Judgement [ここに来た皆さんへ]
さて、なんか前々々々々回の話になってしまったけれど、Judgementの名前を冠した意味を...そんなに引っ張って話すようなものでも無いのですが、参考までに。
その前に、Interdisciplinaryな掲示板のABOFAN関連以外のものをつらつらと眺めていたら、こんなやりとりが...
TAKESANさん
『後、続きを書く際に、揶揄する表現は、なるべく控えて頂ければ助かります。「毒を抜いたJさん」をイメージしてもらえると良いかと。』
ちがやまるさん
『(「毒を抜いたJさん」をイメージしてもらえると良いかと。)に対し』 わたしの脳の回路が何故かずっと考え込んだきりになってしまい、何のイメージも返してくれないんですけど。』
...?
....??
......!!!
なんだとこら、ちがやまる!(呼び捨て)
私はビーフ100%ならぬ、毒100%か!
毒だのサソリムチだの、散々な言われようじゃないか!
...なんてね。
本当は意図的に「毒」を感じるように振舞っているつもりなので、人から見てもそう見える点が分かって、実は非常に嬉しかったりします。
(実際は「虫も殺せぬ優しい私」である事も、お察しの上での発言だと思います。笑)
【Judement】
で、「Judgement」の寓意につながるわけです。
前々々々々回の記事で薄々お察しと思いますが、Judgementの名を冠した私は、強いて(笑)破壊の属性を纏っています。
まぁ、できれば今後はそれを踏まえて、「毒人間」ではなく(そこまで言ってない)、「破壊の天使」とでも呼んでいただければ幸いです(美化の強要)。
私は「毒無し」に振舞う事もできます(えっ!?と思った人は、kikulogの「血液型と性格」に私が登場したての頃を見てみて下さい)。で、「毒無し」に振舞うのも、実はそれなりの狙いがあったわけで、「毒有り」に振舞うのも、やはり狙いがあるわけですね。
では、何故「毒人間」、もとい、「破壊の天使」(笑)として振舞うのか。
皆さんが真っ先に予想するのは「毒をもって毒を制す」でしょう。
しかし、そうではありません。
「言動からのABOFAN評 ~その3~」で述べたように、私にとってABOFANクンは「毒」ではなく、「毒を持っているように見せかける事で必死に生き延びようとする弱い生き物」でしかない、と私は考えているからです。
【毒と擬態】
ちょっと話が変わります。
生物の持つ毒には2種類あります。
ひとつは「麻痺させる毒」、もうひとつは「痛みや苦しみを与える毒」です。
前者は、捕食するためのもの。後者は、身を守るためのものです。
そして毒を持つ生物に似せる擬態は、「大抵身を守るためのもの」です。
ABOFANクンの擬態(「突然難しい単語を用いる」とか、「知らない人では話しにならない」と言ったりする事)は、「対話を断ち切り、それ以上の言及を回避するための方便」として用いられる点で、「我が身を守るため」のものと考えられます。
その擬態は、丁寧に発言を追っていけば看破できるものなのですが、それをさせないためにか、ABOFANクンは「言動からのABOFAN評 ~その1~」で示したように、スパムかワームのように振る舞う事で、徹底的な物量作戦を展開させ、話を追いにくくします。
いわば、「木を隠すなら森の中」ですね。
【物量作戦の真実】
私は当初、ABOFANのHPや、掲示板のやり取りを見て、『内容はともかく、量がすごい』と感じていた時期もありましたが、詳細に見るとなんて事は無い、「言動からのABOFAN評 ~その2~」で評したように、「TVに話しかける人」が如き、頭をほとんど働かせないでも書ける代物。
「人に向かって勝手な独り言を平気で言える」という“羞恥心の欠如”さえあれば、誰でもものの数分で書ける文章である点を考えれば、実際は感心するような量でもない、というように今は感じています。
で、私の狙っているのは、ABOFANクンのそういった文章を徹底的に破壊してしまう事と、そういった文章を増産させないために「麻痺」させる事です(そのための破壊のラッパの音となるべく、あるいは悪魔やエセ預言者を打ち砕く鉢となるべく、言葉を使っているのがJudegement)。
そのためには、「毒無し」では力不足です。
経験上、この手の人には(M君の悲劇参照)、半端な優しさは...
