UNDERSTAND [疑似科学批判批判批判批判]
えー、もうすぐぐるっと一週間なのに、なかなか記事が追いきれていない状況ですが(波風もそろそろ「なぎ風」になってきた感も...)、今回は、あれから皆さんの話を聞き、そして考えて一つ理解した(と思う)事を書きつつ、新たな展開へ繋いでみたいと思います。
【はじめに】
えー、今回はapjさんがトラックバックをくれた『ニセ科学批判』はワイルドカード入りだし、「ニセ科学(蔓延防止)対策」の1つの手段である』を読んで、理解した(と思う)事を書いてみたいと思います。
apjさんよりも先に意見を書いたのに、とか、apjさんにしてもその前に記事を2つぐらい書いたのに、”すっとばしやがって!”とか不満に思う人もいるかもしれませんが(いないか)、理解できたところから整理した方が良さそうですし、今回理解できたのは、多分apjさん故なので、勘弁してください。
【「ニセ科学批判まとめ%作成中」について】
と、振っておいていきなり違う話になるわけですが、こっちの方も整理できた部分があるので早めに書いておきます(実は、後々の展開に少し関係するし)。
まず、「ニセ科学批判まとめ%作成中」は、「ニセ科学に対し何らかの否定的立場を表明している人々」を一括するという意味での「まとめ」ではなく、”要約”とか“レビュー”って感じの「まとめ」という意味付けなのでしょう(こ...これでいいよね)。
だから、『ニセ科学批判を行う人々をまとめて「一派」のように看做すことは全くの間違いである』と「ニセ科学批判”まとめ”」と言う題は、そういう意味分けして読めば別に矛盾はしないわけですね。
まぁ、「ニセ科学批判”まとめ”」じゃないか云々の話は、自分でも振り返ってみると“言いがかり”に近い気がするので、矛盾云々は撤回。
【『「ニセ科学批判」はワイルドカード入りだし~』について】
で、本題です。
最初、「ニセ科学が世の中に蔓延するのを防ぐこと」とボンと出された時は、「...という目的で集まった人達なんでしょ」と返したくもなったのですが、これはおそらくapjさん個人の自発的な動機の事を言っているんだろうな、と捉える事にしました。
まぁ、そっちよりも、
『きくちさんが言い出したのは「ニセ科学」だし、私が賛同して使うことにしたのも「ニセ科学」であって、「ニセ科学批判」「ニセ科学批判者」じゃなかった。』
という言葉の方が、なんとなく言いたい事が分かる気がした。
慎重に意味を探った結果…
「ニセ科学批判」という事があって、それに従ってそれがされているのではなく、『「ニセ科学」の概念を知った人が、個々人のポリシーで活動しているにすぎない』と言いたいんだと理解したのだけど、どうでしょう?
一見集まってなんかやっているように見えるけれど、(例えは悪いかもしれないが)エサを投げ入れた場所に池の鯉が自然と集まるように、「水伝」とか「ホメオパシー」が「ニセ科学」の概念に当てはまるが故に、その周囲に「ニセ科学という概念の理解の上で何かしたい人」が集まるだけであり、別に示し合わせて集まったのではなく、あくまで個々人の行動の結果そうなっているにすぎない、って感じかな。
apjさんの話で「ニセ科学対策」という言葉がでてきたのも、おそらくは「批判が共通の目的」なのではなく「個々人が自発的に選択したニセ科学対策について、たまたま批判が多かった」という旨を示したかったからだと思ったんだけど、どうでしょう?
で、「括って扱うべきものではない」→「実体が無い」→「議論や考察の対象とならない」、と結論付けるわけなんですね。
確かに、「ニセ科学批判なんてホントは無い」となれば、ニセ科学批判批判も蜃気楼に向かって批判しているようなものだし、それに乗っかるニセ科学批判批判批判も、私のニセ科学批判批判批判批判も、朦朧と蜃気楼に向かう人にうかうかとついていっているようなもの。
「ニセ科学批判」なんてものは実体が無いものだから、ニセ科学批判批判とかにも気を取られず(まぁ、たしなめるぐらいはするけど)、めいめい自分で考える「ニセ科学対策」を実施してればいいんじゃない、という話であれば、私としても魅力を感じる。
...と理解してみたのだけど、どうでしょう(やや不安)?
