ABO FANの主張とは~【はじめに】編~ [ABO FAN Blog]
遅ればせながら「ABO FANの主張?」と、それに関連するHPの記事『[血液型と性格]の新・常識!?&入門 - 【新バージョン】』について色々つついてみましょう。
さすが『ABOFAN10年の集大成』と豪語するだけあって、ABOFAN氏の問題点だらけの読み応えある内容ですので、回を分けてゆっくりやっていきます。
HPの方を見ると、いきなり大きな文字で
「本当は私自身の主張というべきものはありません!」
と爆弾発言です。内容の要約でもしつこくこう言います
「私自身の主張は基本的に存在せず、心理学者の否定論の否定をしているだけ」
この発言で、クラッとめまいを感じた人は少なく無いと思います。
『「心理学者の否定論を否定する」と主張しているじゃないか!』
と誰もが突っ込みたくなる事でしょう。
まぁ、ABOFAN辞書においては一般的に思える単語に思いもよらないへんてこな意味がくっついている場合が往々にしてあるので、こんな事でいちいちクラクラしていても身が持ちません。先進みましょう。
さぁ、訳が分からない。
「心理学者の否定論の否定をしているだけ」とも言っていますので、それを含めて試しに整理してみよう
えっと...
心理学者に【ABOFAN氏の『心理学者の「能見氏の“血液型と性格が関係する”というの主張」の否定』の否定】を肯定させるのが目的ってわけね。
整理しても良く分からん!!
何故にここまで婉曲的にしなくてはならないのでしょう?
どうやら「心理学者による“血液型と性格の関係”の否定」は間違いである事を皆さんに示すというシンプルな目的ではないようです。
まぁ、もう少し見ていきましょう。
色々と彼の主張を聞いて分かってきた事があります。
このように彼が言う「方法」とは、『使う統計の種類』とか『使う質問紙』とか『採用する危険率の低さ』いう“末梢レベルの方法”のみを指しているのであろうと言う事です。
『心理学』がまがりなりにも「科学的」と言われているゆえんである『それら“末梢レベルの方法”をいかに活用して科学性を担保するか』といった“根本レベルの方法”、いわゆる“『科学的方法論』の適用方法”は、おそらく彼の言う「方法」には含まれません。
というか、今まで何度か対話した際のずれっぷりを鑑みると、そのような“根本レベルの方法”の存在に気付きすらしていない可能性が高いと考えられます。
「心理学者の『質問紙』による心理学者の『データ』を使い、心理学者の使う『統計』により心理学者の採用する『危険率の低さ』を基準にすれば、全部心理学者の認めるものだから、『心理学者がやっている事と同じ』になるはずだ」
...という素朴すぎる思い込みを頑なに信じて込んでいる事こそ、ABOFAN氏が周りに呆れられている原因のひとつではあります。
彼がやっている事は、(過去にも使いましたが)料理の本にある「餃子の材料」だけを見て、材料の切り方、調理手順、調理方法を一切無視し、生挽肉と小麦粉を水でこねたものを白菜の葉っぱで包み、ニラでぐるぐる巻きにしたものを出して、それを「餃子」と言うようなものです。
モチロン皆は口々に「こんなの餃子じゃ無い」と言いますが、「料理の本に書いてあったのと(材料が)同じだから餃子のはずだ、違うと言うなら(材料の)どこが違うか具体的に指摘しろ」と答えます。
「作り方が違うじゃないか」と言っても「(材料の)具体的な間違いを指摘しろ」の一点張り。さらには、「料理は自由な発想で作るのが大切なんだ。有名な○○シェフもそう言っている」とまで言い出す始末。
視野が狭いと、いつまでも肝心な事に気付けないけれど、でも視野が狭いからこそ、「いつまでも肝心な事に気付けない恥ずかしい自分」に気付かないで済む。
それはある意味、当人だけにとっては非常に幸せな事なのかもしれません。
なんかズレてます。
検証する方法として挙げられているのは「血液型関連説の主張者があげている各血液型の性格特徴を用いた調査票を作って調査する」と言う事です。
能見氏がそのような調査を行っていて、でもそれが心理学者から信頼性が問題だと指摘されているから使えない、というのであれば、単純に「信頼性を保てる」方法で調査しなおせばいいだけです。「涙を飲んで断念」するほどの事ではありません。
