味が解りませんでした。
by PseuDoctor (2009-05-31 22:28)
連投すみません。
もうちょっと補足しておきます。
確かに私だってapjさんや技術開発者さんの去り際の台詞は不穏当だと思いますし、それを投げつけられたJudgementさんが傷付いただろう、というのは理解できます。同情もします。
しかし一方では、はっきり言って私自身も最近のJudgementさんの論は稚拙だと思うし、御自分の耳に心地良いコメントだけを求めている様にも思えてしまいます(何故そう思うかは、前のコメントを熟読すれば解る筈)。
その意味で、この件に関しては私はどちらにも肩入れしない、と決めたのです(だからこれまで言及してこなかった)。
増してや、今回述べている事に関しては関係無い、というのが私の判断です。
だからこそ一生懸命そこを分離した議論にしようとしているのに、どうしてもJudgementさんはそれをさせてくれない。
「一体、Judgementさんは何がしたいの?」とか思っちゃう訳です。
「みんな聞いてよ~。apj達がヒドいんだよ~」と訴えて同情を集めたいのですか?それとも「ヒドい仕打ちをするapj達よりも自分の主張の方が正しい」という展開に持ち込みたいのですか?
どっちにしても、そんなんじゃ立派な「ニセ科学批判批判批判批判者」にはなれないんじゃないですか。
何とか言わずに済ませようと思ってきたのですが、どうも、はっきり言わないと解って貰えない様ですから、明確に書きましょう。
頑張れ、Judgement!
もっとしっかりしろ!
これでも通じなければ、私も諦めます。
残念ですし、悲しいですが。
by PseuDoctor (2009-05-31 23:56)
B研 さん、
私も大体同じように考えていまして、社会規範とはその程度のもので、それでも存在するし、機能していると考えています。
それで、Judgementさんはその程度のものでは社会規範とは言えないと主張されているような気がしています。「ウソはいけない」だけでなくすべての社会規範はその程度なのですから、結局、社会規範は存在しないという主張のように思えてくるんです。いかなる社会にも共通していて、かつ例外のないものが社会規範であるとするなら、確かにそんなものは存在しないと思います。「社会規範」の認識が違うのが食い違いの原因ではないかと感じていまして、そのことはJudgementさんも仰っています。
by zorori (2009-06-01 07:04)
ちょっと教えていただきたいのですが、「人を騙してはいけない、という規範」をニセ科学の定義に含めた場合と、定義には含めないが、「人を騙してはいけない、という規範がある」と主張しニセ科学批判の根拠とすることにどのような本質的な違いが見いだされるのでしょうか。
by やす (2009-06-01 20:08)
ニセ科学の定義に社会規範に反するという定義が含まれるかについては、私は次のように思います。
疑似科学は価値観を含まないニュートラルな感じが有りますが、ニセという言葉には悪いという意味が込められています。また「ウソ」にも悪いと言う意味合いが有ります。「ウソ」から価値観を除けば「事実ではないこと」とでもなるでしょう。
なので、私はニセ科学の定義には社会規範に反するが含まれているように感じます。そうすると、ニセ科学は社会規範に反するからいけないと言う批判は同義反復になってしまうわけですが、批判者はそのような批判をしている訳ではありません。
実際に批判者が何をしているかというと、例えば、具体的な「血液型性格判断」について吟味して、社会規範に反するという結論を出します。そして、このような個別の悪い疑似科学をまとめてニセ科学と総称しているのでしょう。つまり、
・個別の疑似科学の定義には社会規範に反するものという内容は含まれない。
・社会規範に反する疑似科学を総称してニセ科学とした。
・批判者がしていることは、個別の疑似科学を吟味してニセ科学という認定をしている。
・ニセ科学というものがアプリオリにあって、それが社会規範に反するという同義反復の批判はしていない。
by zorori (2009-06-01 20:22)
zororiさん
>なので、私はニセ科学の定義には社会規範に反するが含まれているように感じます。そうすると、ニセ科学は社会規範に反するからいけないと言う批判は同義反復になってしまうわけですが、批判者はそのような批判をしている訳ではありません。