【モヤッと?】
このまま、素直に話を終わらせれば好感度アップ!
なんだろうけど、ちょっとした引っかかりは正直に述べておきたい(やめときゃいーのに)。
ただ、今後重点的に述べていく事とはちょっと外れるので、傍流の話題として。
先ほどの私の解釈が正しいかは分からないけれど、少なくともapjさんは「”ニセ科学批判”と括って扱うべきものではない」という事を言いたいのは確かだと思う。
で、私は最初「括られる」事をそこまで拒絶されるとは正直思ってもいなかったんだけど、もし「ニセ科学批判者」の括りがあれば真っ先に入っていただかなければならなそうな人がそう言っているんだから、それでいいのかもしれない、とも思った。
でも...
うーん、『「ニセ科学批判」という括り』を否定的に捉えるその理屈の上で、『「ニセ科学」という括り』を肯定できるのだろうか、と考えるとモヤモヤする。
個別の「ニセ科学」だって、別に「ニセ科学としてみんなでやっていこう」としてやっているのではないでしょ。
動機も、目的も、様態も様々な営利・非営利活動などの中から、ある条件に当てはまるものを便宜上「ニセ科学」と“括って”扱っているんじゃないのかな?
そして、例えば「水伝」等個別のものとして語られる事も当然あるけれど、「ニセ科学というもの」という括りの上でも「議論や考察の対象」にしていたりしますよね。
逆に言えば、自分が「ニセ科学」という括りを活用するのと、「ニセ科学批判批判者」が「ニセ科学批判」という括りを活用するのでは、何がどう違うのだろう?
...いや、探せば違いはどっかにはあるんだろうけど、「括りの妥当性」の是非を分ける事ができる違いなんてあるのだろうか?
今のところ
「括られても仕方がない状況だけど、自分としては括られるような事をしているつもりはない」
という程度の話ならば、全て了解できるのだけど
「括るのは間違いである」
という前提を素直に受け入れるには、まだまだ私の理解が足りないみたいデス。
【孤高】
上ではゴチャゴチャ言ってはみたが、ホントそれは傍流の話。
apjさんの述べた事は、ひとつの事実であると思う。
というのも、そもそもapjさん本人は、「ニセ科学」というものを知って、それに対する関わり方も含め、自分で判断しておこなってきたのだと思う。
で、ふと気が付いてみると、同じような事をしている人達が周りにいただけで、あえてその人達と一緒に群れて行動しようとも、頼ろうともしていないという感じだ(例えば、ある日他のニセ科学を批判していた人達全員が忽然と消えても、多分apjさんがする事はそれ以降も変わらないだろう)。
そして、「私は私の動機でやっている事」だからこそ、先頭切って他人にあれこれ指示しようとは思わないけど、意味を問われたり、話を乞われたら答える、...というスタンスなんだと思う。
(私の理解は当たっているか分からないけれど)
そう解釈できたのは、言っているのが、実際そんな事をしてる(と思える)apjさんだからだ。
加えて、反響として寄せられたコメントやTBの先を見ると、様々な反応の中にも、挑戦状を叩き付けるかのような私の発言に対し、自分独自の確固たる立脚点を踏み外さず、冷静に思うところを淡々と述べられた方々を見出すことができる。
それに「孤高さ」を感じたね、私は。
(名前を挙げたいのですが、そうすると挙げない人の不評を買いそうなので...)
