ABO FANの主張とは~【基本編】編①~ [ABO FAN Blog]
さてさて、ABOFAN氏にとって、「定義」とは知っている事、思っている事をだらだらと垂れ流すという意味なのでしょうか?
驚きと呆ればかりの『「血液型と性格の関係」の定義』とやらに踏み込んでみます。
という事で「ABO FANの主張?」と、それに関連するHPの記事『[血液型と性格]の新・常識!?&入門 - 【新バージョン】』について、お次は基本編です。
(一応、いくつかに分けて書く予定)
で、なんつうか、「ABO FANの主張とは~【はじめに】編~」でオチを先に言っていたんですが、「定義」という言葉が繰り返し出てくるにもかかわらず、実際に定義できているのは辛うじて「血液型」のみという有様。
“「定義」とはどういう事かすら知らない”と言われる方がまだマシ。
知らないという事を知っているならば、それは知る事ができるということだから。
でも、実際とは非常に乖離した観念をもって「知っているつもりになっている」と言うのは非常に始末に終えないなぁ。
まぁ、「定義」の意味を知らない(というより“独自の解釈”をしている)人が、かっこつけて「定義しまぁ~す」と言い始めると、どれだけ頓珍漢な内容になるか覗いてみましょう。
【「血液型について」について】
特にヘンな記述は無いんでしょうが(知識の丸写しだろうし)、『基本編』のはずなのにもかかわらず、これから語ろうとする「血液型と性格の関係」の話では全く触れないような余分な知識まで延々と書いているのが、何か、森氏の『ゲーム脳の恐怖』における“脳トリビア”を彷彿とさせますね。
というか、「血液型の定義」ならば、「(特に断りがない限り)ABO式血液型を指す」ぐらいでいいのではないかと。肝心なはずの定義が、雑多なトリビアに埋もれてしまっている気が...
まぁ、「知っている事をただ書けばいい」時は非常に饒舌なようですが、もう一つの「性格」の方は?というとお寒い限りのようです。
【「性格の定義」について】
ありゃりゃ、「性格の定義は終了です」って...始まって無いのに終わりましたよ。
「定義」を端折って、『方法』の話に終始しています。
(ABOFAN辞書では「定義=方法を示す事」なのでしょうか?)
早い話が、ここでは「単に心理学者が性格検査のデータを使うやり方を真似ている」と主張しているだけです。
「性格心理学での性格の定義もいろいろある」と言ったくせに、「そのいろいろの定義のうちのどれに従うか」には一切触れず、いきなり「性格検査のデータを使う」ですから、性格の定義そっちのけで「自分の使いたいものを使う」といった結論に性急に飛びついている感じがアリアリです。
本来ならば、キチンと「性格」の定義をした上で、『その定義における「性格」を計測するのには、これこれの理由で「性格検査(特にYGやNEO-PI-R)」が適切と言える。』といった事を論理立てて言えるはずなんですね。
ぶっちゃけ「YGやNEO-PI-Rを使う事」をまず決めてから、その性格検査を使うのが妥当と言えるような「性格」の定義を付ける、という辻褄併せもアリっちゃアリなんですが...
でも、ABOFAN氏が述べる理由はこの程度(↓)
・性格検査を使うのは? →もっとも一般的な心理学の手法だから
・YGやNEO-PI-Rを使うのは? →日本や世界で有名だから
オイオイ、小学生の作文並みのゆるい説明力...
