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こんな説明ではいかが? [疑似科学批判批判批判批判]

 田部さん以降の方、もう少々お待ちください(田部さんへの返事への返事への返事も)。
 今回は、「何を問題にしているのか分からない」という声もちらほらあるようなので、どうすれば分かりやすくなるのか分からないまま、少し試行錯誤してみる。

【ひとり5目並べ】

 唐突に昔話になりますが
 夏期講習時の暇つぶしに(コラ)、私は「ひとり5目並べ」をやっていました。
 ただ漫然とやるのではなく、黒番手・白番手、互いに本気で勝ちに行きます。

 通常の5目並べと違うのは、相手の狙いが全て筒抜けな事。
 白の時「よし、ここに打っておいて、黒がここを押さえさえしなければ4・3だ」と考えて打てば、
 黒の番で「...というのが白の考えだから、そこを押さえておこう」という事を延々繰り返すのです。

 こんな私って、暗い? 


【「疑似科学批判批判批判批判」の発端】

 私がやっていたABOFAN批判についてちょっと述べる。
 私は、ABOFANクンに対して、「血液型性格判断は非科学的だ」という観点で批判した事は無い(と思う)。「科学」の話をするが、それは単に彼が「科学」を持ち出すからであり、違うものを持ち出したら別に「科学」を使う気は無い。

 批判の主なものは彼の論理矛盾であったがそれは単なるデフォルト。
 最も得意としたのは
 ・ ”実際の己”と”口で言う己”のギャップという肥大した自己意識
 ・ 自分はやらないくせに、人には要求するという自分勝手さ
 に対する批判であった。


 パーソナリティの語源が「ペルソナ(仮面)」であるように、人は外界に対し、大抵仮面を付けて接する。
 そういった「装い」は、トータルコーディネイトされる場合が多いが、時には、まるでツギあてのような、周囲の装いとは異なる部分的な「装い」を見出す事が有る。
 それは、まさに「見せたくない傷」を隠すために取ってつけた「装い」である事が多い。

 自画自賛になるが、私は、人の発言の端々からそんな「ツギあて」を見つけるのが得意だ。
 そして、見つけた「ツギあて」を容赦なく剥ぎ取り、裏に隠されたカギ裂きを暴く
 ...そんな陰険な事に愉しみを見出すのが、この私だ。
 
 
 このようなABOFANクン批判は、領域が重なるせいか、いわゆる「ニセ科学批判」領域の方々にも、(キャラクターに眉を潜めながらも)ある程度の共感は得られてきた(と思う)。
 
 そんな中、mizusumashiさんのケースでは(本音を言えば、それまでも薄々)、「ニセ科学批判」の方々の発言に、ABOFANさんと似たような「ツギあて」を垣間見てしまった気がした。

 ...こりゃ困った。

 ABOFANクンにはそれを理由に罵倒しておきながら、
 「ニセ科学批判」の人たちのそれは見逃していいのだろうか?
 
 まぁ、対象の好悪によって、言い方を変える事は不公平でもなんでもないと思うけれど
 対象の好悪によって、言う事を変える事は不公平というか、自己矛盾だろう。

 何より、私に見える「ツギあて」は、他の人にも見えるかもしれない。
 というか、既に見つけられている気配もある。

 それは、「ニセ科学批判」にとって、デメリットではないのだろうか?


【「疑似科学批判批判批判批判」の動機】

 何度も言うが、私は「ニセ科学批判」というスタンスには共感し、支持しているつもり。
 それも、盲目的に、ではなく、関連HP、関連blog、関連図書をチェックした上で。

 だから、今回の一連の批判において「ニセ科学批判」自体の解釈については、そう的外れではなかったと思われる (また、私がどうしても解釈できなかった所は、当事者でも明確な回答ができないものであり、「解釈できなくても仕方が無いもの」であったと判断できた思うが、いかが?)。

 反応をくれた皆さんの中にも、私を「ニセ科学批判理解している人」だと思っていてくれた人がいましたが、「なのに何でそういう事を言うのだろうか」と真意を探りかねていたようでした。

 ただ、私は「ニセ科学批判」は「ニセ科学批判を理解している人に分かりさえすればいい」事なのか?
 と考えた時、それではダメなんじゃないの、と思った。

 また、もっと言えば
 「ニセ科学批判」に何らかのモヤモヤを抱いていても、様々なしがらみで、それを口に出すのは憚られる、なんて態度を取ってしまえば(あるいは取らざるを得ない雰囲気と判断してしまえば)、それこそ「ニセ科学批判における閉鎖性とか排他性」を自分で認めてしまう事になってしまうのではないかと思った。