そんな方々と、今回のapjさんの記事に対する私の理解を照らし合わせると、やっぱり「一派」という括りは妥当ではないなぁと、と思えるようになりました。
【転換】
私がmizusumashiさんがらみの経緯で感じたモヤモヤの一つは、
「何も、よってたかって」
というものでした。
最初は、「利害関係のある人達が示し合わせて撲殺したようなものでは」とも疑った。
でも、現時点では、「彼が許せなかったので、1人で行って1発だけ殴りました。」という人が時をずらして1000人いたようなもの、と考える方がより実情に合っているのかもしれない、と考えが変わってきています。
(もちろん、だからといって疑問はまだ全ては解消されていないけど)。
というか、詳細に再確認していないけど、私が「孤高さ」を感じた方々は、そもそも「mizusumashiさんがらみの件」に関しては、ほとんど、もしくは全く噛んでない予感がするんですね。
だとすれば、そんな方々も含めて「ニセ科学批判」、「ニセ科学批判者」として括るかのような前提で、批判の対象としてしまったのは間違いでした。
ごめんなさい(素直)。
そして、関係ないのに付き合ってくれた方ありがとう(感謝)。
【最後に】
「何だよ、Judgementのくせにやけに殊勝じゃねーか。」
「apjさんだからって、媚売ってんじゃねーよ」
「コロコロ態度変えやがって、今度は何たくらんでんだぁ」
「長いものにはマカロニ?」
...なんて方々で言われそうですが、やっぱ転換すべき所は転換すべき時にすべきだと思うしね(でも、今回の理解が「全然違うよ」と言われれば、また別な方向を模索せざるを得ない…)。
とはいえ、「間違ってました、終わります、さようなら」とは言いません。
これはこれとして自分の判断材料として生かさせてもらいますが、まだまだ頂いたコメントの多くは未処理のままだし、それはちゃんと一つ一つ咀嚼して、理解できて変えるべき部分は変えるし、ツッこみたいところはやっぱりツッこむ予定。
というか、実は、今回の理解の上の方が、より批判の対象が明確になり、話の流れもすっきりする気がするんですね。
色々非難囂々の「イノセント」の記事や、それ以降の記事の意味も、それによって意図をハッキリ示せそうな感じがしています。
こうなる事を見越してた、って感じ?(強気な態度)
風呂敷ばっか広げるのはいいから、じゃぁ今度は批判の矛先をどこに向けるんだ?
...と問われればこう答えます。
批判の矛先は...やっぱり『ニセ科学批判者』!!
さてさて、その意味は…
と行きたいところだけど、ちょっと慎重に書きたいところなので、もう少しお時間を…。
To be continued
【はじめに】
えー、今回はapjさんがトラックバックをくれた『ニセ科学批判』はワイルドカード入りだし、「ニセ科学(蔓延防止)対策」の1つの手段である』を読んで、理解した(と思う)事を書いてみたいと思います。
apjさんよりも先に意見を書いたのに、とか、apjさんにしてもその前に記事を2つぐらい書いたのに、”すっとばしやがって!”とか不満に思う人もいるかもしれませんが(いないか)、理解できたところから整理した方が良さそうですし、今回理解できたのは、多分apjさん故なので、勘弁してください。
【「ニセ科学批判まとめ%作成中」について】
と、振っておいていきなり違う話になるわけですが、こっちの方も整理できた部分があるので早めに書いておきます(実は、後々の展開に少し関係するし)。
まず、「ニセ科学批判まとめ%作成中」は、「ニセ科学に対し何らかの否定的立場を表明している人々」を一括するという意味での「まとめ」ではなく、”要約”とか“レビュー”って感じの「まとめ」という意味付けなのでしょう(こ...これでいいよね)。
だから、『ニセ科学批判を行う人々をまとめて「一派」のように看做すことは全くの間違いである』と「ニセ科学批判”まとめ”」と言う題は、そういう意味分けして読めば別に矛盾はしないわけですね。
まぁ、「ニセ科学批判”まとめ”」じゃないか云々の話は、自分でも振り返ってみると“言いがかり”に近い気がするので、矛盾云々は撤回。
ただ、タイトルとのからみは別として、『ニセ科学批判を行う人々をまとめて「一派」のように看做すことは全くの間違い』という事に対するモヤモヤは依然残るケド、そのあたりは次の展開の時に書く予定。
【『「ニセ科学批判」はワイルドカード入りだし~』について】
で、本題です。
最初、「ニセ科学が世の中に蔓延するのを防ぐこと」とボンと出された時は、「...という目的で集まった人達なんでしょ」と返したくもなったのですが、これはおそらくapjさん個人の自発的な動機の事を言っているんだろうな、と捉える事にしました。
まぁ、そっちよりも、
『きくちさんが言い出したのは「ニセ科学」だし、私が賛同して使うことにしたのも「ニセ科学」であって、「ニセ科学批判」「ニセ科学批判者」じゃなかった。』
という言葉の方が、なんとなく言いたい事が分かる気がした。
慎重に意味を探った結果…
「ニセ科学批判」という事があって、それに従ってそれがされているのではなく、『「ニセ科学」の概念を知った人が、個々人のポリシーで活動しているにすぎない』と言いたいんだと理解したのだけど、どうでしょう?
