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「科学的」を使って何がしたい? [疑似科学総論]

 今回も前回、前々回と関係有るお話

 まずは、前回の「疑似科学批判における戦略」のおさらい

〔好ましい戦略〕相手の主張する「科学的」の段階に対し、一つ前の段階のプロセスが充足していない点を指摘する事(Ex:理論に対し、導出に科学的方法が使われていない事を指摘)

〔好ましく無い戦略〕相手の主張する「科学的」の段階と同じ段階のものをぶつける事(Ex:理論に対し、現有の科学理論に合致しない事を指摘)

【批判の矛先はどこ?】

 皆さんが、「疑似科学」に対し言うべき事、あるいは言いたい事はなんでしょう?

・ 「疑似科学」は「科学」として信用してはいけない
・ 「疑似科学」は「科学」ではないから信用してはいけない

両者は、同じような事に見える人がいるかもしれないけど、少なくとも私には大きな違いがあります。
以下のような違いだよ、と言えば分かりやすいでしょうか?

・ 他国製品なのに“Made in Japan”をつけるのは不正だ
・ “Made in Japan”と不正表記した他国製品は品質が悪い

 正直なところどっちでもいいよ、という気がしないでもないですが、私の立ち位置を明確にしておくと、「前者で十分、後者は蛇足」です。
 
 多分このようなスタンスを基本とする疑似科学批判者はめずらしくはないと思います。
 とはいえ、そのようなスタンスの人でも(自分も含み)、知らず知らずのうち基本のスタンスからはみ出して、後者のスタンスに足を踏み入れてしまうのもめずらしくないのではないでしょうか。

 でもやっぱり、そのようなやり方はやはり危ういと思います(自省を込めて)。
 それは、どうしても前回述べた「好ましくない戦略」に抵触するからです。


【信頼度の判断基準はどこにある?】

 「好ましくない戦略」の欠点は前回有る程度のべましたが、その他にこういった弱点があります。

 科学理論の信頼度は、分野や個々の理論でも変わるし、当然時代によっても変わります。そのような理論を対立項として持ってくると、状況によっては「疑似科学」側の体の好い反論に使われてしまいます(その例として「脳内には血液型物質は無い」という過去の知見が挙げられます)。

 また、それとは別の話として、信頼度について、どの程度の信頼度で「あり得る・あり得ない」を判断していいかは個々人の認識に依る、という事も忘れてはいけません。

 ちょっとここで、題材としてTAKESANさんの発言を引用させていただきます。

>水伝の場合は、それが絶対にあり得ない事を断言する程度には、科学はものを解っている

 このようなコメントに対し、「極めて低い信頼度であれば“絶対にあり得ない”と判断できる」と認識している人はすんなり読めます。
 しかし、「0%でなければ“絶対にあり得ない”とは判断できない」という(非現実的な)認識をしている人は『科学的と言えども絶対でないのだから、それはおかしい』といった引っかりを感じてしまうわけです。

 これらの事を併せ考えると、やはり「科学理論の信頼度」に基づいた批判は、思った通りに機能しない危険性が高い。

 当然の事ながら、『その理論や推測が真理か否か』という所まで踏み込んでしまう、あるいは踏み込んでいるように聞こえてしまうやり方も同様の危険性を“さらに強く”含むと考えられます。

(私が『科学では真理か否かは判断できない』という考えを前提の非常に高い位置に置いているから、特にそう感じるのかもしれませんが)


【疑似科学に反証は必要か】

 「好ましい戦略」、つまり
 『この理論の検証に対し、科学は「自己と同型か否か」を判断するためだけに使う』
 というのは非常にすっきりしているし、分かりやすいと思います。
 このようなスタンスを明確にするには、出来れば「正しい・間違っている」という表現は、「真理としてか!?」という誤解を与えやすいので極力避けたいところです。

 私としては、「科学としては扱えない」という表現が一番紛れないかなと思います。

 ちなみに、「疑似科学批判批判」にありがちな、『何もせずに間違い扱いせず、実際に検証してこそ科学的だろ』という主張は、“疑似科学の理論も科学的理論と同じ位置付けにある”という錯覚の元で成り立っていると考えられます(これも批判者の「好ましくない戦略」のせいかもしれません)。

 しかし、「科学としては扱えない」と言ってしまえば
『何もせずに間違い扱いせず』→「科学として扱えるかしっかり検討しましたよ」
『実際に検証してこそ科学だろ』→「それが科学的理論ならそうですが、違うからねぇ」
『科学的に検証する価値があるかも』→「それは科学だと言い張る人がやってよ」
 と、さらっと受け流せますね。


【少しだけ水伝】

 話題の水伝でも、「科学的に見てあり得る、あり得ない」のレベルで話をしてしまうと、悪魔の証明を要求したがる人が出てくるわけです。
 これも手続きの不備だけ指摘して『やっぱ科学としては扱えないね。本人も言ってるし』で十分かなと。

