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田部勝也さんへ [疑似科学批判批判批判批判]

 まずは何はともあれ、この方への返信は真っ先にしなくてはならないでしょう。
 なお、文中では「田部さん」と呼ばせていただきます。
 (「勝也さん」なんていうと、怪しい雰囲気になっちゃうので)

【う~ん】

 なんとなく田部さんがしょげちゃった感じで、ちょっと扱い困っちゃいますね。
 「私が言う事で、しょげてもしょうがない。」
(前の記事見ても分かるでしょ。詐欺師じみた人間が、個人に説教かます資格は無い)

 ↓イノセント云々に対する田部さんの発言を見て思った事↓

 「私はアダムとイブにリンゴ喰わせようとするヘビなのかもしれない。」


 簡潔に言えば、ニセ科学側との共通性を見出せる反応の仕方や、過敏すぎる反応は、「ニセ科学批判」について他所から評価される際に、マイナスに働いてしまうのではないか、という事です(ただし、それが問題となるのは、『「ニセ科学批判」が他所から評価される事を求める』ものであるという前提が成り立ってこそであり、その辺が分からなくて確認したかった)。

 だから、田部さんが、他所の評価は関係無い、というスタンスであれば反省する必要は無いし、関係有るというスタンスで、かつ、反省するところがあるとすれば、mizusumashiさんに対してではなく、自分の戦略ミスに対しておこなえば良い。

 自分で問題点に気付く事が肝心であって、ご自分で挙げられた問題点を問題点として認識するなら、「次の戦略」にご自分で生かせばいいんじゃないかな、って感じです。
 (でも、田部さんはきっと「戦略」って好まないんだろうなぁ。)


【要望に答えて】

 なんか、歯切れが悪い感じですが、私は「責任の所在」を追及しているわけでも、ましてやその責任を個人に帰そうともしてないので...

 とはいえ、
>問題の私のコメントにおけるmizusumashiさんの一連の「態度」に対する非難は
>正当なものだと、私は今でも思っています。このコメントについては、ぜひとも
>直接批判対象にしていただきたいと思います。

 との事なので、投稿一番乗りの御礼もこめて、田部さんが気付いていない問題を心を鬼にして(元々鬼だが)批判してみます。


まず、ちょっと残酷なイタズラをしてみます。
mzsmsさんは確かに願望を述べたのでしょうよ、私が読めるところに。だから、その願望について、その願望の成就は私にとって、本当に望ましいのかどうか、その願望を成就するために私は具体的にどうすれば/どうしなければならないのか、mzsmsさんの文章から真剣に誠実に考えようと思う私が出てくるわけです。私は、私のしている事が本当に正しいのか、もっと良い方法があるんじゃないかと、常に悩んでいるからです。向上心と自己批判を常に忘れずにいたいと思っているからです。
 それなのに、「疑似科学批判者」に対して自分の願望を述べた張本人が、後になって「何も“こうあるべき”とは言ってはないし、考えてもいない」だなんて、私を馬鹿にしているとしか思えない。だから腹を立てるし、あきれるし、話にならないと思うわけです。だったら、何のためにわざわざ私が読める場所でそんな願望を表明したのか。いまの私には、mzsmsさんが、私の誠実さを嘲笑っただけの愉快犯に見えています。「こんなの本気なわけないじゃん。なに、そんなにムキになってんの(笑)」という嘲笑が聞こえてくるようです。

(元の投稿はこちら
 どう読めますか?

 書いている人が怒っているのは十分伝わります。
 で、もしこれが恋人だったら「ま、しょうがないか」と受け入れられるでしょうが、知り合って間もない人であったら「あんたに言われる筋合いは無い」ってな話ではないでしょうか。

 つまり、元の投稿文が適切な批判に思えたのであれば、その原因は「一人称ではなく、他者を含む表現を使う」事により生じていたのだと考えます。

 もちろん、田部さんはホントに純粋に他人の事も考えてそう言ったのだと思います。

 しかし、ABOFANクンにもよく言うのですが、(普通は、とか、一般的、とか)一人称から離れる事だけで、言っている人は「自分は妥当な事を言っている」と思いがちです。
 でも、『「ゲーム機買ってよ。みんな持ってるんだよ。」と言う子供が言う「みんな」は「その子が欲しいゲーム機を持っている2~3人」である』という事を知っている人にとっては、『それだけでは説得力を持たない』というよりも、『説得力のある説明ができないから複数形に頼る』と邪推される原因になります。

 何より、疑似科学批判者を擁護する立場の人が、疑似科学批判者という集団を持ち上げ気味に語る事は、「疑似科学批判者以外の人」にとっては、(こう言ってはなんですが)ちょっとイタい発言に聞こえてしまう嫌いが有ります。


 ...かなり底意地の悪い批評になってしまいましたが、こう考えてみてはいかがか?