これじゃ、使うものの性質を理解した上で適切な定義を定めるなんて望む方がバカですね。
結論としては「全然定義になってません~」で、チャンチャンなんですが、もう少しABOFAN氏の心の中を覗いてみましょう。
なんと、この一文はむしろ逆から読むと話の筋道が見えてくるんですよね。
(筋道は合うと言っても、「風が吹けば桶屋が儲かる」レベルの筋道ですが)
1 YGやNEO-PI-Rのデータはいじりやすいから都合が良い
2 YGやNEO-PI-Rは性格検査だ
3 性格検査は心理学で使われている
4 だから性格検査を使う事=心理学と同じはずだ
5 心理学と同じだから、性格心理学の定義する性格に則っているはずだ
6 だから心理学者との共通の前提になるはずだ
こうすると、ABOFAN氏のご都合主義的な思考がミエミエになると同時に、ABOFAN氏は『データいじりしかできない』という前提が露わになってきます。
面白いでしょ。
(実は、ABOFAN氏の変な文章は、「逆から読む」事で彼の裏の論理を知る事ができる事が良くあります。皆さんもお試しを)
【「関係のあるなしの定義」について】
「きちんと定義するのは意外と面倒なのです。」って、『きちんと定義』できた人が言うセリフのはずですが...
それとも「面倒だからきちんと定義できなかった」という“言いわけ”なのでしょうか。
...ああ、ここでも「定義」と言いつつ「定義」を示さないんですね。
「関係がある」の定義をすっ飛ばして、「判断基準」の話になっています。
ちなみに細かい事ですが、「単なる偶然で、性格検査データの差が生じる確率が5%以下」という表現、おかしいですね。だって、「性格検査データの”差が生じる”確率」はほぼ100%だもん。
正しくは、「性格検査データの差」が“偶然の範囲か否か”という事でしょうから、「性格検査データの差が単なる偶然である確率が5%以下」といった所ですかね。
※ 念のため言っておきますが、ここでいう“偶然”とは「母集団に差がないのに“偶然”サンプリングデータに差が生じた」という意味です(多分、これをABOFANは理解せぬまま解釈している気がします)。
ところで、心理学による血液型と性格の関係に関する性格検査と統計のアプローチでは
「“有意差が出ない”から“関係が有るとは言えない”」という事になっているわけです。
では、そう言える前提はなんだというと、その対偶である
「“関係が有る”ならば“有意差が出る”」なんですね。
しかし、どうやらABOFAN氏は
「“有意差が出ない”から“関係が有るとは言えない”」と言うのならば
「“有意差が出る”ならば“関係が有る”」事になるはずだと考えているようです。
でもこれ、論理学で言うところの“裏”であり、命題が真でも、裏は真とは限らないんですよねぇ。
つまりABOFAN氏、「心理学のロジック」どころか「ロジック」にすら従わない考え方を持ち出して来ているわけです。
というか、『「関係のあるなし」を検証するためには、統計的検定を使います。』と言うならまぁあながち的外れではないんだろうけど、“議論”で統計的検定を使うって...
なんか、それは「普通」の話ではなく、『データいじりしかできない』という異端なABOFAN氏が議論なるものに混ざりたいがため(混ざっている事にしたいため)の単なる願望なのではないかと...。
【「もう少し詳しい説明」について】
まぁ「統計」に関する部分は字面的には特に極端におかしい部分は無いので深く突っ込みませんが、「母集団の差」と「サンプルの差」が上手く区別されずに使われているのが非常に気になります。
また、「血液型による性格の差は案外少なく、せいぜい10~20%程度しかありません」と言い切る根拠は何かと聞きたい。母集団の差が10~20%と言っているのか、それとも単に、たまたまサンプル間に10~20%の差が有り、有意差となった事をしてここまで言い切っているのか、実験的にそれを検証した結果言っているのか?
まぁ、多分そこまで考えて言っていないと言うのが正解だと思いますが。
機会があればもう少し詳しく述べてみたいテーマではあります。
【「基礎編のまとめの部分」について】
“以上の定義を総合すると”って、総合できるような定義を示しちゃいないんですが...。
確かに、支離滅裂な文章をさんざん読まされて何も得るモノがないという徒労感でいっぱいですね。
ABOFAN氏も疲れたでしょうが、その疲れの殆どは「キー入力」の疲れで、頭は殆ど疲れてないかと。
確かに「最善の方法」ではありません。しかも、心理学者が正しいと認めようが無いような「ダメな方法」です。念のため。
というか「私が便宜的に編み出した方法」って...何?