 そこで、思い切って「批判」してみた。
 冒頭で述べた「ひとり5目並べ」のように、白番手の考えを知りつつ、黒番手になってみた訳です。


【「疑似科学批判批判批判批判」で言いたかった事】

 「主旨がよー分からん」という意見もちらほらあった気がしますが、私もこう言った方が良かったかな、という事を、今思いつきました(正直)。


 結局、 「ニセ科学批判まとめ%作成中」等々のある明文化された「ニセ科学批判」というものは、「ニセ科学を批判する」という行為に対する意味付けなのでしょう。
 (このあたりの詳細は別に記事にする予定)
 ここにはまず、一番最初の記事で述べた「批判する側が、都合よく批判したい対象だけを切り離せる線引きをしている」(ように見える)不公平感が(現状では)解消できていないという問題が有る。


 また、「ニセ科学への批判のやり方」についての規範は無い(多分)という事も問題の原因となる。
 いわば、罪名と、犯罪の構成要件は書かれても、量刑が書かれていないようなもの。
 むしろ、「動機」の多様さを認めるその懐の深さにおいては、その副作用で、「処刑方法」の多様さも容認せねばならない状況になっている。

 一つの目標に皆が殺到し「個々の基準で処刑する」その有様は、
 ニセ科学批判者達にとっては
 「こんな切り口でも、こんな切り口でも、どんな切り口でもおかしい事を示せた」
 と満足するかもしれない。
 でも、他者にとっては
 「各々同じような呪文を唱えつつも、てんでばらばらの方法で数で蹂躙しているようだ」
 と受け取られてしまいそうだ。
 (まぁ、だからこそそんな中に私がこっそり紛れ込んだりできるのだが)


 また、「ニセ科学批判」が、ニセ科学を批判する事を目的とするならば、「ニセ科学批判批判に対する対処」はその範疇に無いはずである。
 しかし、ニセ科学に対する態度と同様(もしくはそれ以上に)皆鋭敏に反応する。その有様が他者に与える印象の問題は先に述べたものと同様である。

 また、実際にやられる事の中には、「ニセ科学批判批判」を理解せぬまま、「ニセ科学批判批判」を「ニセ科学擁護」と矮小化して読み替え、「ニセ科学批判擁護」という立場でその意義をこんこんと説明するものが含まれていたと私は見たが、それは違う、と思う。

 あと、これは後から思った事なのだけど...
 もしかしたら「ニセ科学批判」者は、批判する事には長けていても、批判される事には長けていないため、その弱点を覆い隠したいがために過剰に反応してしまうのではないか。
 そしてその対応についても、ついつい自らが慣れ親しんだ批判方法に流れてしまい、「批判に対する批判」という新たな状況に対応しきれていないのではないか?


【おわりに】

 どうだろう?少しは分かりやすくなっただろうか。

 私のメモリーは非常に少ないので、数日前の事でも詳細は忘れてしまう。
 でもまぁ、大要は変わっていないはずだ。
 (なお、今回書いたのはあくまで「疑似科学批判批判批判批判」に関する再説明で、「イノセント」はまたもう少し上位の話題である)。

 言うなれば、これは
 最初白手番(ニセ科学批判側)だった私が、その考えを持ったまま黒手番に転進し
 そして、次なる白手番たるニセ科学批判に受け渡したかった考え。

 私としては、できれば「何でその手を打つんだ」という追求よりも、
 その手に対する有効打を考えて欲しいのですが...。


 なお、「何が書いてあるのか分からない」はひとえに私の文才の足りなさの問題だけれども、 
 「自分はこんなつもりなのになんでこんな事を書かれるのか分からない」
 「自分と論点が違うので分からない」
 「自分にはその価値が分からないので分からない」
 「とりあえず分からない理由を探したい」
 といった感じの「分からない」については、私の文才の問題というよりも、「拒絶する」という一種の「自分の立場の表明」であろうから、それらに対しては、いくら説明を加えても意味は無いと思うけれどね。
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zorori

おはようございます。

よく考えていませんが、とりあえず反射的なコメントです。
TAKESANさんのニセ科学批判の「ツギあて」なるものがどういうところなのか指摘していただかないと何とも言えませんが、「ツギあて」ぐらいあってもいいんじゃないでしょうか。もちろん程度問題ではありますが。

なにかものすごく、高度で神様しかできないようなことを望まれているような気がします。ニセ科学批判者だって人間ですから。

by zorori (2009-04-20 06:46) 

技術開発者

こんにちは、Judgementさん。

なんとなく、ここでも「負け戦」論をきちんと説明しておいた方が良さそうなので説明に来ました。

「負け戦論」というのは、「社会は既にニセ科学に制圧されていて、ニセ科学批判者なんてのは、敗残兵がわずかな抵抗をしているに過ぎない」という現状認識です。
この認識が無いと、「住民がなぜ侵攻軍に対して協力的で、敗残兵に対して冷たいのか」が分からなく成ってしまうと言うことです。