 「多くの善良な人々を背負いたい」という気概は望ましいが、「多くの善良な人々を既に背負っている」と思ってしまうと、逆にそれに頼って、高飛車な物言いに陥りがち。
 「多くの善良な人々を背負っている」事をおくびにも出さず、自らがその弾除けになる気概で対応すれば、大きくは間違わないし、間違っていてもその「守りたい多くの善良な人々」には類は及ばない。
(私としては、「そのような態度に見せる」という策を弄して印象操作する方がいい、という見方になるんだけど)


 あと、ものすごく気になるのは、この文章、結局の所
 「誰でも読めるところに願望を書くな」
 と要求しているように読めますが、それはいかがかと。

 いや、言わんとする事は分かるんですよ
 だけど、田部さんの意図を反映させるには、「ニセ科学批判批判は『掲示板の殺人予告』に匹敵する」程度の意味付けをした上でないと、他人には極端に感じられると思う(ついでに、「願望」が「そうあるべき」でない事で怒ったり、愉快犯扱いもちょっと無茶)。
 
 あくまで、「私の観点で」批評するとすればこんな感じです。

 
【最後に】

 「そういう事じゃなくて...」
 と不満げな田部さんの顔が浮かびますが(顔見たことないけど)、田部さんの思う「そういう事じゃ無い事」については、後々多分別の所で言及する事があると思うのでそれまでお待ちを。
 (結局出てこなかったら文句言ってください)

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田部勝也

田部勝也です。

>Judgementさん「だから、田部さんが、他所の評価は関係無い、というスタンスであれば反省する必要は無いし、関係有るというスタンスで、かつ、反省するところがあるとすれば、mizusumashiさんに対してではなく、自分の戦略ミスに対しておこなえば良い」

mizusumashiさんに対して反省するところがあるとは現在まで思っていません。Judgementさん他何人かから非難だか批判だか批評だか良く分からない言及があったのだから、戦略ミスがあったのだろうとは思っています。だからこそ、遠回しな訳の分からない一般論でお茶を濁すのではなく、直接批判対象にして欲しいと述べました。
自分に改善すべき点がある事だけを自覚させられて、具体的に何をどう改善すべきなのかさっぱり分からないというのは、とても居心地が悪いですから。

>Judgementさん「つまり、元の投稿文が適切な批判に思えたのであれば、その原因は「一人称ではなく、他者を含む表現を使う」事により生じていたのだと考えます」

Judgementさんが書いたイタズラの文章のほうが、私の元の投稿よりも遥かに適切な批判に私には思えますけど、それ以下のJudgementさんの話はとても良く納得できます。これらは私が今まで気づいていなかった盲点でしたし、何より、私がこのブログの別エントリ記事にコメントした自らの「信仰」に著しく反する行為を自らしていた事にも初めて気づかされました。この事については本当に心から感謝します。
実際にどう活かしていくのか、いけるのか――というのは、個人的な能力・資質の問題もあって、またそれはそれで難しい問題かと思いますが、強く心掛けたいと思いました。

>Judgementさん「誰でも読めるところに願望を書くな」

確かにそうとしか読めないんで、私の書き方が悪かったわけですけど、あのコメントでは私は一貫してただ「mzsmsさんが書いた“願望”について、自己反省の立場からmzsmsさんの文章を真剣に誠実に考えようと思った人たちに対して、mzsmsさんのその対応はあまりにも不誠実だろう」という気持ちを表明したかっただけでした。もちろん、真剣に誠実に考えようとしたのはそう思った人の単なる身勝手ですし、mzsmsさんが当初意図したり予想したりしていた事ではなかったのだと思いますけど、それにしてもあの対応はあんまりだったと、今でも思います。
もちろん、Judgementさんのエントリ記事「疑似科学批判批判批判批判」への最初のコメントにも書いたように、愉快犯扱いなどについては極めて不当だったと反省していますし、弁解のしようもありません。ただ、私の主張が「誰でも読めるところに願望を書くな」という事ではないという点については、ちゃんとフォローしたつもりです(↓)。
http://d.hatena.ne.jp/mzsms/20090411/1239382313#c104945915