 ...とはいえ、個人的な話ですが、水伝関係で輩出した「もしそうだとすれば、こうなってしまうから、あり得ない」という論調は大好きなんですね。
 う~む、そういった個人的嗜好を正当化する言い訳を作っておこう。

 「あり得ない」の根拠に科学を持ち込んだ場合に話がややこしくなるのであって、「あり得ない」論証をする際に“科学を一切挿入せず”論理のみで組み立てれば、相手も反論するためには同じく論理で返さざるを得ないから、むしろそういう作戦ならば非常に有効である!!
...と言っておきます。


【最後に】
 
 とまぁ、色々言ってきました。とりとめがなかった気がずいぶんするけど

 個人的な印象としては「科学的理論」を持ち出しはじめると、相手もギャラリーも荒れ始める、というのが率直な印象。
 それは、私が「科学理論による反論」をしたくても知識が無くてできないひがみもあるかもしれないケド
 でも、「主張を理解させたい相手は、必然的に科学の素人である」という、逃れ得ない前提はキチンと受け止めるべきだと思います。
 

 あと、私の説明不足は目をつぶってもらって、それでも私の主張に対し「特に大きな異論は無いけれど、なにかしっくりこない」という方がいれば...それはおそらく、『科学社会におけるオカルトの有りよう』に関する私のスタンスとの違いがある方だと予想します。
 (実は、この話はそのまま冒頭につながります)。 
 そのあたりは、また後日触れてみようかなと。 
 プラス、今回のこの話題、もうちょっと簡潔に分りやすくまとめなおしたい気もします。

 ...なお、しっくりこないどころか異論だらけだという方は、ぜひコメント欄使ってね
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トンデモブラウ

殆ど異論はないのですが、若干しっくりこない部分も。

例えば、〔好ましい戦略〕の一つ前のプロセスの欠陥を指摘する、というのも相手に科学の素人を想定されているのであれば、ちょっと難しいかな、と思います。
素人のビリーバーさん達は、科学のプロセスなんぞすっとばして、提供された結果のみに喰いつくと思われるからです。
必然的に対処療法(〔好ましく無い戦略〕なんてこった)に追い込まれてしまうんですよね、私のような説明ベタでは。
こういったことは「科学」(のプロセス)を普通に理解していれば、そもそも疑似科学なんかには入れ込まないということなんじゃないかと。(前回のコメント)
ざっくばらんに言うと、〔好ましい戦略〕が有効なビリーバーっているかしら?ということになるんですが・・・(^^;)

また、 「疑似科学」は「科学」として信用してはいけない、なんて言うと『科学絶対主義者』みたいな的外れな批判を受けそう。
科学に擬態しているという欺瞞行為(あるいはそれを利用して詐欺行為を行うみたいなもの)を批判しているのに、「科学」ぢぁなくてもいいの、と開き直られた場合、「科学」の体面だけ守られる(しかも若干見下された感じで)のも寂しい。
できれば科学と詐欺の両方を啓蒙したいなぁ。(欲張りすぎでしょうか。)

「科学」とは、予想された誤差を含んだ未来予想ツールだと思っているので、例えば代替医療なんかのビリーバーさんに「西洋医学でも100%治るとは限らないじんですよ。」とか言われるとガックしきます。
私も個人的体験や直感を100%否定はしないんですけどね。

この辺の「科学」のあるなしの話は、理解するのが以外と難しいですよね。
本来線引きはできないと分かっているんですが、「科学」では「ある」と認められないもんは、「科学」では「ない」ことになっているということを伝えても、なおかつ『水伝』なんかを何の疑いもなく信じている人にかける言葉は、残念ながら私には見つけることができません。

次の更新を楽しみに待ってます。
by トンデモブラウ (2008-05-15 09:18) 

くまぶし

はじめまして。くまぶしと申します。
全部は読んでないですが、けっこう読みました。おもしろかったです。
扱っておられる疑似科学が、本人たちによる「これは科学だ」という主張のことだろうとは思いますし、おっしゃる通りと思うことも多いです。

それで、今回の話とは関係ないし、ちょっと全体的主旨ともはずれるとは思うのですが、フレーザー的な疑似科学という言い方、つまり、科学がまだない時代の出来事に対して、「それは疑似科学だ」として理解(批判)する態度については、どのようにお考えになるか、もしよかったら教えていただけませんか?「科学的だ」と主張していない人に対して、「疑似科学だ」と批判する(理解する)ことに、どのような意味がある(もしくはない)かということです。
(ちなみにくまぶしは、なんらかの意味はあるんだろうとは思うのですが、よくわからないのです。)
by くまぶし (2008-05-15 17:52) 

Judgement

お二人ともコメントありがとうございます。
というか、話のきっかけを作っていただき、ご協力ありがとうございました、という感じです。
返信として新たに記事を作成しました。
by Judgement (2008-05-18 01:21) 

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