例えば、ある国が隣の国から侵攻をうけるとしますね。侵攻される前とか国境当たりで衝突を繰り返している状態で、住民に対して「侵攻を防ぐために、燃えやすい油を供出してくれないか」なんて言うと、「侵攻されてはたまらないから、頑張って戦ってください」と比較的協力してくれたりするわけです。ところが不意をついて侵攻され、首都は落ちる寸前なんて状態で、負け戦の敗残兵が住民に協力を求めると、たいてい断られる訳です。理屈としては「侵攻してきたのは解放軍で、今まで住民を苦しめていた現政権なんぞクソ食らえ」となる訳です。これは侵攻軍が別に解放軍でなくても似たような事になります。人間には「勝ち馬に乗りたがる心理」というのがあり、今社会はニセ科学の方がはるかに優勢な状況にあるからです。

実は、この現状認識が無いところが敗残兵である我々の悲しい所ではあるんですね。社会にニセ科学が蔓延し、社会が制圧される以前であれば「これは科学的な事じゃないよ」と一言言えば、「そうか自分たちは騙されているのか、嘘付いた奴は誰だ」みたいになる訳で、そういう期待を持ってニセ科学批判をはじめる人もまだ居る訳です。ところが現実は「既に負けている敗残兵が抵抗のために住民の協力を求めよう」としているのと同じですから、結構、激しい抵抗にあって面食らう訳です。「そんな堅苦しい事言うなよ、社会が科学的に正しいかどうかで決まるものでも無いんだからさ」とね(笑)。

もちろん、この機会に「傀儡政権」の上部に登ろうとするものも出てきます、「ニセ科学批判している者たちは、皆、狂っている」と言うことで、自らをニセ科学に制圧された社会の中で価値あるものとしようとする動きなんかも出てくる訳です。こういうのが「勝ち馬にのる心理」なんですけどね。

なんていうかな、敗残兵がそれでも戦うというときに、実のところあまり「みっともよい」戦いというのは無いんですね。戦略ったってひどく限られている訳ですからね。でもって、「勝ち馬に乗る心理」の人に受けようと思うと「あいつらは戦い方が下手だ」とJudgementさんの様に言いふらすのも一つの方法では有ります。まあ、社会がずっとニセ科学に制圧されるのが住民の選択となってしまうという事では有るんですけどね。

by 技術開発者 (2009-04-20 12:59) 

トンデモブラウ

一人『五目並べ』とは、なんとマニアックな。
暗いというより、乖離性・・・素晴らしい発想の遊び方であります。
並の精神力で不可能でありましょう。

技術開発者さんの言うところの敗残兵が科学側だとは思わないので(どちらかというとニセ科学側が非体制ゲリラ兵ではないかと)、騙される及び擁護側が勝ち馬に乗るという心理とはちょっと違う気がします。
私には、Judgementさんの言われるニセ科学との戦い方への違和感は、弱い者いぢめ的な惻隠の情のように感じるのですが、そうすると対象はやっぱマイノリティ側ですよね。(違うのかな・・・)
科学的な初歩が分かっていない人に、「アホか、ググれカス。」的な対応(そんな人は私以外見た記憶ないけども。)は可哀そうというのが、「ツギあて」に映るのではないかな。(私には「ツギあて」が見えないので・・・色神異常のせい?)
そうすると、どSのJさんに言われるとは心外な、という反応はありかもね。
by トンデモブラウ (2009-04-20 15:51) 

技術開発者

こんにちは、トンデモブラウさん。

>技術開発者さんの言うところの敗残兵が科学側だとは思わないので(どちらかというとニセ科学側が非体制ゲリラ兵ではないかと)、騙される及び擁護側が勝ち馬に乗るという心理とはちょっと違う気がします。

まあね、なんていうかな、「自分は弱い者の味方をして居るぞ」と思って、良い気になっている人に「冷や水を浴びせかけてみる」という意識もあって、かなりデフォルメして書いていますけどね。ただ、きくちさんと「我々は既に負けているところからはじめている」とか語り合ったことがあるのも事実なんです。実際、我々が「まさか、そう簡単に蔓延はしないだろう」とたかをくくっているうちに、マスコミのバラエティ番組を中心に、あれよあれよとニセ科学的な言説は「社会の真実」に成っていった面がありましてね。変な話ですが、ニセ科学を言いふらす人と、それをたしなめる人の「どちらが優勢か」というと、明らかに「言いふらす人」の方が優勢です(ここでいう「言いふらす人」というのは、最初の提唱者のみを意味せずに、面白がって話題として使う人も含めての事です)。例えば、何かの雑談で、「何々さんは*型なの~、私は*型だからぁ~」なんて盛り上がっている時に、「そんなのには科学的根拠はありませんよ」と言えるかというと、なかなかバリアーが高い訳ですね(ニセ科学の蔓延問題の初期に「T型の普及」という事を提唱した時に強く感じました)。それこそヴィシー政権下のフランスでナチスドイツの問題を議論するのが難しいのと同じ社会力学は働いているわけです。