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>Judgementさん「私はアダムとイブにリンゴ喰わせようとするヘビなのかもしれない。」

たぶん私はJudgementさん以上に「狡猾」です。35年以上、この「混沌として薄汚い世界」で生きてきたわけで、極めて幸運に恵まれたとは思っていますが、決して善人だけのエデンの園で夢見がちな毎日を送ってきたわけではありません。
Judgementさんのような「知的強者」ならば、この「混沌として薄汚い世界」を「論の世界で勝ちを拾う手腕手管」を駆使して生き延びていくのでしょう。でも、私のような「知的弱者」が同じ事をしようとしたって、すぐに論破され洗脳され搾取されるだけです。「知的弱者」は「知的弱者」なりの、この「混沌として薄汚い世界」を生き延びる術を見つけなければならないのです。

その術として、たとえば「ニセ科学」にすがる人たちがいます。私にとっては、とても痛ましい事です。

私にとって、今のところ、その術は誠実であり続ける事です。
「あの人は心に思った事をそのまま包み隠さずストレートに述べている」「あの人の言葉に深謀遠慮も謙遜もお世辞もなく、文字通りに受け取っても大丈夫」「あの人とは話ができる。遠慮なく本音でぶつかり合える」と、他者に思わせる人であり続ける事です。
lets_skepticさんの言葉を借りれば、「自分が断言したことでも間違っていれば撤回する(必要に応じて訂正する)という誠実さ。自分が言及すること(したこと)をきちんと知ろうとしているか? という知的誠実さ」「そんな当たり前の誠実さ」を持っていると、他者に思わせる人であり続ける事です。
>lets_skepticさん「求められているのは当たり前の誠実さではないだろうか」(↓)
http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081224/p1

Judgementさんは「“じゃぁ、イノセントな人をどうやったら上手く操作できるかな”って思った人。...いらっしゃいませ。多分私の同類です」と書きましたよね。
私はいま、Judgementさんを「上手く操作」できたと思っていますよ。だって、私が望んだ通りに、私の改善すべき点を私が理解できるように述べ直してくれました。貴重な時間と労力を使って。他の多くの人たちへの対応に先駆けて。それはなぜですか。私が「論の世界で勝ちを拾う手腕手管」を使ったから?

「知的弱者」たる私は、この「混沌として薄汚い世界」で「論の世界で勝ちを拾う手腕手管」を駆使しては失敗し続ける日々を送りながら、誠実であり続ける事が、自分の心地良い人生のためにも、自分の成長のためにも、「イノセントな人を上手く操作」するためにも、とても有益だと経験的に(偏見に満ちた狭くとぼしい経験ですけど)気づいたという事です。だから、「狡猾にも」そうしているだけだという事です。何よりも、それがラクですしね。
by 田部勝也 (2009-04-19 10:55) 

田部勝也

田部勝也です。
今回の件をきっかけに、「知的弱者」なりに、いろいろと考えてはいます。で、ネット上の批判活動について、自分が2つの強い傾向を持っている事に気づきました。それを書いてみます。

1つ目は、効果や結果に対する無責任さです。
自分がしているのは、いや、自分ができるのは、「この事実・この見方を知ってもなお同じ感情を抱けますか/同じ気持ちでいられますか」という問いかけだけである――と思いたがる強い傾向です。「誠実さで判断する/される事のコスト?【追記あり:09/2/21】」(↓)
http://k-tabe.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-1c3e.html
の冒頭に書いた「自己紹介」に端的に表れているので、そちらを読んでいただいたほうが早いのですけど、自分に興味のあるのは、自分の感情や知っている事実を提示する事だけであり、それに対する結果や効果は、自分以外の人が正しく判断する――望んだ効果が得られないのならば、それは自分が間違っている――という態度が顕著な気がしてきました。もっと言えば、「自分は問いかけはした。あとはそっち(他者や社会)の判断の問題だ」と、効果や結果に対する責任を丸投げする姿勢がとても強かったように思えてきました。

