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コントロールの技法 [他ブログいっちょかみ]

 前回の「あまりにも酷い調査」の続きです(まだお読みになって無い方はこちらを先に)。
 先に「B型の人は英語が得意って本当?!」は、総体的に見て「素人丸出し」の記事と言えるでしょう。
 しかし、私はその記事の各所に、『違和感』を感じたのです。


 なお、これはTAKESANさんの記事に付けたコメントの続きにもなっていますので、同じ記事に同じblogから3つもTBを張るのはどうかとも思ったのですが、一応TB送っておきます。
 迷惑だったらごめんなさい。
(ちなみに、コメントで「2割5分」を「2割5部」と書いてしまいました。この場を借りて訂正しておきます)


【背景】

 まず、背景を明らかにしましょう。

 この記事はAllAboutというサイト(私が見たところでは、「プロによる情報提供サイト」という名目で、情報を提供する代わりに企業PRや販促をする事を目的としているような感じでした)に掲載されていたものです。
 AllAboutはカテゴリ毎に「ガイド」なる記者兼案内人のような人がいて、この記事も、古賀和歌子さんという方が書いている事になっています。
 ガイドとは、応募により採用された「その道のプロ」という設定で、一応AllAboutから報酬をもらっています(微々たるものですが)。そして、ガイドには『担当プロデューサー』がつき、サイトのコンテンツに関わるアドバイスやサポートを行い、全面的にガイドをバックアップするそうです。
 で、古賀さんは、「ビジネス」という大カテゴリ内の、「語学」という中カテゴリにおける『英語の学び直し』という小カテゴリにおけるガイドさんです。
 経歴を見ると、現在自宅で子ども英語サークルを主催したり、親子英語の本を出したりしている方のようですが、「そのアピールのため」といった“営利臭”は特に無く、本当に趣味の延長としてガイドをやっているという印象は受けました。

 「別にそこまで詳しい情報は知らなくても...」と思った方もいるかもしれませんが、後々この情報が効いてきます。
 まぁ、読み流しても結構ですが。


【違和感】

 さて、古賀さんの意味不明な調査方法や飛躍しすぎな結論は、あからさまに“ダメ”な部類に入るものであり、そんなのを平気で記事にする点で「ド素人」であるのが明らかです。
 忌憚無くいえば「何も考えずに、行動したり言葉にしたりする人」ですね。

 ...なのですが、記事を読むと、時たま「印象操作の玄人」的な『姑息で周到な言い繕い方』が見受けられるのです。
 例えば、前回の記事で触れた
 「必ずしも英語力の高い人だけが投票したとは限りません」
 「アンケートにより~。ここからはガイドの分析です。」
 「血液型による性格診断自体、科学的根拠がないという主張も根強くあります。」
 というものがそうです。

 しかし、古賀さんという人が、そのような言い回しを思いつくような周到さを持ち合わせているのであれば、こんなにも雑な調査方法やデータや結論を出す事はしないだろう、という疑念が、私の違和感を生んでいます。


【影の校閲者?】

 おそらく、この記事は全て古賀さんが書いたものではなく、『影の校閲者』が介在しているものと思われます。そして、それは冒頭で触れた「ガイドの担当プロデューサー」だと睨んでいます。
 モチロン、ド素人の記事を「企業PR」という大事な『商売の場』にそのまま掲載するなんて危険極まりないので当然と言えば当然なのですが、少なくともこの古賀さんの『影の校閲者』について特筆すべき特徴は「どんなクズデータでも、印象操作して大層なものに見せかけるプロ」の臭いがプンプンする、という事です。
 例えるならば、新聞に折り込まれている怪しげな健康食品の検証記事とかを手がけていそうな感じ。

 ある意味幸いだったのは、古賀さんの天然っぷりが、この「印象操作のプロ」の力量をもってしても修正しきれない代物だったから、うっかり信じて込んでしまうような記事にはならなかった事ですね。