同義反復にならないように「ニセ科学の定義」と「社会規範に反する」を分けてはいかがでしょう。
そうすると、「ニセ科学なうえに、社会規範に反するからいけない」となるのではないでしょうか。
血液型性格判断であれば、まずニセ科学であることが指摘され、科学以外の面からも、差別であると指摘される、のではないかと。
たぶん、「社会規範に反し科学であるとウソをつく」そのうえ、それを根拠に「社会規範に反し、血液型という先天的な事柄で人を差別する」は、分けて考えたほうがよいかと思います。
なんだか僕一人だけ、「小ニセ科学主義」と「大ニセ科学主義」とかそんな感じの展開になってきてしまいました。
by bandicoot (2009-06-01 23:33)
ちょっと話が拡散してきてるけど、問題になっているのはJudgmentさんがPseuDocorさんの事実誤認の指摘を受け入れるかどうかという点でしょ。
>PseuDocotorさん
あくまで事実関係の指摘だという姿勢はわかるが、だったら事実関係だけ問い詰めるべきで、そのあとの余分なエクスキューズ自体を批判してもしょうがないのでは。別に自分がAについての事実関係の指摘をしたからといって相手がA+αを言うことを否定する権利はないでしょ。相手がAについてぼかしているのが気にさわるならAについてだけつっこむべき。その方が何を問題にしているか周りにもわかりやすいし、相手もぼかしずらいでしょ。
これじゃ争点がただ拡散するだけで、何が問題だったのかよくわからくなってきてます。
また同じ事実でも本人宛か、別の他人宛てかでは受けとり方に差が出るのは当然だし、それで事実の認識の仕方に差が出るのはある程度しょうがないでしょう。ごまかしていると言う前にもっと事実関係に絞って、相手にしてほしい認識の表明の仕方がわかるように、相手に迫っていくべきだったんじゃないかと思います。
>Judgmentさん
定義に含めるかどうかが別に重要な点でないことはわかるが、だったら、相手が事実関係についてがやたら気にしていることもあるし、まずその点をわかりやすい表現で事実を見落としていたことを表明した方がよいのでは。そのあとで事実関係の意味付けとか、重要性とか相手の批判の仕方とかいくらえでも弁明なり批判なりすればいいでしょう。事実関係について述べたあと、「でも…」と続けることを禁止する権利は誰にもないはずです。
by blupy (2009-06-02 00:51)
bandicootさん、
>同義反復にならないように「ニセ科学の定義」と「社会規範に反する」を分けてはいかがでしょう。
今から、「ニセ科学」という言葉を定義するなら、それですっきりすると思いますが、すでに「ニセ科学」という言葉は流通していて、それを普及させた、きくちさんなどは悪いという意味合いをはっきりさせたいと書いているのですね。
「ニセ科学はウソだから悪い」というのは、単に定義を述べているだけで、ある定義のものが、その定義に直接表現されていない性質を持つということを論証しているわけではないと考えれば別に同義反復でもないと思います。
by zorori (2009-06-02 07:13)
zororiさんの解説はわかりやすく非常に納得のいくものだと思います。またkikulogにあった疑似科学とニセ科学の違いについての記述(なぜSFをニセ科学と呼ばないか)にも合致するものと思われます。どうもありがとうございます。
つまり、科学を装っただけでは、それが本当に批判に値するものかどうかは厳密には判断できず、実際に反社会的行為があるかどうかを考慮して初めて判断できる、ということですね。
これならば、批判理由もはっきりし、かつ科学のはたす役割も明確になるので問題ないのではないかと思われます。
逆に、ニセ科学を一般化し、「科学を装うことはウソをつくことであり、ウソをつくことは社会規範上許されない。」とする論法は非常に無理がある、もしくは反感を招かざるを得ないと言えるのではないでしょうか。
by やす (2009-06-02 07:32)
zororiさん
「ニセ科学」が「悪い」ことについては僕もそう思っています。
ただ、この「悪い」は「科学」に対し「科学ではないものがそう装う」ことが「悪い」というその「悪い」に限定した使いかたをしていたのです。
それと、僕の引っかかってた部分がわかってきた気がしてきたので確認させてください。