まぁ、『血液型人間学』のデータに固執してもしょうがない、というのは正解ですが。
ハイ、「データが心理学者だけで完結する」それだけで「特に問題が無い」と言っちゃいました。
そんなレベルの事でOKと思えてしまうなんて、視野が狭いってホント便利ですね。
ここでも馬脚を現しています。
科学的文脈における「再現性」とは、「同じ条件でやれば、同じ結果が得られる」事を指します。いわゆる「同じ検証を繰り返しても、同じ結果が出る」と言う事です。
しかし、ABOFAN氏は、この文章やその他HP等で主張している事を鑑みると、他の「共通している部分がある(と思う)」実験から「似ている(と思う)結果」を探して見つけることが『再現性のチェック』だと信じているようです。
『科学的方法論』すら誤って解釈しているのですから、やはり、心理学者の“『科学的方法論』の適用方法”という方法は、キチンと真似できるはずがない事が明らかですね。
※J注:「異なった実験」とは、文脈からも分かるように「内容や手順が異なる実験」ではなく「同じ内容や手順で別の機会にやる実験」という意味合いです。念のため
【まとめ】
ABOFAN氏の主張がズレたり、おかしな事になったりする原因の一つは先に「餃子」の例で述べたような、「狭い視野で心理学(や科学)を解釈している」というのがあります。
そして、ここまでの所でもう一つ推測できる原因は
「既にあるデータで全てを済ます事を前提としている点」です。
それは、「血液型関連説の主張者があげている各血液型の性格特徴を用いた調査票を作って調査する」方法は、既存の能見氏のデータが使えない(自分で取らなくてはならない)というだけの理由で却下してしまうところにも垣間見れます。
確かに、人間相手の調査をするには、労力・費用・時間が必要であり、単なる血液型愛好家であるところのABOFAN氏が一個人としてそれをするのは困難でしょう。
その中で、自分のできる範囲で精一杯の事をやろう、という態度は否定するものでありませんが、本来すべきことが出来ない限り、言えることも非常に限られるわけです。
しかし、ABOFAN氏は「自分がやれる範囲の事しかしたくない」という欲求とともに、「その範囲では到底言えない大きな結論を言いたい」という欲求も押し通したいようです。
「本来はできないそれを、できたように装おうとする無理」を押し通している結果、「良く分からないまわりくどい話をする」、「用語を(再現性など)本来の意味と違う解釈で使う」、「“末梢的な方法”を使うだけで心理学の方法と同じと解釈する」という様々な『歪み』が顕在化してしまうのでしょう。
【おまけ】
順序が逆になりましたが、ABOFAN氏は、「はじめに」の冒頭でこう言ってます
確かに、ABOFAN氏の言うとおり、『「血液型と性格に関係がある」とはなにか』の定義は肝心です。
何故ならば、『対象が何か』を明確にしなければ、『それを調べるにはどのような方法を使うべきか』が決まる訳が無いからです。
だから、何が言いたいのか良く分からない事だらけの文章をかなりガマンして読んでみました....
...しかし、ものすごく驚くべきことに、「自分は心理学者に認められたい」とか、「血液型と性格に関係を調べるにはこういう方法が有る」とか長々と書かれていたものの、肝心の『「血液型と性格に関係がある」とはなにか』について、定義が明確にされるどころか、それにについて触れた文章が一切無かった事です(詐欺ですか?)
日本語の不自由さだけの問題でしょうか?
でも、少なくとも次のような本質的な問題が明らかになります。
・ 「何か」について定義を明らかにすると言って、触れもしない愚
・ 「何か」を明らかにしないまま、一足飛びに「方法」の話をする愚
ABOFAN氏は、「この定義で引っかかるケースが意外と多いのです」と言っておりますが、そう言うABOFAN氏自身がそこに引っかかったままであるとしか読み取れませんね。
(しかも、そのくせ強引に先に進めようとする...)
【ひとまずおわり】
...ちなみに、ここまででも対象となる全文章の1/4に満たないんですよね。
(なのに、すでに深刻な問題が山積みに...)