「でも、○○じゃないんですか…」とう質問攻めによる時間稼ぎや
「でも、私の解釈ではそうではないはずです…」という言い訳の繰り返しや
「情報有難うございます。でも、私は違うと考えます...」という都合の良い相対化
...等の“逃げ”を誘発するだけの、エンドレスパターンです。
【麻痺毒】
ABOFANクンにとっての“相手の主張”とは、「相手を理解するために読むもの」ではなく、「自分に都合の良い解釈ができるものがないか探すためのもの」であると考えましょう。
まずは、逃げ場を無くしましょう。
あらかじめ「いつものABOFANクンの逃げ方」を記述し、それがダメな理由を書いておきました。
また、ABOFANクンお得意の「私の質問に答えてくれないので、相互主義により私も答えません」という、良く分からない“逃げ道”も使わせないために、バカバカしいと思いつつ、ABOFANクンの問いには全て答えました。
その上で、解釈の余地が無いくらい、詳細に説明しました。
念入りに逃げ道を塞いだ上での仕上げが「毒」です。
「こんな奴に“ホラやっぱりそうしたのね、フフフ”なんて言われたくない」
という気持ちが生まれれば、迂闊に「既に指摘された逃げ道」には逃げられません。
万一懲りずに「逃げ」ても、私が高飛車な態度を取っている事で、どんなに体裁を繕おうとしても、「負け犬の遠吠え」にしか見えなくなる、という効果もあります。
しかも、「自尊心」を傷つけられる罵詈雑言を浴びせかけられるわけですから、背を向けるわけにはいきません。
このように、ABOFANクンの「認知的不協和」を効果的に高める手法が「毒」なのです。
【認知的不協和】
さて、逃げ場が無くなるとどうなるか?
動けない、つまり「沈黙」しか無くなるのですね。
そう、私の“毒”は、「捕食用」。基本は「相手を麻痺させる」事に主眼を置いたものなのです(「痛みや苦しみ」も合わせて与えているかもしれないけれどね)。
で、このあたりの作戦によるABOFAN暴走の沈静化は、ABOFANのHPでのやりとりでも成功し、以降も掲示板上で成功しています。
また、あれだけ「掲示板への乱入」がお好きなABOFANクンも、一番メチャクチャ言っている当ブログには全くと言っていいほど顔を出さないのも、「ABOFANクンに苦手意識を植え付けさせる事に成功している兆候」なのかなと思っています。
※彼は最近私のブログを見ていない旨発言して「ウソだろ」と思いましたが、わざわざ解消できない「認知的不協和」を生じさせるくらいなら、見ない方がマシでしょうから、ホントに見ていないのかもしれませんね。
しかし、この「麻痺状態」は、ABOFANクンにとって非常にストレスなんですね。
相手がスルーすると、まるで「自分が正しいからだ」と言わんばかりの態度を取るという、彼の思い描く勝手な「優位性」を根本を否定せざるを得ないものになるわけですから。
(もしかしたら「認知的不協和」を解消するために、「まともに考え、論述する事」ができるように生まれ変わるかもしれない、というのが私の彼に対して抱くわずかな希望)
まぁ、掲示板では私のコメントをなるべく無視しつつ、他の人のコメントにかこつけて物量作戦をとり、「沈黙している自分」を、ゴミコメントの山の中に埋めて隠そうとしているようですが、まぁ現状ではそれでも仕方が無いでしょう。
だけど、ABOFANクンの失態がコメントの山に埋められたとしても、Judgemetがその毒を持ってインパクトのある存在を示しておく事で、ギャラリーに対する次のような効果も狙えます。
【ギャラリーへの効果】
ABOFANクンの擬態に、「ろくに説明しないまま、“偉そうに”相手が知識不足であるとか、間違っているというレッテルを貼ろうとする」というのがあります。
良く読めばABOFANクンは「何の根拠も無く偉そうにしているだけ」というのは誰でも分かるのですが、「偉そうな態度」だけで『まさか根拠無くそこまで偉そうにはしないだろうから本当にABOFANクンが正しいのかも』と錯覚する方もいるかもしれません。