なんていうかな、別な所で「防衛戦論」というのも書いている訳だけど、第二次世界大戦の最初の頃の独仏戦はアルデンヌで始まった訳だけど、たぶん、Judgementさんなら「アルデンヌを戦場にするなんてフランス軍は戦略的に間違っている」と平気でおっしゃるだろうという気がするんですね。この種の戦争を「ルール有るゲーム」と区別することがてきないみたいですからね。現実にはアルデンヌに侵攻したのはドイツの機甲師団であって、フランスには戦場を選択する権利は無いわけです(もちろん戦争の前の政治の世界では、そこを戦場としない選択肢はあり得ますけどね。始まってしまえば、フランスにとって否応なしにそこが戦場になる訳です)。

なんていうかな、TVのバラエティ番組みたいなものが、防衛線の穴となって、いろんなニセ科学が社会に広がり、こっちの防衛は追いつかなかった訳です。というかそう言うところから「社会のきちんとした認識(いい加減なことを言いふらしてはならないという社会規範)」がこうも簡単に崩れるとは思わなかった訳ですね。でも実際には防衛線は崩れ、社会は「科学的であるかどうか」なんて誰も気になんて留めていない社会と成っている訳ですよ。まあ、アルデンヌを抜かれてパリが陥落しているかどうかは人により認識の差はあると思うけどね。

>弱い者いぢめ的な惻隠の情のように感じるのですが、そうすると対象はやっぱマイノリティ側ですよね。

私に言わせると、ヴィシー政権下でナチスへユダヤ人を引き渡した普通のフランス人庶民の感覚と共通していると思っています。つまり「社会力学にたいする媚び」を感じる訳です。もちろんそのフランス人にも言い分はあります「ユダヤ人はずるく儲けすぎていたから、儲け主義のユダヤ人に泣いたフランス人のために引き渡した」というナチス的な言い訳です。これもまた、「弱い者いぢめ的な惻隠の情」として合理化されている訳です。そう考えれば、「対象はやっぱマイノリティ側」になりますよね。

by 技術開発者 (2009-04-20 16:41) 

shin

kikulogをロムしている者として、久しぶりにコメントします。

以前にここで書きましたが、自分は「血液型性格判断」を消極的に信じていました。あるとき、その「血液型性格判断」に根拠はあるのかと思い始め、検索するうちにkikulogに辿り着いたのです。

血液型に関する議論を見始めた当初、自分はABOFAN氏(以下A氏)のほうに肩入れしていました。それは自分が「消極的な信者」だったことよりも、大多数の人から批判されているA氏に対する同情のほうが大きく影響したと思います。
そんななかで、Judgementさんが「A氏の話を聞いてやろう」みたいな素振りを示されました。Jさんの真意はともかく、形の上では「同じ立場で議論する」体裁は整ったので、他の方の書き込みは一切無視してJA論争だけを見守ることにしました。

そして、すっかり「血液型性格判断」を信じなくなってしまいました(笑)

どうやら当初の自分は「問題の是非」よりも「感情面」を優先していたんですね。そういう感情を棚上げし、もう一度最初からその議論を読み返してみると、その他の方々が言わんとしていたこともようやく理解できたような気がしました。

ところで、日常生活において血液型の話題を振られることが良くあります。自分は信じていた過去もあるので、経験も踏まえて「信憑性は無いと考えたほうがいいよ」と伝えるのですが、表面上では「分かった」と言いながらも、実際は「この人は血液型の話が嫌いなんだ」という反応をされてしまいます。
以前の自分がそうだったように、おそらく多くの人々は「科学的な思考」よりも「自分の経験」を重視されると思います。そんな彼らにとって、それが科学的かどうかなどはそれほど重要ではなく、批判する人々に対して「そんなに必死にならんでも」ぐらいの気持ちなのでしょう。

最近、kikulogでのアマデウス龍彦さんの書き込みに対し、技術開発者さんが怒りのコメントを書かれました。自分はあのお怒りは当然だったと思いますが、その後でいろんな方が「技術開発者さんが怒られるところを初めて見た」などと書かれていたのが少し気になりました。
あの流れを見て、ホメオパシーに興味を持つ人々が「教祖様とその信者の集まりか」などと勘違いしないかなと危惧したんです。議論に参加している方は「迎合などしていない」と思われるでしょうし、実際その通りなのですが、科学的な思考を重視されない方に「よってたかってイジメている」と受け取られないかなぁ…と。