この先が思いやられ...いや、この先が期待されます。
さすが『ABOFAN10年の集大成』と豪語するだけあって、ABOFAN氏の問題点だらけの読み応えある内容ですので、回を分けてゆっくりやっていきます。
HPの方を見ると、いきなり大きな文字で
「本当は私自身の主張というべきものはありません!」
と爆弾発言です。内容の要約でもしつこくこう言います
「私自身の主張は基本的に存在せず、心理学者の否定論の否定をしているだけ」
この発言で、クラッとめまいを感じた人は少なく無いと思います。
『「心理学者の否定論を否定する」と主張しているじゃないか!』
と誰もが突っ込みたくなる事でしょう。
まぁ、ABOFAN辞書においては一般的に思える単語に思いもよらないへんてこな意味がくっついている場合が往々にしてあるので、こんな事でいちいちクラクラしていても身が持ちません。先進みましょう。
ここで一番のポイントは、私がホームページを開設しているのは、「心理学者に正しいと認めてもらう」のが最大の目的だということです。
さぁ、訳が分からない。
「心理学者の否定論の否定をしているだけ」とも言っていますので、それを含めて試しに整理してみよう
えっと...
心理学者に【ABOFAN氏の『心理学者の「能見氏の“血液型と性格が関係する”というの主張」の否定』の否定】を肯定させるのが目的ってわけね。
整理しても良く分からん!!
何故にここまで婉曲的にしなくてはならないのでしょう?
どうやら「心理学者による“血液型と性格の関係”の否定」は間違いである事を皆さんに示すというシンプルな目的ではないようです。
まぁ、もう少し見ていきましょう。
従って、いくら私自身が正しいと思う方法やデータでも、心理学者に認められないものは、(少なくとも議論の材料としては)不採用としています。
色々と彼の主張を聞いて分かってきた事があります。
このように彼が言う「方法」とは、『使う統計の種類』とか『使う質問紙』とか『採用する危険率の低さ』いう“末梢レベルの方法”のみを指しているのであろうと言う事です。
『心理学』がまがりなりにも「科学的」と言われているゆえんである『それら“末梢レベルの方法”をいかに活用して科学性を担保するか』といった“根本レベルの方法”、いわゆる“『科学的方法論』の適用方法”は、おそらく彼の言う「方法」には含まれません。
というか、今まで何度か対話した際のずれっぷりを鑑みると、そのような“根本レベルの方法”の存在に気付きすらしていない可能性が高いと考えられます。
「心理学者の『質問紙』による心理学者の『データ』を使い、心理学者の使う『統計』により心理学者の採用する『危険率の低さ』を基準にすれば、全部心理学者の認めるものだから、『心理学者がやっている事と同じ』になるはずだ」
...という素朴すぎる思い込みを頑なに信じて込んでいる事こそ、ABOFAN氏が周りに呆れられている原因のひとつではあります。
彼がやっている事は、(過去にも使いましたが)料理の本にある「餃子の材料」だけを見て、材料の切り方、調理手順、調理方法を一切無視し、生挽肉と小麦粉を水でこねたものを白菜の葉っぱで包み、ニラでぐるぐる巻きにしたものを出して、それを「餃子」と言うようなものです。
モチロン皆は口々に「こんなの餃子じゃ無い」と言いますが、「料理の本に書いてあったのと(材料が)同じだから餃子のはずだ、違うと言うなら(材料の)どこが違うか具体的に指摘しろ」と答えます。
「作り方が違うじゃないか」と言っても「(材料の)具体的な間違いを指摘しろ」の一点張り。さらには、「料理は自由な発想で作るのが大切なんだ。有名な○○シェフもそう言っている」とまで言い出す始末。
視野が狭いと、いつまでも肝心な事に気付けないけれど、でも視野が狭いからこそ、「いつまでも肝心な事に気付けない恥ずかしい自分」に気付かないで済む。
それはある意味、当人だけにとっては非常に幸せな事なのかもしれません。
1)血液型性格関連説の特徴を検証する方法
この方法は、血液型関連説の主張者があげている各血液型の性格特徴を項目とした調査票(尺度)を作成し、これがそれぞれの血液型者に、他の血液型者と区別する形で該当することを確認するものである。