いわゆる、「態度」によるアドバンテージですね。
そこに、それ以上に“偉そう”であり、相手(ABOFANクン)が知識不足であるとか、間違っているといレッテルを貼りつける人が登場し、なおかつ「そのレッテルが妥当である根拠」をとうとうと説明してみせれば、おのずとギャラリーは「比較」します。
「偉そう」なのがABOFANクンだけの状況であれば、「態度による評価」を下してしまう危険がありますが、より「偉そうな人」の登場により、ABOFANクンの「態度」によるアドバンテージを消失させるわけです。
と同時に、ギャラリーの視点は「説明力による評価」に移行し、ABOFANクンが「何も説明できていない」事を看破しやすくなる事も期待されます。
言葉を変えるならば「人に対する批判の見本」を示して見せる事で、相対的に”ABOFANクンがいかに足りないか”を浮き彫りにするんですね。
とはいえ、度が過ぎると、ギャラリーへ不快感や反感を与えるという逆効果も十分予測できます。
まぁ、それでも「不快感があるけど、間違った事は言っていない」という印象付けができれば、またABOFANクンが私と比較され、「不快感がある上に、何も言っていない」事が浮き彫りになるわけです。
そのためには、なるべく説明は正確に、丁寧にする必要があります。
高飛車であるために、(まだ足りないかも知れませんが)言及は非常の慎重にしなくてはならないのが、面倒くさいですが...。
(そのあたりが、都合悪くなれば撤回すればいいやという感じで反射で発言するようなABOFANクンとの根本的な違いですね)
【おわりに】
まぁ、Interdisciplinaryな掲示板では、何度かたしなめられたりしているので、一応TPOをわきまえなければいけないな、と思いつつ「たしなめられた」という状況を上手く利用した効果的なアプローチも色々と考えています。
とりあえず、人によって「不謹慎」と取られかねないどぎつい評論は、他では控える事にしますが、もしあちらでABOFANクンが「勝利宣言」を出してきたら、またいじめに行きたいと思いますので、その時は皆さん教えてください。
その前に、Interdisciplinaryな掲示板のABOFAN関連以外のものをつらつらと眺めていたら、こんなやりとりが...
TAKESANさん
『後、続きを書く際に、揶揄する表現は、なるべく控えて頂ければ助かります。「毒を抜いたJさん」をイメージしてもらえると良いかと。』
ちがやまるさん
『(「毒を抜いたJさん」をイメージしてもらえると良いかと。)に対し』 わたしの脳の回路が何故かずっと考え込んだきりになってしまい、何のイメージも返してくれないんですけど。』
...?
....??
......!!!
なんだとこら、ちがやまる!(呼び捨て)
私はビーフ100%ならぬ、毒100%か!
毒だのサソリムチだの、散々な言われようじゃないか!
...なんてね。
本当は意図的に「毒」を感じるように振舞っているつもりなので、人から見てもそう見える点が分かって、実は非常に嬉しかったりします。
(実際は「虫も殺せぬ優しい私」である事も、お察しの上での発言だと思います。笑)
【Judement】
で、「Judgement」の寓意につながるわけです。
前々々々々回の記事で薄々お察しと思いますが、Judgementの名を冠した私は、強いて(笑)破壊の属性を纏っています。
まぁ、できれば今後はそれを踏まえて、「毒人間」ではなく(そこまで言ってない)、「破壊の天使」とでも呼んでいただければ幸いです(美化の強要)。
私は「毒無し」に振舞う事もできます(えっ!?と思った人は、kikulogの「血液型と性格」に私が登場したての頃を見てみて下さい)。で、「毒無し」に振舞うのも、実はそれなりの狙いがあったわけで、「毒有り」に振舞うのも、やはり狙いがあるわけですね。
では、何故「毒人間」、もとい、「破壊の天使」(笑)として振舞うのか。