僕の中では「個別の事例」の中に「科学的な視点」とか「道徳的な視点」「法的な視点」などがあり、「ニセ科学」というのは、「科学的な視点」からの問題の指摘という、全体の中のひとつの要素もしくは基礎部分(重要な部分ではあるが全体ではない)という位置づけでした。
でも、そうではなくて、「個別の事例」に対して、「科学を装う」ことだけでなく、いろんな視点からも検討したうえで「個別の事例」自体を「ニセ科学」として認定というか指摘している。ということですよね。
僕の考えていたのが、
「この事例はいろいろな問題を含んでいるうえに、かててくわえてニセ科学という問題が根本にある」で、
「この事例はニセ科学であり、いろいろな問題を含んでいる」
というのが、本来のスタンスってことでしょうか。
・・・周回遅れは取り戻せたでしょうか。
by bandicoot (2009-06-02 20:18)
こんばんは。
>blupyさん
御指摘の点については、まあ、仰る通りです。
確かに余分な事を書いて論点を拡散させていました。
で、何故そんな事をしたかと言えば、私も感情的になっていたからです。
「このくらいは解って欲しい」というのは一種の甘えですが、その意味では私はJudgementさんに甘えていたとも言えるでしょう。
「そんなんでJudgementさんに対して『感情的になり過ぎてない?』なんて言えるのか」という批判があるのなら、それも甘んじて受けます。
>Judgementさん
という訳で、事実関係の部分はさておき、感情的になって書いた事に関してはお詫びします。
>zororiさん
「疑似科学のうち、社会規範に反するものをニセ科学と呼ぶ」というのがzororiさんの定義なのですね。そしてその様に定義したのは「ニセ」という言葉に価値判断を含めているからであると。
確かにそれは非常にすっきりとした見方であり、整合性もとれていると思います。
しかしやはりそれは、私にはニセ科学を狭く捉え過ぎている様に思えます。
結論から書きますと、私は「疑似科学のうち、批判すべきものがニセ科学であり、ニセ科学の中には社会規範に反するものも反しないものも含まれている」と考えています。
何故かと言いますと、ニセ科学を批判する理由は必ずしも「社会規範に反しているから」だけではないと考えるからです。
手前味噌の様で恐縮ですが、
http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/15.html
に列記してある「動機」の中で、最初の2つは社会規範に属するものですが、それ以外の動機は必ずしもニセ科学が社会規範に反していなくても成り立つものだと思うからです。
by PseuDoctor (2009-06-03 00:38)
bandicoot さん、
ひっかかっていたという点がいま一つつかみきれませんが、少し自分の考えを整理して見ます。一つ感じていることは、必要以上に精度の高い議論をしているのではないかということです。「装う」や「欺く」という言葉に「悪い」意味合いを持たせるか否かで、「社会規範に反する」と判断する時点が違ってきますが、結論に違いは無いというようなことですが、説明不足ですね。改めて説明したいと思います。
PseuDoctor さん、
結局、「社会規範」というものを私が広くとらえているということかもしれません。私には最初の2つ以外もニセ科学の「ウソ」ゆえにそういう弊害が生じるということのように思えます。一つ毛色が違うのは「損得」で、これは「ウソ禁止」の社会規範より原理的で、個人の「損得」を社会で調整するために「社会規範」が作られたのではないかと。
by zorori (2009-06-03 07:19)
zororiさん
ひっかかってて分かった気になっている点について説明させていただきます。
一点目が、
・なぜ「にせ科学批判者」は「一派ではない」「個々」と主張するのか。
・なぜ「ニセ科学」の定義でここまでもめるのか。
個々であるニセ科学批判者は、個々であるだけに、「自分の批判対象=ニセ科学」からそのまま「自分の批判対象=ニセ科学の定義」になってしまっている。
なので、個々の批判対象の数だけ定義がわかれるので、一派としてまとまりようがないと感じる。
個々の批判対象の数だけ定義がわかれるので、「ニセ科学の定義」をぶつけあっても、違うものだけに違和感があり、すり合わせきれない。
たとえば、apjさんの定義を、「ニセ科学」の定義と捉えずに「水商売もしくは科学を装う悪徳商法」の定義とすれば、社会規範や法に拘るのもわかるというか、しっくりくると思いません?