一見集まってなんかやっているように見えるけれど、(例えは悪いかもしれないが)エサを投げ入れた場所に池の鯉が自然と集まるように、「水伝」とか「ホメオパシー」が「ニセ科学」の概念に当てはまるが故に、その周囲に「ニセ科学という概念の理解の上で何かしたい人」が集まるだけであり、別に示し合わせて集まったのではなく、あくまで個々人の行動の結果そうなっているにすぎない、って感じかな。
そういう意味では、私が以前やった「カイロプラクティック批判」も“集まりが悪かっただけ”で、同じ枠に入れられるものなのかな?
apjさんの話で「ニセ科学対策」という言葉がでてきたのも、おそらくは「批判が共通の目的」なのではなく「個々人が自発的に選択したニセ科学対策について、たまたま批判が多かった」という旨を示したかったからだと思ったんだけど、どうでしょう?
で、「括って扱うべきものではない」→「実体が無い」→「議論や考察の対象とならない」、と結論付けるわけなんですね。
確かに、「ニセ科学批判なんてホントは無い」となれば、ニセ科学批判批判も蜃気楼に向かって批判しているようなものだし、それに乗っかるニセ科学批判批判批判も、私のニセ科学批判批判批判批判も、朦朧と蜃気楼に向かう人にうかうかとついていっているようなもの。
「ニセ科学批判」なんてものは実体が無いものだから、ニセ科学批判批判とかにも気を取られず(まぁ、たしなめるぐらいはするけど)、めいめい自分で考える「ニセ科学対策」を実施してればいいんじゃない、という話であれば、私としても魅力を感じる。
...と理解してみたのだけど、どうでしょう(やや不安)?
【モヤッと?】
このまま、素直に話を終わらせれば好感度アップ!
なんだろうけど、ちょっとした引っかかりは正直に述べておきたい(やめときゃいーのに)。
ただ、今後重点的に述べていく事とはちょっと外れるので、傍流の話題として。
先ほどの私の解釈が正しいかは分からないけれど、少なくともapjさんは「”ニセ科学批判”と括って扱うべきものではない」という事を言いたいのは確かだと思う。
で、私は最初「括られる」事をそこまで拒絶されるとは正直思ってもいなかったんだけど、もし「ニセ科学批判者」の括りがあれば真っ先に入っていただかなければならなそうな人がそう言っているんだから、それでいいのかもしれない、とも思った。
でも...
うーん、『「ニセ科学批判」という括り』を否定的に捉えるその理屈の上で、『「ニセ科学」という括り』を肯定できるのだろうか、と考えるとモヤモヤする。
個別の「ニセ科学」だって、別に「ニセ科学としてみんなでやっていこう」としてやっているのではないでしょ。
動機も、目的も、様態も様々な営利・非営利活動などの中から、ある条件に当てはまるものを便宜上「ニセ科学」と“括って”扱っているんじゃないのかな?