 「思い過ごし」とか「話を面白くするため大げさに言っているんじゃないの」とか思う方もいるかもしれませんが、私は高い確率で当たっていると思いますよ。
 素人の文章ゆえに表現がおかしくなったり、表記ゆれしたにしては、それらが与える印象が偶然と考えるにはあまりにも都合よくミスリードを誘導するよう機能しているからです。
 でも、あんまり強く言って、陰謀論者のように『電波入っている』と言われるのも癪なので、「かもしれないね」で留めておくケドね。
 
 まぁ、意図的にせよ偶然にせよ、「プロの手口」そっくりである点で、うってつけのサンプルだと思いますので、一応「意図的なものであるとするならば」と“仮定”して、今後みなさんが怪しげな広告や記事に騙されないための礎として、その手口の種明かしをしておきます。


【基本となる傾向】

 基本的に彼らは「嘘」は付きません。
 データや情報を捏造するのが一番手っ取り早くて楽なのですが、万一捏造がばれれば、申し開きの余地が無くなってしまうからです。

 ではどうするかというと、「事実」を正確に示すのではなく、「事実」も含むけどもより大枠の表現をし、かつその枠は「読者に思い込ませたい」方向にのみ広げるのです。
 事実を「点」とすれば、それを含む「円」で示すけれど、その際に、「点」が円の中心ではなく、円周ギリギリに含まれる状態になっている、という感じです。

 例えば「必ずしも英語力の高い人だけが投票したとは限りません」は、「英語力の高い人だけが投票した」という状況だけを否定しているわけですから、その領域には『英語力の高い人は全く投票しなかった』事もちゃんと含まれています。
 しかし、読んだ人はおそらく「英語力の高い人が投票者の大部分なんだ」と錯覚してしまいがちです。
 しかも、読者にしてみれば『この人は本当は「英語力の高い人だけが投票した」と言いたいところだろうに、正直に欠点は言うんだなぁ』と感じ、“公正な人”というイメージを受け取ってしまうのです。

 このように、嘘にはならないギリギリの線で表現を操作し、都合の言い方向にミスリードさせようと、色々仕掛けてくるのです。


【表現のブレによる積極的な印象評価】

 まずは、例の記事からの引用を読んでみてください。
図2の「差」に注目してください。A型は-9ポイント、B型は+5ポイント、AB型は+4ポイントの差が出ました。O型は差がありませんでした。


 「差の大きさ」について、どのような印象を持ちましたか?
 では次に、私が表現を変えた文章を読んでみてください。
図2の「差」に注目してください。A型は9%減、B型は5%増、AB型は4%増でした。O型は差がありませんでした。


 ちなみに、元の集計結果は全てパーセントで示されています。その差を算出しているのですから、普通に「%」で示せばいいのに、例の記事ではいきなり『ポイント』と単位が変わってしまっているのです。

 で、どうだったでしょう?
 「パーセント」で示された場合よりも「ポイント」と言われた場合の方が大きな差のように感じませんでしたか?

 日常で「ポイント」をよく使う状況はクイズ番組でしょう。
 そこでは、バラエティでないかぎり「100ポイント先取」なんて大きな数は出てきません。大抵は1桁台のポイントを競い合います。そして、ほんの1ポイントの差が勝利を決める大きな差となります。5ポイントも先行されれば、まず逆転劇は望めません。

 そのため、「5%」と言った場合はすぐに「5/100」という小さな値に変換して考えられてしまうのに対し、「5ポイント」と言えば、あたかもそれが非常に大きな差であるように錯覚してしまう場合があるのですね。


【表現のブレによる消極的な印象評価】

 次は、例の記事からの別の引用です。
B型は日本人の2割という少数派にも関わらず、英語力の高い人の1/4を占めているのです。


 一見、何もおかしいところはありませんが、実はちょっとした罠がしかけられています。
 考えてみてください。構成比を示す言葉はいくつか有りますよね。ここで使われている「割分厘」や「何分の何」、あと「%」もそうです。
 ところで、上記の文は何故か表現が統一されていません。何ででしょう。