まあ、ロムラーの単なる感想でした(笑)
by shin (2009-04-20 18:41) 

zorori

TAKESANさんのところで、ちがやまるさんがコメントしている、技術開発者さんの例え話(ややこしい)みたいなことかなと感じています。公園をきれいにする善行にもいろいろな見方があり、ねたみそねみ、善行のうらの悪意を詮索する人も現れるという話です。

どこからもクレームが無いように完璧を目指しましょうという建設的な意見ととらえれば、まあありがたい指摘かなとも思います。その一方で完璧は不可能なのでほどほどでいいんじゃないのとも思います。例えば、矛盾する要望事項があるんですね。「仲間内でやっているような閉鎖的な雰囲気が嫌だ」に応えようとすると、今度は「事務的、官僚的で冷たい」なんて言われるんじゃないでしょうか。特に感覚的部分については。こういうことは仕事でもよくあって、「じゃあ、どうすればいいんだよ」と開き直りたくなることしばしばです。

私が、kikulogを最初に見た時も、仲間内でやっている雰囲気があってコメントしにくかった記憶があります。結局、反感を買わない人ってのは何もしていないのではないかと思います。
by zorori (2009-04-21 07:01) 

トンデモブラウ

技術開発者さん、おはようございます。

プロパガンダはニセ科学側が最初で、科学側(批判側)は後追いなので、ある意味負け側(防戦)になるのはしょうがないのでしょう。
そのニセ科学を言いふらしている芸能人やマスメディアは、ナチ占領下の住民じゃなくて、プロパガンダに踊らされている人達じゃないのかなぁ。
ナチ占領下の住民が体制に逆らえないのはしょうがないので(ユダヤ人差別はネチだけじゃないし、ナチ占領以前のポーランドやフランスでもある程度下地はありましたよね。)、例えとしてもニセ科学を口にする軽薄な人達とは違う感じがします。

批判側は、マジノ線に正面突撃せずに、アルデンヌを抜けてパリを目指しましょう。
突破口はきくち将軍の第7機甲師団という感じで。
by トンデモブラウ (2009-04-21 08:28) 

技術開発者

こんにちは、shinさん。

私は以前に「傾いた地面での綱引き」なんてたとえ話をよくしていたわけです。綱引きをスポーツとしてやるなら、地面が傾いていたら、もともと競技として成り立たないわけですが、社会というのは競技するために存在するしろものではありませんから、或る意味「所構わず」綱引きが始まることはあるわけで、当然、傾いた地面の上でも始まってしまう訳ですね。

>以前の自分がそうだったように、おそらく多くの人々は「科学的な思考」よりも「自分の経験」を重視されると思います。そんな彼らにとって、それが科学的かどうかなどはそれほど重要ではなく、批判する人々に対して「そんなに必死にならんでも」ぐらいの気持ちなのでしょう。

というか「科学的思考を重視しない」という言い訳で「いい加減なことが世の中に言いふらされることに関する嫌悪感を無くしている」ということを見ない様にしているだけだろうと思いますよ。例えば日立の子会社が広告でリサイクル率を偽っていたなんてニュースが流れると、皆さん「嫌だな」なんてことは言われるけど、実のところそれほど嫌悪もされていないだろうなと思います。禁忌感と嫌悪感というのは同じ根から発生するものでしてね。何かを「良くないこと」として、その規範が自分に向くとき禁忌感となり、人が為したことに向くとき嫌悪感となる訳です。そのもとになる規範への意識を捨て去っているから、禁忌感も嫌悪感も薄いわけです。と同時に「自分の経験」として、「規範意識が低下している」ともお気づきでは無いわけです。何世代かかかって進行した現象ですから、皆さんはもともと「規範意識が薄い社会」を「普通の社会」としてお育ちになっている訳ですからね。

地面の傾きと言っているのは、こういう社会全体の規範意識の低下と関係することなんですね。つまり規範意識の高い社会では、「それは嘘だよ」と指摘するものは、傾いた地面の下の方で綱を引いている様なものです。そんなに必死に成る必要はなくて、とても簡単に「ああ、嘘なんだね」となるだけのことです。でも、規範意識が低下した社会では、嘘を指摘するものは傾いた地面の上の方で綱を引いています。力持ちだってそうそう簡単では無いわけですよ。そうして「そんなに必死にならんでも」が起こる訳です。

なんていうかな、綱引きをしているものを見るときに、体格だけを見て「そんなに必死に成らんでも」と言っているのと同じ事が、Judgementさんにもありそうに見えるんですね。地面の傾きが見えていない部分かな。私は常に「少数派」だったから言えることとして「少数派は先鋭化する」というのがあるんですよ。別にしたくてそうなるんじゃなくてもね。例えば血液型なら血液型の話で面白がるという多数派として議論するなら適当な事を言っていたってかまわないよね。でも、「あれは嘘話だ」という少数派として、それを話題として出そうと思うなら「古川が・・・能見が・・・」みたいなマニアックな事まで言わなきゃ成らない面がある訳です。多数に属しているか少数に属しているかを無視するな「楽しい話題で盛り上がる仲間」と「マニアックな知識を振り回して座をしらけさせる馬鹿」でしか無いわけです。そんなのは或る意味「傾いた地面の綱引き」の必然であって戦術論にもなにもなりゃあしないのですよ。