本当に「心理学者に正しいと認めてもらう」のが目的ならば、シンプルに考えて、「心理学で正しいとされる研究方法」、つまりキチンと言葉を定義し、定義の上で仮説を立て、その仮説を元に検証に必要な実験計画を立て、実験計画に沿って適切にデータを取って、仮説が支持される結果である事を示すのが妥当ですよね。
なのに、それを一顧だにせず、勝手に方法を編み出しちゃうって...
「心理学者に正しいと認めてもらいたい」なんて思っているとは到底思えませんね。
まぁ、今までの解説を読んできた方は分かるように、本質的には
「私が便宜的に編み出した方法」ではなく
「私の便宜上の理由で編み出した方法」でしかないんですよね。
...ホントすごいと思うよ
この人は一旦物事を規定したフリしながら、ちゃっかり「メイン」とか「基本的に」とか「普通は」とかいう”例外の余地が有る”言葉を滑り込ませておいて、後でその規定をとっぱらっちゃうのですよ。
「性格の定義」の章で「ここでは心理学の性格検査(心理テスト)のデータをメインに扱うことにしましょう。」と言っていましたが、舌の根も乾かぬうちから「それ以外のデータも使いますよ」とここで宣言するわけです。
結局、“なんでもかんでも使いまっせ”って事に他ならない。
そんな事なら、最初の規定の意味が全く無くなる事が分かってないんだろうなぁ。
「性格検査」を使う説明として、生半可な知識と論理を振り回して言い訳をしたのに、その言い訳の意味すら自分からぶち壊す無茶苦茶さは、正直ついていけません。
まぁ、「憲法上の自由」がことのほかお好きなようですから
例えそれが適切さに欠けても、自分がいつでも好きなようにルールを変えられるようにしておきたいのでしょうね。
【ひとまずまとめ】
こうしてきちんと読み下してみると、ABOFAN氏の言っている事は、自分の御都合にばかり彩られており、心理学者どころか、一般の人にも受け入れがたい支離滅裂なものでしかない事が分かります。
ところで、この“基本編”には「心理学者に正しいと認めてもらう」というセリフが本当にしつこく出てきます。
で、私が気がついたのは、このセリフが出てくるのはABOFAN氏が、自分のやり方の妥当性の説明を大幅に端折ろうとした場合だという事です(...という事は結局ほとんどの主張が該当するわけなんですが)。
きっとこのセリフは、ABOFAN氏にとって「キチンと説明しない(できない)」事に対する免罪符なんでしょうね(彼のためだけの)。
ABOFAN氏は自分の方法が適切かどうか判断できないから
誰かに「その方法は適切じゃないんじゃないの」と突っ込まれたときの口実として
「この方法は心理学者が正しいと認める方法だから適切なはずだ」は便利なのでしょう。
そして、今回の「心理学者に正しいと認めてもらう」連発は、それを想定した上での過剰な防衛意識が生み出したものと考えられます。
でもよく考えれば「自分の方法すら適切かどうか判断できない人」が、ある方法が心理学者から適切と認めてもらえる代物かどうか判断できるはずはないのですよね。
実際、今回検証した内容にも、適切さの欠片すら見出せません。
何かを規定して見せてもすぐ撤回して枠をとっぱらうし、ロジックもおかしい。
何より、結局は「私が便宜的に編み出した方法」だ。
なんでそんなもの、心理学者が正しいと認めてあげなきゃならんのだか...
