心理学で心が読めるか? [文系のたわごと]
もう少し自分語りをしてみる。
私が(自称)占い師だった頃は大学生。そして私の専攻は『心理学』だった。
【動機】
高校時代は大学で中国哲学をやりたかったのだけど、入学までにあらかた読み漁ってしまい(底は浅いけど)興味が失せてしまっていた。
はて、大学に入ったがいいけど、何に進むべきか?
当時、特に心理学に興味があったわけではないけど、“文系の学科で唯一パソコンがある研究室”というだけで決めた(PC-9801時代デス)。
そんな奴が、今でもその学問領域を飯の種にしているのだから、世の中分らない。
【心理学の世界】
心理学について誤解している人は多いかもしれない。
「心理学をやっている」と言うと
『え~、じゃぁ今私が何考えているか分るの』とか
『私の性格教えて』とか
『インクのシミ見せたりするんでしょ』とかよく言われる。
でも、私が知った心理学は、ごく普通の人間のごく当たり前の行動の裏に働く法則が相手だった。
最近は、文系の大学で心理学がブームのようだ。
でも、志望動機の大半は『自分探し』や『人間関係の改善』ではないかと睨んでいる。
でも、それについての答えは心理学には無い(たぶん)。
心理学は「人間全体」に言及するものであり、個人に手は差し伸べない(たぶん)。
包括的な事を述べられるほど心理学を熟知してはいないけど(だから「たぶん」が多い)
私の感覚としては、心理学という学問領域において、集団を前提として成立する理論とか、「人間」の基本的な機構に関する理論は、理系分野と比べてもさほど遜色の無い確実さがあると思う。
でも、例えば臨床心理とか性格心理学とか、「個人の心」に対する理論は非常にうさんくさい(「うさんくさい」が言い過ぎとすれば、実証的な科学というよりも、過去の哲学的な視点を引きずっている感じ)。
一般書店の「心理学コーナー」には「性格が分かる」だの魅力的なタイトルの本が沢山並んでいるけど、それと私が学んだ「心理学」はリンクしない。
【サトリ?】
実際には人前でこんな思い上がった事は言わないけれど
私は人の心を読むのが得意だと思う。
(もちろん、本当にそうなのかは確認しようがないけれど)
でも、それは心理学を学んだからでは無い。
『心理学』は特定の相手が思っている事の“答え”を簡単に導く『公式』は教えてくれない(たぶん)。
むしろ、”人の心が知りたい”と思って『心理学』に頼ろうとする人ほど、『心理学』を鵜呑みにした画一的な対応をしてしまい、かえって「人の気持ちが分らない奴」の烙印を押される危険が高い。
私が『人の心を読める』のは、子供の頃、何度か転校を経験したのが原因かもしれない。
幼馴染のように長い熟成期間を設ければ、ある程度自然と相手の心が分るようになる。
でも、『転校』は、既に熟成された人間関係の中に、ただ1人まっさらな状態で放り込まれる事になる。
学校で孤独なんて耐えられない。熟成期間なんて悠長すぎる。
迅速かつスムーズに溶け込むには、積極的に相手の『心を読む』事が必要だった。
【マインド・リーディングの手法】
『心の複雑さ、心の多様性を認識しなくてはならない』
1対1の対人関係を形成するのに必要となるのは、「誰でも同じように考える事」より、むしろ「その人の個性」が大事になる。10人中9人に当てはまる事でも、その人が残りの1人であれば何の役にも立たないのだから。
『敏感でなくてはいけない』
心は見えないけれど、心は行動に現れ、言葉に現れる。だから、「観察」が大切。
「どんな時に」、「なにをしたか(言ったか)」の2つの関連付けをなるべく沢山詳細に得るのが大切。
『繊細でなくてはいけない』
心を知るには、ただ傍観するだけではなく、様々な刺激を与え、その反応を評価しなくてはならない。
しかし、単調だったり、ぶしつけすぎれば心は閉ざされる。
だから、様々な刺激を過度にならない程度に与えなくてはいけいない。
『決め付けてはいけない』
当然リーディングの失敗も有るが、大切なのは「失敗を繰り返さない」事。
だから「失敗した」事をキチンと認識できるように自分の判断を”正解”と決め付けてはいけない。
”正解”はあくまで、相手の心の中にあるのだから。
『臆病でなくてはいけない』
相手は、常に変動し、成長している。
「心を読んで」対応すると共に、「心が読めていない」前提で反応を観察し
常に修正を繰り返さなければいけない。
【結論】
最終的に何が言いたいかと言うと...