2つ目は、互いの拳や握手する手の届かない相手(マスコミが好きそうな言葉で言えば「互いの顔の見え」ない相手)に対して真剣になれない冷感さです。
たとえば、小泉純一郎の政策を批判するとき、小泉純一郎の心情や善意や面子などに心を砕いて言葉を選ぶ人は少ないと思うんですね。私にとって、ネット上の批判対象者と私との距離は、小泉純一郎と私との距離とあまり変わらない。それで「敵」を作る事にも、あまり頓着する気持ちが起きません。起きるべきなんでしょうけど、起きない事実は偽れない。
アドルフ・ヒトラーじゃないですけど、「“敵”がわれわれに対し嫌悪感を剥き出しにすればするほど、“敵”が世の中にわれわれを知らしめてくれる」という気分が心底にあるのかも知れないですね。よくわかりませんけど。で、1つ目の話に戻るのですけど、そうして、社会として人間として「正しい」ほうが生き残り「間違った」ほうが淘汰されるのですから、それで良いじゃないか……と。

要するに無責任なんですね。どこまでも無責任な自己満足という事です。
――さて、今後の身の振り方、どうしよう……。
by 田部勝也 (2009-04-19 11:01) 

Judgement

ざくっとレス。

>mizusumashi さんに対して反省するところがあるとは現在まで思っていません。

思い過ごしで良かった(ホッ)

>だからこそ、遠回しな訳の分からない一般論でお茶を濁すのではなく
>直接批判対象にして欲しいと述べました。
>自分に改善すべき点がある事だけを自覚させられて、
>具体的に何をどう改善すべきなのかさっぱり分からないというのは
>とても居心地が悪いですから。

 悪かったな、遠まわしで(笑)

 でもね、その「居心地の悪さ」を他人に”解消してもらう”というのは依存でしかないと思う。
 この間、あらびき団(大好き!)を見ていたら、ガリガリガリクソンのネタで、さんざん悪口めいたネタをやって、最後に「ですって」でしめていた。上手いと思ったけど、リアルでいたらムカツくわけで...。

 ひと言で言えば「自立できなければ批判なんてしちゃいけない」って事。
 (まぁ、実際は批判するのは個人の自由なんだけど)
 
>Judgement さんのような「知的強者」ならば、この「混沌として薄汚い世界」
>を「論の世界で勝ちを拾う手腕手管」を駆使して生き延びていくのでしょう。

うーん、「知的強者」は否定しないけど(しないんだ!)
「論の世界で勝ちを拾う手腕手管」じゃないんだなぁ
「論の世界での勝ち」とかあんまり魅力無いし、
言葉は、ソナーのようなもの。
その反応により色々な事を確かめる事が目的。

田部さんは、どんな反応があるかわくわくして言葉を発してますか?
自分の望む反応だけを求めるなら、それは堂々巡りの言葉の無駄遣いだと思う。

>誠実であり続ける事です。
>だから、「狡猾にも」そうしているだけだという事です。
>何よりも、それがラクですしね。

それが、自分にとって最良であると思うならそれでいいのでは。
自分の人生だもの。
ただし、自分の責任で、自分のために誠実にしてください。
誠実であれば、誠実にしてもらえるかも、と期待するのはいいけど
誠実であるのに、誠実にされない事を不満に思ってはいけない。
それは、「誠実」を取引材料とした、他人の人生への割り込み
そういう不誠実さは、結構看破されちゃいます。

>私はいま、Judgementさんを「上手く操作」できたと思っていますよ。

そう思っていただければ、今後もやりやすい...(フフフ)

>今回の件をきっかけに、「知的弱者」なりに、いろいろと考えてはいます。
>で、ネット上の批判活動について、自分が2つの強い傾向を持っている事に気づきました。

気付いてどうするかは、本人次第。
それでいいやと思うならそれでいいし
それがいやならどうしたいか自分で決めなきゃならないわけで。

なんかカウンセリングっぽいなぁ
でも実は、こんな突き放した一見不誠実な対応こそ
最も相手の事を考えた誠実な対応だったりするしね。

今後の身の振り方については、感知できませぬ。
by Judgement (2009-04-25 00:55) 

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