私も最初は、このように、能見正比古さんに代表される『血液型人間学』の研究結果をそのまま使おうと思いました。多くのデータが公開されていることもありますし、また、追試をするというのが一番ポピュラーな検証方法ですからね。しかし、いくつかの心理学の文献を読んでみたところ、少なくとも、心理学者との議論では、残念ながら、これらのデータが全く使えないことが判明します。
なぜなら、心理学者からは『血液型人間学』のデータの信頼性が問題だと指摘されているからです。私は、応用編で後述するように特に問題ないと考えているのですが、議論の相手が認めない以上、『血液型人間学』のデータに固執しては「心理学者に正しいと認めてもらう」という目的が達成できません。
ですので、この方法は、涙を飲んで断念しました。返す返すも残念です。(T_T)
なんかズレてます。
検証する方法として挙げられているのは「血液型関連説の主張者があげている各血液型の性格特徴を用いた調査票を作って調査する」と言う事です。
能見氏がそのような調査を行っていて、でもそれが心理学者から信頼性が問題だと指摘されているから使えない、というのであれば、単純に「信頼性を保てる」方法で調査しなおせばいいだけです。「涙を飲んで断念」するほどの事ではありません。
まぁ、『血液型人間学』のデータに固執してもしょうがない、というのは正解ですが。
2)性格検査によって差異を検証する方法
この方法は、既存の性格検査(その多くは標準化がなされている)を適用し、血液型によって性格に違いがあることを検証・確認しようとするものである。
この方法は、データが心理学者だけで完結するので、特に問題がなくOKです。v(^^)
ですので、私は、主にこの方法を採用しています。
ハイ、「データが心理学者だけで完結する」それだけで「特に問題が無い」と言っちゃいました。
そんなレベルの事でOKと思えてしまうなんて、視野が狭いってホント便利ですね。
3)既存の説にとらわれないで探索的に調べる方法
この方法は、血液型性格関連説の主張者が最初に行った研究と同じ水準に立ち戻って白紙の状態から出発する、いわば探索的・基礎的研究である。
この方法を採用してもいいのですが、他との比較が難しい、つまり再現性のチェックに難がありますので、私は採用していません。
ここでも馬脚を現しています。
科学的文脈における「再現性」とは、「同じ条件でやれば、同じ結果が得られる」事を指します。いわゆる「同じ検証を繰り返しても、同じ結果が出る」と言う事です。
しかし、ABOFAN氏は、この文章やその他HP等で主張している事を鑑みると、他の「共通している部分がある(と思う)」実験から「似ている(と思う)結果」を探して見つけることが『再現性のチェック』だと信じているようです。
『科学的方法論』すら誤って解釈しているのですから、やはり、心理学者の“『科学的方法論』の適用方法”という方法は、キチンと真似できるはずがない事が明らかですね。
参考:「再現性」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ある事象を、それを成り立たせていると考えられる要素や要因に還元したときに、同じ要素や要因を条件として整えれば、再びまったく同じ事象が起こるという性質をいう。
これにより、再現可能な実験内容と手順に従って、異なった実験から同じ結果が得られるのなら、実験結果は妥当なものとされ、その事象は科学的再現性があるとされる。
※J注:「異なった実験」とは、文脈からも分かるように「内容や手順が異なる実験」ではなく「同じ内容や手順で別の機会にやる実験」という意味合いです。念のため
【まとめ】
ABOFAN氏の主張がズレたり、おかしな事になったりする原因の一つは先に「餃子」の例で述べたような、「狭い視野で心理学(や科学)を解釈している」というのがあります。
そして、ここまでの所でもう一つ推測できる原因は
「既にあるデータで全てを済ます事を前提としている点」です。
それは、「血液型関連説の主張者があげている各血液型の性格特徴を用いた調査票を作って調査する」方法は、既存の能見氏のデータが使えない(自分で取らなくてはならない)というだけの理由で却下してしまうところにも垣間見れます。
確かに、人間相手の調査をするには、労力・費用・時間が必要であり、単なる血液型愛好家であるところのABOFAN氏が一個人としてそれをするのは困難でしょう。