皆さんが真っ先に予想するのは「毒をもって毒を制す」でしょう。
しかし、そうではありません。
「言動からのABOFAN評 ~その3~」で述べたように、私にとってABOFANクンは「毒」ではなく、「毒を持っているように見せかける事で必死に生き延びようとする弱い生き物」でしかない、と私は考えているからです。
【毒と擬態】
ちょっと話が変わります。
生物の持つ毒には2種類あります。
ひとつは「麻痺させる毒」、もうひとつは「痛みや苦しみを与える毒」です。
前者は、捕食するためのもの。後者は、身を守るためのものです。
そして毒を持つ生物に似せる擬態は、「大抵身を守るためのもの」です。
ABOFANクンの擬態(「突然難しい単語を用いる」とか、「知らない人では話しにならない」と言ったりする事)は、「対話を断ち切り、それ以上の言及を回避するための方便」として用いられる点で、「我が身を守るため」のものと考えられます。
その擬態は、丁寧に発言を追っていけば看破できるものなのですが、それをさせないためにか、ABOFANクンは「言動からのABOFAN評 ~その1~」で示したように、スパムかワームのように振る舞う事で、徹底的な物量作戦を展開させ、話を追いにくくします。
いわば、「木を隠すなら森の中」ですね。
【物量作戦の真実】
私は当初、ABOFANのHPや、掲示板のやり取りを見て、『内容はともかく、量がすごい』と感じていた時期もありましたが、詳細に見るとなんて事は無い、「言動からのABOFAN評 ~その2~」で評したように、「TVに話しかける人」が如き、頭をほとんど働かせないでも書ける代物。
「人に向かって勝手な独り言を平気で言える」という“羞恥心の欠如”さえあれば、誰でもものの数分で書ける文章である点を考えれば、実際は感心するような量でもない、というように今は感じています。
で、私の狙っているのは、ABOFANクンのそういった文章を徹底的に破壊してしまう事と、そういった文章を増産させないために「麻痺」させる事です(そのための破壊のラッパの音となるべく、あるいは悪魔やエセ預言者を打ち砕く鉢となるべく、言葉を使っているのがJudegement)。
そのためには、「毒無し」では力不足です。
経験上、この手の人には(M君の悲劇参照)、半端な優しさは...
「でも、○○じゃないんですか…」とう質問攻めによる時間稼ぎや
「でも、私の解釈ではそうではないはずです…」という言い訳の繰り返しや
「情報有難うございます。でも、私は違うと考えます...」という都合の良い相対化
...等の“逃げ”を誘発するだけの、エンドレスパターンです。
【麻痺毒】
ABOFANクンにとっての“相手の主張”とは、「相手を理解するために読むもの」ではなく、「自分に都合の良い解釈ができるものがないか探すためのもの」であると考えましょう。
まずは、逃げ場を無くしましょう。
あらかじめ「いつものABOFANクンの逃げ方」を記述し、それがダメな理由を書いておきました。
また、ABOFANクンお得意の「私の質問に答えてくれないので、相互主義により私も答えません」という、良く分からない“逃げ道”も使わせないために、バカバカしいと思いつつ、ABOFANクンの問いには全て答えました。
その上で、解釈の余地が無いくらい、詳細に説明しました。
念入りに逃げ道を塞いだ上での仕上げが「毒」です。
「こんな奴に“ホラやっぱりそうしたのね、フフフ”なんて言われたくない」
という気持ちが生まれれば、迂闊に「既に指摘された逃げ道」には逃げられません。
万一懲りずに「逃げ」ても、私が高飛車な態度を取っている事で、どんなに体裁を繕おうとしても、「負け犬の遠吠え」にしか見えなくなる、という効果もあります。
しかも、「自尊心」を傷つけられる罵詈雑言を浴びせかけられるわけですから、背を向けるわけにはいきません。
このように、ABOFANクンの「認知的不協和」を効果的に高める手法が「毒」なのです。
【認知的不協和】
さて、逃げ場が無くなるとどうなるか?