>最近、kikulogでのアマデウス龍彦さんの書き込みに対し、技術開発者さんが怒りのコメントを書かれました。

多くの人が「怒り」の部分しか見ないよね。よく読んで貰えると、私は彼の垂れ流した不完全な歪んだ情報にきちんとカウンター情報を当てているのが分かると思うんだけどね。私がやらなくてはならなかったのはそっちだからね。ただ、私も忙しくて、その後もずっとカウンターを当てる気にはならないから、きつい言い方で垂れ流しを止めたかっただけなんですね。

by 技術開発者 (2009-04-21 08:31) 

うさぎ林檎

おはようございます。ここでは、はじめまして。

アマデウス龍彦さんの名前が挙がっているので、私にも少し話をさせて下さい。記事中に「ペルソナ(仮面)」とあるのに関係もあると思うので。

こんな表現をするとまたイジメテルと取られるかもしれませんが、あの方の話がどうして癇に障るのかが不思議で、私は何故だろうと考えたんです。おかしな事を仰有る方は、kikulogにはそれこそ掃いて捨てるほどきますけど、不快感を感じさせるって事は余りないです、呆れさせる事はあっても。なのにアマデウス龍彦さんは皆さんをある意味、恐怖のズンドコに陥れてました。それで総ツッコミが入ったわけでしょう。

で何が不快かというと、簡単に言えばあの人の発言は全く不道徳だって事なんです。道徳心がかけらもない、ブレーキが全く掛かってないんです。言葉の端々から染み出す毒気に当てられて、私は新鮮な空気を求めてしまいました。念のため言えば、あの人に悪意はないと思います。技術開発者さんやきくちさんに話しかけられた時、無邪気に嬉しそうでしたし、退場時もしょんぼりって感じでしたから。通常の困ったちゃんの場合は、捨て台詞の一つも吐くはずですが、あの方は何故”叱られた”のか、最後まで全く理解できなかったようですね。

「悪い人じゃない」って事で不問にしてはいけないのですよ、多分。技術開発者さんの仰有る「社会全体の規範意識の低下」、世の中がぐずぐずになるって事ですから。

余計な事を付け加えれば、アマデウス龍彦さんは別の記事(9.11)で性別まで変えておられますよ。技術開発者さんも「彼」としていますし皆そう思っていたと思います。それが子供がいる既婚女性の(恐らく)医師って設定になってます。こうしてみると、あの方の話には何一つ真実はないのかもしれませんね、全く持って恐ろしい事に。
by うさぎ林檎 (2009-04-21 10:07) 

Judgement

とりあえず、初回とその次は保留しつつ、少しずつですが返事書いていきます。
皆さんの文章量と比べると貧弱ですが...
まぁ、変に気を使うのもアレなので、それなりの態度は取らせてもらいます。

【zororiさん①】
>よく考えていませんが、とりあえず反射的なコメントです。

...「よく考えない」・「とりあえずの」・「反射的な」・コメント
あ り が と う ご ざ い ま す。
えっと、以後zorori さんは、道徳とか礼儀とかを根拠にした説明は禁止ね
(まぁ、私に対してはその2つは不要だし、その2つを持ち出されても殺し文句にはならない)

まぁ、私も「とりあえず」答えますが、まず「TAKESANさんの」って、勝手にターゲット限定しないでね(TAKESANさんのは既に指摘したし、あれは単に例示であってひとりのせいにする気は無い)。

>「ツギあて」ぐらいあってもいいんじゃないでしょうか。

うん。
その人が他人の「ツギあて」を指摘するような人で無ければ。


【技術開発者さん①】
「負け戦論」ですか。
それは、あくまで技術開発者さんの現状認識であって、それが無いと分からないという事は、技術開発者さん以外は分からないという事でしょうか?(意地悪)

で、た...例えが長いっす。
例えるなら、できれば分かりやすくして欲しいっす。
それに、その例えは、あくまで「技術開発者さんの現状認識」の例えなんですよね...