「○○で性格が分かる」とか、果ては「○型は×な性格」などといった
画一的で、鈍感で、雑で、決め付け的で、強気な話を信じようとする人は
逆に言えば、人の心を読むテクニックを持っていないから安易な判断に頼っているだけ。
そんな人が、そんな安易な判断を「当たっている」と評価しても、全く信頼できない
...ということである
〔オマケ〕
私のバックボーンとして、『占い』ときて『心理学』を挙げましたが
あと1つ紹介する予定のバックボーンがあります。
それはいったい何か、分りますか?
私が(自称)占い師だった頃は大学生。そして私の専攻は『心理学』だった。
【動機】
高校時代は大学で中国哲学をやりたかったのだけど、入学までにあらかた読み漁ってしまい(底は浅いけど)興味が失せてしまっていた。
はて、大学に入ったがいいけど、何に進むべきか?
当時、特に心理学に興味があったわけではないけど、“文系の学科で唯一パソコンがある研究室”というだけで決めた(PC-9801時代デス)。
そんな奴が、今でもその学問領域を飯の種にしているのだから、世の中分らない。
【心理学の世界】
心理学について誤解している人は多いかもしれない。
「心理学をやっている」と言うと
『え~、じゃぁ今私が何考えているか分るの』とか
『私の性格教えて』とか
『インクのシミ見せたりするんでしょ』とかよく言われる。
でも、私が知った心理学は、ごく普通の人間のごく当たり前の行動の裏に働く法則が相手だった。
最近は、文系の大学で心理学がブームのようだ。
でも、志望動機の大半は『自分探し』や『人間関係の改善』ではないかと睨んでいる。
でも、それについての答えは心理学には無い(たぶん)。
心理学は「人間全体」に言及するものであり、個人に手は差し伸べない(たぶん)。
包括的な事を述べられるほど心理学を熟知してはいないけど(だから「たぶん」が多い)
私の感覚としては、心理学という学問領域において、集団を前提として成立する理論とか、「人間」の基本的な機構に関する理論は、理系分野と比べてもさほど遜色の無い確実さがあると思う。
でも、例えば臨床心理とか性格心理学とか、「個人の心」に対する理論は非常にうさんくさい(「うさんくさい」が言い過ぎとすれば、実証的な科学というよりも、過去の哲学的な視点を引きずっている感じ)。
一般書店の「心理学コーナー」には「性格が分かる」だの魅力的なタイトルの本が沢山並んでいるけど、それと私が学んだ「心理学」はリンクしない。
【サトリ?】
実際には人前でこんな思い上がった事は言わないけれど
私は人の心を読むのが得意だと思う。
(もちろん、本当にそうなのかは確認しようがないけれど)
でも、それは心理学を学んだからでは無い。
『心理学』は特定の相手が思っている事の“答え”を簡単に導く『公式』は教えてくれない(たぶん)。
むしろ、”人の心が知りたい”と思って『心理学』に頼ろうとする人ほど、『心理学』を鵜呑みにした画一的な対応をしてしまい、かえって「人の気持ちが分らない奴」の烙印を押される危険が高い。
私が『人の心を読める』のは、子供の頃、何度か転校を経験したのが原因かもしれない。
幼馴染のように長い熟成期間を設ければ、ある程度自然と相手の心が分るようになる。
でも、『転校』は、既に熟成された人間関係の中に、ただ1人まっさらな状態で放り込まれる事になる。
学校で孤独なんて耐えられない。熟成期間なんて悠長すぎる。
迅速かつスムーズに溶け込むには、積極的に相手の『心を読む』事が必要だった。
【マインド・リーディングの手法】
『心の複雑さ、心の多様性を認識しなくてはならない』
1対1の対人関係を形成するのに必要となるのは、「誰でも同じように考える事」より、むしろ「その人の個性」が大事になる。10人中9人に当てはまる事でも、その人が残りの1人であれば何の役にも立たないのだから。
『敏感でなくてはいけない』
心は見えないけれど、心は行動に現れ、言葉に現れる。だから、「観察」が大切。
「どんな時に」、「なにをしたか(言ったか)」の2つの関連付けをなるべく沢山詳細に得るのが大切。
『繊細でなくてはいけない』
心を知るには、ただ傍観するだけではなく、様々な刺激を与え、その反応を評価しなくてはならない。
しかし、単調だったり、ぶしつけすぎれば心は閉ざされる。
だから、様々な刺激を過度にならない程度に与えなくてはいけいない。
『決め付けてはいけない』
当然リーディングの失敗も有るが、大切なのは「失敗を繰り返さない」事。
だから「失敗した」事をキチンと認識できるように自分の判断を”正解”と決め付けてはいけない。
”正解”はあくまで、相手の心の中にあるのだから。
『臆病でなくてはいけない』
相手は、常に変動し、成長している。
「心を読んで」対応すると共に、「心が読めていない」前提で反応を観察し
常に修正を繰り返さなければいけない。
【結論】
最終的に何が言いたいかと言うと...