【おまけ】
ここまで読んでよく分かったABOFAN氏という存在のものすごさは
☆ 何も考えられないからこそ、何も考えずに好き勝手に言える
・ 何も考えられないからこそ、何も考えずに自分が正しいと思える
・ 何も考えられないからこそ、何も考えずに相手が間違いと思える
というところにあるのだと言えます。
これは強い。「無敵の存在」と言っても良い。
ただし、他者との関わり合いを拒絶するが故、他者も関わり合いを拒絶したがり、誰も賞賛しない属性ではありますが...。
驚きと呆ればかりの『「血液型と性格の関係」の定義』とやらに踏み込んでみます。
という事で「ABO FANの主張?」と、それに関連するHPの記事『[血液型と性格]の新・常識!?&入門 - 【新バージョン】』について、お次は基本編です。
(一応、いくつかに分けて書く予定)
で、なんつうか、「ABO FANの主張とは~【はじめに】編~」でオチを先に言っていたんですが、「定義」という言葉が繰り返し出てくるにもかかわらず、実際に定義できているのは辛うじて「血液型」のみという有様。
“「定義」とはどういう事かすら知らない”と言われる方がまだマシ。
知らないという事を知っているならば、それは知る事ができるということだから。
でも、実際とは非常に乖離した観念をもって「知っているつもりになっている」と言うのは非常に始末に終えないなぁ。
まぁ、「定義」の意味を知らない(というより“独自の解釈”をしている)人が、かっこつけて「定義しまぁ~す」と言い始めると、どれだけ頓珍漢な内容になるか覗いてみましょう。
【「血液型について」について】
特にヘンな記述は無いんでしょうが(知識の丸写しだろうし)、『基本編』のはずなのにもかかわらず、これから語ろうとする「血液型と性格の関係」の話では全く触れないような余分な知識まで延々と書いているのが、何か、森氏の『ゲーム脳の恐怖』における“脳トリビア”を彷彿とさせますね。
というか、「血液型の定義」ならば、「(特に断りがない限り)ABO式血液型を指す」ぐらいでいいのではないかと。肝心なはずの定義が、雑多なトリビアに埋もれてしまっている気が...
まぁ、「知っている事をただ書けばいい」時は非常に饒舌なようですが、もう一つの「性格」の方は?というとお寒い限りのようです。
【「性格の定義」について】
実は、性格の定義は一番の難問です。
なぜなら、「性格」は、血液型とは違い、科学的な実体が解明されていないからです。
しかし、そんなことを言ってもはじまりませんし、心理学者との共通の前提がないと全然議論になりません。
ですので、私のホームページでは、性格心理学の定義する性格を、一応正しいものとして扱うことにします。
実は、性格心理学での性格の定義もいろいろあるのですが、はじめに書いたように、ここでは心理学の性格検査(心理テスト)のデータをメインに扱うことにしましょう。つまり、もっとも一般的な心理学の手法をそのままそっくり使う、ということです。
日本では、YG性格検査(矢田部ギルフォード性格検査)、世界的にはNEO-PI-Rという性格検査が有名ですので、基本的にこれらのデータをそっくりそのまま使うことにします。これで、数値化もバッチリですので、統計的検定のためのデータとしても申し分ありません。
しつこいようですが、これらは「心理学者に正しいと認めてもらう」というのが最大の目的なので、そのために私が便宜的に採用した方法です。決して、性格検査が万能だとか、性格検査は絶対正しい、と考えているわけではありませんので、念のため。
以上で、性格の定義は終了です。
ありゃりゃ、「性格の定義は終了です」って...始まって無いのに終わりましたよ。
「定義」を端折って、『方法』の話に終始しています。
(ABOFAN辞書では「定義=方法を示す事」なのでしょうか?)
