「~型自分の説明書」が売れるワケ [思い付き]
仕事だ出張だ、ブラウザのトラブルだ(未だにNetscape)で暫くblogを放っておいてしまった。
(しかし、目を離すとすぐねじ込んでくるエロTBはいったい何なんでしょうね。)
ちょっと気を抜いて(手を抜いて?)思った事をつらつらと書いてみたいと思う。
まず、血液型性格判断は...おっと、「判断」を使うとおかしな語に変換してしまう御仁もいる事だから、”血液型を基に性格を推し量る事”として、『血液型性格推定』とでも言っておきましょう。
『血液型性格推定』を妥当性のあるものと捉える風潮自体は、(主に能見氏によって)日本という土壌に深く広く根を下ろしているけれど、常に地上に葉を広げ、花を咲かすわけではなく、ある程度のスパンで盛衰を繰り返している印象を受けます。
そして、現在はまた”流行”の期間に入り始めたような印象です。
その代表が「~型自分の説明書」。
コンビニでパラパラとめくってみた程度なので、内容については特に言及できませんし、『こんな本が流行る風潮は危険だ』とか目くじら立てる気もありません。
面白いと思ったのは、過去は『血液型』はどちらかといえば他者を評価するツールであったのに対し、これは『読者自身の血液型』がターゲットとなっている点。
その原因を「対人関係の希薄さ」とか「自分探しの傾向」とか、小難しく語ることもできそうですが、私は単に、ついこないだまでお笑い界で(今も?)流行であった、『あるあるネタ』としての受け入れ方なんだと睨んでいます。
上手いな。と思うのは、一冊に全ての血液型を網羅するのではなく、血液型別に出した事。
確かに、自分の血液型でない話は『あるあるネタ』として共感は生まれないから、購入者の血液型に関する記述以外不要という点も有るでしょうし、アイデンティティもくすぐります。
【余談】そういえば書店で「○月生まれの赤ちゃんの本」とかいうのを見かけた時も、『ああ、上手いな』と思った。赤ちゃんというのは普遍的な存在だけど、親にしてみれば極めて特異な存在なわけで、その特異さを把握するためには、単なる「赤ちゃんの本」よりも、より自分の子供の属性に近くアプローチしたものを求めるのが親心というものでしょう(もちろん、四季の寒暖の変化における成長の段階に適した対応が詳細に分かるという点で実用性も高い)。
その上で、私が考える”売れた原因”は、タイトルが個別の血液型を示す事。
「その本を持っていれば」結果的に自分の血液型を示すツールにもなるからだと考えています。
この本のキーワードは『自分と同じ血液型の人に対する共感』だと思います。
そんな共感を求める人がこの本を買っているとすれば、そんな人が次に求めたがるのは
”自分と同じ血液型の人との『自分と同じ血液型の人に対する共感』に対する共感”
...ややこしいですが
『同じ血液型の人と同じ情報を共有した上で生まれる共感』も求めるという事です。
この本は「血液型別」にした事で、このニーズにまで答えられるわけです。
本のタイトルは、同じ血液型の人に「私はあなたと同じ血液型ですよ」と言う事を知らせると同時に、その本に興味を持ってくれた人は高い確率で”同じ血液型”と推測できるというリトマス試験紙の役割も持ちます。
「あ、その本何?ちょっと見せて」
「いいよ。あ、もしかしてA子はX型?」
「そうよ。っていうか、あなたもX型なんだ」
「うん。けっこう面白いよこの本。例えばこれなんかさ」
「あ~、あるある、私もそうだぁ」
「でしょぉ。」
こんな、生暖かい会話が頭に浮かびます。
『こんな本を立ち読みしている所を見られたら...』
って恥ずかしくなって、すぐ本棚に戻した私にはあまり関係の無い話だけど....。
(しかし、目を離すとすぐねじ込んでくるエロTBはいったい何なんでしょうね。)
ちょっと気を抜いて(手を抜いて?)思った事をつらつらと書いてみたいと思う。
まず、血液型性格判断は...おっと、「判断」を使うとおかしな語に変換してしまう御仁もいる事だから、”血液型を基に性格を推し量る事”として、『血液型性格推定』とでも言っておきましょう。