「○○で性格が分かる」とか、果ては「○型は×な性格」などといった
画一的で、鈍感で、雑で、決め付け的で、強気な話を信じようとする人は
逆に言えば、人の心を読むテクニックを持っていないから安易な判断に頼っているだけ。
そんな人が、そんな安易な判断を「当たっている」と評価しても、全く信頼できない
...ということである
〔オマケ〕
私のバックボーンとして、『占い』ときて『心理学』を挙げましたが
あと1つ紹介する予定のバックボーンがあります。
それはいったい何か、分りますか?
心理学を学んでみたい高校生は、
わたしの周りでも増加の一途をたどっています。
その動機は、まさしく上で想像されたとおりです。
「友人が何を考えているか、わかるようになりたい」とか、
「私がどうしてこんなことを感じるか知りたい」とか、
おおよそ、大学で心理学を学ぶこととは、かけ離れたものばかりです。
さらに、高校生たちはこう続けます。
「スクールカウンセラーになって、私のような、悩んでいる高校生の力になりたい」
お節介な高校教師としては、一応、真面目に解説して、翻意を促すのですが、
説得には、あまり効果はありませんね。
そういう高校生は、むしろ占い師でも目指した方が、目的には近いと思うんですが。
『占い』『心理学』と来た次を、予想してみると・・・
『論理学』で、どうでしょうか?
by 憂鬱亭 (2008-06-01 01:28)
えっと...もっとガンガン説得して思い直させてください。
まぁ、「最初はそう思って入ったけど、本当の心理学の方に興味が出た」
となればいいのですが、そのままスクールカウンセラーになったら怖い。
『私のような』が曲者なんですよね。
仮にカウンセラーになって、悩みがある学生が来ても
「うん、私も分るわ。私も高校時代にね...(以下延々自分の体験談暴露)」
と、”自分語り”の餌食にさせられるのが目に浮かびます。
カウンセラーはクランケと「同化」してしまうのが一番危険。
クランケのためにもカウンセラーのためにも
「なんとかしてあげたい」と思うと、技術を離れ個人的な暴走に陥ります。
「仕事としてやれる範囲でだけ、なんとかしてやる」
と冷たいぐらいが、実際には間違いは少ないんでしょうね。
先輩が臨床心理士の資格試験に行った時の話しですが『カウンセラーになると言うより、カウンセリングが必要そうな人がウジャウジャいた』とのこと。
う~ん、笑えない。
心理学でも、いや心理学だからこそ「客観的」に人を見る必要が有り
自分自身すら客観的に見れず、『自分探し』というフレーズに逃避する人は
心理学には向いていない!!
...とでも言ってやってください。
by Judgement (2008-06-02 00:49)
あと、予想ありがとうございます。
自分で振って、何の反応も無ければ寂しくなった所でした。
なるほど『論理学』ですか。
確かに大学では必修でやりましたし、今でも好んでその分野の本を読んでます。
(どっちかといいうと、『論理学』と言うより『修辞学』の方ですが)
でも、『学』を付けられるほどのちゃんとした知識は無いですね...
でも、名前は似ています。
心理学とも関係が有ります。
占いとも関係が有ります。
さて何でしょう?
(諸事情により)答えは明後日以降!!
by Judgement (2008-06-02 00:50)
応援ありがとうございます。説得します!!
・・・とは言ってみても、動機と憧れの方が先にあるんですよね。
「こんな私でも、他人の役に立つことがしたい」という、
一見真面目で、でも冷静に考えれば、えらく視野の狭い考え方が。
実は、仕事で「カウンセラー初級」の研修を受けてみたんですが、
自己とクライアント(依頼者)の分離ができない人は無理、と言われ、
うつと付き合っている私には、少なくとも今のところは無理だとあきらめました。
でも、高校生でカウンセラー志望の者は、自分がカウンセラーのお世話になっている子が大半です。
一方では専門の教育を受けたカウンセラーが少なくて、再就職先がなくなった退職校長がカウンセラーとして配置されて、生徒ばかりか教員や校長のストレスまでアップする等という、洒落にならない事例もでてきてます。
世間で流布する心理学への誤解、特にテレビから垂れ流される誤解を何とかしてもらわないと、難しい感じです。
by 憂鬱亭 (2008-06-02 01:17)