EM団子とかならともかく。
二点目ですが、ニセ科学批判批判サイドから
・ニセ科学批判者は科学の範疇にあるものだけを批判してればいい。
・なんでも科学で解明できるわけがない、科学は万能ではない。
という、批判があったりしませんか。
これについても、ニセ科学の定義を個々の事例がもつ困った諸要素のひとつと、批判批判サイドが考えているのならば、
「ニセ科学ではない倫理上の問題や、法的な問題にいちいち科学を持ち出すな」、という意見になったり、「そういう問題すべてを科学が糾弾するなんて傲慢だ。」みたいな意見がでて、まったくもってかみあわない議論になっていくのではないかと思います。
だって、すでに科学以外のいろいろな視点からも問題を検討しているわけで、ニセ科学と指摘した時点でそれは科学の視点だけで見ているわけではないのだから。
たとえば僕にとって「水伝」は「ニセ科学」であり「ニセ美学」「ニセ言語学」で「ニセ道徳」だったりするわけですが、
ニセ科学批判本来のスタイルではそれをまとめて「水伝」=「ニセ科学(この言葉にたいがいの意味が含まれる)」となるためそういう誤解をうけてきたような気がします。
以上の2点です。
by bandicoot (2009-06-03 21:25)
bandicoot さん、
「科学的な視点」、「道徳的な視点」、「法的な視点」これらは並列独立ではなく、階層が違いますし、互いに関係もあ
ると思います。
先ず、「科学的な視点」。例えば「水伝」が科学であるかというのは科学の議論です。検討の上、それは間違いであるとか、そもそも科学的主張ではないという判定が下されてそれで終わりです。別に間違った主張をすることが批難されたり
、罰が与えられるわけでも有りません。
これらは、判定後に「間違った科学」、「疑似科学」と呼ばれることが多いと思います。この段階では、「ウソ」は有りません。
次に、「道徳的な視点」、「法的な視点」。これは両方共、社会的規範に反するかという議論です。この議論で、社会的
規範に反すると判定されると、社会的制裁や罰が与えられます。「水伝」が科学的議論で科学では無いと判定されたにも関わらず、科学を装おった時点でウソが発生します。そのウソが社会に害悪をもたらすと判定されると、批判者から批難されたり、裁判で詐欺罪の罰が与えられます。
判定後にこれらを「ニセ科学」と呼ぼうといったのがきくちさんたちではないかと思います。
また、社会的に害悪をもたらすという判定は個別具体的に行われます。そのウソがどのような被害をもたらすのかという
ことが論証されます。「水伝」は道徳に悪影響を及ぼすということは論証されていて、それに基づいて「道徳的視点」から批判されています。また「水伝」理論による浄水器商売を訴えれば、裁判に於いて論証が行われ、「法的な視点」から罰が与えられると思います。
ですから、『「科学を装う」ことだけでなく、いろんな視点からも検討』しているというよりも、『「科学を装う」というウソが、どのような害悪をもたらすかを、いろんな視点から検討』しているのではないかと思います。
「この事例はニセ科学であり、ウソによるいろいろな問題を含んでいる」ということになるかと。
以上について、私は何も不都合は感じないのですが、感じる人もいるわけです。それはなぜかと言うと、あまり本質的なことではなくて、言葉のあいまいさとか、表現がしっくりこないというような問題ではないかという気がします。上述のようなニセ科学批判者が行っている具体的行為が間違っているという批判ではなくて、その行為の説明に違和感を感じているだけではないでしょうか。
一つは、ニセ科学という言葉も疑似科学と同じで悪いと言う意味あいを感じない人もいるかと思います。そうすると、「ニセ科学というだけで悪いとは限らない」という意見も出るわけです。でも、その場合は上記の「疑似科学」を「ニセ科学」へと、「ニセ科学」を「社会的規範に反するニセ科学」へと置き換えれば済む話だと思います。
もう一つ、「ウソ」、「装う」や「欺く」という言葉は悪い意味合いを持たせる場合も有るし、ニュートラルな場合もあるという言葉の曖昧さがあります。なので「ウソ」が全部悪いわけではないから「ウソはいけない」というのは社会規範ではないというような意見があるのだと思います。これは、「ニセ科学はウソだからいけない」という言明を完全な論証だと考えればそのとおりですが、上述のように個別の疑似科学の論証は別途されていて、その論証の結果と要点を述べているとみる方が自然だと思います。