『血液型性格推定』を妥当性のあるものと捉える風潮自体は、(主に能見氏によって)日本という土壌に深く広く根を下ろしているけれど、常に地上に葉を広げ、花を咲かすわけではなく、ある程度のスパンで盛衰を繰り返している印象を受けます。
そして、現在はまた”流行”の期間に入り始めたような印象です。
その代表が「~型自分の説明書」。
コンビニでパラパラとめくってみた程度なので、内容については特に言及できませんし、『こんな本が流行る風潮は危険だ』とか目くじら立てる気もありません。
面白いと思ったのは、過去は『血液型』はどちらかといえば他者を評価するツールであったのに対し、これは『読者自身の血液型』がターゲットとなっている点。
その原因を「対人関係の希薄さ」とか「自分探しの傾向」とか、小難しく語ることもできそうですが、私は単に、ついこないだまでお笑い界で(今も?)流行であった、『あるあるネタ』としての受け入れ方なんだと睨んでいます。
上手いな。と思うのは、一冊に全ての血液型を網羅するのではなく、血液型別に出した事。
確かに、自分の血液型でない話は『あるあるネタ』として共感は生まれないから、購入者の血液型に関する記述以外不要という点も有るでしょうし、アイデンティティもくすぐります。
【余談】そういえば書店で「○月生まれの赤ちゃんの本」とかいうのを見かけた時も、『ああ、上手いな』と思った。赤ちゃんというのは普遍的な存在だけど、親にしてみれば極めて特異な存在なわけで、その特異さを把握するためには、単なる「赤ちゃんの本」よりも、より自分の子供の属性に近くアプローチしたものを求めるのが親心というものでしょう(もちろん、四季の寒暖の変化における成長の段階に適した対応が詳細に分かるという点で実用性も高い)。
その上で、私が考える”売れた原因”は、タイトルが個別の血液型を示す事。
「その本を持っていれば」結果的に自分の血液型を示すツールにもなるからだと考えています。
この本のキーワードは『自分と同じ血液型の人に対する共感』だと思います。
そんな共感を求める人がこの本を買っているとすれば、そんな人が次に求めたがるのは
”自分と同じ血液型の人との『自分と同じ血液型の人に対する共感』に対する共感”
...ややこしいですが
『同じ血液型の人と同じ情報を共有した上で生まれる共感』も求めるという事です。
この本は「血液型別」にした事で、このニーズにまで答えられるわけです。
本のタイトルは、同じ血液型の人に「私はあなたと同じ血液型ですよ」と言う事を知らせると同時に、その本に興味を持ってくれた人は高い確率で”同じ血液型”と推測できるというリトマス試験紙の役割も持ちます。
「あ、その本何?ちょっと見せて」
「いいよ。あ、もしかしてA子はX型?」
「そうよ。っていうか、あなたもX型なんだ」
「うん。けっこう面白いよこの本。例えばこれなんかさ」
「あ~、あるある、私もそうだぁ」
「でしょぉ。」
こんな、生暖かい会話が頭に浮かびます。
『こんな本を立ち読みしている所を見られたら...』
って恥ずかしくなって、すぐ本棚に戻した私にはあまり関係の無い話だけど....。
同じ内容の本をカバーとX型だけ変えて出してるとか・・・巧いね。
内容もバレる心配なさそうだし。
by ハリケーン (2008-11-18 10:33)
確かに。
A型本のB型版(内容はA型本、ただしすべてA型をB型に変えてある)
とかあると、友人をおちょくるのに使えそうだ。
by Judgement (2008-11-19 01:37)
>購入者の血液型に関する記述以外不要という点も有るでしょうし、アイデンティティもくすぐります。
星座別とか星別に出る星占いの本と同じですね。
あてはまるものだけ買われることを想定しているという……。
by apj (2008-11-29 02:11)
本文でも書きましたが、
「血液型ニーズ」が「他者理解」から「自己理解」へと
まさに”占い”的な方向に移行しているのでしょうね。
ちなみに、発行部数はやっぱり4:3:2:1に調整しているのでしょうかねぇ
by Judgement (2008-11-29 23:16)