うーん、
『「あいつらは戦い方が下手だ」とJudgementさんの様に言いふらす』
ですか...
どっちかというと「民衆を味方にすべき兵が、虐殺をしたら引かれるよ」って感じなんだけどね。


【トンデモブラウさん①】
 「弱い者いぢめ」ではないんだよね。
つっかかる方もつっかかる方(ただ、今回のケースはつっかかってすらいなかったけど...)。
 ただ、なんというか、相手には「刃物は卑怯だぞ、素手で来い」というのに、自分はしっかり刃物を使っている感があって、そのやり方は「ニセ科学批判」のイメージをネガティブな方向に持っていくんじゃないか?って感じ。

>そうすると、どSのJさんに言われるとは心外な、という反応はありかもね。

別に、私は「ニセ科学批判派」じゃないしぃ~。
自分の意思で「ニセ科学」を背負ったのに、「お前はどうなんだ」と言われても、
「じゃぁ、肩の荷降ろせばいいじゃない。自由でいいわよ」って感じになるわん。


【技術開発者さん②】
>「自分は弱い者の味方をして居るぞ」と思って、良い気になっている人に
>「冷や水を浴びせかけてみる」という意識もあって、
ほう、それは誰かしら?
とりあえず、向こうの誰もいない所がびしょ濡れになっているみたいだけど...

う~ん、相手を矮小化させた前提でしかできない批判ってのは面白みに欠ける...

あと...た...例えが長いっす。
分かりやすくするために例えてます?それとも、例えてみたいから例えるだけ?
あるいは、「こんな事も知っているよ」というアピール?


【shinさん①】
なんか懐かしい話ですね。

>Jさんの真意はともかく

フフフ、分かってらっしゃる

>どうやら当初の自分は「問題の是非」よりも「感情面」を優先していたんですね。
>そういう感情を棚上げし、もう一度最初からその議論を読み返してみると、
>その他の方々が言わんとしていたこともようやく理解できたような気がしました。

そうですね。
感情優先にすると、「感情が求める結果」に沿ったものしか見えなくなります。
当人は「論理的」と思っていても、判断材料が視野狭窄に陥っていれば
説得力のある説明なんてできません。
そういう意味では、私のキャラはいいリトマス試験紙の役目をするみたいです。
なお、「感情が求める結果」を出したいときこそ、冷静に急所を探す周到さが必要かと。


【zororiさん②】
確かに完璧は不可能なんですよね。
だけど別に私は「完璧であれ」なんて大仰な事を言った記憶は無いけど。
そんなのは「疑似科学批判批判者ステレオタイプ」でしかないよ。

それか、私が言っている事を実現するのは「完璧を求める」ぐらい無理、って事かな。
念のため言えば、「完璧な線引きをしろ」と言っているんじゃなくて
自分達の都合で線引きしていることを意識しようよ、って事なんだけど...。
「その都合」は他者にとっては不公平に見えるかもしれない。
という事が意識できれば「不公平ではない事をどう説明すればいいか」考えられるでしょ。

>結局、反感を買わない人ってのは何もしていないのではないかと思います。

こ、これは、素直に私が喜んでいいとこかしらん?


【トンデモブラウさん②】
ただでさえ私には分かりにくい例えなのに
さらに広げたらさっぱり分からんぜよ。


【技術開発者さん③】
うーむ
基本的に①と②と同じ反応になっちゃうかな。

>体格だけを見て「そんなに必死に成らんでも」と言っているのと同じ事が
> Judgementさんにもありそうに見えるんですね。地面の傾きが見えていない部分かな。

うむ、そう見えるのは勝手だけど、そうは思ってないなぁ。
それよりも、いつの間に「地面の傾きがある」事が確定しているのだ?


【うさぎ林檎さん】
はじめまして?

>で何が不快かというと、簡単に言えばあの人の発言は全く不道徳だって事なんです。
>道徳心がかけらもない、ブレーキが全く掛かってないんです。

うんうん、それはいけない。
毒気と言うのは、アクセル踏んで意図的に出すもんだ。
...という話は置いておいて。

逆に、ブレーキを踏んでいるだけで安心してしまう人も困りものなのです。
ブレーキを踏んでいるからといって、速度が0になるとは限らない。
ブレーキの踏みが甘くて、クリープ現象で前の車にぶつかって
「私はブレーキかけていた、前の車がバックしたんだ」
と騒ぐ人が一番厄介。
by Judgement (2009-04-25 02:54) 

zorori

>えっと、以後zorori さんは、道徳とか礼儀とかを根拠にした説明は禁止ね

まあ、そう厳しいことおっしゃらないで。

よく考えようとしたのですが、TAKESANさんのエントリーのどこが「ツギあて」なのかお聞きしないと話が抽象的になって、ああも言えるしこうも言えるよなで終わるような気がします。

とりあえず(また禁句を使ってしまった)、このエントリーで私の感じたことを説明しますと、立派な意見を言ってもその動機は個人的憂さ晴らしであったりということがありますよね。そして、そういう深層心理みたいなものがその意見に透けて見えることもあります。そういうことをJudgementさんはおっしゃっているのかなと思った次第です。ただ、そういうことって程度問題で必ずあると思うんです。逆にそういうコンプレックスみたいなものがなければ意見なり文章なりは書けないような気がします。なので、動機は動機として、意見は文字通り受け取るしかないのではないかと私は考えます。身の上相談のような場合は別にして、あまり本心を憶測するというのは話がややこしくなるだけじゃないかと。そして、程度問題なので、具体的にTAKESANさんの意見のどこなのか分からないと判断できないということです。