 その理由は『表現を統一』すれば、うっすらと分かり始めます。
 ・ B型は日本人の2割だが、英語力の高い人の2割5分を占めている。
 ・ B型は日本人の1/5だが、英語力の高い人の1/4を占めている。

 どうです?「なんだ、大した差ではないな」というイメージを受けませんか?
 例えば、『B型は日本人の20%という少数派にも関わらず、英語力の高い人の25%を占めている』と言われたら、「20%が少数派なら、25%だってやっぱり小数派じゃないか」って思いますよね。

 そうなんです、大した事の無い差である事を気付かせないために、あえて表記を揃えないで“比較しにくく”しているんです。
 その上で前者には「少数派」という表現をくっつけて過小評価を誘導し、後者には「占めている」という表現をくっつけて過大評価を誘導しようとしているわけです。


【まとめ】

 どうでしょう、気をつけないと怖いと思いませんか?
 
 紹介した手口は、「その場しのぎの思いつき」で考え付く事は難しいでしょう(私の感想としては「非常に手馴れている」印象です)。それが、古賀さんの技なのか、担当プロデューサーの技なのか、はたまた「単なる偶然」なのかは実際は分からないけども...(と、ここでは言っておきます)。
 もしも、担当プロデューサーの技とすれば、そんな事に手馴れているスタッフを抱えるサイト自体、すこし眉に唾して見る必要がありそうですが、どうなんでしょうね(とトボけておく)。


 とりあえず皆さん、「うさんくさい話なのに、なんとなくその気になる」といった場合、
 ・ 「広く取れる表現」の中で、実際のところ言える事実はどこに位置しそうか
 ・ 表記方法がいつの間にか変わっている所が無いか
 ・ 形容詞を外して読んでも納得できるか
 ・ それは客観的事実か、それとも書き手の思惑や憶測が含まれたものか

 あたりに注意して読み返すといいでしょう。
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TAKESAN

(So-netのエラーが出たので、2回目のトライ。重複してたらすみません)

今晩は。

僭越ながら、補足をば。

「ポイント」ですが、前年との比較なんかの場合には、%をそのまま用いるより適切な場合がありますよね。たとえば、前年が50%で、今年は「5%上がった」といった場合、50%→55%なのか、50%→52.5%なのか、区別がつきづらい、という。「5ポイント上がった」、なら、単位が%だから、明確ですね。
まあ、一般的には、前者のような見方はそんなにしない気もしますけれど…。

もちろん元記事は、それ以前の話で、論外of論外ですけれども。
by TAKESAN (2008-11-23 02:36) 

Judgement

重複してませんよ。そして情報ありがとうございます。
なるほど、そういう用例もあるんですね。
だとしたらば、その件は深読みだったかも。

でも、経年変化ならともかく、質的に差異の有る集団を比較するのには適切でないような感じもしますね。
by Judgement (2008-11-24 00:10) 

トンデモブラウ

私もTAKESANさんと同じ印象を持ちました。
%表記の数字の増減は、分母(母集団)が違うと、そのままの差で表記するわけにもいかないのかなと。
割合なので。
無次元の表現なんでしょうけど、「ポイント」という言い方も、ちょっと気になります。(ニュースとかで)
何かもっとましな言い方はないのでしょうか。(>統計学)
by トンデモブラウ (2008-11-26 14:19) 

Judgement

 あらためてWikiで見てみると、「 統計において、百分率の数値の変動をあらわすための単位。パーセンテージ・ポイントともいう。」だそうで。
 用例を見ると、「同集団におけるパーセンテージの推移(支持率とか価格とか)」だったりするから、違う母集団、あるいは重合するけど一致はしない母集団のパーセンテージの「違い」に「ポイント」を使うのは、少なくとも誤用ではないのなぁ。
 だって、100人の集団内で10ポイント変化、なら「10人が変化した」って判断できるけど、10000人の集団と100人の集団で10ポイントの差が有るって言われても、何がどれくらい変化したのか、全然明らかにならない気がします。

by Judgement (2008-11-29 00:16) 

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