早い話が、ここでは「単に心理学者が性格検査のデータを使うやり方を真似ている」と主張しているだけです。
「性格心理学での性格の定義もいろいろある」と言ったくせに、「そのいろいろの定義のうちのどれに従うか」には一切触れず、いきなり「性格検査のデータを使う」ですから、性格の定義そっちのけで「自分の使いたいものを使う」といった結論に性急に飛びついている感じがアリアリです。
本来ならば、キチンと「性格」の定義をした上で、『その定義における「性格」を計測するのには、これこれの理由で「性格検査(特にYGやNEO-PI-R)」が適切と言える。』といった事を論理立てて言えるはずなんですね。
ぶっちゃけ「YGやNEO-PI-Rを使う事」をまず決めてから、その性格検査を使うのが妥当と言えるような「性格」の定義を付ける、という辻褄併せもアリっちゃアリなんですが...
でも、ABOFAN氏が述べる理由はこの程度(↓)
・性格検査を使うのは? →もっとも一般的な心理学の手法だから
・YGやNEO-PI-Rを使うのは? →日本や世界で有名だから
オイオイ、小学生の作文並みのゆるい説明力...
これじゃ、使うものの性質を理解した上で適切な定義を定めるなんて望む方がバカですね。
結論としては「全然定義になってません~」で、チャンチャンなんですが、もう少しABOFAN氏の心の中を覗いてみましょう。
なんと、この一文はむしろ逆から読むと話の筋道が見えてくるんですよね。
(筋道は合うと言っても、「風が吹けば桶屋が儲かる」レベルの筋道ですが)
1 YGやNEO-PI-Rのデータはいじりやすいから都合が良い
2 YGやNEO-PI-Rは性格検査だ
3 性格検査は心理学で使われている
4 だから性格検査を使う事=心理学と同じはずだ
5 心理学と同じだから、性格心理学の定義する性格に則っているはずだ
6 だから心理学者との共通の前提になるはずだ
こうすると、ABOFAN氏のご都合主義的な思考がミエミエになると同時に、ABOFAN氏は『データいじりしかできない』という前提が露わになってきます。
面白いでしょ。
(実は、ABOFAN氏の変な文章は、「逆から読む」事で彼の裏の論理を知る事ができる事が良くあります。皆さんもお試しを)
【「関係のあるなしの定義」について】
「血液型」「性格」の定義がやっと終わりました。ふぅ。
意外と面倒だと思った人も多いかもしれません。そう、一見簡単なものでも、きちんと定義するのは意外と面倒なのです。
「きちんと定義するのは意外と面倒なのです。」って、『きちんと定義』できた人が言うセリフのはずですが...
それとも「面倒だからきちんと定義できなかった」という“言いわけ”なのでしょうか。
「関係のあるなし」を議論するためには、普通は統計的検定を使います。これはどういうものかというと、何かが偶然で起こる確率が5%以下*1なら、それは「まぐれや偶然じゃない」、と判定するという「お約束」です。
血液型の場合も、単なる偶然で、性格検査データの差が生じる確率が5%以下なら、「関係がある」と判断するよ、ということになります。
...ああ、ここでも「定義」と言いつつ「定義」を示さないんですね。
「関係がある」の定義をすっ飛ばして、「判断基準」の話になっています。
ちなみに細かい事ですが、「単なる偶然で、性格検査データの差が生じる確率が5%以下」という表現、おかしいですね。だって、「性格検査データの”差が生じる”確率」はほぼ100%だもん。
正しくは、「性格検査データの差」が“偶然の範囲か否か”という事でしょうから、「性格検査データの差が単なる偶然である確率が5%以下」といった所ですかね。
※ 念のため言っておきますが、ここでいう“偶然”とは「母集団に差がないのに“偶然”サンプリングデータに差が生じた」という意味です(多分、これをABOFANは理解せぬまま解釈している気がします)。
ところで、心理学による血液型と性格の関係に関する性格検査と統計のアプローチでは
「“有意差が出ない”から“関係が有るとは言えない”」という事になっているわけです。
では、そう言える前提はなんだというと、その対偶である
「“関係が有る”ならば“有意差が出る”」なんですね。
しかし、どうやらABOFAN氏は
「“有意差が出ない”から“関係が有るとは言えない”」と言うのならば
「“有意差が出る”ならば“関係が有る”」事になるはずだと考えているようです。
でもこれ、論理学で言うところの“裏”であり、命題が真でも、裏は真とは限らないんですよねぇ。
つまりABOFAN氏、「心理学のロジック」どころか「ロジック」にすら従わない考え方を持ち出して来ているわけです。
というか、『「関係のあるなし」を検証するためには、統計的検定を使います。』と言うならまぁあながち的外れではないんだろうけど、“議論”で統計的検定を使うって...