私のとんでもな誤読かもしれませんが、詳しく説明をされればされるほど、分かりにくくなっていると感じています。
by zorori (2009-04-25 10:35) 

うさぎ林檎

でもまぁ、ブレーキの認識が相互にあるわけですよね?程度問題とは言え同じ土俵に乗っているのなら、幸運ならば妥協点が見つかる場合もありますけど。私が思うにブレーキの存在も知らない場合が、一番厄介。
なんてとこで、私はこの話からは離脱致します、ありがとうございました。
by うさぎ林檎 (2009-04-25 13:02) 

Judgement

【zororiさん 】
 うーん、逆に聞きますが、例えばzororiさんとしては、TAKESANさんなり、コメント欄の発言なりを私が一つ一つ取り上げて、「これはこうだ、あれはこうだ」と(某A氏に言うように)微に入り細に入りいちいち批判した方がいいと思いますか?で、またそれについて、「いや、そのように判断されるのは不当だ」という反応が来て、それに対して反応を返して、の個人間の言い合いの繰り返しが望ましいと思いますか?
 で、そういうドロドロの個人攻撃の応酬をzororiさんは見たい?(見たくないよね)。

 確かに、TAKESANさんとしては、ケチ付けられっぱなしの感があって、十分不満でしょうが、私としてはあくまで例示であり、特定の個人の問題にしたくないわけなのですね。
 とはいえ、私としては「言いっ放し」のつもりは無く、その問題の一般化を試みることで、批判された特定の個人だけでなく、それ以外の方々の批判も受ける、というつもりで批判の責任を果たそうとしているのですが(遅々として進まないのは、すいませんとしか言えませんが)。

>このエントリーで私の感じたことを説明しますと、立派な意見を言ってもそ
>の動機は個人的憂さ晴らしであったりということがありますよね。そして、
>そういう深層心理みたいなものがその意見に透けて見えることもあります。
>そういうことをJudgementさんはおっしゃっているのかなと思った次第です。

半分ぐらい正解です。
ただ、私としては「深層心理」って程深く潜っていない。
だから心配(当人が気付かぬままさらしてしまうから)
あと、先ほど述べたように「個人」の問題に帰着させたくないんですね。
おそらく、「集団」の特性、である方が強いのです。
だからといって、「ニセ科学批判集団は本質的にダメだ、ぶっつぶす」なんてのじゃなくて
「それを知りさえすれば、やり方も良い方向に変わるし、そうすればもっと適正な評価が得られやすくなるし、そうなればニセ科学批判批判も減って無駄なやり取りも減るし、ハッピーじゃね?」
という所に落としたいと思っているのデスヨ。

【うさぎ林檎さん 】
ありがとうございました。
また、気になる話題があれば、いらっしゃってください。
by Judgement (2009-04-29 02:01) 

zorori

Judgement さん、

>で、そういうドロドロの個人攻撃の応酬をzororiさんは見たい?(見たくないよね)。

「個人攻撃」が「人格攻撃」なら見たくないです。「個人の意見攻撃」ならやり方次第で見たいと思います。「やり方」というのは、内容は共感できるし鋭いことを言っているなあと思っても、文体や口調が気に障って情緒的な面でうんざりすることがあります。慣れればいいのでしょうけど、なかなか。

で、一般化についてなのですが、数学や物理のような単純な分野では非常に有力だと思うのですが、少し複雑なことになると、例外も多くて場合分けが必要になってきます。ですから、具体例についての判断を積み重ねていかないとなんとでもいえると思うのです。「早起きの鳥は虫を沢山食べられる」と「早起きの虫は食べられる危険が高い」みたいに。例えば「ウソはいけない」も一般論ですが、Aさんの発言の具体的箇所を示して、ウソがあるからいけないと批判するのは、読者自ら状況判断ができるから問題は少ないと思います。ところが、「Aさんの発言にはウソがある」とだけ言って、それがどこなのか分からないと印象操作になってしまう危険があります。確かにウソがあったのかもしれないけど、単なるレトリックかもしれないし、大した問題ではなくて、その部分を修正しても大意に影響しないウソかもしれません。

最終的にAさんの発言を個別に批判する意図はなくて、「ウソは悪い」という一般論を言いたかったとしても、A
さんの発言が例として妥当じゃなかったとしたら、Aさんは気分が悪いんじゃないかと思うんですね。例として妥当なら「個人の意見攻撃」をした方がAさんにとっても良いと思います。
by zorori (2009-04-29 08:58) 

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