動けない、つまり「沈黙」しか無くなるのですね。
そう、私の“毒”は、「捕食用」。基本は「相手を麻痺させる」事に主眼を置いたものなのです(「痛みや苦しみ」も合わせて与えているかもしれないけれどね)。
で、このあたりの作戦によるABOFAN暴走の沈静化は、ABOFANのHPでのやりとりでも成功し、以降も掲示板上で成功しています。
また、あれだけ「掲示板への乱入」がお好きなABOFANクンも、一番メチャクチャ言っている当ブログには全くと言っていいほど顔を出さないのも、「ABOFANクンに苦手意識を植え付けさせる事に成功している兆候」なのかなと思っています。
※彼は最近私のブログを見ていない旨発言して「ウソだろ」と思いましたが、わざわざ解消できない「認知的不協和」を生じさせるくらいなら、見ない方がマシでしょうから、ホントに見ていないのかもしれませんね。
しかし、この「麻痺状態」は、ABOFANクンにとって非常にストレスなんですね。
相手がスルーすると、まるで「自分が正しいからだ」と言わんばかりの態度を取るという、彼の思い描く勝手な「優位性」を根本を否定せざるを得ないものになるわけですから。
(もしかしたら「認知的不協和」を解消するために、「まともに考え、論述する事」ができるように生まれ変わるかもしれない、というのが私の彼に対して抱くわずかな希望)
まぁ、掲示板では私のコメントをなるべく無視しつつ、他の人のコメントにかこつけて物量作戦をとり、「沈黙している自分」を、ゴミコメントの山の中に埋めて隠そうとしているようですが、まぁ現状ではそれでも仕方が無いでしょう。
だけど、ABOFANクンの失態がコメントの山に埋められたとしても、Judgemetがその毒を持ってインパクトのある存在を示しておく事で、ギャラリーに対する次のような効果も狙えます。
【ギャラリーへの効果】
ABOFANクンの擬態に、「ろくに説明しないまま、“偉そうに”相手が知識不足であるとか、間違っているというレッテルを貼ろうとする」というのがあります。
良く読めばABOFANクンは「何の根拠も無く偉そうにしているだけ」というのは誰でも分かるのですが、「偉そうな態度」だけで『まさか根拠無くそこまで偉そうにはしないだろうから本当にABOFANクンが正しいのかも』と錯覚する方もいるかもしれません。
いわゆる、「態度」によるアドバンテージですね。
そこに、それ以上に“偉そう”であり、相手(ABOFANクン)が知識不足であるとか、間違っているといレッテルを貼りつける人が登場し、なおかつ「そのレッテルが妥当である根拠」をとうとうと説明してみせれば、おのずとギャラリーは「比較」します。
「偉そう」なのがABOFANクンだけの状況であれば、「態度による評価」を下してしまう危険がありますが、より「偉そうな人」の登場により、ABOFANクンの「態度」によるアドバンテージを消失させるわけです。
と同時に、ギャラリーの視点は「説明力による評価」に移行し、ABOFANクンが「何も説明できていない」事を看破しやすくなる事も期待されます。
言葉を変えるならば「人に対する批判の見本」を示して見せる事で、相対的に”ABOFANクンがいかに足りないか”を浮き彫りにするんですね。
とはいえ、度が過ぎると、ギャラリーへ不快感や反感を与えるという逆効果も十分予測できます。
まぁ、それでも「不快感があるけど、間違った事は言っていない」という印象付けができれば、またABOFANクンが私と比較され、「不快感がある上に、何も言っていない」事が浮き彫りになるわけです。
そのためには、なるべく説明は正確に、丁寧にする必要があります。
高飛車であるために、(まだ足りないかも知れませんが)言及は非常の慎重にしなくてはならないのが、面倒くさいですが...。
(そのあたりが、都合悪くなれば撤回すればいいやという感じで反射で発言するようなABOFANクンとの根本的な違いですね)
【おわりに】
まぁ、Interdisciplinaryな掲示板では、何度かたしなめられたりしているので、一応TPOをわきまえなければいけないな、と思いつつ「たしなめられた」という状況を上手く利用した効果的なアプローチも色々と考えています。
とりあえず、人によって「不謹慎」と取られかねないどぎつい評論は、他では控える事にしますが、もしあちらでABOFANクンが「勝利宣言」を出してきたら、またいじめに行きたいと思いますので、その時は皆さん教えてください。
なるほど、そこでタロットの最後の審判のカード・・・どこらへん?
今回の話からは、Judgementさんは(主と)サタンの役どころな感じがします。
すると、HNはLuciferとか。
でもABOFANさんがヨブとかに喩えられるのはヤだなぁ。
by トンデモブラウ (2009-02-10 23:57)
ダメな人のあぶり出しと、あぶり出した後の殲滅
と考えていただければ。
by Judgement (2009-02-11 23:58)