なんか、それは「普通」の話ではなく、『データいじりしかできない』という異端なABOFAN氏が議論なるものに混ざりたいがため(混ざっている事にしたいため)の単なる願望なのではないかと...。
【「もう少し詳しい説明」について】
まぁ「統計」に関する部分は字面的には特に極端におかしい部分は無いので深く突っ込みませんが、「母集団の差」と「サンプルの差」が上手く区別されずに使われているのが非常に気になります。
また、「血液型による性格の差は案外少なく、せいぜい10~20%程度しかありません」と言い切る根拠は何かと聞きたい。母集団の差が10~20%と言っているのか、それとも単に、たまたまサンプル間に10~20%の差が有り、有意差となった事をしてここまで言い切っているのか、実験的にそれを検証した結果言っているのか?
まぁ、多分そこまで考えて言っていないと言うのが正解だと思いますが。
機会があればもう少し詳しく述べてみたいテーマではあります。
【「基礎編のまとめの部分」について】
以上の定義を総合すると、「血液型と性格に関係がある」とは、結局、次のようなことです。
心理学者の研究で得られた、性格検査のデータに統計的検定を行い、有意差があれば「血液型と性格に関係がある」と判定する、ということになります。
いやいや、どうもお疲れ様でした。
“以上の定義を総合すると”って、総合できるような定義を示しちゃいないんですが...。
確かに、支離滅裂な文章をさんざん読まされて何も得るモノがないという徒労感でいっぱいですね。
ABOFAN氏も疲れたでしょうが、その疲れの殆どは「キー入力」の疲れで、頭は殆ど疲れてないかと。
繰り返しになりますが、これらは「心理学者に正しいと認めてもらう」という目的のため、私が便宜的に編み出した方法です。決して最善の方法だと考えているわけではありませんので、念のため。
確かに「最善の方法」ではありません。しかも、心理学者が正しいと認めようが無いような「ダメな方法」です。念のため。
というか「私が便宜的に編み出した方法」って...何?
本当に「心理学者に正しいと認めてもらう」のが目的ならば、シンプルに考えて、「心理学で正しいとされる研究方法」、つまりキチンと言葉を定義し、定義の上で仮説を立て、その仮説を元に検証に必要な実験計画を立て、実験計画に沿って適切にデータを取って、仮説が支持される結果である事を示すのが妥当ですよね。
なのに、それを一顧だにせず、勝手に方法を編み出しちゃうって...