「欺く」という言葉から悪い意味あいを取り去り、マジックショーのようなものまで含むと解釈すれば、「欺いて財物を交付させる」行為でも詐欺罪ではないものもあることになります。個別に裁判で審議され、悪い「欺き」だと判断されて初めて有罪です。では、「欺く」とは有罪となるような悪い意味であると解釈すれば、「欺いて財物を交付させる」行為全てが有罪になります。しかし、その場合でも個別具体的な行為が悪い意味の「欺き」に該当するかという判断を裁判でする必要があります。いずれにしても刑法246条だけで有罪の完全な論証ができるわけではありません。別途、裁判での論証が必要です。だからと言って刑法246条は法規範ではないことにはなりません。
by zorori (2009-06-03 22:11)
bandicoot さん、
>・なぜ「ニセ科学」の定義でここまでもめるのか。
これは、批判批判側が「ニセ科学だからといって必ずしも悪いとは限らない」というような言い方をするから、批判している「ニセ科学」とはこういうものですよと説明せざるを得ないだけでしょう。ニセ科学批判者が批判している具体的事例を見れば、そもそもこういう疑問はでないはずです。「ニセ科学」という言葉だけのイメージから連想するものを抽象的に考えているからこういう余計な議論をするはめになったんだと思います。
>たとえば、apjさんの定義を、「ニセ科学」の定義と捉えずに「水商売もしくは科学を装う悪徳商法」の定義とすれば、社会規範や法に拘るのもわかるというか、しっくりくると思いません?
EM団子とかならともかく。
apjさんの対象としているものなら、それがしっくりきます。それ以外も含めるのなら、「科学を装う」という点が共通点ですから、ニセ科学がしっくりきます。要は、どの範囲まで表したいかで定義は変わるものかと思います。
>二点目ですが、ニセ科学批判批判サイドから
>・ニセ科学批判者は科学の範疇にあるものだけを批判してればいい。
>・なんでも科学で解明できるわけがない、科学は万能ではない。
>という、批判があったりしませんか。
よくありますが、説明するまでもなく1点目は明らかに間違いでしょう。2点目は言っていることは正して、ニセ科学批判者もそう思っているのですから批判批判になっていません。そもそも、ニセ科学批判とは科学の議論ではなくて、社会問題ですから。
>たとえば僕にとって「水伝」は「ニセ科学」であり「ニセ美学」「ニセ言語学」で「ニセ道徳」だったりするわけですが、
>ニセ科学批判本来のスタイルではそれをまとめて「水伝」=「ニセ科学(この言葉にたいがいの意味が含まれる)」となるためそういう誤解をうけてきたような気がします。
「ニセ科学」と「ニセ美学」「ニセ言語学」「ニセ道徳」「ニセ商売」は並列ではなくて、科学の舞台における「ウソ」が出発点で、それが言語学や道徳や商取引に悪い影響を及ぼしているという関係かと思います。
あるいは、美学、言語学、道徳、商売の分野において、ニセ科学が利用されているというかと。
科学というか自然科学は基礎的で他の分野への影響力があるという事情があるのだと思います。かりにニセ道徳が有っても、それが自然科学に影響する可能性は小さいでしょう。科学でもニセ数学は物理学、化学もろもろに影響しますが、逆はあまりないようなものかと。
by zorori (2009-06-03 22:59)
>zororiさん
なるほど、zororiさんの方が私よりも「社会規範」の意味を広く捉えているという事ですね。その点さえ明確になっていれば、私とzororiさんとの間で「ニセ科学」の理解に関して、特に目に見える齟齬は無いと考えます。
「何を社会規範と呼ぶか」というのも興味深い話題ではありますが、これはニセ科学とは全く別の論点ですから、zororiさんとそのお話をするのは止めておきましょう。
言葉を無定義で使用していると、時々こういう事が起こりますね。今回の様に「同じ言葉を違う定義で用いている」と早めに気付ければ良いのですが、議論がこじれまくった末に、単なる「定義の理解の違い」であった事が明らかになる、という事態にも時折遭遇したりします。
by PseuDoctor (2009-06-03 23:29)