その中で、自分のできる範囲で精一杯の事をやろう、という態度は否定するものでありませんが、本来すべきことが出来ない限り、言えることも非常に限られるわけです。
しかし、ABOFAN氏は「自分がやれる範囲の事しかしたくない」という欲求とともに、「その範囲では到底言えない大きな結論を言いたい」という欲求も押し通したいようです。
「本来はできないそれを、できたように装おうとする無理」を押し通している結果、「良く分からないまわりくどい話をする」、「用語を(再現性など)本来の意味と違う解釈で使う」、「“末梢的な方法”を使うだけで心理学の方法と同じと解釈する」という様々な『歪み』が顕在化してしまうのでしょう。
【おまけ】
順序が逆になりましたが、ABOFAN氏は、「はじめに」の冒頭でこう言ってます
一番はじめに、「血液型と性格に関係がある」とはなにか、定義を明確にしないといけませんよね。実は、この定義で引っかかるケースが意外と多いのです。肝心なところですので、かなり面倒ですがある程度詳しく説明しておきましょう。少しガマンして読んでみてくださいね。
確かに、ABOFAN氏の言うとおり、『「血液型と性格に関係がある」とはなにか』の定義は肝心です。
何故ならば、『対象が何か』を明確にしなければ、『それを調べるにはどのような方法を使うべきか』が決まる訳が無いからです。
だから、何が言いたいのか良く分からない事だらけの文章をかなりガマンして読んでみました....
...しかし、ものすごく驚くべきことに、「自分は心理学者に認められたい」とか、「血液型と性格に関係を調べるにはこういう方法が有る」とか長々と書かれていたものの、肝心の『「血液型と性格に関係がある」とはなにか』について、定義が明確にされるどころか、それにについて触れた文章が一切無かった事です(詐欺ですか?)
日本語の不自由さだけの問題でしょうか?
でも、少なくとも次のような本質的な問題が明らかになります。
・ 「何か」について定義を明らかにすると言って、触れもしない愚
・ 「何か」を明らかにしないまま、一足飛びに「方法」の話をする愚
ABOFAN氏は、「この定義で引っかかるケースが意外と多いのです」と言っておりますが、そう言うABOFAN氏自身がそこに引っかかったままであるとしか読み取れませんね。
(しかも、そのくせ強引に先に進めようとする...)
【ひとまずおわり】
...ちなみに、ここまででも対象となる全文章の1/4に満たないんですよね。
(なのに、すでに深刻な問題が山積みに...)
この先が思いやられ...いや、この先が期待されます。
あー、書いた分量の(最低でも)2倍の突っ込みを惹起せずにはおかない文章、健在ですね。とうてい本文にあたる気力はないので、Judgementさんの突っ込み劇場を楽しませていただきます。ひらにお許しください。
ところで、「湾曲的」ではなく「婉曲的」ではないでしょうか。
…激しく湾曲ないし褶曲していることも、また間違いありませんが。
by disraff (2008-09-20 12:28)
同じく字句のツッコミですが、「抹消レベル」ではなくて、「末梢レベル」ではないでしょうか?
by ROCKY 江藤 (2008-09-20 13:25)
私もABOFAN氏の文章を全て読み切る気力がないので、Judgmentさんの解説付きで勘弁してください。
遂に『「血液型と性格に関係がある」とはなにか』の定義をしたのかと思ったのですが、インチキだったんですね、残念。
『再現性』については、前からなんでこんな単語を使ったのか不思議だったのですよ。
普通に突っ込まれますよね。(バっくれることはできたも、かわせないし。)
by トンデモブラウ (2008-09-20 22:31)
今晩は。
「抹消レベル」は恐らく、Jさんの無意識に存在する何らかの思いが顕れたものと思われます。
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私とのやり取りで、「関係がある」の定義はしたようなものですけど、本サイトでは触れて無い(と言うか、またループしている)んですねえ。さすが。
by TAKESAN (2008-09-20 23:27)
失敬失敬、ご指摘感謝。こっそり直しておきます。
ABOFAN辞書の『定義』というのも、また怪しげですよね。
そのあたりはまた次回。
by Judgement (2008-09-21 00:04)