「心理学者に正しいと認めてもらいたい」なんて思っているとは到底思えませんね。
まぁ、今までの解説を読んできた方は分かるように、本質的には
「私が便宜的に編み出した方法」ではなく
「私の便宜上の理由で編み出した方法」でしかないんですよね。
しつこいようですが、私の判断基準は「性格検査」かどうかではありません。あくまで、「心理学者に正しいと認めてもらう」ことが基準になります。従って、性格検査でなくとも、心理学者に認めてもらえそうなデータは使ってますし、逆に認められそうもないデータは不採用としています。
...ホントすごいと思うよ
この人は一旦物事を規定したフリしながら、ちゃっかり「メイン」とか「基本的に」とか「普通は」とかいう”例外の余地が有る”言葉を滑り込ませておいて、後でその規定をとっぱらっちゃうのですよ。
「性格の定義」の章で「ここでは心理学の性格検査(心理テスト)のデータをメインに扱うことにしましょう。」と言っていましたが、舌の根も乾かぬうちから「それ以外のデータも使いますよ」とここで宣言するわけです。
結局、“なんでもかんでも使いまっせ”って事に他ならない。
そんな事なら、最初の規定の意味が全く無くなる事が分かってないんだろうなぁ。
「性格検査」を使う説明として、生半可な知識と論理を振り回して言い訳をしたのに、その言い訳の意味すら自分からぶち壊す無茶苦茶さは、正直ついていけません。
まぁ、「憲法上の自由」がことのほかお好きなようですから
例えそれが適切さに欠けても、自分がいつでも好きなようにルールを変えられるようにしておきたいのでしょうね。
【ひとまずまとめ】
こうしてきちんと読み下してみると、ABOFAN氏の言っている事は、自分の御都合にばかり彩られており、心理学者どころか、一般の人にも受け入れがたい支離滅裂なものでしかない事が分かります。
ところで、この“基本編”には「心理学者に正しいと認めてもらう」というセリフが本当にしつこく出てきます。
で、私が気がついたのは、このセリフが出てくるのはABOFAN氏が、自分のやり方の妥当性の説明を大幅に端折ろうとした場合だという事です(...という事は結局ほとんどの主張が該当するわけなんですが)。
きっとこのセリフは、ABOFAN氏にとって「キチンと説明しない(できない)」事に対する免罪符なんでしょうね(彼のためだけの)。
ABOFAN氏は自分の方法が適切かどうか判断できないから
誰かに「その方法は適切じゃないんじゃないの」と突っ込まれたときの口実として
「この方法は心理学者が正しいと認める方法だから適切なはずだ」は便利なのでしょう。
そして、今回の「心理学者に正しいと認めてもらう」連発は、それを想定した上での過剰な防衛意識が生み出したものと考えられます。
でもよく考えれば「自分の方法すら適切かどうか判断できない人」が、ある方法が心理学者から適切と認めてもらえる代物かどうか判断できるはずはないのですよね。
実際、今回検証した内容にも、適切さの欠片すら見出せません。
何かを規定して見せてもすぐ撤回して枠をとっぱらうし、ロジックもおかしい。
何より、結局は「私が便宜的に編み出した方法」だ。
なんでそんなもの、心理学者が正しいと認めてあげなきゃならんのだか...
【おまけ】
ここまで読んでよく分かったABOFAN氏という存在のものすごさは
☆ 何も考えられないからこそ、何も考えずに好き勝手に言える
・ 何も考えられないからこそ、何も考えずに自分が正しいと思える
・ 何も考えられないからこそ、何も考えずに相手が間違いと思える
というところにあるのだと言えます。
これは強い。「無敵の存在」と言っても良い。
ただし、他者との関わり合いを拒絶するが故、他者も関わり合いを拒絶したがり、誰も賞賛しない属性ではありますが...。
私は「性格の認知」に懐疑的なので、「性格」というとぼや~っとしたものしか浮かんでこないのですが、ABOFAN氏はやはりきちんと定義すら人に教えないつもりですね。
それじゃ、もはや日本語で書かれているだけで、日本語の文章として意味を把握するのは、我々素人(ABOFAN語の)には不可能ですね。
故意犯の可能性はまだ捨ててませんけど。
ところで、性格の客観的な把握って可能なんでしょうか。
by トンデモブラウ (2008-10-03 23:37)
故意犯のセンは無いなぁ。
ある日突然正気に戻って、自分のしでかした事が恥ずかしくなって
故意犯だったフリをする、というのは有り得そうですが
いやぁ、「性格の認知」といい、「性格の客観的な把握」といい
極めて困難なテーマをさらりと振りますね(恨)
多分コメント欄では足りないので、返事は後日記事にしますね。
by Judgement (2008-10-04 01:14)