そして、例えば「水伝」等個別のものとして語られる事も当然あるけれど、「ニセ科学というもの」という括りの上でも「議論や考察の対象」にしていたりしますよね。
逆に言えば、自分が「ニセ科学」という括りを活用するのと、「ニセ科学批判批判者」が「ニセ科学批判」という括りを活用するのでは、何がどう違うのだろう?
...いや、探せば違いはどっかにはあるんだろうけど、「括りの妥当性」の是非を分ける事ができる違いなんてあるのだろうか?
今のところ
「括られても仕方がない状況だけど、自分としては括られるような事をしているつもりはない」
という程度の話ならば、全て了解できるのだけど
「括るのは間違いである」
という前提を素直に受け入れるには、まだまだ私の理解が足りないみたいデス。
【孤高】
上ではゴチャゴチャ言ってはみたが、ホントそれは傍流の話。
apjさんの述べた事は、ひとつの事実であると思う。
というのも、そもそもapjさん本人は、「ニセ科学」というものを知って、それに対する関わり方も含め、自分で判断しておこなってきたのだと思う。
で、ふと気が付いてみると、同じような事をしている人達が周りにいただけで、あえてその人達と一緒に群れて行動しようとも、頼ろうともしていないという感じだ(例えば、ある日他のニセ科学を批判していた人達全員が忽然と消えても、多分apjさんがする事はそれ以降も変わらないだろう)。
そして、「私は私の動機でやっている事」だからこそ、先頭切って他人にあれこれ指示しようとは思わないけど、意味を問われたり、話を乞われたら答える、...というスタンスなんだと思う。
(私の理解は当たっているか分からないけれど)
そう解釈できたのは、言っているのが、実際そんな事をしてる(と思える)apjさんだからだ。
加えて、反響として寄せられたコメントやTBの先を見ると、様々な反応の中にも、挑戦状を叩き付けるかのような私の発言に対し、自分独自の確固たる立脚点を踏み外さず、冷静に思うところを淡々と述べられた方々を見出すことができる。
それに「孤高さ」を感じたね、私は。
(名前を挙げたいのですが、そうすると挙げない人の不評を買いそうなので...)
そんな方々と、今回のapjさんの記事に対する私の理解を照らし合わせると、やっぱり「一派」という括りは妥当ではないなぁと、と思えるようになりました。
【転換】
私がmizusumashiさんがらみの経緯で感じたモヤモヤの一つは、
「何も、よってたかって」
というものでした。
最初は、「利害関係のある人達が示し合わせて撲殺したようなものでは」とも疑った。
でも、現時点では、「彼が許せなかったので、1人で行って1発だけ殴りました。」という人が時をずらして1000人いたようなもの、と考える方がより実情に合っているのかもしれない、と考えが変わってきています。
(もちろん、だからといって疑問はまだ全ては解消されていないけど)。
というか、詳細に再確認していないけど、私が「孤高さ」を感じた方々は、そもそも「mizusumashiさんがらみの件」に関しては、ほとんど、もしくは全く噛んでない予感がするんですね。
だとすれば、そんな方々も含めて「ニセ科学批判」、「ニセ科学批判者」として括るかのような前提で、批判の対象としてしまったのは間違いでした。
ごめんなさい(素直)。
そして、関係ないのに付き合ってくれた方ありがとう(感謝)。
【最後に】
「何だよ、Judgementのくせにやけに殊勝じゃねーか。」
「apjさんだからって、媚売ってんじゃねーよ」
「コロコロ態度変えやがって、今度は何たくらんでんだぁ」
「長いものにはマカロニ?」
...なんて方々で言われそうですが、やっぱ転換すべき所は転換すべき時にすべきだと思うしね(でも、今回の理解が「全然違うよ」と言われれば、また別な方向を模索せざるを得ない…)。
とはいえ、「間違ってました、終わります、さようなら」とは言いません。
これはこれとして自分の判断材料として生かさせてもらいますが、まだまだ頂いたコメントの多くは未処理のままだし、それはちゃんと一つ一つ咀嚼して、理解できて変えるべき部分は変えるし、ツッこみたいところはやっぱりツッこむ予定。
というか、実は、今回の理解の上の方が、より批判の対象が明確になり、話の流れもすっきりする気がするんですね。
色々非難囂々の「イノセント」の記事や、それ以降の記事の意味も、それによって意図をハッキリ示せそうな感じがしています。
こうなる事を見越してた、って感じ?(強気な態度)
風呂敷ばっか広げるのはいいから、じゃぁ今度は批判の矛先をどこに向けるんだ?
...と問われればこう答えます。
批判の矛先は...やっぱり『ニセ科学批判者』!!
さてさて、その意味は…
と行きたいところだけど、ちょっと慎重に書きたいところなので、もう少しお時間を…。
To be continued
今回の『ニセ科学批判批判批判批判』問題は、「ニセ科学あるいはその発信元」への批判と「ニセ科学あるいはその発信元」と無関係な第三者(種々のニセ科学がよく分かっていなかったり、種々のニセ科学の及ぼす影響がたいしたことないと思っていたり・・・)への批判(というか対応)が違ってもいいんじゃないの、ということではないのでしょうか?
apjさんの文章も、ニセ科学そのものとその第三者も同じ「ニセ科学」として特に分けて書かれているわけではないので、よってたかってというモヤっと感は払拭できなかったのでしょう。
私の感想は、この程度。
個人的には、まぁ最前線でニセ科学と闘っている現場の人たちは、このスタイルでいいと思いますけど。
by トンデモブラウ (2009-04-23 00:06)
トンデモブラウさん、
ニセ科学の定義が、ウソをついてはいけない、という社会規範を含んでいる以上、批判のされ方は、(ニセ科学に限ったわけではない)社会規範を守らなかった場合の批判のされかたに準ずることになるでしょう。
すると、
・故意にウソをひねり出して、しかもそれを広めて他人を欺した場合
・他人のついたウソを鵜呑みにしてさらに他人に広めた場合
・ウソをついたって大したことないんじゃないの、と間接的にウソが広まることを助長した場合
とで、当然、何をどう批判するかが違ってきます。それぞれの場合について発生する社会的責任の内容も重さも違いますので。
特にニセ科学の議論の方で分けていないのは、誰にどういう種類と範囲で責任を問えるかを細かく切り分けるということが、既に法的責任追及の場等では広く行われているから、わざわざ言わなくても良いかと思ってたんですが、何か言及しないとまずいですかね。
まあ、よく知らないで発言してわけがわからなくなった、なんてのは、別にニセ科学の話題に限った話でもないから、これまた「調べて書け」くらいは言われても仕方がないですし。
by apj (2009-04-23 02:03)
【 トンデモブラウさん】
感想ありがとうございます。
ただ、今考えている結論は、「ケースバイケースの対応しようよ」って事でもありません(その辺は乞うご期待!)。
もちろん、分けて考えるというのは当然で、批判されたからといって「敵の味方だ」と捉えるのは、主張そのものではなく「立場」で物事を語りがちになるので、泥沼化するとは思いますが。
【apjさん】
認めるべきところは認めた上でですが、「ニセ科学の定義が、ウソをついてはいけない、という社会規範を含んでいる」についてはまだ疑問を呈している立場です(その辺の事は別記事参照の事)。
《素朴な疑問》
「他人のついたウソを鵜呑みにしてさらに他人に広めた場合」
でも、一応批判の対象になっちゃうんですね。しかも「社会的規範に反する者として」
でもそれって、「疑わない事が罪」って事になりませんか?
だけど一方では社会的規範はapjさんにとって「他人の行為への信頼を前提にして回る社会」のためのものなんですよね。
apjさんの社会的規範は、「疑わない人」を守るためにあるの?罰するためにあるの?
確かに「よく知らないで発言している」人もいるでしょうが、 「よく知った上で発言してても」、自分の思考のベクトルとマッチしないと「よく知らないで発言している」と判断しがち、って事も頭に入れておく方がいいと思う。
by Judgement (2009-04-29 00:25)